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2012年3月23日 (金)

アメリカの無差別爆撃に憤りと新たにする―NHKスペシャルを見て―

 NHKスペシャル「東京大空襲―583枚の写真」を見た。戦後67年もたって東京が空襲された時の記録写真が583枚も発見されたというのだ。文京区のある民家の押し入れから見つかったというのだが、どうしてそこにあったのか、どうしてこれまで気がつかなかったのかは不明のようだ。

  とにかくこの写真が発見されたということは素晴らしいことだ。被害者である日本の側から撮影された貴重な記録だからだ。撮影したのは、プロの東方という写真集団で、軍の許可のもとに撮影されたものだ。

  プロが撮影したので、いろいろな角度から撮られていて当時の悲惨な被害の様子がよく分かる。

  番組では、爆撃された現場にいた人たちを探し出して写真を見せ、生々しい証言を得ている。67年にもなるので当時10歳から15歳ぐらいの運よく生き残った人たちばかりだ。

  3月10日の東京大空襲はよく知られているが、空襲は1944年の11月から空襲が始まっている。アメリカが空襲したのは、荏原とか原宿とかの民家が集まっていたところも含まれている。また、銀座も浅草も壊滅した。

  NHKはアメリカの資料を手に入れて、東京空襲をアメリカ側からも裏打ちしている。それによると、アメリカは東京都の1.4倍もある広大なユタ州の土地に日本の民家そっくりなものを建て、どうしたら速く燃えるかの実験を繰り返したのだという。

  アメリカは、最初から無差別爆撃を計画していたのだ。3月の東京大空襲では220機のB-29が320トンもの爆弾や焼夷弾をばら撒いた。彼らはそれをカーペット・ボミング(ジュウタン爆撃)と呼んだ。ターゲットは、軍事工場などだけではなかったのだ。

  3月10日の大空襲以後空襲は激しくなり、5月26日には、3月10日の倍の爆弾や焼夷弾を投下したという。5月末までに東京の半分が消失したのだ。

  私は、南紀新宮に住んでいたが、あんな僻地の小さな町にさえも焼夷弾をばら撒いて市街地を焼いて行った。私はその光景を忘れることができない。防空壕の入口からB-29が焼夷弾をばら撒くのを見ていたのだ。夜空に赤く光る焼夷弾がきれいであった。その後火災が起きて焔や煙で夜空が赤く染まっていった。

  東京の空襲はそんなものではなかったのだ。どんなにか恐ろしいことであったかと思う。そして、アメリカは無慈悲にも、東京だけでなく、名古屋も大阪も日本中の市や町を無差別に爆撃したのだ。

  B-29で何度も出撃した元パイロットは、まるで原爆の跡のように何もなくなったと証言している。

  日本が広島・長崎の原爆だけでなく、原爆に等しい悲惨な無差別爆撃を受けながら、アメリカに一度も抗議をしていないのはどういうことか。ナチスのホロコストをアメリカは糾弾してワシントンにはホロコスト博物館まで造っている。そのアメリカが日本に対してホロコストをしたのだ。

  583枚の貴重な写真はその動かせない証拠の一つである。

(C)NHK

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戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

アメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク侵略、アフガン介入など第2次世界大戦後も世界で戦争をしてきました。そのいずれもが人道に背くものです。日本への無差別爆撃と少しも変わっていません。

戦争は人類の犯す最大の狂気であり、ルールに基づく
戦争という言い方はまさに形容矛盾ともいえるが、現に戦時において遵守すべきルールが国際法で決められているのである。ハーグ陸戦条約25条によれば防守されていない都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することを禁ず。
アメリカの原爆投下やその他の都市への空襲は明らかにこの条項に違反なのである。しかるに極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判では戦勝国側の行為は全て不問にされたのである。勝者の敗者への一方的な裁きと言われる所以である。
アメリカからは今もってこうしたホロコーストにも匹敵する残虐行為に対して正式な謝罪はないのである。
しかしながら、アメリカもこのような甚大な被害が及ぶであろう爆撃を実施する前には、事前に降伏を迫る
働きかけを日本にしていると信じたい。そうなると、
国民の生命と財産の甚大な損失が予想されるにもかかわらず、戦争を継続した当時の指導層の責任は計り知れなく重大だと言わざるを得ない。
いずれにせよ、このような番組を放映したNHKの英断は立派である。

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