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2012年1月

2012年1月31日 (火)

保守のアメーバ―分裂―石原新党構想―

 亀井静香国民新党代表が動き回って、立ち上がれ日本の平沼赳夫代表、石原東京都知事らとフランス料理レストランで会談をして、近々石原氏を党首とする新党を立ち上げることに合意をしたと伝えられた。

  それについて当の石原都知事が、「そんなことは知らない。手助けはすると合意した。」と記者会見で述べ煙に巻いていた。

  平沼氏は、「真の保守をつくることだ。」というような発言をしていた。真意が覗いていると思った。

  この3人は、元々は自民党福田派に所属していて、石原氏の都知事選では助けたのだという。そんなことはどうでもよいことだが、外野から見ていると、政治の世界で起きているどの動きも所詮は「保守」のアメーバ―分裂であることが分かる。

  小沢一郎氏が自民党を飛び出したのも、亀井氏が国民新党を作ったのも、平沼しが立ち上げれ日本をつくったのも、渡辺氏がみんなの党を作ったのも、升添氏が新党改革を作ったのも、つい先日、民主党を離党した議員が新党っきずなや大地真民主などを作ったのも・・・・・・数え上げればきりがないが、みな自民党につながるものである。つまり、保守の中のアメーバ―分裂なのである。

 アメーバ―の中には子孫を残すために分裂をするものがあると聞いたが、保守の政治勢力がその力を温存するための分裂を繰り返しているに過ぎないのだ。分裂の度に「保守」全体は減るどころが増えているのである。

 民主党自体が、その動きの中で革新とかリベラルの部分を取り込んでできたもので、それにより、社会党はみるも無残な姿になってしまったし、民社党も消滅してしまった。

 自民党と違って、より異質な部分が合同した民主党は、結局華々しい政権獲得をしたにも関わらす、すぐに馬脚を現して国民の期待を裏切り、支持を失ってしまった。

 年頭から衆議院の解散が取りざたされているが、今解散して衆議院議員選挙があれば民主党は大きく議席を減らすであろう。大阪維新の会を含む一連の動きも衆議院解散を見越してのものであり、保守の勢力拡大である。

 いったいどのような形で再編に向かうのか予測もつかないが、この分かりにくさの中で保守の右翼再編に向かうのではないかと感じている。

今朝の朝日新聞天声人語によると、「二人の識者が似たような懸念を語っていた。まず半藤一利さん。『日本人は実は右か左か二者択一が好きで、どちらかに大きく流れ、集団催眠にかかりやすい。閉塞感が出てくると、強い者への待望論が生まれる。』内橋克人さんは、『(国民が)《うっぷん晴らし政治≫の渇望を満たそうとすれば1930年代の政治が繰り返される。」と書いてあった。私の危惧するところと同じである。

 橋下大阪市長、石原東京都知事、平沼氏、大村愛知県知事、みんなの党渡辺氏などが狙っているのはその辺にあるのだろうと見ている。

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2012年1月30日 (月)

NHKヒューマン なぜ人間になれたのか」第1回を見て

 NHK・TVの「ヒューマン なぜ人間になれたのか 旅はアフリカから始まった」(第1回)を興味深く見た。

  人間のルーツはアフリカにあり、それが僅か6万年ぐらいの間に地球規模に広がったということは以前にNHK番組で見たことがある。今回始まった番組はそれにさらに新しい情報を付け加えてのものであるようだ。

 アフリカの喜望峰から300KMのところにある海岸に、考古学者が注目している洞穴がある。そこでさまざまな発見がされているが、その中に化粧に使われた石や貝の首飾りが発見された。貝の首飾りは単なる装飾品ではなく仲間であることを示すものであるという。

  ナミビアのカラハリ砂漠に今も住む部族の中で、首飾りを大切にしているがそれも仲間であることを示すものだという。

  人間とチンパンジーは、今から700万年ぐらい前に分かれたが、人間は助け合う..ことを大切にするようになった。しかし、チンパンジーは、助け合うことはしない。

  それについてアメリカのある考古学者は、人間が2足歩行をするようになって骨盤が横に広くなったことが原因だという。チンパンジーの骨盤は縦に大きくてお産は大変軽い。母親は自分ひとりでまるでウンコを出すように出産する。ところが人間の出産は大変難産で他の人の手助けが必要である。

 つまり出産のときに、必ず他人の助けを必要としたことがら協力が生まれたというのだ。それはDNAに組み込まれて現在にまで至っている。

 日本の学者が、赤ちゃんを使ってやった実験がある。鉢植えに人参などの野菜で植栽を作り、それをモニターに映して赤ちゃんに見せるのだ。その植栽は、ひっくり返すと人間の顔のように見える。

 赤ちゃんは、それが人間の顔のように見えたときに反応を示すことが脳の映像で分かったのだ。人間は生まれながらに人の顔を識別することができるらしいということである。

  また、事故で目が見えなくなった人の実験で、眼球に異常がないので人の表情の認知だけはできることが分かった。どうしてそういうことが起こるのかというと、視覚野で物を見るだけでなく、扁桃体で人の表情を見分けていることが分かったのだ。それも人間が助け合うことを必要とすることから作られてきたようだ。

 つまり、人間が人の表情を見ていろいろと判断をするのは、本来人間は助け合うことを必要とするように発展してきたからだという。

 人間は協力しことによって長い歴史を生き抜いてくることができたのだという。そうなったのは、今から7万年以前にスマトラ島のドバ火山が大爆発をし、その噴煙が地球を覆い、アフリカでは植物などが枯れてしまうほどの大災害になったという。その頃アフリカには2万人の人類がいたらしいが、絶滅の危機を乗り越えたのは協力し合った部族がいたからだと考えられている。そのときに協力することを学んだのだという。

 人間は見知らぬ人にも分け与える会えることあるのかということについて、世界各地で大規模な調査を行った学者たちがいる。それによるとアメリカでは46%の人が分け与えるという行動をとったという。ちなみににほんは44%であったそうだ。この調査は、アフリカ各地や南米などでも行われ、全平均は22%であったという。

 この調査によって、現代に生きる人間にも他人に分ける行為が引き継がれてきていることがわかったのだそうだ。

 しかし、現実はそう簡単ではない。人間の歴史は闘争の歴史でもある。絶えず戦争などの争いをしてきたし、今も世界のどこかで戦争がある。

  一方、昨年の東日本大震災の後に見られる日本人の行動のように、「絆」を思い起こして助け合う様子が見られた。それは世界からも注目を浴びた。

  「開拓者たち」を見ても、人々は助け合って生き延びてきている。こういうことは何も日本だけでなく、貧しい国でも人々は助けあって生きている。むしろ経済が発展しマネーゲームで儲けることばかりが目標となったところでは人間本来の助け合う心が失われてしまっているのだ。

 この番組を見て、人間は本来助け合う存在であったし、そのDNAを受け継いでるというところに救いとある種の安堵を覚えた。

 

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2012年1月29日 (日)

民主党案比例区80議席減はエゴ

 25日朝日新聞朝刊で、衆議院議員の定数減について試算をしている。それによると、比例区80議席減の民主党案では社会党、共産党が激減し、公明党も大きく減る。その一方定数に占める割合でいうと民主党は64%から69%に増加するのだ。手前味噌もいいところである。福島社民党主は「民主党と自民党だけになってしまう。」と言っている。

 それに対して自民党案の30議席減では、公明は+5、共産も+5となる。社民党は-1だ。

 民主、自民以外の政党は2大政党に有利な小選挙区比例代表制の抜本改革を求めている。公明党は比例区で少数政党に有利な議席配分をする小選挙区比例代表連用制を提起している。

 この案では、09年選挙に当てはめると、民主の比例区議席が87から11に、一方公明は21議席から49議席、共産が9から29議席となるという。

 つまり、現行の選挙制度では、民意を正しく反映していないということだ。どの政党も自党に有利に進めようとしているが、一番求められるのは民意を正しく反映することである。その点では憲法違反の選挙区の定数改正もやらなければならないが、どさくさに自党を有利にしようという民主党の比例区80議席減には反対である。

 もう一つすぐにやることは、現在の小選挙区比例代表並立制が導入されたときに一緒につくられた「政党交付金制度」の廃止である。一銭ももらっていない共産党以外の政党の合計は年に320億円にも上る。1995年以来実に5033億円もの税金が交付されたのだ。赤ちゃんも含めて国民一人毎年250円もの金を税金から出しているのだ。それを廃止すれば、その分税金を安くできるではないか。 

 その上に自民党や民主党は企業などからの寄付金もらっている。小沢一郎氏のように4億円もの金をもらっている議員もいるのだ。

 マスコミ各紙は、政党交付金を半減せよと主張しているが甘すぎる。全廃を主張すべきであろう。

 民意を正確に反映す選挙制度による議員定数削減と政党交付金廃止は緊急の課題である。

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2012年1月28日 (土)

福島第一原発事故や核廃棄物処理など、大変わかりやすい小出裕章氏甲府講演会

 友人が送ってくれた京都大学助教小出裕章氏の山梨県甲府での講演会は大変わかりやすく、素晴らしいもので感動しました。数日前に「ドイツでも困っている核廃棄物・・・」というblogでURLを紹介したのですが、なぜか開くことができませんでした。先ほど3度目のやり直しをしましたら開けるようになりました。

 URLは、下記の通りですが、もし、開けない場合は、「小出裕章講演会 甲府」などと入れて検索して下さい。いくつかヒットします。YouTubeです。

 http://www.youtube.com/watch?v=7MbcteuNf6c&feature=youtu.be

 この講演は、福島第一原発大事故で起きた問題をいろいろな角度から、プロジェクターを使って図表を示しながらとても分かりやすく説明してくれています。小出講師は原稿なしで約1時間50分を話し続けます。

