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2011年12月

2011年12月31日 (土)

民主党のマニュフェスト破綻の原因

 消費税の増税をめぐり民主党に離党者が相次いでいる。彼らの言い分は、現在の衆議院議員の任期中には消費税を上げないと言った公約の違反やマニュフェストで、国民に約束したことを反故にしたことを挙げている。

  民主党は前回の衆議院選挙のとき、鳩山さんの顔写真を表紙にした、下の写真のようなマニュフェストを大量に配った。私も街頭でもらって読み、選挙後民主党政権が誕生してからは、その公約がどこまで守られるかを監視するために保存してあった。

  いかし、次々にマニュフェストに書かれたことが捨てられていくのでとうとう断・捨・離にしてしまった。

  29日の朝日新聞「声」欄にも、「もはやないのか、民主の理念」という投稿が載っていた。その人は、「子ども手当や高速道路無料化などには疑問を持ったが、自民党にはうんざりであったし、行政の無駄の排除、天下りの根絶、年金制度の改革、議員定数削減などに期待したのは確かだ。だから民主党に1票を投じたのだ。」と書いている。

 離党議員ならずとも、民主党の裏切りには、大半の国民ががっかりしていると思う。おそらく次の衆議院議員選挙では民主党は大量に落選するであろう。

 「真民主党」なるものができたのはまことに皮肉だが、彼らは「真」を名乗ることで、民主党に投票した人の受け皿を期待したのだと思う。

 民主党のマニュフェストの破綻は、政権を取るために、よく調べもしないで大風呂敷を広げたことにある。

 だいたい悪徳商法はみな、立派なパンフレットを作って、もっともらしいことを書いて、人を騙すのだが、後から後からそういう商法が手を変え品を変えて現れ、それにひかかって大損をする人が後をたたない。

 民主党のマニュフェストも、今にして思えばそうしたものと同類であったのだ。でも、次は民主党のマニュフェストには騙されないであろう。一度痛い目に会ったのだから。

 ついでだが、自民党の森長老が面白いことを言っている。「自民党は消費税10%に賛成すべきだ」と。反対すると、次に選挙に勝っても消費税の10%アップがやれなくなるよというのだ。

 民主党のマニュフェストのように、反故にして平気ならそれでいいのだが、選挙民の気を惹くためだけに今は10%に反対するというのはすべきでないということだと思う。

 民主党のマニュフェストはまさにそういうものであった。選挙民の喜びそうなことを並べて気を惹いたのだが、いざ、政権を取ってみると何一つできないことに気付いたのだ。それで厚顔無恥にもマニュフェストを放棄したのだ。

政権交代。民主党の政権政策Manifesto

 

 

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2011年12月30日 (金)

「イケダン」という言葉を初めて知った

 2.3日前の朝のNHKテレビニュースの時間だったと思うのだが、「イケダン」について取り上げていた。

  最近やたらと新しいカナ造語が出てくるが、これを聞いたときも一瞬何のこと?と思った。最初から見ていなかったので分からなかったのだ。イカス男性の略かと思ったが、先ほど調べてみたら、「イケてる男性」の略だと分かった。

  光文社の女性雑誌「VERY]の造語だそうだ。

・仕事をバリバリやる

・家族を大切にする

・奥さんの手助けをすることに躊躇しない

・外見もイケてる

・ファッションも手を抜かない

と言った条件を備えた夫のこと。妻として友人に紹介しても恥ずかしくないと思う男性である。(Yahoo辞書)

  私自身をこの条件に照らしてみると、奥さんの手助けは不十分と言われているし、外見はイケてないし、ファッションもイマイチだからイケダンではない。

  NHKの番組では、奥さんの手助けをする男性にするためのコツをやっていた。それは、奥さんが「優しく甘えて頼み、成果を褒める」というものであった。これについては、その通りだと思う。

  男性も家事をやるのが当然だとばかりに、「自分のことばかりしないでこれやってよ」とか「少しぐらい手伝ったらどう!私は忙しいのよ。」というような言い方をされるとやろうという気が起きないであろう。

「ネエ、あたし疲れてるの。貴方お風呂洗ってくれない?」と鼻にかけた甘え声で言われると腰があがるであろう。

  アイシェアの調べによると、男性が思っているより、女性の方が連れ合いを評価しているという。

  女性が連れ合いをイケテルと思う割合は38.8%で、男性自身の評価28.7%を10%も上回ってるそうだ。

  女性が大事だと思っているのは、家族愛だという。それなら私もイケダンかなと思うが、妻は果たして?

http://japan.internet.com/wmnews/20110615/1.html

 

 驚いたのは、「イケダン育成術」という本まであることだ。杉浦里多という人が書いている。旦那をイケダンかどうかは女性(妻)次第ということか。

 最近は、草食系男子が多いと言われるから、イケダン育成は簡単かもしれない。

 

 次のサイトに、杉浦さんへのインタビューが出ている。

http://www.kansaiurban.co.jp/shohin/loan/mokuteki/omatome_lp.html

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2011年12月29日 (木)

消費税増税をめぐる民主党のゴタゴタ騒ぎ

 12月28日の朝日新聞夕刊によると、民主党税制調査会は消費税を2段階で上げる役員会案を党の税調総会に提示した。

  平成13年に8%、15年に10%にするというものだ。菅前首相が参議院選挙前に唐突に消費税の値上げを打ち出して、民主党は惨敗を喫した。そのためにねじれ国会となり、以後の政権運営はどうにもならなくなってしまった。

  菅さんが辞めて野田首相になったが、消費税を上げることを具体的に進め出した。来年度予算編成では、国家予算の50%以上が借金で賄われ、累積した借金の額もどうにもならないところまで来てしまった。

  小泉元首相が政権についたとき、国債の発行を30兆円に抑えるかどうかで議論がされたが、いつのまにか50兆円規模になってしまった。

  元はと言えば、自民党政権時代からの積み上げでその責任は自民党にあることは明白である。

  消費税を上げても10%や20%ではどうにもならないという評論家がいる一方、消費税は上げる必要はないという評論家もいる。経済評論家の荻原博子さんは後者の方だ。

  私のような素人には、いったい消費税を上げるべきなのか上げなくてもよいのか、上げなければならないとしたらどのくらいがよいのか、皆目分からない。私たち国民がよくわかるように説明をしてほしいものだ。

  ところで、今回の2段階あげの提示をめぐって、民主党内は慎重派から猛反発があり、とうとう9名の離党者が出た。彼らの言い分ももっともではある。マニュフェスト違反であるというのだ。民主党は衆議院選挙前に華々しく打ち上げたマニュフェストをことごとく反故にしてきたというのだ。まさに言われる通りである。

  しかし、離党者の顔ぶれは小沢派が8名で、鳩山派が1名である。そして、離党に当たっては、小沢氏に相談をしている。さらに、その前に除名された松木議員は小沢氏の側近である。彼らは、新党を結成することを目論んでいると言われる。

※今朝の新聞では、

 さらに横峰参議院議員の離党が報じられ10名になった。また、鈴木宗男氏が、受け皿として「大地・真民主党」を作って届けえたという。

  こうなると、また小沢氏のお得意の分党芸なのかと疑いたくなる。小沢氏は今でも首相になりたいだろうと思うのだが、どうして仲間が離党するのを止めないのであろうか。これも理解に苦しむところである。

  深慮遠謀で、政界再編成を期待してその準備をしているのであろうか。とにかく永田町というところは魑魅魍魎の世界である。我々国民にはさっぱり分からない。

  もうすぐそこに来た平成24年も、内外ともに大変な年であることを予想させる。日本はいったいどうなるのであろうか。民主党には愛想がつきたし、野田首相の指導力も??である。

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2011年12月28日 (水)

止まらない咳の原因は胃液の逆流―2回目、耳の中、鼻の奥、喉を見る

 第九のステージが終わった翌日の12日から、咳が時々出るようになった。特に夜中に一度目を覚ますと咳き込むことがあった。でも、熱はないし、風邪を引いた様子もなかった。ただ一日に何回か喉の奥がムズムズしてきて咳が出た。

  医者へ行くかどうか迷ったが、様子を見ることにした。数日様子見をしたが心配なので耳鼻咽喉科に行ったが、木曜日休みであることを知らず、行ったら休診日であった。

  次の日に行こうとして気が付いたら、天皇誕生日で休日であった。その後、土曜日は歯医者の予約があり、他にも用があった。その間、薬箱から古い龍角散を探して服用していた。症状は少し良くなったみたいであったが、念のために、月曜日に耳鼻科に行った。

  この耳鼻科が患者が多いのか、それとも耳鼻科というものが患者が多いのか、とにかく患者が多い耳鼻科であった。

  問診票に記入したが、みな該当しなかった。それで症状を文章で記入した。備え付けの週刊誌を読みながら待っていたら、名前を呼ばれた。

  診察室に入って行き、椅子に座ると、医者が、いきなりファイバースコープで耳の奥と鼻と喉の奥を調べると言った。

  先ず、左右の耳に内視鏡が入れられた。その様子は、目の前の大きなモニターで見ることができる。耳垢がいっぱいだろうと思っていたら、少し乾いたのがくっついているだけであったのでホッとした。

  次に、右の鼻から内視鏡を入れていった。ファイバースコープは大変細いのでほとんど何も感じなかったぐらいだ。先が喉の奥に近づくころ少し圧迫痛を感じたがすぐに終わった。

  モニターに、私の喉の奥と正常な喉の奥の映像を並べて説明をしてくれた。それによると、声帯の近くが少し腫れているということであった。確かにそのように見えた。原因は、胃液の逆流であるという話であった。

  自分としては、ゲップも胃液の逆流も自覚がなかった。医者は胃の薬を処方してくれた。もらった説明書には、胃液の逆流を防ぐには、

  ◎食事に気を付け、おなかを圧迫しないこと。

と、書いてあった。食事の後、横になったとき、前かがみの姿勢、おなかに力を入れたとき、起こりやすくなるという。

  おなかを締め付けないよう、ベルト、コルセット、帯などには注意しようと書いてあるのを読んで、思いあたることがあった。11月の下旬から合唱が終わるまで腰痛でコルセットをしていたのだ。それでおなかをきつく締め付けたのかも知れなかった。

  1割負担で1050円払った。高いかんじであったが、いずれにしても、医者に行ったことで安心することができた。喉の奥などを見るのはこれで2回目となった。

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2011年12月27日 (火)

