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2011年5月11日 (水)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑥―

(7)学童疎開の体験

 空襲があった後、学校ごと「疎開」という引越しをしました。子どもは邪魔であるということと、食糧が足りないというのがりゆうだったようです。

 親戚などを頼って個人的に引越しをする子もいました。こちらを「縁故疎開」、学校ごと「疎開」することを「集団疎開」と呼んでいました。

 私の場合、「集団疎開」でした。三重県の一志郡のある村ですが、この村へ分散して生活するわけです。学校は現地の学校に入るのですが、ここではひどい目に遭いました。

 四男の兄が入れ替わりに卒業して名古屋に帰ったのですが、これがどうも相当な「いじめっ子」だったらしい。”○○の弟がやって来やがった”ということで、今度は私がひどい虐めに遭いました。

 惨めだったのは、近くの寺の本堂で一斉に食べる食事です。少ない量なのに、それを上級生たちが”少し頂戴ね”と言って、入れ替わり立ち替わりに取って行ってしまう。しまいには1口分しか残りません。すぐそばに先生がいたのですが、何も言ってくれません。知っていたはずだと今でも思っています。

 もっと惨めだったのは、親たちが時々日用品や食べ物を持って見舞いに来たときのことです。全員の親が来るのではないのです。見舞い品を持って来られる家だけです。

 3間か4間続きの部屋の真ん中に親が車座になり、横に座った自分の子に持ってきたものを食べさせる。食糧難の時代ですから、我々にくれるはずがありません。来てもらえなかった子たちは空腹のまま外へ行くのです。見たくはないからです。

 夜は最も悲惨です。彼らは見舞いの品の食べ物が亡くなるまで、連日のように車座になってパーティを開きます。

 リーダーが”乾杯!”と叫び、一口ごとにわれわれに見せびらかしながら食べるのです。

 われわれは壁を背にして座ったままそれを見ているのです。仲間入りのできなかった6年生の上級生が”見るな!見るな!”と囁くように怒鳴るので、パーティが終わるまで、じっと下を向いたまま過ごすのです。

 4年生に荻野君という子がいました。いじめられっ子だったのか、よく上級生に殴られていました。この子がよく私を庇ってくれました。

 先生の居室には「乾パン」の入った箱が一杯あったのです。配ってもらった記憶は全くありません。彼は先生の部屋に忍び込んでいくつかを盗んで来るのです。私の手を引い近くの畑の中に入り、そこで食べさせてくれました。こうやって少しではありましたが、飢えを凌いだものです。

 私の様子を知ったのか、母が迎えに来てくれました。しばらく名古屋にいた後、島根県の母の実家へ姉と疎開しました。ここで終戦を迎えています。

 そこでも嫌な体験をしました。田舎の学校で1年生1学級だったのですが、ある日、学級に「雨合羽」が3着支給されたのです。籤引きの結果、1着が私に当たったのです。雨降りの日には藁で作った「蓑」を被って通学していた私にとって、これは天にも上るような嬉しい気持ちでした。

 途端にクラスの子たちから抗議が出されたのです。曰く、”町から来たばかりの者が貰って、前からいた者が貰えないのはおかしい”ということです。

 1着分について直ちにやり直しになりました。私は籤引きに参加できないのです。《よそ者》という扱いだったのです。このような仕打ちをたびたび受けました。

 戦争は人間の心をこんな風に歪めてしまうのです。これも思い出したくない出来事の一つです。

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コメント

私の戦争体験ではなく、友達の体験です。名古屋は空襲をされて大半が焦土と化したのですが、私はその頃は和歌山県の新宮にいました。それでも空襲や物資の不足や勤労奉仕を体験しました。毎日B29が頭上を飛んでいて大変でした。

投稿: らら | 2011年5月11日 (水) 11時26分

ららさんの戦争体験は大変に貴重なものですね。私も現在100歳の姑がお元気な頃に田舎に子供たちを連れて疎開した体験を聴きましたが、疎開先で都会から来た者には着物とお米を交換してもらったよと良く話していました。大変苦労したと言われました。

投稿: 長谷部文子 | 2011年5月11日 (水) 10時41分

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