 私もこれまでのblogで除染とか放射性廃棄物の処理などについて取り上げましたが、私の理解が間違っていなかったことを知りました。

◎除染はできない。移動させるだけだ。

◎放射能を消す方法を人類は知らない。

◎もう一度あのような事故が日本で起きると日本中が放射能で汚染される。

 などなどです。

 私が知らなかったことは、文殊は一度も発電していないがこれまでに1兆円もつぎ込んでいることや廃棄物の捨て場として、宇宙に飛ばす、深海に沈める、南極の氷の上に置く、などが考えられたがいずれも無理で、日本政府は地下1000mに埋めることを決めたということ。しかし、これも地震国日本では大変危険でモンゴルに持っていこうという破廉恥な案があるということなどです。

 アメリカやヨーロッパでは日本が盛んに原発を造りだした1977年ごろをピークに原発を造るのをやめたということも知りませんでした。

 小出先生は、無農薬野菜とかエネルギー問題とかにも詳しいそうですが、そうしたテーマ一つで2時間ぐらいは必要だと話していました。

 YouTubeのいいところは、どこからでも見ることができて、どこででも停止できることです。途中で用ができれば中止して、時間を改めて見ればよいのです。ぜひ、多くの人に見てもらいたい素晴らしい内容の講演だと思いました。

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2012年1月27日 (金)

寒い冬、歩く人が激減した山崎川河畔

 1昨日、昨日と5時半頃家を出ていつものウオーキングに出かけた。山崎川について川べりを歩き始めたが2日とも人影はなかった。しばらく歩いていても前にも後にも人はいなかった。

  夏のころならこの時間にはたくさんの人が歩いている。特に昨年は以前にblogに書いたように新顔の人が大変増えていた。ただ、その頃思ったのは冬になってどのくらいの人がウオーキングを続けているだろうということであった。

  10月の初めごろまではまだ歩いている人はたくさんいたが、次第に減って行った。年が明けて1月には非常に少なくなった。

  昨日などは、手袋をして歩いていていても指先が冷たくて痛かった。40分ぐらい歩いてやっと指先の痛さがなくなった感じであった。

  娘は、早朝のウオーキングは年寄りには危険だからやめろという。小林弘幸医師が書いた「なぜこれが健康によいのか」(サンマーク出版)を持って来て、この本にもそう書いてあるから読めと言って置いて行った。

  その本によると、「昔から朝、早起きをして運動をするといいと考えている人が多いのですが、私はあえてこの『朝の運動』には反対したいと思います。

  私が朝の運動を勧めないのは、生理学的な理由があるからです。一つはケガをしやすいこと、もう一つは疲れてしまうこと、そして後に仕事を控えているなどのストレスから、運動の効果が下がってしまうからです。

  朝というのは、交感神経がとても高い時間帯なので、血管が収縮し、うっ血しています。血管が収縮すると筋肉が硬くなるので、体が硬くなります。ケガにつながります。高齢者にはリスクが大きいので朝の運動は避けるべきです」

  と述べて、たとえ歩行でもよくないといい、ウオーキングには夕食後寝る1時間ぐらい前に30分間のウオーキングがよいと勧めている。

  私は30年あまりもウオーキング(最初はジョギングから)を続けているが、確かにいろいろな本で朝のウオーキングがよいと言っていたからだ。

  最初の頃は朝早く起きるのが大変であったが、慣れれば気にならなくなった。退職後は早く寝ることができるので、早起きは苦にならないし、年を重ねるほど早起きになるから早朝ウオーキングを続けてきた。

  小林さんは、早朝は交感神経が働いて頭脳の冴えるからそちらに充てるべきだと言っているが、私はずっとテープで語学番組を聴いてきたからそれでよいのかと思っている。それに歩いていると冬でも体が温かくなってくるし、春、夏、秋なら発汗をするから健康にいいと信じている。

  10月からはだんだん夜明けが短くなり、3月まで続くから、早朝は暗い中で歩くことになるだから気持ちとしてはやめたいと思うが、いったん歩き出すとそんなことは忘れてしまうのだ。

  山崎川べりの早朝ウオーキングをやめている人も暖かくなるとまた始めるのであろう。

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2012年1月26日 (木)

金木犀酒とグミ酒

 昨年の秋、金木犀が盛りの頃、maronさんのblog「友達」に金木犀酒の作り方が書いてあった。金木犀の花を集めて焼酎と氷砂糖で作るというものであった。それを読んですぐに我が家の金木犀の花で作ってみることにした。

  妻に聞いたら、ホワイトリカーの残りと氷砂糖が少しあるというので、さっそく庭に出て大きな金木犀の木を見上げた。満開で枝の先に朱色の花がいっぱいついている。なるべく新しい花を枝を引き寄せて、手でしごいて金網のザルで受けた。ザルにいっぱいとって台所に戻った。

  高さ20cmぐらいの広口の瓶に氷砂糖と花を入れて焼酎を注いだ。焼酎は瓶の8分目ぐらいしかなかったし、氷砂糖も少なかったがまあいいかと思った。小さい花びらが浮いて瓶の半分ぐらいの層をなしていた。瓶の蓋に日付と名前を書いた。3か月たったら花を取り出すのだそうだ。

  それから3か月がたった。花はいつのまにか底に沈んでいて、焼酎が茶色く染まっていた。24日に紅茶の茶こしを使って花と酒を分けた。

  ちょっと味わってみたら、金木犀の香りが凝縮された感じの強い香りであった。そのまま飲めば甘さは悪くなかったが、薄めると砂糖が足りないように思った。しかし、金木犀の花で果実酒のようにできるとは知らなかった。よい実験であった。

  ところで金木犀の木であるが、昨年暮れに地上2m50cmぐらいのところでバッサリと切ってもらった。切るだけで1万円かかった。それで今は太い幹が残っているだけである。

  でも、これまでの経験で、木は春になると芽を出してぐんぐんと枝を伸ばすことが分かっている。ただ、秋に花がどのくらい咲くのかはわからない。

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2012年1月25日 (水)

「開拓者たち」を見て

 NHKプレミアムで4週間にわたり放映された「開拓者たち」を録画しておいて見終わった。

  宮城県から満州の千振に開拓に行った人たちの辛酸をなめた苦労を描いたものであった。ところどころに現在も生きている開拓者の証言を入れて構成されたノンフィクションである。

  おそらく実際にあったいくつかのエピソードを組み合わせてドキュメンタリドラマにしたのであろう。

  宮城県の貧しい農民の娘たちが千振開拓地に送られ、それぞれが先に現地で開拓をしていた農民と結婚をして家庭を作ることから始まった。

  満嶋ひかりが主役でハツを演じた。ハツは大変しっかりもので現地で助産婦の資格を取った。おじょうずを言わない夫速男との出会いであったが、そのうちに二人は愛を深めていった。

  弟は憲兵隊に志願し、妹は関東軍の看護婦になり、夫は徴兵される。開拓地の男たちも関東軍に徴兵された。

  それでもソ連軍の参戦までは、肥沃な農地で幸せに暮らしていたが、1945年8月9日のソ連の参戦によって事態は急変する。

  開拓地に残る者と逃げる者に分かれた。ハツや弟たちは逃げる方を選んだ。一方残った者たちは青酸カリで集団自決をするはめになる。

  逃げる方も道なき道を子どもや年寄を連れて歩き、食料もなく大変な難行であった。ある川を渡るところで年よりの指導者早坂や体の弱い人がもういいと言って残って死を選ぶ。ハツは次女を逃避行の中で死なす。一方その中で生まれた子が生きて帰国するということもあった。

  中国は国共の内戦となり、混乱して大変であった。速男たちはシベリアに連れて行かれる。妹の富枝は共産軍で働かされる。中国で強制労働をさせられた人もいる。

  やがて引上げ船で日本に帰国できる日がやってきたが、帰国してからも苦難の日が続いた。那須高原の国有地をあてがわれ、リーダー吉崎のもとで開拓をするのだが、必死になって農地を作っても作物が育たない土地であったのだ。そうした中で牧畜に活路を見出す。

  ドラマはシベリアに抑留をされた速男たちや、軍病院で働く富枝と兵隊の恋愛や憲兵隊の弟が戦犯として苦しむ様子などが織り交ぜられて展開する。

  やがてシベリアに抑留されていた人たちが帰ってきたが夫の速男は肺炎で死んで帰らなかった。

 また強制労働で炭鉱で働いていた今野力は帰ってみたら、妻が他の男と再婚していた。

  やがて弟の史郎とハツが世話をした孤児の恵がみんなに祝福されて結婚をする。それから何十年か時が過ぎ、開拓者たちは、那須の高原牧場で幸せに暮らす。牧場には、夫の速男の手紙に入っていた種をハツが蒔いた千振の桔梗が毎年咲く。

  ある人が「栃木県が牛乳の生産高で全国第二位なのは開拓団がそのもとをつくったからだ」と証言していた。

  「開拓者たち」を見て「絆」という言葉が脳裏に浮かんだ。本当の絆は生死を分かつ辛酸な苦労を共にして生きてきた人々の中にこそあるのだと思った。東日本大震災後絆という言葉があちらこちらで語られ、清水寺の今年の一字にも書かれた。しかし、中には商品名の中にも用いられて安易に絆が使われている向きもある。絆が安っぽくなってしまった感がある。本当の絆とは何かと考えさせられた。

 それとともに人間が生きる強さとか人のさまざまな運命も考えさせられた。

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2012年1月24日 (火)

ドイツも困る放射性廃棄物の処理そして日本のストレステスト

 原子力発電をやめることにしたドイツだが、廃止後の放射性廃棄物の処理に困っていると23日の朝日新聞に出ていた。

  最終処分場候補地として30年以上も前から調査を始めて、地下840mの岩塩層に延長7kmの調査用坑道が造られているゴアレーベン村で反対運動が高まっているのだ。すでに調査には1600億円もつぎ込まれているという。村は施設受け入れで交付金がもらえ潤ってきたのにである。福島第一原発事故で住民の気持ちが変わったのだ。

  ドイツ国内ではどこも処理施設が来ることに反対が起きている。それは当然のことだと言えよう。なぜなら放射性廃棄物の処理について人類はまだまだ未知なのだ。日本でもこれから長い年月をかけて研究すると言っている。科学が進歩するという前提に立っているのだ。

