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2011年7月

2011年7月31日 (日)

信用失墜の保安院―原発は国民を欺いて成り立っていたのか―

 九州電力などのヤラセが発覚して国民を驚かせたが、今回の保安院のヤラセはそれ以上に驚くべきことである。

 保安院と言えば、原子力発電の安全を規制する役所であるが、それが裏で原子力推進に協力していたばかりかシンポジウムへの原発賛成者の動員を要請していたという何とも破廉恥なことをしていたのだ。

 そもそも原子力安全を規制する保安院が、原子力発電を進める資源エネルギー庁と共に経済産業省の中にあって、しかも、何の恥じらいもなく、相互に人事の交流をしていたのだ。

 エネルギー庁の推進担当の部署から保安院の安全対策部門の責任者になることもあった。

 原子力推進への理解に向けた自治体への説明なども、エネルギー庁と保安院の担当者が一緒に出向くことも多いという。中立性をうたいながらも事実上の推進の役割を担ってきたのだ。

 電力会社と官庁が一体となって原子力発電は安全で推進すべきだという「世論」をでっち上げてきたということである。朝日新聞30日朝刊2面の見出しは、「原発の番人背信」と大きく書かれている。1953年以来ずっと国民を欺き続けてきたのだ。

 戦争中の大本営発表は嘘の情報の典型として知られているが、原子力行政もそれに匹敵するものである。

 福島第一原発大事故の発生以来、保安院や原子力安全委員会の発表にはいつも胡散臭いものを感じていたが、ここにきて、政府や電力会社の提供する情報は全く信用できないことがはっきりした。

 政府は、一刻も早く真相を解明して国民に情報を公開し、原子力安全委員会や保安院などの組織を完全に独立させて信頼のできるものに作り変えるべきである。

 自民党や公明党は自分たちの政権時代にこの背信を進めてきたことを棚に上げて反省の言葉も聞かれないのは何としたことか。与党と野党はこの際これまでの原子力行政の誤りを認め、それを正すことが緊急の課題である。

 

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2011年7月30日 (土)

行ってみたい東京おもちゃ美術館

 先週のNHK爆笑問題の「爆問学問」で「東京おもちゃ美術館」を取り上げていた。興味をひかれたので録画をしておいて見た。

 期待通り、とても面白い番組であった。東京四谷の廃校を利用して作られたという。元学校だから部屋はたくさんあるからゆったりと展示ができるし、利用者が参加することもできるようだ。

 参加型の美術館で、展示物の手を触れたり、おもちゃで遊んだり、作ったりすることができるそうだ。

 番組の中で、館長さんが話した言葉にとてもよいのがあった。それは、「おもちゃとは人と人をつなぎ心をまじあわせるものだ」という趣旨のことであった。

 確かに、昔のおもちゃはどれ一つを取ってもその通りであった。

 私が子どもの頃のことを思い出してみると、ショウヤ(私たちは、シャッケン)と言っていた。ビー玉(私たちは、ラムネ)と言っていた。お手玉、おはじき、毬つき、凧揚げ、独楽・・・・。どれも友だちと一緒に遊ぶ道具であった。それもなるべくたくさんの方が面白かった。

 私は、ビー玉やショウヤが結構強くて、学校では「本ちゃん」と言って、相手からせしめたものを自分の物にすることを禁じていたが、私たちはそんなことはお構いなしであった。ショウヤもビー玉もおはじきも引き出しに一杯集めていた。

 子どもたちは、夕方暗くなるまで近所の路地などでそうした遊びに夢中であった。

 私たちは、相手に勝つためにいろいろと工夫をしたものであった。たかがショウヤされどショウヤであった。ビー玉やおはじきもおなじであった。勝つためには工夫と技術が必要であった。

 ショウヤにしろ、ビー玉にしろ、遊び方もいろいろとあった。今ゴルフが盛んだが、地面に穴を掘ってビー玉を転がして一周するゴルフのような遊び方もあった。

 当時のおもちゃは極めてアナログであったが、それだけに温かみがあった。私は、今の子ども達が大好きなゲーム機は一度も触ったことがないし、パソコンのゲームもやったことがない。興味をひかないのだ。

 東京おもちゃ美術館のホームページアドレスは、

 http://goodtoy.org/ttm/index.html

  

所在地
〒160-0004
東京都新宿区四谷4-20 四谷ひろば内
アクセス
東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」2番出口より 
お子さま連れで徒歩7分 

※ 駐車場の用意はございません。公共の交通機関をご利用ください。

おもちゃ美術館のこだわり

わたしたちは、赤ちゃんからお年寄りまでの多世代にとって、豊かな出番と楽しみを有するミュージアムを目指します。
遊びを通して物づくりの喜びを子ども達に伝えたい
様々な道具や材料を活用したおもちゃ創作を通じて、古くから継承されている先達の「知恵」や「技」を伝え、創意工夫の楽しさ・自らの手を使うことへの興味をひきだします。
やりたいことを探す青少年の手助けをしたい
中学校、高校などと連携してインターンシップ協定を結び、おもちゃ美術館での活動の場を提供します。
手工芸や創作の技能を指導するとともに、いろいろな人々との関わりの中で人間力を磨き、自己実現にむかうサポートをします。
大人たちがもっと楽しく子どもと遊べる手伝いがしたい赤ちゃんとのスキンシップ遊びから、世界各国のおもちゃ遊びまで子どもと楽しむ知識や演出力などを、専門家の指導により身につけていただきます。
遊び主導の子育ては、親の心をも穏やかに健やかに育てます。
シニアが子どもたちのために活躍できるチャンスを提供したい「手作りおもちゃマイスター」や「おもちゃドクター」などシニアボランティアの育成に努めます。
積み重ねてきたさまざまな知識や技術、人生経験は間違いなく次世代を担う子どもたちにとっての宝物になります

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2011年7月29日 (金)

健康志向?ますます増え続けるウオーカー

 毎朝ウオーキングをしていることは何度も書いたとおりです。テレビでも、新聞でもラジオでも雑誌でもあらゆるところで歩くことが一番よい運動だと言われています。

 また、成人健康検査でも歩くことが推奨されています。歩くと、生活習慣病の予防になり、中性脂肪の増加を防ぎ、高脂血症や高血圧の改善をし、心臓病や糖尿病などにもよいと医者が進めています。また、脳を活性化するともいわれます。

 そのせいかどうか、私が歩く山崎川の両岸は、朝早くから歩く人で一杯です。以前は、夏でも朝4時過ぎから歩く人は余りいなかったのですが、最近では結構歩いています。

 5時ごろになると、その数が増え、7時ごろまで続きます。私の場合、朝起きたら歩くことにしていますので、その日によって起床時刻が違い、早く家を出るときもあれば遅く出るときもあります。

 それでどの時間にどんな人が歩いているのかを知ることができます。最近は、50 代の男性や高齢の男女で山崎川べりを歩く人が増えてきました。

 多分山崎川を歩く人の中で私が最古参だと思っています。なぜなら、古い顔見知りの人がほとんどいないからです。

 一度保健所かどこかで調査をしてくれるとよいが・・・・と思っています。誰が何時頃から歩き始めたかとか、その目的とか、歩くことによって健康が変わったかどうかなどです。

 厚生労働省や保健所などは歩くことを勧めるだけでなく、その実態や効果を実証的に調べるべきだと思います。きっと興味深いデータが得られるのではないでしょうか。

 

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2011年7月28日 (木)

マジックとの最初の頃の出会い

 マジック―昔は手品と言っていました―を初めて見たのは、小学校5年の頃だと思います。近所のおじさんが紙巻煙草(古臭い言い方ですね。当時はキザミの煙草を小さな道具を使って紙に巻いていたのです)を耳から出したり、反対側のl耳から出したり、鼻から出したりする手品を見せてくれました。子ども心に凄いなあと驚いたものです。

 次に見たのは、高校3年の正月に友人の家に友だちと行った時のことです。友人のO君の父親が、正月のお酒の徳利を紐で吊り上げる手品を見せてくれました。その父親の得意そうな顔を今でも思い出すことができます。この手品のタネは後に本で知りました。

 大学生の時には、三越の前身のオリエンタル中村という百貨店が栄にあり、手品売り場がありました。あるとき実演販売を見ていて、欲しくなりました。誰にでもできるか聞きましたら、いとも簡単にできると言ってやって見せてくれました。

 それは、スポンジを切って作った小さなウサギで、オスとメスのウサギが出たり消えたりした後、一つの手に入り、たくさんの子どもが生まれてくるというものでした。他にもシンプルとか四つ玉とかリンキングピンなどがセットになっていて、確か600円ぐらいだったと思います。

 そのセットは今でも残っていますが、ウサギは今はできますが、四つ玉もシンプルもいまだにできません。解説を読んだだけでは簡単にできるものではないからです。

 同じく大学生の時、近所にSさんという手品で有名な方がいて、バス停でバスを待っているときに簡単な手品を見せてくれました。

 ポケットから緑の小さな木をだして私に一つ渡し、自分も一つ持って同じようにやるように言いました。ところが私の方はそのようにはできないのです。では、取り替えてやってみようと言って取り替えたのですが、取替えのテクニックで結局同じ物を持たされるのでできませんでした。

 Sさんは、やり方を教えてくれてその手品をくれました。いつでもどこでも手品を見せるので有名でした。

 Sさんと父が知り合いだったので、いつでも手品を教えてあげると言ってくださったそうなのですが、なんだか厚かましいような気がして遠慮が働き結局そのときは習いに行きませんでした。

 就職して、ある日大須演芸場に見にいたことがあるのですが、そのとき、男性の手品師がリングを演じたのを見ました。ほとんどかぶりつきで見ていたのですが、どうしてリングがつながったり離れたりするのか分からず、とっても不思議でした。今思うとリングの基本の形を演じていただけなのですが、その不思議さは今でも鮮明に覚えています。

 手品を目の前で見たのはそれだけでしたが、それだけに強く印象に残っています。

 手品という言葉は今は余り使われなくてマジックと言っていますが、私は「手品」というアナログな言い方が好きです。

 デジタルの時代、CD技術を駆使して見事lなマジック的な映像をふんだんに見ることができますが、私は、アナログな手品が大好きです。

 

 

