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2012年1月 6日 (金)

NHK「天上の王朝美・修学院離宮」を偶然見て

 3日の朝、NHKテレビで偶然に「天上の王朝美・修学院離宮」という番組を見た。

  修学院離宮には、大学2年のときに茶道部の友人たちと見に行った。友人の1人に歴史科の者がいて参観の手続きをしてくれたのだ。

  修学院離宮や桂離宮は御所と同じで宮内省が管轄しており、何か月か前に申請をして許可を取らなければならないのだ。そういう関係で私はまだ桂離宮には残念ながら行ったことがない。

 ところで、修学院離宮のことだが、私は京都で一番良い庭園だと思う。規模が大きくて借景が素晴らしい。

  番組を見て、後水尾上皇が造ったものだと知った。なにしろ修学院離宮を見学したのはウン十年前のことだから詳細は忘れてしまったのだ。

  後水尾上皇が10年かけて土地を探し造ったのだという。私は天皇が自ら離宮や庭園を計画して造るとは思っていなかった。

  解説によると、当時の秀吉や家康などの高層で威圧的な城に対する批判精神があるのだとか。建物は非常に簡素である。

  後水尾天皇は家康の政略結婚で家康の娘、和子姫を皇后に迎えた。でも、この皇后はなかなかよくできた人物でもあったようで、天皇ともうまくいったようだ。

  皇后はおしゃれに気を遣い、年間200着もの着物を作らせたという。そのデザインはユニークで今日の街の女性に影響を与えたようだ。

  東福門院となって造られた修学院離宮内に建物を造ったが、金箔の襖など税を凝らしたものだ。何しろ家康の娘なので、その後ろ盾で天皇家は裕福になったのだ。

 修学院離宮は当初は境がなかったそうで、農民が働く田畑も遠くの山並も景色の中に取り入れている。また庶民が物売りや物見遊山に来ることもあったようだ。

  庶民の楽器三味線が形をなしたのがこの頃で、それも取り入れている。庶民の生活や文化との融合があったという。

  生け花の池坊に立花帖が残っていて、後水尾上皇の活けた花の絵も残されている。大胆な構成で見事である。立花帖を見てなるほどと思ったのは、写真がない時代、後世に残すために絵師が写生をしたことだ。そのおかげで今に残っているのだ。

  後水尾上皇は書もよくした。離宮の額に見事な筆跡を見ることができる。

  この番組を見て、もう一度修学院離宮に行きたくなった。

寿月観の御輿寄、客殿のかすみ棚、浴龍池、丘の上の隣雲亭、離宮を繋ぐ松並木の道

アドレス http://sankan.kunaicho.go.jp

上記のアドレスにアクセスして必要事項を入力してお申込みください。結果は申込日の翌日以降にメールでお知らせします。

【受付期間】
 参観希望日の3ヶ月前の月の1日午前5時から希望日の4日前午後11時59分まで

・参観希望日は申込状況や行事等によりご希望に添えない場合があります。

 

 
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