  野田政権は、原視力発電所の使用を最大60年と決めた。また、大飯原発のストレステスト意見公聴会では市民が締め出され、非公開で再開を決定した。しかも、原子力保安院が判断の基準としたのは福島事故以前のものであった。福島第一原発事故の検証が何もなされていないのに古い基準である。

  下記のblogから一部を紹介する。

 その基準は、2006年作成の「ガイドライン」であるが、地震や津波の最悪のケースを想定しておらず、改定の必要があることがわかっているのだ。 しかし、大飯原発を含めて現在行われているストレステストは旧態依然たる基準のままのものだ。

 それはウォールストリートジャーナル誌が原子力安全委員会の耐震安全性評価特別委員会で委員長を務める入倉孝次郎京都大学名誉教授にした末尾のインタビューで明らかになったのだ。

 入倉委員長はインタビューで、

「新規も含めて(原子力)発電所は、最低でもマグニチュード9の地震と15メートルの津波に対して対策を実施する必要性がある」

と指摘している。

 ところが、ストレステストの基盤となっている2006年の基準は、東日本大震災のような巨大な地震や津波を想定したものではないのである。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8d988c79c9b836d6c9421bafd54bfa8c

 保安院を含めて、日本の原発安全問題は、安全神話を浸透させるためにあったといってよい。それが福島第一原発大事故で安全神話も崩壊したのであった。

  仮に脱原発をしたとしても、事後の処理は途方もない時間と金と人智が要るのだ。それなのに原発を稼働させ、さらには外国にも売り込もうとしているのは信じがたいことだ。

  次のYuoTubeにUPされている、小出裕章京大助教の山梨での講演は、友人が送ってくれたものだが、大変わかりやすい話でお勧めである。

http://www.youtube.com/watch?v=7MbcteuNf6c&feature=youtu.be

上記のURLをクリックしても開家内場合は、「小出裕章講演会 甲府」のように入れて検索して下さい。出てきます。

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2012年1月23日 (月)

戦犯靖国合祀は国が主導(朝日新聞)―やはりそうだったのか―

 21日の朝日新聞朝刊のトップ記事は、「戦犯靖国合祀 国が主導」であった。この日のNHKニュースはこの件について報道していなかったから、朝日の特ダネなのであろうか。

 従来、戦犯の靖国合祀は、政府の国会答弁などで、「靖国神社の判断だ」とされてきた。政府は宗教行為である合祀には関与しておらず、政教分離を定めた憲法には違反していないと強調してきた。しかし、それは大嘘で国民を欺いたものであったのだ。

 終戦前と同様に、政府が合祀という、靖国の根幹領域にまで立ち入って方針を決め、戦犯合祀の環境を作り上げていたというのだ。

 それが判明したのは、旧厚生省同省が、日本の独立回復翌年の1953年に、公的援護制度の拡充などに応じて、順を追って無理なく進める、との方針を決めていたことが同省内部資料に書いてあったことによってである。

 旧厚生省が戦犯合祀を進める際に考えた「公的援護制度の拡充」とは、一般戦没者の遺族に国が支払う弔慰金や遺族年金、公的扶助料などの対象が、戦犯の遺族にも広がることを指すのだという。

 国の制度上、戦犯も一般戦没者と同じ処遇になるので、合祀対象にする大義名分が立つという理屈である。

 最初は、地方の護国神社で合祀することから始めて、「最終的には、『靖国神社への合祀』を目標」と明示した。そして、「世論の動向と公的援護面進展の情況「に応じ順を追って無理なく措置する」としたのだ。何とも巧妙なやり方ではないか。

 その方針通り、54年3月、都道府県に「英霊を靖国に合祀する前提として、護国神社への合祀」を求めたのである。59年から66年にBC級戦犯が、78年には東条英機らA級戦犯14名が合祀されたのだ。

 野田政権は、どう対応するのか何も書かれていないが、民主党ないにも靖国神社参拝をする議員もいるから、靖国合祀を当然とみているのであろう。

 天皇のために戦うことを強いられ、死ねば英霊という言葉で神として祀るという何とも不可思議な方法で国民を騙してきたのだ。その利用を許した日本神道のいかがわしさを感じずにはいられない。鰯の頭も信心からという根拠なき信仰心に付け込まれた面もある。

 しかし、300万人以上の戦死者をだし、アジア諸国の国土に侵攻し、多大の犠牲者を作った責任は、たとえ軍神となっても決して免れないものだ。

  政府が国民を騙した最大のものは、大本営発表であるが、戦後自民党政権の下でどれだけ国民が騙されてきたか、国民を騙さない政権を切望する。

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2012年1月22日 (日)

ダルビッシュの入団会見がNHKのトップニュースとは

 1月21日夜7時のNHKニュースのトップニュースはダルビッシュのテキサスレンジャー入団であった。46億円6年契約でアメリカの大リーグに入団が決定したとはいえ、ダルビッシュ投手の入団がトップニュースになるほどのものであるだろうか大いに疑問である。

  しかも、延々と7分近くダルビッシュであった。いったいNHKは何を基準にニュースの価値を決めているのか知らないが、もっと大事なニュースがあったはずだ。

  この日は、取り立てるほどの重要なニュースがない平凡な一日であったというのであろうか。

  例えば、2番目の安住財務大臣や財務副大臣の公聴会の方が重要性が高いと思うのだ。公聴会で意見を聞くために人を集めたのは財界関係者であった。一般の人は蚊帳の外であったのだ。そういうニュースの方が国民に重要であるはずだ。

  突発の大事なニュースがないのなら、それまでのニュースで国民の重要な関心事を堀さげて伝えるということができたはずだ。

  社会保障と一体改革の消費税増税は国民の最大の関心事だ。しかし、ぞうぜいがなぜ必要なのかについての説明は不十分であるし、いろいろな意見があってどれを信じたらよいのか分からない状態である。ニュースがないときこそそうした大事な問題を取り上げてほしい。

  NHKは高い視聴料を取っているのだ。スポーツに関心を持つ視聴者が多いのは理解できるが、トップニュースに持ってくるほどの大事なニュースとは思えない。

  ニュース番組編成者の猛省を促したい。

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2012年1月21日 (土)

あつたモーニングコンサートOp.39

 1月19日の午前10時半から、熱田文化小劇場でモーニングコンサートが開かれた。演奏者は、朝井大さんでショパン名曲撰であった。

  知人のIさんが入場券をくれたので聴きに行ったのだ。あつた文化小劇場は初めてであった。もちろん「あつたモーニングコンサート」が39回にもなることも知らなかった。

  開場は10時15分からであったが、早く着いてしまったので、三番目であった。並んで少し待っていたら、入場整理券をくれ、ロビーに入れてくれた。

  席は中央の真ん中に取ることができた。会場は観客でほぼいっぱいになった。見る限りではほとんどが高齢者であった。

  定刻になると、襟元を開いて濃い青色のシャツを着た演奏者が出てきた。1999年に愛知県芸術大学ピアノ専攻科を首席で卒業したとプログラムに書いてある。見たところは若く見えた。10歳からピアノを始めたというから、異例の人である。

  まず、ショパンの「パガニーニの思い出」が演奏された。この曲はショパンが14歳の時にポーランドを訪れた、パガニーニを思って作曲したのだと解説してくれた。

 この曲を聴いたとき、熱田文化小劇場の会場は音が響きすぎると感じたが、そのうちに馴れたのかそうでもないと感じるようになった。

 2番は、ノクターン第1番で、この曲は単純だと話していた。3番目のノクターン第13番は、いろいろと工夫されていて複雑になっていると言った。

  4番目の人気がある幻想即興曲は、これも単純な曲だが、なぜ人気があるのか分からないと話した。みんなに親しまれているのは間違いない。

  5番目の”ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲”は、調べてみたがそういう民謡は見当たらなかったと言った。ヨーデルのような音があると言っていたが、確かに前半はスイスのアルプスをイメージさせるヨーデルのようなサウンドであった。多分本邦初演になるのではないかと話した。

  5番目までは小品ばかりで約35分であった。ショパンは206曲ある中で203曲が小品なのだと解説していた。またソナタは3曲だけだそうだ。

  その中の「ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58」という約27分の大曲が4楽章続けて演奏された。第1楽章は10分ほどあり、変化があって、第2楽章は単調で短く、第3楽章はそれを受けて、第4楽章は10数分で激しい響きもあり、変化に富んだ曲だ。このソナタは、ショパンが最初から構想をして作曲したものだということであった。

  私は演奏については全くわからないが、とても細やかな気遣いをした演奏だと思った。多分ピアノの詩人の詩情を表現しようとしたのであろう。

  朝井さんは、こんな朝早くから演奏するのは初めてだと言っていた。あつたモーニングコンサートは初めてであったが、おなじみのショパンの生演奏を楽しむことができて本当によいひと時であった。

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2012年1月20日 (金)

自立の家・サマリアハウスでボランティア・マジック

 昨年末に、英語会話クラブで、マジックのボランティアの話をしたら、コンピュータハウスのTさんが、自立の家・サマリアハウスを紹介してくれた。

 17日にやることになり、名古屋華マジカルグループの副会長のIさんと私ともう一人Tさんの三人で、自立の家・サマリアハウス行った。玄関から入ると広いホールがあり、身体障害の人がいた。私たちは、すぐ右にある多目的の部屋でマジックを演じた。

 予定の13時半になると、施設長の浅井さんが私たちを紹介して下さった。その後、まず、私から始めた。それは最初のマジックが関係あるからだ。

  一枚の紙を12枚に切り、切ったはずの紙から「新年おめでとうございます」という文字が連なって出ると皆さんは驚きの声をあげた。

 次にリングとロープを使ってリングをロープに入れたり出したりした。どうしてロープに入ったり出たりするのかもとても不思議そうだった。4枚のカードが次つぎと変わるウサギとライオン、薔薇の絵が変化する薔薇カードも、変わるたびに声をあげて不思議がっていた。最後の紐とロープも驚いていた。

