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2012年11月

2012年11月30日 (金)

電力会社の料金値上げが続くが

 11月26日の関西電力の家庭用電力料金の11.88%値上げ申請に続き、九州電力も8%の値上げを申請した。さらに東北電力や四国電力も値上げを申請するという。

 九州電力の場合、発電量の4割を原子力発電に頼っていたが、昨年12月に全6基が停止した。それで代わりに動かす火力発電の燃料費がかさんで、2013年3月期の決算では過去最悪の3665億円の純損失を出す見通しだという。

 他の電力会社の値上げ理由も同じで、いずれも原子力発電の停止にともない火力発電の燃料費が負担増になったことをあげている。

 でも、この間為替は円高で推移し、燃料を輸入する電力会社側にはそれなりの利点になっていたと思うのだが、円高でも恩恵を受けなかったというのであろうか。

 25日の朝日新聞には、原発を持つ全国の電力会社9社で、現役社員のまま地方議員になっている「社員議員」が99人いることが取材で分かったと書いている。そのうち91人は議員報酬とは別に会社から給与を受け、さらに関西電力や東北電力など6社の52人は議会活動で会社を休んでも有給となる「特例」を受けていた。

 彼らの議員活動は、地元議会での「脱原発」に反対をしたり、地域で原子力の勉強会を開いたりするなど、原発を推進する会社の方針に従った活動をしているという。

 彼らの所得は二重所得合計で2000万円前後が多いという。電力会社の給与も議員としての給与等も全て我々市民の税金で賄われているのだ。電力料金の場合「総括原価方式」なので給与も献金も全て電気料金に含まれるのだ。

 電力会社の電力料金値上げを認める前に、「総括原価方式」を改めるべきである。このことについては福島原発事故の後電力会社の儲けの源泉としてその不当性が指摘されてきたことなのだ。

 あれから1年になるが、民主党政権はこの「総括原価方式」を改めようとはせず放置したままである。

 我々電力消費者は、有無を言わさず電気料金を徴収される。電力会社はどうやっても損をしない仕組みになっているのだ。それなのに電気料金の値上げは許せない。

 選挙では、「総括原価方式」を改めることと「発送電の分離」を公約する政党がないものかと思う。

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2012年11月29日 (木)

嘉田滋賀県知事の「日本未来の党」立ち上げ

 嘉田滋賀県知事が原発依存から脱却する「卒原発」を掲げて「日本未来の党」を結成した。これには早速「国民の生活が第一」の小沢代表が合流を決定した。また、維新の会に振られて亀井氏らの新党と合流した「脱原発」の河村共同代表も「入れてチョー」と手を上げた。

 社会党を離脱した阿部知子氏や緑の会を結成した民主党離脱の衆議院議員も3名参加するという。現時点では総勢61名の前議員を擁するということになる。

 なんとも慌ただしい離合集散の動きではある。三重県の鈴木知事は、「県政の時間を割いてシングルイシューで国政に関与することに原発のない滋賀県民が納得するだろうか」と述べたが、「県政の時間を必要以上に割いている」のは、橋下大阪市長、石原前都知事、東国原元宮崎県知事などがある。それには何も言わずに嘉田知事を批判するのは片手落ちでおかしい。

 「日本未来の党」立ち上げには、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が協力しているが、彼はもともと橋下大阪市長のブレーンであった。しかし、大飯原発再稼働で橋下市長がぶれて脱原発から後退したので愛想を尽かしたのであろう。

 朝日新聞によると、もともと小沢氏は嘉田しと9月ごろから接触してこの方向を探って来たのだという。そういうことがあるから今回迅速に合流を決定できたのだと思われる。小沢氏は無役だと飯田氏が述べたが、43名の前議員を率いる小沢氏の影響力は無視できない。

 脱原発を明確に掲げて選挙を戦う動きがはっきりとしたことは歓迎できる。脱原発の政党は、「日本未来の党」、「共産党」、「社会党」、「新党大地・真民主」、「新党日本」、「改革無所属」があるという。 

 もともと考え方が違う党が合流するのだから選挙のための野合であってはならない。いくら時間がないといっても重要な政策での合意が必要である。

 「日本未来の党」の当面の六項目は、

 卒原発→原発稼働ゼロからの全原発廃炉への道筋を作る

 活女性、子ども→誰もが居場所のある社会を実現

 守暮らし→生活に対する不安を取り除く

 脱増税→消費増税の前に、徹底して無駄を排除

 脱官僚→国民・地域の立場に立った行政・司法に改める

 誇外交→食品の安全、医療制度を守り、品格のある外交を展開

  これらはスローガンだからどうにでも解釈ができるし、TPPとか憲法や経済や教育については何も触れていない。こうした中で維新の会に対抗する第3極をどうまとめていくのかが見所であり問題点でもある。

 

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2012年11月28日 (水)

我が家の秋の色

  真っ赤だな、真っ赤だな

  カラス瓜って 真っ赤だな

  トンボの背中も真っ赤だな

  夕焼雲を 指さして

  真っ赤なほっぺたの 君と僕

  真っ赤な秋に 呼びかけている

 これは薩摩忠作詞、小林秀雄作曲の童謡の2番である。娘が子どもの頃よく聴いたので自然に覚えていたのが、我が家の小さな庭にカラスウリがなってこの歌を思い出した。NHKのみんなの歌で1965年に発表された歌だという。

 カラスウリが歌のように赤くなるのをずっと楽しみにしていたが、なかなか赤くならず、蔓も枯れてしまった最近やっと赤くなった。ちょうどモミジの木の下にぶら下がっているので、

   カラスウリって 真っ赤だな

   モミジの葉っぱも 真っ赤だな

だと思っていた。念のために調べたら、モミジは一番の歌詞にあった。ちょっと残念であった。

 このカラスウリだが、もともとは隣家の庭にあったのが、4年ほど前に我が家に侵入してきたものだ。ずっと蔓と葉っぱだけであったのが、今年は生け垣中に広がって、気が付いたら3つだけ実を付けていたのだ。

 子どもの頃、山で遊んでいて、カラスウリを見つけると嬉しかったものだ。そのことは以前に書いたように思う。もう一度触れると、実の中にある黒い種を取り出し、大黒様、恵比寿様と言って形を見せ合ったものである。

 歌には「トンボの背中も真っ赤だな」と書いてあるが、アキアカネはとっくに山へ飛んで行ってしまったから、おそらく真っ赤な赤とんぼのことだと思われる。

 我が家のモミジはなぜか今年は色がよくないのが残念である。 

 まっかな秋 http://www.youtube.com/watch?v=jPg15ndgc1w&feature=fvwrel

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2012年11月27日 (火)

ミカンの効用、ミカンの思い出

 17日の朝日新聞”赤be”の「元気のひけつ」という記事は、「ミカンを食べて健康で長生き」「毎日3個で効果」という見出しであった。興味を惹かれて読んでみた。

 ミカンに含まれるβクリプトキサンチンというのがよいということだ。これは、ニンジンのβカロチンやホウレンソウのルティンなどと同じカロテノイドの仲間だそうだ。

 ミカンをたくさん食べると、手のひらが黄色くなると昔から言われている。実際ものすごくミカンを食べて黄色くなった人を見たことがある。それはβクリプトキサンチンが体内の血液や皮下脂肪に取り込まれたのが皮膚を通して透けて見えるのだといいう。

 βクリプトキサンチンは我々日本人が秋から春にかけて食べる温州ミカンの果肉に多く含まれている。しかし、レモンやグレープフルーツには全く含まれていない。オレンジでさえ1/10ぐらいしかないそうだ。そういえばグレープフルーツもレモンも果肉は白っぽい。

 欧米の研究では他のガンにも効果ありそうだという。オランダの研究では血液中のβクリプトサンチン濃度が高い人は肺がんの死亡率が低いと分かったそうだ。

 日本では果樹研究所の杉浦主任研究員らの、三ヶ日ミカンで有名な三ヶ日町での10年にわたる疫学調査がある。ミカンを毎日3個~5個食べる人は、肝機能障害や動脈硬化、骨粗鬆症といった病気の割合が少ないことが分かってきたという。また、喫煙者のメタボにもよいらしい。ただ、「ミカンを食べることで病気が予防できる」とまでは言い切れないそうだ。

 私は大学に入るまで南紀の新宮市で育ったから、ミカンはふんだんに食べることができた。紀州は有名な北の方の「有田ミカン」から南の今でいう「南紀ミカン」までミカンの産地だからだ。

 受験勉強の頃、夜何か食べたくなると近所の八百屋に行ってSサイズの安いミカンを買ってきて食べた。Sサイズだからいつも1度に5.6個は食べた。私は掌が黄色くはならなかったが、妹は食べ過ぎて黄色くなったことがあった。

 戦後の食糧難の時代であったが、ミカンを食べられたことが、今思うと健康に良かったということだ。

 今でもミカンは買ってくるが、我が家では果物扱いではなく、おやつである。食後のデザートは、リンゴ、柿、ナシなど皮をむいて食べるものだ。ミカンは簡単に皮をむけていつでも食べられるから、テーブルの上の籠に常時盛ってある。

 新聞によると、ミカンの人気は年々落ちているらしい。90年代の半分の消費量だというのだから信じられない。

 ちなみに1日当たりの果物消費量は、ギリシャの387gがトップで、英国343g、フランス314g、アメリカ303gだが、アジアでは韓国が202g、中国が198g、日本は144gだ。これはどうしたことだろう?

 我が家では、私が職に就いていた間は、夕食時だけ果物を食べていたが、退職後は知らぬ間に朝と夕に食べるようになった。その意味では贅沢をしていると言えよう。

 そうだ!果物は贅沢という感覚があったのだ。日本人はまだもったいない意識が高くて果物を贅沢視しているのかも知れない。

 夜、目が覚めたとき、ふと思い直して、この20年ほどずっと経済が下降していて、雇用がよくなく、正規社員でない人が1/3いると言われるし、生活保護受給者が210万人を超えて増えているので果物どころでない人が増えたのだろう考えた。

 そう思うと自分は果物を食べられるのは幸せだと思う。

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2012年11月26日 (月)

多党化の問題

 新しい政党ができたと思うとすぐに合流で政党の数がいったい幾つなのか定かではない。16あったのが14になったのではないかと思う。

 サンデーモーニングが街頭で調査したところでは、政党と党首を結びつけて言える人はいなかったそうだ。私のように割合関心を持っている者でも分からないのだから当然の現象である。

 この番組がアメリカの研究者の研究を紹介していた。それは多くの商品を並べた場合と少なく並べた場合で売れ行きがどう違うかというものである。24種類のジャムと6種類のジャムを並べて比較したら、6種類の方が売り上げが伸びたというのだ。それは消費者が何を買ったらよいかを検討しやすいからだという。

 これと同じで、今度の衆議院議員選挙で、14もの政党が乱立すると有権者は選択に迷ってしまうというのである。それは経験的にもいえることである。幸田真音さんは、消去法でいっても、結局誰に投票したらよいか決められないと言っていた。

 こういう選挙では、キャッチフレーズが効果的だそうで、過去の選挙でも、田中角栄の「日本列島改造」とか小泉純一郎の「郵政改革」などのワンフレーズが大変効果的であったのだ。

