人生の終幕と医療
4月18日の朝日新聞「耕論」のテーマは「胃ろうと人生の終幕」であった。高齢者がいよいよ口から食べたり飲んだりできなくなったとき、家族はある決断を迫られる。「胃ろう」をするかどうかだ―テーマの解説―
論者は3名、一人は胃ろう造設に疑問を抱く医師の中村仁一さん、家族を在宅で介護し、最初は胃ろうにより祖母を回復させ、2回目は胃ろうでも無理と判断した人形作家の宮崎詩子さん。もう一人は、意思決定ノートを作成した東京大学特任教授清水哲郎さんである。
中村仁一医師は老人ホーム同和園付属診療所長としての経験から胃ろうには慎重な意見である。
胃ろうを造るのは15分ぐらいの簡単な手術だという。しかし、いったん造ってしまうと簡単には外せないし、何年も生きていくうちに体が不自由となり介護も大変であったという。
患者の回復に役立つか、生活の改善に資するかが大事だが、現状ではそれは難しいのだという。
宮崎さんは、祖母が80歳の時に認知症になり、自宅で両親、妹と介護をした。90歳で倒れたとき、回復の余地があると判断して入院させ、胃ろうを造った。胃ろうをつけて退院して自宅介護を続け、祖母は回復していったという。けれども2回目の時は無理と判断して胃ろうを造らなかったという。祖母は10日後亡くなった。
宮崎さんは、胃ろうを付けた後家族の介護は無理だからと施設へ送るくらいならやらない方がよいという。中村医師も同じ意見である。中村さんは本人の明確な意思があれば胃ろうを造ってもよいという。
しかし、家族が少しでも長生きをしてほしいからと勝手に造るのは家族のエゴだという。
食べ物、飲み物を受け付けないのは、体が枯れ始めた兆候だ。そのままにしておくと人は自然死の道を辿る。飢餓と脱水の状態となり、通常は7~10日くらいで亡くなると中村医師は言っている。
私の養父や養母も大叔父も大叔母もみなそうであった。昔は自宅で人生の終末を迎えたのだ。本人もそれを悟るのか布団の上で静かに横になり、自然の死を迎えた。高僧は自ら食と水を絶ち大悟して死を迎えたというが、昔は庶民にもいくらでもそういう人がいたのだ。
野生の動物はみないつの間にか姿を隠して死ぬ。いったいどこで死ぬのか知らないが近所の野良猫も死体を見たことがない。スズメやカラスでも同じだ。
医学が発達して最後の最後まで医療を受けて病院で死ぬケースが多くなったが、私は、自然死を選びたいと思う。胃ろうや人工呼吸器や点滴で僅かに長生きしても苦しいだけだと思うのだ。
中村医師は「僕らの祖先はつい40~50年前までは、飢餓の状態で最後を迎えたのです。私はこの施設で250人以上の自然死を迎えた人を見て来ましたが、ひとりとして苦しんだ方はいません」と話している。
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