« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月31日 (火)

Mr.クロッキーさんから聞いた「あいうえお―愛・命・運・縁・恩―

 先日、名古屋華マジカルグループで東京からプロのマジシャン、Mr.クロッキーさんを招いて公開講座を開いたことは書きました。

 会が終わってから一部の人たちと、近くの喫茶店に行ってコーヒーブレイクをしました。そのときにMr.クロッキーさんから聞いた話の中に、「あいうえお」を大切にしているというのがありました。

 「『あいうえお』って何のこと?」と思って聞いていましたら、「愛・命・運・縁・恩」のことだそうです。彼はこの言葉を数年前に聞いて、いい言葉だと思ったというのです。

 「カキクケコ」とか「サシスセソ」とか五十音を頭につけたよいコトバは聞いたことはありますが、「あいうえお」をつけたのは初めて聞きました。

 それでインターネットで、この言葉を誰が最初に言ったのかを調べてみましたが、わかりませんでした。この言葉がよいとか、座右の銘にしているというblogはたくさんありました。その中に「むかーし、昔聞いた」という女性のblogがありました。ということはかなり以前からあったようです。多分どこかのお坊さんが言ったのかも知れないと推測します。

 最近では、堀北真希という若いタレントがテレビで話したのを聞いたとか、綾瀬はるかが言っていたとか何とかいう歌手がラジオで言っていたなどというのもありました。

 2月23日の朝日新聞のフロントランナーで村松俊亮ソニーエンタープライズ社長が座右の銘にしているのから知ったというのもありました。

 下記のblogでは、大黒摩季の父親が最初に言ったと書いてありますが真偽のほどは分かりません。

http://visavis.jugem.jp/?eid=159

 そういうのを聞いていい言葉だと感じて座右の銘にしたり、毎日口ずさんだりしている人がいるようです。

 クロッキーさんによると、「愛」は大きく包み込むような愛のことで、「嫉妬」はいけないが、本当の愛があれば嫉妬は抱かなくなると話していました。私の解釈では、仏教でいう慈悲とか母親の慈愛のようなものかなと思います。

 「命」の大切さは言わずもがなで、これがあっての全てです。

 「運」は、生まれたときすでに運で決まっています。昔、大学の1年生の頃に、書道部の岡本白濤先生に、「書道で青山杉雨先生(当時日展の大御所)のように名をあげるには何が大切ですか?」とお聞きしたら、「それは運・鈍・根だよ」と言われたことを覚えております。やはりいくら根気よく努力したとしても「運」も大切なのです。(幸い白濤先生は運・鈍・根で書道界の重鎮となられました) 

 仏教では「縁」を説きます。実際私たちの身の回りのいろいろなことは縁でつながっております。「因縁生起」とか俗に言う「袖摺りあうも多少の縁」などというのもあります。運と縁は非常に近い関係にあると思います。その縁を大切にするということです。

 最後の「恩」は、儒教で「父母の恩」とか「師恩」とか「君恩」とか「社恩」・・・・などといい、恩には君恩のような嫌なものもありますが、現代ではそれはさておいて、縁によって人は他者からの恩を少なからず受けるわけです。

 だからそれへの「感謝」が大事なことになります。クロッキーさんもそういっておりました。

 この辺は、あいうえおだけで、ひろさちやのような多作の人なら何冊の本でも書けるのでしょうが、浅学菲才の私にはこの程度です。

 でも、なかなかよい言葉だとは思います。blogを読んでいますと、この言葉によって運がよくなるとか、人生が好転するとか書いてる人もありますが、私は、そういう目的としては捉えません。一つの生き方の指針として捉えればよいのだと思います。幸せになるとかならないとかいう捉えかたは宗教家とか占い師のすることです。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月30日 (月)

小泉元首相もやっと気づいたか―原発の危険性―

 29日の朝日新聞朝刊の囲みに、小泉元首相「原発の安全信じたのは過ち」という見出しの記事があった。

 「エツ!?小泉さんもやっと気がついたの?」と思いながら記事を読んだ。地元の講演会で、福島第一原発の事故について、「日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった。」と話しという。

 それに続けて、「原発が絶対に安全化と言われるとそうではない。これ以上原発を増やして行くのは無理だと思う。」と話したそうだ。

 彼は、議員も辞めて息子に選挙区を譲って隠居の身だから気楽に発言したのだろう。

 6年間の首相在任中に原発推進をしてきたのだから、今更、過ちだったと言われても「ハイそうですか」と免罪にはできない。この間、2002年には、東電による福島原発などのトラブル隠しが発覚しているし、福島原発の事故対策の弱点も指摘されているのだ。

 ただ、今回の福島第一原発の事故により、遅きに失したが過ちを認めたということは買っておこう。今になっても、自民党などには、原発推進をしようという連中がいっぱいいるのだから。

 我々凡庸の徒でも、原発がどんなに恐ろしく、一度事故を起こすと、何万年も監視しなければならない、膨大な金と労力がいるということが分かったのだ。

 ところで、サンデーモーニングで、岸井コメンテーターが、国会はあいも変わらず、震災復興の論議はそっちのけで、菅倒しの議論ばかりをしていると嘆いていた。

 菅政権の何かにつけて対応が遅いという理由で、菅首相の退陣を画策しているのだが、これは完全に党利党略だけである。足を引っ張っているのは、自民党と民主党内の小沢派・鳩山派ではないか。

 それに自民党・公明党も原発推進をしてきた張本人で、責任はそちらにこをあるのだ。

 岸井氏は、こうも言っていた。「自民党は、菅首相なら選挙に勝てる。民主党反菅グループは、選挙があると完敗だから恐怖に陥っている。だから反菅で一致しているのだ。」と。

 菅首相が不信任なら、誰がいいのか?河野太郎議員か?それとも小泉純一郎元首相に再登場を願うか?小泉政権にはうんざりであったが、改心したのなら期待できる・・・・・?

  誰が首相になっても、必ずゴタゴタが起きるのが目に見えている。日本の政治家どもが変わっていないからだ。

 小泉元首相殿、どうしたら日本の今の政治がよくなるのでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月29日 (日)

名古屋華マジカルグループの公開講座―魔法のチェーンとリング―

 5月28日(土)午後に名古屋市女性会館で私が所属する名古屋華マジカルグループの公開講座が開催されました。

 講師は東京から招いたプロマジシャンのMr.クロッキーこと黒崎正博さんでした。始めにクロッキーさんのレクチャーがありました。

 レクチャーは、100円ショップの大創で販売しているおもしろ手品シリーズの中の「魔法のチェーンとリング」でした。

 これは左手にかけたチェーンの輪に下からリングを入れてリングを放すとリングがチェーンの結ばれているという手品です。とても面白い不思議なマジックなのですが、以前にオレンジ百円ショップで買ったとき、偶然性が高く、やりにくいのでやるのをやめて仕舞い込んでいました。

 それをクロッキーさんは100発100中で演じました。そしてやり方を講義してくれました。

 150名の人が女性会館の大研修室に集まっていましたが、その間を歩きながら説明をしてくれました。話術が巧みで面白く話をされました。

 すぐに出来る人、幾らやっても出来ない人などいろいろでしたが、最終的には99%の人ができたようです。

 レクチャーは、単にやり方だけではなくて、演じ方も教えてくれました。音楽を3種類用意して、最初は初めて覚えた人のやり方、次がラスベガスのプロのように演じました。3つ目も音楽でこんなに違うということを見せるものでした。

 音楽が大事だというクロッキーさんらしいとても参考になるレクチャーでした。

 魔法のチェーンとリングが成功する秘訣は、4点あります。

① リングを右手中指に乗せて人差指を添え、親指で挟むこと。

② 左手の親指と人差指に掛けたチェーンの幅が約4cmにすること。

③ 左手は掌を客側に向けて、チェーンを掛けた親指に対してと右手のリングを持った親指が10字にクロスするような位置にすること。(非常に大事)

④ 右手親指だけを手前に1cmぐらい離すようにしてリングを落とすこと。

 以前にオレンジ100円ショップで買ったリングとチェーンと全く一緒でしたが、説明は大創の方がきちんとしています。

 後でクロッキーさんから直接聞いた話では、中国で作らせるときに、リングとチェーンの関係をいろいろと実験をして決めたそうです。

  大創の箱には、「物理の手品」と書いてあります。ロッキーさんに、「物理的な手品だから理屈が分かれば必ず出来るようになりますね?」と尋ねましたら、その通りだと言われました。

 練習をすれば必ずできるようになることと他人に見せることが大事だと話していました。私は、クロッキーさんに直接教えていただいて、できるようになりました。

 ちなみに、大創100円ショップの手品はみなクロッキーさんが関わっているそうで、製品はとても厳しくつくり、説明もお客さんによく分かるように解説しているそうです。

 これまでに世界で1000万個以上売り上げたそうでギネスに申請をしているとのことです。それほど売ってもやり方がわからないという質問はたったの13件だけだそうです。

 

Cimg1428

Cimg1429

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月28日 (土)

日本には、言論の自由は無いんだ!!―山本太郎の降板―

 私は、TVドラマは余り見ないが、俳優の山本太郎の出たドラマはいくつか見たので彼の顔はすぐに思い浮かぶ。

 山本太郎が出演予定のTVドラマから降板させられたのだと聞いて驚いた。どうして?その理由に、もっと驚いた。

 脱原発の運動に参加したことが原因だのいうのだ。彼は、5月23日に、文部科学省前で行われた抗議デモに参加をした。福島から来た親たちなどが、文部科学省がきめた学校の校舎は校庭などの利用をするときの判断基準として、暫定的に「放射線量年間20ミリシーベルト」を撤回するようにという訴えをしたのだ。

 いったいこのデモと抗議行動のどこがいけないというのだろう?全く理解に苦しむ。ひとりの良識ある人間として、自分の意思を表明することが許されないというのだ。

 電力会社や大企業は、民間放送の大スポンサーだから、自分たちに都合が悪いと判断したら、簡単に圧力をかけるのだ。恐ろしい時代である。

 詳しくは以下のURL:をクリック。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110526-00000021-flix-movi

  

 そういえば原発について、ジャーナリストの上杉隆さんも干されてしまった。

  4月6日に鳩山元首相の勉強会で話したことが誰かの癪に触ったようだ。

 以下に広瀬さんの話したことのl概略を転載する。詳しくは、下記を参照。

http://rosecastle.web.fc2.com/earth/Uesugi_Takasi.html

 

 新聞やテレビが垂れ流す「安全」報道に違和感が広がっている。
批判を続ける雑誌がある一方、『週刊新潮』『週刊ポスト』等の週刊誌も「安全」に大きく舵をきった。

「大本営発表」はいかに進路を誤らせるか。教訓を思い出す必要がある。

 