 今回は石原慎太郎が、盛んに核シュミレーションとか中国・韓国への強硬な発言をして目を引こうとしているし、安倍晋三は国防軍とか憲法改悪とか無制限の金融などをぶちあげている。それに対して経団連米倉会長さえ「国民に受け入れられるか」と批判した。一方、消費税反対、脱原発、反TPPなどを威勢よく掲げている党もいくつかある。

 国民は、社会福祉や就職問題や景気の改善などに関心が強く、脱原発も関心事である。石原が言うように「些細な問題」ではないのだ。

 サンデーモーニングで田中秀征氏が、野田首相は、結局アメリカと財界の後押しで強気な姿勢を示していると評していた。

 維新の会の橋下はみんなの党の渡辺に合流を持ちかけているが、いったいどうなるのか、単なる選挙目当の数合わせが目的だと思われる。実際橋下は選挙に勝つことが大事と言い、この間まで必須条件と言っていた維新八策への同意はうやむやにしてしまった。橋下とはそういう男なのだ。

 これだけ政党が乱立し、それぞれが耳に心地よく響くことをしゃべるからよほどしっかりしていないと誤魔化されてしまう。情報リテラシイが必要である。

 幸田さんではないが、選挙で入れた人が別の党に替わったり、政党自体が変わったりということでは、信用ならない。そういう国民を平気で欺く人や党を選んではならない。

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2012年11月25日 (日)

BPSDというコトバを初めて知った

 22日のNHKクローズアップ現代で、認知症の患者の長期入院について取り上げていた。認知症の人は300万人いると言っていたが、その中で暴力を振るうなどで介護施設や家族の手に負えず、精神病院に入院する人が増加しているのだそうだ。問題は症状が改善しても退院しないでそのまま入院している人がいることだという。

 この番組で、BPSDというコトバが何度も出てきた。説明がないので何のことか分からなかった。後でインターネットで調べてやっと分かった。

 医療法人社団茜会のHPには次のように書いてあった。

 「BPSDとは、Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略で、認知症に伴う徘徊や妄想・攻撃的行動・不潔行為・異食などの行動・心理症状のことで、「問題行動」とか「周辺症状」とも呼ばれ、記憶の障害・見当識障害・判断力の障害・実行機能の障害などの「中核症状」とは区別されます。
 特徴としては、、軽症から中等症に進行するに従い頻繁に出現するようになり、急速にQOLの低下を招き、介護負担が増大します。

 NHKの番組では、幻覚とか、大声で叫ぶとか、歌を歌うとか、暴力行為をする事例が取り上げられていた。認知症がほっておかれ症状が悪化して手が付けられなくて精神科に頼るケースが多いそうだ。」

 精神科に入院すると、2か月ぐらいで症状が改善することが多いようだが、その後退院するのを家族や施設が怖がり、入院が長引くと言っていた。石川県の病院では、早期退院を促す取り組みをしたり、症状が悪化する前に介護施設を訪問してチェックをすることによって成果をあげているということであった。

 こうした認知症は誰にでも起こることだと番組では言っていたが、それが心配なのである。いったい自分にも起きるのか、妻にも起きるのか、起きるのはいつなのか、軽症ですむのか・・・・など悩ましいことである。

 アメリカのレーガン元大統領、イギリスのサッチャー元首相など著名人でも認知症になっている。認知症を防ぐ方法はあるのかそれも知りたいところである。

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2012年11月24日 (土)

南山ゆうゆう倶楽部でマジック・ボランティア

 勤労感謝の23日に南山ゆうゆう倶楽部の秋祭りがあり、名古屋華マジカルグループに出演の依頼があった。クラブからKさん、Tさん、私の3人が出かけた。

 朝のうち雨が降っていて心配していたが、10時ごろにはやんだのでホッとした。我が家からそう遠くないところなので運動を兼ねて歩いて行った。

 ゆうゆう倶楽部は、檀渓通りから山崎川を渡った閑静な所にある40室の個室をもつ施設であった。この近くには、ベネッセの施設などいろいろな介護施設がある。

 ゆうゆう倶楽部の秋祭りは、第一部が運動会(といっても、室内だが)第二部が握り寿司の昼食で、寿司職人が出張してその場で握ったものを出してくれるという贅沢なものであった。私たちもお相伴にあずかった。ネタもよくさすがに美味しい寿司であった。

 職員の中にGさんというフィリピン出身の人がいて、マフィンや焼きそば、フィリピン風春巻きなどを作ってきて出してくれた。とてもおいしかったがお腹がいっぱいであまり食べられなかったのは申し訳なかった。

 私たちは、13時からの第三部でマジックショーを担当した。最初に簡単な挨拶をして名前を紹介したら、Kさんと同姓同名の人がいて「同じだ、同じ名前だ」と言って喜んでいた。

 そのKさんから演技を始めた。マジック用のドレスに身を包んで、シルクや花を使ったマジックやレコードなどを披露した。シルクが大きいシルクに変わったとき、驚きの声があがった。袋から箱を出したときは「まだ出る」と感心していた。柔らかい物腰の演技できれいに演じたので皆さんを魅了した。

 次が私で、例によっておしゃべりを入れて身近なロープとか大きなトランプ、風船の貫通、リングなどを見せた。会場はシネマスコープ型に横に広がっていたので、どの席の人にもよく分かるように気を付けて演じた。身近なものの不思議さにその都度声があがっていた。

 最後はこれもマジック用ドレスを着て、髪に飾りをつけてTさんが演じた。シルクがつながって出るものやお札のプロダクション、ピンと立つロープなどをやり、締めっくくりはお得意の簾からの傘の出現で喝采を浴びた。お札が出たときには、「いいわねえ」と羨ましそうに言っている人がいた。

 それぞれが時間を超過することなく予定通りにぴたっと収めることができた。みなさんがとても興味深そうに真剣に見て下さったのでやりがいがあった。

 第四部はプロの牛丸哲郎さんの津軽三味線で、「津軽よされ」、「火の鳥」、自分で7編曲した「一期一会」を演奏された。「一期一会」は「津軽じょんがら」や「津軽あいや」などをもとに作ったもので、演奏するたびに構成が変わるという話であった。さすがに歯切れのよい、テンポのよい素晴らしい演奏で、45分の演奏の後アンコールがあり、津軽じょんがら節を演奏して大拍手を浴びていた。

 牛丸さんは、吉田兄弟よりも前に、津軽三味線で優勝をしたそうで、外国にも出かけて演奏をしてこられたそうだ。中日新聞によると、この近辺の全ての施設で演奏をされたということである。

 ゆうゆう倶楽部は、スタッフが笑顔でよい接し方をしておられ、中でもこのイヴェントの中心になっているNさんは、いろいろと目配り気配りをして飛び回っておられ、とりわけ笑顔の素敵な方であった。

 

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2012年11月23日 (金)

自民・公明を嫌って民主にしたはずなのに逆戻りし更に悪くなる、民主党の罪は大きい

 衆議院が解散されて12月16日の投票日が決まり、政治家どもは右往左往している。できたばかりの太陽の党が日本維新の会と合流し、減税日本は維新の会の振られてしまった。

 減税日本の小林代表代行は維新の会に鞍替えだという。減税日本に加わってまだ2か月かそこらなのに、だ。

 急な総選挙でまさに政界は右顧左眄、右往左往という何ともみっともない状態である。とにかく御身大事で国民はそっちのけ。どこにくっちいたら当選に有利なのかとそればっかりである。無節操の極みである。

 日本維新の会は、政策の違いがあっても、石原慎太郎という帽子ほしさに合流したが、石原に媚びて橋下は脱原発から脱退した。普通なら引退の80歳のロートルの名前がまだ役に立つと思っているらしい。

 橋下はもともとコロコロと主張を変えて平気な人間だから、これからも「風向き」をみては主張を変えるであろう。なにしろ詭弁という弁舌が立つからたいていの人はコロッと騙されてしまう。

 あっという間に15か16かの政党ができて、しかも離合集散が激しいから、我々には何のことかさっぱり分からない。それにみんな選挙目当てのいいことばかりを言っているから余計に惑わされてしまう。

 安倍自民党総裁は、耳あたりのよいことを並べ、特に財界受けのすることをしゃべるものだから、このところ株価は連騰している。でも、フィナンシャルタイムスのように外の目で安倍のいうことは危険だという指摘もある。

 22日の朝日新聞には、「自民公約、ばらまき回帰?」と書いてあった。公約ばら撒きで政権を獲得した民主党を見倣おうということなのか。有権者は、民主党のマニュフェストが殆ど実施されず、消費税やTPPなど公約にないことを優先してしまったことに失望している。有権者は民主党によってマニュフェストなるものが「羊頭を掲げて狗肉を売る」類のものであることを知ってしまったのだ。民主党の罪は大きい。

 今度の選挙の結果はどうなるのか予測がつかないが、いろいろな週刊誌の予測ではどうやら自民・公明が復活し、それに維新の会が50議席前後獲得するということのようだ。

 もし、それが当たるようなら自民・公明+維新が与党を組むのではないかと思う。安倍と橋下の共通点はこれまでにない右より保守であり、憲法改悪、教育行政改悪、原発推進、公共投資復活などで一致しているし、公明も維新を支持しているからこの連合はかたいとみることができる。

 民主党が凋落することは誰の目にも明らかだし、共産党、社会党などはいくらいいことを言っても支持は限られている。リベラルは後退し右翼路線が政治の中心を握るという事態になりそうである。

 サンデーモーニングで岸井氏が、戦争時代に突入する前の20年間の政治状況とよく似ていると指摘していたが、この選挙のあとそちらの方向に向かうのだとしたら恐怖感を覚える。

 

 

 

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2012年11月22日 (木)

名古屋オルガンの秋・ブランチコンサート2012・11・21

 名古屋オルガンの秋実行委員会主催のブランチコンサートが、愛知県芸術劇場コンサートホールで11月21日(水)に開かれた。今年最後のブランチコンサートであった。

 タイトルは、「パイプオルガンと2本のトランペットの華麗なる世界」であった。前から期待をして楽しみにしていたが、幸い退院後であったので聴きに行くことができた。

 開場時刻10分前についたが、40人ぐらい並んでいた。すぐに当日券を買って並んだ。そこへ高校の同期のTさんが友だちとやってきた。彼女も吉田さんのオルガンのファンになったのだ。しばらく話をしていたら定刻に開場した。

 中に入るといつもの通り2階を目指した。いいことに前列から2列目の中央が空いていた。1つおいて左に頭の薄い男性が座っていた。

 10時半に吉田文さんと二人のトランぺッターが登場した。トランぺッターの1人は西洋人で、ウーヴェ・コミシュケさんとプログラムに書いてあった。もう一人は武内安幸愛知県立芸術大学音楽部教授であった。

 最初の演奏は、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」からであった。同じメロディが交互に現れる序曲をトランペットで演奏した。後でトランペットの紹介があり、そのトランペットは普通私たちが見るピストン3本のものとは違うもので、ドイツとオーストリアで使用されているものだそうだ。

 第2楽章の「プレー」では楽器が変わった。ホルンのような巻いた楽器でコルノ・ダ・カッチャというのだそうだ。静かな音域で演奏され、オルガンとよく合っていた。Ⅲは平和、Ⅳは歓喜でトランペットがきれいに響いた。

