縁のつながりを辿る
「縁」という言葉がある。日本人にはとても馴染の深い言葉だ。合縁奇縁とか無縁仏とか縁者とか縁日や縁起などの熟語もあり、もともとは仏教から出た言葉だ。
タイやスリランカなどの仏教国にもきっとあるのだろうが、知らない。中国語には縁分というのがある。
私たちは無縁の人というのはないはずで、生まれること自体が縁の始まりで有縁なのだ。生まれて以後死ぬまでまず無縁はあり得ない。仮に縁者が1人もいなくなって孤独死をしたとしても、最後は誰かが関わってくる。それも縁なのだ。
人生で最高の縁は恋人や結婚相手に恵まれることであろう。結婚式ではよく「縁の紐で結ばれて・・・それでも何らかの理由で縁を切る人もたくさんいて、離婚率が上がっているという。
人生はすべからく縁が生じたり切れたりの連続だと思う。神経細胞がシナプスによってネットワークを作っていくイメージだろうか。
私はいくつかの趣味を持っているが、それぞれに縁のつながりがある。その一つマジックを通して考えてみる。
今私が所属する名古屋華マジカルグループに加入するには、一つの大きな縁があった。それは同じグループのMさんとの出会いだ。中川区70周年記念の第九に応募して、最初の日に、練習会場の中川区役所を探して歩いているときに、たまたまMさんが話しかけて来たのがきっかけだ。
しかし、それだけではMさんと知り合うことはない。私がいた昭和男爵コーラスにSさんという人がいて、その人とMさんが古い知り合いであったのだ。その関係で3人で話すようになり、たまたまMさんもSさんも私も帰りの地下鉄が同じなので一緒に帰ることもあったのだ。
中川第九には昭和男爵コーラスの指揮者が関係していて、第九を強く勧めてくれたので第九に参加することになったのだ。だからコーラスに入っていなければ、また指揮者の紹介がなければ、Mさんと知り合うことはなかったことになる。
コーラスに入ったのは、昭和生涯学習センターで「50歳からの男声合唱隊」という主催講座があったからだ。それがなければ、そして自分が講座を受けてみようという気にならなければ、Mさんとは無縁であったのだ。
合唱講座に入る気になったのは、カラオケをやり始めて少しでも声が出るようにしたいと思ったからだ。私はもともとカラオケが大嫌いであったのだが、それを無理やり誘ってくれたOさんがいたのだ。Oさんとの縁は、彼が我が昭和英語会話クラブに入ってきたからできた。
このように縁のつながりの元を辿っていくと、あちらこちらにつながっていることが分かる。そのどの一つが欠けていても、後の縁にはつながらないのだ。
ところで、元に戻して、Mさんと知り合って地下鉄で一緒に帰るとき、Mさんは名古屋華マジカルグループのことを話し、私に入らないかと言った。名古屋華マジカルグループは結成後まだ3か月の頃であった。私は退職後マジックをやめていたが、覗くだけ覗いてみようと例会に出かけた。よさそうなクラブなのでその場で入ることに決めたのだ。
ところで、もし私にマジックの経験がなければ、そのクラブに入っていなかったであろう。マジックを習い始めたのは、43歳ごろからで、それもひょんな縁からであった。ある日近所に住む手品で有名なSさんと文房具屋で会い、マジックを習いたかったらいつでも来てと誘われたのがきっかけである。
このようにマジックという趣味をとってみても、様々な縁があり人とのつながりがあることが分かる。マジッククラブに入ったことで多くの新しい人と知り合ったし、ボランティアを通して1度だけの縁ではあるが、多くの人と触れ合うことができた。
私たちは「縁」によって生きているのだということができる。この地球に生まれたのも、日本人として生まれたのも、全ては縁である。毎日縁につながっており、新しい縁につながり、時には縁が切れる。まるで神経細胞である。
東日本大震災後「絆」という語がいろいろな場面で使われているが、「絆」は強い縁のつながりを象徴している。この「縁」を大事にして生きていきたいものである。「悪縁」だけは御免蒙って。
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