  2番手のTさんが最初にやったのは,首の長いウサギだった。事前に施設長さんにお伺いをたてた。というのは障害と受け取られないか心配したからだ。問題ないというのでやった。Tさんは反応を確かめながら上手に演じた。とても不思議そうだった。

 新聞紙でコップを釣るのもとても不思議がって見ていました。Tさんは分かりやすく演じたので一段と効果があがった。

  最後は大きなカードを使ってショッキングカードをやった。アンパンマンなどのおなじみのキャラクターが出るたびに声があがっていた。

  3番目は、副会長のIさんで、和服でお得意の和妻をやった。BGMがなり始めたときから「オッツ」という声があがった。扇子や紙を使って蜘蛛の糸や紙吹雪の日本の芸を披露した。どっと歓声があがった。

  正味30分を皆さんが心から楽しんでくださったことが、反応からよく分かった。体に重い障害を持っているみなさんだが、若い人が多く体で驚きを表してくれたのでとてもやりがいがあった。

  施設長さんのお話では、開所以来22年になるが、マジックは初めてだということで、訪問してよかったと思った。

  お聞きしたところでは、自立というのは、ただ服を自分で着たり、顔を洗ったりできるというようなことではなく、障害のない人と同じように生活できることを目指しているといことであった。そのために毎月ヘルパーの養成をし、その援助でアパートに住んでいる人もたくさんいるそうだ。

  サマリアハウスは、24時間、入口には鍵は掛けていないそうだ。普通の生活を目指しているからだという。

  施設長さんご自身が車椅子を使っておられ、この施設を造る前から障害者をやっていますと話された。いろいろとご苦労されて今日のサマリアハウスがあることが分かった。

  これからもみなさんが元気で自立の生活をしていただきたいと思った。

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2012年1月19日 (木)

楽しく聴いた新春三曲演奏会

 1月15日に、名古屋市芸術創造センターで開かれた「新春三曲演奏会」を聴きに行った。昨年は、大雪の日で行くことを諦めたのだが、今年は天気が曇りでよかった。

  主催は、東海三曲演奏家の会で、「邦楽ファンの夢を奏で、音楽する人を育む」とプログラムに書いてあった。

  三曲とは、筝、三絃、尺八のことで、この演奏会は今年で29回目だそうだ。来年は30回を記念して特別の企画でやる予定だと挨拶で言っていた。

  琴は、戦前は女性の嗜みの一つとされ、結婚前の嫁入り修行として習い、結婚する嫁入り道具の中に琴が入っていた。私の母も琴を持って来ており、床の間に立てかけてあった。でも、あの忌まわしい戦争と戦後の困窮の中で、琴が弾かれることはなかった。ただ、一度か二度母が琴を出して爪弾いていたのを見たことがある。どんな気持ちで琴をだしたのかは分からない。

  ただ、母はときどき口で「ツンテンシャン・・・」と口ずさんでいたので、それは頭に焼き付いている。

  戦後になって、アメリカのジャズやポップスが流入して、日本の伝統の音楽は片隅に追いやられた。それで琴や三味線の邦楽を聴くことは少なくなった。そういう訳で、琴の演奏会を聴くのは本当に久しぶりであった。

  後でわかったのだが、演奏会は3部に分かれていた。1部が昔からの伝承の曲で一曲が30分もかかる大曲であった。

1八重衣(石川勾当作曲) 筝1、三絃4、尺八3

 2萩の露(幾山検校作曲) 筝1、三絃1、尺八1

3若菜 (松浦検校作曲)  筝1、三絃2、尺八1

4四段砧(作曲者不詳)   三絃本手3、三絃替手3

5秋風の曲 (三崎検校作曲)尺八1、三絃本手1、三絃替手1

6吾妻獅子(峰崎勾当作曲)三絃替手1、三絃本2

7若菜(松浦検校作曲)  筝4、三絃3

 この後、現代の作曲家によるものに変わった。演奏家も若手が中心で、和服ではなく洋装であった。演奏の台に琴を置き、17弦も加わった。リズム感がよく、私には現代曲の方が馴染めた。

 8散華(宮城慎三作曲) 筝が1から4まであり、9名。17弦がそれぞれ2.

9ブルー・レジェンド「碧の伝説」(木川寿也作曲)1筝、2筝、17弦、尺八それぞれ1

10北斗幻想(水野和彦作曲) 1筝A,1筝Bが2、2筝Aが2、Bが1、17弦1、三絃3尺八1

11春の海幻想(牧野由多可作曲) 独奏 筝、 1筝、2筝、3筝、17弦、尺八1で筝と尺八の掛け合いが興味深かった。

  12時半開演でここまで聴いて16時10分ごろになったので会場を出た。本当は次の曲や第3部のプレゼントタイムの特別演奏を聴きたかったのだが。特別演奏は二十五筝の独奏で、「津軽」、筝独奏で「みだれ」、筝と尺八で「壱越」。

  終演は18時近くになり、5時間余りの演奏会である。普通コンサートといえばせいぜい2時間~2時間半なので大変である。司会者は「どうか最後まで残っていてください」と言っていた。でも、用があったので帰った。

  新春三曲演奏会は、大変素晴らしいもので十分に楽しませてもらったが、入場は無料であった。立派なプログラムなどみな持ち出しでやられたのだ。せっかく無料なのだから、もっと多くの人が聴きに行くとよいのにと思った。

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2012年1月18日 (水)

当然すぎる最高裁判決「君が代不起立教員への処分」

 卒業式などの式典で、日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教員らに対する東京都の懲戒処分は行きすぎかどうか。処分のあり方が争われた3件の訴訟で最高裁第一小法廷は、16日、「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」との判断基準を示す判決をした。

 石原都政の下で、式典に起立しなかった教員に厳しい処分がされたので、それを不服とする教員が訴訟をしていたものだ。

  第一小法廷は、戒告については、「教職員に職務・給与上の直接の不利益は生じない」とした。一方、減給や停職は給与や将来の昇級に不利があることから行きすぎだとした。

  5人の裁判官のうち、1人は「不起立は信念によるもので、通常の非行・違法行為とは次元が違う。式典を妨害しておらず、戒告でも重すぎる」と反対した。私はこの意見に賛成である。思想・信条の自由を認めている憲法に照らしても戒告でも厳しすぎる。その教員は自分が起立をしないだけで、生徒にも強制したわけではない。

  戦後長い間、君が代を歌わない教師や国旗に起立をしない教師がいたが、問題はなかったのだ。それを石原都知事によって職務命令として強制的に従わせられたのである。そして、今また、大阪市長の橋下前大阪府知事によって府教育・職員基本条例なるものが府議会に提案され、さらに厳しい罰則をもって強制しようとされている。

  多数意見の桜井龍子裁判官は、「不起立1回で戒告、2回で減給1か月、3回で同6か月、4回で停職とする都の機械的な処分自体が問題」と述べたという。

  大阪府の基本条例も機械的な適用で、しかも教員を%による5段階に分けて評価をして、必ず最下位の評価がでるようにし、3年続くと免職という厳しさだ。

  圧政的に職員を従わせようというのは独裁者やワンマンや暴君のすることである。北朝鮮と何ら変わりはない。戦時中の軍の暴走を想起させる恐ろしいことだ。

  最高裁判所が、不満ではあるが、一定の歯止めをかけたのは当然のことでる。

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2012年1月17日 (火)

岡田副総理は議員歳費と政党交付金削減に意欲というが

 16日の朝日新聞朝刊によると、岡田副総理は、NHK番組で国議員歳費に意欲を示したという。

  「公務員が給与8%削減という時に、国会議員はそれ以上の歳費の削減を行っていくべきだ。」と述べたそうだ。

  野田政権は、昨年秋の臨時国会に国家公務員給与を平均7.8%減らす法案を提出した。公務員の給与だけを減らして、自分たち国会議員の歳費はそのままでは、それは許せない。まず率先して減らすのが筋道というものだ。

  それでなくても国会議員はさまざまな名目で金を得ているし、飛行機や新幹線に乗る際の特権のような各種特権を持っているのだ。

  政党交付金については即刻廃止すべきである。昨年度は、受け取りを拒否している共産党を除いて、9党に319億円が配られたという。昨年末に離党して作られた新党にも配られるのだ。政党交付金目当ての年末離党だと言われている。

  共産党は最初から一貫して政党交付金を拒否しているから立派である。これまでにいったいどのくらい国庫を助けたのか知らないが、他党は見習うべきである。

  財源難をいう前に、まず政党交付金は廃止にするべきである。交付金などもらうことを当てにせず、自前で賄うのは当然のことだ。

  消費税の増税をいう前に、まず、政党交付金廃止と議員歳費削減をすべきである。また、議員の定数削減も、民主党の公約にあったことだし、やらなければならないが、民主党のいう比例区での削減には反対である。

  公明党や共産党や社民党など少数政党が不利になる比例区での削減は絶対にすべきではない。民主主義の根幹に関わることである。それより選挙制度を抜本的に改革して、比例代表制にすべきである。

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2012年1月16日 (月)

桃李言わざれど下自ずから蹊をなす

 「桃李不言、下自成蹊」という言葉がある。史記に出てくる言葉で「桃李言わざれど下自ずから蹊をなす」と読み下す。高校の頃学校で習ったか、本で読んだのか定かではないが有名な言葉だ。

念のため、解説を載せておく。

  徳ある者の下には何ら特別なことをせずとも自然と人々が集まって服するということ。 
桃や李(スモモ)は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まり、その下に自然と道ができることを例えた言葉。 

  

 北朝鮮では、トップの金正日氏が急死して、3男の金正恩氏が後継者になったが、今必死になって偶像化を進めている。彼の一挙手一投足がすべて大変立派な有難いこととして宣伝されている。

  戦前の日本では、天皇が”現人神”として、神格化され、私たちは畏れ多いものとして天皇という言葉を発するときは直立不動をさせられた。教育勅語が式典のたびに恭しく朗読され(謹読?奉読?)、勅語は立派な奉安殿に収められていた。戦後になってそれが如何にバカげたことであったかを国民は知った。

  この二つの例から分かるように、こうした神がかりな権威は上からの強烈な強制によって有無を言わせず作られたものだ。

  「桃李不言、下自成蹊」は、その対極にある。本当の権威、尊敬は桃李の如しなのである。

  これは会社、官庁などの組織だけでなく、さまざまな団体やグループについてもいえることである。どんな組織、団体やグループにもそれなりの”天皇”と陰口を聞かれる存在が生じることがよくある。

  現代の言葉でいえば、”ワンマン”とういうものだ。ワンマンで有名だったのは戦後の首相の吉田茂である。ワンマンという言葉はアメリカの日本占領とともに輸入されたものだ。

  ワンマン電車というのは、別に運転手が権力を振るうわけではないので本来の意味の1人だが、世間でワンマンが使われるときは、その会社とか団体とかグループで権力を独り占めにしている者を指す。

  ”テンノウ”とか”ワンマン”とか”独裁者”と呼ばれる人物に支配されているところでは、支配下にある人間は我慢を強いられ思考停止を余儀なくされ、非常に不幸である。

  ベトナム解放の父ホーチミンは、”ホー小父さん”と慕われたが、「平和と自由ほど尊いものはない」と言った。

  これは民族だけでなく、どんな組織にも当てはまることである。組織の構成員が自由で1人ひとりが尊重されなければならない。

  一見自由に見えて巧みに操作されている場合もあるから要注意である。情報コントロールはその一つである。

  人の上に立つ者には、桃李のような人格が求められる。

 

 

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2012年1月15日 (日)

民主党政権最後のあがきか?

