当然すぎる最高裁判決「君が代不起立教員への処分」
卒業式などの式典で、日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教員らに対する東京都の懲戒処分は行きすぎかどうか。処分のあり方が争われた3件の訴訟で最高裁第一小法廷は、16日、「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」との判断基準を示す判決をした。
石原都政の下で、式典に起立しなかった教員に厳しい処分がされたので、それを不服とする教員が訴訟をしていたものだ。
第一小法廷は、戒告については、「教職員に職務・給与上の直接の不利益は生じない」とした。一方、減給や停職は給与や将来の昇級に不利があることから行きすぎだとした。
5人の裁判官のうち、1人は「不起立は信念によるもので、通常の非行・違法行為とは次元が違う。式典を妨害しておらず、戒告でも重すぎる」と反対した。私はこの意見に賛成である。思想・信条の自由を認めている憲法に照らしても戒告でも厳しすぎる。その教員は自分が起立をしないだけで、生徒にも強制したわけではない。
戦後長い間、君が代を歌わない教師や国旗に起立をしない教師がいたが、問題はなかったのだ。それを石原都知事によって職務命令として強制的に従わせられたのである。そして、今また、大阪市長の橋下前大阪府知事によって府教育・職員基本条例なるものが府議会に提案され、さらに厳しい罰則をもって強制しようとされている。
多数意見の桜井龍子裁判官は、「不起立1回で戒告、2回で減給1か月、3回で同6か月、4回で停職とする都の機械的な処分自体が問題」と述べたという。
大阪府の基本条例も機械的な適用で、しかも教員を%による5段階に分けて評価をして、必ず最下位の評価がでるようにし、3年続くと免職という厳しさだ。
圧政的に職員を従わせようというのは独裁者やワンマンや暴君のすることである。北朝鮮と何ら変わりはない。戦時中の軍の暴走を想起させる恐ろしいことだ。
最高裁判所が、不満ではあるが、一定の歯止めをかけたのは当然のことでる。
« 岡田副総理は議員歳費と政党交付金削減に意欲というが | トップページ | 楽しく聴いた新春三曲演奏会 »
「人権問題」カテゴリの記事
- カタールの人権問題(2022.12.02)
- 黒い雨訴訟の上告断念でよかった(2021.07.29)
- DHC会長のトランプに劣らないヘイト(2021.04.12)
- 暴力で保たれた日本海軍の規律(2020.12.16)
- 大坂選手のマスクとBlack Lives Matter(2020.09.19)
アメリカは国旗に敬礼を強制することは憲法違反とは知りませんでした。何でもアメリカ追随の日本、それも真似してほしかったです。
投稿: らら | 2012年1月19日 (木) 16時05分
「日の丸・君が代訴訟」は一審では教員側の勝訴であったが、二審三審では逆転判決となった。その間に橋下前府知事が出したような憲法無視の強権的な条例が現れたので、最高裁は一定限の歯止めをかける必要性を感じたのであろうか。
公務員の思想・信条の自由を制限するような判決はよくないが、処分の行きすぎを指摘した判決は当然のことだと思う。
アメリカでは、教員に国旗敬礼を強制することは憲法違反とされている。この問題はその国の民主主義の質を浮かび上がらせている。
投稿: takao | 2012年1月18日 (水) 20時56分