VISTA2度目のリカバリ

 5年近く使ってきたパソコンの動作が遅くなり、起動に15分以上もかかるので新パソコンを買ったことは以前に書いた。しかし、捨てるのはもったいないので、リカバリをして息子にやることにした。

 このパソコンのOSは出始めのVISTAである。新しいものが好きなので買ったのであった。当時、105000円した。

  2010年に一度リカバリをしたのだが、その時は、このパソコンのリカバリは初めてであったので、大変に苦労をしたのを覚えている。それで、2度目のリカバリを先延ばしにしてきたのであった。

  ただ、前回リカバリしたときの手順をA4一枚に記録しておいたので、それを見てやったら、今回は簡単にできた。OSのリカバリは、30分もかからないくらいであった。その後、アプリケーションのリカバリをやったが、3分ぐらいでできた。

  ただ、WINDOWSの更新プログラムが105もあってそれに1時間近く要した。その後ウイルスバスターなど必要なソフトも入れなけらばならない。

 そのためにVISTA[のアップデートをしなければならない。まず、SP1のインストールを要求されたが、これには1時間以上要した。その後SP2のインストールをした。それにも1時間以上かかった。

  パソコンのリカバリには結構時間がかかるのだ。でも、リカバリをすることによってパソコンがよみがえるので時間がかかるのを覚悟の上で時々はやった方がよいようだ。

 

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2011年12月26日 (月)

年の瀬のホームレス

 近所のホームレスを世話している友人がホームレスについて書いてきた。その近所では20代と30代の若者の新顔のホームレスを見かけたそうだ。また、知り合いのホームレスと話をしていたら、空き缶を満載した自転車で割に身なりのきれいな人が二人現れたという。聞いてみると、その人たちは家がある60歳代の人たちだと言ったそうだ。

 家がある人まで空き缶集めをするので、ホームレスの競争相手が増えてなかなか思うように空き缶が集められないとこぼしていたそうだ。

 ホームレスでない人たちまで空き缶集めをしなければならないほど景気が悪くなったということなのか。

 2.3日前のメ~テレの夕方の番組で、東京のホームレスについて取り上げていた。東京ではあちらこちらで炊き出しが行われているようだが、その炊き出しに早い時間から並ぶ人がいるという。それは1回にもらう量では足りないので、また並ぶためだという。立ったまま食べて2回目をもらうのだ。3回ぐらいはやれると話していた。

 20代のホームレスになりたての人は、最初は並ぶ勇気がなかったという。半月ぐらいしてやっと並んで食べ物をもらうようになったそうだ。それまではゴミ箱をあさって食べられそうなものを食べていたというが、量はとても足りなかったそうだ。

 もう一人の新手の20代のホームレスに密着していたが、寝るとき寒くても段ボールなどで囲うことは恥ずかしくてできないと言っていた。仕方がないから電話ボックスの中で立ちづめで風をよけるのだ。

 この寒空にホームレスは大変だ。若者もなかなか思うような職が見つからないし、年を取ればなおのこと職が見つからない。ホームレスになるのは自分が悪いという人もいるが、自己責任にしてはかわいそうである。

 原発事故の処理にかかる費用のことを思えば、ホームレス対策の費用など知れていると思うのだが、炊き出しなどは、心ある人々の好意にすがっているのが現状のようだ。

 憲法25条の「最低で文化的な生活」はどこへ行ってしまったのであろうか。

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2011年12月25日 (日)

セラミックのインレイをする

 10日ほど前に、朝食を食べ始めたら、何か固いものに当たった。何だろうと思って取り出したら、歯の詰め物であった。右の上の奥歯から外れたことが分かった。

 すぐに予約の電話をしたら、次の日の午後にキャンセルが出たので診てくれると言った。その日、ちょうどコーラスがあったので、団員の歯医者さんに尋ねたら、早い方がよいし、虫歯がなければそのまま接着できると言った。だからとれた詰め物を持っていくとよいということであった。

 翌日の診察で、虫歯になっていることが分かった。詰め物と歯の接触部分が虫歯で黒くなっていた。

 歯医者は、虫歯を削って被せるが、保険の場合金属で被せると言った。2回くる必要があると言った。もう一つ、セラミックを使う方法があるが、そちらは自費診療になり47000円ほどかかると言った。ただし、1回の治療でよく、虫歯にもならないと言った。

 私は思い切ってセラミックを選ぶことにした。以前にパンフレットでセラミック治療について読んだことがあったからだ。クリスマス・イヴの日に治療できると言ったので、その日を予約した。

 その日、院長の近藤先生が麻酔を打って虫歯を削ってくれた。昔親知らずを抜かれたときの麻酔の痛さを思い出して、「麻酔は痛いでしょう?」と言ったら、「麻酔の前に塗る麻酔をやるので痛くない。」と言った。何でもヨーロッパから取り寄せたもので日本ではまだ認可されていないという。確かに麻酔の注射をしても全然痛くなかった。

 虫歯を削って下ごしらえに40分ほどかかった。型を取ってパソコンに入れて原型を設計して行った。それをもとに専門の医師がセラミックの被せるものを作った。その先生は、東京医科歯科大学の岩城先生で、歯に合わせて最後まで仕上げてくれた。

 治療が終わり写真に撮ったのをパソコンで見せてくれたが、普通の歯と変わりがなく、またかみ合わせた感じも金属の時の違和感がなかった。

 治療に要した時間は1時間40分程度であった。費用は47250円だった。

「セレック」によるセラミック治療(コンドウ歯科News Letterから)

 東京医科歯科大学の風間龍之輔教授はセレックCAD-CAMシステムの日本の最高権威である。風間教授はスイスのチューリッヒ大学でセラミックシステムの生みの親であるメルマン教授の下で研究をした。その研究は世界的に高い評価を受けてチューリッヒ大学客員教授となった。

 その風間教授をコンドウ歯科は招聘して治療に当たってもらっている。風間教授の同僚である岩城医師もコンドウ歯科で治療に当たっている。

 セレック修復は、セラミックの詰め物やかぶせ物、ラミネートペニア等を1日で終了させるドイツ生まれのCAD-CAMを駆使した最新のテクノロジーである。

 コンドウ歯科医院は、「世界最高水準の歯科治療」を提供するために全国から専門医を招いている。そのために世界最高水準の医療機器もすべて揃えている。

※詳しくは下記のホームページをどうぞ。

http://www.e-kondou.com/

セレック

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2011年12月24日 (土)

河村市長執念の減税は5%で決着したが

 22日の名古屋市臨時市議会で河村名古屋市長が執念を燃やしてきた10%減税に決着がついた。共産党を除く4会派が自民党の修正案に賛成して5%減税で可決したのだ。

 自民党も民主党も最後までもめていたが、公明党が条件付きで賛成に回ったので結局「3年以内に減税を検証する」ということと、付帯条項で「市長が毎年、議会に翌年度の財政見通しと減税継続への見解を報告する」というのを入れて賛成をした。

 この減税は、河村市長が言うように人や企業を呼び寄せる効果があるのかについては多くの人が疑問を呈している。

 朝日新聞によると、企業関係者でも、減税分は内部留保に回るだろうと言っている。内部留保に回し何年か貯めて投資に使おうというのであろうか。

 共立総合研究所の江口忍名古屋オフィス代表の「減税で経済効果を生むと直接関連づけること自体が誤り」というコメントを紹介している。減税分は消費ではなく貯蓄に回るとみているそうだ。

 そもそも減税とは言っても、年収300万円の場合、

 夫婦と子ども2人で1800円

 夫婦と子ども1人で3100円

 単身者で4100円

 私も含めて市民の大半を占める、年収300万円よりはるかに下の僅かな年金受給者や低所得者層には減税の恩恵はほとんどないのだ。

 河村市長の減税は、「役所が税金を集めて実施する市民サービスには無駄が多い。その分税金を減らして民間に使い方を任せた方が効率的だ」(朝日新聞)というものだ。その考えの下に事業仕分けが行われて、女性会館、野外教育の廃止、生涯教育センターや、敬老パスの見直しなどが決められた。

 河村市長の考えは市民に直結するサービスをやめて企業を優先するというものである。

 

 公明党は「福祉、低所得者対策」を条件につけて賛成したが、朝日新聞は減税と福祉が両立するのかという疑問を提起している。

 

 税収入が79億円少なくなる分は、行政の無駄を省いて、天下りのための外郭団体を廃止するなどして捻出すべきである。

 

 もっともすでに10%減税対策として196億円作ったので、79億円は十分賄えるということだ。

 

 それなら尚のこと敬老パスとか女性会館とか保育所の待機児童をなくすなどの市民生活直結のサービスを大事にすべきである。

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2011年12月23日 (金)

呆れる政府と東京電力の廃炉工程表

 政府と東京電力は、21日、福島第一原発の1~4号機の廃炉に向けた工程表を発表した。廃炉工程を3段階に分け、完了までに30年~40年と幅を持たせた。

 小出裕章京大助教は、「そもそも人類は、福島第一原発事故の処理の方策を持っていない」と指摘する。つけ加えて「工程表を作ること自体馬鹿げている」と言っている。

 工程表についての朝日新聞の記事を見ても、「燃料処分法未定」「技術開発が必要」「跡地案なし」と見出しに書いてある。

 融けた核燃料を取り出すと言っても、それがどこにあるのか分からないし、現段階では調べようがないのだ。そのためにはこれからの技術開発がいつまでにどこまで進むかにかかっているのだ。

 それまで原子炉の冷却を続けなければならないが、現在の「循環注水冷却システム」で処理した汚染水の注入を続けるのだという。しかし、これは水漏れが相次いだ不安定なシステムである。

 「大きな山場は、格納容器を水で満たす作業だ。燃料を取り出すためには周囲を水で満たし、放射能を遮るとともに冷やしながら作業をしなければならない。」(朝日新聞)

 この作業は、水棺のことを指すのかどうかは記事からは不明である。しかし、水棺にしないと、融けた核燃料を取り出せないので政府と東電は水棺を諦めていないのだ。

 だが、格納容器の下に開いていると推定される穴を補修すると言っても、大変な被爆をするから人間ではやれない。それをやるロボットが作れるのか?

 工程表というのは、あくまでも「そうできたらいいな」という儚い願望にしか過ぎないのだ。しかし、やらないわけにはいかない。工程表では30年~40年としたが、実際は気が遠くなるような年数がかかるであろう。そこまで生きている人は誰もいないかもしれないのだ。

 福島第一原発事故の処理は人類初めての未知との遭遇なのだ。

 

 

 

 

 

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2011年12月22日 (木)

節電はどこへ行った?

