« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月31日 (月)

曾山流樹徳吟詠会再興25周年記念吟詠会

 名古屋華マジカルグループで一緒の村瀬さんは、はるか以前から詩吟をやっている。曾山流光璋支部に属して上席師範だ。案内を頂いたので聴きに行った。

 名古屋市の公会堂で午前9時半頃から夕方まで吟詠会が開かれた。曾山流樹徳吟詠会再興25周年記念吟詠大会と銘打ってあった。

 会場の市公会堂に着いたのは、12時半ごろであった。会場には人影がまばらであったが、丁度休憩の時間であった。

 12時45分から式典が開かれた。壇上には来賓などが両側に並んでいて中央に演壇がありそこで宗家や家元の挨拶や来賓祝辞があった。

 宗家と家元とどう違うのかどちらが偉いのか私には分からなかった。入場する時に貰った分厚いプログラムを見ると、ヒエラルキイが厳然としていた。日本の伝統芸能に見られる階級組織があるのだ。会員は千数百名もいるということでとても大きな会である。

 挨拶や祝辞を聞いても、古めかしい漢語をちりばめたものであった。また、家元と宗家には会員の総意ということで大きな熨斗袋に入った分厚い記念品料と花束が贈られた。式典は45分も続いた。

 式典の後、特別別出演の楽人による和太鼓の演奏があった。それから曾山流吟詠会として、青年部の吟詠から始まった。3歳ぐらいの幼女が2人参加して微笑ましかった。春風と富士山が大勢で吟じられた。

 総本部上席師範吟詠は、村瀬さんの「舟中子規を聞く」からであった。女性はみなおそろいの和服のユニフォームを着ていた。14名が次々に吟じた。ほとんどはかなり年配の人であった。尺八と琴の伴奏に合わせて謡うのだが、そのうちに眠気を催した。周りを見ると同じように眠っている人たちがいた。

 隣の席の人は、曾山流のテキストを持参してそれを見ながら聞いていた。大きな字で詩が印刷され、その詩に記号がつけてあるようであった。多分節回しなどを記してあるのだろうと思った。

 来賓吟詠や剣舞もあった。

 3時近くからは、特別番組の構成吟燦然たり「李白と杜甫」があった。これは五時ごろまで続いた。詩仙と言われた李白と詩聖と言われた杜甫の出会いなどを含めて2人の巨星を描いたものであった。

 その構成劇のナレーターとして村瀬さんは最初から最後まで長丁場を務めた。力強いナレーションでエピソードや時代背景などを説明した。

 舞台の中央に大きなスクリーンが設けられ、風景や人物や詩が映された。また、時には踊りやちょっとした劇も演じられた。

 この構成吟によって李白と杜甫が出会ったことや2人が唐の玄宗皇帝のときに生きたことも知った。李白と杜甫の人物についての知識も得ることができた。

 李白の月下独酌など有名な詩、杜甫の春望など多くの詩が吟じられた。大変興味深いものであったが、2時間余りは長すぎる感じで、スクリーンの詩を読みながら一生懸命に聞いたので疲れてしまった。それで構成吟が終わると会場を後にした。

 でも、村瀬さんのおかげで詩吟の世界に触れることができ楽しいひとときであった。

 

Cimg2497

Cimg2499

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月30日 (日)

情報年齢が分かる?

 29日に、日本語教室があり、その後ボランティアで恒例の勉強会をした。

 今回のレクチャー担当は、比較的若いMさんであった。授業で学習者から受けた質問をもとにして、それに付け加えて、今の若者を中心にして使われているコトバを紹介した。

 「先生、『ピンクい』というコトバがありますか?」と質問されたそうだ。どうやら若者の間でふんだんに使われているらしい。私は知らなかった。

 ピンクは外来語だし、それに「い」をつけて形容詞にするのは変だが、若者の新感覚が現れているという意見もあった。

 「それ、キレくない?」は、よく聞くが私などにはよい日本語だとは到底思えない。

 「それ、違くない?」という言い方もあるのだそうだ。

 最近は、略語や俗語がどの程度わかるかで、情報年齢が分かると言われているという。

次の《ことわざ・慣用句》は、私達もよく使うものが多い。

 みみたこ, イマイチ、  ダントツ, やぶへび、  ジコマン、 ドンマイ、

 ダメモト、 ドタキャン、 たなぼた、  かもねぎ、

 私が子どもの頃よく使ったドンマイが今でも使われているとは思わなかった。

《名詞》

 ツンデレ、  インフラ、  ヘビロテ、 マンキツ、 コーデ、

 トリセツ、 アラサー、 スマホ、 リア充、 鉄板、

 上の中で知っていたのは、インフラ、トリセツ、アラサー、スマホだけであった。

 若者の間で新しい表現が次々に作られて広まっていくようだが若者と付き合いのない我々は知らないことばかりだ。KYは古くなった感があるが、これとてマスコミで取り上げられたから知ることができたのだ。

 

 解答

  ツンデレ→ツンツンデレデレの略で人によって態度が変わること

  ヘビロテ→ヘビイ ローテーション=よう使う、お気に入り

  マンキツ→漫画喫茶

  コーデ→コーディネーション

  リア充→リアル世界が充実していること

  鉄板→確実さ

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月29日 (土)

橋下知事主導の恐るべき大阪府教育基本条例

 朝日新聞に3日間連載された、大阪府教育基本条例の解説でやっと問題点が見えてきた。

 知事が「教育目標」を定め、それをもとに府教育委員会が具体的な「指針」を示す。府立高校の校長は指針をもとに学校が目指す具体的な「数値目標」を決める。一般の教員は、校長が決めた数値目標を達成するために努力をする。

 つまり、上意下達のシステムを作るのだ。一部の週刊誌は「独裁者橋下知事」と書いているが、まさに教育についても知事の思うとおりの独裁がまかり通ることになる恐ろしいシステムである。

 橋下知事は、教育が中立性を保つが故に、教育に介入できないことを歯がゆく思っているらしい。それで政治が思うがままの教育を強制できるようにしようということなのだ。

 そのために成果主義の考え方が採用された。三年連続で定員割れした学校は統廃合される。だから校長は自分が立てた生徒の成績をあげる目標達成のため教員の尻を叩く。

 その鞭とも言うべきものが、教員の評価である。第19条によると、「人事評価は、Sを最上位とする5段階評価で行い、おおむね次に掲げる分布となるように行わなければならない。S5%、A20%、B60%C105、D5%。」となっている。

 しかも、2年連続でDに評価された教員は免職を含む処分の対象となるのだ。校長に睨まれたら最後である。一度睨まれたら、その教員はいくら生徒のために頑張っても評価されないことになる。そういうことは私の現職時代に幾らでも見たり、経験したりしてきた。ただ、幸いと言うべきかそれで免職になることはなかった。

 Sに評価される教員には、校長に取り入るのが上手な者が入ることになる。私が勤めていた頃にもヒラメ教員と呼ばれるのがいて校長のお先棒を担いで気に入れれていた。

 大阪府教育基本条例は、ヒラメ教員ばかりをふやし、気骨のある教員や本当に生徒のための教育を行う教員を排除する恐れがある。

 尾木ママが、「中学校教師の頃、荒れた生徒や問題のある生徒こそ愛情が必要と考え、寄り添い続けて来たつもり。でも、大阪ではDとなるのかなあ。」と述べている。私も、間違いなくDランク教師だ。

 成果主義だけの学校は、間違いなくすさむであろう。生徒間や教員と生徒の関係も冷たいものになるであろう。受験競争がどれだけ人間を損なってきたかその弊害は言い尽くされてきたはずである。それに懲りずにさらに競争を激化させ、優勝劣敗は世の常ということを叩き込もうという魂胆なのだ。

 桑原、桑原!

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

TPP問題―アメリカに有利な協定らしい―

 朝日新聞に、「TPP対立が鮮明化」と出ていた。NHKTVニュースでは、自民党の大島副総裁が鉢巻をして反対を唱えている映像が出た。態度を示していなかった公明党も反対に回った。共産党は、最初からTPP参加には反対で、その一点で一致するところに反対行動を呼びかけている。

 TPP(環太平洋経済連携協定)というのは、難しくてなかなか理解ができない。新聞を読んでも分からないことが多い。

 自民党が鉢巻をしてTPP参加反対を息巻いているのを見て違和感を覚えた。もし、政権をとっていたら反対をしたであろうかと疑問に思うのだ。民主党の中は参加派と反対派に分かれているようだが、政府は参加をする方向で進めている。

 最初からTPP参加に賛成をしているのは経団連だ。野田首相がTPP参加を進めているので、経団連会長はご機嫌がいい。野田内閣を応援すると言っている。

 経団連がTPPに熱心なのは、自動車産業などが輸出で不利になることを心配しているからのようだ。とりわけ韓国との競争で不利になるということらしい。

 一方、農業団体は日本の農業が破壊されると言って反対をしている。また、日本医師会もTPPには反対である。日本の健康保険制度などの医療制度が崩れると言っている。

 TPPの中身はどうなるのかはっきりしていないが、これまでのいろいろないきさつからすると、どうやら「外資系企業を国内企業と同等に扱う」ということになるようだ。外資に対する規制をなくし、多国籍企業などが自由に活動できるようにし、その利権を保護しなければならないという。

 規制緩和(小泉内閣がやってましたね)が徹底的にすすめられ、政府や自治体が新たに規制をすることもできなくなるのです。

 例えば、医療では、利益追求のアメリカの医療ビジネスが日本に入り込み、混合診療や株式会社病院がおこなわれるようになるそうだ。そうなると、健康保険制度が歪められ崩されていくことになるのだ。

 野田内閣は、とりあえずTPPに参加をして発言しようと言っているが、そんなことでいいのかという危惧を抱く。私を含めてTPPについては、まだよく分からない国民が多数だと思う。

 急ぐことなく、みんなが分かるまで国内で議論をして欲しい。幸い、自民党・公明党から共産党まで、ほとんどの政党が反対のようだ。この問題に関しては、政府を大いに追及してもらいたい。

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

非常に不思議な神隠し

 以前にも神隠しのことを書いたことがありますが、今度の神隠しは非常に不思議なものでした。

 英語会話のクラスに行くときはいつもICレコーダーを持って行くことにしています。一昨日、ICレコーダーを忘れないようにと思い、いつも持って行く袋に入れておきました。