 2曲目はオルガンソロで、ヨハン・セバスチャン・バッハの「愛するイエスよ、我らはここにあり」で、説明では、最初フルートの音、次いでクラリネットの音になるが、愛知県芸術劇場コンサートホールのパイプオルガンは国内で一番きれいなクラリネットの音をだすと話した。それで注意深く聴いた。

 3曲目は、リクエストに応えたもので、同じバッハの「小フーガ ト短調」で同じメロディが繰り返されるおなじみの曲である。

 その後、武内教授よりトランペットの説明があった。武内教授のトランペットの一つは日本にはたった一つしかないものだという話であった。

 4曲目は、武内教授のトランペットソロで、ヘンリー・パーセルの「トランペットとオルガンのための組曲」からⅡ.マーチとⅢ.メヌエットとシチリアーノが演奏された。初めて聴く曲であったが楽しく聴かせてもらった。

 5曲目は演奏順が6番と入れ替わり、ウーヴェ・コミシュケさんのトランペットソロでトリステン・ぺピのエヴォカティオンという小品だがいい曲であった。

 6曲目は、オルガンソロで、バッハの讃美歌「目覚めよ呼ぶ声あり」であった。

 最後の7曲目は、ヴィバルディの協奏曲「2本のコルノ・ダ・カッチャのための編曲」で、コミシュケさんが金色の、武内さんが銀色の楽器で演奏をした。Ⅰ.アレグロ、Ⅱ.ラルゲット。Ⅲ.アレグロと最後の曲らしくよい選曲であった。

 その後アンコールはないものと思っていたら、素敵な曲を演奏してくれた。題名の紹介がなかったので帰るとき聞きにいったら、係りの人が「知らないから知りたかったら電話して」と言っていた。

 今日の演奏会は、期待にたがわずとてもよい演奏会で、トランペットがオルガンとどうコラボするのか興味津々であったが、素晴らしく合っていたので感心した。多分3本の異なるトランペットを取り替えながらの演奏で、高い音、中くらいの音、低い音とそれぞれがよく調和していた。そして改めてオルガンの凄さを認識した。

 残念であったのは、左の席の男性で、最初は一つ空けて座っていたのに始まる前に私の隣に移って座った。その男性は、演奏を聴くとき、まるで氷のように固まって聴いていた。ずいぶん変わった人だと思っていた。

 私はボールペンで、プログラムに、音を立てないようそっとメモをしながら、聴いていた。3曲目の途中で、彼はいきなり、「ごそごそと動いたり、ボールペンをカチカチやらないでほいしい」と言った。私は、音をたてないようにしていたのだが、それでも彼には気に入らなかったみたいだ。私は、「ちょっとメモをしたいのです」と言ったが、それきりメモはやめた。

 これまでの人生で聴き方を注意されたのは初めてであったので考えながら聴くはめになってしまった。4曲目からは左隣が気になって20%ぐらいは興をそがれてしまった。

 クラッシク音楽のコンサートでは、日本人はだいたい固くなって聴く人が多いと、以前にどこかに書いてあったのを読んだ記憶がある。それに対し、西洋人は体で反応しながら聴くのだという。

 私は、クラッシックはオーストリアで1回コンサートに行っただけだから、その真偽のほどは知らない。

 それにしても、氷のように固まって聴く必要があるのか大いに疑問をもった。音を立てずにちょっとメモをする動作も気になるというのは異常だと思うのだ。

 私の右隣の人は、アンケートを書きながら聴いていたが、私には別段気にならなかった。気になったのは、後ろで演奏中に大きな咳が聞こえたときぐらいだ。でも、生理現象だからそこは大目にみるべきでる。

 前にも書いたが、邦楽の演奏会では結構周りがごそごそと動いたり、話し声が聞こえたりすることが多い。それもほどほどに願いたいが、クラッシクももう少しリラックスして聴く方がよいのではないか。

 以前にも書いたが、コンサートホールのスピーカーは本当に質が悪い。音のシアターなのに不思議でならない。せっかく吉田さんがマイクを握って説明をしてくださるのだが、聞き取れない部分が多い。芸術劇場には何とか改善をしてほしいものだ。

 なお、聴きもらした方は、11月25日(日曜日)午後3時半から、カトリック五反城教会(地下鉄東山線「岩塚駅」下車2番出口、徒歩5分)で聴くことができる。教会で聴くとまた違った味わいがあるのではないかと思う。入場は無料(お志)である。

「パイプオルガンと合唱と聖歌によるクリスマスのお話」

 12月23日(日曜日)14時:30分開演、 カトリック南山教会大聖堂 入場無料

  地下鉄 鶴舞線「杁中駅」下車

 

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2012年11月21日 (水)

鼠蹊部ヘルニア入院記―④―内出血

 鼠蹊部ヘルニア入院については③で終わるつもりであったが、新たな事態が生じたのでもう一回記録として書くことにした。

 退院2日後の18日のことである。トイレに行ってふと気が付いたら、太ももの付け根の辺りが青地になっていた。内出血である。手術と関係があるのかどうか分からないので様子を見ることにした。

 以前にタケプロンという薬で蕁麻疹になったことがあったが、その時にも似たような症状が出た。注意して見ていたが身体の他の部分には現れなかったので蕁麻疹ではないかもしれなかった。でも、念のために痛み止めを飲むのはやめることにした。痛み止めを飲まなくてもそれほどの痛みはなかったのだ。

 しかし、19日になると内出血は色が濃くなり、少し下の方へ広がった。あいにく用事があって病院に行くことができないのでもう1日様子を見ることにした。

 20日に病院に出かけた。ウオーキングをしてなかったので、それも兼ねて駅まで歩くことにした。地下鉄で杁中まで来て、はっと診察券を忘れたことに気が付いた。戻るしかないので八事駅から戻った。

 診察券を用意したのだが、机に置いたままポケットに入れるのを忘れたのだ。妻に「貴方はこの頃よく忘れるから気を付けなさいよ」と言われてしまった。

 また歩いて駅まで行き、日赤に着いたら、本来の到着時刻より40分遅かった。予約してあった訳ではないのでまあいいかと思った。

 診察は意外に早くて30分ぐらいの待ち時間で済んだ。診察室へ入るとうまいぐあいに手術を担当した医者であった。訳を話すと手術に関連した内出血であると言った。患部もまだ腫れているし、少し熱っぽかった。でも次第にひいて行くと言った。そして、超音波で調べてくれた。

 患部に貼ってある透明なものが、入浴したときに湯ではがれそうになると話したら、それは取れてもいいと言った。さらにすぐに剥がしてもいいと言った。そうならそうと退院時に話してくれれば心配をしなくて済んだのにと思った。私は剥がれないようにテープで一部を補強していたのだ。

 医者は化膿をするといけないからとラリキシンという抗生物質を処方してくれた。前回に右側を手術したとき何も記録を残さなかったので、その時にも内出血したかどうかは覚えていない。それで今回は詳しい記録を残すことにしたのだ。

 先日、町内会長も、今年聖霊病院でソケイヘルニアの手術をしたと言っていた。日赤では1週間に2回、5人の手術をするのだという。ソケイヘルニアは結構多いようである。

 

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2012年11月20日 (火)

鼠蹊部ヘルニア入院記―③―術後第2日から退院

 朝5時半ごろ起きて、離れたところにある洗面所まで歩いて行って顔を洗い、髭をそった。

 それから退屈しのぎにカードマジックの復習をした。そのとき新しいやり方が閃いた。二つのマジックを組み合わせ、占いのマジックを作ることであった。茂木健一郎の脳の本には閃きについて書いてある。この閃きは嬉しかった。

 7時のNHKニュースを見てから東京の娘に電話をして詳しい様子を話した。

 8時が朝食であったが、前日の朝食は15分早く来たのに、この日は朝の連続テレビ創小説が終わった8時15分に来た。私は入院してから、試みによく噛んで食べることにしていた。それでゆっくりと味わって食べた。

 私の実験では、一口のご飯がどろどろになるまでには、少なくとも100回以上噛まなければならないことが分かった。野菜の場合はもっと噛まなければならない。健康の本などには、最低30回とか70回噛むとどろどろになると書いてあるが、それではまだ足りないようだ。私の場合歯は奥歯が1本なくなっただけで後は全部健在なのだ。それでも100回以上噛む必要があるのだ。

 朝の回診は10時ごろにあったが見るだけの簡単なもので昨夜の出血についても「大丈夫です」と言っただけであった。実際その後は出血をしていなかった。

 血圧は正常であったが体温は37.1度あった。看護師は微熱ですねと言ったが私は正常値だと思った。

 午前中は引き続き本を読んで過ごした。前回はこの日は退院できたのにと思ったが仕方がなかった。

 昼には食事にみつ豆がついていたが、果物を食べたいので、妻に来るときには果物を持って来てと頼んでおいた。それでタッパウエアに柿、ナシ、リンゴを剥いて持ってきたくれた。いっぱいあったので食べきれないというと、夕食後と明日の朝も食べるように言った。

 午後には、看護師が身体を拭くようにと熱いおしぼりを5個持って来てくれた。下を拭くときはそれ用のおしぼりを使うのであった。背中は看護師が拭いてくれた。

 私は毎日何度も大便が出るのだが、手術のあとずっと便が出ていなかった。看護師に「小便は出たけれど大便はまだ出ない」と言うと、「絶食したからでしょう」と言った。便は8時過ぎにやっと出たので安心した。

 患部の痛みは動かさなければ何ともなかった。ただ咳をするのは一番響いた。一度気管支に水が入ったときも痛くて困った。飲み込むときは細心の注意が必要であった。

 夜には2度小便に起きたが問題なく歩けた。急速に回復していくのが実感できた。

 術後3日目で退院の朝が来た。いつものように5時過ぎると起きて洗面をした。小便に行ったとき、患部の血の跡が前より広がっているようなので看護師に話した。医者が見に来てくれ大丈夫だと言った。

 看護師が医師の退院療養計画書を持ってきた。それには次の診療日と退院後の諸注意を書いてあった。

 この朝は看護師交代後に、年配の看護師が回ってきた。「ベテランですね」と言ったら、「病棟の責任者です」と言った。胸のタグを見ると「看護師長」と書いてあった。

 10時に回診があり何故か3人の医師が来た。担当医は患部を見てすぐ帰ろうとしたので、ウオーキングと酒について尋ねた。どちらもOKと言ったので嬉しかった。酒については「腸の手術をしたのではないのでいいでしょう」と言った。

 それで地下鉄を使って歩いて帰ることにして、駅まで迎えに来るように妻に連絡をした。回診が終わるといつ帰ってもよいので看護師に話して、最後の部屋の点検をしてもらい病棟を後にした。

 1階のATMで金を下ろし器械で治療費の支払いを済ませた。大変簡単であった。支払いを済ませると地下鉄まで歩き、地下鉄に乗った。御器所駅には妻が来た。途中その日の夕食に飲む酒を買うべくスーパーに立ち寄った。家まではゆっくりと歩いて帰った。

 帰宅するとこれで自由だと思いほっとした。3泊4日は長いと思ったが、終わってみると短かった。

 

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2012年11月19日 (月)