 3月まで私は、TBSラジオの番組「小島慶子 キラ☆キラ」に出ていました。
そこで東京電力や電事連(電気事業連合会)に関して、「情報隠蔽(いんぺい)しているんじゃないですか」と、15分間のコーナーで話しました。

生放送が終わった後、番組のプロデューサーが来て、「上杉さんちょっといいですか、今月いっぱいで辞めてください」と突然言われました。

2週間前には「4月以降もよろしくお願いします」と言われていた。

理由は判然としませんが、いきなりの降板であることは事実です。

同じ週にはこんなことがありました。

通信衛星(CS)やケーブルテレビなどで視聴できる「朝日ニュースター」に、電事連がスポンサーだった『ニュースの深層』という番組があります。

私は火曜にキャスターをしており、原発震災後、現地に入ったフォトジャーナリストの広河隆一さんや、中国電力が計画している上関(かみのせき)原発を取り上げた映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を作った鎌仲ひとみ監督をゲストに呼びました。

また、木曜日のキャスター、葉千栄(ようせんえい)さんは原発震災を警告してきた 作家の広瀬隆さんを出演させました。

 

すると、電事連が「とてもスポンサーができる状態ではない。

検討してください」と言ってきたそうです。

「朝日ニュースター」の岡崎哲也/
報道制作局長は降板させることを拒否し、当時は無広告放送で流しました。

 

つまり、政府や記者クラブメディアの情報と違うことを言う人間は 全部メディアから消せという流れです。

http://www.youtube.com/watch?v=0ur1dyhLtys&feature=related

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月27日 (金)

怪しい郵便がカナダ?から来た―巨額賞金が貰えるって?― 

 外国からの封書のダイレクトメールのようなものが届きました。最初、NEWSWEEKかTIME MAGAZINEのメールが香港から送られてきたのかと思っていました。封書の表に「開放承認済み」という漢字の赤いスタンプが押してあったことと、これらの雑誌のダイレクトメールが時々来るからです。

 次の日に、開封してみましたら違っていました。中には、CASH AWARDS BUREAU 保留支払いに関する通知書 「○○区にお住まいの●●様へ 保留支払い金額87.000.000円に関する登録済み通知」なるものが入っていました。

 すでに支払われた人のリストがあり、

 Y.Shirota    2010年7月5日  ¥10.000

 E.Nanba     2010年7月2日  ¥612.900  (別のところに写真あり)

 H.Sato      2010年4月13日 ¥403.650  (別のところに写真あり)

 K.Nakashima  2010年3月26日 ¥2.065.000 (別のところに写真あり)

 私の名前と金額が一番上にあり、ダントツの高額です。どうやら一等当籤のようです。一等は100万ドルで、2人だと書いてあります。

 特賞賞金支払いバウチャー  八千七百萬円 

 同封の現金賞金承諾用紙を返送し、特賞当選者としての賞金アカウントIDが承認され次第、●●様に満額で支払われることが保証されていることをここに確認するものです。 Terry Connor(←なぜか自筆ではなく印刷されている)

 承認され次第と書いてあるが、なぜかその右に付属している小片に、

 内部承認  8700万円 ファイルID・・・・  賞金アカウント・・・・・

         承認 承認済み(赤いスタンプで)  印刷された署名

 と書いてあります。 

 現金承諾書には、返送次第賞金額8700万円は保証されています。(印刷された署名)

 説明として、現金で3000円を送るか、クレジットカードのナンバーを記入してすぐに送るように書いてあります。

 また、別のところに、最高責任者てりー・コーナーよりのスペシャルメッセージが日本語で書いてあります。

 親愛なる友へ

 この87、000、000円の獲得チャンスは100%、真実100%保証済みなのです。あなたは8千7百万円を逃がしたくはないですよね。ですから、どうぞ、同封の現金承諾書用紙に記入して、今日中に返送してください! テリー 

 なんとも手の込んだものです。目的は、3000円を稼ぐためとは思えない。別の何かを企んでいるのでしょう。

  ちなみに、どこにも団体名や所在地などは書いてりません。返送の宛名は、

 Cash Awards Bureau

  PO BOX 5047  VANCOUVER V6B4A9 CANADA

 となっているだけです。桑原 桑原です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月26日 (木)

おけらさんのblogから転載―小出裕章氏の国会での参考人発言―

  おけらさんのblogは、昨日紹介しましたが、そこにあった京都大学小出裕章助教の国会での参考人発言の概要がとても参考になりますので、借りて来て掲載することにしました。読みやすくするために手直しをしてあります。

 Nです、今日小出先生が国会で15分ほど証言されました。ネットを見たら映像・音声がここにアップされていました。

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sangiin-may23/

 これを聞き、例によりまとめました。私も同感です、皆さん、これを広めてください!(おけら)



 (小出先生のお話の概要)

 原子力に夢を持ち研究に入ったが、貧弱なエネルギーであることに気づきました。、石油の埋蔵量は60~70年、石炭は800年、他には天然ガス、オイルシェールもあります。

 化石燃料の枯渇を心配していたら、ウランは石油の数分の一、石炭の数十分の一しかないのです。核分裂性のウランのみですが、推進派はプルトニウムがあると言うものの、ウランを掘って加工し燃やす、原子力は、エネルギー資源になりません。

  プルトニウムを使い、核燃料サイクルを利用したらいいと推進派は言っているものの、廃棄物処理が必要です。プルトニウムは燃料を再処理して増殖炉に引き渡すものの、増殖炉は出来ない。日本の高速増殖炉は破綻しました。

 高速増殖炉がいつ実用化するかを書くと、1968年の計画で、80年代前半には実用化といいました。それが、90年前後と後退し、更に2000年前後になり、最後の改定で2010年としましたが、まだ実用化されていません。技術体系の確定もダメ、次の長期計画で、年度すら示せなかったのです。

 その後、2050年に1基目の高速増殖炉を作りたいとしたのです。目標が逃げていく。10年たつと、目標が20年先になり、絶対に届きません。永遠に届かないのです。

 こういう長期計画を作ってきた原子力委員会ですが、もんじゅに1兆円使いました。1億の詐欺で1年の実刑だから、1兆円の詐欺なら、1万年の実刑なのです。100人なら一人100年の実刑なのです。誰も、責任を取っていません。

 今進行中の福島の事故、原発は膨大な放射能を扱います。広島原爆のウランは800gで広島壊滅ですが、原発にはウランは一つに1年で1トン!燃やすのです。それだけの核分裂生成物が出ます。

 原発は機械でせ。故障するのは当たり前なのです。どんなに事故が起きて欲しくなくても、破局的な事故は起こるのです。

 推進側は破局的な事故は起こらない、「想定不適当事故」と言って処理してきたのです。事故から守るたくさんの壁があるという事で、重要なものは格納容器。これがいついかなる時も放射能を閉じ込めるとしているのです。

 それが「絶対に壊れない」と言っていたのですが、今破局的な事故が進行中です。どうやって行政が向き合ってきたのか。防災は危険を大きく評価しないといけないのに、過小評価して、事故を小さく見せてきました。

 最後にレベル7としました。避難区域も「万一」のために3kmだったのが、次に「万一」と10kmにして、そして20kmにしました。どんどん後手後手になっているのです。

 パニックを避けるのは正確な情報なのです。が、政府は身を守るために、行政は危機的な情報を隠してきたのです。SPEEDIに20億円かけたものを住民に隠していたのです。

 誰の責任か明確化せず、労働者、住民に被爆を強いています。本当にこんなことをやっていていいのかと思うのです。

 福島の本当の被害を考えると、途方に暮れます。福島全域を放棄しないといけない、それをしないならば被爆限度引き上げ=住民の被爆であり、一次産業は崩壊、住民は崩壊します。東電に賠償をさせても足りない、何度倒産しても足りない、日本国が倒産しても足りない被害なのです。

 ガンジーが7つの社会的な罪と言っており、理念なき政治、労働なき富、道徳なき商業=東電、人間性なき科学、などがあるのです。以上で終わります。



 小出先生の科学者としての人間性を再認識しました。よかったです。小出先生、国会出席お疲れ様でした。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月25日 (水)

小学校での英語教育が始まったが

 23日のNHKクローズアップ現代で、「小学校の英語教育の問題点」を取り上げていた。

 今年四月から小学校の4年生以上では、英語を教えることになった。担任が指導に当たることになっているが、小学校の教員は英語が不得意な人も多いので、小学校英語指導を請け負う会社ができているのだという。

 その会社では、外国人で英語が喋れる人を集めて指導助手として派遣しているそうだ。非常に不思議なことなのだが、この場合、指導は全く指導助手に一任されていて、担任は口を挟んだり、打ち合わせをしたりすることは出来ないのだと言う。

 だから、授業に問題点があっても、担任は別の時間にそれについてフォローをするだけなのだそうだ。

 どうしてそうなっているのかというと、どうやら契約の問題のようだ。文部科学省が、指導の契約をしたら指導方法などについては一切の口を挟んではいけないと指導しているらしいのだ。

 公教育の場で、そういうことが許されているのが不思議でならない。教育は指導者が複数いれば、互いに話し合い、協力し合って、よりよい指導をつくり出していくというのが本来の姿ではないか。それなのにまるで給食を業者に任せるように任せきりなのだ。そんなことでよい英語教育などやれっこないのは明白である。文部科学省は一体何を考えているのかと言いたい。

 次に、指導助手は外国人なので、自分の都合で休みを取ったり、急に辞めてしまうことも多いのだという。そのために、指導の一貫性がなくなるばかりか、児童も馴染めなくなり興味を失うことがあるのだという。

 さらに、オークションで請負会社と契約をするので、他社より半額ほどで請け負う会社が現れるのだが、その内容についてはチェックができていないのだという。そのために劣悪な指導助手がきたり、きちんとした指導が出来ない場合もあるようだ。

  小学校の英語教育は、コミニュケーションを図る力の養成を主たるものとしていると言われる。だから発音とか文法とかが大切だということではないようだ。それで担任が指導に当たるということのようだ。

 私は、自ら英語会話の勉強を始めてある程度は英語の知識ができたし、喋れるようにもなった。しかし、現職のときには、全く英語教育とは無縁であった。今なら役に立てられると思うのだが真に残念ではある。時代が違うのだから今更嘆いても始まらない。

 コミニュケーションだから、言葉だけでなく、非言語も使ってとにかく他者と意思の疎通を図るということが眼目になるという。

 小学校で始まった英語教育は、試行錯誤の段階だと思うのだが、いったいどのように行われているのか知りたいと思う。インターネットで調べたが、分からなかった。どこかの学校の授業をこの目で見て確かめたい思いにかられる。

 それと英語指導助手を探すのに大変苦労をするようだが、今は英語ができる一般人も多いと思うので、主婦とかリタイアしたビジネスマンとかにボランティアで助けてもらったらどうかと思う。

 ネイチヴとか英語が喋れる外国人は常勤講師でなくてもよいではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月24日 (火)

お勧めサイト―「おけらの いつかは青空 脱原発」とアニメ

 私の友人の友人で自称「おけら」というニックネームの人がいます。男性かと思っていましたら、女性です。

 福島の第一原子力発電所の事故が起きてから、精力的に情報を集めて、友人・知人に広げておられました。それで私の友人がblog開設を勧めました。最初はうまくいかなくて、「おけらの掲示板」というのを開設しました。その後「おけらの いつかは青空 脱原発」というblogを開設しました。お勧めです!!