 

 

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2011年7月27日 (水)

浜岡浜岡原発廃炉・停止静岡県集会に参加した友人から

 友人からの手紙を紹介します。

 「7月23日、静岡市の駿府公園で『浜岡原発廃炉・停止静岡県集会』が開かれ、それに参加しました。公園は、人。人、人で埋め尽くされました。取締りの警察官の吸うもびっくりするほど多く配備されていました。

 5000人以上の参加者があり、これは静岡市始まって以来の集会参加者だそうです。湖西市長三上元氏の賛同表明演説、福島県農民根本敬氏の賛同演説は感動的なものでした。

 三上氏は、浜岡原発隣接自治体首長として、もし、浜岡原発に福島第一原発のような事故が起これば福島原発より格段と出力規模の大きい浜岡原発の及ぼす被害ははかりしれず、湖西市全域が避難しなければならない事態になる。

 そうすれば職場、商店、学校、役所・・・・根こそぎ無期限に奪われ、遺伝子の損傷を受け、子々孫々に影響を受ける。そのようなことになる可能性を絶対除去しなければなrない。しび意味で浜岡原発は葉色にもっていかなければならない・・・・。このような主旨でした。

 福島原発以前は、浜岡周辺市長で浜岡原発廃炉を主張しえいたのは三上氏のみだったそうです。今では、焼津市長、御殿場市長、裾野市長などが賛同メッセージを寄せるまでになっています。

 共産党の志位委員長も科学的なデータを示しながら、浜岡原発廃炉を訴え、説得力のある演説でした。その他、各県の代表者がリレートークをしたあと、デモ行進を中電静岡支店まで行いました。

 おりしも大暑の日、炎天下で3時間は、熱中症寸前という感じでした。

 この大集会を商業マスメディア・NHKは全く報道しませんでした。7月2日に東京目一次神宮公園で行われた原発廃止全国集会の2万人集会も、マスメディアはどこも黙殺しました。これでは日本の言論の質が問われます。

 私は、今後も『枯れ木も山の賑わい』よろしく、原発廃炉をめざす集会、デモにくわわりたいと思っています。」

 ーコメントー

  脱原発や原発廃炉・停止の集会やデモなどについては、マスコミがほとんどもしくは一切報道しないという自主規制について一部の週刊誌が取り上げていたようですが、私も、この手紙をもらうまで全く知りませんでした。

 かつての報道管制のように大企業にとって不利なことは抹殺してしまうという言論封殺はとても怖いものです。

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2011年7月26日 (火)

中国高速鉄道の大事故―独自技術が泣く―

 中国で北京から上海を通り杭州、福州を結ぶ中国ご自慢の高速鉄道で追突事故があり、死者35名けが人が192名に上る大惨事ととなった。追突した車両は先頭の4両が落下し、先頭の2両はぺしゃんこに潰れてしまった。

 中国の関係者は、潰れた車両を細かくして穴を掘って埋めてしまったという。どうして埋めたのか理由は分からないがおかしなことをするものだ。幾ら潰れていても事故原因の解明には必要ではないかと思うのだ。

 中国の高速鉄道といえば、万博や共産党大会に間に合うように鳴り物入りで建設し、時速350kmを出して世界一と自慢していた。そして、高速鉄道は中国独自の技術で開発したものだと広言してアメリカ、ロシア、などに売り込みを図っている。ヴェネズエラにはすでに売込みが成功して建設をするらしい。

 今回の事故を起こした高速鉄道は、日本の東北新幹線やカナダやドイツの技術移転で作られたものだが、中国は独自のものと主張して世界に売り込んでいるのだ。

 その”中国独自の技術”が今回の大事故で一瞬のうちに破綻してしまった。日本の新幹線の関係者は、今回のような事故は日本ではあり得ないと話している。自動列車制御装置(ATC)で列車の間隔を調整し、列車同士を一定以上に近づかせないのだという。

 中国政府は、落雷によるやむを得ない事故としているが、日本の新幹線では落雷などでATCシステムが停止しても、非常ブレーキがかかるという。この部分に関する中国の技術は中国独自のものらしいが、それがいい加減なものであったことが証明されたという訳だ。

 事故車両を細かく解体してすぐに土に埋めてしまうことからみても分かるように、安全のために徹底的に原因を解明するのではなく、臭いものにはすぐに蓋をしてしまうという中国的な体質が見られる。

 オートバイでも、化粧品でも、電気製品でも、絵画でも、CDでも、DVDでも、何でもコピー商品をつくり、平気で国内だけでなく、海外へも売るという中国。うっかり信用すると、大変な損害を蒙ることになる。

 こうした体質が改まらない限り、今回のようなことはこれからも再発することは目に見えていると言わざるを得ない。

 日本は、今回の事故を反面教師として、高速鉄道の売り込みに生かして欲しい。安かろう悪かろうではなく、高くても安全で高性能が大事なのだ。

26日の夕刊によると、中国政府は、一転して埋めた車両を掘り出し、調査することになったという。重機で砕いて埋めたものを今更掘り出しても何が分かる?如何にいい加減かを証明するだけだ。こういうのを恥の上塗りというではないか。

 

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2011年7月25日 (月)

みちのく民謡―名古屋五星会発表会―民謡にとっぷり

 Sさんに「みちのく民謡 五星会の発表会」の入場券を頂いたので、23日の日曜日に聴きに行きました。この手の発表会は午前中に始まり、夕方まで続きます。11時開演だったのですが、午前中はマジック研究会があったので少し遅れて12時50分に会場に入りました。

 プログラムは、すでに24番の民舞「よさこい鳴子踊り」まで進んでいました。会場にはあちらこちらに空席がありましたが、ほとんど何かをおいてありました。でも、1階中央左の通路側に席があったのでラッキーでした。

 プログラムの演目は64番まであります。51番からは、「ゲストの歌声 民謡ビッグショー」となっているので、どうしても最後までいたいと思いました。

 この会がどういう会なのかは全く知識がありませんでした。でも、2時半ごろの式典のときに何となく分かりました。

 もともとは宮城県から始まったのが、秋田県に移り、現在は秋田県の佐々木実という人が睦実会という民謡グループをつくり、宗家を名乗っていることがわかりました。宗家の佐々木さんははるばる秋田県から来ていました。

 そういう関係からか、東北地方の民謡を中心にやっているようで、演目を見ても、秋田、青森、宮城、福島、岩手、北海道のものがほとんどでした。

 追分、荷方歌、船方歌、馬子唄、甚句、タント節、津軽じょんがら・・・・などでした。

 最高齢は、92歳の西谷もじり節を歌った角平清音さんで、とってもお元気で声もよく出ていましたので感心しました。その次が、祝奉節を歌った伊東克江さんで89歳。この方もよく声が出ていました。

 みなさんとてもお上手でしたが、何と言ってもゲストショーが聴きものでした。2時50分ぐらいから5時15分までひとり2曲ずつたっぷりと歌いました。江刺追分少年の部日本一とか磯歌日本一とか船方節日本一とかほとんどが何らかのコンクールで優勝した人でした。それに若い女性が多くて驚きました。

 最後まで4時間半も民謡を聴いたのは初めての経験でした。いろんな民謡を聞くことができました。

 改めて日本の民謡は、日本独特のものであることを認識しました。太鼓による独特のリズム、三味線と尺八の伴奏と独特の音色、ピッチの高い強い歌い方も日本民謡の特徴です。

 先日、アイルランド民謡のことを書きましたが、日本の民謡も農民や労働者の生活の中から生まれ、生活の中で歌われて来たことを改めて思いました。アイルランドのフィドルなどの楽器の演奏は楽譜なして行われますが、日本の民謡も三味線や尺八の演奏はやはり楽譜なしです。その点でも共通点があります。きっと、どこの国でもフォークソングというのはそういう側面を持っているのだと思います。

 そういえば、沖縄の民謡はヨナ抜きのメロディと三線と踊りを伴います。やはり生活の中に溶け込んでいます。

 今に歌われている数々の民謡がいったいいつの頃生まれどのように伝承されて来たのでしょう?東北地方は民謡の宝庫といわれますが、日々の暮らしの中で受け継がれていくことを願っています。

―ドンパン節を歌うゲスト―

 

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2011年7月24日 (日)

アイルランドの素晴らしさを知る―NHK「旅のチカラ」で―

 22日の朝、いつものようにBSプレミアムで「おひさま」を見て、テレビを消そうと思ったら、「旅のチカラ」という番組が始まりました。少し見ていると、バイオリニストの葉加瀬太郎さんがアイルランドを訪ねるというものでした。

 見るともなしに見ていましたら、フィドルというアイルランド音楽で使うヴァイオリンの演奏に惹かれて葉加瀬太郎さんがアイルランドに行くという番組だと分かりました。

 私は、アイルランドについては、アイルランド民謡とかアイルランド紛争ぐらいしか知りません。

 ただ、姪がアイルランド音楽をやっているので、それを聴いたことでアイルランド音楽のリズムや曲が独特のものであることは知っていました。

 それで興味が湧いてきて「ヴァイオリンは歌う フィドルは踊る」という番組を最後まで見ました。

 驚いたのは、アイルランドでは、音楽が生活の中にあるということでした。人びとは、家庭でもアイリッシュ・パブでも、農作業の合間でも、集会所でも、どこででも楽器を演奏し、歌を歌い、踊るのです。本当に生活の中に溶け込んでいます。

 しかも、演奏は全部楽譜なしです。子どもの頃から何千とある曲を、演奏を聴いて覚えてきているのだということです。それを即興で演奏して行くのです。リーダーの合図で次々に曲が変わってくのです。

 そうした曲や歌は、農民の生活の中から作られたものだそうです。生活に直結しているのですね。

 世界的に活躍している演奏グループでも、普段は農民などの仕事を持っていて、演奏と仕事を切り替えながらやっているというので、素晴らしいと思いました。

 アイルランドの人びとに葉加瀬太郎さんが、「音楽とは何か?」と聞くと、誰でも「考えたことがない」と答えるそうです。音楽は生活なのです。私は、これこそ本当の音楽なのではないかと思いました。

 アイルランド音楽のあの独特のリズムとメロディーは、私のような者が聴くとどれも同じように聞こえますが、何千もの曲から選び出して即興で演奏しているというのは凄いことだと思いました。