鼠蹊部ヘルニア入院記―②―手術編

 手術当日は朝食後から絶飲食を言い渡された。午後4時に手術の予定なのでそれまでの時間が待ち遠しい。持って行った本を読みながら過ごした。

 午前11時にシャワーを浴びて体をきれいにし、洗髪もした。午後2時ごろに妻が来た。本当は3時ごろ来るはずっだったのだが妻の判断で早めに来たと言った。前回のとき、手術予定の時刻が早まって間に合わなかったので今回はそういうことがないように早く来たということであった。

 妻の想定は正しかった。私が早めにトイレを済ませて戻ってきたのが2時40分で、部屋には看護師が待っていた。急に手術の予定が早くなって2時45分に手術室に入るのだという。

 大急ぎで背中開きの手術着に着替えて妻も一緒に手術室に向かった。45分に手術室に入った。帽子を被せられて名前の確認の後手術台に上った。

 すぐに血圧計と心電図計が取りつけられ血圧などの測定が始まった。また左の人差し指に酸素濃度測定器が付けられた。 医者は2人いて、看護婦は3人いた。

 しばらく準備の後、左向きとなり足を曲げエビの形をして背骨の下部の辺りが消毒された。そして、触診で背骨が探られところどころに針が刺された。時々グッ、グッツと異様な痛みがあった。指で抑えて柔らかくして針を試しに刺しているらしかった。

 15分ぐらいしたであろうかやっと麻酔薬が注入されたのか足がふわーとしてきて、やがて下肢にしびれがきた。私は、これまでに何度か腰椎麻酔の経験があるがこれほど時間がかかったのは初めてであった。医者に「前はもっと簡単だった」と話した。

 身体を上向きに直してしばらく麻酔が効くのを待った。下半身が全く感覚がなくなり、試しに「痛いですか」と腹を触られたらしいが何も感じなかった。それで顔の上に遮るものが張られて手術が始まった。酸素が不足することがあるのでと言って酸素吸入の管が鼻に付けられた。

 執刀は担当の若い医師で左側に立ち、反対の右には指導医らしいのが立っていた。指導医はいちいち指示を出していた。二人はいろいろと話しながら手術を続けていた。

 若い看護師が頭の上の方にいて、ときど気分などを尋ねてきた。血圧は頻繁に測られた。眠ってはいけないと思っていたが眠気を感じたのでそう言ったら、看護師は「眠ってもいいですよ」と言った。

 でも、そう言われると眠れないものだ。かなり時間が経ってから「お腹に力を入れてみてください」と指示された。自分では力を入れたつもりだが全く感覚がなかった。それでも力が入ったのか医者が「いいですよ」と言った。

 何をされているのか音と話し声が聞こえるだけで早く終わってほしいと思っていた。また、お腹に力を入れるように言われた。

 1時間ぐらい経った頃「終わりました」と言った。看護師に時刻を聞いたら「4時25分です」と言った。手術は1時間余であったようだ。

 すぐに手術台と移動ベッドの間に板が渡されて4人がかりで手術台から板へ、板からベッドへと移された。そして手術室を出た。

 部屋に戻る間廊下の天井が動くのを眺めているのは何か変な感じであった。部屋に着くと運ばれてきたベッドのまま入った。

 「何時間ぐらいこうやっているのですか」と聞いたら、医者は夜の「8時ぐらいまでかな」と言った。それまでは頭を上げないようにじっとしているのだそうだ。だいたい4時間半ある。医者は「遅いので今日の夕食はありません」と言った。でも、何かを買ってきて飲食するのは構わないと言った。腹がへるので妻にパンと牛乳を買ってくるように頼んだ。

 また退屈だからテレビでも見ようと思い、看護師に尋ねたら、見るのはいいと言ったので、妻にテレビのカードを買ってきてもらった。音はイヤホーンで聞くのだ。 テレビを見られるようにしてもらって、妻には帰っていいと言った。

 党首討論で野田首相が解散の時期を明示したというのでそれを報じていた。退屈しのぎに眺めた。それでも8時までは長かった。

 1時間ぐらいすると足の指に感覚が戻ってきた。でも太ももを触ると、まるで何か物体を触っているようで、自分のだという感覚は全くなかった。看護師が血圧や酸素の状態や体温を調べに来たが正常値であった。

 2時間経つと足首辺りまで感覚がもどってきたようであった。本当に少しずつ少しずつだが確実に下から感覚が戻ってくるのが分かった。7時半ごろには太ももの感覚も自分のものだと感じるようになった。でも、おちんちんだけはまだ感覚がなかった。見回りに来た看護師に「8時になったら来て」と頼んだ。

 辛抱してやっと8時が来た。おちんちんの感覚も少し戻っていた。しばらくして看護師が来たので手伝ってもらって、ベッドから降りたが身体を動かすと患部が痛かった。ベッドから足を下ろして床に着くとき力が入りギクッと痛んだ。そろそろと歩いて部屋の窓際にある洗面台まで行った。看護師が「大丈夫ですか。ふらついてますよ」と言った。

 手を洗って水を飲んで戻ろうとしたら、看護師が「あっ、血が!」と言った。見たら床にべっとりと血が広がっていた。看護師は「心配ないです。よくあることです」と言った。そのままベッドの戻り腰かけた。見ると寝巻に血がいっぱい付いていた。急いで看護師が拭くものを取に行き患部の血をふき取ってガーゼを当ててくれた。ベッドを降りたときに患部に力が入ったのが原因だと思った。

 椅子に座って買ってきてもらったアンパンとふかしパンを食べて牛乳を飲んだ。その後痛み止めのロキソニンと胃薬を1錠ずつ飲んだ。

 ベッドに戻るとすぐに消灯の時刻9時になった。寝る前に患部を見てもらったが出血は止まっていた。その夜は体をまっすぐにして寝た。初めておならが出た。

 12時半ごろに眼が覚めて小便に行きたくなった。気を付けてベッドから降りて壁際の手すりにつかまってそろそろと歩いた。動くと患部は痛く感じたがじっとしているときは感じなかった。

 4時過ぎにまたトイレに行ったが、驚いたのは前よりも歩きやすくなっていたことだった。今度は手すりを頼らずに行けた。

 

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2012年11月18日 (日)

石原慎太郎氏にコケにされた減税日本代表河村名古屋市長

 減税日本の河村代表は、15日に太陽の党共同代表石原氏と会って、急きょ合同を決定した。それについて減税日本所属の議員たちは寝耳に水だと言っている。マスコミの報道で初めて知ったというのである。

 減税日本は河村名古屋市長が作ったには違いないが、公党である。それを河村氏の一存で勝手に合流して後の者はついてこいでよいのであろうか。

 そもそも減税日本と太陽の党は政策に違いがある。減税日本は減税を主張し、原発もなくすべきだと言っている。石原氏は、増税賛成、憲法を改悪、原発は推進である。対外的にも中国を敵視し最右翼の政治家である。

 河村氏は、これまで国民の生活が第一の小沢氏とよく会って親密にしていた。また維新の会の橋下大阪市長と会って盛んに秋波を送っていた。しかし、政策的に一致できないと断られて急に石原氏に鞍替えしたのだ。

 石原氏はなぜか受け入れたが、橋下維新の会代表は当惑して回答を保留した。

 と、ここまで書いて寝て一夜明けたら、新聞は一面に太陽の党と維新の会が合流し、代表に石原氏、副代表に橋下氏が就くことになったと報じていた。減税日本の合流は”白紙”と書いてある。

 石原氏は橋下氏と会談した際、「減税日本との合流は決定ではない」と述べたという。16日の新聞には石原氏と共同会見をした河村氏の嬉しそうな写真と談話があったがあれは一体なんだったのか?(石原氏は17日の会見で『減税日本というネーミングがいかん』と訳のわからない理由を言っていた。そんなことは合流する前からわかっていたことではないか。理由にはならないのだ。)

 ここまでコケにされて、河村代表は「ようわからん。今までも山あり谷ありだった。」と述べたという。記者会見までして合流を発表したものを一夜で覆した橋下氏も大した技使いだが石原氏も同じ穴のムジナである。

 文芸春秋には、橋下氏はいろいろと打ち上げるが、すぐに前言を翻すと書いてあった。原発再稼働の問題でもそうであった。言うことがころころと変わるし、替えても平気なのだそうだ。そういうことはマスコミが報じなのので多くの人は知らないだろうとも書いてあった。実は私もその一人である。

 彼は17日の会見で「考え方の違いは誰にでもあること」と述べた。それまでは政策の一致を前提とだと口酸っぱく言っていたのをコロッと変えた。彼はそういう人間であることを証明した。

 また、橋本氏を批判するとインターネットで攻撃され、脅迫されるとも書いてあった。橋下氏はファンが勝手にやっているのだろうというだろうが、マスコミはそれにおびえているそうだ。

 だから今回石原氏にコケにされた河村氏も諦める他はないだろうが、元はと言えば河村減税日本代表が独断でやったことである。自業自得というわけである。しかし、許せないのは、減税日本に投票をした有権者に対する裏切りである。名古屋市民の多くは彼の減税政策に支持を与えたのであって、政策が違う太陽の党との合流まで指示したわけではないのだ。

 政治の世界は裏切りや騙しやごまかしが平気で行われることを我々は嫌というほど見せつけられてきた。そして今も見せられている。今度の総選挙はそういう連中がわんさかと出そうである。いったい誰を、何を信じて投票に行けばよいのか。

 17日発表の朝日新聞の調査では48%の人が戸惑っているという。離合集散は世の常とはいえ、選挙で支持し投票して当選した議員が勝手に党を乗り換えたり、離党したりするから信じられなくなるのだ。

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2012年11月17日 (土)

鼠蹊部ヘルニア入院記―①―

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 数年前から鼠蹊部が膨らんでいるのが気になっていた。脱腸であることは分かっていた。なぜならこれまでに3回も脱腸の手術をしているからだ。5歳ぐらいの幼少時に右を手術し、38歳頃に左を手術し、6年前ぐらい前にまた右を手術したのだ。

 どうにも気になるので思い切って前にも手術をしてもらった第二日赤病医院に出かけた。思った通り鼠蹊部ヘルニア(脱腸)で、手術をした方がよいと勧められた。ほうっておくとだんだん穴が大きくなり、そこから腸が出て戻らなくなると大変なことになると言われた。それで手術を決断した。

 でも、左右にあるのでどちらかを選ばなくてはならない。もちろん両方同時にやれないことはないと言ったが、それは大変だという。それで見たところ大きそうな左をまず手術してもらうことにした。

 手術の日はその時に決まった。鼠蹊部ヘルニアの手術日は週回と決まっているそうで1か月ぐらい先の予約であった。前回は手術日の翌日に退院できたが、今回は翌々日だと言った。1日遅くなったのだ。

 その日は、10ページぐらいの鼠蹊部ヘルニアについての詳細な説明書をもらった。いわゆるインフォームドコンセプトというやつに違いない。それから血液の採血をし、心電図やレントゲンの撮影もあった。

 10月24日の2回目の診察で入院の打ち合わせをした。前回の手術のときに比べて大変書類の数が多くなっているのに驚いた。1つにはうるさい患者が増えて病院が予防線を張るようになったものと思われる。アンケートは数ページに及び、こんなことまで必要か?と思われることまで細かく質問してあった。