  今日の「おけらの・・・・」には、23日の、小出裕章の国会での証言が出ています。必見です。

 http://blogs.yahoo.co.jp/okerastage/MYBLOG/yblog.html

 

 それを友人が教えてくれたので、以来覗きに行っています。原発問題に特化してblogを開設したというのが凄いと思います。開設以来、日に何度も更新しています。また情報収集力が凄いのです。私も何度か利用させていただきました。

 このサイトの5月23日のblogには、とても興味のある雑誌の記事が紹介されていました。 ジャーナリストの池田友隆氏が雑誌「月間日本」に書かれた記事です。

 http://ikedatomotaka.main.jp/swfu/d/nippon201106nami

 

 福島第一原発の事故は、チェルノブイリと違って「現在進行形」の事故である、この先どうなるかは予断を許さないと言っています。

 いくつかの面白い比喩が出てきますが、その一つに「原子力は『地獄を飼いならす技術』で、それを飼いならせなくなったら、地獄が出て来る、いわば『地獄の魔王』との戦いに直面している。」というのがあります。

 だから地獄が出て来る最悪の事態を想定して(このコトバは手垢がついていますが)それに対処すべきだというのです。

 そのために一つの提案をしています。それは、本州の太平洋側にある最深6000mもある「日本海溝」に、核物質を投棄して海水で冷却せよというものです。

 私が、非常に興味深く思ったのは、昨日お伺いしたmaronさんのお宅で、大学名誉教授のご主人と話したときに、「日本海溝」への投棄を言われたことです。おそらく偶然に同じことを考えておられたのだと思います。

 この提案は、とても論理的に、分かりやすく書かれていますし、原発事故がどういうものか、どれほど深刻なものかがよく理解できます。

 次に、同じく「おけらの いつかは青空 脱原発」で紹介されているとっても面白いアニメです。騙されたと思ってご覧下さい。超短編ばかりです。

 脱原発アニメです。

 と~っても解りやすく、一つが短いので気軽に楽しめます。
 ぜひ拡散してくださいませ。

1. 『源八おじさんとタマ001』(原発なくても電気は大丈夫)
http://www.youtube.com/watch?v=OzGnBFNU1bI
2.『源八おじさんとタマ002』(二酸化炭素と温排水)

http://www.youtube.com/watch?v=RBw_nfQ_glQ
3.『源八おじさんとタマ003』(放射性廃棄物)

http://www.youtube.com/watch?v=pFUKKLkN1nE

4.『源八おじさんとタマ004』(地震)

http://www.youtube.com/watch?v=QpLPFXG1bLg
5.『源八おじさんとタマ005』(津波)

http://www.youtube.com/watch?v=ExkDeqHl_tc

------------------------------------------------
全部観ても、合計10分もあれば用が足ります。(おけら)

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月23日 (月)

すてきなメロディ―ー私の小さな幸せの花―

 いつの頃からか美しいメロディの歌が少なくなったことを残念の思っていました。ところが、先日知人と行ったカラオケ喫茶のママが、「とってもきれいな歌があるわよ。島倉千代子が歌っているの。」と言いました。

 題名を聞くと、「私の小さな幸せの花」というのだそうです。この歌は以前から歌われていたらしいのですが、ヒットしなかったようだと言っていました。それを歌って聴かせてくれました。

 ママさんの声がこの歌にぴったりというここもあって、とてもきれいなメロディでした。歌詞も、母親のことを偲んだ詩のようでとてもすてきです。

 作詞 友利歩未  作曲 杉村俊博

  心の庭に咲いている 私の小さな幸せの花

  あの日の母の歳を超え 今でも道には迷うけど

  いつもあなたが胸(ここ)にいて そっと支えてくれている

  誰も知らない花でいい まるい笑顔でいればいい 私の小さな幸せの花

 

  働き者の手をしていた 硬くて荒れてる そんな手だった

  自分のことは後まわし 誰より私を想っていた

  過ぎてからしか気づかない 大事なことは いつだって

  無いものねだりをするよりも あるもの数えてゆけばよい

  あなたが私に教えてくれた

  誰も知らない花でいい まるい笑顔でいればいい 

  私の小さな幸せの花 

  あなたと咲かせた幸せの花

  Youtubeで調べてみましたら、島倉千代子さんの動画は著作権の関係で削除されていました。「ゆきね」さんが歌っているのはありました。ところが昨日検索しましたら島倉千代子さんの歌を誰かがアップロードしていました。

 http://www.youtube.com/watch?v=Olh10APvR9o

  島倉さんは、これまでの演歌と違って、年齢を重ね人生経験を深めたからかしっとりと心に染みる歌い方です。特に歌いだしがきれいです。は前半しか歌っていません。 

 2,3箇所音程が?なところがあるのはご愛嬌?「いつもあなたがここにいて」の「ここにいて」が揺れています。

 ゆきねさんは、若い人のようです。こちらは歌詞を全部歌っています。覚えるにはこちらがお勧めです。

 http://www.youtube.com/watch?v=P90cxxYCt6c&feature=related

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月22日 (日)

橘座怪談噺の会を楽しむ

  「名古屋に橘座?そんなものないよ。」という人ばかりでしょう。実は、江戸時代に、中区の東別院の辺りに「橘座」という芝居小屋があって大変繁盛していたたのです。

 その跡地に、現在愛知産業大学高等学校が建っています。その縁で毎年2回寄席が開かれます。会場は「たちばなホール」です。

 私は、落語が大好きなので、いつもこの寄席を楽しみにしています。最も、無料だということも魅力なのですが。

 今回は、初回から10年目の第19回でした。テーマは、「怪談噺の会」ということで、たちばなホールは、階段式なので、階段ホールで怪談・・・なーんちゃって。

 会場は、260席ですが、補助席も入れてあり、ほぼ満席でした。いつもなら別室にテレビ中継で見るぐらいの客があるのですが、怪談ということでちょっと敬遠した人もいたのかもしれません。聴衆は高齢者が98%ぐらいでした。若い人は落語には興味がないのでしょうか。

 会は2部に分かれ、第1部は話芸研究家で有名な関山和夫さんの「三遊亭円朝と怪談噺」でした。関山さんの話は、林家(4代目までは林屋)と怪談噺の関係とか牡丹灯篭などの怪談のことなどで、三遊亭円朝と本日の真景累ケ淵のことは余りなく期待はずれでした。

 ただ円朝のこの作品は、因果流転の話で、彦六は「幽霊になってまで出てこなければならないことを考えよ」と言ったそうです。

 円朝は、人生の種々相を描いたのだそうで、背景に流れるものとして「凡夫の迷いを断ち切って正しき道(仏教)につく」を知っておくことが大事だそうです。

 「累」というのは女性の名のことで、26年間にわたり、たたり続ける執念なのだそうです。

 この噺は、旗本が金貸しの鍼医皆川宗悦を切り殺したことを発端に両者の子孫が次々と不幸に陥っていく話(前半部分)と、名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの話(後半部分)を組み合わせている。全97章から成る。1859年安政6年)の作です。

 この日の演者、林家正雀の師匠の彦六も得意とした話だということです。この日の噺は、真景累ヶ淵の豊志賀からお久殺し迄でした。私は、この噺を聞くのは初めてでした。理由は、円朝の有名な噺だとは知っていましたが、怪談は好きではないので敬遠していたからです。

 でも、聞いてみましたら、それほど怖い話ではありませんでした。落語にはしみじみと聞かせる、人情噺という分野があり、怪談噺、芝居噺、音曲噺があるといいます。

 正雀の描き方は立て続けの語り方であり、もう少し細やかさがほしいと思いました。

 最後に、奴さんと姐さんと、松の扇子を3本使った踊りが披露されました。

 橘座寄席は、次は、20回記念として秋にあるそうで楽しみです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月21日 (土)

西岡参議院議長こそ、即刻辞職せよ!!

 日本の政治家は何とレベルの低いことか・・・と何度も嘆いてきたが、今回の西岡参議院議長の発言はその極みである。

 朝日新聞によると、菅首相宛てに「即刻首相を辞任すべきだ」との書簡を首相本人に送り、その内容を読売新聞に寄稿したのだという。

 三権分立の立法府の議長として、時の首相に即刻辞任を要求したり、それを新聞紙上で公表するというのは、どう見ても間違っている。

 議長は中立であるべきはもちろんのことである。江田前参議院議長は、「私はああいう発現はしなかった」と不快感を示したのは当然である。

 中野寛成元衆議院副議長も、「議長は中立でなければならない」と述べたというがその通りだ。

 自民党の古賀誠元幹事長は、「感動と感銘を受けた」と発言したそうだが、自ら政治家失格を宣言したようなものだ。

そもそも、西岡氏の今回の発言は、彼の「私怨」から出ているのだ。長崎県の国営諫早干拓事業に関して、西岡氏ら地元の反対を押し切って、菅首相が開門を受け入れたことから恨みを持ったと言われる。以来、ことあるごとに、菅首相に対立してきた。

 しかし、立法府の議長であり、行く行くは旭日大綬章の受賞もある尊敬されるべきはずの人物が私怨で行政府の長を引き摺り下ろすことに積極的だというのは世界に例を見ない恥ずべき行為である。

 即刻辞任すべきは、西岡氏ではないか。私は以前から西岡氏の人格を疑っていたが、こんな人物を議長に推挙するようでは民主党も国民から見放されるのは当然である。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月20日 (金)

菅首相の4件の好いこと―どうせ辞めさせられるなら思い切って改革を―

 菅首相は、先日浜岡原発の稼動を中止する決断をした。例によって、唐突過ぎるとか、延命策だとかいう批判もあったが、大概の人からは歓迎された。

 17日には、「福祉まで避難を余儀なくされた人たちは、原子力発電を進めてきた国策の被害者だ」と明記した。そして最後まで国が面倒をみると述べた。これも大歓迎である。

 19日の朝日新聞朝刊によると、菅首相は、昨年6月に策定した政府のエネルギー基本計画を見直す中で、電力会社から発電部門を切り離す発送電分離を検討すべきだとの考えを示したという。