 一度是非アイルランドに行ってアイリッシュ・パブでゆっくりダークビールを飲みながら、音楽を聴き、踊りを見てみたいと思いました。

 ちなみに葉加瀬さんは、アイルランドの曲を弾くために楽譜に書き取って覚えていました。

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2011年7月23日 (土)

贅沢でハッピーなコンサート―東北復興支援チャリティコンサート―②

 21日(木)に行われた、愛知芸術文化センター主催の「東北復興支援チャリティコンサート」第2日についてです。

 「とどけ!あいちの祈り、音の翼にのせて 《愛知県立芸術大学》にゆかりのあるアーティストとその仲間たち」というタイトルでした。

 この日は、管弦楽や合唱も含めて総勢85名の出演ということもありましたが、何と言っても、バラエティに富んだ内容が素晴らしかったです。一言で言えば「贅沢でハッピーなコンサート」でした。

 この日は、2階正面の2列目中央に席を取ることができました。

 第1部は大瀧拓哉さんのピアノから始まりました。ショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズでした。若い男性ですが細やかに弾いていました。

 次が、トランペットとオルガンという珍しい取り合わせでした。とても興味がありました。若い女性とランペッターの稲垣路子さんと吉田文さんのコラボでした。曲は、マルティーニ作曲、トッカータニ短調とバッハの《楽しき狩こそわが喜び》より(羊らは安らかに草をはみ)の2曲でした。トランペットの音色とオルガンの音色がよく合うのは共に金管だからでしょうか。

 3番目は、マリンバ独奏で、背が高い池永健二さんがを演奏しました。曲は、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番よりフーガでした。ヴァイオリンのための曲をマリンバで演奏するという変わった試みでしたが心地よいサウンドでした。

 4番目は、マリンバの合奏で、若い女性マリンバ奏者と池永さんの合奏でした。この準備に時に、ハプニングがありました。マリンバの設置をする向きを反対にしてしまったのです。音楽関係者なのにこんなこともあるのか?と会場から笑い声がおきました。

 マリンバ重奏は二つのマリンバの音が響き合ってとても綺麗な音になっていました。曲は、E.セジュルネのデパーチュアーズでした。

 5番目は、ソプラノの吉田珠代さんが、中田喜直作曲の「歌をください」という今の日本に合った素敵な曲を高橋早紀子さんのピアノで歌われました。入場してきたとき、堂々としたグラマラスな体躯に驚きましたが、歌声を聴いて一遍に魅了されてしまいました。一聴き惚れというやつですね。

 その後、二階に上がって行かれましたが、その間3分間、被災地のことを思って祈ってくださいということでした。

 6番目の曲は、フォーレ作曲、レクイエムより(ビエ・イエズス)でした。吉田さんの伴奏で両吉田の息が合って、朗々とした声が会場に響きました。

 7番目は、トランペットとのオルガンとの競演という珍しいものでした。ヘンデルのオラトリオ《サムソン》より〈輝ける熾天使たちよ〉でした。素敵な競演でした。

 8番目は県芸大教授の服部芳子さんのヴァイオリン独奏で、シュトラウスのヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第3楽章をピアノ掛川遼平さんで演奏されました。そても綺麗な音色でした。

 第2部は角田鋼亮さんの指揮で、愛知愛知室内管弦楽団の演奏で、ベートーベンの交響曲第7番から始まりました。第一楽章は何となく物足りなさを感じましたが、次第に乗ってきたのか、第3楽章は元気にまとまりよく演奏し、ブラボーの声も聞かれました。私は数日前に、プランタン管弦楽団で第8番を聴いたばかりでしたので、偶然を感じました。

 次は、愛知県立芸術大学B.M.K。Chr男子16名、女子15名が2階正面に並んで、オルガンの吉田文さんも交えて管弦楽団と共に演奏しました。曲は、バッハの《心と口と行いと生きざまもて》でとてもよい合唱でした。

 最後は、愛知室内オーケストラと一緒に、天野武子県芸大名誉教授のチェロ独奏で、カザルスが平和の願いを込めて作ったという《鳥の歌》でした。短いが静かで心に染みる音色でした。

 この日は、こんなにも多彩なプログラムと出演者で、9時半までたっぷりと音楽に浸ることができました。こちらは楽しんでいましたが、被災者はその間も苦しんでおられると思いながらのコンサートでした。

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2011年7月22日 (金)

愛知芸術文化せんたーの「東北復興支援チャリティコンサート」―①

 7月20日と21日の2日間にわたって、愛知県芸術センターコンサートホールで「東北復興支援チャリティコンサートが開かれました。

 第一日は、「オルガンとダンスの華麗な競演―愛知出身アーティストによる復興への祈り」というもので、パイプオルガン奏者の吉田文さんとダンサーの平山素子さんの競演でした。

 パイプオルガンとダンスの競演というのに興味を惹かれて観に行きました。第一部と第2部に分かれていました。

 ジャン・アラン 連祷で始まりました。その後、バッハのG線上のアリア、主よ人の望みの喜びよ が、オルガンで演奏されました。

 次が、溝上日出夫 雲中供養菩薩 という曲で、中央の扉が開いて後からライトが照らす中を平山さんが現れました。主に扉の付近で身体をくねらせる動きのダンスでした。ライトは正面と背後のスポットだけで、シルエットと共に踊っている感じでした。

 その次の曲は、高田三郎 子守歌、かくま狩り《ピアノの為の5つの民族旋律》より、

 モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス この曲は、昨年私も昭和男性コーラスで歌ったので自然に歌詞が思い出されました。

 最後は、ドボルザークの 交響曲第9番「新世界」より 誰でも知っている有名な曲です。

 第2部はパイプオルガンの演奏部がステージに置かれました。

 バッハの有名な「トッカータとフーガ」二短調、

 レオン・ポエルマンの 聖母への祈り《ゴシック組曲より》

 そしてダンスとの競演で、

 オリヴィエ・メシアン 栄光を受けたからだー復活したいのちの七つの短い幻影 より抜粋

 ダンスはソロで、始め黒い服をまっ取った平山さんが上手から現れてオルガン右で踊りました。手や身体をくねらせる踊りで、オルガンの周りを動きました。

 オルガンの上に上がって踊る場面や、パイプオルガンのパイプの前の机の上で寝た姿勢で踊る場面もありました。最後は、明るい衣装で下に降りてきてステージで踊りました。

 曲は現代音楽というかちょっと前衛的な感じがする音楽でした。踊りも前衛的な踊りでした。

 ソロ・ダンスをした平山さんは筑波大学人間科学総合研究科準教授で、静謐さと昂揚を自在に奏でるダンサーとして熱い支持を集めているそうです。22日から23日まで愛知芸術劇場地下小ホールで「月食のあと」という公演を行います。

 珍しいダンスとオルガンの競演は表現の新しい方向に眼を向けさせてくれるものでした。

  吉田文さんのチャリティコンサートに寄せた文が素敵でしたので一部を抜き出します。(前略)

 「言葉を失い、無力さの前に呆然と立ち尽くすとき、人は祈るもlのだ、と、私はこのとき(助けてあげたくてもできない自分の無力さを知ったとき)に知りました。

 ドイツの教会を演奏で回ったとき、どこに行っても人びとは日本のために祈っていました。

 「祈る」ということは、どのような形であろうと、「心」をあることへと向けるということです。多くの人が祈るとき、そこには、複数の心が、一つの心になるという調和が生まれます。

 祈ることだけでは何も動かないかも知れません。しかし、祈りのうちには、何かを動かすことができる力を与えられるのでしょうか、それとも、何かが本当に動きだすのでしょうか。

 音楽も、祈り同様に目で見ることができません。しかし、音の響きが重なり、調和となり、心へと響き、心の何かを動かすことができる力を持っていることを、私たちは知っています。

 そして、パイプオルガンという楽器も、不思議な楽器です。1本のパイプでは一つの音しか出せません。しかし、何百本、何千本というパイプが集まり、一つの調和のうちに音楽を奏でることができます。

 一人ひとりは無力でも、心と力を合わせれば大きなことが動かせる。私たち人間の世界のようではありませんか?

 私たちの祈りが被災地へ届きますように。(後略)」

  明日は、チャリティコンサート2日目について  

  ―つづく―

 

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2011年7月21日 (木)

ECRR(欧州放射線リスク委員会)議長クリス・バズビー博士来日決定

  おけらさんのblogで知りました。情報源は下記のURLです。広め欲しいと書いてありましたので転載させていただくことにしました。

ーーーー
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-4795
今の日本にとって、大変重要な人が来日します。(7月17~21日)
ぜひ、多くの人にお伝え下さい。
 ECRR(欧州放射線リスク委員会)議長クリス・バズビー博士来日決定
 被ばくによる健康被害について、日本政府はもっぱら国際放射線防護委員会(ICRP)が勧告した基準をもとに安全基準を考えてきましたが、しかし、この基準は大変問題のあるものでした。
 なぜなら、それは「内部被ばくの危険性」を殆ど考慮しておらず、「核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段」(中川保雄「放射線被曝の歴史」)だからです。
 しかし、このことを正面から指摘する科学者集団は長い間、存在しませんでした。1997年、ようやくそれが出現しました。
 欧州放射線リスク委員会(ECRR)です。その初代の議長は、1958年に世界で最初に低線量被曝問題(妊婦のX線撮影により小児ガン・白血病の増加)を発見した英国のアリス・スチュアートでした。
 つまり、ECRRは、それまで国際的権威とされてきたICRPの基準に対して、その非科学性を最も徹底して追及してきた唯一の国際的な科学者団体でした。
 そのECRRの議長をつとめるクリス・バズビー博士が英国から来週17日(日)に来日が決定しました。
 