 あとで分かったのだが、このアンケート用紙は退院時に返却され、もし次に入院するときがあればそのまま使えるということであった。

 11月13日の入院日が来た。手術前日の朝10時ごろに来るように言われていたが少し早めに病院に着いた。八事日赤は最近改築されたようで病棟も新しくなっていた。

 部屋は4人の共同部屋であった。ただカーテンで仕切られているので顔を見合すことはなくて済むようになっていた。以前と比べて個別化し孤立化していた。以前はカーテンはあっても必要な時以外は開けっ放しで同室の人と挨拶をしたり、話をしたり、差し入れを分けたりしたものであった。今は、「秋深し隣は何をする人ぞ」である。

 私の手術の予定は、翌日の午後4時からだと告げられた。そんなくらいなら何も前日から入院しなくても、当日の朝でもよいではないかと思った。というのは入院をしても何もすることがないのである。しいて言えば、下の毛を剃ることと就寝時に下剤を飲むことだけなのだ。

 下の毛を剃るのはこれまでは看護師がやっていたが、今回は使い捨て電動剃刀をくれて自分で剃るのであった。風呂場でやったが初めての経験であった。かなりの量の毛が排水口に溜まった。部屋に戻って看護師が点検をしたらまだ不十分ということで結局もう一度剃ってくれた。

 この日の昼と夜に病院食を食べた。昼は果物がついていた。ご飯は180gとあり、味は薄く最初はなじまなかったが、夕食のときは馴れた。野菜、魚などの考えられた献立で、1食はだいたい670キロカロリー前後だと洗い場に掲示してあった。どれも美味しく調理されていた。

 トイレ、洗面所、風呂は全て自動的に明りがついたり消えたりした。部屋の照明は明るさが調節できるものであった。テレビはカード式で冷蔵庫もテレビカードで使える仕組みであった。でも、冷蔵庫は1日240円分、テレビも1時間100円と安くはない。

 この日は、カードマジックの復習と読書に充てた。

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2012年11月16日 (金)

延命治療をしない救急施設63%

 11日の朝日新聞トップ記事は、「延命治療せず 63%経験」という見出しで全国の救命救急センターを調査した結果を報じた。それによると過去1年間に65歳以上の高齢者に対して人工呼吸器や人工心肺などの装着を中止したり、差し控えたりした経験のある施設が63%になったということである。

 救命医療で「最後の砦」とされる救命センターでも、回復の見込めない患者に対して、家族や本人の希望があれば、延命治療を控える動きが広がっていることがわかったのだ。

 差し控えた理由は、「家族から本人の希望を伝えられた」が7割で最も多かったといいう。続いて、「数日内に死亡が予測されると医学的に判断した」が5割、「苦痛を長引かせ、本人の益にならないとチームが判断した」が3割であった。

 呼吸器を中止すると、早ければ数分で亡くなるという。しかし、初めから装着しない差し控えの方が中止に比べて、家族や医師の心理的負担は少ないそうだ。

 こうした動きが増えて来たのは日本救急医学会が07年、本人や家族の利益に適えば、医師が不安を抱かずに延命治療を中止できるよう、指針をまとめ、終末期治療の中止への指針を示したことがある。

 しかし、私がこれまでに何度かとりあげてきたように、医師が刑事責任を問われることを恐れてなかなか踏み切れない問題が指摘されてきた。中村仁一医師や石飛医師などの著書はそうした問題への医師や一般人への啓もう的なものであった。

 医療側できちんとした体制がとられ、患者や家族側では本人の意思表明や家族への意思の伝達がきちんとされていることが大事だと思う。

 そうした条件で回復が見込めない高齢者については延命治療をしないことが望まれる。

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2012年11月15日 (木)

今年の紅葉はきれいだ

 寝坊をしていつもより遅くウオーキングに行って山崎川の紅葉が大変きれいであることに気付いた。山崎川の紅葉は主にソメイヨシノの桜である。その葉っぱの色づきが見事である 土曜日に県庁へ日本語のボランティアに出かけたときも、官庁街の欅の紅葉がきれいだと感じた。欅の場合はまだこれから更に色が濃くなるであろう。

 街路樹の銀杏の中にも早いものは既に見事な黄色の葉っぱを光らせているものがある。銀杏はこれから紅葉が本番である。

 近くの塩付通りの街路樹はハナミズキだが、これも今年は濃い赤に紅葉して美しい。

 東山荘の森に見事な赤い色の木が2本あった。緑の中にあると一層映えるものだ。

 以前は紅葉を見に遠くまで出かけたものだが、せっかく行ってもそれほどでなくてがっかりしたことが多い。印象に残ったのは横倉寺にミイラを見に行ったときのモミジ、それから偶然通りかかった高山の向こうにあるせせらぎ街道のカラマツ林が印象に残っている。

 紅葉は温度差が激しいといいらしいからきれいな年とそうでない年があるのだ。  その点では今年はよいと思うのだが残念ながら今のところ暇がない。仕方がないから、市内の紅葉で我慢するしかない。

 

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2012年11月14日 (水)

世界の常識は日本の非常識

 たんぽぽ舎の「日本の常識は世界の非常識 ドイツでは警察もデモを応援」を転載する。

┏┓
┗■ 日本の常識は世界の非常識、ドイツでは警察もデモを応援
 └────(斎藤なぎさ たんぽぽ舎ボランティア)

○ノルウェーと日本の国旗がはためく中、プラカード片手に官邸前に行く。ノルウェー人の目に、抗議行動に対する過剰な規制はどのように映るであろうか。

 機動隊は10部隊あるが、この日の管轄は第5機動隊である。官邸前上の横断歩道は渡ろうとするデモ参加者とそれを阻止する警官との間で毎回攻防が繰り広げられる。コーン内のデモ参加者も黙ってはいない。

 しかしスピーチを終えた国会議員は何事もないかの如く横断歩道を渡っていく。今日は志位和夫さんと三宅雪子さんを呼びとめて、デモ参加者だけが横断歩道を渡れないのはおかしいと訴えた。色とりどりの放電灯をスポークにつけた自転車が25台、目の前を走り抜けて行った。鮮やかな反原発のパフォーマンスである。

 福島集団疎開裁判をしている弁護士がスピーチをした。野田総理に福島の子どもたちの集団疎開の即時実現を求めたが無回答であったため、国連のジュネーブ本部を訪ねて日本政府への圧力を願い出たという。国連関係者たちの反応は良かったようで「日本の常識は世界の非常識です」と断言した。

○次に、カリフォルニアの原発に反対するアメリカ人男性がスピーチをした。毎月11日にサンフランシスコの日本領事館の前で、日本の運動と連帯すべくデモをやっているという。カリフォルニアには、サンオノフレ原発とディアブロキャニオン原発があり、2つとも活断層の真上にあるそうだ。「安全な原発なんてない。世界中が汚染されている。メルトダウンしているんだから除染なんてできない。嘘をつくのはやめろ」と痛烈に批判した。

○抗議行動が終わった後、ドイツ、デュッセルドルフで脱原発運動をしている高岡大伸さんに話を聞いた。ドイツでは、日本の再稼働はありえないし、3号機は核爆発だったと認識しているという。また「デモが車道でできるのは当たり前で、デモをしますと届け出ると警察は『それは良いことですね』と応援してくれる」と話した。(Atomkraftfreies JAPAN SAYONARA GENPATU DU SSELDORF)

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2012年11月13日 (火)

日比谷公園の使用不許可はおかしい

 東京都心の憩いの場・日比谷公園(千代田区)は、日本の民主主義と縁深いところだ。デモの集会場所にも使われてきたが、都は「管理上の支障」を理由に使用を制限し始めた。

 このため、十一日に行われる予定であった日比谷公園での集会とデモは中止に追い込まれた。官邸前や国会周辺での反原発抗議の抗議行動だけになった。東京都がデモ出発場所として日比谷公園の使用を認めなかったからだ。草の根の民主主義は公権によって制限される事態となった。

 「この通路の広さで、公園利用者への支障はないはず。デモが出る霞門も、ほかのイベントとほぼ重ならない。警備でリスクがゼロというのはない。それなら、東京マラソンもできなくなる」全くその通りである。

 2011年2月3日付東京新聞に「日本のデモはなぜ静かか」という記事がある。その中で「デモ歴」9年の園良太さんが過剰な規制が「違法」というイメージを植え付けている、と述べている。

 一橋大大学院の鵜飼哲教授は、フランスと異なり日本では公教育でデモの権利について教えてこなかった、と指摘している。
 

 デスクメモでは次のようにコメントしている。「約20年前のこと、PKO派遣で反対デモがあった。取材に行く後輩記者『デモって違法行為ですよね。』当時のデスク『えっ(絶句)・・・憲法上の権利だ!』10年後、東京・渋谷デモ見物の若者がやはり『法律違反』と口にしていた。憲法も心に宿らなければ、ただの紙切れにすぎないと痛感した。」
 

 福島原発事故後、デモの人数は格段に増えた。それに伴い、規制と妨害はエスカレートしている。「紙切れ」同然の憲法だと改憲もたやすいであろうから、注意が必要だ。 脱原発を実現するためには、世界から見た日本の現状を知り、世界の人々との連携が不可欠である。

 朝日新聞は12日の夕刊に、「やまぬ再稼働反対」という囲み記事を載せたが警察の数字だけを載せ主催者発表はなぜか載せていない。ただ、全国的にはまだ原発再稼働反対の動きが続いていることを書いている。

 

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2012年11月12日 (月)

中部奇術連合第9回ワンデーコンベンション

 11日(日)に中部奇術連合のワンデーコンベンションが稲沢市民会館で開催された。当日は、天気が崩れるという予報で、車で行くことにした。幸いカーナビに稲沢市民会館が出たのでそれを頼りに出かけた。

 少し早めに出発をしたが、55分で市民会館に到着した。8時30分であった。驚いたのはすでに駐車場には続々と車が到着していた。開場までに1時間もあるというのに会館に行列ができていた。

 最後尾に同じクラブのKさんがいた。場所を頼んでトイレに行ったら隣の人が話しかけてきた。その人は岐阜県の本巣郡から来ていると言った。列に戻ると私たちの前であった。そのグループの人と話をし、手持ちのマジックを見せた。スルメイカの絵が曲がるマジックをやりその紙を上げたら大変喜んでいた。

 幾つかのマジックを見せ、また来年の御園座のマジックショーの宣伝をしたら行きたいと言っていた。それで名刺を渡した。中心のAさんはパソコンが使えると言ったので名古屋華マジカルグループのHPとblogを教えた。

 そういう訳で1時間はあっという間に過ぎた。開場して中に入ると大変大きな会場であった。前の方はなぜか既にたくさんの人がいた。それでも来賓席の隣に席を確保できた。名古屋華マジカルグループの人たちが来た。

 10時にダリーナ30という若い子たちの歌と踊りで始まった。AKB48のようなものであった。

 その後はディーラーショーだ。20のディラーが来ているそうで、1ディーラー3分で宣伝を兼ねた手品道具の紹介があった。中に3つばかりこれはと思うものがあった。ディラーは九州、岡山、新潟、秋田からも来ていた。