 野田改造内閣は、岡田氏を副総理に迎えて、消費税増税へ向かって動き出した。問責決議を受けた閣僚は更迭され、その他閣僚が交代した。小沢氏のグループからは田中直紀氏が起用された。やはり小沢氏にも気を使ったようだ。

  岡田氏を副総理にして、社会保障・税一体改革担当相に充てて「不退転の決意」で月末3月末までに消費税増税法案を国会に提出するつもりのようだ。

  民主党は昨年暮れに11名の離党者があったし、小沢氏の4億円問題も潔白を主張するが庶民の感覚では全く理解ができない。

  民主党内はがたがたしていて、鳩山、菅、野田と政権交代後3人の首相が変わったのにだんだん悪くなるばかりである。

  自民党は今年は早期に衆議院を解散に追い込もうとしている。消費税増税をやりたいなら、その前に信を国民に問えと主張している。

  結局、内閣改造はしたものの先の見通しはなく、民主党が政権についておられるのも解散までだと思われる。前回の衆議院議員選挙で民主党に期待したものはすべてゼロになってしまった。次の選挙では政権から脱落が目に見えているから、民主党員にとっては、今回が大臣になる最後の機会と言えそうだ。

 それはそうとして、国会が召集されれば、与野党はまた空虚な争いを繰り返すに違いない。山積する難問題を前向きに審議し、一つ一つ解決しようという国民のための政治は期待できそうもない。

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2012年1月14日 (土)

驚き!まだ続くの?中流意識―NHK世論調査に思う―

 1月11日の朝、NHK「おはよう日本」を見ていたら、生活程度の意識についての調査結果を発表していた。この調査は、「RDD法」という、コンピューターで無作為に抽出した電話番号に電話をするやり方だ。65%の回答率で1068名が答えたという。

  その結果によると、

・上→1%  ・中の上→8%  ・中の中→45%  ・中の下→30%  ・下→11%

  合計すると95%なので残りの5%はどうなっているのか疑問だが、仕方がない。

  この世論調査の結果を見たとき、中の合計が83%もあるので驚いたのだが、もう一つ分からないのは、中とか中の中とかいうのを何をもとにしていうのかということである。意識調査だから、人によって感じ方が違うので規定できないと言えばそれまでではあるが。

  皮肉な符合というべきかどうか、「上」g1%というのは、アメリカで言われているのと一致するので思わずニヤリとしてしまった。5年前より1ポイント減ったそうだ。日本でもおそらくアメリカと同じく、1%程度の大富豪が富を独り占めにしているのであろう。

  「下」が11%で5年前よりも3ポイント増えたのは、さもありなんと思う。実際はもっと多いのではと思うぐらいだ。ちなみに中の上は-4、中の中-1、中の下+3だそうだ。

  国民の生活程度の調査が始まったのは1958年で、戦後13年目である。

  ・上→0.2% ・中の上→3.4%  ・中の中→37%  ・中の下→32%  ・下→7%

というのが、第1回調査の結果であった。

 その頃は、三種の家電神器と言われた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫がもてはやされた。1956年には経済白書で「もはや戦後ではない」そ宣言された。神武景気と言われたが、自動車はまだまだであった。

  それが1970年に入ると、中流意識が90%になり、その後バブルの崩壊まで続くのだ。そして崩壊後は日本経済長い低迷にに入り、今では失われた20年と言われる。

  けれども高度成長期を通じて自動車が普及し、住宅も戸建てやマンションなどよくなった。テレビはカラーテレビになり、パソコンや携帯電話も当たり前になった。

  輸入によって食料も豊富になり食品のバラエティにも富んでいる。衣服も中国やベトナムなどで縫製されて大変安く手に入る。

  リーマンショック後、世界経済は変調し、さらにEUの金融危機で先行きが不安である。小泉・竹中改革で雇用が不安定になり、正社員が減り、臨時雇用が増加した。そこへ昨年は東日本大震災と大津波が襲った。

  先行き不透明な中で何となく不安を抱きながらの生活であるが、それでも生活程度の意識は冒頭のような結果だという。

  私はどこに入れるか思案してみたが、中の下かなと思う。先にも書いたように、そもそも中とは何かという基準がないからあくまでも自分の気分である。

  オーストラリアやカナダ、はたまた中国の上海などの住宅を見ると、広壮でゆったりとしている。そこへ行くと日本は相変わらずラビットハッチと揶揄された域からそれほど抜け出てはいない。

  さてさて、この調査結果をどうみる?

 

 

 

 

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2012年1月13日 (金)

「開拓者たち」を見て、「匪賊」という言葉に思うこと

 NHKのBSで放送している「開拓者たち」の第一回目を録画で見た。満州(今の東北地方)の千振に入植した宮城県からの開拓団のⅠ青年に嫁いだ女性の物語である。満島ひかりが好演している。

  生き残った人々の証言や当時の戦争の映像も交えたドキュメンタリ風のドラマで期待して見ている。

  その中に「匪賊」という言葉が出てきた。久しぶりに聞く言葉であった。満州の土地を安く買い上げて日本の開拓地にしたのだが、土地を奪われた中国の農民は怒りに燃えて開拓地を襲う。その連中のことを日本は「匪賊」と呼んだのである。そのことは、ドラマにも出てくる。

  ドラマでは、関東軍を先頭に匪賊を徹底的に討伐しようとして、罪のない村人まで拷問をかけたり殺したりした様子が描かれている。

  「罪のない」と書いたが、本当は「匪賊」にも罪はないのだ。私は、子どもの頃満州についての本を読み、その中で出てくる「匪賊」は実に悪い奴らだと信じ込んでいた。しかし、戦後変わった歴史の見方により、それが間違いであったことを知った。

  同じNHKで放送された「坂の上の雲」では、中国東北地方に勝手に入り込み、ロシアと戦争をした様子が描かれたが、何とひどいことをしたものだと思いながら見た。観点を変えて、中国人から見ると日本こそ「匪賊」なのだ。

  南京虐殺がいつも問題にされているが、中国に乗り込み、戦争をしたり、略奪をしたり、農地などを荒らしたりと、いかに世界中が植民地主義の時代であったとはいえ、言い訳が立たないことをしたのだ。日本はその歴史を真剣に反省しなければならない。

 

 

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2012年1月12日 (木)

オルガンの「楽しいニューイヤーコンサート」

 先日、blogで紹介した、オルガニスト吉田文さんのブランチコンサートが、11日に愛知芸術センターコンサートホールで開催されました。

  私は、10時に芸術文化劇場ホールに入りましたが、すでに80名ほど並んでいました。ニューイヤーコンサートなのでいつもより客足が早いようでした。10時15分過ぎに開場され、すぐに2階へ行きましたが、正面の3列ほどは埋まっていました。でも、3列目の中央に空席があるのを見つけてそこに決めました。

  今回は舞台中央に演奏台が置いてあり、最後まで舞台で演奏されました。オルガンのところで演奏するのと舞台で演奏するのとどう違うのかと思いながら聴きました。

  今回のプログラムは、題名が「楽しいニューイヤーコンサート」となっているように、新年らしく楽しいリラックスして聴ける企画のように思いました。

  いつものことですが、吉田さんが曲の説明などをしてくださいますので、アットホームな感じでとても良いと思います。今日は、マイクに声が乗って吉田さんのきれいな声が明瞭に聴けたのもよかったと思います。

  10時45分の開演の前に、プレ演奏があり、リクエスト曲で、お琴の有名な「春の海」が、演奏されました。

  プログラムの最初は、これもリクエストで、ムソルグスキーの「展覧会の絵」からプロムナードが演奏されました。これからの演奏にいざなうのによいアイディアでした。

  2番目は、エドワード・エルガーの「威風堂々 第一番」でした。これは私の携帯の着信音に使っていたものです。オルガンで聴くのもよいものでした。

  3番目は、リクエスト曲で「アメイジンググレイス」でした。この曲は小学校5年生の児童の希望だということでした。昨年初めて芸術大劇場の舞台に立ちキャンドルを持って合唱したことを思い出しました。

  4番目は、ヨハン・シュトラウスの2世のワルツのメドレーでした。文さんのお母さんの徳子さんと二人で演奏されましたが、何と足だけを使っての演奏で、これこそアメイジングでした。パイプオルガンの足の鍵盤の音だけを初めて聴きよかったです。

  5番目もリクエストに応えた曲で、モーリス・ラベルの有名なボレロで、ある外国の有名なバレリーナが東日本大震災支援でボレロを踊ったエピソードを紹介してから演奏されました。トーマス・マイヤー・フィービッヒさんとの連弾でした。