 電力会社の発電と送電を分離することについては、福島第一原発の事故直後にそれをすべきだと誰かが提案をしていた。これにも賛成である。

 もう一つは、原発の規制や監視を担う原子力安全・保安院が、原発を推進する経済産業省の下にあることについて、「チェック機関と原子力行政を進めて行く立場の両方が同じ役所のもとに共存していた」ことを見直す考えを示した。

 保安院問題は、事故直後からその矛盾を指摘されていた。例えはよくないが日本相撲協会みたいなものだ。これを切り離すことは当然やるべきことだと思う。

 自民党の石破政調会長は18日、今国会末期にも内閣不信任案を提出する可能性を示唆した。民主党内にも主導する動きがあることは昨日とりあげた。菅首相は、四面楚歌であり、何とか引きずりおろそうと閑な政治家たちは必死である。

 この点について、アメリカのコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は18日の東京での講演で、「会議ばかりが多すぎて、菅首相にはリーダーシップが見えない。」と指摘し、自民党の谷垣氏については、「菅首相がダメだという前に建設的な提言をすべきだ。」と助言をしたという。

 さらに、「日本の政治が貧困なのは日本の社会がしっかりとしているからで、政治家は国民に甘えている。」と述べたそうだ。

 カーティス教授はなかなかよく見ていると感じた。政治家は、それこそ日本相撲協会のように、根本から考え方を立て直して、災害復興と原子力事故に立ち向かうべきである。

 菅首相は、どうせ引き摺り下ろされるのなら、信念にもとづいて、国民ためにリーダーシップを発揮して貰いたい。辞めるのはいつでも辞められるのだ。玉砕覚悟でやれば道は開ける。

 今回4つのよいことをしたが、もっともっとやってもらいたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月19日 (木)

この非常時に政局にうつつを抜かす政治家ども―被災地で汗を流せ―

 17日の朝日新聞によると、民主党内では、小沢派が国会での菅内閣不信任を目指して賛同者集めをしているという。自民党や公明党とも結託して内閣不信任を可決し菅首相を下ろそうということだ。

 小沢氏はことあるごとに「菅は駄目だ」と言いまわっているそうだ。今は専らそれに注力をしているらしい。そして、陰で自民党や公明党と連絡をとりあって実現を目指しているのだとか。

 それに対して自民党や公明党は表向きは高見の見物をきめこんでいるそうだ。それというのも、小沢派では100人の賛同者を目指しているが、まだまだ不確定要素が多くて、表面だっては動けないからのようだ。

 15日のサンデーモーニングで、元衆議院議長の河野洋平氏が、具体的に名前は出さずに、指で「○○では、いかんが、さりとて△△にしようとなるとそれも駄目。」ということで、つまらない争いばかりをしていると言っていた。

 毎日新聞記者の岸井氏も今の政治家は全く話にならないと嘆いていた。我々一般国民は新聞や週刊誌や(読まないけれど)テレビで知るしかないのだが、それだけの公開されたニュースソースから判断するだけでも、情けない政治家ばかりだと失望している。

 菅首相がいいのかどうかは分からないが、菅首相を辞めさせるとして、その後釜に誰をもっていくのかは全く不透明である。辞めさせてから決めるのであろうが、そこでまたゴタゴタを時間を取られて、肝腎の被災者救援や災害復興対策や原子力発電所事故処理などの課題がおろそかにされることになる。

 政局は止めろとこれまでにも何度も書いてきたが、相も変わらず永田町では閑な政治家たちが政局で蠢いているのでがっくりしている。

 そんなに閑なら被災地へ出かけて、後片付けの作業ボランティをやったらどうだと、この前にも書いたが、再度同じことを言いたい。私と同じような意見が先日の朝日新聞「声」にも出ていた。災害現地で汗水を流してみれば、永田町で旨いものを食いながら詰まらぬ画策ばかりにうつつを抜かすことが如何に申し訳ないことがわかるだろう。

 いや、どの道わからないか。そういう能天気な政治家どもには。それにそういう政治家を選んだ選挙民にも責任の一端はある。ただ、出来ることは、やらねばならぬことはそういうエセ政治家どもを監視して、声を大にして批判をすることだ。できればデモでもやるとよいのだが・・・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月18日 (水)

どんどん悪くなる福島原発事故―日本はどうなる?―

 17日の朝日新聞朝刊によると、福島第一原発の事故は、第一号機だけでなく、2号機、3号機もメルトダウンしていたという。一号機のメルトダウンは16時間だったというが、これはアメリカの原子力関係の想定が正しかったことを証明した。

 電源が切れ、冷却ができなくなると、短時間でメルトダウンをするということがはっきりしたのだ。

 第2号機や第3号機もメルトダウンをしていたというのは素人でも当然想定できることで、何を今更・・・という感じだ。東電も、保安院も原子力委員会も分かっていて隠していて、隠し切れなくなって公表したのであろうか。

 その点について、朝日新聞に旧日本原子力研究所研究主幹の田辺文也・社会技術システム安全研究所長のコメントが出ていた。それによると、「メルトダウンやそれに伴う汚染水の漏水など一連の事故について、3号機建屋から上がった黒煙や、すでに分かっていた原子炉内の圧力データなどから早い段階で推察できた。今回のデータを見るまでもない。」と指摘している。

 私のような原子力の素人でも東電や保安院の対応は甘すぎると思っていたがその通りであった。

 「東電がこれまでにとってきた復旧作業とその対策は、実際におきたことよりもかなり軽微な事故を想定して実施された。」と述べている。そして、「復旧のための対策には、最悪の状況を想定してやるのが鉄則である。」と厳しく指摘している。

 これも素人の私でも考えることである。その上で、「東電を指導、監督する経済産業省原子力安全・保安院も、甘い対応を認めてきたから、原発の規制機関としての機能を十分に果たしてこなかった。」とも言っている。これも全く同感である。

 保安院も経済官僚の横滑りであり全く体をなしていないのだ。

 15日のサンデーモーニングでは、コメンテーターの元衆議院議長河野洋平さんが、「日本の原子力関係者には事故を処理する知識も能力もないのではないか?世界に援助を求めるべきだ」と言った。また、他のコメンテーターからも、原子力を完全に制御する知識も力もないままに原子力発電を推進したのが間違いだという指摘もあった。

 河野氏は、日本の再生エネルギー研究は世界の最先端を行っていたのが、今では20位ぐらいに遅れてしまった。原因は、研究予算の90%を原子力関係に使ったからだと指摘した。

 河野洋平氏が自民党で原子力政策にどのような立場であったかは知らないが、息子は珍しく原子力反対派なので、或いは批判的であったのかもしれないと思う。

 涌井氏は、人間が神の火に手をつけたのが間違いであったと言ったが、人間の知恵ではとても扱いきれないという意味であろう。それを傲慢にも禦せるものと考えて原子力を化石燃料に代わる最高のクリーンエネルギーだともてはやしたのが間違いであったのだ。

 クリーンどころか、一度暴れだしたら、何万年もどうにも手がつけられない代物であったのだ。それはチェルノブイリの事故やスリーマイルの事故でも証明されたのに、懲りずに原子力発電に頼り続けたのが今回の大事故につながったのだ。

 福島の事故については、人間の犯した世界の事故として、世界中の叡智を集めることは大事だと思うが、涌井氏が指摘するように、おそらく世界中探しても対処できる人はいないだろうと思われる。

 私の知人の娘は東京に帰るのを拒んで親元にいるのだという。放射能汚染が怖いという理由だそうだ。おけらさんの九州にいる友人は、九州に来ることを勧めているという。でも、日本のどこにいてもおそらく安全なところはなくなるというのが素人の私の考えである。

 私の知り合いのオーストリアに住む人は事故が起きた当初からオーストラリアに来いと勧めてくれている。オーストラリアならまだ安全かもしれない。

 とにかく東電も政府も最悪の事態がどうなるのかを言わずに事態の悪化にいたずらに手をこまねいてきた。楽観的な想定を撒き散らし甘い対応をしてきて、やっとことの重大さに気づいたようだが、時すでに遅しである。

 東電や政府は国民全体に原発の補償をする資力があるとでもいうのか?それともなすすべもなく放置されるのであろうか?

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2011年5月17日 (火)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―最終回―

(11)みなさんへのお願い

 最後にみなさんにぜひお願いしたいことがあります。この前の国会で「国民投票法案」が強引に採択されてしまいました。表向きは「憲法改定」に賛成か反対かを問うということになっていますが、いちばんの狙いは、《9条の改定にあります。とんでもない法律です。これに基づいて三年後の2010年に国民投票が行われようとしています。

 国民投票のためには、まず「憲法96条」により衆議院・参議院のそれぞれで3分の2の議員の賛成が必要です。これを「発議」と言っています。これに基づいた「法」についての国民投票をし、有効投票の賛成が2分の1以上あれば、憲法を改定することができるということです。

 衆議院では改憲派の国会議員はすでにその数に達しています。今後の選挙で変わるかもしれませんが、現状ではそうなっています。一方、参議院ではこの前の選挙の結果、態度を変えた議員も出て、現在では3分の2にはなていませんが、様子窺いをしているというのが現状で、いずれは出してくると思われます。 

 ここで問題なのは、《2分の1の賛成があれば改訂できる》ということの中身です。憲法のような国の法律の土台ともいうべきものならば、「投票権を持った人」(18歳以上の人に投票権を与えると言っていますが)、つまり有権者の2分の1の賛成であってもよさそうなのですが、そうではない。「投票をした人」ということなのです。

 具体的にいうと、次のようになります。「投票権を持った人」が100人いたとします。その60%が投票したとします。60人です。その2分の1が賛成ですから、30人の賛成、つまり投票権を持つた人(有権者)の30%が賛成すれば、《憲法を改定してもよい》と判断した人の過半数になったという理屈がつけられてしまうのです。

 たった30%の賛成で、みなさんはもとより、子どもさんやお孫さんの将来まで決められてしまうのです。

 もし、戦争にでもなったら、病院関係のみなさんは真っ先に戦場へ行くという命令が出される筈です。

 そのため過半数改定に賛成するよう、さまざまな《目くらまし》が仕掛けられて来る筈です。

 その一つが憲法には足りないところがいっぱいある。「棄権権」・「プライバシイー権」がない。「権利」ばかりが書かれていて「義務」が書かれていない、などなど・・・・。

 ところが、憲法の第3条をよく見ましょう。《国民の権利及び義務》という章です。大10条から第40条までありますが、ここをきちんと解釈し、正しく行使していたら、ずべて解決されている筈です。