 バズビー博士は、
(1)、昨今、放射線 「正しく恐れよう」と称して間違った安全神話を流布する学者先生たちがあとを断ちませんが、真に科学的にみたとき、被ばくの危険性はどう考えるべきか、
(2)、ICRPの基準は真に科学的な立場からみた場合、どう評価されるべきか。
(3)、ECRRの基準に従えば、今、福島原発事故によって住民は、今どのような被ばくの危険性にさらされているか。
など、現在最も緊急かつ切迫した課題について、講演の予定です。
 日常的な毒や事故と異なり、「放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です」(アーネスト・スターングラス博士)。言い換えれば、私たちは放射能を市民の日常感覚で考えてはいけないのです。
 放射能は、日常感覚で考えたとき、取り返しのつかない間違いに陥る恐ろしい毒です。だから、この問題では、市民は自らの身を守るためには、科学の素人といえども、日常感覚を脇に置き、科学的認識に向かうしかありません。
 ところが、日本には、ICRPを筆頭にして、科学者の背広を着たいかがわしい人々が市民の周りに数限りなく存在していて、「100ミリシーベルト以下なら安全」などという非科学的で有害な言説を放射線のごとく振りまいています。
 
 そこで、放射線のみならず、放射線安全基準の言説でもすっかり汚染されている日本において、市民が日常感覚を脇において、真に適切な科学的認識に向かうために、ECRR議長のクリス・バズビー博士の講演が極めて有益なものであると確信します。
 今回、英国からバズビー博士の来日にあたっては、皆様の支援を必要としています。どうか、寄付、カンパをよろしくお願いいたします。  
1、17日(日)午後
 東京 会場:東京都渋谷区代々木2ー12ー2 カタログハウス本社ビル B2Fセミナーホール(JR 新宿駅南口から徒歩 8 分)
2、18日(月)午後
 茨城 会場:常磐大学 見和キャンパス(茨城県水戸市富士見2-17-1)(予定)
3、19日(火)午後
 福島 会場:会津大学(福島県会津若松市一箕町鶴賀)(予定)
4、20日(水)午後
 東京 会場:参議院 議員会館(予定)

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2011年7月20日 (水)

よかったプランタン管弦楽団第10回定期演奏会

 6月に吉田文さんのブランチ・コンサートにいったとき貰ったチラシで、プランタン管弦楽団というのが吉田さんと共演することを知りました。芸術劇場コンサートホールで7月17日の午後に開かれるということでした。

 プランタン管弦楽団というのは全く聞いたこともありませんでしたが、たったワンコイン(500円)ですし、オルガンとの共演も興味をひきました。

 芸術劇場地下のプレイガイドで入場券を買い、エスカレーターで上って行くと、開場15分前だというのに長い列ができていました。プランタンってそんなに有名なの?と思いながら並びました。列はどんどん長くなりました。

 会場に入るとすぐに2階に行きましたが、中央の席はすでに取られていました。仕方がないので、その近くに席を決めました。

 定刻前にステージ側も含めてほぼ埋め尽くされました。観客層も子どもから高齢者まで幅が広く、男性が多いのも驚きました。

 オーケストラは予想より大きく、90名ぐらいの大編成でした。客演コンサートマスターの古井麻美子さんが登場してチューニングを行い、その後指揮者の中村暢宏さんが登場しました。

 最初の曲は、ベートーベンの交響曲第8番でした。解説によると、第8番は1812年5月にベートーベンが第7番を完成した後、10月に完成したといわれます。ベートーベンは「大交響曲第7に対して、小交響曲第8を書いたがこちらの方がはるかにすぐれている」とベーター・ザロモンに書き送っているそうです。

 明るい華やかな演奏なのでオープニングに選んだのだそうです。第8を生で聞くのは初めてでした。30分余りの演奏時間で、オーケストラはよく鳴っていました。

 次は、サン・サーンスの「死の舞踏」でした。この曲は初めて聞く曲でした。題名がよくないのですが、解説によると、「死を覚え、今を懸命に生きよ」という思想を表現しているのだそうです。最後は明るく終わり題名の不気味さはありませんでした。ハープは近藤薫さん。

 最後の曲は、サン・サーンスの交響曲第3番ハ短調 オルガン付きでした。解説によると、1886年、サン・サーンス51歳のときのさくひんだそうで、彼自身が渾身の作品と述べているそうです。

 オルガニルトは吉田文さんでした。オーケストラとオルガンは初めてでしたので、どのようにコラボするのかと楽しみでした。第一楽章では、オルガンはオーケストラの中で低音を静かに溶け込ませていました。

 オルガンの音が響いたのは、第二楽章でしたが、ほんの僅かの時間でした。予想とは違っていました。こういうときに目立つのはシンバルです。

 演奏が終わると、後の方でブラボーと声をかける人たちがいました。拍手の大きさから見るとみなさんも満足した様子でした。

 アンコール曲は、レシピーニの「ローマの松 第4楽章」でした。明るくてアンコール向きの曲でした。終わりの方でホールが震えるほどの大きな音になる部分がありましたが素晴らしかったです。

 外は35度はあろうかという午後のひと時を涼しいホールでよい演奏を聞くことができ幸せな気分でした。初めて聞いたプランタン管弦楽団でしたが、次も聞いてみたいと思いました。

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2011年7月19日 (火)

白い可愛い子猫ちゃん―③―キビナゴをやった

 先日、家の近所の白い可愛い野良猫の子を捕まえ損なって、怖いからどこかへ行ってしまったかと思ったら、相変わらず近所にいます。

 4日前は、大人の白い猫が4匹と子猫が歩いていました。子猫がひとりになったところを見計らって家から持ってきたキビナゴをやろうとしました。

 指で持って子猫に見せますが、警戒心が強くこちらには来ません。それでこちらを見ているときに投げてやりました。すると餌だと思ったのか少しずつキビナゴのところに近寄ってきて咥えました。そして用心深そうに食べ始めました。冷凍してあったキビナゴなので堅く食べづらそうでした。

 食べ終わったのでもう一つやろうと思い投げたら近くにいた親が横取りをしてしまいました。親でも遠慮はないことがわかりました。

 今度は親にとられないように気をつけて、子猫に投げてやりましたら、うまくとって食べ始めました。

 2日前に、むかえの入り口に子猫が1匹いたので、家からキビナゴをもって来てやろうとしたら車庫の方に逃げていってしまいました。それでうずくまったところをゆっくりと近づきました。

 こちらを見ているときに餌のキビナゴを見せて投げてやりました。子猫はそっと近寄ってきて食べました。食べ終わったらもう1匹投げてやりました。

 ウオーキングから帰ってきて、シャワーを浴びてテレビを見ようとしたとき、猫の鳴き声がしました。見るとむかえの入り口に子猫がいました。

 そこでまたキビナゴをもって外に出ました。子猫は警戒して逃げましたが石段のところで止まりました。こちらを見るのを待って、キビナゴを見せ投げてやったらゆっくりと近づいてきて食べ始めました。

 もう一匹やろうと思って家に取りに帰り出てみると、黒猫と白猫の親が2匹子猫の近くにいました。大人の猫は何とか追い払ってまた子猫にキビナゴを投げてやりました。食べ始めたところへ親が取ろうと近づいてきたので追い払いました。子猫は取られずに食べ終わりました。

 餌付けができるのかどうか分からないのですが、しばらく子猫にキビナゴをやってみようと思っています。

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2011年7月18日 (月)

ゾウの予言が当たったゾウ―なでしこジャパン世界一おめでとう―

 なでしこジャパンが遂に世界ランキング1位の強豪アメリカを下してFIFA WORLDカップの世界一に輝いた。

 何という快挙!!

 しかも、アメリカに先制されながらそれを2度も押し返し、PK戦に持ち込んでの勝利。

 前半戦では、アメリカに7本のシュートを浴び、おされ気味であったが、何とか0:0で凌いだ。

 後半戦に入って、アメリカに先制点を取られたときは、さすがアメリカと感心した。それを12分ほど後になでしこが得点をして同点になった。得点をされてからのなでしこの動きがよくなったと感じた。

 アメリカにシュートをされ危ない場面もあったが、延長戦に持ち込むことができた。

 延長戦に入って、ワンバックにゴールをされ、やはり先制の得点はアメリカ。もう駄目かと思ったが、キャプテンの沢穂希が見事にゴールを決め、しかも、単独得点王になった。

 そしてPK戦。PK戦は運が左右する。どうなるかとハラハラしいていたが、キーパーの海堀選手が見事にセーブをして、なでしこは沢選手を残して優勝を決めた。

 延長戦までの本試合では、最初はアメリカに押されて、得意のパス回しもうまく行かなかったが、だんだんと粘りをみせるようになり、負けるかという崖っ淵から2度息を吹き返したのは、見事であった。

 約5万人の満員の観客やTV観戦をしているファンが堪能できる試合であった。

 戦前の予想では面白いことがあった。ドイツでは蛸だけでなく、象にもl試合の予想をさせていたが、その象は準決勝までを全て当てていて、決勝戦は日本の勝ちを予言したというのだ。

 試合を見ながら象の予言ははずれるゾウと思って見ていたが、何と最後には逆転で勝ったのでゾウの予言が当たってしまった。これは嬉しい予言であった。

 なでしこジャパンの選手たちは、体格的にはアメリカなど西洋の選手に圧倒的に負けていたが、技術・体力・精神力では負けてはいなかった。

 アメリカでは、女子サッカーをやる人が200万人もいるそうだ。それに対して日本ではたった4万人。ピラミッド型のサッカー人口があるアメリカに勝ったという意義も大きい。しかも、女子のワールドカップは今年が丁度30周年という節目であった。

 何よりも一番よかったのは、東日本大震災の大災害の後のl優勝であったことだ。選手たちは「がんばろう日本」を掲げて一戦一戦を勝ち抜き見事世界一になった。これは何にも勝る被災地への大きな励ましとなったし、日本全体に対しても明るいニュースとなった。

 32歳の沢選手は、穂希という名前だがいい名前をつけてもらってそれに負けない「誉れ」高い選手になった。名前を体現したのが凄いと思う。

 なでしこジャパン、大きな感動を有難う!!