 英語に行く時の用具を入れる袋は、20年以上も前に、子どもたちに家庭科の裁縫の授業で教えたとき作ったものです。口のところに紐が通してあってそれを締めて中のものが飛び出さないようにしてあります。

 私は、この袋がなぜか気に入っていてずっと使っているのです。その袋にICレコーダーを入れて持って行ったはずなのですが、教室に着いて取りだそうとしたら・・・無いのです!あせって袋の中をひっくり返して調べましたが、どこにもありませんでした。

 すぐに家に電話して調べてもらいましたが、やはりどこにも見つからないということでした。

 帰宅後、部屋の中を念入りに探しましたが見つかりませんでした。

 寝床に入って、いろいろと頭の中でレコーダーのことが巡り、なかなか寝付けませんでした。まだ新しい充電式電池、音のよいイヤホン、それに録音したデータの中には中国語のものがたくさんあり、それらもなくしたのは大変惜しい気がしました。

 次に日に、もう一度センターに行き、窓口で落し物がなかったか尋ねることと、警察にも行ってみようとまで思いました。

 翌朝、いつものように早く起きてウオーキングに出かけました。妻にゴミを出すように言われていたので、その袋を持って出ました。家の前にゴミを置く場所に来て、ふと見ると暗い光の中に、ICレコーダーと電池と入れるケースが落ちているではありませんか。

 我が眼を疑いながらそれを拾い、早速耳にはめて聞いてみましたら、正常に動きました。何というラッキー!!と嬉しくて嬉しくてなりませんでした。

 ICレコーダーを聴いて歩きながら考えました。どうしてあんなところに落ちていたのだろうと。第一、落ちていた状態が不思議です。ケースから出て落ちていたからです。他にも不思議なことは、袋に入れて自転車のかごの中に入れてあったのにどうして飛び出して落ちたのかということです。

 どう考えてもどのようにして落ちたのかがわかりませんせんでした。でも、奇跡的に出てきたのだからそれでよしとしようと思いました。本当に不思議な出来事でした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月26日 (水)

携帯心電図ポルターをつけたが

 先週の火曜日頃から、期外収縮が起きるようになった。夕方とか夜中に目が醒めると期外収縮が起きているのを感じることがあった。

 心臓の鼓動がときどきフッと途切れるので、何となく感じがよくない。期外収縮は30代の半ば頃に起きたことがあり、心電図をとり、ポルターをつけた。その頃のポルターは弁当箱のような大きなものであった。それをつけて仕事に出かけた。

 そのときは、大したことはないということであった。その後もときたま期外収縮が起きたが気にしなかった。

 40代になって、また、期外収縮が気になるほどのことがあったので、また、病院に行って心電図をとり、ポルターをつけた。そのときの診断は心房細動ということであった。でも、大したことはないという話であった。

 それからも勤めている間は毎年人間ドックで心電図をとったが、別段のことはなかった。

 期外収縮は、退職後も年に数回起きることがあったが、そのままにしていた。それに退職後は子育ても終わっていたし、人間ドックに入ることもしなかった。

 そうやって過ぎてきたのだが、後期高齢の歳になって期外収縮が続いたのでちょっと心配になった。先週の土曜日の朝も期外収縮が起きたので、丁度よいと思い、医者に診てもらいに行った。

 心電図を取り、聴診器をあてて、上室性期外収縮だろうという診断であった。気になるのならポルターをつけて24時間調べましょうと言ったのでそうすることにした。

 ただ、土曜日だったので装着できないので、月曜日につけてもらうことになった。日曜日も時々期外収縮が起きていた。

 ところが月曜日になると期外収縮は止まっていた。ポルターを着けて貰ったが、驚いたのは、今のポルターは広告マッチ箱ぐらいの大きさであることだった。実に小さくなったものだ。きっとメモリカードに記録をするのだと思った。

 つけている間、メモの紙を貰って、トイレ、食事、歩行、仕事・・・・などの行為を時間を入れてチェックしなければならなかった。しかし、24時間の間に何も自覚するような症状は起きなかった。

 火曜日の朝、はずしてもらうと、データは大きい機械に入れられ、大きな長い紙にデータのグラフが印刷された。

 医者の話では、期外収縮の回数は正常範囲だと言った。土曜日でなく金曜日に行っておけばよかったと悔やんだが、仕方がない。

 結局、心配するものではないという結論であった。そのうちまた起きるに違いないが気にしないで済むと思った。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月25日 (火)

名古屋市の事業仕分けへの疑問―減税は要らない必要なものは残せ―

 名古屋市の事業仕分けが終了した。私たち高齢者に関係した「敬老パス」が見直しの対象となった。

 名古屋の敬老パスは大変使い勝手がよく、ありがたいと思って使ってきた。名古屋は狭い街で、地下鉄が発達しどこへ行くにも大変便利である。市内の移動には自動車を使うことはほとんどなくなった。

 敬老パスのお陰でボランティアにも参加しやすいし、あちらこちらに気楽に出かけるので運動になり、さらには気分転換にもなる。それは健康の維持につながっていくのだ。だから医療費を減らす上でも貢献していると思う。

 高齢者が出歩くと、そこでたいていの場合何らかの出費をする。食事をしたり、お茶を飲んだり、映画を見たり、展覧会を見たり・・・・。買い物も楽しみの一つである。従って経済にもよい影響を与えている筈だ。

 政府は、高齢者に消費意欲をおこさせ、持っている金を使わせて、経済を刺激したいと考えている。それにも大いに貢献している筈だ。

 敬老パスは、最初は無料で交付されたが、8年ほど前から有料になった。それでも私の場合5000円だから大変重宝している。毎日でも気楽にどこかに出掛けることができる。

 その敬老パスが見直しの対象になったのだ。仕分け人は、市民から無差別で選ばれたというが、本当にそうであろうか。

 河村市長は、敬老パスの存続を公約に掲げて当選した。それなのに、「納税者革命の第1歩だ。結果は尊重して行く。」と、諸手を挙げて歓迎している。

 市長は減税さえ実現すればよいと考えているらしいが、減税なんて要らないから、大事な市民サービスを低下させないで欲しい。

 その例として敬老パスの他にも、女性会館の廃止がある。私も現在女性会館を使うグループに参加して活動しているが、グループが大変多くて部屋の予約は大変であると聞く。

 市民がさまざまな文化活動の場として女性会館を使用しているのだ。もし、廃止されたら活動はどうなるのか。

 同じことは、生涯学習センターの見直しにも言える。民間に移管してしまえということのようだが、民間経営になることで利益優先になり利用が難しくなる恐れがある。

 河村市長は、減税だけを唱えて、市民サービス、市民福祉の費用を削減しようとしている。私は、当初から河村氏の減税に疑問を呈して来た。事業仕分けの名の元に私たちが必要としているものまで無くさないでほしい。 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年10月24日 (月)

不思議な習い性

 長年同じことを続けていると、それが習慣というか、癖になることがよくある。最近感じていることは、トイレの便座のスイッチに関することである。

 30代の終わり頃に、イボ痔で野垣病院に入院したことがあるが、そのとき、病院のトイレは、その頃まだ珍しかったシャワートイレ(Inax)であった。入院中にそれを使って快適であったので、退院後我が家にも取り入れた。まだ高くて、確か100000円ぐらいだったと思う。

 まだ、友人、知人の家にもそういう設備はなかった。贅沢だと思ったが、痔になるのは嫌なので思い切って設置したのであった。でも、痔に対する効果はなかったのか、その後40代に今度は痔ろうになり入院する羽目となった。それでも電動便座は使い続けてきた。気持ちがいいからである。

 今度電動便座をTOTOのAPRICOTに変えた。そこで奇妙な体験をしたのた。

 それは、シャワーのスイッチを押す時におきた。現在のスイッチは、リモコン式で真正面の壁に設置されている。ところがスイッチを押す手は右下に行ってしまうのだ。これまではスイッチがずっと便座の右横についていたので自然に手がそちらに伸びてしまうのだと知った。

 習い性とは恐ろしいもので、設置してから20日ほどになるというのに、未だに右手が従来の場所に動くのである。

 よく、腕や足を失った人は、その感覚がいつまでも残ると聞くが、似たようなことであろうか。

 通勤電車で乗る場所がいつも同じになるとか、継続的な勉強などの会合で座る場所はいつも同じ場所になるとかそういうことはごく普通に起きる。例えば、英会話の授業での座る場所、マジックの例会での座る場所・・・など固定化されてくるのだ。

 何かをする習慣でもそうだ。よく、日記は三日坊主になる人が多いといわれるが、三日坊主にしないためには最低でも1週間か10日ぐらい続けるとよいと聞く。このblogでも同じである。最初頑張って続けているうちに習慣となってしまったのだ。

 学生なら勉強がそうであろう。習慣化することが続ける上で大事なのだ。人間の脳はそのように状況に対して対応するように変化し固定されるように思う。

 トイレのスイッチを押す動作の切り替えは何時のことであろうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年10月23日 (日)

独裁者の末路

 リビアで42年間独裁者として君臨したカダフィ大佐が死亡したと伝えられた。DNA鑑定をして本人かどうかを確認するのだと言う。テレビの映像で見る限りは、どうやら本人のようだ。

 頭や心臓に銃弾を受けて搬送される間に亡くなったというが、一説では殺害されたとも言う。

 あれだけリビアで権力をふるい、42年もの長い間統治してきた大佐も最後は土管のような穴の中に隠れているところを見つかったようだ。

 イラクのフセイン元大統領が最後には穴倉に隠れていて発見されたのとどこか類似点がある。

 チュニジアの大統領を引き摺り下ろすことから始まった「アラブの春」の運動は、エジプトのムバラク前大統領を追放し、リビアの独裁者も排除した。

 イランのフセイン元大頭領はアメリカのブッシュの言いがかりで逮捕され殺されてしまったが、それ以外は自国民の闘いによるものであった。

  ただリビアの場合は、、NATOが空爆に参加した。カフダフィ大佐の死も逃亡の車列をNATOの飛行機が空爆したので、道路わきの穴に逃げ込んだと言われる。

 チュニジア、エジプト、リビアのいずれも大変な長期間独裁を続けながら最後はおそらく当人も予想していなかったであろう惨めな終わりを迎えている。

 圧制が厳しいほどそれが自分に跳ね返る力も大きいということである。

 チュニジアの大統領は国外に逃亡したようだが、エジプトのムバラク氏は命は永らえているらしい。カダフィ大佐は国外への逃亡をせず最後まで国内にとどまり憐れな最後を迎えた。その拘りはどこか戦国時代の日本の武将を思わせるものがある。

