心理的距離
地下鉄に乗るとき、通常は御器所駅へ行く。御器所駅には鶴舞線と桜通線が通っているが、いずれに乗るにしても御器所駅からが殆どである。
ただ、新瑞橋方面に行くときは、桜山駅から乗ることが多い。それは桜通線は御器所より桜山の方が我が家からは近くて便利だからである。
御器所から乗る場合は、桜通線のメーンの入口は区役所側にある。そこまでホームを通って歩くにしても、桜山駅の方が近いのだ。
実は、歩数計を使って双方の駅までの距離を測ったことがあるのだが、桜山駅の方が若干近いことが分かった。
それでも通常は御器所駅から乗るのは、馴れということもあるが長年利用しているので心理的に近く感じるからである。
鶴舞線で八事方面に行くときに、我が家からでは川名駅を使うと一駅分近くなるし、歩く距離も多分御器所駅へ行くのと変わらないだろうと思う。それでも川名駅を使うことは滅多にない。川名駅は改札までが遠くて心理的距離が長く感じるのだ。
私は毎朝ウオーキングで瑞穂運動場までを往復しているが、たまに寝坊などで歩かないときは、八事のジャスコまで歩くことがある。ジャスコまで3600歩ぐらいである。つまり瑞穂運動場往復7200歩の丁度半分の距離ということになる。それでも八事までを往復しようとは思わない。心理的距離が大変遠いのだ。
車を運転して初めてのところに行くと、行きはものすごく遠く感じるが帰りは意外に近いと感じるものだ。行くときは早く着かないかとかどこだろうなどとあれこれ考えるから長く感じるのであろう。帰りは覚えた道をまっすぐに帰るだけだから早く感じるのだ。
子どもの頃はいつも歩いてあちこちへ出かけていたが、三輪崎という海岸までは当時1里(約4km)と言われていた。その頃はずいぶん遠く感じたのだが、大人になってから歩いたとき4kmは子どもの頃よりずっと近くだと感じたのを覚えている。
歩くのが当たり前というより、それしか手段がなかった江戸時代以前の人たちはいったいどの位の距離を遠いとかんじたのであろうか。5kmや10kmは屁の河童だったに違いないと想像する。
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