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2012年8月15日 (水)

旧陸軍登戸研究所①―知られざる戦争の秘部―いったい何が行われたのか

 おけらさんのblogに旧日本陸軍登戸研究所についてレポートがあったので、終戦の日の記事として転載をさせてもらった。
 
 
今日おけらは両国の江戸東京博物館の学習室で行われた
「検証 戦争がもたらした負の遺産・・旧陸軍登戸研究所 そこで研究開発されたものとは? 旧陸軍登戸研究所の全貌」と題する講演会に参加してきました。
 
 講師は明治大学教授で登戸研究所資料館館長の山田朗先生、そして明治大学文学部非常勤講師で、この研究所の調査の中心で活動された 渡辺賢二先生、風船爆弾を作らせられていた当時の女学生・田辺浩子さんの三人。
 
 この登戸研究所は、歴史の正史には出てこないのです。戦争の裏・・謀略、防諜、扇動、攪乱、偽札づくり、毒ガス、細菌兵器、生体実験などという堂々と公開できない、秘密活動の拠点として作られたものです。
 
 どんな戦争にもつきものの戦争の裏の部分です。悪名高い731部隊と連動した活動もしていたわけで、戦争が終わった時にはすべて証拠物件や書類は焼き捨てられてしまいました。
あの帝銀事件の遅効性の毒物は、この研究所で作られたものらしく、真犯人は絵かきの平沢貞通氏ではなく、登戸研究所の関係者ではないか、と今でも一般的にはみなされています。
 
 公的に存在を認めない研究所ですから、時と共に忘れ去られてしまう運命でもありました。
それが「資料館」として保存され、公開されるようになった過程がとても面白いのです。
  時は1986年。川崎市平和都市宣言をしたことで、市民参加の平和事業をしようとなり、川崎市の支援によって市民団体が、足元の戦争遺跡を発掘する活動をすすめようとなりました。
 そのときに判然とはしないが、どうも秘密の活動をしていたらしい登戸研究所が大きくクローズアップされ、それを調査しようとなり、渡辺先生と高校生たちが中心となって登戸研究所に働いていた方たちの証言の「聞き書き」を始めたそうなのです。
 
 それも、この研究所で働いていた人たちが「年金」をうけるために戦後40年ごろに会をつくったことで名簿が作られ、その名簿の99名の人たちに川崎市教育委員会の名前でアンケート調査をする、というちょっと知恵を絞った結果の上手な方法を考えてのことからでした。話にくいことでも市のアンケートなら・・少しは反応があるだろうとの作戦は大成功で、24名の方からの回答が集められました。
 
 その中で、登戸研究所で働いていた一女性が昭和16年から20年までの日記を残していたことが分かりました。それが資料提供されたことで、漠然としていた組織体系の全貌がだいたい明らかになり、調査の大きな進捗が図られたとのことです。
 
 軍が証拠を隠滅しても、個人の心、日記までは消せないのですね。それらをまとめて「私のまちから戦争が見える」という川崎市の記録冊子が生まれ、その後一人ひとりを訪ねてお話を伺うという粘り強い活動に入ったのです。
 
 はじめは黙して語らなかった人々が、高校生たちのひたむきな活動に動かされてだんだんに話してくれるようになった、と高校生たちの指導にあたった渡辺先生は語りました。「大人はどうしても、あなたたちは加害者だった」という想いが浮かんでしまうのだが高校生たちはまず「かぼちゃづくりを教えてください」などと古老たちが心を開くような態度で接してくれて・・、私たちは子どもたちから逆に学びました、と先生。
 
 おけらはこの渡辺先生のお話に、「第五福竜丸」以外にもビキニ環礁で被爆した日本漁船が居て(実際は700隻だったか・・被爆した漁師の方々も1万人ほどはいらした)、それを聞き書き調査して、大きな発見を世に広めた高知県幡多地方の高校生平和ゼミを思い出しました。
                            ―つづく―

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戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

終戦の日にふさわしいと思い転載させて頂きました。戦後67年ですが、戦争を知る世代が少なくなる中風化させてはいけないと思います。平和な日本をこの先続けることは世界の平和につながると思います。

ららさん、拙文を掲載していただきありがとうございました。
67年目の終戦記念日ですが、戦争体験の継承が
大変困難になっています。
この会を催した「温個知新」という会は老若で構成されていて、とっても画期的な会だと実感しました。全国にこうした会ができるといいなあ、と思います。中でも加害の歴史を語り継ぐことは
とても重要ですね。
登戸研究所に働いていた方たちが重い体験を語ってくださった結果うまれたこの資料館は、ほんとうに貴重な存在です。
もし、お近くにいらっしゃるような時にはぜひご訪問いただければ嬉しいです。ありがとうございました。

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