【画像】澤穂希/FIFA女子ワールドカップ・ドイツ 2011

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2011年7月17日 (日)

私の消夏法

 今年の梅雨は例年より2週間近く早く明けて、ほぼ連日真夏日が続いています。歳を取って暑さに弱くなったので、子どもの頃と違い夏が嫌いになりました。

 その上、今年は電力不足が喧伝され、節電がやかましいので、自然と節電を心がけるようになりました。節電の対象は何と言ってもエアコンです。なるべく使わないようにしていますが、使うときは28度に設定しています。

 活躍しているのが、扇風機です。2台ある扇風機を使い分けています。

 私の子どもの頃は、扇風機は金持ちの家にしかありませんでした。その扇風機も真っ黒で風を起こすのが目的みたいなものでした。

 私が初めて扇風機を買ったのは、就職をして初めてボーナスをもらったときでした。その頃教員の初任給は、忘れもしない11310円でした。扇風機はというと、9300円もしました。最も、高さが1mぐらいあって、首振り角度を変えられる三洋電機のものでした。

 買ったとき、とっても嬉しかったことを今でもはっきりと覚えています。その頃は、祖母の家にいましたが、扇風機などあるはずがなく、珍しがられてみんなで使いました。

 そうは言っても、当時は窓とか戸等は開けっ放しでしたし、夕方からは夕涼みをしましたから、扇風機の出番は夜寝るときぐらいでした。

 ところで、本題に戻して、家にいるときには、半ズボンに裸かTシャツです。小さなタオルを濡らして絞り、それで汗を拭いたり、頭や首にのせたりします。時々は、水で顔を洗います。水冷式です。

 むかしの川柳に、「夕涼み よくぞ男に生まれけり」というのがありましたが、昔は男は褌だけの裸で過ごしました。女性でも子供がある女性はたいてい上半身裸でした。老人は女性でも腰巻で完全に裸ででした。

 最近は、ステテコや褌が売れていると聞きます。そのよさが見直されたのかもしれません。

 暑いときは水分補給が大切だといわれます。それで水で出せる麦茶パックを買ってきました。1パックで1リットルの麦茶が作れます。それを冷蔵庫に入れておいてこまめに呑むようにしています。

 テレビや新聞では、高齢者は温度感覚がなくなるか鈍くなり、汗が少なくなると言っています。私の場合、そういう自覚はありません。むしろ汗を物凄くかくので困っています。暑さも若いときより感じるように思います。最も、昔は今ほどは気温が高くはなかったといわれますが。

 いずれにせよ、節電を兼ねて少しでもエコで暑さを凌がなければなりません。それには昔の消夏法を思い出して取り入れるのもよいかと思っています。

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2011年7月16日 (土)

我が家の坪庭の小風景

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 5月頃知り合いのMさんから電話があって、ゴーヤの苗をくれると言いました。Mさんは毎年ゴーヤを育ててタネをとり、自分で苗を育てています。それを欲しい人に配っているのです。

 3年前から私も毎年苗をもらい植えているのですが、なかなかうまく育ちません。これまでは、庭の高い木にツルが一本伸びているような状態でした。

 秋になるとゴーヤが1個いつの間にかなっているというかなりいい加減なものでした。それで、今年はもう少し上手に育てようと思いました。

 妻が大きな鉢に苗を植えました。それを家の南向きの前に並べました。100円ショップでネットを売っていましたのでそれを買ってツルが這いやすいようにしました。

 Mさんに、芽を摘むと脇に芽が出て来て茂ると習いましたので、そうしました。裏の家は毎年ゴーヤを上手に育てています。今年も大きく屋根まで伸びています。それに比べて我が家のはまだ半分ぐらいですが、先日、初めての花が咲きました。

 朝、妻が、「花が咲いたから見なさいよ。」と大事件のように告げにきました。見に行くと、黄色い可愛い雄花でした。ところどころに雌花のもとついています。

 昨日、雌花も1つ花をつけ、雄花が二つ咲きました。うまく受粉をしてくれるとよいが・・・・と思っています。

 もう一つの話題は、カミキリムシを見つけたことです。

 おととい夕方自転車の下にカミキリムシを見つけました。弱っているらしく、後足をひくひくとさせていました。可哀想なので、サツキのところにとまらせてやりました。

 私は、カミキリムシが我が家にいたので驚きました。早速妻に話すと、「知ってるわ。カミキリムシは、毎年いるわよ。」と言いました。カミキリムシの種類はいろいろありますが、濃紺の羽に白い斑がありとてもきれいです。 調べて見たら、ゴマダラカミキリムシでした。

 妻は、「とってもきれいなのに、どうしてクワガタの方が人気があるのかしら。」と言いました。私は、「カミキリムシの方が数が多くてよく見るからじゃない?」と答えました。

 私が子どもの頃は、カミキリムシはどこにでもいてよくつかまえたものです。捕まえると、紙をあてがって切らせるのです。その名の通り、口を動かして紙を切ります。

 カミキリムシはよく見るので、珍しいカブトムシやクワガタムシの方が手に入れると嬉しかったものです。

 我が家のカミキリムシは元気が戻ったのか、いつの間にかいなくなっていました。

 

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2011年7月15日 (金)

同音異義語のl多い日本語

 日本語は、同音異義語が多い言語です。ワープロでローマ字入力を使って文章を綴っていますといろんな語が候補として上がってきます。その中から選択をして確定をするわけですが、よく確定間違いをすることがあります。

 先だってある人のblogを見ていましたら、「見過ぎ世過ぎ、草の種、水清くして魚住まず」という言葉に出会いました。ふと、「見過ぎ」は「身過ぎ」では?と疑問がよぎりました。念と為調べてみましたら、やはり「身過ぎ」でした。

 どうやらうっかりと確定してしまったようです。この「みすぎ」ですが、「見すぎ、身過ぎ、観過ぎ、診すぎ、美杉、三杉、観すぎ、看過ぎ、視過ぎ・・・など」たくさん出てきます。しかも、身過ぎは最後の方に出てきます。

 世過ぎはどうか。「世過ぎ、良過ぎ、好すぎ、善過ぎ、四過ぎ、好過ぎ、佳過ぎ、・・・など」いろいろあります。ちなみに、身過ぎと世過ぎは同意語で「生活をしていくこと」です。

 「すむ」はどうか。「住む、棲む、済む、澄む、清む、梄む」などがあります。本来は、「住む」と「棲む」「梄む」はちょっと違う使い方をするようです。

 魚は「住む」でいいようですが、巣を作ってすむ鳥などは「棲む」のようです。

 ワープロで変換をしていく場合、「魚住まず」を「魚清まず」とか「魚澄まず」とやってしまうことも起こりそうです。なお、「魚住まず」は、大魚は住まないという意味で、小魚は住みます。

 この話には続きがあります。コメントをしたときに、私は、うっかり「同音異議語」と書いてしまったのです。送信をしてからすぐに気がついたのですがもう訂正はできませんでした。それですぐに「同音異義語」と書いて再度送りました。冷や汗が出ました。

 私は外国人に日本語を教えていますが、日本語に同音異義語が多いのは彼らにとって覚えるのに大変なようです。一つひとつの場面や出てきた状況に合わせて覚えて行くより仕方がないでしょう。

 ところで、話を別の方にもっていきますが、この「身過ぎ世過ぎは草の種、水清ければ魚住まず」という諺?の前半の部分を私は知りませんでした。

 「草の種」というのは、草の種ほど幾らでもあるという意味だそうです。いったいこの諺は何時頃出来たのだろうかと思います。私の推測では、江戸時代ではないかと思います。

 理由は、江戸時代には、幕府のお膝元の江戸には全国から人がきて100万人以上の人口があったと言われます。その江戸では、仕事(暮らしの方法)が幾らでもあったようです。田中優子さんが言っていたと思うのですが、「江戸っ子は宵越しの金はもたねえ」というのは、稼ぐ道が幾らでもあったから金を持たなくてもよかったようなのです。

 私は、不覚にもそれまでは江戸っ子の気風の好さを言うコトバだと思っていました。言われてみれば成る程と頷けました。仕事(生活の方法)が幾らでも見つけられるとなれば、まさに「草の種」です。

 それに比べて現代はどうでしょう?バブル経済がはじけてからは、失業者が多くなり、リーマンショック、東日本大震災などで仕事を見つけるのが困難な状況が続いています。草の種は夢のまた夢です。

 

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2011年7月14日 (木)

脱原発へ進むのは当然の道

 7月13日の朝日新聞朝刊は、異例の1ページ半を使った「提言 原発ゼロ社会」という大社説を載せた。一面でも、「今こそ政策の大転換を」と題する大軒論説主幹の提言への解説を載せた。

 福島第一原発の大事故以後、原発が一度事故を起こすとどんなに大変なものかということを私たちは嫌というほど知った。これまでにもチェルノブイリやスリーマイル島の事故だけでなく、国内でも幾つかの事故を経験したが、原発6基が大事故を起こし、そのうち3基がメルトダウンもしくはメルトスルーという致命的な事故となった。これによって、国民は原発の危険性について眼を開かせられたのだ。

 東京電力や政府は何とかして冷却停止の状態にまで持っていこうと努力しているが、果たしてうまくいくのかどうか心もとない状況が続いている。

 福島第一原発周辺30kmの住民は、避難を余儀なくされ大変な苦難な生活を強いられている。それだけでなく、放射能はホットスポットと言われる特に高い放射能値の場所が各地に広がって不安を与えている。

 先ごろは、福島から出荷された牛肉が全国に出回り、人びとを心配させている。

 一度大事故を起こすと手がつけられない状況になること、放射性廃棄物の処理についても1万年とも2万年とも、100万年とも言われる無限の未来にまで影響することを知った。

 もし、東海大地震とか東南海大地震が起きて、原発の1つでも破壊されたら、今度こそ日本は回復不能な、おそらくは住めない状態になるであろうことは、素人目にも明白である。

 週刊誌の中には、87%の確率など脅しだと書いているのもある。確かにいつ起こるのかは起きてみないとわからない。でも、東日本大地震は確率0に近い中で起きたのだ。

 朝日新聞の世論調査によると、段階的に原発を廃止することに賛成の人が77%にのぼったという。

 脱原発を唱える人に対して、「脱原発原理主義」などというレッテルを張って、如何にも悪いことをしているような印象を与えようとしている原発推進派がいる。あの田原総一郎は、以前は原発に疑問を持っていたが、脱原発と言われるとちょっと待てと言いたいと言っている。(週刊朝日ギロン堂)