 11月終わりから12月初めにかけて松坂屋に行く機会があったが、その時に店内の温度が非常に高くて、汗ばんだのを覚えている。どうして温度を下げて設定しないのかと不思議であった。

  21日の朝日新聞「声」欄に、「冬のデパート、暑いのはなぜ」という投稿が出ていた。投稿者は東京都杉並区の女性(43歳)であった。それを読んで、私と同じように感じた人がいるのだと思った。

  投稿者が東京在住であり、女性であるから男性とは感じ方が違うと思うのだが、それでもデパートは温度設定が高すぎると感じたのだ。東京も名古屋も同じ傾向だということも分かった。

  投稿者も指摘しているが、夏にあれだけ節電をやかましく言って節電をしたのだ。夏には冷房の設定温度が守られ、官庁などではエスカレーターが運転停止になった。私が行っている日本語教室では、冷房も停止され汗をかきながらの授業であった。

  冬が到来して、節電は?と思うのだが、ほとんど何も言われていない。街はクリスマスが近いのでイルミネーションなどでライトアップしている。電球はLEDランプだから省エネだと、これでもかと言わんばかりの輝きを競っている。節電などこかに行ってしまった。

  電力というのは発電したら蓄電器がないと貯めておけないからか一旦発電したら使いたい放題である。もったいない話である。

  年末、年始は工場が止まるから電力も余るのであろうが、年が明けて工場が動き出したら節電が始まるのであろうか?

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2011年12月21日 (水)

金正日北朝鮮総書記の急死

 19日のNHK昼のニュースで北朝鮮の金正日総書記が急逝したことが報じられた。実際に亡くなったのはそれより2日前だそうだが、あの国のことなのですぐには公表しなかったのだ。

 新聞には大見出しがおどり、NHKテレビのニュースも時間を延長しての扱いであった。世界の国の中でも特異な政治体制を持つ上に、核開発問題、拉致問題など日本や世界に大きな関係があるからのことであろう。北朝鮮は、後継に金正恩氏を据えることが決まっているが、それでも地政学的リスクがあるとして株価も下がった。

 北朝鮮と関係の深かったリビアでも、「アラブの春」以来の影響でカダフィ大佐が追放され殺されてしまった。天国があるとすれば、今頃互いの不運を嘆きあっているかも知れない。

 北朝鮮のテレビは、あの名物女性アナウンサーが、黑の喪服で、涙声で金総書記の急死を伝えていた。また、集まった市民が泣いている様子を映していた。もともと朝鮮民族は葬式には泣き女を雇うぐらいだから、市民がみな泣くのも不思議ではない。というより、泣かなければ政府から睨まれるという事情があるのかもしれない。本心から金正日総書記の死を悲しんでいる人はどのくらいいるか分からない。

 北朝鮮は、金日成、金正日、正恩と3代にわたり継ぐといういわば王朝を形成している。朝鮮民主主義共和国と言いながら、民主主義ではないし、社会主義の観点からも考えられない体制である。

 そうした独裁体制のもとで、国民は疲弊していると言われる。ときどきテレビで放映される映像からも兵士でさえ満足な食糧がなく、一般市民の中には飢餓状態の人も多いようだ。

 弱冠29歳と言われる正恩氏は、「領導者」という呼称で呼ばれ、内外に後継者であることを明確にしたそうだが、これから北朝鮮がどうなるのか、世界が注目している。

 それにしても、今年は世界の政治、経済に大きな変動があった。来年2012年も世界の政治の指導者が変わる可能性があるスーパー・イヤーと言われている。

 21世紀もここに来て、大変換が始まったのかも知れない。

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2011年12月20日 (火)

冷温停止”状態”というコトバの魔術

 野田首相が福島第一原発事故の収束宣言をした。この収束宣言だが、アメリカやヨーロッパのメディアからすぐに批判された。英語の新聞を読んでないので分からないが、収束宣言の第一条件に挙げられた「冷温停止状態」という用語は英語ではどう表現するのだろうと思った。

 日曜日に、サンデーモーニングを見て分かったのだが、「冷温停止」と「冷温停止状態」とは、似て非なる用語法なのだという。

 「冷温停止」とは、原子力発電の装置が正常に稼働していて、冷却するための本来の装置によって冷却して100度以下になることだという。

 それに対して「冷温停止状態」とは、新しい造語で、原発を冷却するのに本来の装置が使えないので、補完として新しくつけた装置で冷却しているので、”状態”と表現したのだ。

 これは大変重要なことで、真の意味の冷温停止なら、収束したと安全宣言ができるが、”状態”では、あくまでも推測にしか過ぎないのだ。第一確かめようにも、メルトダウンもしくはメルトスルーをしているところへ人間が近づけないからどうしようもないのだ。

 同じ日東京電力が記者会見で答えたところによると、第3号機では370度ほどを示している部分があるという。野田首相は、全てが38度~68度になったと言ったが、そうではないのだ。

 冷温停止”状態”では、これから何が起きるか分からない危険な”状態”なのだ。それを誤魔化すために造語をして世界を安心させようとしたのは恥ずべきことである。だから、外国のメディアから厳しく批判されたのも当然である。

サンデーモーニングは、冷温停止状態について正しく指摘したが、朝日新聞ではどこにもそのことを書いていない。こういう大事なことはきちんと解説をすべきである。

 戦前に朝日新聞は、軍への追従の先頭を切って戦争への世論形成をしたと言われるが、その反省はどこへ行ったのか。新聞などマスコミはコトバの魔術をきちんと指摘すべきである。

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2011年12月19日 (月)

気に入った日本酒「朝しぼり 生酒」

 酒の安売り店リカーマウンテンで、年末になると売る酒がある。「朝しぼり生酒」といい、岐阜県古川町にある蒲酒造場という会社で醸造している。

  包装は新聞紙で、その上にラベルが貼ってあり、ビン詰めした日にちも記されている。初めて買ったのは昨年のことだ。1800ml入りの瓶1本が1980円なので、私にとって安い酒ではない。

  試に買って飲んでみたらおいしかったので、今年もまた買って飲んだ。無濾過の生酒なので燗をせず冷やして飲む。何となく甘みがあり口の中に香りとともに広がる。

  今年の誕生日に祝いとして酒を冷やすガラス製の徳利を買ってもらった。それは徳利の膨らんだところに、氷を入れる袋のようなものがついているのだ。そこに氷を3つ、4つ入れる。酒を入れてしばらくすると酒が冷えるのだ。

  氷を直接酒の中に入れないので酒が水っぽくなることはない。ワインにももちろん使える。

  この徳利は、以前に兄弟会で、上前津にある日本料理の「比翼」に行ったときに酒を注文したらそれに入れて出されたのが気に入ったのだ。ほしいと思い値段を調べたら、3500円もする。それで誕生日祝いに買ってもらうことにしたのだ。

  ところで「朝しぼり」だが、年内に4回だけというので、2本目は予約をした。正月までは取っておけないと思うが、今年最後の贅沢というものだ。

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2011年12月18日 (日)

政府の原発事故収束宣言は信じられない

 野田政権は、16日原子力対策本部で、福島第一原発の事故収束に向けた工程表ステップ2(冷温j停止状態の達成)の終了を確認、野田首相は、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と、事故収束を宣言した。(朝日新聞17日朝刊)

 その根拠として、1~3号機の炉の温度は9月下旬以降100度を下回り、38度~68度であったこと、放射性物質の外部への飛散も毎時6000万ベクレルで大幅に減少したことをあげた。

 しかし、原子炉の核燃料は溶けており、その状態を確認できていない。冷却も仮設の設備に頼っていて、通常の冷却システムが機能していない異常事態なのだ。

 廃炉までの作業は30年か40年かそれ以上かまだ分からないのだ。細野大臣はNHKのインタビューで、これからいろいろな技術を研究し開発して行くと述べた。それは是非とも進めてもらわなければならないが、はしなくも露呈したのは、事故が起きた時の対策が何もなかったことだ。

 想定外と言うかもしれないが、事故は絶対に起きないという安全神話だけを作り上げて国民を騙してきたことがはっきりした。

 チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故を教訓として、原発事故は絶対に起きないとは言えないから、もし、事故が起きたらどう対処するのかを研究しておくべきであったのだ。泥縄とはまさにこのことである。

 事故が起きた場合の対策を研究しておくのは、安全神話の建前に反するからやらなかったと言われる。とんでもないことだ。

 こういう状況だから、政府の「収束宣言」も大本営発表としか受け取れない。この後どんな事態が起きてもそれに対処する方法は今後の研究にかかっているからだ。

 福島県の佐藤知事や避難区域の自治体の首長さんたちが、信用できないと言っているのも当然である。

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2011年12月17日 (土)

米軍はイラクから完全撤退をするが

 2003年3月に、ブッシュ元大統領の命令でアメリカ軍はイラクに侵攻した。イラクが大量破壊兵器を隠し持っているというのが大義名分であった。当時イラクのフセイン大統領は大統領宮殿の中まで調べることを認めたが、アメリカは信用せずイラクに攻め入ったのであった。

  大量破壊兵器については、後に嘘の情報を信じたことが暴露された。当時のパウエル国防長官も人生最大の過ちであったと認めた。また、アルカイダとの結びつきについても、いい加減な情報であることが判明した。

 イラク開戦前に、イラクへのアメリカの侵攻に反対する集会やデモがたびたび行なわれた。私もそれに参加した。アメリカの軍事行動は間違いであると訴えた。

 イラク戦争反対の声は全世界に広がったが、当事国のアメリカでは、大半の人はイラク侵攻を支持した。

  そのアメリカでも今はイラク戦争は間違っていたと気づく人が増えた。70%以上になったと聞いた。

 思えば1960年前後のあのベトナム戦争でも同じことがあった。アメリカ国民はベトナム戦争を支持したが、世界の心ある市民は反対をした。そして、終結後「共産主義のドミノ倒し」は嘘であったことがわかり、アメリカ国民もやっとベトナム戦争が間違いであったと気づいたのであった。

 ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、大量のアメリカ人が犠牲になり、その犠牲の多さではじめて自分たちの間違いに気づくという愚かさである。

 ベトナム戦争の時には、良識ある研究者が、図書館などで調べれば、この戦争が間違いであるということがわかると言っていたが、彼らはそんなことに耳を貸さなかった。

 そして歴史の教訓から学ぼうとはせずに、イラク戦争という過ちを犯したのだ。イラク市民の犠牲は、11万5000人にも上ると言われる。しかし、建物などの破壊やその後の国内の混乱のことを思うと計り知れない損害を与えたことになる。

 オバマ大統領は、「ウエルカム・ホーム」を4度も繰り返して、イラクからの完全撤退の演説をした。この戦争のためのアメリカの出費は膨大な額になった。その金を国民のために使っていたら・・・・とは考えないのであろうか?