  最後は、ニューイヤーコンサートの締めくりにふさわしく、「ラデツキー行進曲」でした。会場の聴衆が手拍子で参加しました。

  どれもよく知られた親しみやすい曲ばかりで、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

◎次回以後のブランチ・コンサートの予定

・6月6日(水)   大聖堂の響き         (1000円)

・9月19日(水)  リクエストシリーズPART   (1000円)1

・11月21日(水) パイプオルガンと2本のトランペットの華麗なる世界(1500円)

  いずれも、正味1時間にグレードアップして、10時半から11時半までです。

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2012年1月11日 (水)

生姜ブーム

 12月のどこかで見た朝のNHKニュースの時間で、生姜ブームについて取り上げていた。生姜ブームは昨年の夏頃から始まったようだ。いろいろな食品にも生姜を取り入れたものがあるという。

  先日松山空港で、帰りの便を待つ間に土産物店を覗いたが、ジャコ天を売る店で生姜天というのを勧められた。試食してみると、生姜の香りがしておいしかったので自宅用に買い求めた。値段は5枚で750円ぐらいだったと思う。決して安いものではない。

  妻は、「生姜の香りがいい。家で生姜を使ってもこんなに長続きはしない。どんな生姜をつかっているのかしら。」と言った。

  同じ松山空港の2階で物産展をしていたが、そこでは伊予柑酢というのを宣伝していた。化粧品の瓶のような洒落た瓶に入っていた。一瓶1000円だった。試飲をしてみると、アマ酸っぱくて生姜と蜜柑の香りがした。薄めて飲むのだ。買おうかどうかずいぶん迷ったが買わなかった。

  他にも、生姜入りの饅頭を売っている土産物店もあった。伊勢には昔から有名な生姜糖というのがあるがブームに乗っているであろうか。

  名古屋に帰って、新瑞橋のイオンに行くと、新しく開店した沖縄物産を売る店で、生姜シークワーサというのを宣伝販売していた。やはり薄めて飲むのだが、こちらは少し大きい瓶に入って1000円であった。生姜の粉も売っていたが安くはなかった。

  それらは買わずに、イオンの薬局へ行って生姜紅茶を探した。生姜湯とかもあったが、結局金時しょうが湯というのを試しに買ってみた。

  実は、私は生姜ブームの始まるころ、自分の判断で生姜を買って生姜紅茶を作って飲み始めた。体温をあげたかったのである。このことについては以前にblogで書いている。

  生の生姜は値段が高いし、摺るのが面倒である。それにいつかのためしてガッテンで粉の生姜の方が効き目があると言っていたので、生姜湯とか生姜紅茶とかいう既製品を買っては試に飲んでいる。

  1パックの量は4g入りから10g入りまでいろいろあり、紅茶ミックスや片栗粉入りや葛入りなどさまざまである。値段もそれぞれで、1パック25円ぐらいから60円ぐらいまである。驚いたのは、100円ショップで売っていたことだ。それも試に買ってみた。

  紅茶が入っていなくても、紅茶を作って生姜湯などと混ぜれば生姜紅茶は簡単にできる。今楽しんでいるのは、Sさんに頂いたハーブ入り紅茶である。これは高いだけあってとても香りがよくおいしい。

  Sさんからは、手作りの生姜ジャムも頂いたが、黄金生姜を使ってありとてもおいしい。Sさんは、昔からの生姜ファンでいろいろな楽しみ方をしておられるようだ。

  ところで、肝心の効き目の方だが、1日に1回朝に飲むだけのせいか効き目は自覚できていない。石原医師は、朝夕の2回を勧めている。

 

 

 

 

 

 

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2012年1月10日 (火)

世界で初めての工法で建てた「豚太郎」(ラーメンと餃子)新居浜店

 知人の美藤開発株式会社の美藤社長は、一級建築士で、これまで松山周辺の多くの建物を設計してきた。彼は、5年余り前から家を建てる新しい工法を研究し開発してきた。その工法は特許を申請中で、近いうちに特許が下りるものと期待される。

  昨年その工法による建物を造った。それが新居浜にある「味自慢ラーメンと餃子の豚太郎」という中華レストランである。

  松山空港に着くと、新居浜にあるその店まで自動車で連れて行ってもらった。新居浜まで一般道路で行くと約2時間かかる。その間社長は新しい工法を使って災害に強い建物を造ることや避難シェルター構想について熱っぽくしゃべった。

  それについては、別途書くとして、今回は豚太郎店について書くことにする。

  豚太郎新居浜店は、広い道路沿いに建っていた。幅が130m奥行きが7mの土地で裏に川が流れていた。その土地の中央にレストランの建物があり、両脇は駐車場になっていた。写真にあるように、外面は板張りでこげ茶色が塗装してある。

  内部は、写真のようにガラッと変わって明るいピンクがかった色である。6人掛けの大きなテーブルも一枚板でできている。シートは普通の中華レストランとは違って特注のものである。

 この店の売りはトイレにもある。豚太郎の会長の考えで、世界で一番のトイレをということで、一流ホテルのトイレより素晴らしいものだ。

  建物を造るに当たっては、美藤社長がすべてを設計し監督をしたのだ。社長は日本の伝統的な数寄屋造りから、調度品などなどに至るまで造詣が深いので、こまごまとしたもののデザインなども全てやれたのである。

  このレストランを建てるにあたって、社長自身が考案した特許申請中の世界で初めての工法を用いた。ギネスに申請すれば、きっと採用されるに違いないと思う。

  それは端的にいうならば、従来の型枠を使うやり方ではなく、化粧板をそのまま型枠として使い、そこにセメントを流し込むのである。さらに化粧板には間伐材を使うので非常にエコロジーである。

  間伐材には節があるが、それがあることで板が強くなるし、デザインとしても面白い。型枠を取り払らって改めて内装材をはる必要もないのだ。外見は木造で内部はコンクリートの強固な建物ができるのだ。

  ところで豚太郎のラーメンと餃子であるが、味自慢というだけあってとてもおいしい。私は、店長お勧めの味噌ラーメンにしたが、名古屋の茶色と違って黄土色をしていた。写真のようなラーメンが500円であった。名古屋よりずっと安い。餃子もやや小ぶりでカラッとしていてよかった。

  女性が喜びそうな明るい店内の雰囲気なので、お客も次々に来ていた。味と値段と雰囲気の三者が大切なのだと思った。

  見ただけでは誰も気づかないと思うが、世界初の工法というエピソードを是非知ってほしいと思う。

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2012年1月 9日 (月)

市電で行く、久しぶりの道後温泉・坊ちゃん湯

 用で行ったので松山市内の観光はしなかったが、道後温泉へ出かけた。

 松山市内には、今も市内電車が走っている。ホテルで乗り場と乗る電車を聞いて出かけた。ホテルは、JR松山駅の近くにあったので、松山駅前から道後温泉行きに乗るのだ。

 道後温泉は6時に開場する。以前に行ったときは、道後温泉本館の前で待ったことを思い出し、ホテルを6時に出た。

 最初、方角を間違えて歩きだしたので、反対の方向に行ってしまった。JR駅に着くころだと思ったところには、それらしいものはなかった。そこで気づいて戻って歩いた。

 果たしてJR松山駅があった。すでに市電が停留所に止まっていたので、早朝で自動車が少ないのをよいことに地下道を使わずに横断した。

 市電に間に合って乗ると、料金箱が入口にあったが、料金の表示がないので運転手に尋ねたら、150円で後払いだといった。

 車内には高齢者が10数人乗っていた。みな道後温泉に行くのかなと思った。電車はまだ新車だった。

 電車が動き出しても、外は暗いので街の様子はわからなかった。路線図を眺めてアナウンスを聞いていた。一日乗車券があって、400円で電車の中でも買えることが分かった。しかも、バスにも乗れるのだ。でも、往復以外に乗ることはないので買わなかったが、安いと思った。

 市内電車は、伊予電鉄の松山市駅から出るのやお城の周りを回るのがあるみたいであった。

 道後温泉は終点で、20分ぐらいで着いた。道後温泉に行く人ばかりだと思っていたのに、たった3人であった。

 駅を出て、ハタと迷った。以前に来たときのことをすっかり忘れていたのだ。どちらに行くとよいのか分からないので、一緒に降りたご婦人に聞いた。

 商店街を通って行くのだと言う。話しながら一緒に歩いて行った。その女性は、「私は新しい道後温泉に行くのです。老人割引で180円で入れるし、きれいだから。」と言った。

 右に曲がると道後温泉本館のある曲がり角に来ると、左に大きな建物があった。「椿温泉」と書いてあった。女性はそちらに行った。

 商店街を通り抜けると、突き当りが坊ちゃん湯こと道後温泉本館であった。昔のままの堂々とした建物であった。入口の券売り場で買ったのだが、1階の神の湯は400円で、2階の座敷のある浴場は850円であった。こちらは、浴衣を貸してくれて座敷で煎餅とお茶を出してくれるようであった。1250円出すと、タオルもついている。坊ちゃんは、2階の座敷つきに行ったのだが、私は今回も1階にした。

  ホテルのタオルを持っていったのでよかったが、貸タオルが30円、小さな石鹸も30円であった。石鹸はなかったがなくてもいいと思った。

 廊下を歩いていくと、前を若い男が肩をゆらして歩いていた。作業員かなと思ったが、後で浴場に入っていくのを見て驚いた。体中刺青がしてあったのだ。

 脱衣場は広くて衣類を入れる箱もたくさんあった。浴場に入るとき、入口に「東浴場」と書いてあったので「?」と思った。

 中に入ると石造りの浴槽があり中央に動物の像があった。周りは体を洗うところだ。坊ちゃんのころはおそらく鏡などなかったと思うのだが、鏡、蛇口、シャワーが完備していて、なぜか桶は木桶であった。

 浴槽に入ると、刺青をした男は先客と談笑していた。その人たちが上がったのでわかったのだが3人とも腕などに刺青をしていた。また、別の方に年配の男性がいてスキンヘッドを自分で剃っていた。気が付くとその男も全身に見事な刺青をしていた。