 彼らは、かつて戦争反対を唱えた人びとを「アカ」呼ばわりしたのと全く同じ手法を使っているのだ。

 そんな中で、朝日新聞が、堂々と脱原発を唱え、その道筋を示したのは素晴らしい。それでこそ公器としての大新聞である。

 かつて朝日新聞は、戦争に反対できずにあの悲惨な戦争に加担した暗い過去を持つ。今回の脱原発はそれと同じにはできないが、1つの大きな転換をもたらすものである。その点で、「いまこそ政策の大転換を」というのは、ほとんどの国民を納得させる提議であると言えよう。

 脱原発ー原発ゼロまでには、数多くの難関が待ち受けている。その一つひとつをクリアしなければならない。

 原発の廃止して行く中でのエネルギー問題。当然再利用可能なエネルギーを研究し開発して行くことになる。

 電力会社の発送電分離もやらなくてはならない。電力会社の既得権で大きな抵抗が考えられる。

 放射性廃棄物の処理は最も困難なしかし、逃げられない大問題である。NHKの特別番組で原子力発電推進の原子力学者は、「原子力を再利用すれば今後2500年分のエネルギーを十分に賄える」と主張した。

 とんでもないことである。六ヶ所村の再処理工場は未だに試験の段階である。かりに将来動かせるようになったとしても、核がどれほど危険であるかは誰の目にも明らかなのだ。

 そんなことにつぎ込む金があるのなら、それを自然エネルギー利用開発に使うべきである。自然エネルギーは無尽蔵なのだ。

 この際、朝日新聞のように議論の叩き台を出し合って、これからのエネルギー問題を考えて行くことが喫緊の課題である。先延ばしは許されない。

 

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2011年7月13日 (水)

詐欺かどうかをどう見分ける?

 12日に郵便局から電話があり、普通預金のことで訪問したいが都合はどうかということでした。その時間帯は在宅するので家にいると答えました。

 約束の時間に郵便局員が来ました。見ると私がいつも行っていて顔見知りの局員ではありませんでした。電話が来たとき、私が思い浮かべたのは、行きつけの郵便局の職員の顔でした。

 訪ねてきた局員は、名刺を出しました。胸にはIDカードをぶら下げて、大きな鞄を持っていました。

 私の普通預金が無利子の状態のままになっているから、0.15%の利子が付く定額預金に切り替えるとよいと勧めました。普通預金の利子が無い?ということは知りませんでした。安くても0.002%ぐらいでも付いていると思っていました。

 いつでも解約できるということなので、勧められるままにさし当たって使う予定が無い金額を定額預金に切り替えることにしました。

 その後、今使っているキャッシュカードをクレジットカード付きのものに換えることを勧められました。郵便局で引き落としをしているので、ポイントが溜まるし、年会費は無料だということ、それに万一のときの保険が付くと言いました。それでカードも切り替えることにしました。

 通帳の預り証をもらって通帳を預けました。そのとき、私は、「今、振り込め詐欺とか金融詐欺がはやっているが、貴方がそういう人間でないのはどうやって証明できるのですか。」と尋ねました。

 郵貯銀行員は、「名刺を渡しましたし、IDカードもあります。」と言いました。私は、「名刺は幾らでも作れるし、IDカードだって簡単に作れますよ。」と言いました。

 すると、「こういう書類などでも判断して下さい。」と言いました。私は、書類だってその気になれば、それらしいものを幾らでも作ってきますよ。」と言いました。

 銀行員は、「現金を預けると危険ですが、通帳では引き落としができないようになっています。」と言いました。さらに、「もう一つは、郵貯銀行に電話をして、こういう人間がいるかどうかを確かめるとよいです。」と言いました。

 私は、キャッシュカードの切り替えの書類の暗証番号を見れば引き出すことはできると思いました。でも、全体から判断して偽者の詐欺師では無いだろうと思い、彼に通帳を渡しました。

 今の世の中、毎日あのてこの手で騙してやろうという人間が跋扈しています。新手の詐欺で騙される高齢者が増えています。よほど気をつけないといけないと思いました。

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2011年7月12日 (火)

自民党と完全癒着の東北電力

 おけらさんのblogを見ていたら、恐るべき情報が紹介されていた。

 東北電力は、宮城県、福島県、青森県の有力な自民党県会議員や市会議員を役員にして、月に1回の出席だけで年間200万円余りの報酬をあたえてきたというのだ。その数は、延べ77名にものぼるのだという。

 報酬は個人に支払われ、報告義務もない貰い得だという。これら3県は自民党が圧倒的に強いから、東北電力の役員も自民党の有力議員のあいだでたらいまわしにされてきたそうだ。

 自民党は、原発推進に必死になっており、菅総理と海江田経済産業相の間の齟齬を突いて何とか菅首相を辞任に追い込み、早期に原発再開をさせようとしている。

 1954年に原子力発電が動き出してから、45年間ほどは自民党が原子力利権にどっぷり浸かり、うまい汁を吸い続けてきたのである。

 詳しい記事は、下記のアドレスをクリックすると読むことができるので、是非見て欲しい。

  http://www.mynewsjapan.com/reports/1459

 他の電力会社はどうなっているのか、誰か調べて欲しいもlのだが、おそらく同じことが起きているに違いない。

 九州電力のヤラセといい、今回の自民党との癒着といい、国民の知らないところでやりたい放題である。

 これだけ福島第一原発の大事故で原発がどんなに危険なものであるかが日々明らかになっているに関わらず、原発推進をするのは、それが会社の利益のためとはいえ、国民の側から見ると全く理解ができない。

 

 

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2011年7月11日 (月)

捕まえそこなった子猫ちゃん

 家の近所にいる白い可愛い子猫のことをblogで2回とりあげました。すると、Mさんから飼い猫にしたい人がいるから捕まえられないかと問い合わせがありました。

 それで何とか捕まえられないものかとチャンスを狙っていました。.猫はだいたいは朝早くに近所にいることは分かりましたが、7時ごろになるとどこかへ行ってしまいます。暑い日中はどこで過ごしているのか近所では見かけません。

 朝早くは我が家の車庫にいたり、近所の車庫にいることがあります。しかし、近づくと逃げていってしまいます。

 私は、昭和保健所に相談に行きました。でも、保健所は野犬は扱うが猫は扱わないと言いました。犬の場合は狂犬病の関係で野犬を捕まえるのだそうです。猫については全く知らないということでした。

 それから毎朝子猫がどこにいるか探しました。でも、見つけても捕まえることは至難の業でした。

 ところが、9日の朝、向かいの車庫にいたので、そっと近づきました。子猫が驚かないように少しずつ動いていきました。猫が顔を向こうに向けているときに、1歩ずつ足を動かして進みました。まるで子どもたちの始めの一歩という遊びみたいでした。

 猫に1m以下まで近づいて手を伸ばせば捕まえられるというところまで来ました。そこで、どうやって捕まえるか思案をしました。帽子で捕まえるか、素手で捕まえるかと。

 そうこうしていると子猫が私のほうを見て余りに近くにいるのに気がついたようでした。サッと逃げ出しました。慌てて追いかけましたが、子猫とはいえ逃げ足の速いこと。私の車の下から親が現れるとそこに逃げ込みました。

 見事に失敗したなと思いました。もう、子猫は私を怖れて逃げて行くだろうと思いました。

 次の日、つまり10日のことです。朝ウオーキングに出かけるときには猫の姿はどこにも見当たりませんでした。ウオーキングから帰って来ると、我が家の車庫の入り口のところで寝そべっていました。私がすぐ近くにいるのに気づいていないようでした。手を伸ばすと簡単に捕まえられそうでした。

 私は思い切って手を伸ばして猫の身体を捕まえました。すると、子猫は物凄い形相をして口を大きく開けて牙をむき出し大きな声でなきました。それを聞いて車の下から親も出て来て私の方を威嚇しました。

 猫の爪で引っかかれたら大変だと思い、止む無く子猫を手放しました。猫は親猫のところに行きました。

 折角捕まえたのに、猫が凄い形相をして暴れたので手放すより仕方がありませんでした。手には子猫の温かい感触が残りました。きっと子猫は物凄く怖かっただろうと思いました。

 玄関に入るとき、道の方を見ると、親猫のそばに子猫がくっついて歩いて行くのが見えました。

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2011年7月10日 (日)

子どもの手伝いも労働であった

 長男であった私は、戦時中も戦後も、家族の中で子どもながらに働く戦力として期待されていました。

 当時、食糧難でしたから、父はつてを頼ってあちらこちらにちょっとした畑を作る場所を探していました。

 父の教え子の1人で、和田という家が大きな山林持ちでした。最初に借りたのは、山の梅林でした。段々畑のようになっていて、梅の木が植えてあり、梅の木の下のちょっとしたところで作物を栽培したのです。

 麦、トマト、ナス、キュウリ、サツマイモ、大根などを育てていたのを思い出します。11月頃麦の芽が10cmぐらいになると、麦踏をしました。草履の足を横にして麦を踏んで行きました。そうすることにより強い麦が育つのだと知りました。

 トマトを植えたときに、脇芽を摘み取るのでしたが、それが分からないので父にこっぴどく叱られたことがあります。

 父は、この山のことを「和田の山」と言っていました。山へ行く途中に和田のビワ農園があり、ビワがたわわになっているのを見ましたが、食べることはできませんでした。梅も同じです。梅がなっても取ることはできませんでした。

 この山には、ちょっとした小川があって、そこには沢蟹やイモリがいました。イモリは気持ちが悪いので触りませんでしたが、沢蟹は可愛いのでつかまえました。

 大人になって、あるバーに行ったときに、沢蟹が出されて食べたことがありますが、そのとき初めて沢蟹は食べられるのだと知りました。食糧難のときになぜ食べなかったのだろうとも思いました。

 サツマイモは、遠くの山の木が切り倒されて、禿山になったところを開墾して栽培しました。開墾は大変でした。山の斜面に幅が1mぐらいの畝を作るのですが、斜面なので平らにはならないのです。

 農家に頼んで分けてもらったサツマイモの苗をさしました。さすところには、灰を入れて水をやらなければなりません。その水が大変なのです。何しろ山の上ですから湧き水のあるところまで行って汲んでこなければならないのです。