 いちばんの狙いはどこにあるか?「憲法第9条」改定です。それではあまりにも露骨だということで、あれこれ言っているに過ぎないのです。一括りにして「賛成」か「反対」に○を付けさせようといているのです。

 《目くらまし》へ向けて大キャンペーンが張られることでしょう。でも、それに騙されてはならないのです。

 このことを見破って欲しいこと、そして、「国民投票」の際には、【9条を守ろう】というはっきりとした意思表示をしていただきたいと願うものです。

(12)私の決意

 私はこんな身体になってしまいました。あと何年生きられるか分かりませんが、何としてもあと3年は生きたい。3年後の2010年には「国民投票」があります。投票場へぜひ行きたい。どんな投票形式になるかはまだ分かりませんが、そこで「9条改定には反対」とい意思表示をしたいのです。

 歩いていけなかったら、這ってでも行きたい。人に担がれてでも行きたい、そんな決心でいます。

 このことを最後に、話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

 旧友野崎君が亡くなって弔問に行ったとき、奥さんから是非読んでほしいと印刷物を頂きました。今年の憲法記念日を機にblogに掲載しようと思い立ち、奥さんの許可を頂いて載せました。

 幸い、とても参考になったとか、とてもよい話で感動したなどの声をあちこちから聞きました。blogに載せてよかったと思っています。

 なお、16日のおけらさんの「おけらの いつかは青空 脱原発」blogに紹介されている毛利正道弁護士のblogには、次のような指摘があります。

 「トモダチ作戦」など米軍による救援をてことしつつ、「震災協力」を通した日米同盟の深化が企図され、他方、火事場泥棒的に、参議院憲法審査会規程の決定・前原誠司の民主党憲法調査会会長就任・改憲発議要件の3分の二から2分の一への緩和のみの改憲提案など一連の改憲策動がなされていること。

 これ以上の詳細は書いてないので分かりませんが、もしそうだとすると、改憲の動きは大震災の事後処理で忙しい中でも執拗にあるということです。油断大敵です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月16日 (月)

名古屋オルガンの秋 オルガン・コンサート

 15日(日)に、中村区岩塚の五反城教会で、「名古屋オルガンの秋」のオルガンコンサートがありました。

 少し早めに家を出たので、14時45分ごろには教会に着きました。「少し早かったですね。」と入り口にいた人に話したら、「大丈夫ですよ。中に入れますよ。」と言いました。入り口には、東日本震災支援のCDやパイプオルガンの筒を売っていました。

 会場に入ると、もう5,6人の人が来ていました。私は、中央の前から2列目の席に座りました。しばらくはパンフレットを見たり、持っていった本を読んだりしていました。

 だんだんと人が増えてきました。誰か知った人はいないかと見渡すと、白い服を着た女性が目にはいりました。黒い髪、丸い目、色白の顔・・・・どう見てもコーラスのピアニストのK先生にそっくりでした。帰るとき近くで確かめましたら、やや年配のそっくりな人でした。

 15時半に、吉田文さんがマイクを持って登場して、この時期にコンサートを開いたわけを話しました。東日本大震災の被害者に捧げるコンサートだということで、一緒に歌う聖歌を2曲用意してあるということでした。吉田さんが、どんな曲かをきれいな声で歌ってくれました。

 プログラムは、Im Gebet 祈りの歌 と題して、副題は、東日本大震災・被災者と犠牲者へ捧げるコンサートでした。

 演奏は、最初の2曲がトーマス・マイヤー・フィービッヒさんでした。曲目は、

 ◎「オルガンの為の12のしょおう品op.65」より、

   トッカータ ホ短調 とフーガ ホ短調 (マックス・レーガー)

 ◎「ピアノソナタ」より

  アダージョ (溝上日出夫編曲)

 次に、聖歌「苦しみのきわみにあるとき」を吉田さんの伴奏で歌いました。

 吉田さんの演奏で、ヨハン・セバスティアン・バッハの

 ◎ 「オルガン小本」より 「苦しみのきわみにあるとき」

 再び、聖歌で「愛する神にのみ依り頼むものは」を歌いました。

 同じくバッハの

 ◎ オルガン小本より 「愛する神にのみ依り頼むものは」

 同じくバッハの

 ◎ バイオリンの為のそなた第2番イ短調 オルガンの為の編曲(日本初演)

   編曲 トーマス・マイヤー・フィービッヒ

  マックス・レーガーの

 ピアノの為の「6つの前奏曲とフーガ」より

 ◎ 第4番ロ短調(日本初演) 編曲 トーマス・マイヤー・フィービッヒ

  最後にプログラムに無い、トーマス・マイヤー・フィービッヒさんと吉田文さんの連奏(連弾?)がありました。息があった連奏でしかも珍しいしよかったです。

 本邦初演が2曲もあり、意欲が窺えました。日曜の午後1時間あまりのオルガン演奏で心が癒されました。私の一番好みにあった曲は、「バイオリンの為のソナタ」でした。軽やかな感じで高音部が正面の天井辺りできれいに響いていました。

  終わって出口のところに来ましたら、誰かが声をかけてきました。見ると古い研究仲間のNさんでした。久しぶりなので見間違うところでした。わざわざ岐阜からでてきたそうで、オルガンは好きだが生演奏ははじめてだと言っていました。私のblogを見て来たのだそうで、友人にも声をかけたそうです。

 帰りに駅前の地下街の喫茶店で歓談をしました。コンサートホールは知らないというので、6月1日の芸術劇場コンサートホールのコンサートを勧めておきました。

 次のコンサートは、

 ●5月29日(日) 15時半開演。五反城教会(東山線岩塚駅下車②出口)

 ●6月1日(日) 10時45分開演。愛知県芸術劇場コンサートホール(栄)

           全自由席 1000円

Photo_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月15日 (日)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑨―

(10)岩田澄男先生の話

 私が最も尊敬している先輩の先生の話をさせていただきます。

 岩田澄男といわれます。中学校の美術の先生です。もう10年以上も前に亡くなられたのですが、若い頃、戦争中になりますが、岐阜県の恵那の農村の先生でした。

 当時、中国の東北部に日本が作った「満州国」という国がありました。もっとも世界のほとんどの国から認められなかったのですが・・・。

 ここへ日本全国から「満蒙開拓青少年義勇軍」という若者を送り出すことになったのです。ひとりの若者が「農民と兵士」という二つの役割をするのです。8万6千人送り出し、2万4千人が死んでいます。

 形の上では希望者を募るということですが、実際にはそれぞれの村へ人数の割り当てが来るのです。それを果たすために中心的な役割をしたのが学校の先生でした。

 軍国教師であった若い彼は、先頭に立って教え子の家を回り、親や教え子を説得し、満州へ送り出したのです。しかし、全員が生きては帰ってきませんでした。こんな辛いことはなかったとのことです。

 戦争が終わってから、彼は1軒1軒を回って謝罪をしました。何度も何度も何年もかけてです。農家の玄関を入ると、そこは土間になっています。彼は土の上に正座し、頭を地面につけて謝罪をしたのです。でも、1時間たっても、2時間たっても返事は一言もなかったとのことです。

 そのときの気持ちを、彼はこう言いました。

 ”なあ、野崎君、その時殴られるなり、蹴飛ばされたりしたら、どんなに気持ちが安らいだことだっただろう。でも、誰もそうしてはくれなかった。ただ畳の1点をじっと見つめたまま、一言も声をかけてもらえなかった。一時間たっても、2時間たってもだよ。

 月の煌々と輝く田舎道をとぼとぼと帰って行く時の僕の気持ちが分かるかい。”

 ”僕は決心したんだ。その後作られた「日本教職員組合」(日教組)、この組合が掲げたスローガン《教え子を再び戦場に送るな!》、これを命を懸けて守ることにしたんだよ。”

 彼は、それを実行しました。世が世だったら、校長か教育長になっていてもおかしくないと言われていた人です。しかし、あらゆる誘惑や脅迫を刎ねつけて、一生を平教員で終わった人です。

 名古屋にもこんな凄い先生がいるんだ!!その話を聞いたときの私の感想です。《よし、この先生の後をついて行こう》と思ったのですが、とてもじゃないですが、足元にも及びません。でも、そういう先生に出会っただけでも幸せだったと、今でも思っています。

 ―つづくー

 

 

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月14日 (土)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑧―

(9) 戦争をもっと早く終わらせることはできなかったのか

 ところで、それより以前に戦争を終わらせることはできなかっただろうか?出来たという主張もあります。

 44年6月、「マリアナ沖海戦」がありました。この戦いで連合艦隊は壊滅的な敗北を受けました。戦闘能力を失ったのです。

 →兵器の差だけでなく、技量の差も大きかった。戦闘機の操縦についても、空母からの発艦はできても着艦はできないという低下した技量になっていた。

 米軍機の墜落3期に対し、撃墜された数は200機以上だった。「マリアナ沖の七面鳥狩り」と言われるほどの惨敗であった。

 一方、中国戦線は泥沼状態でした。見通しはまったくなかったのです。直後に、近衛文麿が昭和天皇に「降伏の上奏」をしたと言われています。但し、国民のことを思ってのことではなく、内乱(革命)が起こって「天皇制が崩壊」することを怖れたということです。しかし、天皇は拒絶したのです。

→「サイパン戦以来、海軍当局は連合艦隊はすでに無力化せりといい、陸軍当局もまた戦局全体として好転の見込みなしというに一致せる者の如し。即ち、敗戦必死なりとは陸海軍当局の斉しく到達せる結論にして、只今日これを公言する勇気なしという現状なり」(近衛日記)

 もし、この時降伏していたらその後の「沖縄戦」は無かったし、「東京大空襲」もなかったし、「広島・長崎への原爆投下」も無かったのです。太平洋戦争での死者のうち、大部分はこの海戦以後です。

 これでも、戦前・戦中の時代が良かったという人がいるのです。事実を知らない人が多いのです。こんな国に絶対に戻してはなりません。

ーつづく―

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月13日 (金)

東京電力は福島原発第一号機でのメルトダウンを認めたが

 東京電力は、12日に福島原発第一号機の圧力容器に亀裂が入り、核燃料の大半が溶融したと発表した。13日の朝刊によると、メルトダウンを認めたとなっている。

 もともと東京電力は、第一号機については最も対策が進んでいると言っていたのだが、ここに来てメルトダウンを認めることとなった。

 東京電力の発表については、以前から「大本営発表」ではないかと疑っていたが、そうであることがはっきりとした。国民に真実を伝えず、安心をさせておいて少しずつそれまでのデータを改めている。

 この問題について、京都大学の小出先生はどう言っているのかを知りたいと思っていたら、「おけらの いつかは青空 脱原発」というblogで、小出先生の発言を紹介していた。さすがは情報キャッチに早い”おけらさん”だと感心をした。

 そこで紹介されていた下記のURLをクリックしインタビューの動画を見た。インタビューアーは神野哲生氏(ビデオニュースドットコム)である

http://www.videonews.com/special-report/031040/001873.php

 小出裕章先生も、東京電力のデータは何を信用してよいのか分からないと怒っておられる。小出先生は、発表されたデータをもとに、見解を求められれば話してきたのだが、データが覆されると見解が覆されることになるからだ。

 今回もどこまで信頼してよいか分からないと言いながらも、次のように話しておられた。

 圧力容器の底に大きな穴があいていて、燃料棒はとっくに溶けて下に落ちているのだろう。それはアンパンのように、中に溶けた核燃料があって外側を核燃料を包んでいたものが溶けて被った状態で格納容器の底にたまっているのではないかと推定する。

 小出先生が最も怖れていた事態ー水蒸気爆発ーは、幸いにも起こらなかったし、多分下のコンクリート部分が壊れて地下水まで行って爆発が起こることは無いだろうとのことである。

 しかし、高濃度の放射能が外部に漏れる可能性が高いそれが心配だという。

 この先、いったいどうなるのか。東京電力には本当のデータを示してほしい。また、朝日新聞やNHKのニュースでは、メルトダウンが起きた現在、これからどうなるのかについては何も触れていない。

 政府は既に最悪の場合を想定しているのであろうか?