 ディーラーショーで残念であったのは、プログラムに書いてある順番でなかったことだ。そのためアナウンスで名前を聞き確かめなければならなかった。

 11時40分ごろに終わって、昼食を引き換えに行った。お茶と米屋さんのおにぎり2個であった。たった3人でやっていたので時間がかかっていた。

 食べるところがなかったが幸いロビーの腰掛が1つあいていたのでそこで食べた。食べながら隣のディーラーの売り込み演技を見た。私が欲しいと思ったものであったが、値段を聞くとシルクなしで7000円と言ったので買わなかった。Oさんも同じ意見であった。

 13時からコンテストが始まった。コンテスタントは小学校6年生、中学校2年生を含めて12人であった。トップは毎年出ている加藤さん親子であった。子どもは可愛く成長していた。

 6羽のハトを上手に出した人がいたが、他は殆どの人が玉とカードのマニュピレーションであった。中学年生の子はマイケルジャクソンの歌に合わせて玉やカードのマニュピュレーションを演じたがみんなが上手だと言った通りに第一位になった。

 第二位は、シスターの服を着た女性が玉やカードや花などを扱い最後に真っ白な服に早変わりをした人であった。第3位は若い男であったが玉やカードが多かったので印象が薄かった。

 小野坂審査委員の講評は台湾、中国、韓国に押されているので若い人が頑張って欲しいというものであった。

 14時40分から16時までは、買い物タイムであった。Tさん、Kさんなどはかなり買っていた。

 16時からはコンテストの結果発表やゲストショーであった。ゲストショーはさすがに見ごたえがあった。

 トップは韓国のキム・テオンさんが、コンピューターグラフィックと結合した新ジャンルのマジックを演じた。台湾から来たマジシャンが二人いたが二人とも優秀であった。

 日本からは、ブラボー中谷さんが秋田弁を使い夫婦でコミカルなマジックを演じた。また、からくりドールさんもコミカルなマジックであった。サプライズゲストの伊能登志子さんは82歳だそうだが、きびきびとしてメリハリがある演技で魅了した。何でも70歳にして一大決意をしてマジックを精進して一流になられたのだそうだ。

 もういひとりの女性は中国から来たシャロンさんで、面のチェンジと3度の衣装の早変わりが印象的であった。

  中部奇術連合のマジックショーは、5000円であったが高いという声が聞こえてきた。また終了が18時というのは遅すぎるという声も聞かれた。入場券に開始時刻の記入や交通の表示がないのも不親切であった。

 

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2012年11月11日 (日)

中国の低所得層、貧困層は可哀そう

 中国では第18回共産党大会が開かれて、胡錦濤主席が退任し、習近平氏が主席に就くことに決まった。

 胡錦濤主席は、演説の中で腐敗が蔓延していることに言及し、それをなくすことが大事だと述べた。国民が誰でも知っている、共産党員や行政機関の役人の腐敗・汚職に触れない訳には行かないほど腐敗が進行しているということである。

 それにしても、彼が主席の10年間に腐敗がどんどん進み、どうにもならないところまで来ているということは彼らの責任は重大だ。日本の複数の週刊誌によると、温家宝首相の家族の蓄財は、何と2500億円にも上るという。それについては中国の国民は誰も知らないとも報じていた。私は、中国の友人に確かめてみたら、案の定知らないと答えた。

 国民に人気がある温家宝首相だが、彼もそれだけの蓄財をしたと知ると国民はどう思うであろうか。私の推測では、中央政府の要人たちもみな巨額の蓄財をしているに違いない。

 党大会直前に党籍をはく奪された、前重慶市長の薄熙来氏の蓄財も、温家宝首相と同じであった。上から下まで金にまみれている状態では改革もできないであろう。

 TVニュースのインタビュで、「私たち貧しい者には政府は何もしてくれない」と訴えていた市民の顔が印象的であった。8日のクローズアップ現代によると、中国では年間20万件ものデモが起きているという。むべなるかなである。

 一部の権力に結びついた人間や利権を手放せない役人や利にさかしい人間だけが巨大な利益をむさぼり、我が世を謳歌し、多くの人民は捨て置かれていと言われる。その不満が尖閣列島デモで爆発したのだ。

 しかし、その中で毛沢東の写真を掲げて毛時代の方が貧富の差が少なくてよかったという連中がいっぱい見られた。薄熙来氏が今でも人気があるのは、毛沢東思想に回帰を訴え、低所得層のために住宅を建設するなどの施策をしたからだと言われる。そう言いながらも自分も利権をむさぼったのは許せないが。

 胡錦濤主席は、今後10年で所得倍増を目指すと、かつて池田首相が言ったことと同じことを目標に掲げた。それを担うのは習近平次期主席である。果たして、大多数の人民の不平を和らげることができるのであろうか。

 今や資本主義化した中国では毛沢東の理想はどこかに行ってしまった。社会主義の看板はさっさと下ろすべきであろう。可哀そうなのは、底辺の人民である。

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2012年11月10日 (土)

案の定まずかった南濃の富有柿

 私は柿が大好きでとりわけ富有柿が好きである。今年は富有柿が出回るのが遅いように感じる。筆柿、刀根柿、次郎柿などはよく出回っていて値段も安い。でも、味は富有柿には到底適わない。

 昨日行きつけの八百信商店に行ったらバケツに一杯の刀根柿が300円、次郎柿が350円で売っていた。富有柿はないのかと探したらバケツに2杯残っていた。バケツ1杯500円であった。さすがに富有柿は値段もよい。

 社長にどこの富有柿か尋ねたら、岐阜だと言った。でも、同じ岐阜でも糸貫とか大野とか本巣とかがあり、南濃も岐阜の柿として売っている。いったいどこだと聞いたら、「南濃」だと言った。

 私は、「南濃の富有柿はまずい。やはり北の方のがいい」と言った。社長は「そんなことはない。岐阜ならどこでも同じ。甘いよ」と言った。

 私は10数年も前に南濃の富有柿を買ってまずかったので、それ以来買ったことがない。それでも品種改良でよくなったかもしれないと思い買うことにした。

 持って帰って夕食後のデザートとして南濃の富有柿を食べたが、先に食べた妻が「まずいね」と言った。私も口に入れてみると確かにまずかった。なんかざらつく感じで筆柿のようなで味もよくない。先だって今年最初に買った岐阜大野の富有柿はとてもおいしくてこれぞ富有柿だと思ったものだ。こんなことならまだ次郎柿を買ってくればよかったと後悔をした。

次の日、大野の柿と食べ比べて見た。見た目は同じだが、味ははっきりと違い、大野の柿は甘みが強く上品さが感じられた。

 南濃の富有柿は改良されていないようだ。あるいは地味が合わなのかも知れない。

 

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2012年11月 9日 (金)

傑作マジック、サムタイの話

 先日私が所属する名古屋華マジカルグループで講師を呼んで、サムタイのレクチャーをしてもらった。サムタイは、紙の太いコヨリで両手の親指をきつく縛り、その状態で棒などを通過させるのだ。サムタイは舞台奇術として演じられ、とりわけ日本刀を使ってやるのがよく知られている。だから、私も日本の伝統の奇術、和妻だと思っていたが、実はそうではないのだ。

 サムタイというのは、Thumb tieと英語で綴り、れっきとした英語なのだ。親指(Thumb)を縛る(tie)からThumb tieなのだ。

 サムタイは明治時代に文明開化と共に日本に伝えられたといわれ、もともとはイタリア人奇術師ピネッティが18世紀に考案したものである。(天一・一代明治のスーパーマジシャンより)が考えたもののようである。

 最初に文献として出てくるのが、明治10年以前に発刊された「大日本渡海長崎シイボルト先生直伝・座敷諸伝授」(福井歌呂久発行)といわれる。そこには「柱抜き」と記されている。

 日本で演じられた記録としては、帰天斎正一が明治13年に東京の中座で演じたものがある。

 サムタイは伝わった頃は、柱抜きと言って、太い柱をくぐらせるものであった。それが日本の奇術のように思われるようになったのは松旭斎天一の功績による。

 天一は福井県出身の奇術師であるが、欧米で公演をした際、親指を縛った両手が棒を通過させるようにして舞台で演じたが、両手が通過するとき手が微動もしないので観客を魅了し、サムタイといえば天一のサムタイと言われるほどになった。

 サムタイは欧米に置いても多くのマジシャンにより研究された。ポール・ロッシーニ、ダイ・バーノン、ジェイ・マーシャルなどが独自の方法を発表している。

 日本刀を使うやり方を誰が始めたかは定かではない。今では天一のサムタイの他に針金やビニールテープを使うなどさまざまなやり方が工夫されている。また、日本刀や棒ではなく、ハンカチに隠すとか輪を投げて受けるやり方もある。

 私たちが教えてもらったのは、天一のやり方ではなく、もっと簡単化したものであった。講師は巧みに演じたのでとても不思議であった。要は演じ方である。

 サムタイを解説した本はほとんどない。ターベル・コース第4巻にあるのも縛らせ方を簡単に述べているに過ぎない。季刊不思議第14号の高木重郎氏の解説が一番親切で丁寧である。

 参考文献:季刊不思議14号 (マジック・マガジン社 1985年)

        「図説・日本の手品」(平岩白鳳著、青蛙房1970年刊)

 ◎天一のサムタイの実演動画サイト

http://www.youtube.com/watch?v=molFMKv7BsQ

           ―H.S―

  はしらぬきの傳 

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2012年11月 8日 (木)

東京都都知事選に候補者擁立の動き

 石原氏が東京都知事を突然投げ出して、次の選挙には、猪瀬副知事や宮崎県知事を投げ出した東国原氏、自民党の小池百合子氏、民主党の蓮舫氏などの出馬が取りざたされている。また、週刊誌では、池上彰氏待望論が掲載された。

ある週刊誌は、石原元知事に後継指名された猪瀬氏圧勝と書いてあった。その猪瀬氏は強権政治を目指すようだ。東京都民は石原氏を選んだように猪瀬氏を選択するのであろうか。

 そんな中で憲法擁護、反貧困、脱原発の立場からの動きがあった。東京のことなので名古屋では報道されなかったようだ。東京新聞が報じた。

◎東京新聞報道(11月6日 夕刊)
  ↓

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012110602000230.html

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都知事選 宇都宮氏、出馬に含み 反貧困、脱原発求める声明

2012年11月6日 東京新聞夕刊

(写真)「脱原発」「憲法尊重」の都政を求める声明を発表する宇都宮健児弁護士(左から2人目)ら=6日午前、東京都庁で。

 東京都の石原慎太郎前知事の辞職に伴う知事選で、評論家の佐高信氏や経済ジャーナリストの荻原博子氏らが六日、都庁で記者会見し、反貧困や脱原発を実現する都を求める声明を発表した。声明に賛同した著名人約四十人を中心に「人にやさしい都政をつくる会」を発足し、統一候補を擁立する。

 会見に同席した前日本弁護士連合会会長で東京弁護士会所属の宇都宮健児氏(65)は、候補が見つからなかった場合について「(自身の立候補を)検討せざるを得ない」と出馬に含みを持たせた。

 声明では、憲法を大切にし、福祉や環境、貧困や格差問題を重視するとともに、脱
原発政策を確実に進める知事を求めるとした。石原前知事が脱原発運動を罵倒したな
どとして、批判した。

 声明に賛同したのは、元国立市長の上原公子氏、作家の大江健三郎氏、ジャーナリストの鎌田慧氏ら。

 宇都宮氏は、貧困問題に取り組む市民団体や労働組合、法律家、学者らがつくる「反貧困ネットワーク」の代表も務めている。オウム真理教の被害者支援や、多重債務者の救済に長年取り組んだ。

 
 

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2012年11月 7日 (水)

それはないよ、田中真紀子大臣―大学不認可は売名行為?