 この山の畑は一番遠いところにありました。8月15日の終戦の日、この畑に行く予定になっていました。私は嫌でしたが仕方がありません。ところが、学校から帰ってきた父ががっくりとしていて、「今日は畑には行かない。」と言いました。戦争が終わったので力が抜けたのでしょう。私は、畑に行かなくてよいので嬉しかったことを覚えています。

 苦労して作ったサツマイモは、貴重な食糧でした。先日も書いたように、父は、棒秤を作って、それで量って食べました。そのくらい貴重だったのです。

 家から山のトンネルをこえて山の反対側に行くと、熊野川が流れていました。その川原の砂地にも落花生やサツマイモなどを栽培しました。そこへ行くのも大変でした。おんぼろのリヤカーに肥料などを乗せて父が引き、私が後から押して山を登るのです。

 帰りには、川原で流れ木を拾って積んで帰りました。燃料の薪が不足していたからです。落ち松葉を山で集めるのは私や母の仕事でした。

 熊野川に行くのは、楽しみなこともありました。それはキリギリスなどを見つけることでした。

 国民学校1年生の頃から、畑仕事などをやらされましたので、自然に鍬や鎌の使い方、作物の作りかたなどを覚えました。このように当時の子どもの手伝いは、農家の子どもでなくても、労働が伴うものであったのです。

 

 

 

 

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2011年7月 9日 (土)

桃のシーズンがやってきた

 6月の中ごろまでは甘夏ミカンがありました。甘夏がなくなるとどうなるのかと思っていました。つなぎにグレープフルーツを買って食べました。その頃からタカミメロンやアンデスメロンなどが出始めましたがなんだか高い感じなので3度ほどかっただけです。

 7月になってようやく桃が出てきたので買って食べました。最初に買ったのは7月の始め頃でした。山梨産の白川白鳳のSサイズの桃でした。一盛り580円で13個入っていました。その桃が意外にもおいしかったのです。食べるとき水分が滴り落ちてまさに「水密」という感じでした。

 それで数日後また買いに行きました。やはり山梨産の白川白鳳でした。今度のもSサイズを買いました。本当はもう少し大きいのを買おうか迷ったのでしたが、前回よかったので、それにしました。一盛り680円で14個ありました。

 でも、今度のは皮をむくと茶色い痛んだところがどの桃にも見られました。それはちょっと残念でしたが、味はそんなに悪くはありませんでした。

 昨日でなくなったので、また、買いに行きました。今度こそ少し大きめのを買おうと思いましたが、またまた貧乏根性が出てしまい、同じSサイズを買ってしまいました。一盛り12個で650円でした。

 買うときによく見て痛みがないかどうか調べるのですが、家に帰って調べるとやはり圧迫の痛みが見られました。桃は本当にデリケートで、触るとすぐに痛むのです。

 店の人は触らないようにというようですが、客の中には触ってみる人がいるのです。

 テレビで産地の山梨の人が、今年の桃は甘いといっていましたが、満更嘘ではないようです。

 世間には、堅い桃lがよいという人もいますが、私は密の滴る桃が大好きです。昨年はおいしい桃を食べたのは1回ぐらいしかありませんでしたが、今年は期待が持てそうです。

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2011年7月 8日 (金)

恥ずべき九州電力の姑息なやり方

 7日の朝刊やNHKなどの朝のニュースで、九州電力が、玄海原発再開賛成のメールを送るように指示したと報じた。

 6月26日に、国が主催して運転再開問題を県民に説明するために作られた番組を佐賀県内のケーブルテレビが放送し、インターネットでも配信された。

 その番組に、一市民の立場で原発再開のメールを送るように自社や子会社の社員に働きかけていたことがばれたのだ。

 真部九州電力社長は申し訳なかったと謝罪したが、謝れば済むと思って気楽にやる体質が問題である。永田町の政治家と全く同じだ。言いたいことやりたいことをやっておいて、あとで取り消すのは彼らの常套手段である。

 真部社長は部下がやったことで、自分は知らなかったとも釈明をした。実に卑怯である。

 これに対して、海江田経済産業相は国会で、「けしからん。実にけしからん。厳重な処置をとる」と息巻いていた。しかし、パフォーマンスとしか映らない。

 この国の説明会には、7名の県民代表が質問をするために選ばれたが、その選び方にも会社側に有利な立場の県民が選ばれたと不公平性を指摘されていた。

 こういういい加減な、姑息なやり方で、玄海原発の再開に、海江田経済産業相は「安全だ」と言ってゴーサインを送った。

 海江田大臣もぐるで原発再開を目論んでいるのが見え見えである。

 福島第一原発の事故処理で連日あれだけ四苦八苦して試行錯誤を繰り返していながら、何を根拠に安全だと言えるのであろう。

 玄海町町長は再開を認めると言ったが、本音はそれに伴って出て来る金が目当てだと思われる。

 玄海原発を再開しなくても十分に電力は賄えることを示すことこそ電力会社や政府にやってもらいたいことなのだ。

 

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2011年7月 7日 (木)

松本龍元大臣は自爆テロか?平野達男復興担当相がんばれ!!

 菅内閣の松本前復興担当相の辞任は当然のことだが、このような人物を大事な復興相に任命したのは、大人災であったと言わざるを得ない。

 5日の朝刊には、「自爆テロなのではないか」という民主党関係者の声が載っていたが、6日の天声人語でも、「ひょっとして政権つぶしの刺客かな」という川柳が紹介されていた。

 勘ぐればわざとやったパフォーマンスであったともとれる今回の騒ぎである。そう疑られる根拠はある。松本氏は、菅総理は6月中に辞めるべきだと発言していたからだ。 これで菅首相が辞任の時期を早めれば、松本氏の思う壺である。

 それにしても、今回の事件は、被災地にとっては復興が遅れるだけの大人災であった。

 国会は6日から始まるというが、延長しておきながら、2週間も空白をつくり何の反省も見られない。この間も国会議員は給料や手当てをもらえる筈だ。争いをしているだけで高額の給料をもらえるのだ。空白期間の分を返納してはどうか。

 次の復興担当相には、平野達男内閣府副大臣が昇格した。菅首相は、仙谷氏に断られ、止む無く平野氏に頼みこんだようだ。

 平野氏は民主党切っての財政通で、震災発生で被災者生活支援特別対策本部事務局長として精力的に働いたということだから、期待がもてるのかもしれない。

 いずれにせよ、今度はいい加減なことは許されない。真面目に被災地のことを第一に先頭にたってもらいたい。経済同友会の会長は、菅内閣の次の内閣でも継続して大臣をやるべきだと述べたが、そのとおりである。復興担当大臣がコロコロを変わるようでは復興などできないのだ。

 平野復興相の責任は重大である。

 

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2011年7月 6日 (水)

選挙民を愚弄する減税日本

 先だって減税日本のいい加減さを取り上げたが、その次の日に、女性議員の薬事法違反が発覚した。

 中村孝太郎市議会議長は、結局退任せず居座っている。それどころか、4月分、5月分の給与から公約の半額を超過した金額について、議員団で約束した返金がされていないことが判明した。

 それについて、中村議長は、多忙であったことと奥さんに管理を任せていたことを理由にして釈明をした。

 減税日本は、リコール後の選挙で、議員報酬の半減を第一の公約にして大挙当選を果たした。しかし、その後の行動を見ていると、団の中は金を巡っていろいろともめているし、議員を辞める羽目になった人も出たし、薬事法違反も2人出た。

 人間誰でも金は欲しいものだが、一旦公約をして当選したからには、それを守りぬくというのが選挙民に対する信義であろう。

 減税日本の愛知県議会議員も議員報酬半減では訳のわからない、煮え切らない態度をとっている。

 公約にはしていないと言い張っているが、当選者の11名は選挙演説でそれを第一に挙げて当選したのだ。今更何を言うかと言いたい。

 河村名古屋市長がリコールに成功したのは、自分自身が潔く報酬を半減したからである。その追い風に乗って、報酬半減で当選ができたことを忘れてもらっては困るのだ。

 この際、誰かが音頭をとってもう一度リコールをしたら、今度は減税日本はほとんどが落選するであろう。

 有権者を愚弄するなと言いたい。

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2011年7月 5日 (火)

松本龍復興担当相は辞めるべきだ―それにしても政界は人材なしか―

 4日の朝日新聞朝刊には、「松本復興相被災地で放言」と報じられた。東日本大震災の被災地である、岩手県・宮城県を訪ねて両県知事と会談したときに、被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発したとある。

 岩手では、仮設住宅の要望をしようとする知事を遮り、「仮設はあなたがたの仕事。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからない」と話したと言う。

 3.11から、ほぼ4ヶ月、その間テレビでも、新聞でも、週刊誌でもいやといいうほど被災地の状況を伝えてきたし、誰でも関心をもって情報に接している。初めは何市がどこの県だか分からなかったにしても知らぬ間に覚えている。

 卑しくも復興を進めようという大臣が、地理の初歩さえ何も知らないでは済まされない。

 午後に訪れた宮城県では、遅れて部屋に入ってきた知事に、失礼だと言ったという。被災した漁港を集約するという県独自の計画には、「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ。」と脅しをかけたという。

 記事の通りとするならば、「俺は大臣だぞ。知事ごときが何様だと思っているのだ。」と言わんばかりの態度であり、言葉遣いだ。

  昨日の夕方のNHKニュースで見たが、確かに松本復興相の言葉遣い、態度は高圧的であり、臣下にモノを言っているようであった。大臣がそんなに偉いのか?

