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2011年12月 6日 (火)

中京五流舞踊公演を鑑賞

 12月4日に、中京五流舞踊公演が中日劇場であった。一部と二部の2回公演で、二部の券をSさんから頂いたので出かけた。

 地下鉄駅まで行くと、バスを待っている人が1人いた。バスが来るのか聞いたらもうすぐ来るという。それでバスで栄に出ることにした。バスは7分も遅れたので乗れたのだ。歳末のためかバス内は立っている人もいた。驚いたのは、矢場町から終点まで渋滞で5分以上かかったことだ。

 バスを降りるまで芸術大劇場だと思い込んでいたが、ふと、中日劇場だったことを思い出した。中日劇場には、勤めている頃はよく行ったのだが、退職後は行っていない気がする。

 エレベータも各階に止まったので、5分もかかった。やっとのことで劇場に着いた気分であった。

 ロビーでSさんとHさんに会った。席は、1階の中央で普通招待席に使われる最高の席であった。

 開演は、15時ちょうどで、花柳流の「京人形」から始まった。幕が開くと上手に地方連が6人並んでいた。常盤津であった。舞台に木戸や下駄箱があり、大な箱が置いてあった。

 男が登場して箱のふたを開けると若い女性が立っていた。それはその男が作った人形だった。男は甚五郎である。男が人形に酒を一口飲ませると人形が動きだして男の動きを真似た。懐からから魂の鏡を取り出して人形に与えると、人形が人間のように動いた。

※名工の左甚五郎は、廓である傾城にひと目惚れしますが叶わぬ恋と諦め、傾城と瓜二つの京人形を彫り上げて、自らの心を慰めています。
 そして甚五郎が、女房のおとくに仲居の役を頼み、京人形を箱から出して廓遊びの真似事を始めると京人形が動き始めます。甚五郎が一心不乱に彫り上げたので、人形に魂が宿ったのでした。しかし甚五郎の魂のために、京人形の動きは男のもの。そこで甚五郎は、傾城の使っていた鏡をその懐に入れると、京人形の動きは女のものとなります。こうして甚五郎は、京人形と共に楽しく踊り...。

 常磐津にしろ、長唄にしろ、唄で物語るのだが、言葉がとらえにくくて筋がほとんど分からないのが残念であった。それはこの後の演目全部に言えることであった。

 おそらく江戸時代から明治ぐらいまでは常磐津や長唄は庶民の間で習われていたであろうし、芝居小屋も狭かったから聞き取れたと思われる。私など常磐津、長唄はもとより、小唄も端唄もめったに聴くことがないから知らないも同然である。

 さて、2番目は、藤間流の5人による習作と題した踊りであった。これは長唄で踊られた。長唄の時には、地方連はうたい手や鼓や太鼓などが増えて12人となった。理由は知らない。

 この演目は、ストーリーが全くわからないので、記憶からも落ちてしまった。4人の女性が扇の踊りを踊り、衝立の陰でやタンバリンのようなものに持ち替えて出てそれを使って踊った。そのあと衝立から一人の女性が出てきておどり、引っ込むと4人が長い棒をもって出てきて踊った。最後はまた扇の踊りで終わった。踊りの小道具にはいろいろあるのだと思った。

 3番目は、常磐津で「積恋雪関扉(つもるこひゆきのせきのと)」で、工藤流の二人が踊った。関兵衛実は大伴黒主なる男が酒に酔って登場して、桜の大木に寄せかけてあった大きなマサカリで床の間の柱を断ち切ると、何やら書付が出てくる。よく分からないがそのうちに桜の木を傷つけると、女性の姿が映って、木から出てくる。墨染め実は小町桜の精である。

  ※雪の降り積もる逢坂の関では、不思議に小町桜が咲いている。そのかたわらには良岑宗貞(後の僧正遍照)が隠棲していたが、元の恋人小野小町姫が通りかかり、その仲を関守の関兵衛が取持とうとする。しかし関兵衛はどこか怪しい。小町姫はそれを知らせに都へと走る(上巻)。じつは関兵衛こそは天下を狙う大伴黒主[1]であった。これまでその機会をうかがっていたのだが、星占いの結果今がその時と知る。早速、野望の成就祈願に使う護摩木とするため、小町桜を切り倒そうとする。ところがそのとたんに五体がしびれて身動きが取れない。するとそこに薄墨と名乗る遊女が現れ、関兵衛をくどきはじめる。しかし実は薄墨こそ、小町桜の精であった。小町桜の精は傾城薄墨となって宗貞の弟である安貞と相愛の仲であったが、その安貞を黒主に殺されており、その恨みを晴らすため人の姿となって現れたのである。やがて二人は互いの正体を現し、激しく争うのだった(下巻)。

 その二人の間にやり取りがあるのだが、言葉が聞き取れないので残念であった。4番目は、赤堀流の、「翁草恋種蒔(おきなぐさこひのたねまき)で、若い長振袖の女性と年増の女性と男が長唄で踊ったが、男は翁であることから、若い女性に恋の手ほどきをしたのであろうか?これストーリーは分からなかった。

 5番目は、特別企画で、稲垣流の家元と娘さんの親子による「時雨西行」であった。長唄で踊った。Sさんのお嬢さんの流派である。家元が女性の形のまま西行法師を踊り、娘さんが遊女実は普賢菩薩を踊った。墨絵のようなバックで、墨絵のような静かな哲学的な踊りであった。これもストーリーがわからず残念であった。

※この曲は、皆さんご存知の西行法師と遊女であった江口の君が登場します。西行法師とは、鳥羽上皇に仕えた北面の武士であり、世をはかなんで出家し、時雨の降るたそがれ時、江口の里で一軒家を見つけ雨宿りを乞いますが、女一人の家であるからと断られ、歌を残して立ち去ろうとします。
しかし江口は西行の詠んだ歌に感じ入り、家に迎えいれます.。
人は身の上などを語りあう中、西行が念仏をとなえると、不思議な事に遊女の姿が一変し、普賢菩薩として西行の目にうつり、また目を開くと再び遊女に戻るのです。

 最後は、西川流による常磐津、「福来恵方乗合船(ふくまねくえほうののりあいぶね)」であった。白酒売り、芸者、大工、女船頭、太夫、才蔵、年増の7人が、紅梅白梅のさく船乗り場で船が出る前のひと時を入れ替わり立ち代わり踊るという趣向でこれはとても分かりやすく親しみやすかった。 二人は身の上などを語りあう中、西行が念仏をとなえると、不思議な事に遊女の姿が一変し、普賢菩薩として西行の目にうつり、目を開くと再び遊女に戻るのです。

 花道で三河万歳の太夫と才蔵踊り、その後5人が踊って、最後は万才師によるおめでたい踊って締めるという仕立てであった。

 年増を踊った西川あやめさんが、立っているのも痛々しい感じで女船頭に介助されていた。私が知る若かりし頃のあやめさんは面影にもなかった。

 中京各流派の踊りが一堂に会して踊るのを見られるのは大変良い企画である。私には流派による踊りの違いとか芸の深さなどは全く分からなかったが、日本舞踊という伝統文化に触れる良い機会であった。

 惜しむらくは、せめてストーリーの概略でも知っておれば、もっと楽しめたのにと残念でならない。

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