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2011年8月21日 (日)

事実は小説より奇なり―「最後の絆」

 終戦記念日のフジテレビ特別番組「最後の絆ー引き裂かれた兄弟」を録画しておいて見ました。終戦関連の特別番組の映画やドラマは、「母べえ」と「硫黄島からの手紙」も見て、それぞれに感動しました。でも、「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、このドキュメンタリ・ドラマはまさにそうでした。

 沖縄の名護に住んでいた東江(あがりえ)さん一家には、長男の盛勇さんと次男の康治さんと他に弟妹がひとりづついて6人家族でした。

 日米開戦前に、長男の盛勇さんは海軍兵学校に入るつもりだったのですが、母親のカマドさんが反対し、諦めてアメリカに単身で移住しました。そのとき、母親は、「命は宝(ぬちどぅたから)という言葉を言って聞かせました。父親の盛長さんは、「どこにいても沖縄がお前の故郷だ。」と話しました。

 その母は、まもなく病気で早世します。

 戦争が激しくなり、中学生であった弟の康治は、16歳で「鉄血勤皇隊」という少年兵の組織に招集されます。この鉄血勤皇隊には沖縄中の中学生が1400名も徴集され790名が命を落とすことになります。

 一方、兄の盛勇さんは、アメリカ軍に徴兵されます。そして、しばらくしてアメリカに忠誠を誓って情報部に入ることを要請されます。苦渋の決断で参加を決意します。

 戦争はますます激しくなり、硫黄島は玉砕し、アメリカ軍は沖縄に上陸します。沖縄陥落まで80日ほど前のことでした。アメリカ軍はまたたくまに本島を制圧していきます。

 住民は洞窟に隠れたり、密林に隠れたりします。兄弟の一家はやんばるの森の山奥に逃げます。

 弟の康治は、やんばるの森を守ります。親友の山之端さんが目の前で銃弾に倒れるのを見ますが何もできません。そしてアメリカ軍と銃撃戦をする中で右胸に貫通銃創を受けます。友人や親切な古謝さんという女性に助けられます。この女性は康治さんが死のうとするのを生きなくてはいけないと話して止めます。

 康治さんは、友人にかつがれて父親たちの隠れ家にたどり着きます。

 兄の盛勇さんは、沖縄行きを志願して沖縄戦に参加しました。ひとりでも多くの人を助けられたらという思いからでした。

 沖縄陥落の2日前に、あるところで少女の姉妹に出会います。それは近所の大工の娘たちでした。何とか救い出したのですが、少女たちは脱走します。

 ところが、姉妹は盛勇さんの一家がいるところをたずねて、盛勇さんに会ったことを父親に話します。それで父親は命がけで山を降りてアメリカ軍のところに行き、そこで長男の盛勇さんに会うことができます。

 盛勇さんは、弟を救いたいと思いますが、それは最後の掃討作戦の数時間前のことでした。大急ぎで父親の案内で弟妹たちの隠れ家に向かいます。 

 そこで弟の康治さんに会いますが、彼はアメリカを憎んでいました。兄は母親の言った「命どぅ宝」ということを思い出させます。それで康治さんと兄は抱き合いました。

 膿が200ccも出るような大重傷の康治さんはおそらく米軍のペニシリンのお陰で命を助かったのだと思います。

 その後兄はアメリカに戻り植木屋になり留学生の世話をしました。弟の康治さんもアメリカに留学をして教員になり、名護に大学をつくりました。そしていつも「平和」が大事だと言い続けているそうです。

 兄の盛勇さんが92歳で沖縄にやってきて沖縄の学校の慰霊祭で弟の康治さん86歳と久々に会うところで終わります。

 このような奇跡的なドラマが実際にあったことを初めて知りました。兄弟が長生きをしていることも驚異です。特に重傷をおった弟の生命力には驚嘆です。

 戦後66年も経ってやっとこういうドラマが映像化されたのは、兄弟が長い間話さなかったからのようです。戦争のトラウマの深さを思いました。

 

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コメント

 戦後66年も経ってまだ隠されていたことが出て来るというのは本当に驚きです。実戦を体験した人は90歳前後になりました。今のうちに後世に語り残して欲しいと思います。

ペニシリンが出回るまでには、もう少し時間が必要でした。アメリカ軍に伝がある人はよかったのですが。お父様が早くにお亡くなりになり、どんなにか辛い思いをされたことでしょう。人それぞれいろんな運命をもちますね。

毎年8月になると先の戦争にまつわる新しい史実が明かされ、所謂、秘話としてNHK等で放映されます。66年も経過しているので今年も90歳前後の老人が重い口を開くと言った図式でした。私はインタビューされる超高齢の彼らが想像以上にしっかりした口調で往時を語ることにいつもながら驚きました。
今年は原爆を積んで飛び立ったアメリカの飛行機が、当時の日本の情報部によって事前にキャッチされていたにもかかわらず、軍の上層部はそれを黙殺したという話しでした。広島に目的不明の米軍機が向かっているとの情報が事前に出されていれば、もっと命が助かっていたのではとても悔やまれました。
このように生き証人が直接語ってくれる番組は大変リアリティがあります。でも残された時間は僅かです。

感動しました!実話を兄弟からいろいろ聞いて映画にするという蔭の多くの人々の思いも伝わってきます。ペニシリンで私の父の辛い思い出があります。昭和24年の8月に父は結核で亡くなりました。戦後間もない頃でしたが母が2歳の弟が生まれて大変な時にペニシリンがまだ手に入らないので満42歳の年齢で亡くなりました。今思いますとペニシリンさえ手に入れば・・・と母にも聞きました。アメリカ製できっと大変たかい薬だったのでしょうね。母は父の分まで生きて享年92歳でした。

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