2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 運が味方、なでしこジャパン決勝に進出 | トップページ | オスプレイの普天間基地配置を隠し続けた日本政府 »

2012年8月 9日 (木)

第38回児童言語研究会名古屋支部研究集会③―講演・学び合いの共同体

 講演のメインテーマである「学びを中心とする授業の創造」に入った。

 21世紀の社会と教育としての「学びの共同体」は21世紀型の学校である。

 日本は先進国の中で貧困率は5位である。先進国の中で母子家庭が一番多い。

 1992年には高卒求人数が162万人いたのに2002年には15万人に減ってしまった。これがフリーター、ニートを作り出した原因である。これは教育の失敗である。

家庭における教育費の割合は年収300万円以下の家庭では50%~60%にもなる。1000万円以上では20%に過ぎない。収入の低い家庭ではなんとか子どもの教育をしようとして金をかけるのだ。

①知識基盤社会への対応 これからは農業はもちろん、現在20%程度の工業労働人口が減り、OECDの予測では20年後に4%に減少すると予測している。情報サービスの知識産業が増加する。それから医療・福祉などの対人産業が増える。全ての子どもに高いレベルの教育をということである。さらに生涯学習が要求される社会となる。

  ②外国人がますます多くなるにつれて多文化共生の社会となるのでそれに対応することが必要である。

③格差が広がっていくので格差リスク社会への対応が大事である。

④ 成熟した市民社会の建設=「市民性(citizenship)」の教育=公共モラルの確立

 上海は世界で一番レベルが高く、しかも低い層は1%、日本は低い層が17%もいる。フィンランドも高い。そこでレベルを上げながら質の高い学びを保障する質(Quality)と平等(Equality)の同時追求が大事になってくる。

 世界は動いていてプログラム型(階段型=習得と定着)カリキュラム(目標・達成・評価)から「プロジェクト型(登山型=思考と探究)カリキュラム(主題・探究・表現)へと移ってきている。

 学ぶ意味と質の高さが重要になってくる。一番変わったのは一斉授業がなくなったことである。協同的な学(collaborative learning)に変わった。

 もう一つは学校が学びの共同体(learning community)に変わった。子どもたちが学ぶ場所だけでなく教師たちが学ぶ場所に変わっている。質の高い教育には不可欠の要素である。

 授業研究は明治以来の日本の十八番であったがそれが今ではやっていない国がなくなった。年間の授業研究の回数は小学校では日本が中国についているが、中学になると多国の方が多い。日本の高校では最低の方だ。

 これまでに世界27国で300か所ぐらい回ってきた。それで分かったのは共同学習、グループ学習をしているということだ。

 1998年から2003年にかけてアジアの国々では質の教育への転換を国家戦略とした。中国では佐藤教授の著作が翻訳されてそれがベースとして改革が行われた。上海の成功は学びの共同体にあるという。黒竜江省も同じだ。それで人民大会堂のレセプションに招待されたそうだ。 

 中国もマレーシアも電子黒板を使っているという。日本ではいまだに黒板を使っているので驚いたというエピソードがあるそうだ。

 アジアの国々が教育に力を入れるのは国力をあげるためである。中国の北京とか大連などでは教師になる倍率が500倍もありマスターを持っていないと駄目なぐらいだからとても質が高い。小学校3年生で関係代名詞を使う英語を勉強しているという。

 21世紀型の学校をどう作るか。全国2500校ぐらい回ったが、学校を内側から変えるしかないと知った。トップダウンでは駄目だ。

 どういう学校を作るかというヴィジョンが大切である。

 ◎定義=学びの共同体としての学校=子どもたちが学び合う学校、教師が専門家として学び合う学校、親や市民が協力し、学び合う学校。

 ◎学校(教師)の使命と責任は、一人残らず子どもの学びの権利を実現することと質の高い学びを保障すること。

 ◎一人残らず教師の教育専門家としての成長を促進すること。そのために1年間で1回は授業を公開し、校長にも授業をやってもらう。

 調査によるとある高校で1日に1000回も挨拶をしているのに、生徒と話をしたのはごく僅かしかない。ある中学校の職員会では問題がある生徒、ずば抜けている生徒の名前は出るが9割の生徒は話題にさえなっていない。民主主義の学校ではどの子も大切にされるのでなければならない。

 「学びの共同体」の3つの哲学

◎公共性の哲学(Public Philosophy)=開かれていることと協同すること=私事化、部族化との闘い

◎民主主義の哲学=子どもも教師も親も主人公(Protagonist)、民主主義は「他者と共に生きる生き方」(A way of associated liping)=個人の尊厳と多様性の尊重

◎卓越性(excellence)=の追求=最高のものへの挑戦ー質(quality)の追求=ジャンプとしての学び

 一番大切なことは、聞きあう関係を作ることだ。教え合う関係を作るのではなく、《学び合う》関係をつくることである。話し合いではなく学び合う聞きあう関係である。高いレベルの課題に挑戦しジャンプのある学びができること。→真正の学び

 佐藤教授の「学び合う共同体」は大変示唆的てはあったが、具体的な授業の場面がないのでイメージが湧かなかった。しかし、久しぶりにアカデミックな雰囲気に浸ることができた。

 

« 運が味方、なでしこジャパン決勝に進出 | トップページ | オスプレイの普天間基地配置を隠し続けた日本政府 »

教育・生涯学習」カテゴリの記事

コメント

橋下大阪市長や維新の会が国政で進出したら・・・・と思うとぞっとします。上位下達の強制の下では子どもも伸びません。佐藤先生の学び合いはそれとは対極にあると思います。

現在、熱戦を続けているオリンピックでの日本の若者の素晴らしい活躍をみるにつけ、日本の若者も捨てたものではないとの感を強くします。昔は漁師や農家のせがれがたまたま突出した運動能力を持っていて、オリンピックで活躍したという例もありましたが、今は子供のころから親がその能力を見出し、教え込み、長じては高校、大学にて科学的な練習プランでしっかり鍛えられたアスリートの中からオリンピック選手が養成されるのです。要するに世界に通用する人材を育てるには、目標を明確にして、それを達成するための合理的で綿密な教育プランが必要であり、オリンピックはその典型的な事例だと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 運が味方、なでしこジャパン決勝に進出 | トップページ | オスプレイの普天間基地配置を隠し続けた日本政府 »