 じろじろと見るわけにはいかないので、ちらちらと見たのだが、湯気の中で描かれているものは、はっきりとはわからなかった。でも、2人は、すごい刺青であった。生涯であんな刺青を見たのは初めてであった。工芸品とも言えるかもしれないが、痛かっただろうなと思った。

 

 湯から一旦出ると、洗い場に誰かが置いて行った石鹸があるのを見つけた。これ幸いとその石鹸で体を洗ったら、風呂に入ったという気分になった。

 脱衣場でお茶を飲んでいて、もう一つ浴場があることに気が付いた。「西浴場」と書いてあったので納得した。出てきた男性に尋ねたら、中はどちらも同じだと言った。覗いたら1人入っているだけあった。どうも東の方が人気があるらしかった。

 道後温泉を出ると、かなり明るくなっていた。坊ちゃん汽車を据えてある道後温泉駅にもどり、市電に乗った。今度は古い市電であった。客は多くて通勤、通学の人のようであった。帰りは街の様子もよく見られた。市電にはいろいろな車両があることや道後温泉行が多いことも分かった。

 松山観光は、400円の1日券を買って市電とバスで回るのがお勧めである。道後温泉だけでなく、松山城や博物館や繁華街にも行けるのだから。

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2012年1月 8日 (日)

安くいけるANAシニア空割り

 松山の知人から電話があり、手伝いに来てほしいということであった。そこで、安く行くにはどうすればどうすればよいかインターネットで調べた。

 中部空港からANAで行くと、通常料金で24000円ほどかかる。新幹線では、16000円ほどだが5時間ほどかかる。3ヶ月以前に申し込むと安く行くことができるがそれでは間に合わない。

 思案していて、ふっとYさんに教えてもらったことを思い出した。それは、ANAでは空港に行って空席があれば65歳以上の人は1万円で国内ならどこへでも行けるというものであった。

 早速ANAに電話をして聞いてみると、「シニア空割り」というのがあって、空席があれば12300円で行けるということであった。調べてもらうと空席は59席あった。 

 当日の朝、名鉄で中部空港迄行くために金山駅で7時4分の快速に乗ったら満員であったので驚いた。大江駅を過ぎてちょっと人が減ったが、この2年間空港を利用していない間に空港に行く人が大変多くなったことを知った。

  空港に着くと、ANAのカウンターに行った。空席は50あまりあったので簡単に搭乗券を買うことができた。マイレージクラブの会員証と最初なので運転免許証を提示して買った。

  飛行機は双発のプロペラ機であった。プロペラ機に乗るのは人生で初めてであった。機内は73のシートがあるということであったが客は20人もいなかった。

  座席はプロペラの隣であったのでプロペラの回転がよく見えたが音がすこしうるさかった。

  瀬戸内海上空に入ってからは眼下の島々を見ていた。松山空港には定刻より5分遅れであったが初めてのプロペラ機やシニア空割りでよい経験をした。

  帰りは松山空港のANAのカウンターに行って並んでいると、イケメンの職員が御用を伺いますと声をかけてきた。それでシニア空割で帰りたいのだがと話すと、こちらに来てくださいと言って自動券売機のところに行って操作しながら券を買ってくれた。それで自動券売機でも簡単に買えるのだとわかった。

  事前にホテルで、どのぐらいの空席があるかをチェックしてもらっていたが買うことができてよかった。この便はかなり混んでいて子ども連れが多く乗っていた。

  ANAの「シニア空割」は、お勧めである。

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2012年1月 7日 (土)

NHK恒例・初笑い東西寄席

 1月3日は、毎年午後12時のNHKニュースの後「初笑い東西寄席」がある。私は寄席が好きなので、毎年見ることにしている。

 東京は浅草演芸場、新宿末広亭、大阪は千日前グランド花月と通天閣演芸場の4元中継である。

 メインの進行は、末広亭の爆笑問題で、グランド花月は桂仁鶴がいつも担当している。

 今年は浅草演芸場から始まり、末広亭で終わった。出演者は、私の知らないお笑い芸人が多かった。レギュラーで出演しているのは、ケーシー高峰、のいるこいるなど数人であった。

 トリの落語で「夕立ち」を語った柳家小分枝が枕で語った小話が面白かったので採録する。

 お日様とお月様と雷様が旅に出て宿屋に泊った。次の朝、雷様が目を覚ますと、お日様とお月様の姿が見えない。それで宿の主人に尋ねると、「朝早く出立されました。」と言った。それを聞いて、雷様は、「月日のたつのは早い。」とつぶやく。

 宿の主人が、「雷様はいつたたれますか?」と聞くと、雷様は「夕立ち」と答えた。

 もう一つ、浅草演芸場の出演者がその場で浅草にちなんで作った小話の中で、桃源庵白酒(はくしゅ)が作ったのがよかった。

 「浅草寺にお参りに行きたいが、雷門を通るのは嫌だ。」「どうして?」「におうもん}(仁王の像が立っているので匂うと掛けた洒落だ)

 これを聞いて、「仁王門通りに行くのは嫌だ。」「どうして?」「におうもん}とすれば、名古屋でも使えると思った。

 オール巨人・阪神の漫才で、巨人が、飲酒運転はいけないという中で、「昨年の暮れに酒を飲んで酔っ払って車に乗った。」阪神が、「今、飲酒運転はいかんと言ったばかりなのにどういうこっちゃ。」と言うと、「タクシーに乗った。」と答えて笑わせた。

 落語にはこの手の言葉を使って笑わせるものが多いが、漫才でもやはり言葉で笑わせるのがよい。そういう漫才では、亡くなった喜味いと・こいしは優れていた。オール巨人・阪神もその部類に入れてよいだろう。

 

 ただ、落語にしろ小話にしろ、文字で書くと笑えない。語りによって面白くもなりつまらなくもなるのだ。

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2012年1月 6日 (金)

NHK「天上の王朝美・修学院離宮」を偶然見て

 3日の朝、NHKテレビで偶然に「天上の王朝美・修学院離宮」という番組を見た。

  修学院離宮には、大学2年のときに茶道部の友人たちと見に行った。友人の1人に歴史科の者がいて参観の手続きをしてくれたのだ。

  修学院離宮や桂離宮は御所と同じで宮内省が管轄しており、何か月か前に申請をして許可を取らなければならないのだ。そういう関係で私はまだ桂離宮には残念ながら行ったことがない。

 ところで、修学院離宮のことだが、私は京都で一番良い庭園だと思う。規模が大きくて借景が素晴らしい。

  番組を見て、後水尾上皇が造ったものだと知った。なにしろ修学院離宮を見学したのはウン十年前のことだから詳細は忘れてしまったのだ。

  後水尾上皇が10年かけて土地を探し造ったのだという。私は天皇が自ら離宮や庭園を計画して造るとは思っていなかった。

  解説によると、当時の秀吉や家康などの高層で威圧的な城に対する批判精神があるのだとか。建物は非常に簡素である。

  後水尾天皇は家康の政略結婚で家康の娘、和子姫を皇后に迎えた。でも、この皇后はなかなかよくできた人物でもあったようで、天皇ともうまくいったようだ。

  皇后はおしゃれに気を遣い、年間200着もの着物を作らせたという。そのデザインはユニークで今日の街の女性に影響を与えたようだ。

  東福門院となって造られた修学院離宮内に建物を造ったが、金箔の襖など税を凝らしたものだ。何しろ家康の娘なので、その後ろ盾で天皇家は裕福になったのだ。

 修学院離宮は当初は境がなかったそうで、農民が働く田畑も遠くの山並も景色の中に取り入れている。また庶民が物売りや物見遊山に来ることもあったようだ。

  庶民の楽器三味線が形をなしたのがこの頃で、それも取り入れている。庶民の生活や文化との融合があったという。

  生け花の池坊に立花帖が残っていて、後水尾上皇の活けた花の絵も残されている。大胆な構成で見事である。立花帖を見てなるほどと思ったのは、写真がない時代、後世に残すために絵師が写生をしたことだ。そのおかげで今に残っているのだ。

  後水尾上皇は書もよくした。離宮の額に見事な筆跡を見ることができる。

  この番組を見て、もう一度修学院離宮に行きたくなった。

寿月観の御輿寄、客殿のかすみ棚、浴龍池、丘の上の隣雲亭、離宮を繋ぐ松並木の道

アドレス http://sankan.kunaicho.go.jp

上記のアドレスにアクセスして必要事項を入力してお申込みください。結果は申込日の翌日以降にメールでお知らせします。

【受付期間】
 参観希望日の3ヶ月前の月の1日午前5時から希望日の4日前午後11時59分まで

・参観希望日は申込状況や行事等によりご希望に添えない場合があります。

 

 
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2012年1月 5日 (木)

正月2日、思わぬ伏兵に難儀―YahooアドレスメールをWINDOWSメールで送る

 2日の朝、息子が、「夕べからemailが送れない。」と言うので見に行った。インターネットは見ることができるので、メール関係だと分かった。

 息子はYahooのメール・アドレスを使っている。まず、メールソフトの「ツール」→「アカウント」→「メール(既定」)」→「プロパティ」と、手順を踏んで調べたが、どこにもおかしなところを発見できなかった。

 しかし、メールを送ろうとすると、エラー・メッセージが出て送れない。何度やっても同じであった。息子に聞くと、受信はできると言った。確かにメールを受信している。そのうちにメッセージをよく読むと、SMTPの送信に問題があることが分かった。

 それで送信関係を何度も設定を変えて調べては送信を試みたが駄目であった。やむなく、9時のサポート開始の時間を待った。9時になり、すぐに電話をした。でも、サポートはつれなくて、「Yahooの問題だからYahooに聞いてください。」の一点張りであった。

 Yahooに聞けと言われても、Yahooには電話サポートがないのでどうしようもないと思った。

 しばらくして、「教えてGoo」にあるかもしれないと思って調べたが、該当のトラブルは何もなかった。そこで、Yahooを調べることにした。

 私もYahooのアドレスを持っているのだが、ログインしようとしたら、何年も使ってないのでIDが停止になっていた。4か月未利用で停止になると書いてあった。

 何とか復活させてメール関係を調べた。いろいろやっているうちに「WINDOWS OUTLOOK EXPRESでYahooメールを使う方法」というのを見つけた。これだ!と思い、その説明の通りにやったが、指定されていないアドレスが混じっているというメッセージが出て送れなかった。