 「アラブの春」の動きは、次はシリアやイエーメンに何らかの影響を与えるのかどうか。少なくとも権力の座にいる者は安閑とはしておられないであろう。

 また、折角独裁者を追放しても、その後の政治体制をどう構築するのかは非常に不透明だと言われる。新しいよりよい政治の仕組みを作り上げて欲しいものである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月22日 (土)

IQ(知能指数)は変化するという研究

 20日の朝日新聞朝刊34面に、「IQ将来性あり」という見出しで、ロンドン大学が20日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した論文の骨子を紹介した。それによると、知能指数(IQ)は、思春期の頃にかなり変化し、対応して脳の構造も変化することがわかったという。

 IQは生涯で変化しないというのが定説であった。私が現役であったとき、IQテストが毎年実施された。その結果は教育指導の参考にするためというのが理由であった。でも、私の経験か言うとIQテストの結果を参考にすることはなかった。

 私自身がIQテストを受けたのは、確か中学で1回と高校で1回だ。その結果を知りたいと思ったが知らされることはなかった。それは、IQは一生変わらないとされていたので、IQを知ることによってその人にレッテルを貼ることを怖れたからである。 それは私が現役の頃でも同じであった。

 もともとIQなるものは、アメリカで兵役に徴集する際の資料として開発されたものだと聞いたことがある。大まかに優秀な者と劣等な者を篩い分けるためと説明されていた。

 私自身は、IQについては信じたことは一度もなかったし、良心的な教員はやはり信じなかった。だいたい、人間の知能が生まれてからの教育や環境などで変化しない、恒常的なものだというのはおかしな話であると思っていた。

 それが今回、やっとといべきか、遅きに失したというべきか、ロンドン大学の研究でIQは変化するということが分かったと言うのだ。

 協力した男女33人が12歳から16歳の時に受けたテストの結果と4年後に受けた結果を比較したら、上昇した人と低下した人があったというのだ。

 たった33人のサンプルというのが気にならないでもない。なぜならIQテストは、日本では毎年実施しているのだから経過を比較できるはずだが、それがなぜやられた来なかったのかという疑問が残る。

 それはともかくとして、脳の構造を調べたら、一般教養などを測る言語性IQが上がった人は、話をする時に活性化される左脳の1部の神経細胞の密度が高まっていたという。

 また、ジクソーパズルを解いたりする能力能力を測る非言語性IQは、手を動かした時に働く小脳の一部の神経細胞の密度が高まっていたそうだ。

 今回の研究で、脳の中に注目して脳の神経細胞を可視化して調べたことが説得力を持つと思う。近年脳の働きや構造を調べる方法が進歩し、脳の働きがいろいろと調べられるようになったことが研究の助けになったのだろう。

 チームのプライアス教授は、「幼いうちに子どもの能力を決め付けてはいけない。」と指摘しているそうだが、その通りである。

 もう、30年ぐらい前から、子どもが赤ちゃんの頃からIQテストの成績を上げるのに腐心していわゆるお受験ママのことがよく知られているが、IQ神話が崩れたのは歓迎すべきことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月21日 (金)

馴れて来た白猫ちゃん

Cimg2385

 我が家の近辺にいる4匹の白猫のその後です。

 以前に「ショートテイル」として書いた尾っぽが一番短い白猫は、私によく馴れて、朝ウオーキングに出かけるとき、または帰ってきた時、向こうから私の方にやってきます。近くに来ると、ニャーと鳴きます。そして、身体を足に摺り寄せてきて、私の周りを回ります。

 私が足で身体を押しても驚かなくなりました。持っているキビナゴをやると食べて、また、身体を摺り寄せて鳴きます。

 キビナゴを2匹やると、私は玄関の方に向かいます。すると、白猫は先回りをして待っています。家の中に入ると、外でニャーと鳴いています。

 今度は冷蔵庫から、食べる煮干を出して持って出ます。ドアを開けるとそこに待ていて身体を摺り寄せてきます。2cmぐらいの小さな煮干を1匹ずつやります。

 余り鼻がよくないらしく、鼻先に投げてやっても、どこにあるかわからないときがあります。そういうとき、拾って投げなおそうとしますが、うっかりしていると、足で取ろうとして爪でひっかきます。「足を出してはいかんよ。」と言っても通じません。

 これまでに5回ぐらい足や手をひっかかれました。猫のつめは犬と違い大変鋭利なのでかすったぐらいでもすぐに血が出ます。

 食べたら、私の前で寝そべったり、ひっくり返ったり、身体や足をなめたり、いろいろなパフォーマンスをします。見ていると可愛いものです。

 時には、太い長い尻尾の雌猫や尾が中くらいの長さの子猫が来ることもあります。子猫はちょっと馴れてきたみたいです。

 もともとは子猫を馴らそうと思っていたのですが、尻尾が短いオスが馴れてしまい、それにつれて子猫も馴れ始めたということです。

 子猫がオスであることが分かりました。後ろにキンタマがついていたからです。たまに尾の長い白猫がくることもありますが、あまり来ません。

Cimg2389

Cimg2391

Cimg2395

Cimg2400

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月20日 (木)

子どもの頃の風呂、トイレ、洗面

 浴室、洗面台、トイレの便器などを取り替えて、最新のものになったのでとても快適で使いやすく、しかも、エコ対策にもなった。ある意味では、昔の王侯貴族や大名でもこれほど気持ちのよいシステムの恩恵には浴せなかった。

 ベルサイユ宮殿では、廊下などの片隅で大小便の用を足していたというし、イタリアでは石畳の道に二階などの窓から用便を投げ捨てていたと言われる。

 日本では、便所があって,人口百万の江戸の町には近郷の農民が便を集めに来ていた。便は再利用するシステムが出来上がっていたのだ。

 私が子どもの頃でも、近くの農民が大八車に肥桶を積んで集めに回っていた。その頃の便所は、ポットン便所で便器に下は大きなカメがあってそこに大小便を溜めたのだ。下を向くと便がまともに見え、匂いが上ってきた。

 それでも町の家は陶器できた便器が備わっていたが、田舎の祖父母の家は農家なので外の小屋にあり、板張りで土足で用を足した。最初に使ったときはびっくりしたものだ。

 大便をして便所紙がないときは、新聞紙をよくもみほぐして使ったり、習字の練習をした後の紙を使った。さすがに習字の紙で尻を拭くのはバチが当たりそうな気がした。

 男子用小便器はときどき洗っていても、黄色ぽい色がついていた。洗面所などはなくて台所で兼用していた。戦後名古屋の親戚の家に行ったら、洗面するところがあったので驚いた。

 風呂は、当然家にはなく、銭湯に行っていた。戦時中や戦後の銭湯はひどくて、湯は浴槽の半分ぐらいの深さしかなく、しかも、石鹸の色で濁っていた。そして時たま便が浮いていることがあった。。誰か子供が浴槽の中でしたに違いない。大便は大人が手ですくって外に捨てていた大便をするぐらいだから小便もしたであろう。

 銭湯の湯が溢れるようになったのは何時頃からか覚えてはいないが、ずっと後のことであった。

 我が家には、風呂はなかったが、夏休みに田舎の祖父母の家に行くと風呂があった。玄関脇の物置小屋の一角にあって、いわゆる五右衛門風呂というやつだ。木の桶の底が鉄板で、その下で稲藁などを燃やしてお湯にするので、入るときは火傷をしないよう浮き板を浮かべて入った。お湯は少なくて肩までがやっとであった。

 風呂の水汲みが大変で、井戸で水を汲んで風呂場まで運ぶのだが、それは子どもの役目であった。

 自分の家の風呂に入れるようになったのは、結婚してからであった。それも最初は木の風呂であった。家を建て直してからやっとガスで沸かすタイル張りの風呂になった。それが41年続いたのだ。

 そういう訳で、リフォームしたら余りにも違いがあるので極楽である。私たちは、子どもの頃からの今の感覚で見ると不便極まりない風呂やトイレを経験しているので、よく分かるのである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年10月19日 (水)

タイの友人から―タイの洪水のこと―

  タイ在住の友人にmeailしましたら、下記の返事が来ました。
 
  タイの洪水は相当深刻なようですね。テレビや新聞では、日本企業が460社冠水し被害を受けたと報じています。タイの一般市民のことは何も報じていません。今年は日本だけでなく、タイ等の外国でも水害がひどかったです。これも自然の摂理を無視して利益追求に走った人間がもたらしたもので、天に向かってつばを吐いたようなものでしょう。
 それはそれとしてタイの洪水が一刻も早く引いて市民生活が正常に戻ることを祈っております。
(返事)
 ここ2、3日激しい雨が降り続きました。低いところはたちまち水浸しです。
 私は今年は例年よりも水が少ないように思いますが、今朝来たお手伝いさんに田舎の様子を聞いたら、田んぼは水浸しで例年より多い気がするという返事でした。
 
 私の家から見る限り、例年は国道を走る車が水の上に浮いているように見えるのですが、いまは道路の土手が見えます。
 
 バンコクはチャオプラヤー川の流域で、上流のダムの放流があったようです。でも水門を締めたようなので遠からず、洪水も納まるでしょう。去年は家内の在所も軒までつかりました。私がかかろうとしていたコラートの病院も水につかりました。しかし、日本ではニュースになりませんでした。
 
 日本では日本のことしかニュースにならないのは当たり前です。日本は人件費が高い、法人税が高いといって企業は日本から逃げ出したのですが、そうは問屋がおろさなかったようです。その損失はすぐに日本国内で取り返すのでしょうが。
 