 国益という自国の利益だけを最優先にして力で他国を侵略するのが戦争の論理である。しかし、21世紀の今、戦争の愚かさに気付くべきである。

 アメリカ軍撤退後のイラクはシーア派とスンニ派の対立が激しくなり、一層の混乱が起きると言われている。多数派のシーア派にはイランが後ろ盾としてイラク、シリア、ヨルダンなどを支援するようだ。中東の情勢も混とんとしそうだ。

 フセイン元大統領によって、よくも悪くも統一した政治が行われ、国民も一定の安定した生活をしていたイラクに言いがかりをつけて侵略した罪は大きいと今更ながらに思う。

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2011年12月16日 (金)

ちょっといい感じの洋食店Sucre

 今池のガスビル地下にレストランがいくつかある。人気のウナギの「白河」のことは以前書いた。今度はHさんが「結構人気のレストランがあるよ。」と教えてくれたので行った洋食店Sucre(シュクレ)について書く。

 ランチタイムは、11時半からのようであった。11時20分ごろに行ったのだが、Sucreの前だけは行列ができていた。ウナギの白河はこの日はなぜか待つ客はいなかった。

 11時半に開店すると、予約の客から中に入った。店内には写真のような黒いテーブルと椅子の席があり、8割がた客が入った。その後昼時なので客が増えて満席となった。

 店員がコートなどを預かってくれた。やがてメニューが来た。ランチは1200円の魚料理、1400円の肉料理、1600円の料理など4種類あり、それぞれに単品をつけられるようになっていた。

 私は、魚が好きなので1200円のにして、野菜たっぷりにひかれて、300円のポタージュを追加した。

 最初に、ポタージュが運ばれてきた。大きな湯呑のようなものに入っていて、小さなスプーンがついていた。クリーム色のなかに細かい緑の葉が混じっていた。なかなか良い味であった。

 次に、生野菜のサラダが来た。パンは白っぽいパンで油気のない塩味のさっぱりしたものであった。パンだけは、1回に限り無料でお代わりできるというのでお代わりをした。

 メーンディッシュは、白身の魚2切れ。何とか鯛と言ったように思うが忘れた。大きな婦人帽のような青い器にパスタ、いんげん、大根の煮つけなどと盛られていた。白身魚はあっさりしていた。

 デザートは、抹茶アイスクリームか焼きプリンから選ぶのであった。飲み物は、コーヒーや紅茶やジュースから選ぶことができた。私は、抹茶アイスとコーヒーにした。

 支払いは、テーブルに取りに来た。ゆっくりと話しながら、味わいながら食べるには良い店であるが、窓際の席にいたご婦人連の中に辺り構わず大声でしゃべる人がいて興ざめであった。

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2011年12月15日 (木)

「除染」というコトバの魔術

 福島第一原発の大事故が起きてから、9か月余り過ぎた。その間、放射能がほぼ日本全域に拡散した。また、気流や海流に乗って全世界を経巡った。

 放射能のレベルの高いところでは、「除染」と称して、ビルを水で洗浄したり、運動場などの土の表土を削り取って入れ替えたり、さまざまな試みがなされてきた。

 放射能濃度の高い地域のゴミを他県に運んで焼却したり、保管したりすることも行われたが、一部では元のところに返却されたものもある。

 NHKクローズアップ現代では、東京近辺の市の焼却場で焼却したときに出た灰の保管場所が満杯となり、そのため市民のゴミ処理ができなくなると報じていた。

 放射能の厄介なところは、燃やしても放射能が凝縮されるのでかえって濃度が高くなることである。水で流してもその水が集まったところの放射能濃度が高くなる。土を入れ替えても放射能の土がなくなるわけではない。

 ウイルスならまだワクチンを作ったり、消毒したりして除去が可能であるが、放射能は絶対に除去が不可能である。ただ、気が遠くなるような時間のみが解決してくれる。

 しかし、放射能によっては半減期が長いものもあり、いったいどのくらいの時間が必要なのかは専門家でも分からないのだ。サンデー毎日によると、157万年もかかる放射能も含まれているという。

 外に出た放射能の除染だけでも大変なのだが、どうしたらよいのかその対策はまだ見つかってないのだ。一旦今回のような事故が起きたらどうしようもないのに、原子力は安全だという神話でごまかしてきたのだ。

 「除染」という言葉も、何か除染をすれば安心のようなイメージだが、実際は他の場所や物に移ってその場所や物の放射能が高くなり手に負えなくなるのだ。

 新聞には、海洋に投棄するという案もあると書いてあったが、いくらコンクリートで固めても海洋汚染の危険性はなくならない。

 世界のどこの国も、どんな原子力専門家もお手上げ、本当の除染などできないというのが真実である。

 それなのにまだ原子力発電に拘る人たちが多くいるし、ベトナム、ロシア、ヨルダン、インドなどに原子力発電施設を売り込もうとしている。「死の商人」という言葉があるが、まさにそれに匹敵するビジネス行為であると思う。自国の事故の処理すらできないのによくもやれたものだと思う。

 私の属する国語研究会(児童言語研究会)の指導者であった国語学者大久保忠利氏は「コトバの魔術」という本を著されて、言葉に騙されないようにと警告された。「原子力の安全神話」もそうだし、「除染」もコトバの魔術だと思うのだ。

 情報リテラシーということが言われて20年近くなると思うのだが、コトバの魔術を見破る言語能力を持つことがそれに当たると思う。

 原子力の安全神話は今や誰でも嘘であったと気づいた。「放射能の除染」も現在の科学技術ではできないのだと知るべきである。

※追加

 新城市農民連の米を食べているという友人から先ほど届いた手紙から。

 「・・・では、私たち新城農民連の取り組みをお知らせします。私たちは、新城の土壌で作られたお米の放射能を測定しました。

 まず土壌ですが、私の参加する市民団体『子供たちの未来と食を守る新城ネットワーク』で、新城市各地8か所の土壌を名古屋にある市民放射能測定センターに依頼しました。

 その結果、残念ですが、全測定のサンプルから放射能が検出されてしまいました。測定結果は、10~76bq/kgで、実際に数値が出たことで、やはりkmも離れているここにも放射能が降り注いだことが確かめられました。

 また、堆肥も1か所測定しましたが、検出されずでした。

 では、そのお米ですが、農民連の分析センターに依頼した結果「検出されず」でした。以前お知らせしたように、土壌から稲に役1割、また、その3割が玄米に溜まる(土壌の数%が玄米に移行)」

ということが書いてあったそうです。

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2011年12月14日 (水)

金儲けなら何でもありの中国に今更ながら驚く

 12月11日日曜の朝日新聞朝刊一面のトップ記事は、「どぶから油 食卓へ」であった。サブタイトルが、「ゴミ・残飯 煮詰め『精製』」となっていた。日本のように使用済みの食用油などから燃料の油を作るのかと思って読んだら全く違っていた。

  深夜にレストランやホテルを回り、調理室につながる排水溝の泥やゴミを集めて、雑多なゴミなどを釜で4時間ほど煮詰める。浮いてくる油をすくい取るのだそうだ。排水溝の泥には、捨てられた調理油や残飯の肉、魚肉から出る油が含まれているのでそれを取るのだ。

  この仕事は、農民がやる。そうやって集められた油を山東省済南のバイオディーゼル工場に運び不純物を取り除く。それを河南省鄭州の業者が食用油としてホテルに売るのだという。

  毎月500トンも生産し、300万円ほどの利益を上げていたそうだ。最初の泥を集める農民たちは競争が激しくて「優先権」に月6000円の値がついたとか。

 日本でも悪徳業者がいて、庶民を欺いて金儲けをするから、目くそが鼻くそを笑うようなものかも知れないが、ここまでのあくどいことはしないだろうと思う。車の燃料としてならまだ許せるが、「食用油」として再販売するのは恐ろしいことだ。

 この他に、禁止されている有機リン酸系ホレートという強力な殺虫剤を使う農家もあり、食の安全性が問題になっているそうだ。

 さらに病死をした豚の肉を使ったベーコンが製造され、中に「敵百虫」というウジがわくのを防ぐ薬が混入していたそうだ。業者は、「稼ぐためなら何も怖くないし、売った相手のことなど考えない」と公言しているそうだ。

 金持ちは、金で安全な食品を買うことができるが、多くの貧しい人や低所得層は危険であろうと買わざるを得ない。

 中国政府当局も放置できない問題として取り組み、13万件の検挙をしたそうだ。延べ3500万人の業者を検査したというが、「膨大な零細業者が散らばっており、管理監督が難しい」と嘆いている。なにしろ、養豚業者の数でも半端ではない。6700万戸もあるのだという。

 13億の民の中国は、スケールが大きすぎる。だから悪いことをやって荒稼ぎをしようとする連中がうようよいても不思議ではない。だいたいWTOに加盟していても、海賊版を平気で作り売りさばくのだ。登録商標でも日本のブランドを平気で登録させているのだ。自動車やバイクのような商品でも紛らわしい名前をつけて売る業者がいるのだ。

 今や金持ちが1億人以上いると言われる中国だ。残りの12億の中に指をくわえて見ているだけではすまず、知恵を働かせて稼ぐが勝ちという人が出るのも当然であろう。

 何より、共産党幹部や政府、地方政府の幹部の腐敗もひどく、庶民からひんしゅくを買っている面もあるのだ。「百年河清を待つ」と言ったのは、中国人の誰であったろう?

