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2011年6月25日 (土)

朝ドラ「おひさま」で思い出す戦争中の生活

 NHK連続テレビ小説「おひさま」は昭和20年の3月の東京大空襲関連をえがいている。もうすぐ終戦である。

 ドラマの中で安曇野の小学校では、児童たちが竹槍の訓練を受ける場面がある。本当に子どもまで竹槍訓練をしたのかと思う。私は、ちょうど陽子が担任しているクラスの子たちと同じ年頃だが、竹槍の訓練はした記憶がない。

 ただ、勉強も余りした記憶がなく、勤労奉仕をよくさせられたことを覚えている。鮮明に覚えているのは、松の根っこを運ぶことである。松の根っこは大人が松を切って根を地下から掘り起こしたものである。

 何に使ったのかというと、松根油といって油を絞るのだ。その油が隼など戦闘機に使われるのだと説明を受けた。

 切り出した山から何キロも離れた場所まで運ぶのが小学校2年生の仕事であった。

 また、秋には、鎌を持って野外に行き、ススキなどの草を刈ることもやった。今、山崎川を歩いていると、蔓の草が伸びているのを見かけるが、子どもの頃その草をラミーと言っていて、やはり勤労奉仕で蔓を取りに行った。蔓の皮をはいで繊維を取り、それで軍服などを作るのだと聞かされた。

 履物は藁ぞうりで、農家の子どもたちは自分で作っていたが、私たちは金で買っていた。その藁ぞうりで雨の日も学校に通った。道路は土の道路だから歩くとぴちゃぴちゃとはねをとばした。だから後ろは土やどろ水で汚れた。

 傘は番傘であった。紙に油を引いて竹の骨に張ってあった。雨がつよいと音をたてた。古くなって傘が破れてきても破れたままさしていた。

 食べ物はひどかった。秋にはさつまいもが主食となったが、父は、棒秤を作ってそれでサツマイモの目方をはかった。子どもの中で一番年上で一家の戦力であった私はちょっぴりたくさんもらえた。

 何しろ米がほとんどないのだから、おかまの中に米を少し入れて、後は大根とか野菜などをときに応じて入れて、それに水を一杯入れてお粥を炊いた。その役目は私がした。

 「おひさま」の中でうどんが出て来るが、今でも忘れられないのが、「報国米」と言うやつである。父方の祖父が亡くなったとき、名古屋まできて帰りに紀州白濱で一泊したことがあった。そのとき、旅館で出された夕食が「報国米」であった。

 ちょとした小さなどんぶりのような器の中には、色の茶色っぽいうどんを米粒大に細かくきったものが入っていた。味はまずいうどんであった。

 父は、植物の知識が多少あったらしく、一緒に山や野に行って、食べられる植物を採取してきて食べた。蕗は当然として、つや蕗もたべたし、嫁菜、芹、オオバコ、アザミなどいろいろな物を食べた。中でもアザミは葉っぱの棘が痛かった。

 海に行くと、ホンダワラやアラメが海岸に打ち上げられていた。それを拾って来て食べたが、とても硬かった。父は、まだ太平洋戦争が始まらない前に圧力釜を買ってあったので、それを使って煮たのだったが。

 

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コメント

私は、田舎に住んでいましたが、毎日B29が頭上を往復し、その度に共同防空壕にもぐらなければなりませんでした。街は爆撃されて焦土と化しました。機銃掃射の音も聞きました。

戦争の体験は地域、年齢、その他様々な条件によってちがっていますが兎に角、暗く厳しく悲しい時代でした。様々な知人から聞いた話をブログにも書いています。
「報国米」は初めて聞きました。
憲法改正を主張する人もあります。しかし、絶対に戦争をしてはいけないとおもいます。

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