 タイの水害は日本のように家まで何もかも持っていくことはないので、その点日本よりもいいです。最近は1階にも部屋を作ってしまっているので被害を受けていますが、毎年水害を受ける地域では高床式のまま、1階を部屋にしないで不便な暮らしをしているので大丈夫です
 タイでは洪水の起こる地域では、高床式にしていることは初めて知りました。生活の智慧ですね。
 
タイ洪水、首都隣県に

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月18日 (火)

郵便局で損を蒙る―基本的な知識さえない郵貯行員―

 リフォーム代金を送金するために、近所の行きつけの石仏郵便局に行った。窓口の客は少なくて郵便貯金担当行員は窓口に1人だけで、他の職員は奥にいた。

 窓口の女性局員はまだ新米なので、奥のベテランと思われる男性局員を呼んだ。そして、百万円以上の送金の書類を見せて、送金方法について尋ねた。

 ATMで送ると手数料が窓口より安いので一日の限度額を尋ねたら、100万円だと言った。それで、それなら2日に分けて送るしかないと言ったら、窓口からも送金できるが840円の手数料がかかると言った。

 では、銀行へATMで送るといくらかからのかと聞いたら、知らないと言った。どうしてかと聞くと、銀行によって違うからだと言う。通帳に以前に送った記録があるのを思い出して、調べてみると愛知銀行宛は420円であった。2回送ると840円だから窓口と同じことになる。それで窓口から1回で送金することにした。

 振込用紙に書くのは、記入事項が多くて大変手間取ったが仕方がなかった。窓口の処理にも時間がかかった。

 やっと終わったので、念のためにもう一度、一日のATMの送金限度額を尋ねたら、はっきりとは知らないと言った。

 それで、局長を呼んだ。いつもの顔見知りの局長は不在で、この日は代理の新顔であった。いったい一日のATMによる送金限度額はいくらかと尋ねたら、もう一人のベテラン行員に聞いて200万円までだと言った。

 私は、「前の局長ならちゃんと教えてくれた。一日の送金額が低く設定してあっても変更すれば送れると聞いて、前回はそのようにした。」と言った。

 実際、前回送金したときは設定額が50万円にしてあったが、それを100万円に直して送金し、直後に再度手続きをして元の限度額に戻したのであった。

 一日の限度額が200万円なら送金額を変更して送れば420円ですみ、しかも、手続きも簡単であったのだ。

 私は、「420円は大きい。普通預金は利子がゼロだし、定額預金でも100万円を1年間預けても利子はほとんどないのと同然だろう?」と言ったら、「その通りです。申し訳ない」と言った。ただ申し訳ないと繰り返すのみであった。

 聞くところでは、小さな地域の郵便局は、郵政会社の下請けだと言う。下請け会社とは知らなかったので驚いた。それで成績もよくないらしい。(これは郵貯銀行支店の行員から聞いた話である)

 それなら尚のこと信用を上げ、顧客のサービスに努めなければならないはずだ。それを420円にしろ顧客に損を与えているようでは信用できない。なぜ基本的な事務の知識さえ持っていないのだろう。それが不思議でならない。しっかりと研修をして出直すべきだ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月17日 (月)

昭和男爵コーラスとスイートポテトのコンサート

 10月14日(土)と15日(日)は、昭和生涯教育センターのセンター祭りであった。昭和男爵コーラスも女声コーラスのスイートポテトと共に参加した。

 コンサート会場は、例年視聴覚室が使われる。センターでは一番大きい部屋だが収容人員は40人~50人ぐらいである。その意味ではアットホームなコンサートができるといえよう。

 10時半から11時までがスイートポテトで11時15分から11時45分が昭和男爵コーラスの出演であった。

 スイートポテトは、指揮が奥田洋子先生、ピアノが竹市めぐみ先生で、14名で歌った。30年の歴史をもつグループで平均年齢は高い。

 選曲は女声コーラスらしく

「ぎんいろじかん」  くどうなおこ作詞  ずけらんなおこ作曲 

     いっしょに   もみじのワルツ  なつまつり

またきみにこいしてる 松井五郎作詞  森正明作曲

よろこびの歌      第九から岩佐東一郎作詞 今村康編曲

赤とんぼ         三木露風作詞  山田耕筰作曲

 力まないできれいに歌った。

 昭和男爵コーラスのプログラムは

 知床旅情 森繁久弥の作詞作曲である。2部合唱だがハーモニーがきれいで歌 っていて気持ちよかった。

 海     小学校唱歌を男性合唱用に編曲したもので、最初アカペラで歌うはず   がピアノの単音の助けを借りた。でも、それなりに男性合唱らしさは出せてと思う。

 山の煙  ラジオ歌謡で有名な曲だ。2部合唱だがきれいにハモたと思う。

 夕やけこやけ  小学校唱歌を男性合唱用に編曲したもの。練習のときは難しかったが練習を重ねたので気持ちよく歌えた。

 最後は笠置シズコで有名な東京ヴギウギ。リズミカルな曲なので身体を動かして楽しく歌った。

 自分の感想としては、結成5年目で指揮者の厳しいご指導のお陰で少しづつは上達したと思う。歌っていてきれいにハモルと気持ちがよいことが多くなった。私が聴きに来てくれるよう頼んだ知人たちは、みな上手に歌ったいるので楽しかったと言ってくれた。昨年も来てくれた人たちは上達していると褒めてくれた。

emailを頂いた人のを載せておく。

 何と 素晴らしい!!!

びっくりしました。迫力があり、よく揃って、ハーモニーも

素晴らしかったです!

また 選曲も良かったですね!

楽しい時間を 有り難うございました。

  残念なのは、今年は土曜日だったので、日本語ボランティアグループや他のグループの知人で活動と重なり来られない人がたくさんいたことだ。   

2011

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月16日 (日)

OUTBACK STEAK HOUSE で送別会

 英語会話クラブのインストラクターが交代するので送別会を開いた。場所はインストラクターの希望でOUTBACK STEAK HOUSE栄店にした。

 事前にインターネットで場所を調べて出かけたのだが、その店の看板の前を歩いたのに気づかなかった。2箇所で場所を尋ねてその店の場所に行ったら大きなネオンサインの看板が出ているではないか。栄交差点から広小路通りの北側の歩道を1ブロック歩いた角を曲がった地下であった。

 店に入ると、テーブルが並んでおり、予約した席に案内された。テーブルには担当の者が決まっているらしかった。壁に額が掛けてあったが、なぜかどれも斜めに掛けてあった。

 30分ほど早く着いたので、時間つぶしに手品の復習をして待った。しばらくすると他の人たちも集まった。

 2600円のコースを選んだが、店員が量が多いので、一品減らすことを勧めた。

 まず、サラダが運ばれてきた。大皿に人数分を盛ってあった。飲み物を注文したが来ないので、水で乾杯をした。

 野菜から食べるのがよいとガッテンで言っていたので、サラダが最初であったのはよかった。次に、小エビの揚げ物とリングいかが運ばれてきた。インストラクターのJ.Jは、リングいかが大好きだと言った。

 その後、玉葱を揚げたものを大きな菊の花のようにかたどった皿が出た。どうやって取り分けるのかと言ったら、J.Jが「手で取ればいい」と言った。

 料理が次々に来るので、ちょっと早すぎると私が言った。何だかせかされている感じであった。終わる頃に時間制限があるのかと聞いたら、それはないということであった。

 飲みもlのは、キリン一番絞りのスタウトにした。ビールを飲むのは私以外は、女性のTさんとYさんだけであった。私はダークビアが好きである。ただ、ビールの値段が高かった。余り大きくないグラスで680円もした。ビールが高すぎると私は言った。脂っこいたべものばかりなので、ビールがよいが、値段が高いのは解せなかった。

 トウモロコシの粉を入れてせんべいのようにして揚げたものが野菜と一緒に盛られて出た。これはなぜか食べ残された。

柔らかい牛肉の小さな塊とマッシュポテトが出た。その後メーンディッシュのビーフステーキが小さなライスと一緒に出た。一人一切れだ。

 次に運ばれてきたのは、豚のリブであった。どうやって食べるのかと言ったら、Tさんが「骨と骨の間の肉を食べるのよ。」と教えてくれた。ナイフで割って手で持って食べたが、味はよかった。

 私はJ.Jに「アメリカの開拓時代の感じだね。」と言ったらうなずいていた。店の造りといい、料理の食べ方といい、西部劇に出てくる感じだ。

 J.Jによると、OUTBACK というのは、オーストラリアの平原のようなところの意味だそうだが、レストランはアメリカの経営だ。

 インターネットで10%引きのクーポンを持っていたので、一人2500円ですんだ。

 食事が終わって、私は持っていた手品を見せた。やっている時、別の席で誕生日の人への店からのあ祝いがあった。それで、帰る時、その席に行って誕生日のお祝いだと言って手品を見せたらとても喜んでいたし、手品に非常に驚いていた。若い女の子が誕生日の主であった。

 

Cimg2405

Cimg2407

Cimg2408

Cimg2414

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

人はそれぞれ違っているからいい

 世の中には、優れた才能を持った人がいる。それは音楽であったり、絵画であったり、野球であったり、医学であったり、芸能であったり、伝統工芸であったり・・・・それぞれの分野でその才能を思う存分に発揮している。金儲けに才がある人もいる。実業の分野で活躍する人もいる。

 NHKのプロフェッショナルという番組があったが、そこに登場した人はそうした類の人である。登場しなくても、人間国宝とか文化勲章を貰う人とか、ベストセラーを書く作家とか・・・・さまざまである。

 そうした人は、私のようなごくごく凡人から見ると雲の上の存在である。地球上には72億ほどの人間がいると思われるが、恵まれた才能をもちそれを伸ばして活躍する人は割合から言えば多分数%であろうと推察する。

 残りの大部分は、平凡な存在であるし、平凡ならまだいいが、少なくとも飢餓もしくはそれに近い底辺の生活を余儀なくされている気の毒な人びとも10億を下らないであろうと思う。

 同じ人間に生まれながら、生まれたところによって人の運命は千差万別である。私は、神の存在を信じないが、それは、もし神がいるならそんな不条理なことをするわけがないと思うからだ。