 

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2011年12月13日 (火)

愛知県芸術劇場大ホール舞台初体験

 偶然のことから東海東京証券がスポンサーのゴールデンライフステージに参加することになった。教え子の友達の佐藤さんの紹介でベートーベンの第九の合唱団員に参加申し込みをしたのだ。

  既に1回目の練習は終わっていたが、2回目から参加することができた。コンサートまでに8回の練習をすることになっていた。歌うのは、第九だけでなく、アイーダの凱旋の歌とアメージンググレイスも予定されていた。

  僅かな期間でこの3曲を覚えなければならないので私は最後まで休まずに出席した。第九を歌うのは今回で5度目であったし、指揮者の松尾葉子先生は第一回のときに経験をしていた。ただアイーダは初めてなので不安があった。

  でも、アイーダは覚えやすく歌いやすい曲であった。覚えにくいのは、アメージング・グレースであった。よく知った大好きな曲で歌うのは短いのだが英語の歌詞が紛らわしいのだ。

 コンサートは、12月12日(日)の午後5時からであった。金曜日から3日連続で最後の練習があった。土曜日は、ゲネプロであった。ところが本番と同じ舞台に上るのだと思っていたら、アメージングだけは本番の舞台であったが、第九は2回とも平場での練習で左右の前方にある小さなモニターに映る指揮者を見て歌うので大変歌いづらかった。

  12日の当日の予定が変更されて、集合が13時半に早められて前日上れなかった舞台に上ってゲネプロをやった。横から見ると40度ぐらいの勾配の大きな階段でそれが機械によって400名が乗ったまま動くのだ。すごい仕掛けがあるものだと感心した。

 芸術劇場の舞台裏は大変に広くてセリの舞台もあり立派なものであった。アメージング・グレースは希望者だけが歌うのであった。本番ではLEDのキャンドルを両手に持ってライトを消した中で歌うのであった。

 17時の開演の前にアメージング・グレースを歌う人は回転式の舞台に上がって待った。前日のゲネプロのときには女性たちは舞台が動きだすときゃあきゃあと声を上げていた。実際震度5ぐらいの揺れを感じた。怖いと言ってマイクにしがみつく人もいた。でも、本番では、そういう揺れはなくスムーズに動いたのでホッとした。

 LEDライトは客席からはどのように見えたのか分からないが、きっと幻想的な雰囲気になったであろうと思う。この歌は、3.11の東日本大震災の鎮魂の想いを込めて歌ったのであった。

 アイーダは、凱旋の歌なので雄々しくて勇ましく力いっぱい歌う気持ちの良いものであった。

 第九は第4楽章の歓喜の歌だけであったので気分的に楽であった。松尾先生の指揮は速いので有名である。でも、モニターと違って指揮者の顔がはっきりと見え、指揮者が口や表情も使って指揮をして下さったので歌いやすかった。

  ソリストは、テナーが土本訓久、バリトンが岡本茂朗、ソプラノが二宮咲子、アルトが河野めぐみのみなさんであった。ソリストの歌手は、「ある晴れた日に」、「プロバンスの海と空」などを一人1曲ずつ歌った。第九でのソリストが立つ位置は今回はオーケストラの前であった。その時によって違うようだ。

 自分たちの出番が終わると、希望者は5階の観覧席に行って第2部を見ることができた。芸術劇場の5階はまさに天井桟敷で下を見下ろすと怖いくらいであった。これも良い経験であった。音楽なので音は大変良く聞こえた。

 東海東京証券のコンサートは、今回が4回目である。本当は昨年の第3回にも誘われたのだが、クリスマスコンサートと重なっていたので出られなかったのだ。今回は参加できて、芸術劇場大ホールで歌うことができて本当に良かった。第九を覚えたのでこういう機会に恵まれたのだ。

 

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2011年12月12日 (月)

気が強い野良猫の白ちゃん

 我が家の近辺にいる5匹の白い野良ネコのうち尻尾の短い白猫白ちゃん以外は見かけなくなった。1匹は大通りの方に行ったようだし、もう一匹は学校の西の方に行ったようだ。

 かわりに黒猫の姿をよく見かけるようになった。この黒猫はオスのようだ。11月の初めごろだったと思うが、私が”おかあちゃん”と呼ぶ白猫を相手にしきりに気を引こうとしていた。

 先日、白ちゃんに煮干しをやっていたら、急に白ちゃんが道路の方をじっと窺いはじめた。カラスの鳴き声が気になるのかと見ていたら、突然猛ダッシュで走り出し、生け垣の下をくぐって行くや「ギャアッ」という悲鳴が聞こえガタンと音がして逃げていく音が聞こえた。

  後で見たら、自転車が車の方に倒れていてす追っかけの凄まじさを物語っていた。

 学校の方で猫がうなり合う声がしたので行ってみると、道の角で白ちゃんと黒猫がにらみ合っていた。白ちゃんは気が強いねこのようである。追っかけて行ったのだから。

 白ちゃんは私のことをよく覚えていて、この間も、50mぐらい先の家のひさしの上に上っていたので、手を振ってやると気が付いてこちらにやってきた。

 私が、ゴミを出しに行くのをどこかで見ていたのか、入口の柱の上でシーサーをして待っていた。

 私が自転車で出て行ったあと、1時間ぐらいシーサーをしていたと妻が話したこともある。

 昨日も雨戸を開けたら白ちゃんがシーサーをしていて、手を振ると気がついて飛び降りてやってきた。

 白ちゃんは、煮干しが好きだが、この間アジの干物の頭をやったら、においを嗅いだだけで食べなかった。においを嗅ぎに行くのだが食べようとしないのだ。贅沢な猫である。

 気が強いので、私が手を近づけると手を出してひっかいてくることがある。だから背中を撫でることはできるようになったが、まだ喉を撫ぜてやることはできない。

  でも、可愛いのでまた煮干しを買ってきた。

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2011年12月11日 (日)

櫓心祜(ろここ)で食事―ひなびた民家改造の和食の店―

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 以前、英語会話クラブのトピックスでTさんが、和食レストラン「櫓心祜」へ行ったことを話した。なかなかよいレストランだと言ったので一度行きたいと思っていた。

 インターネットで「ろここ」と入れるとすぐにヒットした。「ろころ天白」を選択するとホームページに行った。

 漢字で書くととても難しい。こころを逆から読むとロココだとTさんは言っていたが本当のことはわからない。

 電話をすると、予約をした方がよいと言ったのでランチの予約をした。三段重で2100円であった。ただ、料理の中身は時によって違っていて、お任せなのだそうだ。

 天白菅田なので、交通は不便である。それで自動車で行った。カーナビに電話番号を入れたが、出なかった。野並から島田へ行く道沿いにあるようなので見当をつけて車を走らせた。

 注意しながら走っていると反対側に「櫓心祜」という看板が立っていた。Uターンをして行くと第2駐車場があったのでそこに車を入れた。11時過ぎなのにすでに何台か止まっていた。

 車を降りて店を探したが、どこにあるのか分からす、どんどんと歩いて行ったが、誰も通る人がいなかった。戻りながら、仕方なく電話をすると、何とその前が店であった。よく見ると入口の門の右下に小さな行燈のようなものがあり店の名前が書いてあった。

 こちらはレストランを予想していたので、気づかないのも無理はなかった。昔の菅田の民家を改造したもので、どう見ても民家にしか見えなかった。

 レストランの中は畳敷きの部屋に黑いテーブルを並べてあった。廊下のガラス戸は戦前のガラス戸のままで、その向こうに手入れをした様子のない普通の庭があった。古い民家の風情を残したままの和食店であった。

 おかみさんらしい人が出てきて挨拶をした。ウエートレスもおかみさんも紺の矢絣のような木綿の和服であった。

 料理は三段重に写真のような和食が盛られていた。この日はヒラメがメインであった。刺身、煮つけ、味噌汁、その他細かいものがいろいろあった。

 特徴はご飯が2種類あり、この日は、ジャコを載せた白ご飯と人参の炊き込みご飯であった。どれでも選択でき、お代わりも自由だと言った。

  初めはジャコご飯にしたがおいしかった。次に人参の炊き込みご飯をお代わりし、3杯目はまたジャコご飯にした。

 昼が近づいてくるとお客がどんどん増えた。ひなびた店だが静かで落ち着いてゆっくりとおいしい料理を味わえるので人気があることを窺わせた。

 デザートのスポンジケーキとイチゴのとき、お茶と茶碗をかえて出してくれたのも憎いサービスであった。

 そうそう、箸袋は折り紙で折ってあった。

 帰るときにおかみさんが入口まで送ってくれた。

HP アドレス:  http://rococo-web.jp/

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2011年12月10日 (土)

21世紀は人権の世紀になるか―ピーター・フランクル氏の講演

 知人のIさんの「おばさんの落書き帳」から、ピーター・フランクルさんの講演要旨を転載させていただきました。

 12/4~10の「人権週間」を記念して名古屋市・名古屋市教育委員会主催「講演と映画の会」が
中区役所ホールで開催され450席がほぼいっぱいになるほどの入場者だった。
  演題「21世紀は人権の世紀になるか」
  講師:数学者 ピーター・フランクルさん

〈要旨〉
  ピーターさんは1953年、ハンガリー生まれ。
最初に、棍棒を使った得意のジャグリングを披露。
  日本のすべての都道府県、世界110ケ国を訪れたと言いながら、ユーモアと出会った人達とのエピソードを交え、自分の名前にまつわる話から始まった。

父母の両親が強制収容所で殺害され、ユダヤ人という差別で悲しい体験を語った。
両親は大学の准教授の職を追われたが、ドクターであった為、どうにか生き残る事ができた。

  6歳の時に一緒に遊んでいた女の子に「臭いユダヤ人野郎」と言われ泣いて帰宅し、初めて自分がユダヤ人であるという事を知った。それを聞いた母親も泣いたそうだ。

  どんな人種でもいい人、悪い人はいる。「・・人はこう」「・・人はこう」と決めつけない。
人間を整理整頓することが差別を生むことになる。  日本の「部落差別」はひどいと思うが、こうした差別はヨーロッパにもあった。

  ハンガリーでユダヤ人が市民権を得たのは明治の始めであった。

  マスコミには直接的な表現は出ない。差別は親から子へ、子から孫へとつながる。経済状況は人に影響を強く与える。

  宇和島で、若い女性と部落のことについて話した時、「昔から続いているのだからそれなりの理由があるのではないでしょうか。」と言われ驚いた。因循姑息」という言葉があり、これは何も改めようといないことを意味し、この考え方がある限り、差別の連鎖は断てない。

  イギリスでは異人種を動物扱いし、全世界に植民地があったのでこの国が一番ひどかった。

  オバマ大統領を黒人と言うが、彼は黒人ではなく「ハーフ」である。
黒人の血が1%でも入っていればアメリカでは黒人と言う。これはアメリカの人種差別の強さを物語っている。

  日本では朝鮮人、中国人への差別があり、フランス、イギリスも排他主義。

  さまざまな社会の整備は進んでいるが、もっと大事なのは心の整備。
バブルの頃の日本人は前向きであったし、好奇心を持って関わりを持って来た。だが、今は顔から笑いが消えており、自分の事だけを考え携帯電話ばかりやっている。体はそこにあっても心はそこにない。