 いずれにしても、事態はますます悪くなる一方である。こんな原発を推進した者には罪悪感がないのが悔しい。「電力供給不能」という最悪の事態への対策をコストを理由に何もして来なかった東京電力や時の政府の罪は計り知れなく重い。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月12日 (木)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑦―

(8)もし「本土決戦」が行われていたら

 「本土決戦」とはどういうものであったか?国民の前にはどんな運命が待っていただろうか。戦争があと半年、1年続いていたらどうなっていたかということです。それは「狂気」の時代でした。

 1845年6月、連合軍には「沖縄戦」以後の作戦計画が出来上がっていました。「ダウン・フォール作戦」と呼ばれています。

 作戦は2つに分かれていました。1つは45年11月に九州へ上陸するという「オリンピック作戦」、もう一つは46年3月に関東平野に上陸して日本を分断するという「コロネット作戦」です。

 一方、日本側はこのことを知っていました。対抗する作戦を、陸軍は「決号作戦」、海軍は「天号作戦」と名づけていました。国民には「本土決戦」・「一億総特攻」・「一億玉砕」というスローガンが呼びかけられました。

 具体的にはどんな対策だったのか、その一部を紹介します。

 45年6月に「義勇兵役法」が制定されました。「国民皆兵」です。終戦の2ヶ月前でした。中を見ると、「勅令」という言葉がやたら目立ちます。天皇の命令ということです。

 何しろ《人間の姿をした神様》の命令ですから、拒否すれば罰則が付きます。どんな罰則か。2年以下の懲役と言うことになっていますが、現実性が全く無い。戦争が1年も2年も続くと思ったのでしょうか?しかも全土が戦場です。どこへ収容するのか。

 全員が「軍人」であるから、「陸軍刑法」が適用されて「死刑」判決を受け、その場で「銃殺」されたのではないかと思います。 

 大本営陸軍部は「国民抗戦必携」という小冊子を配布していました。そこには国民が用意すべき武器が書かれています。→刀剣、槍、竹槍、鎌、玄能、出刃包丁、鳶口・・・・。

 出刃包丁を手に、槍ぶすまのように並んだ機関銃や火炎放射器、さらには戦車に向かって突撃して行く姿を想像してください。地獄です。

 特攻攻撃機としては「剣」甲型(キー115)や「タ号特別攻撃機」の生産を急がせていました。主翼以外の材料は鋼管、ブリキ、ベニヤ板などの簡単に手に入るもので作られました。1回使えばよいのです。

 離陸したら車輪が脱落してしまうようになっていました。着陸など必要なかったからです。操縦性は最悪で、とても扱いきれるものではなく、実用化のための改修中に終戦になりました。

 海軍も考えました。潜水服を着用した兵士を海中に忍ばせ、棒の先に爆薬を装備し、侵攻して来た敵の上陸用舟艇を下から突き、自分もろとも爆破させようという作戦です。爆雷の数発も投下されたら全滅です。

 なお、作戦決行の前に、足手まといになる赤子、幼児、老人などは「殺害」する計画もありました。45年4月に大本営陸軍部が出した「国土決戦教令」に明記されています。

 「青酸カリ」を飲ませるのです。私の町内ではそれが配られるのを見ています。そのときは分からなかったのですが、大人になってから分かりました。

 こんな作戦が真面目に検討されました。「1億総玉砕」だから、国民の命などどうでもよいのです。「民族抹殺作戦」です。

 これは決して架空の話ではありません。戦争があと半年、1年と続いていたらこうなった筈です。私など、1946年以前に生まれていた人は今日、全員生きてはいませんね。それ以後に生まれた人は・・・・生まれている筈がありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月11日 (水)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑥―

(7)学童疎開の体験

 空襲があった後、学校ごと「疎開」という引越しをしました。子どもは邪魔であるということと、食糧が足りないというのがりゆうだったようです。

 親戚などを頼って個人的に引越しをする子もいました。こちらを「縁故疎開」、学校ごと「疎開」することを「集団疎開」と呼んでいました。

 私の場合、「集団疎開」でした。三重県の一志郡のある村ですが、この村へ分散して生活するわけです。学校は現地の学校に入るのですが、ここではひどい目に遭いました。

 四男の兄が入れ替わりに卒業して名古屋に帰ったのですが、これがどうも相当な「いじめっ子」だったらしい。”○○の弟がやって来やがった”ということで、今度は私がひどい虐めに遭いました。

 惨めだったのは、近くの寺の本堂で一斉に食べる食事です。少ない量なのに、それを上級生たちが”少し頂戴ね”と言って、入れ替わり立ち替わりに取って行ってしまう。しまいには1口分しか残りません。すぐそばに先生がいたのですが、何も言ってくれません。知っていたはずだと今でも思っています。

 もっと惨めだったのは、親たちが時々日用品や食べ物を持って見舞いに来たときのことです。全員の親が来るのではないのです。見舞い品を持って来られる家だけです。

 3間か4間続きの部屋の真ん中に親が車座になり、横に座った自分の子に持ってきたものを食べさせる。食糧難の時代ですから、我々にくれるはずがありません。来てもらえなかった子たちは空腹のまま外へ行くのです。見たくはないからです。

 夜は最も悲惨です。彼らは見舞いの品の食べ物が亡くなるまで、連日のように車座になってパーティを開きます。

 リーダーが”乾杯!”と叫び、一口ごとにわれわれに見せびらかしながら食べるのです。

 われわれは壁を背にして座ったままそれを見ているのです。仲間入りのできなかった6年生の上級生が”見るな!見るな!”と囁くように怒鳴るので、パーティが終わるまで、じっと下を向いたまま過ごすのです。

 4年生に荻野君という子がいました。いじめられっ子だったのか、よく上級生に殴られていました。この子がよく私を庇ってくれました。

 先生の居室には「乾パン」の入った箱が一杯あったのです。配ってもらった記憶は全くありません。彼は先生の部屋に忍び込んでいくつかを盗んで来るのです。私の手を引い近くの畑の中に入り、そこで食べさせてくれました。こうやって少しではありましたが、飢えを凌いだものです。

 私の様子を知ったのか、母が迎えに来てくれました。しばらく名古屋にいた後、島根県の母の実家へ姉と疎開しました。ここで終戦を迎えています。

 そこでも嫌な体験をしました。田舎の学校で1年生1学級だったのですが、ある日、学級に「雨合羽」が3着支給されたのです。籤引きの結果、1着が私に当たったのです。雨降りの日には藁で作った「蓑」を被って通学していた私にとって、これは天にも上るような嬉しい気持ちでした。

 途端にクラスの子たちから抗議が出されたのです。曰く、”町から来たばかりの者が貰って、前からいた者が貰えないのはおかしい”ということです。

 1着分について直ちにやり直しになりました。私は籤引きに参加できないのです。《よそ者》という扱いだったのです。このような仕打ちをたびたび受けました。

 戦争は人間の心をこんな風に歪めてしまうのです。これも思い出したくない出来事の一つです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月10日 (火)

名古屋華マジカルグループの公開講座とミニマジックショー

 ~名古屋華マジカルグループ

第4回 マジック公開講座

      (オープングループ活動)

「マジック講座」を地域のみなさまに開放します。

員と共に不思議なマジックの世界を体験しませんか。

<特別講師> クロッキー

  (マジック・アーティスト)

定期的にライブ開催中、個性的で不思議な魅力のエンター テイナー。

ダイソー「ザ、おもしろ手品シリーズ」総監修者。発売以来1.000万個突破。

Mr2_4

12:30       開 場 

13:00~13:10 オリエンテーション

13:10~13:30 パフォーマンス

          by 名古屋華マジカルグループ

13:30~14:30 レクチャー

         クロッキー先生のマジックレッスン

14:30~14:40 休 憩

14:40~15:00 ビデオタイム

by 名古屋華マジカルグループ

15:00~16:00 パフォーマンス

          クロッキー先生のショータイム

日時・・平成23年5月28日(土)

開場 : 12:30 

開演 : 13:00

会場・・名古屋市女性会館

 (地下鉄「東別院駅」①出口から徒歩3分

  駐車場(300円))

参加方法・・事前に、事務局までご連絡の上、

       500円(教材費含む)

    当日、会場受付でお支払いください。

事務局・申し込み先

     Tel&Fax:052-881-4758

     E-mail:gurande_ozone@ybb.ne.jp

  主催 名古屋華マジカルグループ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年5月 9日 (月)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑤―

 下前津あたりがまだ燃えていないので、そこを通り抜けて鶴舞公園を目指しました。と友、家々の前にあった防火用水を何度も頭から掛けられました。ものすごく臭かった印象です。機銃掃射を受け、何度も汚い溝の中に突き落とされたような記憶もあります。

 後に読んだ本で、空襲した地域の1ヶ所だけをわざと空けて、そこを通り抜けようとした人に機銃掃射を浴びせるという記事があったことも覚えています。

 やっと、鶴舞公園に来たもののl、長兄はここへ入ることを許しませんでした。”ここは高射砲陣地がる。爆撃されるかもしれない。”ということです。

 北の方へ逃げ、東新町まで来ました。この辺りは少し前に空襲を受けたのでしょう。焼け残ったビルがいくつかあったのですが、ここなら安全と思ったのか、その中の一つに入りました。