 13日の朝日新聞「天声人語」になかなかよい箴言が紹介してあった。フランスの文人、ラ・ロシュフコーが言ったことだという。そのまま引用する。

 「この人間観察の達人は、神は自然の中にいろいろの木を植えたように、人の中にもいろいろな才を配した、と言う。

 (だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれたリンゴを実らせることはできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた才能と同一の結果を産むことができない。)」(二宮フサ訳)

 世の中には、多芸多才な人はいるにはいる。幾つかの分野で一流の才能を示す人もいる。しかし、それもごく限られた分野のことであり、万能ではありえない。

 先ほどのロシュフコーの言葉をありふれた表現で言えば、「天は二物を与えず」ということだろう。

 「ドジョウは金魚にはなれない」ということが脚光を浴びたが、相田みつおの「どじょうがさあ、金魚のまねすること、ねんだよなあ」は、ドジョウはドジョウ、金魚は金魚で場を与えられているのだから、その場で誇りを持って生きればよいということだと思う。

 ドジョウだからと言って何も卑下することはないのだ。金魚だからと言って威張る方が卑しいと言えよう。

 いくら立派な梨の木でもリンゴの実はつけられないのだ。

 私も一応大学を出て教職についたが、それ以外のことは何もできない。先日、浴室などをリフォームしたが、工事をした職人さんたちはたった4日間で新築同様に甦らせた。

 人それぞれに自分を生かす道があるのだ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月14日 (金)

初めてリングを教えて貰った

 私がマジックを教えて貰った清水先生は、道具を使ったマジックがお得意で、マジックの道具も自分で作っておられた。それで私も手品道具を幾つも買って持っている。

 もちろん市販の道具も持っていて、その中の一つにリングがある。でも、リングは一度も教えて貰ったことはない。

 現在、清水さんの娘さんが主宰しているマジック研究会に大矢先生というクロスアップとカードの得意な方がいる。時々、その先生のところに遊びに行ってカードマジックなどを教えてもらうのだが、先日話の中でたまたまリングのことが出た。

 それで「実は私はリングを持っているのですが、まだ一度も習ったことがないのです。」と話したら、すぐにリングを出してこられて基本の動きをを見せて下さった。さすがに年季が入っているからスムースな動作きであった。それを見てすぐにリングを教えてもらうことをお願いした。

 家に帰って調べて見たら、リングはステージ用の6本リングと、サロン用の小型の5本リングとプラスチック製のカラーリングもあった。

 次の日、それらを持って大家先生の家に行った。3本リングが基本だから、それを習得すればよいと言われた。小型のリング3本で操作の仕方を教えてもらった。

 先生は、親切にもやり方を書いてAの紙にコピーをして下さった。

 家に帰って3本リングのやり方を復習したが、リングを落として一気につなぐところがなかなか難しい。でも、練習すればリングが何とかできそうなので嬉しくてならなかった。

 私が最初にリングを見たのは、まだ大学1年の頃で、大須演芸場に行った時に、色物としてリングのマジックが演じられた。大きな男の人が演じたが、6本のリングを巧みに操り、観客を驚かせた。リングの改めを観客にしてもらってもわからなかった。私は凄いマジックだと思い記憶に焼きついた。

 その後本で原理を知っり、リングを見る機会があったがいつ見ても不思議であった。そういうことがあっていつかは自分でも演じられるようになりたいと思っていたが、結局今日まで習う機会がなかったのだ。

 遅まきだがこれから練習をして人前で演じられるようにしたい。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月13日 (木)

楽しかった愛知県立芸術大学音楽部コンサート

 11日と12日の2日間、愛知県立芸術大学音楽部のコンサートがあるという案内を貰いました。第44回定期演奏会でした。

 あいにく11日は行けませんでしたが、12日には行くことができました。開場が18時半で19時開演でした。家からの所要時間の計算を間違えて18時前に会場のコンサートホールに着きました。まだ10数名が並んでいるだけでした。

 15分ぐらいすると、案内をくれたKさんが並んでいるのに気づきました。中学生の娘とその友だちを連れていました。それで私は子どもたちに手品を見せました。お陰で待ち時間を退屈することなく過ごせました。

 予定より10分ぐらい早く開場してくれたので助かりました。早かったので2階最前列正面中央に席を取ることができました。時間があるので、そこでも子どもたちに手品を見せてあげました。

 定刻18時にコンサートが始まりました。きれいに着飾った女性がピアニストと共に入場して来ました。横を向いて立っていて正面に向き直って歌うという珍しいやりかたでした。プッチーニの「あなたの愛の呼ぶ声に」とバーンスタインの「二つの愛の歌」の2曲歌いましたが、声に張りがありよく出ていました。

 シュトラウスの「春の声」を歌った、次の人もとてもよく声が出ていました。

 3番目もソプラノで、この女性も横を向いて立ちました。やや低い感じのきれいな声でロッシーニの踊りとクリエールのコンチェルトを歌いました。

 4番目は男性で、ヴァイオリンの独奏でした。メシアンの「主題と変奏」という曲で、ちょっと変わった曲でした。

 5番目は、トランペットで、ボザの「田園に」を高らかに奏しました。

 前半の最後は、ピアノ独奏でラヴェルの「ラ・ヴァルス」を演奏しました。

 休憩の後、第2部は、室内楽と合唱でした。

 パーシー・クレインジャー没後50年ということで、彼の曲を6曲演奏しました。演奏は、ヴァイオリンが多分兄と妹で、ビオラが女性、チェロが男性、ピアノが女性でした。

 「ピーター卿の馬丁」はクインテットで、「岸辺のモリー」はヴァイオリン独奏とピアノで、「私のロビンは緑の森へ」はヴァイオリンとチェロとピアノで、というように編成が変わりました。「フリー・ミュージック第一番」、「スとランド街のヘンデル」はカルテッドで、最後に岸辺のモリーをクインテッドで演奏しました。「岸辺のモリー」はアイルランド辺りの音楽に似ていました。

 最後の合唱は、女声コーラスで、90名ほどいたようです。アカペラで歌いました。曲に応じて隊形変換をして歌いました。フィンランドのP.コスチアイネンという作曲家の作品だそうですが、北欧らしい響きを持っていました。

 「天使の歌声」は高い声で教会音楽の響きがありました。「ヤコブの息子たち」は2列で舞台一杯に広がり、ステレオの動きを出していました。

 「ひばりの道」はひばりの囀りのような部分があり、横を向いて音を変化させるところもありました。

 最後の「オーロラ」は、横を向いたり後ろを向いたり、しゃがんだり、いろいろな形を取り混ぜて音の効果をだしていました。最後は後を向いて終わりました。

 合唱は、発声の訓練を受けた学生たちですから、とてもよく調和し、声もさまざまに変化させて歌っていました。初めて聴く曲でしたがとても親しみやすいものでした。

 このコンサートは、演奏スタイルがバラエティに富んでおり、退屈しませんでした。学生たちは、晴れの舞台で真剣に演奏し好感が持てました。とてもよいコンサートであったと思います。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月12日 (水)

そこはかとなく漂って来る金木犀の香り

 一昨日、近所を歩いているとどこからともなく甘いよい香りがしてきました。「あ、これは金木犀?」と気づきました。見回すと近くに金木犀が咲いていました。私は、家に金木犀がらうのにもう金木犀が咲いていることを知らなかったので驚きました。

 昨日の朝、いつものようにウオーキングに出かけますと、瑞穂運動場の近くまで来たときに金木犀の香りを感じました。見ると金木犀の木がありました。

 橋をわたって帰路に入ります。途中に金木犀があることを知っていますので、気をつけて歩いていきました。夜間診療所の近くに金木犀があり近づいていきましたが匂いませんでした。意識すると匂わないのかと思いました。

 歩いていくと野球のグランドに沿って金木犀の並木がありました。その前に近づいて香りをかいでみましたが、ほとんど感じませんでした。やはり、意識しすぎるといけないのかと思いました。

 山崎川の東側には、金木犀のある家が多くあります。中には大きな金木犀の木がある家もあります。その香りを嗅ぐのを楽しみにして歩いていきました。

 金木犀は木から遠くても匂うことがあります。きっと風に乗って漂って来るのでしょう。あるところで、金木犀の甘い香りがしたので周りをみましたら、かなり離れたところに木がありました。でも、近づいて行くと匂いませんでした。

 家の近くのOさんの角に大きな金木犀があります。行きは匂いませんでしたが、帰りには少し離れたところで匂いました。

 我が家にもかなり大きな木があります。帰宅して見てみたら花をいっぱいつけていました。でも、あの強い香りは感じませんでした。木の下まで行ってみても感じませんでした。

 妻に話したら、「よく匂うわよ。鼻が悪いのね。」と言われてしまいました。金木犀は風に乗って香りが漂うようですが、意識すると香りが嗅げないのかと思いました。

 子どもの頃、近所に金木犀がある家があって、その香りが大好きでした。ですから、この歳になっても金木犀が咲くと楽しみなのですが、香りは気まぐれなので風に乗って来る偶然を期待するしかないようです。

 金木犀の香りはどこからともなくほんわりと漂ってくるのがいいようです。今朝の我が家の金木犀は香りがそこはかとなく漂って来ました。

                    

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月11日 (火)

ネットが結ぶ 「脱原発デモ」 日本でも!!

