医療と死について考える―⑥―ポックリ願望について
同期の会など久しぶりに友人や知人と食事をして旧交を温める会をもつと、話題は自然に健康問題や死のことになる。これは60歳を過ぎてからそういう傾向になったと記憶する。
死ぬときどのような死に方が望ましいかというと、誰もが「ポックリ死にたい」という。ポックリと死ぬのは誰にとっても一番の望みということのようだ。
東京の巣鴨に萬頂山高岩寺という寺があり、ご本尊は延命地蔵である。この地蔵は本当はポックリ地蔵だが世にはばかって延命と称していると書いてあるblogがあった。
この地蔵(秘仏なので隠されている)を拝むとポックリと死ぬことができるというので高齢者に人気があり、地蔵はポックリ地蔵と呼ばれている。 高齢者が延命祈願でお参りに来るとは考えにくいから、やはりピンピン・コロリをお願いに来るのだろう。いつの間にか口コミでポックリ地蔵に変わってしまったというのが真相ではないだろうか。高齢者の人気を集めるので若者が揶揄したものだという説もある。
境内に聖観音の石像が安置してある。洗い観音と呼ばれ、この像を布に水をつけて洗い、それで自分の身体の悪い部分を拭くと効き目があると言われる。
2年前に東京へ行ったとき、巣鴨を見に訪れたが、境内は高齢者でごった返していて、洗い観音に近づくこともできない。妻は布を買って列に並んだが、私にはそんな気はないので商店街を見て歩いて時間をつぶした。30分ぐらいしてやっと観音さんに触れられたようである。
それほどまでに高齢者に人気があるとげ抜き地蔵だが、いったい地蔵さんにお参りした人のどのくらいがポックリと死ねたのであろうか?天神様の場合はお礼参りというのがあり、お礼の絵馬が掛けられるから少しは分かるだろう。ポックリ地蔵の場合は、お礼に来ることがありえないから不明のまま信じられているということだ。
私はまだ読んだことがないが、「ポックリ信仰」という書物もあるらしい。ポックリ信仰は各地に広がっていることが分かる。
ポックリのご利益を授けるのは、お寺にある如来や地蔵や菩薩や観音である。神様がポックリのご利益を与えるのは聞いたことがない。
そもそも仏教の開祖である釈迦はポックリ信仰は説かなかった。偶像である如来や観音や地蔵などは、はるか時代を下がったところで作り出されたものだからだ。
それはともかく、偶像を拝んでポックリのご利益があるというのは、鰯の頭を信じるようなものである。信じることは自由だから何を信じても構わない。それで願いがかなうというのなら信じる人は幸せと言うべきである。
巣鴨のとげ抜き地蔵の場合は、一番のご利益を受けるのは巣鴨商店街である。参詣の高齢者が引きも切らないので、副次的に商店街は大繁盛をしている。
万が一の希望を持って高齢者が商店街が潤うほど集まるというのは、健康で長生きして、病気になったとしても長患いをせず、誰にも迷惑をかけないで安らかに死にたいという切なる願いがあるからだ。
高齢者が一番心配するのは、病気になって長く患うことである。そして終末には苦しむことなく逝きたいと願うのだ。現代は、医療が発達し、延命治療によって命を延ばすことが可能になったが、一方で医療機器につながれて、ベッドの上で助かるかどうかも分からない治療というものを受けることは大変な苦しみでもある。だから神頼みならぬ仏頼みをするのである。
しかし、俗にいうではないか。「ほっとけ、ほっとけ」と。仏はほっとけなのだ。最後は仏に頼るのではなく、ほっとけが最良の道なのだ。延命治療に頼らず、仏にも頼らず、自然に死を迎えるのが自然の道理なのだ。
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ガンでも近藤医師のように治療をするなという考えの人もあり、実際生き延びる人もいると聞きます。中村医師は死ぬならガンだと書いています。
投稿: らら | 2012年7月 6日 (金) 08時30分
新聞にも書いてありましたが、医者といっても様々で例えば胃瘻についてもきちんとした理解をしていない医者もあるようです。終末期医療に何を望むのかは態度を決めておくことが大事ですね。
投稿: らら | 2012年7月 6日 (金) 08時26分
長い人生の間に知人や友達が末期ガンで3ヶ月以内の命と宣告され在宅療法していましたが、非常に良い医師が担当していて、彼女は自分が白血病とも知らす、点滴のモルヒネのせいか快適で2年以上生き伸びましたが、死の間際まで普通の人のように話していました。
近所の人で、やはり3ヶ月以内と言われて自宅で療養していましたが、奥さんが偶然出合った人が猿の腰掛けを2年間送って呉れ30年以上経った今も元気です。二人共余分な治療をしないですみまた。
本人は自分がガンだったと言う事を知らなかったのです。
投稿: maron | 2012年7月 6日 (金) 01時46分
私の知人の母親が重篤な病にかかり、医師から胃瘻を勧められた時に、本人の意志で、延命治療はお断りしたいと答えたところ、医師は胃瘻は延命治療でないと、気色ばんだとのことでした。漠然と延命治療は理解できますが、厳密にここから先は延命治療ですと定義されたものがあるわけではありません。極論しますと、医師の治療は基本的な治療以外は全て
延命治療とも言えるかもしれません。これに病院側の経営的
な側面が絡むとさらにややこしくなります。
せめて、自分が当事者能力がある間にどの様な治療を望むか
ぐらいは明らかにしておきたいものです。
投稿: Toshi | 2012年7月 5日 (木) 17時06分