  国際化には英語以上に大切なものがある。それは「寛容」。大切なのは心の状況。
どんな心持で相手に臨むのか。異人種に会ったときに心を閉ざさない。

  豊な国の一部を物質消費ではなく、知的消費に注げば知的財産は世の中に広がる。
子どもたちはいろいろな人種、宗教の人とふれあって欲しいと述べられた。

 

  講演終了後、人権啓発アニメ映画「ボクとガク あの夏のものがたり」(40分)上映

  人権課題として「女性」「子ども」「高齢者」「障がいのある人」「同和問題」「アイヌの人々」「外国人」「犯罪被害者等」「HIV感染者・ハンセン病患者等」「刑を終えて出所した人」「インターネットによる人権侵害」「ホームレスの人々」などさまざまな問題があると言う。

  一人ひとりの人権が尊重され、差別・偏見のない社会になるにはこのような啓発運動を通して、個人の意識を変えて行く事が望まれる。

 

      

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2011年12月 9日 (金)

女性会館を守る会の活動

 名古屋市の事業仕分けで「廃止」と決定された”女性会館”を守ろうという運動がスタートしました。

  桜井さん、清水さん、山崎さんという3名の女性の呼びかけで、11月15日、11月18日の午前午後の合計3回の「女性会館問題を話し合う会」が開かれました。そこで出た意見をふまえて、11月24日に中心メンバーが会合して、運動の名称を「女性会館を守る会」と決めました。そのとき、下記のような要望書の内容を決定しました。

 

◎要望事項 名古屋市女性会館の存続を強く希望します。

◎理由

 名古屋市女性会館はさる0月21日、「事業仕分け」で「廃止」と判定されました。

 名古屋市女性会館は、昭和53年、当時の地域やクラブ団体等で活躍していた学習意欲にもえた女性たちが活動の場を求めて署名運動をし、設計段階から積極的に関わり獲得した7「女性の学習と交流の拠点」です。

  今女性会館は、子育て中から80歳を超えた女性たちに留まらず、視覚・聴覚・肢体等に障害のある人、在住外国人、そして男性たちや中高大生も利用し、その数150を超えるグループ、年間25万5000名超の市民の学びの場・交流の場になっています。

  わたしたちは、「女性の視点・社会教育の視点」にたった会館事業の学習だけでなく、自主グループの学び合い、育ち合いから見えてきた課題を行政に提言したり、地域等に社会還元も積極的に進めています。

  困難な時代だからこそ、女性の学びを「社会の力」にしていく必要があると思います。

  女性会館の目的のひとつである「女性問題の解決」は達成されたとは言えません。次々と新たな課題も生まれています。真の男女共同参画社会実現に向けてじょせいかいかんの果たす役割はますます重要です。

  利用者一人一人の願いを込めて要望書を提出いたします。

                 女性会館を守る会 代表 桜井真弓

 11月29日に、市長・市議会議長・教育長に要望書を持参したそうです。

  12月1日に会館利用グループへ署名協力を依頼。

  12月1日夕方に、市役所内の各政党控室へ要望書を持参。

  12月2日「教育子ども委員会」委員全員に要望書持参。

  その他、ことばの会が独自に12月5日に教育長と副市長に要望書を提出したそうです。

  また、愛知淑徳大学文化交流学部の石田教授ら学識経験者が協力してくださることになったそうです。

  署名活動は、1月20日を締切にして行っています。問い合わせ先は、名古屋市女性会館ボランティア室の桜井さん、山崎さん、清水さんです。是非多くの人に参加して署名を集めてもらいたいと思います。

 

 

 

 

 

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2011年12月 8日 (木)

昔ながらの商いの八百屋さん

 以前にも書いたことがあるが、我が家の近くに産地直売の八百屋がある。名古屋国際高校の近くで、塩付け通りのコスモ石油スタンドの東隣である。もともとは佐久間米穀店なのだが、その店が軒先を貸しているのだ。

 この八百屋さんはカワイさんという年配の人で、日曜日ごとに三重県の多気市から農作物をワゴン車に積んで運んでくるのだ。

 最初は片隅に少し積んで月曜と火曜だけ店を開いていたが、夏ごろから商品を増やして、冷蔵庫も設置して毎日開店するようになった。

 最近では、幟も2本たて、看板も出した。「幟をつくったの?」と尋ねたら、「多気から借りてきた。」と言った。看板も借りてきたのだという。

 この八百屋さんは、次郎柿やミカンもたくさん積んであるので、「そんなに売れるの?」と聞いたら、「最近では、知られてきたので売れるよ。」とこともなげに言った。

 私は、月曜日の朝、7時ごろに買いに行くことにしている。それは、一番新鮮だからである。それにこの店は、物によっては大きさに関係なく値段が同じなので早く行くと大きい品を選ぶことができるのだ。

 客が選んで買って、しまいには小さいのが残ると思うのだが、それをどうするのかは知らない。

 値段はどうやらスーパーの値段を参考に決めているフシがあるが、高い時も安いときもある。何と言っても獲れたてで新鮮なのがよい。

 売るのは主に米屋のおかみさんとカワイさんだが、マンツーマンの相対なので客がいろいろと質問したり、話したりしながら買うことができる。それに目方売りのものは多少オーバーしても「いいよ」と言ってくれるし、ときどきおまけをくれるときもある。

 先日も、蜂矢柿のよく熟したのを「欲しけりゃ、もってきゃあ。」と言ってくれた。

 今どきこのような昔ながらの商いの店はほとんどない。無形文化財的価値があると思うぐらいだ。

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2011年12月 7日 (水)

タイの友人からの手紙―タイの洪水について―

 おとといイが、旦那と息子の3人で見舞いに来てくれた。今夜旦那はバンコクに帰るのだという。旦那は貿易商社に勤めているが水害で会社は休み、収入が途絶えて生活はくるしいという。1か月ほど前に水が胸のあたりまで来たからと言って、いなかに避難してきた。今は膝のあたりまで引いたとのこと。
 
  彼の住まいは王宮の西、チャオプラヤー川を越えたトンブリー地区だ。堤防で囲ったバンコクの中心からは外れている。水が引くのはまだまだ先のことだろう。
 
 
  11月30日、参議院 「国際・地球環境・食料問題調査会」で、タイの洪水について議題にしていた。バンコクは中心部を水害から守るために 「王の堤防」が築かれているそうだ。その堤防内の水を必死にかいだして、中心部の洪水を最小に抑えたという。
  テレビで周辺の住民が堤防を壊そうとしているのを見たが、この堤防だったのだ。強力なポンプで堤防内の水を吸いだしても川の水が高いので水は減っていかないと思ったが、堤防の外側に自然に広がっていくことになっていたのだ。 堤防の外側の住民はたまらないから堤防も壊したくなるさ。
  東日本大震災の後、タイの田舎の小学校まで義捐金を集めてくれた。お世話になったから,日本政府もさっそく、国際救援隊としてポンプ車10台を派遣した。義捐金へのお礼の気持ちだろうと思っていた。
 ポンプ車を送るニュースを聞いた時、ポンプ車をどこに据えて、どこの水を吸いだすのだろう、しっかり調査をしたのだろうか、という疑問を持っていた。この日の報告で、工業団地の堤防内の水を吸いだしたことが分かった。
  私はタイの国民の苦しみを少しでも減らすために救援隊を送ったものと思っていたのに、日本企業の救援のためだったと知ってがっかりした。堤防の外にくみ出した水は、タイの住民のところに流れていくのだ。
 
 
  水害にあった企業が日本で操業を再開するために、タイ人労働者を日本に連れてくることになった。タイで失業して気の毒に思ってかと思ったら、日本で日本人を雇うと技術がなくてすぐに生産にかかれないからだという。実際日本政府のやることは、すべて大企業のの利益優先だ。
  タイで負った損害に対して何らかの支援が必要ではないかという意見も出ていた。共産党の紙議員は「大企業はコスト軽減だけで日本を見捨てて海外に進出したのだから、自分の力でリスクを負うべきだと主張した。私ももそう思う。

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2011年12月 6日 (火)

中京五流舞踊公演を鑑賞

 12月4日に、中京五流舞踊公演が中日劇場であった。一部と二部の2回公演で、二部の券をSさんから頂いたので出かけた。

 地下鉄駅まで行くと、バスを待っている人が1人いた。バスが来るのか聞いたらもうすぐ来るという。それでバスで栄に出ることにした。バスは7分も遅れたので乗れたのだ。歳末のためかバス内は立っている人もいた。驚いたのは、矢場町から終点まで渋滞で5分以上かかったことだ。

 バスを降りるまで芸術大劇場だと思い込んでいたが、ふと、中日劇場だったことを思い出した。中日劇場には、勤めている頃はよく行ったのだが、退職後は行っていない気がする。

 エレベータも各階に止まったので、5分もかかった。やっとのことで劇場に着いた気分であった。

 ロビーでSさんとHさんに会った。席は、1階の中央で普通招待席に使われる最高の席であった。

 開演は、15時ちょうどで、花柳流の「京人形」から始まった。幕が開くと上手に地方連が6人並んでいた。常盤津であった。舞台に木戸や下駄箱があり、大な箱が置いてあった。

 男が登場して箱のふたを開けると若い女性が立っていた。それはその男が作った人形だった。男は甚五郎である。男が人形に酒を一口飲ませると人形が動きだして男の動きを真似た。懐からから魂の鏡を取り出して人形に与えると、人形が人間のように動いた。

※名工の左甚五郎は、廓である傾城にひと目惚れしますが叶わぬ恋と諦め、傾城と瓜二つの京人形を彫り上げて、自らの心を慰めています。
 そして甚五郎が、女房のおとくに仲居の役を頼み、京人形を箱から出して廓遊びの真似事を始めると京人形が動き始めます。甚五郎が一心不乱に彫り上げたので、人形に魂が宿ったのでした。しかし甚五郎の魂のために、京人形の動きは男のもの。そこで甚五郎は、傾城の使っていた鏡をその懐に入れると、京人形の動きは女のものとなります。こうして甚五郎は、京人形と共に楽しく踊り...。

 常磐津にしろ、長唄にしろ、唄で物語るのだが、言葉がとらえにくくて筋がほとんど分からないのが残念であった。それはこの後の演目全部に言えることであった。

 おそらく江戸時代から明治ぐらいまでは常磐津や長唄は庶民の間で習われていたであろうし、芝居小屋も狭かったから聞き取れたと思われる。私など常磐津、長唄はもとより、小唄も端唄もめったに聴くことがないから知らないも同然である。