 10月10日の朝日新聞だ2面に、「脱原発デモ ネットが結ぶ」という見出しで大きく取り上げられた。それを読んで「やっと日本でもインターネットを介したデモがおきたか」と嬉しくなった。

 ニューヨークのウオール街に抗議するデモは全米に広がり、連日各地でデモが行われているようだ。何でもアメリカに倣えの国だからこういうことまでも・・・・と思わないでもないが、よいことは大いに見習うべしである。

 新聞のリードには、「脱原発デモが各地で続く。今まで社会運動に参加して来なかった『アマチュア市民』たちが、インターネットでゆるやかにつながる。組織を持たない人びとの怒りを新たなメディアが束ね、路上へと押し出す風景は、米国や中東で起きている若者のデモと相似形だ。」とある。

 デモは、9にちの夕方東京・渋谷の公園通りであったそうだ。「太鼓、トランペット、フライパンなど、思い思いの『楽器』を奏でながら、デモ隊が練り歩いた。」のだ。

 初めてデモに参加の人が多かったようだ。「こんなに楽しい世界があるのだとはまった」と語っている。それでいいのだと思う。これまでのデモは、労働組合や平和団体などが主催をして、シュプレヒコールやスローガンを叫ぶ形であったが、メーデーは多少異なるにしても楽しんで参加するというより義務感で参加するようなところがあった。

 老いも若きも子どもも楽しく参加し、その中で原発や放射能の恐ろしさを学び、世の中を変えようという行動をするのはとてもよいことだ。

 このデモを呼びかけたのは、井出実さんという人だという。警察への届出など実務をやり、インターネットで呼びかけた。当初100人規模で届けたら、ネットや口コミで広がって600人も集まったのだから凄いことだ。

 これからこうしたことが日本でも頻繁におきるようになると、政治家も無視できなくなるに違いない。署名活動や集会やデモなど従来の活動は政治を動かすまでには行かなかったが、インターネットで広がりを見せればきっと効果が現れるだろうと思う。今後が楽しみだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月10日 (月)

浴室・洗面所・トイレのリフォームをして快適に

 7月の終わり頃に給湯機が壊れて以後、どうするか悩んだ末、思い切って浴室・洗面所・トイレのリフォームをすることにした。浴室のリフォームはずっと以前から娘がやれやれとうるさかったし、風呂釜や台所の給湯器などももう寿命に近くなっていたので取替えを決めたのだ。

 前に書いたように、合い見積もりを3つとって業者を決めた。

 契約をしても、ユニットバスのTOTOの納品が半月以上もかかったので、工事に取り掛かったのは10月5日であった。この業者は、4日間で全てをやり、3日目には風呂に入れるようにするということであった。

 第1日目は41年前の浴室のタイルや壁や浴槽や洗面所の壁などををとりい払うことであった。朝8時半ごろにやってきて、まず室内の養生をした。床などに養生のシートを敷き、天井から薄いビニールを下げて囲った。

 タイルの取り壊しは意外に梃子摺ったようであた。それに生憎この日は雨で、瓦礫をトラックに運ぶのに苦労したようだ。

 第2日は、ユニットバスの組み立てであった。専門の組立工が来て組み立てた。枠を組んでそこにパネルをはめて行ったようだ。同時進行で水道やガスの配管なども行われた。床下をくぐらせたり、壁の中を通したりして巧みに配管した。

 第3日は、リンナイの給湯器が設置され、台所の給湯器を取り外してカランの取替えもした。また、大工さんが壁の下地の板をはった。電気屋も来て配線などをした。そして、夜にはもうユニットバスに入ることができた。

 第4日は、朝からクロス屋さんが来て1日かけてクロスを張った。また床板が張られ洗面台が設置され、同時進行でトイレも取り替えられた。最後の日は意外に時間がかかり、終わったのは夜の8時半頃であった。

 思えば7月末から2ヶ月余り、大変待ち遠しかったが、終わってみればそれも忘れた。

 TOTOのユニットバスはとても快適である。前の湯船より広くて足が伸ばせる。大きな鏡があり、ボタンを押すだけでシャワーからも蛇口からも出る。

 浴室と台所に操作盤があり、どちらからでも風呂にお湯を入れられるし、いろいろな操作も可能だ。温度と湯量を設定しておけば自動でお湯が張られ、だいたい15分ぐらいで望みの温度の湯が張られる。5分前には音声で「あろ5分で終わります。」と言い、終わると「終わりました。いつでも入れます。」と言う。

 最初、給湯器から風呂や洗面所や台所や洗濯機まで距離があるので、長い間水が出るだろうと思っていたが、すぐにお湯が出るので驚いた。

 台所のカランも簡単な操作でお湯の温度、量や水流が調節できるので便利だ。これからはいつでも簡単に風呂に入れるので夢のようだ。TOTOの魔法瓶湯槽は湯が冷めにくいので有難い。

 トイレも、41年前のトイレは、同じTOTOでもゴーと大きな音がして、隅のタンクから大量の水が流れたが、今のは音も静かで水量は大きく減った。

 古い浴槽や洗面台や電動便座などまだ使えるので、大変もったいないと思い、心が痛んだが、思い切ってリフォームしてよかったと思っている。

 広い世界には、水に苦しむ人や風呂など夢のまた夢という人が何十億人といるかもしれないと思うと何と贅沢な・・・と思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 9日 (日)

ノーベル平和賞に輝いた3人の女性

 新聞やテレビニュースによると、今年のノーベル平和賞は、3人の女性が受賞した。リベリアのエレン・サーリーフ大統領、同じくリベリアの平和活動家リーマ・ボウイーさん、そしてイエメンの人権活動家でジャーナリストのワックル・カルマンさんである。先日亡くなったケニアのマータイ女史以来の素晴らしいニュースである。

 ノルウエーのノベル賞委員会は受賞理由で「女性の安全のため、平和構築に女性が参加する権利のために、非暴力で闘った」とたたえた。女性が新しい歴史を切り開く大きな力になることを世界に知らせたのだ。

 私は、リベリアのサーリーフ大統領に注目したい。内戦や汚職、貧困が蔓延し、国が国民の生活の安全をを守れない「失敗国家」といわれる国が世界には20カ国もあり、そのうちアフリカには14もあるという。かつてはリベリアも失敗国家の一つであった。

 それを見事に建て直したのだ。NHKニュースで大統領は、「一年で10年分の仕事をしました。」と語った。将来のビジョンを持って緊急かつ必要なことから手をつけたのだ。

 はびこる汚職を排除し、国の資源である鉄鉱やダイヤモンドの管理を徹底し、経済を向上させた。また、内戦で抑圧されてきた女性の社会進出を助け、政府の重要ポストに多くの女性を登用した。教育にも力を注いだ。

 朝日新聞記者の独占インタビューに答えて、「かつての絶望は希望に変わりました」と述べたそうだ。市民からは、ママ・サーリーフと親しまれているという。

 「よい統治とは、人びとに説明できるような具体例を示して、人びとを導くこと。法の支配に基づき、透明性のある政治です。悪い統治とは、権力欲を持つ政治家が原因の一つにある。リベリアはそうさせない。」と語ったそうだ。

 また、こうも語ったという。「ゼロからのスタートの我々にとって、すべてが優先事項。でも、現実的な目標を定め、政策にも優先順位を決める。優秀な人材を公平な制度の下で活用し、着実に仕事をこなして行くことです。」と。

 翻って日本の政治の現実に当てはめてみると、3.11の大災害から7ヶ月にもなるのに、今だ第3次予算も決まらず、除染一つをとっても具体的な方策が立てられないでいる。

 権力欲を持つ政治家が足の引っ張り合いをして、詰まらぬことばかり国会で取り上げている。優秀な人材を抜擢する気配もない。野田首相は、優先順位を決めたと言っているが、具体策は何も示せないでいる。

 日本の政治家は日本の将来のビジョンを示して、一日も早く復興を進めて行くべきである。自民党などが唱える衆議院の解散などはその後のことである。

 日本からも謙虚で私欲のない、優秀な「鉄の女」の女性政治家が現れないものかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 8日 (土)

何十年ぶり?銭湯に行った

 我が家の浴室などをリフォームしたので風呂に入れない。それで銭湯を探したら意外にも割合近くに銭湯があった。瑞穂区川澄町にある川澄湯だ。

 10日ほど前に下見をして所在と駐車場があることも確認した。そして一昨日出かけた。

 銭湯に行ったのは何時のことだろうと思い出すのだが思い出せない。若い頃近くに長戸湯というのがあってよく行ったものだ。

 どこの家にも、単身のアパートにさえ必ず浴室が完備されるようになって銭湯はどんどんとなくなっていった。

 久し振りに行く銭湯はどんな具合だろうと半ば好奇心、半ば不安な気持ちで行った。

 勝手に3時からだろうと思って出かけたら何と4時からであった。仕方がないので近くの瑞穂図書館に行って週刊誌を読んで時間を潰した。

 4時になったので銭湯に行った。入り口を入ると番台があり、女の人が座っていた。昔の番台と違い、入り口の方を向いていた。「幾らですか?」と聞いたら400円だといった。そこで400円の入湯料を払い、どこが男湯かと見ると、左が男湯であった。

 中に入ると着ているものを入れる箱があった。かなり大きいもので50以上あると思った。すでに入浴に来ている人が何人かいた。

 浴場に入ると、湯槽がいくつかあった。大きな泡を出している槽は薬湯と書いてあった。一番大きなのはジャグジーでその隣に普通の湯があった。電気風呂や水風呂もあった。その隣はサウナになっていた。

 シャワーで身体を洗い、ジャグジーに入った。とても気持ちがよかった。風呂から出て頭や身体を石鹸で洗った。他の人のところにはシャンプーやボデーソープなどがあったので観察していたら入浴者が持参したものだと分かった。

 今度は大きな泡を出す薬湯に入った。泡が背中を叩いてよいマッサージになった。最後はジャグシーに入った。

 風呂から出て体重を計ると64kgと表示された。驚いて声を出したら、傍にいた人が「この体重計はちょっと多い目に出る」と言った。「体重は少ないほうがいい」と言うと、その人は「いや、歳を取るとある程度体重が多いほうが長生きする」と言った。その人はメタボの体格をしていた。ひとしきり体重論議をした。

 見知らぬ人とそんな会話ができるのも銭湯のよいところだ。

 4時過ぎの早い時間であったが、常連だろうか、8人も来ていた。みんな高齢者であった。

 何十年ぶりかの銭湯は大変気持ちがよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

デイサービス心音(ここね)でマジックを見せる

 九月の何時のことだったか忘れましたが、私の瑞穂小トワイライトでのblogのコメントにボランティアに来て貰えないかという質問がきました。それですぐに同じコメント欄に詳しく聞かせてほしいと書いたのですが、それっきりでした。

 2週間ほどして、ひどいコメントを整理するときに、コメントによっては、emailアドレスがあることに気づきました。それでそのアドレスにemailを送りましたら返事が来ました。

 デイサービス心音(ココネ)のお祭りウイークで、何かやってくれるボランディアを探していることが分かりました。そういうきっかけで10月5日からのお祭りのかわ切りにマジックを見せることになりました。

