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2012年6月30日 (土)

死と医療について考える―②―医者も一般人も自然死を知らない

 現代日本では、病気になると必ず医者にかかるし、病気がひどくなると入院をする。そしてたいていの場合は病院で死を迎えることになる。

 私の父母も義父母も伯父や伯母もみな病院で亡くなった。病院では最後まで何とか手当てをする。点滴をしたり、酸素吸入をしたり、少しでも命を長らえさせようと試みる。幸いというか私の母も義父母も1週間程度の入院で亡くなった。父の場合はペースメーカーを入れていたので亡くなるまでの時間が長かったが。

 私の養父母の頃は、在宅治療が当たり前で、近所の医者に来てもらって手当てをしてもらったが、亡くなる前の治療と言っても聴診器をあてるぐらいでほとんど何もしなかった。

 養父は1週間静かに床に臥せって従容とした見事な最後であった。養母は割合長く床についてはいたが最後まで気が確かで私に礼を言ってくれて数日後に大きな息をしながら亡くなった。

 二人は本当の自然死であった。私は人間が死ぬというのはこういうことかと思い、できれば養父のような死に方をしたいと思ったものだ。

 昔は、自宅で自然に死を迎えるのが当たり前であったから、子どもでも人が死ぬ時にはどう死ぬのかを目の当たりにすることができた。

 ところが医療が発達して、いつの頃からか病院で死ぬのが当たり前になってしまった。

 病院では「最善?」の手を尽くすから自然死はあり得ない。だから医師も看護師も一般人も自然死を見ることはなくなった。

 中村医師は、ほとんどの医者は「自然死」を知らないと指摘している。たまたま彼の場合は老人ホームで自然死を数百例も見ることができたのだが、それは彼がそういう医療ポリシーをもっていたからできたことである。老人ホームでも医師が手を加えて最後まで医療づけにすることは普通なのだ。

 中村医師は、「医者は人間が自然に死んで行く姿を、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の助けが必要だ、などと言い出すのです。」(P.5)と書いている。

 つづいて「『死』という自然の営みは、本来安らかだったはずです。それを医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。世の中で、一番の恐がりは医者でしょう。それは悲惨な死ばかりを目の当たりにしてきたせいだと思います。」と述べている。

 自分の身近な人たちを病院に入れて、その最後をいくつか見て、自分は病院では死にたくないと思ったものだ。点滴、心電計、脈拍計などの機器につながれて、酸素呼吸をあてがわれて、注射をされて・・・・ベッドの上の状態はまるで拷問のようなものであった。

 もし、自然死なら人生を終える時間は多少(2日ぐらい?)早くなるかもしれないがきっと楽なはずであった。でも、家族としては、医者の言うとおりに、できる限りの延命措置をとるのが当たり前だと思っていたのだ。自分は嫌だと思いながら。

 自分に関しては、医療措置によって元の状態(Quolity Of Life)をとりもどせる場合を除いて、ターミナルケアにおける医療は要らないと思うのだ。「大往生をしたけりゃ医療にかかわるな」を読んでそのことを強く感じるようになった。

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コメント

次のblogに書く予定ですが、自然死は大変穏やかなもののようです。

私の弟が1月に亡くなりましたが、お正月の祝い膳も一寸箸を付け、お酒もホンの少し、最近は腰を痛め、散歩も止めて居ました。
在宅治療で往診して貰っていましたが、食欲が無くなり点滴をしようとすと拒否する。
他人の介護は厭で介護の認定も受けていませんでしたが、穏やか顔で眠ったようになくなったといいます。役所に出していた認定は介護5と死後知らせが来ました。医師は老衰だといいました。
私も総ての延命治療は断って、自然に死にたいと思って居ます。

口から食べられる間は大丈夫です。問題は、食べられなくなったらどうするかということです。明日か明後日にそれについて書きます。

101歳の義母を2日前にお世話になっている施設に見に行き、昼ごはんを食べるのを1時間ほど自分でスプーンでプリン状の主食やおかずやデザートを一人でもくもくと食べている姿を見ていますと、人間にはどんな状態になっても生きていこうという本能があるのだなぁ・・・と思いつつもう家に帰りたいとも私の顔を見ると「よく来てちょうたな。」と言う言葉もなく黙っているだけの義母の姿でした。
人それぞれですが点滴か口からするりと喉越し良く食べられるものを食べて生きていくかは誰も選択は出来ないのでは・・・お医者さんの判断もありますが最後はその人の持てる体力と生命力だと思います。

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