 さて、2番目は、藤間流の5人による習作と題した踊りであった。これは長唄で踊られた。長唄の時には、地方連はうたい手や鼓や太鼓などが増えて12人となった。理由は知らない。

 この演目は、ストーリーが全くわからないので、記憶からも落ちてしまった。4人の女性が扇の踊りを踊り、衝立の陰でやタンバリンのようなものに持ち替えて出てそれを使って踊った。そのあと衝立から一人の女性が出てきておどり、引っ込むと4人が長い棒をもって出てきて踊った。最後はまた扇の踊りで終わった。踊りの小道具にはいろいろあるのだと思った。

 3番目は、常磐津で「積恋雪関扉(つもるこひゆきのせきのと)」で、工藤流の二人が踊った。関兵衛実は大伴黒主なる男が酒に酔って登場して、桜の大木に寄せかけてあった大きなマサカリで床の間の柱を断ち切ると、何やら書付が出てくる。よく分からないがそのうちに桜の木を傷つけると、女性の姿が映って、木から出てくる。墨染め実は小町桜の精である。

  ※雪の降り積もる逢坂の関では、不思議に小町桜が咲いている。そのかたわらには良岑宗貞(後の僧正遍照)が隠棲していたが、元の恋人小野小町姫が通りかかり、その仲を関守の関兵衛が取持とうとする。しかし関兵衛はどこか怪しい。小町姫はそれを知らせに都へと走る(上巻)。じつは関兵衛こそは天下を狙う大伴黒主[1]であった。これまでその機会をうかがっていたのだが、星占いの結果今がその時と知る。早速、野望の成就祈願に使う護摩木とするため、小町桜を切り倒そうとする。ところがそのとたんに五体がしびれて身動きが取れない。するとそこに薄墨と名乗る遊女が現れ、関兵衛をくどきはじめる。しかし実は薄墨こそ、小町桜の精であった。小町桜の精は傾城薄墨となって宗貞の弟である安貞と相愛の仲であったが、その安貞を黒主に殺されており、その恨みを晴らすため人の姿となって現れたのである。やがて二人は互いの正体を現し、激しく争うのだった(下巻)。

 その二人の間にやり取りがあるのだが、言葉が聞き取れないので残念であった。4番目は、赤堀流の、「翁草恋種蒔(おきなぐさこひのたねまき)で、若い長振袖の女性と年増の女性と男が長唄で踊ったが、男は翁であることから、若い女性に恋の手ほどきをしたのであろうか?これストーリーは分からなかった。

 5番目は、特別企画で、稲垣流の家元と娘さんの親子による「時雨西行」であった。長唄で踊った。Sさんのお嬢さんの流派である。家元が女性の形のまま西行法師を踊り、娘さんが遊女実は普賢菩薩を踊った。墨絵のようなバックで、墨絵のような静かな哲学的な踊りであった。これもストーリーがわからず残念であった。

※この曲は、皆さんご存知の西行法師と遊女であった江口の君が登場します。西行法師とは、鳥羽上皇に仕えた北面の武士であり、世をはかなんで出家し、時雨の降るたそがれ時、江口の里で一軒家を見つけ雨宿りを乞いますが、女一人の家であるからと断られ、歌を残して立ち去ろうとします。
しかし江口は西行の詠んだ歌に感じ入り、家に迎えいれます.。
人は身の上などを語りあう中、西行が念仏をとなえると、不思議な事に遊女の姿が一変し、普賢菩薩として西行の目にうつり、また目を開くと再び遊女に戻るのです。

 最後は、西川流による常磐津、「福来恵方乗合船(ふくまねくえほうののりあいぶね)」であった。白酒売り、芸者、大工、女船頭、太夫、才蔵、年増の7人が、紅梅白梅のさく船乗り場で船が出る前のひと時を入れ替わり立ち代わり踊るという趣向でこれはとても分かりやすく親しみやすかった。 二人は身の上などを語りあう中、西行が念仏をとなえると、不思議な事に遊女の姿が一変し、普賢菩薩として西行の目にうつり、目を開くと再び遊女に戻るのです。

 花道で三河万歳の太夫と才蔵踊り、その後5人が踊って、最後は万才師によるおめでたい踊って締めるという仕立てであった。

 年増を踊った西川あやめさんが、立っているのも痛々しい感じで女船頭に介助されていた。私が知る若かりし頃のあやめさんは面影にもなかった。

 中京各流派の踊りが一堂に会して踊るのを見られるのは大変良い企画である。私には流派による踊りの違いとか芸の深さなどは全く分からなかったが、日本舞踊という伝統文化に触れる良い機会であった。

 惜しむらくは、せめてストーリーの概略でも知っておれば、もっと楽しめたのにと残念でならない。

 ※

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2011年12月 5日 (月)

断捨離を始める―②―捨・断・離の「捨」の実行開始

 断捨離の本を読んで、いよいよ実行することにした。どこから始めるかいろいろと考えた末、手始めに自分の机の上から開始した。

  金曜日は何も予定がなかった。朝3時半に目覚めたのをきっかけにして行動を開始した。幸いなことに、その朝は雨が降っていてウオーキングに行けなかった。また、一日中雨という予報が出ていた。だからチャンスだと思った。

 私の机は児童用学習机とパソコン机を並べて使っている。学習机には、買った当時流行していた棚がついている。その棚にファイルブックが30も立ててある。ファイルの中身はさまざまだが、古い書類を挟んだままになっている。それを点検して必要でないものを思い切って捨てることにした。 

  まず、大きな段ボールを探してきた。電気器具の入れ物はみんな保存してるので扇風機用のを使うことにした。その中に捨てる書類を入れていくのである。

  ファイルブックにはファイルケース1枚ごとに何枚かの書類を入れてあるのでそれを取り出すのが大変だった。だいたいファイルブックにはケースが30枚から40枚ついているのだ。

  必要か不要かを即断して、段ボールの臨時ゴミ箱に捨てて行った。中には個人情報の書いてある書類もあったが、シュレッダーがないので、これも要らないA4の封筒に入れてまとめた。

  椅子に腰かけてこの作業をしたのだが何時間も続けたら腰が痛くなった。それにずいぶん疲れるものである。途中10時半ごろにブランチをとって、また作業をした。

  ファイルブックを整理したら、13冊がすっかり空きになった。またクリアファイルも15枚ほどできた。ゴミ箱ダンボールは満杯になった。おそろしい量であった。

  パソコン用の引き出しが8つついた箱も整理をして長年ためてあった手紙やハガキを捨てた。それで引出3つが空になった。

  これだけの作業で3時半までかかった。そして机の上に新しく買ったパソコンを置くスペースができた。いずれパソコンは一つにして、パソコン机に置く予定ではあるが。

  ほとんど毎日ダイレクトメールなどが来るので、これまでは机の上に重ねて積んでいたが、これからはすぐに処分をしようと思っている。

  箱に入れた紙類は妻が再点検をして最終処分をしてくれる。妻は、「紙って重いのね」と感心したようにいうので、「段ボール箱を動かそうとしたが重かったよ」と答えた。力がない私には大変重く感じられたのだった。

  私流に言えば、捨・断・離はまだスタートしたばかり。これからどのくらいの時間がかかるのか想像もつかない。

  でも、やるしかない!

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2011年12月 4日 (日)

「断捨離」を始める―①―

 ”やましたひでこ”さんが、2009年12月にマガジンハウス社から出版した「断捨離」という本がある。この本は新しい片付け方の本として評判になった。以後類似の本がいくつも書店に現れた。山下さん自身も多分5冊か6冊ぐらい同じコンセプトの本を書いている筈だ。

 私は、この元祖の本を読みたくて図書館に予約をした。昨年12月のことである。ところが予約者が500名以上もいて、私の番が来たのはほぼ1年ぶりの11月の末であった。

 この本が来るまでに、同じやましたひでこさんの「不思議なくらい心がスーッとする断捨離」(三笠書房王様文庫)というのを買って読んだ。そして知人たちに回して読んでもらった。知人たちは読んですぐに実行したが、私は実行できないでいた。その間、テレビで放送された山下さん出演の断捨離の番組も見たのであったが。

 私の部屋の中はいろいろな物であふれていくばかりであった。実行できないのは、元祖「断捨離」の本を読むまではという気持ちが私の潜在意識のなかにあったからかもしれない。

 やっと図書館の予約順が来て元祖本が私のところに来た。先日伊勢まで旅行をした時その本を持っていき往復の車中で読み終わった。

 今、改めて文庫本の「不思議なくらいスーッとする断捨離」を手に取って見ると、こちらの本は、2011年5月の出版だけあって、分かりやすく書かれている。何も元祖本を待つまでのことはなかったのだ。

 でも、私は元祖「断捨離」を読んでやっと”やろう”という気になった。

 断捨離は、”整理・整頓”ではなくて、要するに”片付け”なのだ。整理・整頓は物を収納したり、別の場所に移したりすることが主となるが、断捨離でいう「片付け」は、

 ●必要な物を絞り込む。

 ●必要のない物を住まいという空間から取り除く。

だというのである。

 私は、半分ほど読んだ時、ふと「そうだ。必要かどうかを判断して、必要でない物にはレッドカードをつければよいのだ!」とひらめいた。家に帰ったら早速実行しようと決心をした。

 やましたさんは、今必要かどうかで判断せよと言っている。また、こうも言っている。「片付けとは片をつけること」と。つまり必要でない使わないものに三行半を与えてバイバイすることなのだ。いつまでも未練がましく、その物に執着しないことなのだ。

 私は、物に執着する傾向がある。

 ○もったいない精神が旺盛である。

 ○人からもらったものはいつまでも大事にする。

 ○将来必要な時、利用できる時が来るかもしれないと思ってしまっておく。

 しかし、よく反省してみれば、家の中に大事にしてある物で、本当に今も必要で使っているもの、「現役」は余りないのだ。アメリカの軍隊でいえば、ベテラン(退役軍人)ばかりなのだ。

 私は、退職後教育関係の書籍を中心に本棚の本を思い切って処分した。数百冊はあったと思う。知人に貰ってもらったり、古本屋に持って行ったり、図書館に持って行ったり、学校に寄付したりした。捨てるには忍びなかったからだ。

 私は退職後は、なるべく図書館で借りるようにしているのだが、それでもその後買った本が蓄積してあふれている。

 やましたさんは、要らないものは人に「上げるのではなく、もらってもらいなさい」と言っている。その方が謙虚だというのだ。

 断捨離ができない原因の一つは、要らない物をどのようにして処分するかで悩むことにある。まだ使えるから、愛着があるから、記念品だから・・・・などの理由で廃棄するのは忍びない気持ちがあるのだ。

 誰かその物を必要とし、生かしてくれる人がいたら一番よい。

 次に、ピンと来たのは、片づけを始めるとき、どこから手をつけるかについての説明であった。どこからでもよいから始めなさいと言っている。机の引き出しの中からでも、棚からでもよい。その時に、今それをするにはどのくらいの時間があるかということを考えてその時間でやれることから始めるようにと言う。

 ところで、私は、断捨離ではなく、本当は「捨・断・離」ではないかと思うのだ。本の内容は、捨・断・離だし、実際今ある必要でないものを勇断でもって捨てることから始めるのだから。そして物が入ってくる入口で関所を設けて断ち、最後は物への執着から離れることだからだ。おそらく語感のよさから断捨離としたのであろう。

 私に言わせれば、捨・断・離という表題の方がはるかに読み手に理解しやすいと思う。私がすぐには実行できなかったのも、その手順が分かりにくかったからだ。2冊の本を読んでやっと「捨」から始めることが分かったのだ。

                ―つづく―

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2011年12月 3日 (土)

新しいパソコンは戸惑うことが多い

 これまでvista 搭載のパソコンを使ってきたが、OSがwindows 7のパソコンになって戸惑うことが多くなった。

  昨日も、無線ランでプリンターを使えるようにしたいと思って試みた。きっかけは富士通のAZBYCLUBのメールで、「もう悩まない、無線ラン簡単導入ガイド」を読んだからだ。

 私のプリンター、CANONのPIXUS MP640は、確か無線ランがやれることを思い出したのだ。ルーターNECのATERMで、今度買ったNECのパソコンとは無線ランで接続して使っている。

 PIXUSの簡単接続マニュアルに従って設定をしたのだが、途中でエラーが出てしまった。ランのアクセスポイントのマニュアルに従ってやるようにと書いてあった。このマニュアルはわかりにくいので、NECのルーターのサポートに電話をした。しかし、電話は話し中ばかりでつながらない。

 そこでCANONのプリンターのサポートに電話をした。サポートでは、とても親切に教えてくれ、手動で設定をすることができた。

  そのとき、パソコンにプリンタードライブを入れることが大事だと言った。それは分かっていたが、パソコンのマニュアルを見てもどこにもやり方が書いてない。やむなくNECのサポートに電話をした。すると、「どうしてマニュアルに書いてないかわかりますか?」と質問された。分からないと答えると、「それはプリンターのことはプリンターの会社がやることだからです。」と言った。だから一切関知しないのだという。何とも不親切な!と思った。

  仕方なく先ずドライバーをインターネットでダウンロードすればよいだろうと思い,CANONのプリンターのサイトに行ってWINDOWS 7 64ビット対応のドライブをダウンロードしてインストールした。そのとき、USBを使うか、無線ランを使うか聞いてきたので無線ランを選んだ。それでインストールが成功した。接続テストが行われて「良好です」というメッセージが現れプリンターと接続ができるようになった。ためしに印刷をしたらうまく印刷できた。

  大変便利になったものだと感心するが、新しく勉強しなければならないことが増えた。これからもまだまだ戸惑うだろうと思った。

 

 

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2011年12月 2日 (金)

高校の同期の会で鳥羽へ行く―人形音楽館とメダカのl学校など―

愛知県、三重県に住む高校の同期の連中と忘年会で伊勢の鳥羽に行った。大阪からも二人参加した。名古屋から近鉄特急で鳥羽まで行ったのだが、乗車してからしまったと思った。どうせ急がないのだから、急行にすればよかったのだ。特急券1260円分損したような気がした。 

  鳥羽までは、ずっと持って行った「断捨離」という本を読んだ。自分は部屋の中が雑然としているので断・捨・離を実行せねばならないと思っているのだ。 鳥羽には1時間32分で着いた。

 駅前には各旅館の迎えの車が来ていたがホテル扇芳閣の車は見当たらなかった。特急に合わせていると思ったら、待っている運転手に聞くとそれは関係ないと言った。

 しばらくすると迎えの車が来た。大阪からの二人と松阪からの幹事も来た。曲がりくねった坂道を上るとホテルがあった。静岡からのバスから団体が下りていた。あとで知ったのだがこの団体はバス4台で来たのだ。男性ばかりの団体でお伊勢参りの講のようであった。

 仲居さんの案内で部屋に行った。6階の海側の部屋であった。窓から鳥羽の海が望見された。仲居さんがお茶をいれてくれた。机には三種類の菓子が置いてった。土産物を試食して買ってもらおうということのようだ。

 食事は6時からなので、先に大浴場へ行った。K.S君が鳥羽には温泉がないと言ったが、入り口に「温泉」と書いて成分の説明が掲げてあった。後で聞いたら、榊原温泉から運んでいるのだそうだ。

 浴場は展望がよく、広くて、42度の温泉が丁度よくリラックスできた。出ると廊下に東屋があり、麦茶が用意されていた。気が利いている。

 夕食は2時間で2500円の飲み放題、2時間で5400円のカラオケも用意されていた。カラオケは時間をずらしてくれるように頼んだらOKであった。

 大きな舟に大きなタイの頭つきが2匹おいてあり、仲居さんが取り分けてくれた。イセエビがつくというので期待していたのだが、小さい半分に割ったイセエビのクリーム仕上げであった。他には突き出し、サザエのつぼ焼き、天麩羅、鍋、茶碗蒸し、野菜の煮物、刺身、すしごはんがあった。白いご飯と味噌汁と漬物、それにグレープフルーツのデザートであった。

 タイの刺身は新鮮で量も多くてよかったが、天麩羅は揚げすぎの感じ、鍋は汁が甘くおいしくなかった。

 みんな飲む連中ばかりなので、飲みながら談笑をした。女性のIさんが中学、高校の写真をもって来ていたので話がはずんだ。その中に高校の野球スタンドで撮った同期500名もの写真があった。みんなその存在を忘れていて驚いた。ただ写真は顔が豆粒ぐらいで拡大鏡がないと見えない。

 部屋に帰ったあと、気を利かして運んでくれた飲み残しの酒やビールなどで12時ごろまでいろいろと話をした。

 同室のM君が夜中に大声で寝言を言うので何度も起こされてしまった。

 朝食は、ビュッフェスタイルで、海草、野菜の種類が多くて、魚などもあり、ヘルシーであった。

 食後ホテルの上にある「メダカの学校」と「音楽人形館」というのに惹かれて見に行った。メダカの学校はいくつかの池にクロメダカが泳いでいた。

 珍しいのは、音楽人形館で館内のショーケースには世界で集めたというジャズ音楽の人形が種類ごとにまとめて展示してあった。カエル、ふくろうなど動物の演奏人形が多く、人間のもあった。

 たまたまホテルの社長で館長の谷口仙二さんがおられて、説明をしてくださった。これらの人形は、東京新宿でバーを経営している北内さんというジャズ演奏家が世界各地から集めたもので、それを展示するために扇芳閣の社長が建物を提供したのだそうだ。数万の人形があるそうだ。

 毎年4月28日ごろ、この人形音楽館の前の藤棚の下でジャズの無料演奏会が開かれるそうだ。是非聞きにきたいものだと思った。

 メダカの学校、音楽館のある辺りは眺望もよく、藤棚があり、他にも足湯とか風車とか鐘などもあってかなり敷地が広い。

 「道徳の門」と「経済の門」という門柱が立っていて、反対側には二宮尊徳の小さな石像もあった。経済と道徳のバランスのよい考え方を持つことが大事だというのが尊徳の教えで、リーマンショックのような儲ければよいというやり方は駄目だと言う。反対に道徳に偏って経済を考えないのもいけないのだという。

 ヨーロッパの危機も日本のバブルもリーマンショックもどれも貪欲に利益を求めた結果であった。この門の前に立って反省をして欲しいと思った。

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2011年12月 1日 (木)

日本の農業の衰退

 友人からの手紙に次のように書いてあった。以下引用させてもらう。

 1930年代に日本に生まれ、現在生存している私たちの多くが70代です。その私たちは、アジア・太平洋戦争の前と後の社会の激突を子どもの目をとおして知りました。

 そして、戦後の66年間の激変を大人になった目で見続けてきました。それを論ずる視点は数え切れないほどたくさんあります。

 今日は、第一次産業従事者(農林漁業者)の戦後の変化を比率で見て論じてみたいと思います。

 資料は「経済」12月号、(2011年新日本出版社)P.54の戦後日本の階級構成の変化によりました。

 それによりますと、農林漁業従事者の構成比は、

 1950年44.6%、  1960年30.6%、  1970年18.1%   1980年9.8%

 1990年6.29%、  2000年4.4%    2010年3.2%

というように変化しています。

 私が小・中学校時代をすごした岐阜県恵那市上矢作町では90%以上の世帯主は農林業従事者でした。約100人いた同級生の中で旧矢作町内で生活をしている者、その内農林業を主たる生計としているのは3人です。先に述べた全国的データ(国勢調査にもとづくもの)とかなり符合する現象を示しています。

 旧矢作町で今も生活する残りの16人は、農林業以外で40代、50代、60代を生活していたのでした。工場労働者、会社員、非正規労働者として、さまざまな職業に就いていました。

 戦後66年間のうちに日本社会は産業構造が激変しました。私たちはこの時代の激変を目撃してきました。これからも日本社会は、国際政治社会の激動と連関しながら大きく変わろうとしています。私たちの生活も変わろうとしています。

 野田政権は、私たちの命の綱である年金を減らそうとしています。そして、消費税率を上げようとしています。介護保険料を上げ、その給付を下げようとしています。

 私たちの生活は困窮度を増します。そして原発も維持しようとしています。私は、この野田政権の姿勢に反対しています。残りの少ない人生の中で、次世代以降の人びとに多少は役に立ち益になるようにいきたいと思います。

 先述しましたように、日本の農林漁業従事者が激減していることに危機感を持っています。今、農林漁業従事者の平均年齢は66歳です。農業の再生なくして日本の未来はないように思います。

 ここに示されているデータをみても、日本の農業漁業が大変な危機的状態にあることがよくわかる。そこへ野田首相は、TPPへの参加を表明した。これからの日本の農業はどうなるのか真に不安である。

 休耕田が増加の一途をたどり、先祖が苦労して開拓してきた土地が荒れ果てて行くのは本当に忍びない。農業漁業を再興し、自給自足を可能にすることが求められる。

 

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