 田中真紀子文部科学相が、2日に大学新設の申請3件を不認可と決めたことが波紋を広げている。文部科学省の大学設置・学校法人審議会が認可するとした答申を覆えしたからである。こうした事態は過去30年間で初めてのことだという。

 私は、この記事を読んだとき、大臣の権限はそんなにも強いのかと驚いた。藤村官房長官は、「教育行政に責任を負う文科相としての政策的判断だ。認可権は文科相にある」ち平然と述べている。

 審議会は半年あまり掛けていろいろな角度から調査をし、認可しても良しと判断をしたのだ。それを大臣になって間もない田中真紀子の鶴の一声で覆すのは納得がいかない。 

 岡崎女子大を申請していた精光学園の長柄理事長は、「文科省職員に指導を頂き、すべての点でクリアしてきた」と述べ、「遺憾であり、理不尽である」と悔しさをにじませている。

 田中文科相は、不認可とした3大学の評価には触れず、審議会委員の大半が大学関係者であることを問題視して、「多様な視点が必要。大学同士だと遠慮があるかもしれない」と述べた。また、「大学がすごくたくさん作られ、教育の質がかなり低下してきている」「大学同士の競争の激化で、運営に問題があるところがある」と指摘した。

 確かにそういう問題はある。大学の数が800もあり、私など、名前も知らない大学ばかりである。私立大学の定員割れは半数近くもあるといわれる。今は誰でも大学に入れる時代である。

 更に将来の人口減少を考えれば、どの大学も経営的に困難を予想するであろう。大学が作られ過ぎたのは間違いない。

 だからといって、認可を答申したものを大臣の一存でひっくり返すというのは納得できない。田中真紀子大臣の指摘には一理ある。その改革は早急にやるべきである。しかし、来年度の開校を目指してきた学校当局や期待をして準備をしてきた受験生の当惑を考えるべきである。

 大学行政や審議会のあり方は、じっくりと検討をしていくべき問題なのだ。この状態では、田中真紀子大臣の選挙目当てのスタンドプレーと思われても仕方がない。もっとも失敗に終わったが。

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2012年11月 6日 (火)

第62回日本舞踊稲垣流豊美会を観る

 11月4日(日)に日本舞踊稲垣流の第62回豊美会が日本特殊陶業市民会館ビレッジホールであった。知人のSさんのお嬢さんが稲垣舞蝶という名取りで出演されるので券を頂いた。

 13時開場で13時に着いたら、もう入り始めていた。中に入るとかなりの席がうまっていた。それでまん中の通路より3つほど後ろに席を取った。しばらくして気が付いたらSさんがすぐ前にいた。席を取っていて下さったのだ。それでそちらに移った。

 13時半に始まり、最初は家元のお孫さんたちの踊りで、お月様と白虎隊を踊ったが可愛らしく、特に白虎隊は微笑ましかった。

 第一部は、歌謡で兄弟船や天城越えなどの演歌が多かった。歌謡の部は18番まであって、それぞれが日頃の練習の成果を披露して上手に踊っていた。歌謡の踊りは宴会とかちょっとした会合で披露するのに手頃である。介護施設の慰問などでよく踊られる。

 第2部の古典は、舞台の大きな背景やセットがあり、しかも、長い踊りであった。みなさん大変お上手で楽しませて頂いた。

 長唄 鶴亀、 小唄 紅日傘、 長唄 松の緑、 長唄 春秋。この春秋は大きな花とそこから出る赤い長い布を使ったが、それを見てマジックのファウンテンシルクを使えばいいかも?と思った。

 長唄 梅の栄  は、衣装替えが何回かあった。名取となられた稲垣美利さんが踊ったが力の入ったよい踊りであった。この踊りの後手ぬぐいが撒かれた。私は前の方に行ったら、名古屋華マジカルグループの会長のみずほさんがいたので驚いた。知り合いの稲垣友紀洋さんの応援だそうだ。

 俚奏楽 雪の中、 長唄 舞妓(花が見たくば)は、何と82歳の方が舞妓に扮して踊られた。高ぼっくりを履いての踊りで心配していたら転倒した。でも、何事もなかったのでよかった。歳に関係なく挑戦するのはいいことだ。

 長唄 黒髪、 大和楽 古跡の秋。 そして、次が舞蝶さんの「新鹿の子」であった。長い花道からの出であった。私はカメラで動画を撮るべく用意をしたが、花道から出るとは知らず、カメラが踊ってしまった。衣装チェンジがあり、赤い衣装に赤い笠を連ねたものを持っての踊りに変わった。この扮装は日本人形によく見るものである。最後は緞帳が下りて終わった。変化のある踊りをしなやかに艶やかに踊られた。さすがであった。

 常磐津 幻猩々、 は 歌舞伎にも出てくるものに似ていた。長唄 羽の禿、 長唄 助六、 これも歌舞伎からだと思われる。男踊りを巧みに踊った。

 常磐津 のろけ地蔵は面白い題名だ。 大変地味な背景の中での踊りであった。

 稲垣友紀洋さんの踊りは「藤娘」で、これもよく知られた大作である。大きな舞台装置の下で藤を持って踊った。とても上手であった。

 清元 瓢箪、 長唄 春の調べ、 新内 小原庄助さん、この辺は幹部級なのかみなさん素晴らしかった。

 最後は、家元の稲垣友紀子さんが、荻江節 「鐘の岬」を踊った。紫の衣装で舞台背景はかなり地味で静かな味わいのある踊りで意外であった。というのは、それまでもお弟子さんたちの踊りの舞台が大掛かりで派手なのが多かったからだ。

 第3部は、再び歌謡で、最初はゲストの水上志保さんの歌で美空ひばりの悲しい酒などが踊られ、その後、持ち歌の「縁川」、「ひばりの佐渡情話」を独唱した。趣向が変わっていてよかった。

 舞蝶さんの踊りはオオトリの前に、「釜山港へ帰れ」を稲垣豊由希さんと踊った。この日のステージでただ一つ、和服ではなく、韓国の衣装を着て大きな扇を持っての異色の踊りであった。

 最後は「山河」を家元のお嬢さんの稲垣舞比さんたち4人で踊った。近くにいた人たちが「やはり舞比さんが光ってるね」と話していた。

 終わったのは6時40分ぐらいで、すぐに外に向かうと、受付で花束を配っていた。私も1つもらって幸せに感じた。

 Sさんのお蔭で日本の伝統文化の日本舞踊に触れることができた。私には、長唄、常磐津、清元、荻江節、新内、大和楽・・・などの知識もなく、区別すらつかないが、伝統芸能を学んで継承していこうという人たちがいることは素晴らしいと思った。延々7時間は、初めての経験であったが、ある意味で勉強になった。

 手つき、腰の落とし方、首の動かし方、しなの作り方、足の運び方、目線・・・そして、小道具の扇、団扇、手ぬぐい、布、ショール、鼓、花、笠・・・などの使い方なども興味津々であった。

 名取になった稲垣美利さんのとき、ばしばしとフラッシュを使って撮っていた人がいたのは残念である。フラッシュは全く意味がない。むしろない方がデジカメではきれいに撮れるのである。 

 

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2012年11月 5日 (月)

基地がある限りアメリカ軍人の暴行事件はなくならない

 10月の沖縄アメリカ軍兵士による集団強姦事件に引き続いて、またまた飲酒暴行事件が起きたことに驚愕し、怒りを禁じえない。

 駐留米軍は夜間外出禁止令を出し、11時以降の外出を禁止していた中で、再び事件が起きた。私に言わせれば、11時では遅い。夜間外出禁止というならせめて10時以後は禁止にすべきである。

 おそらく近辺の飲食店などの営業を考えて11時としたのであろうが、甘い措置である。

 こういう事件が起きると、アメリカ大使は「きわめて遺憾である」と言うが、言うことは簡単である。大事なことは、再発を防止することである。僅か1か月でまた暴行事件が起きたということは米軍の統制と規律の甘さを露呈するものである。

 朝日新聞によると、2011年に全国で59件の米兵検挙が起きているという。沖縄だけでなく、日本全国で毎年米兵の犯罪事件が何十件も起きているのだ。これも日本に米軍基地が存在するから起きるのだ。

 沖縄では、県民の反対を押し切って、あの危険なオスプレイが配備された。基地の中の沖縄と言われる状態も続いたままである。アメリカのやりたい放題になっている。戦争に負けたとはいえ、戦後67年間もアメリカの言いなりになっているのは情けないことである。

 沖縄県など14の米軍基地を抱える県では、日米地位協定の見直しを求めている。せめて政府はその要望を聞くべきであろう。

 仲井真沖縄県知事は、「米軍の治外法権」と批判するが、その通りだと思う。米軍兵士が犯罪を起こしても、日本の警察は身柄の引き渡しの請求も自由にできないのだから。

 米軍兵士の犯罪については、日本の法律で日本の警察が捜査し、検察が取り調べをするのは当然である。早急に地位協定を改定すべきである。

 現状では、軍規の甘い米軍がまた犯罪を起こすことは目に見えている。

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2012年11月 4日 (日)

劇団名芸の「二人の長い影」を見る

 先日、近所の清水さんが「こんな催しがあります」と言って、劇団名芸の「二人の長い影」の公演のチラシを持って来てくれた。公演は翌日の文化の日の午後に第1回があった。

 私は、九条の会の大江健三郎の講演に行くつもりであったが、急きょ変更して天白文化小劇場に行くことにした。

 会場に入って、チラシなどを見ながら、演劇を見るのは久しぶりだと思った。学生の頃はよく見に行っていたし、勤めている頃もよくいったものであったが退職してからは殆ど行っていない。

 アンケートを書こうと思って、もう1つ思い出したことがあった。それは劇団名芸のことであった。確か45年ぐらい前に見たことがある気がしたのだ。帰りにFさんに会ったので確認したらやはり間違っていなかった。

 劇団名芸は前身を「でくのぼう」と言い、新郊中学校のOBで作られたものであった。知人の柘植先生が演劇部の顧問をしていたのだ。そういう関係で、でくのぼう時代に見に行ったことがある。今回主役の久美の亭主役で出ている栗木英章さんもその頃演出をしていたと記憶する。

 今回の劇は、脚本家の山田太一さんの脚本をもとにしている。調べてみたら、原案は中村登美枝さんの「おばあちゃんの初恋」で、それをベースにして山田さんがフィクションを交えて創作したもののようだ。

 終戦直後、19歳の若い娘が12人の孤児を引き連れて、ソ連軍支配の朝鮮半島を大変な苦難をあじわいながら逃げ延びた話しである。劇中で久美というのが中村さんである。

 久美には将来を約束した恋人がいた。しかし、恋人は軍人で満州を守るために戦いに行く。別れるとき、恋人は「どんなことがあっても生きて日本に帰るように」と言い、将来の結婚を約束するのだ。