 アカウントのプロパティをいろいろといじくりまわしたが結局駄目であった。婿が帰ってきたので、そのことを話したら、「SMTPはCommufaのを使うのかもしれない。」と言った。そこでまたやってみたが駄目であった。

 婿は、「Smtpのポート番号が関係しているかもしれない。」と言った。それでもう一つのVASTAで調べたが、同じになっていた。

 すったもんだやった挙句、もう一度YahooメールのHPを調べることにした。すると、Outlook Express以外に、「Windows メールを使う方法」というのがあることを見つけた。

 その指示に従って設定をしていったら、SMTPのポート番号を「587」にするように書いてあった。それで今度はいけると思ったが祈るような気持であった。

 試しに息子のアドレス宛にして送ってみたが、またメッセージが出て、「アドレス帳にないアドレスが入っているから送れない」と書いてあった。そういえばメールの宛先欄に入れたアドレスが赤になっているのが不思議であった。調べてみたら、息子のアドレスは名前だけで、メールアドレスがなかったのだ。

 すぐにメール・アドレスを登録して送りなおしたら、今度はすんなりと送ることができた。やれやれであったが、そこまでに数時間を費やしたので疲れてしまった。

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2012年1月 4日 (水)

「ウオール街を占拠せよ」の仕掛け人、カレ・ラースンさん

 一月一日の朝日新聞「カオスの深淵」で、「ウオール街を占拠せよ」と呼びかけたのはカナダ人のカレ・ラースン(69歳)さんであることを知った。

  彼は、カナダで雑誌「アドバスターズ」を89年に創刊した。その雑誌と自社サイトで「ウオール街を占拠せよ。9月17日決行。テント持参のこと。」と呼びかけただけだという。

  その呼びかけが、多くの人々がモヤモヤと感じていた不公平感に火をつけて燃え広がったという。

  この運動は長く続き、占拠したウオール街のズコッティ公園が官憲により閉鎖されても続いた。そして世界中に1000か所に広がったのだ。

  彼自身は、ウオール街には行ったことはないそうだ。「私は、単なる老いた雑誌編集長です。アドバスターズで働く若い同僚と知恵をしぼり、ウオール街占拠というアイディアを世に出しただけです。初日から私の手を離れてひとりで育っていきました。」と語っている。

  カレ・ラースンさんは、ウオール街を選んだ理由を次のように話している。

 「多くの人を苦しめている経済格差の象徴だからです。2008年のリーマン・ショックで米政府がゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどウオール街の金融大手に税金をつぎ込みました。税金のおかげで経営危機から救われたのに、業績が回復すると、懲りることなく自社幹部に何千万ドルもの報酬を支払った。

  一方で、失業者は少しも減らず、大学を出た若者は就職先がない。住宅ローンが滞った庶民の自宅は、税金で助けてあげた銀行に取り上げられてしまう。この歪みはなにか、元凶はだれかと考えました。」

  「I AM THE 99%、 Occupy Wall Street」というバッジをつけてウオール街の一角を占拠をしたのだ。アメリカは、僅か1%の超富裕層と99%の貧困層と言われる。その中には4600万人もの超貧困者がいる。 

 ウオール街では、今も息を浮き返したヘッジファンドなどの飽くことなき貪欲な金亡者が蠢いているのだ。 99%が腹を立てるのも無理はない。

  この集会に参加したノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授は、「もうけが出たら大企業経営陣の懐にしまいこみ、損が生じたら一般庶民に押し付ける。こんなやり方は資本主義とは言えない。」と述べて喝采を博したという。

  日本に長く滞在したことがあるカレ・ラースンさんは、日本に期待をすると話している。「米国主導の経済モデルに取ってかわるものを打ち出せるとしたら、おそらく日本しかない。

  成長一辺倒モデルの限界を世界で最も早く感じた国だからである。高度成長を経て、バブル崩壊と20年の停滞。日本の困難を欧州や米国は遅れて経験している。経済成長が止まった後、どう経済を持続させられるか、解を日本が見つけてほしい。」

  今も日本ではGDPの成長率ばかりを気にしているが、その時代は終わったと思うのだ。この混とんは私たちに新しい生き方を探せと言っているのだと思う。

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2012年1月 3日 (火)

吉田文さんのブランチコンサートの案内

 オルガニスト吉田文さんからブランチコンサートの案内が来ました。素敵なオルガンコンサートです。お出かけください。

明けましておめでとうございます
旧年中は、コンサートへのご来場、そしてたくさんの応援をいただきまして、本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
幸せとハーモニー♪に満ちあふれる良いお年となりますように、お祈り申し上げます。

次回のブランチコンサートは 1月11日(水)です。

@愛知県芸術劇場コンサートホール
10:45~11:30(プレコンサート 10:30~) 入場料1000円

楽しいニューイヤーコンサート

ムゾルグスキー 展覧会の絵より「プロメナード」
ラヴェル ボレロ (四手連弾)
シュトラウス ワルツメドレー(四足(!)連弾) 他

楽しく、元気がでるコンサートにしたいと思っています。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。
チケットのお問い合わせ 二宮音楽事務所 (052)505-0151

http://organaki.exblog.jp


名古屋オルガンの秋実行委員会
代表 吉田文


mail@aya-yoshida.de
www.aya-yoshida.dehttp://fuukintei.exblog.jp



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来年度ブランチコンサートの日程も決定しました。
合わせてどうぞ宜しくお願いいたします。

3回分まとめてご予約の方には特典がつきます!(名古屋オルガンの秋特製キットカット)
直接
mail@aya-yoshida.de までお申し込み下さい。
お名前・ご住所・人数(3回分=3000円x人数)・お電話番号もしくはメールアドレスをお知らせ下さいませ。

6月6日(水) 大聖堂の響き
9月19日(水) リクエストシリーズ part1 ~オペラ・ミュージカル・スクリーンミュージックの珠宝をパイプオルガンで~
11月21日(水) パイプオルガンと2本のトランペットの華麗なる世界

10:30~11:30(開場 10:00)(賞味一時間にグレードアップです!)
各回1000円です

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2012年1月 2日 (月)

日本の正月は気持ちが切り替わる良い時間だ

 私は、子どもの頃から正月が好きである。それは一年の始まりとして、前の年の気分を切り替えて新しい気持ちになれるからだ。

  これまでの人生の中でいろいろな正月があった。戦争中の暗い正月、戦後のひもじい正月、家庭を持ってからの子供の成長を喜ぶ正月・・・・・。

  子供の頃の正月は一年で一番のハレの日で、晴着を着せてもらい、僅かながらお年玉をもらった。国民学校では一月一日は正月の式があり、その後隊列を組んで速玉神社まで初詣にでかけた。

 学校から帰ると、近くの刈り後の田んぼで凧揚げをしたり、路地に集まって羽根つきをしたりと遊びに興じた。子供心に華やいだ楽しい気分になった。

 B29が夜となく昼となく上空を飛ぶようになると正月の気分はなくなった。もちろん遊ぶことすらできなかった。

 戦後は食糧難であったが、幸いにも農業をしていた母方の祖父が餅を送ってくれた。貴重な餅で有難かった。

 5年生の頃からは、百人一首を覚えて友人たちと夢中になったものだ。

  中学になると、朝早く起きて神倉神社に行き、頼朝が寄付をしたという急な石段を上ってごと引き岩という巨岩のところで遠く太平洋を望んで初日の出を見た。とてもすがすがしい気分になったものだ。

  勤め始めた頃は、まだ新年の式があり、子どもたちは紅白の饅頭をもらった。その後職員室でスルメを魚に酒を飲んだ。その習慣も自動車が普及してくるとなくなった。

  結婚して、子どもが成長する間、妻は年末の25日ごろからおせち料理を作り、正月には家族でそれを食べるのが楽しみであった。私は、お屠蘇が好きで必ず用意をする。

  子供たちが独立すると妻はおせち料理に前ほど力を入れなくなった。それでも何品かのお決まりのものは用意をする。そして子どもたちと共に過ごす。

  この正月も娘夫婦たちと正月を祝った。娘がだて巻を作り、婿が栗きんとんをつくってくれた。とてもおいしかった。売るときっと売れるよ・・・と、妻がお世辞とも本気ともつかない褒め方をした。

  大晦日に探し回って買ったお屠蘇を頂いて元日を寿いだ。

 

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2012年1月 1日 (日)

今年は、どんな年になるだろう?

 平成24年、西暦2012年が明けた。昨年は、思ってもみなかったあの3月11日の東日本大震災、大津波と福島第一原発の大事故や南紀の大水害など自然災害に見舞われた。

  経済では、ギリシャに始まったEUの金融危機が世界に大きな影響を与え、今も不安を与えている。

  チュニジアの政変に始まって、エジプト、リビアの大統領が倒されアラブの春と呼ばれた。年の終わりには、北朝鮮の独裁者金正日が急死した。

  日本ではTTPへの参加表明や年末には消費税増税案が出された。日本の政治については予想のつくことであったが、それ以外は全く予想外の出来事であった。

  猫の金玉という俗な言い方があるが、通り過ぎてから初めて分かることが重なった。それも、どれをとっても大変な事件であった。

  今年も何か予想もつかない大きな出来事が起きるのかも知れないが、起きるまでは分からない。願うのは、大きな自然災害が起きないこと、震災の復興が進み、原発事故の処理が適切にされること、EUの金融不安が安定に向かい、日本経済も好転すること、足の引っ張り合いではではなく国民のための政治が真剣に議論されること・・・・などである。

 私自身はこれまでのことを続けるとともにさらに深めたいと思っている。特に怠けていた中国語と英語を見直したいと思う。何よりも健康が大切だから、元気な先輩を手本にして健康を維持したいと思う。

 

 

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