 たまたま、名古屋華マジカルグループにも依頼が来ていたので、女性のMさんと一緒に出かけました。

 デイサービス心音は植田ピアゴの交差点を北に曲がった分かりやすい所にありました。中に入ると、そこが集会室で四人掛けのテーブルが置いてあり利用者さんが座っていました。左手に一面が鏡の運動室がありそこに椅子が並んでいました。

 Mさんはすでに来て準備をしていました。私もすぐに準備に取り掛かりました。演技時間は30分でも1時間でもよい、幅をとってあるというので時間を気にせずにやれると思いました。

 2時5分前に私たちが紹介され、少しお話をして観客の様子を掴みました。話すことにとても反応がよくて、これならやりやすいとホッとしました。

 まず、私から演技をしました。「年金生活で金がないのでMさんのように立派な服が買えないから帽子を被ってやります。」と言って真っ赤なトルコ帽を被って笑いを取りました。「よく似合うよ。」と大向こうから声が罹りました。

 最初にやるはずの先日クラブで作った毛花の移動をすっかり忘れて、2番目の五色のロープから始めてしまいました。これは、一本につながるはずが、二つの輪ができてしまいました。

 次にお札の印刷器をやりました。男の先生から千円をお借りして、それをまず白紙に変えるところからやりました。先生がいろいろ反応してくださるので、会場の笑いを取ることができました。

 ここで忘れていた毛花をやりました。次に、アレッをやり不思議がられました。バナナがリンゴに変わるカードもとても不思議がられました。演じると声や態度で反応があるのでますますやる気になりました。

 カッププロダクションはいったい幾つカップが出るのかと見ていました。シルクピットインは消えたシルクがつながって出てきたので驚いていました。

 その後利用者さんに手伝っていただいてチェンジングバッグにシルクを入れてもらい、レインボーシルクを出しました。アッと驚いていました。

 箱のロープでは、利用者さん2人に手伝ってもらいロープを引いてもらいました。箱に通したロープが見事にはずれたので驚いていました。

 次は先生と利用者さん2人に出てもらい、ロープとリングを使って、先生の首にロープを掛け、先生の首を締めると言って、利用者さんに思い切り引いてもらいました。先生はまだクビになりたくないと駄洒落を言って笑わせてくれました。ロープはすっとはずれたのでとても不思議そうでした。

 このあと、クラブで習った紐とリングをやりました。リングから紐がはずれるのでとても不思議そうでした。先生に改めをやってもらいましたが、どこにも磁石がないので不思議そうでした。

 最後に被っていたトルコ帽から卵を出しました。これも卵が出て来るのが不思議だと言っていました。

 全部で13種目を30分かけて演じましたが、みなさんが不思議がったり驚いたりして一生懸命見てくださったのでとてもやり甲斐がありました。

 トリは、宝塚ジェンヌのような扮装をしたMさんが、十八番のマジックを8分ぐらい華麗に演じました。毛花をいくつか出し、最後に大きな花を出して喝采を浴びました。

 おいしい抹茶を頂いたとき、隣のテーブルにいた高齢の女性たちが今日見たマジックの話をしていました。「手先が器用でないとできんわな。」とか「どうなっとるんか不思議だけどタネはわからん。」などと言っていました。それで私は持っていたテーブルマジックをいろいろ見せてあげました。何でもない身近なものでやる手品をとても不思議がってくれました。

 

Cimg2377

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 6日 (木)

Nyの若者デモ―ウオール街を占拠せよ―にエール! 

 ニューヨークの若者たちが始めたデモは全米に広がり、ジョージ・ソロス氏やマイケル・ムーア氏、スーザン・サランドラン氏、オノ・ヨーコ氏など著名人も共感をしめしたり、応援をしているという。

 活動の合言葉は、「ウオール街を占拠せよ」で、大手金融機関をターゲットにしているそうだ。

 アメリカは1%の大金持ちと99%の貧困者と言われるが、デモのプラカードにもその文言が見られるという。

 アメリカンドリームといわれ、誰でも成功するチャンスがあるとされてきたが、その一方で落ちこぼれた者は救われない自己責任の国である。サブプライムローンに端を発し、リーマンショックで引き金を引かれた経済大不況以後貧困層は大きなダメージを受けた。弱いものが被害者になるという鉄則通りだ。そして今、ヨーロッパの金融不安により世界の経済は低迷を続けている。

 大学を出てもまともな職を得られない若者が増加しているのは日本と同じである。

 アメリカの国勢調査局の発表によると、新たに230万人の貧困層が増えたという。全米の貧困層は全人口の15.1%の合計4618万人になった。貧困層とは、4人家族で年間所得が22314$(171万円)以下の層をいう。

 特に、若年層の所得低下が甚だしく、所帯主が15歳から24歳の場合15.3%の減収だといわれる。だから我慢がならないと若者が立ち上がったのであろう。

 この動きは、インターネットのソーシャルメディアで広がった。これは「アラブの春」運動で大活躍したので知られる。

 朝日新聞によると、交流サイト「フェイスブック」に設けられた、「ウオール街を占拠せよ」ページには、4日現在で86000人が参加しているという。デモの計画やメディアの報道振りを発信する「ツイッター」のフォローワーも38000人を超え、口コミで賛同者が増えているという。

 インターネットは大きな力を持つようになった。これからますますインターネットが市民運動の大きな武器になるであろう。中国政府が怖れているのもインターネットである。お隣の韓国では選挙活動でインターネットが活用されたと聞いたことがある。

 日本でも、インターネットを活用して、例えば「脱原発運動」などが広がりをもち大きなうねりになる日が来て欲しい。政治家には怖いだろうが、選挙でのインターネットの活用を自由化すべきである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 5日 (水)

半田岩滑の彼岸花

 先日の朝日新聞夕刊に半田岩滑の矢勝川土手に咲く彼岸花が見ごろだと出ていた。そこへUさんのemailに先月末に岩滑へ彼岸花を見に行って来たと書いてあった。天気がよいので無性に行きたくなって3日の午後に思い切って出かけた。

 産業道路を通って大野→半田線の道路をとって走った。南知多道路半田インターを過ぎた辺りで道が怪しくなった。カーナビに新美南吉記念館と入れて検索したら3つあった。新聞に南吉記念館の周辺だと書いてあったのを思い出したのだ。

 カーナビの案内に従って走ったが、何故か同じところを一周し、狭い三叉路に出て音声案内がストップした。困っていたら、車を出そうとしている人がいたので尋ねた。とても親切な人で丁寧に応対をしてくれ、さらに自信がないからと通りかかった人にも尋ねてくれた。でも、分からなかったらしく、おおよその方角を教えてもらった。

 その方角へ行くと、また同じところへ導くので、自分の感で大通りまで出た。するとカーナビは正しく導き出した。それで先ほどは細い道路が入り組んでいたのでカーナビが混乱したのだと思った。

 広い道路に新美南吉記念館の案内が立っていたのでそれを頼りに走ったら、左手に車がいっぱい駐車しているところがあった。前方に彼岸花が群生しているのが望見できた。

 その駐車場に入ろうとしたら、私の前の車で”満車”になった。係りの人が邪魔だからそのまま行けと言った。仕方なく少し進んで、ふと右手を見ると大きな空き地があった。そこへ止めようとして見ると、立て札に「ここは○○の駐車場だから停めないように」と書いてあった。

 がっかりして前方をみると、土手の近くに車がたくさん停めてあるのが見えた。駄目もとで行くと、男の人が親切に、ここが空いていると手で合図してくれた。そこに駐車できほっとした。道路に出て行くと、右手から車が一台こちらに向かって来たので手で空いているところを教えてあげた。

 川の南面の土手には一面に彼岸花が咲いていた。でも、最盛期を過ぎて花びらが褪せ始めているのもあった。よいアングルを探し写真を撮っていった。土手の上の道路に上がり上から下を見ると、下から上を見たよりもきれいに見えた。川の側の土手の上にも2列になって彼岸花が咲いていた。全体は500mぐらいあるだろうか?駐車場の近くは見に来た人がたくさんいた。

 テントを張った広場があり、そこで若干の品物を販売していた。まんじゅうクッキーもあった。産物を売っているコーナーもあった。殻つきピーナツを売っていたので聞くと中国産だと言った。それでもいいかと思って一杯300円で買った。地元のサトイモも200円で売っていたのでそれも買った。

 傍にベージュ色の彼岸花や黄色の彼岸花が咲いているところがあった。黄色の花ははじめて見た。

 岩滑の彼岸花は全部で200万本あると新聞に出ていた。地元の人が世話をしているのだそうだ。これは、新美南吉の童話「ごんぎつね」に、ゴンがいたずらをした兵十の母親が死んだのでゴンは葬列を見に行く。そして堤防の堤に身を伏せて見ていると葬列がやって来る。その場面に彼岸花が出て来るのである。それにちなんだものだ。

 彼岸花は、曼珠沙華というきれいな名前もある。天声人語によると、「ハシラズハナシラズ」とも言うそうだ。茎がするすると伸びて花が咲き、花が終わると葉が伸びて来るからだ。

 昨年にも書いたが、彼岸花の赤が毒毒しいので子どもの頃は嫌いであった。しかし、年を取ると好きになった。何時だったか野間の大坊の近くの道端に彼岸花の列があるのを見て何ときれいだろうと思ったことがある。

 暑さ寒さも彼岸までというが、今年はまさにその通りであった。そして、彼岸が来ると彼岸花はするすると茎を伸ばし花を咲かせたのだ。

Cimg2340

Cimg2339

Cimg2351

Cimg2361

Cimg2363

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 4日 (火)

名古屋オルガンの秋2011・ オルガンソロ 「和の響き」

 名古屋オルガンの秋2011・和の響きが始まりました。第一回は、「和の響き」というテーマでオルガンソロでした。場所は五反城カソリック教会で、オルガン奏者は吉田徳子さんでした。

 私は、吉田徳子さんがオルガン奏者であることを知りませんでした。五反城教会へ行ったのは、4年ぐらい前に昭和男爵コーラスの発表会の後、指揮者の加藤先生と吉田文さんのコンサートを聴きに行ったのが最初です。