 すでに、何人かの人がいました。ひとりのおばさんが、”持ち出すことが出来たのはたったこれだけだった。”と言ってコンロと食パンを見せてくれました。

 ”坊やたちも食べるかい”と言って、ちぎって焼いたパンをくれました。とてもおいしかったことを覚えています。

 やがて空が明るくなったので、家へ戻ることにしました。私の家はもちろん、辺りの家も全て焼け落ちています。

 防空壕を見てびっくりしました。「ぺしゃんこ」に潰れていました。逃げずにそこにいたら、私の命は7歳で終わっていたでしょう。

 近所に父の兄夫婦がいました。ここも命令で建物が壊されていたのですが、奥の「蔵」だけが残され、伯父夫婦はそこに住んでいました。

 父と母はそこにいました。消火の際の煙と炎のせいか、一時的ですが、母は眼を開けることができませんでした。塞がった目から涙が出ていました。”何もかも無くなってしまった”と泣いていた光景がまだ目に浮かびます。

 島根県の母の実家におくろうと準備をしていた荷物は全て燃えてしまいました。残ったものは避難した際、兄たちが引いていた乳母車の下着などと、空襲の数日前に母が庭の一隅に埋めた食器だけでした。

 父の会社の上司の家が昭和区の高辻と滝子の中間にありました。当面そこの家の一部屋を借りて住むことになりました。

 ところが、この辺りは「日本碍子」などの工場がたくさんありました。当時は軍需工場にされていました。1週間後の3月19日の深夜、この地域が空襲を受けました。

 上司の家は建物の下に防空壕が掘られていました。でも、父はここへ避難しることを許しませんでした。もし、家が燃えたら、中に入った人間は「蒸し焼き」になてしまうからです。

 といって、入るところがありません。少し離れたところにある小さな空き地、小公園ともいえるところでしょうか、そこへ避難しました。

 空が丸見えです。近所の人が運び込んだ家具の間から空を見上げているのです。急降下してくるB29の機体が炎を反射して真っ赤になっていること、焼夷弾が花火のように降り注ぐ光景を覚えています。

 少し離れたところにたくさん落ちたのですが、直撃を受けたら即死です。死んじゃうのかなあと思ったりしました。

 幸いにも助かり、家へ戻ったら、上司の家はほとんど焼けていました。もし、防空壕に入っていたらと思うとゾッとします。

 この空襲の夢は60年以上たった今でも夢に見ます。しかも、カラーです。目が覚めると体中が汗びっしょりになっています。

 わたしの平和への願いのささやかな原点がここにあります。《戦争は2度とごめんだ。何としても「9条」を守りたい》と願うものです。若い人たちがこんな体験をされないよう、心から願っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月 8日 (日)

大カン迎!菅首相の浜岡原発停止要請

 菅首相は、6日の夕刻に静岡県御前崎にある浜岡原子力発電所の停止を中部電力に要請した。

 これより前、中部電力の水野社長は、現在点検のために停止中の第3号発電機を近く再開したいと言っていた。

 また、自民党の原発推進部会が会合を開いて原発推進の活動を再開するというニューズもあった。

 そんな中での菅首相の浜岡原発停止の要請である。理由は、東南海大地震がいつ起きてもおかしくない状況下で、もし、今回のような大津波が起きたら原子力発電所の事故が起きるかもしれないからである。

 新聞によると、首相の要請は、法的には強制力がなく、中部電力がそれを拒否することも自由だそうだ。

 しかし、静岡県知事が「大英断だ」と言っていたように、私も時宜を得た決断であったと思い大歓迎である。

 しかし、世の中には阿呆もいて、朝日新聞のコメントで、大阪大学の名誉教授(原子力工学)住田健二氏は、「あまりにも唐突。どういう材料をもとにして判断したのか、なぜ今なのか理解に苦しむ。公開で討論し、科学的、技術的に判断する内容だ。なぜ、原子力安全委員会に諮らないのか。」と言っている。

 首相が、「東海大地震がいつ起きるかもしれない状況にあることをふまえてのものだ。」と述べている。

 のんびりと公開討論をしている場合ではないことぐらいわからないなか?起きてしまってから「想定外であった」と言っても遅いことは、福島第一原発事故で証明されたではないか。

 住田教授のような御用学者が、自民党とともに原子力行政を進めてきたのだ。福島第一原発の事故で、「安全神話」は全くの虚構であったことがはっきりとしたのだ。

 だから一番危険性が高いと言われている浜岡原発をとりあえず停止して、それから今後の対策を考えるのは非常に妥当な考えである。

 第一、仮に停止をしたとしても、福島の事故は、安全ではないことも証明したではないか。バックアップ電力が途切れて冷却ができなくなれば、どうしようもないのだ。

 現在、福島第一原発の処理に国を挙げて苦しんでいるときに、さらに別の原子力発電所で事故が発生したら、完全にお手上げではないか。

 モタ菅と揶揄されている首相の珍しい早い決断だ。

  ※対策がモタモタするのは小沢さんでも谷垣さんでも、誰がやっても同じだ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2011年5月 7日 (土)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―④―

 (5)「9条の会」と活動

 話をもとへ戻します。

 このような社会情勢の中から、「9条の会」が生まれているのです。人間一人ひとりには思想・心情の自由がありますが、それを乗り越えて『9条を守ろう』という一点だけで結集された組織なのです。

 ここではいろいろな活動ができます。私のような年寄りでこんな身体になった人間でも、自分の戦争体験、私の場合は「名古屋大空襲」で1週間に2度殺されかけたことをお話すること程度しかできませんが、これも『9条を守る』活動のひとつかなあと思ったことです。

 (6)「名古屋大空襲」の話

 ちっぽけな体験ですが、そのことに触れてみたいとおもいます。

 1945年3月、当時わたしの家は、中区の東別院、ここの南側を東西に走る100メートル道路のちょうど南側に当たるところにありました。

 あの道路のところは住宅が密集していましたが、強制立ち退き命令が出たため、住民は退去し、建物はすべて壊されました。

 戦車がやってきてバリバリを建物を壊したり、兵隊たちが柱にロープを掛けて引き倒しあう光景を二階の窓から見ていました。

 壊した後に1軒に1つずつ防空壕が作られました。地面を掘り板を渡し、その上から土を被せるといったものです。ここで「東南海地震」や「三河地震」を体験しています。

 さて、3月12日の深夜だったか、ねているところを母から起こされました。”今夜はいつもと違って変だ。危ないから防空壕に入りなさい。”という指示です。

 ラジオからアナウンサーの声が繰り返し聞こえました。”中部軍管区情報、東海道地区、空襲警報発令”。なぜかこの言葉は鮮明に記憶しています。

 兄たちと一緒に防空壕に何時間入っていたでしょうか。父がやってきて、”ここは危ないから子どもたちだけで逃げろ”と、長兄に命じていました。

 両親というより大人は勝手に逃げることは許されないのです。消化作業をしなければならないのです。といっても効果はまったくないのですが・・・・。

 私の家の周辺はまだ燃えていないのですが、別院の建物はすでに燃えています。屋根と太い柱だけが残って、ゴウゴウと音を立てながら揺れています。台風のような強い風が吹いていました。火の粉というより火の塊が地面をゴロゴロ転がったり、ビュンビュン飛んで来ます。

 どうして防空頭巾を被るのか、このときやっとわかりました。”前を見るな、下を向いて走れ”との兄の命令です。それぐらい危ないのです。

 長男が先頭に立ち、次男が姉と私の手を引き、三男と四男が下着などの衣類が入った乳母車を引いて走るのです。

 ―つづく―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 6日 (金)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―③―

 (4) 2つの余談・・・日本は戦争中である

 みなさんはいまの日本が戦争中だということをご存知ですか。一つはイラクです。航空自衛隊がアメリカ兵や戦争に必要な武器や物資を運んでいること、これは明らかに戦闘行為に参加しているわけです。”「後方支援」は「戦闘行為」ではない”と馬鹿なことを言っている政治家もいますが、軍事評論家たちは大笑いしています。近代戦争では、「後方支援」を失敗した戦闘は間違いなく負けにつながっています。イラクに対して「宣戦布告」をしていないだけなのです。

 もしも、彼らが新幹線を爆破したり、「9.11」のようなことが起こったら、日本の政治家やマスコミはこれを”テロ・テロ”と騒ぎ立てることでしょう。

 しかし、彼らは言うでしょう。”これはテロではない。戦闘行為である。だから正当性がある”と。遥か遠くで起きていること・マスコミも書こうとしないために、ちょっと見には平和であるように見えるだけなのです。

 もう一つは「北朝鮮」とはまだ太平洋戦争中であるということです。『戦争が正式に終わる』ということは、《相手の国と「平和条約」を結ぶ》ということが条件です。 日本は1951年にアメリカのサンフランシスコで「平和条約」を結んでいます。その時参加しなかった国々とは後に条約を結んでいます。

 朝鮮は当時国が二つに分かれて戦争中だったために呼ばれませんでした。後になって条約を結んだのですが、その相手は「韓国」なのです。「日韓条約」と呼ばれていますが、”韓国が朝鮮半島のすべてを統治している”という理由付けです。

 つまり、日本は現在に到るまで、「北朝鮮」を承認していません。「平和条約」を結ぼうともしていません。ですから、「北朝鮮」とだけは太平洋戦争がまだ継続中であるということです。

 このことを頭において「北朝鮮問題」を考えないといろいろな誤解を起こします。私は、「北朝鮮」が日本に向けて核ミサイルを飛ばしたり、日本に攻め込んでくるとは考えません。いったい現在「北朝鮮」に向けて日本やその周辺に置かれているミサイルが何発あるのか。もちろんアメリカのミサイルですが、これが専門家に言わせると2000発以上とのことです。

 現在の日本の軍事費は北朝鮮のおよそ30倍、アメリカの軍事費はおよそ2百数十倍あるそうです。

 そんなことは「北朝鮮」もとっくに知っていることです。彼らがそんな馬鹿なことをするとは私には考えられないことです。この前の「ミサイル実験」の際、”平壌へミサイルを飛ばせ!”とか”日本も核武装をせよ!”という発言が一部から出ましたが、それこそとんでもないと思っています。

 そんなことをしたら、日本は破滅するでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月 5日 (木)

アゲハ蝶の羽化―我が家の部屋で越冬―

 4月26日ごろと5月3日のいずれも朝、アゲハ蝶が羽化をしました。

 これらのアゲハ蝶は、昨年の12月に妻が庭でアオムシを見つけてリビングのシクラメンに置いたものです。

 最初に羽化した方は、妻が庭のグミの下に落ちていたアオムシを拾ってシクラメンの鉢においたそうです。ところがいつも間にかいなくなってしまったのですが、ある日天井を見るとサナギがぶら下がっていたそうです。それでそのサナギをとって花の台の横にセロテープでくっつけておいたのです。

 後で羽化した方は、アオムシが庭の花柚子の葉っぱについていたのを、ヒヨドリに食われると可哀想だと思って、やはりシクラメンの花においたのだそうです。それが自分で動いて、先にセロテープでとめたサナギの隣に行ってサナギになったものです。

 私は、そんなところにサナギがあるのを全く知りませんでした。サナギは約4ヶ月もたって羽化をしたのでした。そのとき妻が蝶になったのを知らせてくれたので、初めて知ったのでした。こんなところで冬を過ごして羽化をするとは!・・・とおどろきまました。

 最初のが羽化して飛び立ったとき、妻はもうひとつのサナギは空だと思って取ろうとしたのですが、私がまだ入っているから取っては駄目だと言ったのです。その通りで、5月3日に羽化をしたのでした。

 こちらの方は弱弱しくてカーテンにとまっていました。カーテンに糞をしたので妻がシクラメンに移しました。でも、なかなか飛び立とうとはしませんでした。3時間ぐらいしてやっと外に出て近くのラベンダーの鉢にとまりました。そこで密を吸っているような様子を見せました。

 それから網戸にとまっていましたが、そのうちに飛び立って行ったようです。

 2羽のアゲハチョウは今頃どこでどうしているのでしょう?

Cimg1371

Cimg1376

Cimg1374

Cimg1373

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月 4日 (水)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―②―

2).「9条の果たした役割

 自衛隊はどうなんだという疑問をもたれる方も当然おありでしょう。アメリカからの圧力で長い間に憲法がゆがめられてしまいました。しかし、この間、「軍隊」という言葉は政治家も使えなかったのです。小泉さんになるまでは・・・・。

 そのため、戦後60年近く、日本の国は外国で人を殺すこともなかった、こんなことは明治以後初めてなのです。それまでのおよそ80年間は戦争につぐ戦争だったのです。

 この前の「日中戦争」・「太平洋戦争」(15年戦争とも言われていますが)では、日本では310万人以上の人が亡くなっています。兵隊の半分以上が飢え死にをしていますが、こんな国は世界のどこにもありません。こういうことはあまり知られていません。というより、知らせようとしません。

 一方、日本がアジアの国々で殺した人は何人でしょう。2000万人以上とも言われていますが、被害だけでなく、加害していることをきちんと捉えないといけないのです。

 アジアの国々の学校の教科書では、日本軍がどんなことをしたのかをきちんと教えています。若者たちもよく知っています。現行の「憲法第9条」はこの痛恨の経験から、2度と戦争はしないということを世界に誓ったもので、世界で初めて《軍隊を持たない、平和的に話し合いで解決する》と決めたのです。今では世界でも17あります。そのうち11の国では憲法に明記されています。※

 最近では、ヨーロッパ共同体・南アメリカ諸国共同体・アフリカ連合・東南アジア諸国連合の中で、紛争が起きても武力で解決するのではなく平和的に解決しようという動きが大部分になっています。

 中には、日本という国は素晴らしい憲法を持っているそうだ、われわれの国もそうしようじゃないかという動きも出ています。

 ※武力を持たない国→にほん、キリバス、ナウル、ツバル、西サモア、バチカン、チヒテンシュタイン、モナコ、コスタリカ、バハマ、ドミニカ、グレナダ、セントクレストファ、ネイb-スヤ、セントルシア、セント・ビンセント、グレディーン、コモロ、モーリシャス

(3).1928年の〔パリ不戦条約〕と日本国憲法第9条

 世界で初めて、武力に訴えて解決しようとすることは【犯罪】であると決めた約束事があります。1928年の【パリ不戦条約】です。

 日本もこれに参加して署名をしています。そうしておいて、この約束を何度もやぶっているのですが、これが日本国憲法第9条と深いつながりがあることもお知らせしたいと思います。

 アメリカのオハイオ大学の名誉教授であるオーバビー氏は、次のように言っています。

 ”戦後世界の誰ひとりも日本軍人によって殺されたり撃たれたりしていない。これは素晴らしい記録である”と。そして、こうも言っています。”日本国憲法第9条を〔ノーベル平和賞〕の対象にしたい・・・。”と。

 ですから、「憲法第9条」は、これらの世界の平和の流れの動きの先駆けとなったものであり、【世界の宝物】と言っても決して言い過ぎではないと思っています。

  ―つづく―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 3日 (火)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿

 今日は「憲法記念日」です。私が小学校の6年のとき1947年5月3日に新憲法が施行されました。私たちは、学校で「新しい憲法のはなし」という小冊子をもらい、高等学校まで行進をしたことを覚えています。

 後に日本体育大学教授になられた担任の正木健雄先生が、友人の谷田先生、水本先生たちと高校の運動場で、「民主主義ってなんだろう?」という議論をしておられたのを思い出します。高等学校を出たばかりで代用教員であったのでまだ理解をしてなかったのでしょう。

 その当時は、民主主義とか基本的人権が注目されていて戦争放棄についてはそれほどではなかったように思います。

 それから64年、日本は自衛隊は存在するものの、直接他国との交戦をすることはなく平和を享受してきました。しかし、自民党政権の時には憲法を改悪しようという動きがたびたび起こりました。

 そんな中で「憲法9条の会」が結成され、その運動が全国に広がりました。著名な賛同者の中には、故井上ひさし氏やノーベル賞作家の大江健三郎氏、三木元首相夫人の三木睦子氏、作家の澤地久枝氏などがいます。

 旧友の野崎良彦君は、憲法九条の会名古屋南区支部の中で亡くなるまでその活動に心血を注いできました。彼は私と大学が同じで、若いときに同じ学校で10年間教鞭を執りました。

 彼が亡くなる前にあちらこちらで憲法九条の話をした原稿を奥さんからもらってありました。亡くなってから早や2年半ということですが、奥さんから許しを得て私のblogに載せることにしました。

以下が遺稿です。

 8月15日(※平2007年か)のNHkの「憲法」についての討論番組の中で、こんな若者の意見が出されたということです。

 曰く、戦争があれば、今の非人間的な生活が変わるかもしれない。今のまま死んでも誰にも見向きもされないが、戦死すれば「英雄」になれるし、名誉は与えられるし・・・・・とのこと。

 じゃあ、兵士の半分以上が「餓死」するような事態になりたいのか、空中に放り上げて落ちて来る「赤ちゃん」を銃剣で刺し殺すことをしたいのっか、村人を集め、生きたまま井戸の中に投げ込み、上から土を被せて踏みつける、そんな行為が「英雄」なのか。

 アジアで2千万人の人を殺したが、殺された人の気持ちが分かるのかなどなど・・・・・、これ本当の話です。

 戦争の実態を知らない若者が増えているおすですが、そんな人たちに正確なことを知ってほしい、そんなことで時間をいただいて体験話などをさせていただきたいと思います。

1.憲法、とりわけ「9条」について・・・・・「新しい憲法のはなし」をもとに

 私は、小学校の教師でした。高学年の社会科で憲法のことを教えるのですが、「日本国憲法」については、次の3つの特徴があることを教えるように言われていたものです。また、そう教えてきました。

 一つは「国民主権」ということです。国の主人公は一人ひとりの国民であるということです。当時は「主権在民」と言っていました。

 二つ目は、「基本的人権の尊重」ということです。「生存権」とも言っていますが、誰もが幸せになる権利を持っているというものです。

 三つ目は、私たちの先輩が世界ではじめての決まりを盛り込んだことです。「平和主義」とも呼ばれています。

 簡単に言うと、これからの日本は絶対に戦争をしないこと、そのために戦争に必要な武器は一切持たない。「9条1項」・「9条2項」と呼ばれています。(資料 憲法前文と第9条)

 ―つづく―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 2日 (月)

朝日新聞星浩編集委員に一言ー不条理とどのように戦えばよいのか?

 朝日新聞4月30日朝刊の「政治考」に編集委員の星浩氏が、「首相は不条理と果敢に戦え」と書いている。飯館村を歩いた感想の結論としての部分だ。

 「何も悪いことはしていないのに、ひどい苦痛を強いられる。(強制避難の人びとのこと)まさに不条理だ。菅氏は、『不条理と戦う』と繰り返してきた。最近は、『このような大震災のときに政権を担うのも宿命だと思う』と語る。

 いま、首相としてなすべきことは、対策本部を次々と作ることでも、参与や顧問を乱発することでもない。被災者を押しつぶそうとしている不条理と向き合い、果敢に戦うことだ。」と。

 しかし、どこを読んでも、星氏が不条理とどのように戦えばよいのかを提言していない。不条理と果敢に戦うということはどういうことなのか。どうすれば戦うことになるのか。自分の考えを述べずに菅首相に丸投げである。

 こんな指摘仕方ではどうしようもないではないか。朝日新聞の編集委員としてし資質を疑いたくなる。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月 1日 (日)

政党助成金をすぐに廃止して復興資金に充当せよ

 東北地方大震災以後、新聞の投書欄で政党助成金を廃止して災害救助資金に回せという声を見るようになった。私も、諸手を挙げて賛成である。

 政党助成金は国民の税金から支給される。その額は2010年度には、民主党が172億9700万円、自民党が103億7500万円、公明党が23億8900万円・・・・・で、総額は約320億円にもなる。

 自民党が少ないのは総選挙で大敗したからで、例えば助成金が始まった1995年から2005年までの10年間は次のようになっている。

 自民党1470億2100万円、民主党619億5000万円、公明党211億1800万円、社民党266億5400万円・・・・・などである。

 仮に毎年320億円として、15年間で総額4800億円にもなる。政党助成金を最初から一貫して受け取っていないのは共産党だけである。見上げたものである。

 民主党政権が誕生していわゆる「仕分け」が行われたが、政党助成金は対象にもなっていない。

 政党交付金はさまざまな問題点が指摘されているが、どの政党も議員も金がほしくてたまらないからお手盛りで政党助成金法を作って税金から合法的に掠め取っている。

 所属議員5名以上でないと助成金がもらえないから、立ち上がれ日本のような極小党や無所属議員はどこかと会派を組まなければ恩恵にあずかれない。

 小沢氏が自由党を解党したときに助成金を自分の団体の口座に移したということがあり問題になったがうやむやである。

 憲法学者の多くは、共産党が指摘するように憲法違反であるとしているそうだ。

 さまざまな問題点を持ち税金で賄われる政党助成金は、幾ら金があっても足りない今、即座に国庫に返して廃止し、復興の資金に充てるべきである。

 

 

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »