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2011年10月15日 (土)

人はそれぞれ違っているからいい

 世の中には、優れた才能を持った人がいる。それは音楽であったり、絵画であったり、野球であったり、医学であったり、芸能であったり、伝統工芸であったり・・・・それぞれの分野でその才能を思う存分に発揮している。金儲けに才がある人もいる。実業の分野で活躍する人もいる。

 NHKのプロフェッショナルという番組があったが、そこに登場した人はそうした類の人である。登場しなくても、人間国宝とか文化勲章を貰う人とか、ベストセラーを書く作家とか・・・・さまざまである。

 そうした人は、私のようなごくごく凡人から見ると雲の上の存在である。地球上には72億ほどの人間がいると思われるが、恵まれた才能をもちそれを伸ばして活躍する人は割合から言えば多分数%であろうと推察する。

 残りの大部分は、平凡な存在であるし、平凡ならまだいいが、少なくとも飢餓もしくはそれに近い底辺の生活を余儀なくされている気の毒な人びとも10億を下らないであろうと思う。

 同じ人間に生まれながら、生まれたところによって人の運命は千差万別である。私は、神の存在を信じないが、それは、もし神がいるならそんな不条理なことをするわけがないと思うからだ。

 13日の朝日新聞「天声人語」になかなかよい箴言が紹介してあった。フランスの文人、ラ・ロシュフコーが言ったことだという。そのまま引用する。

 「この人間観察の達人は、神は自然の中にいろいろの木を植えたように、人の中にもいろいろな才を配した、と言う。

 (だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれたリンゴを実らせることはできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた才能と同一の結果を産むことができない。)」(二宮フサ訳)

 世の中には、多芸多才な人はいるにはいる。幾つかの分野で一流の才能を示す人もいる。しかし、それもごく限られた分野のことであり、万能ではありえない。

 先ほどのロシュフコーの言葉をありふれた表現で言えば、「天は二物を与えず」ということだろう。

 「ドジョウは金魚にはなれない」ということが脚光を浴びたが、相田みつおの「どじょうがさあ、金魚のまねすること、ねんだよなあ」は、ドジョウはドジョウ、金魚は金魚で場を与えられているのだから、その場で誇りを持って生きればよいということだと思う。

 ドジョウだからと言って何も卑下することはないのだ。金魚だからと言って威張る方が卑しいと言えよう。

 いくら立派な梨の木でもリンゴの実はつけられないのだ。

 私も一応大学を出て教職についたが、それ以外のことは何もできない。先日、浴室などをリフォームしたが、工事をした職人さんたちはたった4日間で新築同様に甦らせた。

 人それぞれに自分を生かす道があるのだ。

 

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コメント

そのNHKの番組は見ませんでした。96歳まで元気で現役でいられるというのは素晴らしいですし、羨ましくもあります。カメラを通して世のために活動されているのですね。

本当に人さまざま物もさまざまですね。地球上に72億もの人間が現在生きているのでしょうか?男女の差はいったいどれぐらいなのでしょう・・・昨日NHK朝いちという番組に満96歳の女性カメラマンがかくしゃくとして出演していましたが、彼女は地球上をカメラを持って日本の終戦時のアイゼンファゥアーの奥さんの写真も撮ったり、講和条約の現場写真を撮影したりの大活躍をしてきて今尚現役で活躍中です。100年という年月をこの地球上の人々はどんな運命に翻弄されて生きているのでしょう。自分のことはさておいて考えていると面白いですね!

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