 夕刊によれば、野党や被災地から一斉に批判の声があがり、辞任を求める声も出始めたという。当然である。

 村井宮城県知事も、「国と地方自治体には主従関係はない。命令口調ではなく、互いの立場を尊重して話した方がよろしいのではないか」と不快感を示したという。全くその通りである。

 自民党も公明党も「辞めないと予算委員会どころではない」と息巻いているそうだが、今度ばかりは私も同感である。

 松本大臣は、この前もサングラスをかけて記者会見をしたり、「民主党も自民党も公明党も嫌いだ」と発言したり、およそ大臣とは思えない不良の態度である。

 国会が延長になったのにすでに十日も空転している。そこへもって来てまた争いの火種ができた。肝腎の復興問題は先延ばし必至である。本当に情けない。松本大臣は即刻辞めるべきである。また、菅首相も任命責任をとっていい加減に辞めたらどうか。

 それにしても、自民党だけでなく民主党も人材がいない。日本の政治の未来は暗澹たるものである。

 

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2011年7月 4日 (月)

子ども時代の夏の過ごしかた―夕涼みと電力―

 「節電」の夏で思い出すのは、子どもの頃の夏のことです。戦争中は、灯火管制が厳しいものでした。私が住んでいた南紀は、本州の最南端串本を目指して飛来したB29が、名古屋や大阪方面に行く通り道になっていましたから、灯火管制は特にきびしくて、我が家では小さな豆電球1つの周りを黒い布で囲っていました。

 マッチの燃えカスでも上空からはよく見えると言われて、みんなは明かりにはとても気を使っていました。そんな風でしたから、「節電」などは全く関係ありませんでした。

 それに電気製品といえば、アイロンとラジオぐらいでした。そのアイロンも戦時中はほとんど使いませんから、電気を使うのは灯火の他には、ラジオを聞くぐらいのことでした。

 戦争が終わるまでは、夜でも空襲警報のサイレンが鳴ると近くの防空壕に入りました。いつも緊張していたせいか、暑い夏をどのように過ごしたのかは覚えていません。

 戦後は灯火の制限がなくなりましたが、60Wの電球をつけて暮らしました。それでも、よく停電があったように思います。突然明かりが消えて、点灯を待っていました。

 戦後の夏は、夕方になると、お湯を沸かしてたらいに入れて、行水をしました。それで汗を落としてさっぱりとしました。夕食が済むと外へ出ました。近所で縁台のあるうちが縁台を家の前に出して、近所の人がみんな集まって夕涼みをしました。

 夕涼みには団扇が必需品でした。団扇で自分に風を送ったり、蚊の襲来を追い払うために使われました。時には、近くの田んぼは行って蛍を捕まえることもありました。飛んでいる蛍を団扇で叩いて落とすこともありました。

 捕まえてきた蛍は虫かごに草と一緒に入れて光るのを楽しみました。時には蚊帳の中に放して楽しむこともありました。

 夕涼みの縁台では、近所の大人たちが会話を楽しみました。子どもは何かをして遊ぶか、男の大人が指す縁台将棋を見ることもありました。

 夜になると、太平洋の方から海風が吹いてくるので、外は涼しかったのです。夕涼みは毎日9時半頃まで続きました。その間は家の中の明かりは使いませんから自然と節電になっていました。

 扇風機がある家は、友人の医者の家ぐらいでしたから、夏は団扇で過ごしたのです。

 夕涼みが終わって家の中に入ると、むっと暑さをかんじたものです。家の窓や戸は開けてありましたがやはり暑かったのです。寝るときには、蚊帳を張らなくてはばなりません。蚊帳の裾をそっと上にあげてすばやく頭から潜り中に入りました。蚊帳の中は風が入らないので暑かったのです。

 布団の上にゴザを敷いて寝ました。布団に直接寝るより寝やすかったのです。寝るときは半身は裸でした。布団などは着ません。団扇を持ち込んで扇いで風を起こしたのです。

 日本の電力は、水力発電が中心で石炭がそれを補っていたと思いますが、家庭で使う電力はたかが知れていました。ですから十分に賄えたのだと思います。

 そのころから比べると、現在の日本の電力使用はべらぼうに多いことがわかります。エアコン、冷蔵庫、扇風機、電気洗濯機、電子レンジ、IHヒーター、テレビ、パソコン、電話、明るい照明、ステレオ、DVDレコーダー、乾燥機・・・・・。電力を使うことばかりです。

 一度、戦後の状態にする日を設けてみたらどうでしょう?一気に使用電力は減ると思います。

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2011年7月 3日 (日)

節電意識と罪悪感

 7月に入って、暑さは厳しくなりましたが、エアコンをつけるのは何となくためらわれます。 昨年までは、つけたいときにエアコンをつけていましたが、今年はなるべく我慢をしています。

 新聞やテレビなどで、節電関連の記事や情報が毎日のように出され、「節電、節電・・・」とやかましいので、自然とそうなるのかもしれません。

 スーパーなどへ行っても、照明の明かりが減らされたり、冷蔵しているところも温度を下げているようです。

 公共の施設でも、エスカレーターがストップしたり、エアコンが制限されています。昨日の土曜日から、トヨタなど自動車関連の会社をはじめとして土日出勤が始まりました。

 周囲が節電ムードなので、我が家も節電をという意識が強くならざるを得ません。家庭でできることは、エアコン使用を減らし、なるべく扇風機を使うとか、照明の電灯をこまめに切るとか、テレビのつっけっぱなしをしないとか、そんなところです。数年前にガスからIHヒーターに換えたのですが、調理のためにもう一度ガスコンロを使うわけにはいきません。

 電気を使うことは何か悪いことをしているような後ろめたいような気持ちになることがあります。

 それもこれも、東日本大地震と福島第一原発の大事故で大変気の毒な状況に置かれている人びとがたくさんいることを思えば、多少の不便は我慢しなければという気持ちになるからです。

 これから夏本番ですが、水で顔を洗う回数を増やしたら、濡れタオルで頭をひやしたり、身体の汗をシャワーで流したりして、節電に努めるより仕方がありません。

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2011年7月 2日 (土)

NHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる}を見て

 録画しておいたNHKの「あなたの寿命は延ばせる}を見て驚きました。”長寿遺伝子”が発見されたというのです。

 発見したのは、レオナルド・ガレンテ  マサチューセッツ工科大学教授で、2000年のことだそうです。最初は、ある酵母菌からみつけたのだということです。その後、研究されて、ほとんどの生物から見つかっているという話です。

 私は、長寿遺伝子があることは知りませんでした。NHKがなぜ今頃取り上げたのかは不明です。

 その遺伝子は、サーチュイン遺伝子と呼ばれています。この遺伝子が働くことによって、活性酸素が取り除かれたり、発生がおさえられるそうです。また、生活習慣病や糖尿病や心臓病なの100種類もの病気などを改善するというのです。

 今述べたさまざまな病気や老化は、ミトコンドリアの減少や免疫細胞の変質によってもたらされるというのですが、サーチュイン遺伝子が働くことによって、ミトコンドリアが増加したり、免疫細胞がよい働きをしたりするそうです。

 ミトコンドリアはエネルギー工場のようなもので、元気・活力の源だというのですが、歳をとるのつれミトコンドリアの数は減少し、40歳を過ぎるとかなり少なくなるようです。

 免疫細胞は、もともとは病原菌などと戦うのですが、加齢で働きが変わり、私たちを攻撃し始めるのだそうです。

 ですから、サーチュイン遺伝子を働かせることによってミトコンドリアを増やしたり、免疫細胞の働きを正常化させることが大事だといいます。

 サーチュイン遺伝子は、誰でも持っているのですが、多くの人はそれを使っていないのだといいます。それは、食べ過ぎるからです。つまり、宝の持ち腐れになっているのだそうです。

 では、サーチュイン遺伝子を働かせるにはどうすればよいかと言いますと、30%のカロリー制限をするのだそうです。

 アメリカのウィスコンシン大学で、赤毛ザルを使って実験をしたところ、カロリー制限をしたサルは、毛並みや色艶がよく、生存率も高いが、普通の食事をしたサルは老化をして早く死んだというのです。

 金沢医科大学では次のような実験をしました。さまざまな年齢と生活環境の人を5人集めて、先ず、サーチュイン遺伝子が働いているかどうか調べました。全員駄目でした。

 そこで、それぞれの人が日常生活をしていくカロリーを測定しました。それを元に30%カロリー減の食事をしてもらいました。その結果、3週間で2人の人に効果が見られました。さらに4週間続けると全員に効果が確認できました。サーチュイン遺伝子が働くようになったのです。

 昔から「腹八分目に医者要らず」といいますが、ここでも証明されたようです。

 ところで、アメリカには、カロリー制限は面倒だからと言って、薬剤で同じ効果が期待できないか研究され、レスベラトロールというものが開発されたそうです。これは薬品としての許可は得ていないので、サプリメントとしてドラッグストアで何種類も売られています。

 調べてみましたら、日本でもその薬がいろいろ売られていることがわかりました。でも、私たちには、食べるカロリーを減らすことで、サーチュイン遺伝子のスイッチをオンにすることがよい方法だと思われます。

 

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2011年7月 1日 (金)

電力会社株主総会で脱原発提案は全て否決―驚くことではない―

 28日に行われた、東京電力、中部電力、九州電力株主総会、29日に開催された東北電力、関西電力、中国電力の株主総会、いずれの総会でも原発の停止:廃止や、自然エネルギーの推進などを求めた株主提案は賛成少数で否決された。

 こうみると如何にも脱原発の提案が少数意見であるかのような印象を受けるが、そうではない。電力会社の大株主は、大手銀行や生命保険会社や大企業なので議決権の数で言えば圧倒的に原発推進派の方が多いのだから否決は当然の結果である。

 イタリアのように、国民投票で決めるならば、日本でも圧倒的に脱原発が勝つのではないかと思う。だから株主総会で負けたからといって嘆くことは何もないのだ。

 先日も書いたように、原発のコストは、火力やガスや水力や風力や太陽光に比べて遥かに高いことが福島の事故で証明されたのだ。

 また、朝日新聞によると、スペインや中国でも自然エネルギー発電が大きな割合を占めて成功しているという。電力会社は、三宅島で数年風力の実験をしただけでコストがかかり採算があわないと結論を出した。この実験は最初から答えが決まっていたのだ。

 これから国全体が自然エネルギー発電に向かい、その体制を取っていけば、不安定性やコスト高は必ず克服されるはずである。

 我が家は、家の屋根の勾配が北下がりになっているので太陽光発電には向いていないと思うのだが、一度は検討してみる必要があると思っている。

 それぞれの家庭や事業所で自家発電をして行けば、大停電の心配もしなくてよいし、現状のような大規模な送電線も要らなくなる。

 自然エネルギー活用による小規模分散型の発電を国策として進めるべきである。そのために、菅さん、思い切って脱原発解散をしたらどうだろう?小泉さんのように、反対派には刺客をたてて、脱原発一本で解散するのだ。

 そうすれば国民投票と同じ結果になるし、一気にことが進むかもしれない。

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