 ソ連の参戦で日本は負け、恋人はシベリアに送られ11年間も抑留される。その彼を支えていたのは、久美の存在であった。

 父と母は避難していた小学校でソ連軍のために久美と弟の目の前で射殺される。この部分は山田太一のフィクションで、実際は食糧がなくて餓死したもののようだ。

 久美は弟と孤児たちを連れて南へ逃げるのだが最初12人であった孤児たちが30人近くに膨れ上がっていた。艱難辛苦の中久美を支えていたのは「生きて帰れ」と言った恋人坂崎のことばであった。苦難の果てに何とか日本へ帰り、結婚して長男もできる。

 75歳になった時、かつての恋人から電話がかかってきて1度だけ会いたいという。

 舞台は3つの場面が設定される。上手に現在の久美の居室。下手に恋人坂崎の居室。そして上部と下手前面で若い頃の馴れ初めや二人の苦難が語られる。こうした構成は演劇ならではのものである。

 久美の方は夫にも話してなかった苦難を孫娘に話したことで夫にも分かってしまう。一方元恋人坂崎は妻に先立たれ、一度久美に会いたいと思うのだが、娘の反対にあう。当人と周辺の心の葛藤の描き方はさすがに山田太一だと感心させらる。

 「二人の長い影」は今年も民芸を始め各地で上演されている。

  名芸の「二人の長い影」は、セリフの話し方が速すぎると感じた。一部聞き取りにくいところがあった。それと坂崎の若いときの俳優はもっと若さがほしい。

 天白文化小劇場は、定員350名のこじんまりとしたよい劇場である。観客は殆どが高齢者であった。久しぶりに演劇を見て、これからまたよい演劇があったら見ようと思った。

 この公演は4日(日)午後2時開演で行われる。入場料は当日券2000円、シニアは1800円である。天白小劇場は地下鉄原駅下車②出口を出たところにある。

 中村登美枝さん。

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2012年11月 3日 (土)

食べないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ

 「平穏死という選択」のP.186の冒頭に次のように書いてある。

 ”Understanding that pacients stop eating because they are dying, not dying because they have stopped eating,can reduce family and caregiver anxiety."(ハリソン内科教科書)(死を迎える人は、命を終えようとしているから 食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげられる)

 私はこの文は大変重要なことを教えていると思う。

 死を迎える人というのは、いわゆる老衰末期にある人を指す。人は老衰末期になると食べ物を受け付けなくなる。それは自然の摂理に適ったことだ。植物でも水や肥料を受け付けなくなって枯れて死ぬ。

 ところが私たちは栄養を与えないと命が縮まり、死期を早めると考え、何とか食べさせようと試みる。その最たるものが胃ろうである。医学が発達して胃ろうという技術が可能となり、口からではなく、胃へ直接栄養を入れられるようになった。

 ある程度若くて病気になって食べられなくなり、やむなく胃ろうをつける場合は、それにより体力を回復し、またQLO(Quority of life)のある生活を続けられる希望がある。しかし、人生を90年ほども生きてきて、しかも、認知症にでもなっていれば、その先胃ろうによって生かされても何の楽しみもないし、人間としての尊厳もない。

 そういう状態の老衰末期の人にまで胃ろうなどの栄養補給措置をするのはどうかと石飛医師は言うのだ。

 P.187で次のように書いている。「食べさせないと餓死して死ぬのではない。もうまもなく死ぬから食べないのです。もう(人生の)締めくくりなのです。『食べる必要がない』のです。認知症で言葉や意思として『食べたくない』と伝えることはできなくても、体が食べたくないと反応しているのです。それなのに私たちは、『食べさせなければ死んでしまう』と一方的に思い込み、何とか食べさせようとして、誤嚥させ、肺炎を引き起こしていたのです。

 私は、誤嚥性肺炎はこの思い違いから始まっているのだと気づきました。」

 今から40年ぐらい前までは、自宅で介護して自宅で看取るのが普通であった。前にも書いたように私はそれを経験して、自然死というものがどういうものか知っている。だから病院に入れられていろいろな器具や管につながれて苦しんで死ぬ今の状況を憂えるのである。

 石飛医師は、老衰は病気ではないと書いている。それを病気として扱うところから延命措置が取られ、それをしないと医者は患者を殺したとされることを恐れるのだ。

 老衰は病気ではなく自然の摂理なのだと理解することが大事なのだ。

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2012年11月 2日 (金)

許せない復興予算の流用!!

 友人が送ってきたTABIBITOというblogの記事です。
 東日本大震災の復興予算が被災地再建とまったく無関係な事業に使われていることが大きな問題となる中、引き続き、とんでもないことが次々と明らかになっている。
 「日経」10月19日付「復興予算  国内立地補助金、被災地外が9割超」
 19日の参院行政監視委員会で、東日本大震災の復興予算の使い道に関して、「被災地以外への配分が多い」と批判のあった経済産業省所轄の「国内立地推進事業補助金」に関し、枝野幸男経産相が、「被災地向けの配分額が全体のわずか6%程度」であることをあきらかにした。
 国内立地補助金は、円高による産業空洞化を帽子するための措置で、国内の工場などを立地した企業に一定の条件で補助金を配分する仕組み。
 
 「復興」と名のついた予算から拠出されるのに、その対象の9割が被災地以外であったというのだから驚く。
 しかも、2950億円にものぼる補助金の交付先となっているのは、トヨタ、キャノンなど、パナソニック、日立、デンソー、シャープ、リコーなど、名だたる大企業がそのうちの8割を占めるというのだから、さらに驚きだ。
 トヨタが被災地と遠く離れた愛知県でのエコカー製造で補助金を受け、キャノンも神奈川県や大分県で補助金を使うなど、被災地と何の関係があるのか。
中には、被災地の工場などを撤退・リストラした企業も入っているのだから、開いた口がふさがらない。
 
 さらに一方で。
「東京新聞」10月29日付「震災復興予算 原発輸出調査にも流用」
 
 これもショッキングだ。
 2011年度補正予算に盛り込まれた復興予算のうち、5億円が、経産省がベトナムへの原発輸出に関する調査事業費として支出していたことが「東京新聞」の取材でわかったというもの。
 
 この調査は、経産省が上下水道や鉄道、リサイクル技術などのインフラ技術の海外輸出を促すため、民間企業に現地調査を委託する「インフラ・システム輸出促調査等委託事業」の一環だという。同調査等委託事業費は、11年度予算で約6億円だったものが、大三次補正予算で「東日本大震災の復旧・復興につながる貿易投資の促進に必要」という名目で、約85億円に追加計上された。
 
 同事業からは、ベトナムの原発以外に、世界各国のインフラの調査費などが計上されているという。
 経産省資源エネルギー庁の原子力政策課は「インフラの海外輸出を進めることが、被災地の関係企業に経済効果をもたらす」と強調しているらしいが、あまりに無理がある。「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺通りのひどいこじつけだ。
 
 「東京新聞」の記事の最後に、福島第一原発事故の避難者帰還支援に取り組む福島大教授(財政学)の清水修二さんが次のように語っている。
 
 「原発事故で避難した住民にとって許せない行為。原発の海外輸出の是非は、国内の原発政策と一体の論議が必要。輸出だけ強行する姿勢からは、政府が国内の原発産業の生き残りを図ろうとする思惑が透けて見える」
 
 政府と官僚たちは、やっていいことと、絶対にやってはならないことの区別がつかないのだろうか。それとも、これまでも同じことをさんざんやってきているせいで、感覚が麻痺しているのだろうか。あるいは集団で思考が停止してしまっているのか。
 
 被災地の生活と営業を再建するためにある復興予算については、被災三県を度外視した、とんでもないところに「震災復興」を口実にして莫大な金をつぎ込むために「仕事」をしているのだ。
 
 いまなお、被災地では、震災瓦礫が延々と山積みとなって地区もあれば、一部では、電気などライフラインが復帰していないところさえある。福島原発の事故によって8万人が避難生活を送り、帰れる見通しもたたない人たちもいる。賠償問題も決着がつかない。
 元の暮らしをなんとか取り戻そうと、仕事の再建や就職口を捜そうにも、目途がたたない人がどれだけいることか。それなのに、政府や官僚たちは、被災地のためにやるべきことをしっかりやらずに、やらなくていいことばかりをやっている。しかも「絶対に」やってはいけないことまでもだ。
 まさに、そうした「仕事」をした政府や官僚たちは「有害」でしかない。そんな有害な政府や官僚はいらないし、そんな法律や予算を国会で通す国会議員もやめてもらうしかない。
 毎日のように、メディアが「石原新党」だとか、「維新・みんながいっしょになれ」だの、大騒ぎしているが、そんなのはどうでもいいことだ。国民の暮らしを守るために汗を流す気があるのか、遅れている震災復興に本気なのかどうか、沖縄を解決する気概があるのか、そのことこそ国会議員となる者に試されるのではないだろうか。

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2012年11月 1日 (木)

調整豆乳でおいしい豆乳ヨーグルトができた

 私は10数年来カスピ海ヨーグルドを自家培養して食べている。最初の種は知人からもらったもので由来書のようなものがついていた。カスピ海ヨーグルトは当時鳥取大学の家森幸男教授(現在京都大学名誉教授)が日本に持ち込んだものと書いてあった。それが人から人に伝わって私のところに来たのだ。

 そのうちにカスピ海ヨーグルトは有名になって行った。テレビや新聞でも紹介されるようになった。最近では、インターネットをクリックするとカスピ海ヨーグルトの通販が目につく。

 私は安い牛乳を使ってヨーグルトを作り、毎朝食べてきたのだが、新谷弘実教授の「病気にならない生き方」によると、牛乳やヨーグルトはよくないと書いてあり、その他にも牛乳は飲まない方がよいという本があった。そして豆乳を飲むとよいと勧めてあった。

 そういうこともあって、この春に思い切って豆乳を試すことにした。豆乳には無調整豆乳と調整豆乳があるが、無調整の方がいいに決まっていると思い、有機豆乳を買ってヨーグルトを作り始めた。

 豆乳で作るとまるで柔らかい豆腐なので驚いた。しかし、舌触りはよくても、埃臭いのと酸味が気になった。でも、我慢をして食べた。何かで味を付けないといけないのでいろいろと試した挙句、「めんつゆ」に行きついた。でも、埃臭さは何ともならなかった。

 先日、Cafe Vitaのマスターにそのことを話したら、「調整豆乳」でやったらどうかと言った。調整豆乳は甘みもあるし、匂いもあるのでいいのじゃないかというのだ。それで早速Topvalueの調整豆乳を買って来て作ってみた。

 確かに埃臭さはなく、豆乳を飲みやすくしてある匂いだと思うのだが、市販のヨーグルトのような匂いがした。味は酸味があるが牛乳で作ったヨーグルトのようにとろっとした食感でとてもよい。

 そのままでも食べられるが、少し柚子蜂蜜茶(韓国製)を加えると大変食べやすくなった。それでこれならいけると確信した。

 いったい、調整豆乳と無調整豆乳は栄養学的にはどちらが良いのか知らないが、調整豆乳でおいしくできるのだからそれでよいと思う。

 牛乳ヨーグルトもタネ用として継続しているがメインは調整豆乳ヨーグルトである。

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