 その後、南山教会の演奏会で吉田徳子さんが学生の合唱を指揮したのを聴き吉田文さんと親子だと知りました。でも、南山短期大学の教授なのでオルガンの演奏をされると思わなかったのです。

 今朝、blogを書くにあたりインターネットで調べましたら、「吉田徳子」という見出しで写真と業績が詳しく出ていました。愛知県芸術劇場コンサートホールで何度もコンサートを開いておられました。

 この日のコンサートは、15時30分からで、最初に吉田文さんが10分ほどこの日の曲目の解説をされました。その後文さんがアシストされて演奏が始まりました。次の4曲でした。

 1.瞑想的即興曲 「流離(さすらい)」  酒井多賀志作曲

 2.オルガンのための小品(彩り)    花村光浩作曲

 3.雲中供養菩薩 楽           溝上日出夫作曲

 4.ソナタ 第4番 イ短調(トヌス・ペレグリネスス)

   テンポ・モデラート

   間奏曲

   平音階的フーガ

 私には演奏についてはさっぱりわかりません。ただ、親子で同じオルガニストとして活躍されていることは素晴らしいと思いました。始めは技術的にゼロであった娘が成長し今では肩を並べて演奏を競いあえるというのは何と素敵なことでしょう。

 演奏された曲の中で一番好きなのは一番に演奏された瞑想的即興曲でした。イントロの頭がバッハのトッカータとフーガと同じような音でその後もよく似た感じで入りました偶然でしょうが、途中にもう一箇所トッカータと同じような音が一瞬ひびきました。瞑想的即興曲というタイトル通りで実はうつらうつらしながら聴いた部分もありました。

 次に好きなのは、最後のソナタ イ短調でした。3部に分かれて変化がありオルガンのパイプをいろいろに響かせていると思いました。

 大変迂闊でしたが、一番高い音(鍵盤では一番上段)で演奏される音はこの教会では真正面の祭壇上のパイプから出ることが分かりました。右側の本体とは離れたところにあるのが面白い設計だと思ったのです。

 名古屋にパイプオルガンを備えた教会が幾つあるのか知りません。私が聞いたのは五反城教会と南山教会だけですが、五反城教会のはドームにうまく調和して響くように思います。

 次回は、10月15日(土)14:30からパイプオルガンのレクチャー、15:30からコンサートですが、他用があって行けないのが残念でなりません。

 なお、10月22日(土)は18時から、「ことばとパイプオルガン」

     11月13日(日)15時30分から、「和の笛とパイプオルガン」

     11月27日(日)15時30分から、「和太鼓とパイプオルガン」

と、魅力的なコンサートが続きます。いずれもカトリック五反城教会です。

交通は、地下鉄東山線、岩塚下車②出口高速道路の下を右方向へ。信号で右折して約400mぐらいで教会の塔が見えます。    

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 3日 (月)

驚異!日野原重明さん、100歳

 聖路加国際病院理事長の日野原重明さんが10月4日に100歳を迎えられる。この日が来るのが待ち遠しかったそうだ。まずは、おめでとう御座いますとお祝いを申し上げたい。

 日本人が長生きになり、100歳まで生きる人は年々増えているようだが、同じ100歳でも何とか生きている人もいれば、日野原さんのように元気いっぱいで生きている人もいる。

 日野原さんは、若いときは身体が弱かったそうだ。京都大学医学部の学生の時には結核も患ったという。戦前のことだから結核といえばほぼ不治の病であった。徴兵検査も丙種合格であったそうだが、こちらの方は甲種合格だったら徴兵されて戦死していたかもしれないから、運がよかったのかもしれない。

 医学を勉強して医者になったから、病気を克服して健康に留意して生きてこられたのかもしれないとも思う。

 日野原さんは、カロリーを取り過ぎないように気をつけておられるとどこかで読んだように思うのだが、週に2回は90gのビーフステーキを食されるという。動物の蛋白質も大事だということかもしれない。

 日野原さんの手帳には10年先の予定まで書き込まれているそうだ。何しろ、理事長職の他に80以上の団体で役職についておられるのだとか。私など全く何の肩書きもないのとは月とすっぽんの違いだ。

 毎日6時半ごろ起床され、就寝は深夜だという。執筆の依頼は目白押しで移動の飛行機の中でも新幹線でも原稿を書くのだそうだ。私などせいぜい自分で課したblogの文を書くぐらいなのだが。

 「激務こそ健康、そして元気の元」と話しておられる。いろいろと忙しいからこそ緊張感もあり、また楽しみもあるのだろうと思う。肩書きが多いということは、それだけ世間から期待されているからであり、原稿を次々と依頼されるということは、それだけの知識と経験を持っておられるからだ。私のような凡人とはまるで違うのだ。

 お写真で拝見すると、顔や手の色艶もよくとても100歳とは見えない。どこかの政党の幹事長のように75歳でも見るからにオジンという人もいるが、日野原さんは70歳ぐらいに見える。羨ましい限りだ。

 と、同時に日野原さんのような長生きの例があると、目標ができ、希望も出て来る。自分も何とかして日野原さんのように元気で長生きをしたいという意欲が湧く。

 「100歳はゴールではなくて、関所だ」というのはその通りだと思う。自分はこの先幾つまで元気で生きられるのか、誰にも分からないことだが、天命に従って努力をするより仕方のないことであろう。

 そのときになってみなければわからないことだ。 確実に言えることは、日野原さんは、100歳までは生きて来られたという事実である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 2日 (日)

復興増税について――付録・注目URL

 野田首相は、復興増税を国民に要請したと、10月1日の朝刊で報じられた。東日本大震災と津波であれだけの被害があった上に、福島第一原発の大事故で放射能対策が必要なので、復興のために巨額の出費が必要であろうと想像される。

 首相は、「負担を先送りせず、今を生きる世代全体で連帯を分かち合うことに理解を頂きたい。」と国民に協力を要請した。

 第3次補正予算に、12兆円規模を想定し、野党に事前協議を要請した。また、復興増税の幅については「現段階で考えられる税外収入は5兆円で、負担いただくのは11.2兆円」と述べたそうだ。

 だが、復興予算は「青天井」なので各省が復興にかこつけて要求額を多くしているといわれる。復興のためという”大義名分”でドサクサにまぎれこませようという魂胆がありありとしているようだ。

 安住財務相は、「心を鬼にして対処する」と言うが、果たしてどこまでやれるか疑問である。

 産業経済省を退官させられた古賀茂明氏は、天下りによって確保されたポストが税金の無駄遣いになっていると指摘している。天下りのポストについては関連団体が省庁から金を獲得し、無駄遣いをしているにも拘らずそれを見逃しにしているのだ。

 民主党は政権をとってから、事業仕分けで一時名をあげたが、その後朝霞の公務員住宅のように復活してしまった事業もある。

 また、政党交付金は残っている。これなど共産党だけが受け取りを拒否しているが、共産党が交付金を貰わずにやれているというのだから他の政党も当然やれるはずである。政党交付金は率先して切るべきである。

 他に、国会議員の定数減とか歳費の減額などやるべきことはあるはずだ。復興のために増税が止む無しと理解できれば協力するにやぶさかではないが、まず、要らないものは切り捨てて無駄な支出を極力なくし、それでもこれだけはどうしても必要だという説明をきちんとして増税をすべきだ。

 タイ在住の友人から送られてきた注目のYoutubeです。

 小出裕章氏、古賀茂明氏、児玉龍彦氏出演です。

 http://www.youtube.com/watch?v=WUutYG2mA7s&feature=related

 小出裕章氏へのインタビューの一番新しいものです。

 http://hiroakikoide.wordpress.com/

2011年9月29日 恒久的除染と緊急避難的除染の違いと現実

 http://www.youtube.com/watch?v=Y9Fby9JCJDI

  

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原発導入の立役者、正力松太郎

 NHKのETV「原発事故への道程」で、元読売新聞社主で元経済産業大臣の正力松太郎氏が原発導入に異常なまでの熱意で取り組んだことを知った。

 今回、”おけらの いつかは青空 脱原発”で、その正力松太郎氏と原発とのかかわりを克明に書いた「日経ビジネス」が紹介されているので読んだ。

 その記事は、「『原子力の父』の称号を背に狙った総理の座   正力松太郎の大キャンペーンから政界引退まで」と題して5ページにわたって書いてある。筆者は山岡潤一郎氏である。

 下記のURLをクリックすると読むことができる。是非、一読をお勧めしたい。

 なお、全文を読むには登録が必要です。

 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110923/222797/?P=1

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 1日 (土)

自転車の片ブレーキは交通違反とは!初耳だ

 チュートリアルの福田さんが、ブレーキのない競技用自転車で公道を走り、警視庁により交通違反の切符を切られた。ブレーキがない自転車で一般道路を走れば交通違反であることは、明々白々である。

 このニュースは、29日の朝日新聞夕刊で報じられたし、NHKニュースでは、29日夜のニュースでも30日の朝のニュースでも大きく取り上げられた。

 NHKニュースで初めて知ったのだが、自転車は、前後二つあるブレーキのうち片方でも壊れていると自転車に乗って走行してはいけないのだという。警察に見つかると交通違反になるということだ。

 私は、このことを今回初めて知った。実は、私が40年近く愛用しているプジョーの自転車は、先だって走行中に後のブレーキのワイヤーが切断し、ブレーキが利かなくなった。それで前のブレーキだけで乗って家に戻ってきた。

 もし、途中で警察官に呼び止められたら交通違反となるところであったのだ。

 今回、チュートリアルの福田さんというある程度の有名人が交通違反になったので、大きく取り上げられたのだが、それによって片方でもブレーキが壊れると違反になることが分かった。

 ただ、朝日新聞の場合は、単にチュートリアルがブレーキのない自転車に乗り違反をしたという事実だけを報道したのみで、自転車のブレーキが片方でも壊れたら交通違反に問われるということには触れていなかった。片手落ちの報道である。

 NHKはニュースで2度にわたって大きく取り上げただけでなく、自転車のブレーキは両方正常でなければ違法であることを強調したのでよかった。一般人は自転車の交通法規については経験的にしか知らないから、折にふれて今回のNHKのように注意を喚起してもらわないと困るのだ。 

 今回のNHKには、「アッパレ!」をあげよう。朝日新聞には、「喝!」だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »