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2011年5月 9日 (月)

憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑤―

 下前津あたりがまだ燃えていないので、そこを通り抜けて鶴舞公園を目指しました。と友、家々の前にあった防火用水を何度も頭から掛けられました。ものすごく臭かった印象です。機銃掃射を受け、何度も汚い溝の中に突き落とされたような記憶もあります。

 後に読んだ本で、空襲した地域の1ヶ所だけをわざと空けて、そこを通り抜けようとした人に機銃掃射を浴びせるという記事があったことも覚えています。

 やっと、鶴舞公園に来たもののl、長兄はここへ入ることを許しませんでした。”ここは高射砲陣地がる。爆撃されるかもしれない。”ということです。

 北の方へ逃げ、東新町まで来ました。この辺りは少し前に空襲を受けたのでしょう。焼け残ったビルがいくつかあったのですが、ここなら安全と思ったのか、その中の一つに入りました。

 すでに、何人かの人がいました。ひとりのおばさんが、”持ち出すことが出来たのはたったこれだけだった。”と言ってコンロと食パンを見せてくれました。

 ”坊やたちも食べるかい”と言って、ちぎって焼いたパンをくれました。とてもおいしかったことを覚えています。

 やがて空が明るくなったので、家へ戻ることにしました。私の家はもちろん、辺りの家も全て焼け落ちています。

 防空壕を見てびっくりしました。「ぺしゃんこ」に潰れていました。逃げずにそこにいたら、私の命は7歳で終わっていたでしょう。

 近所に父の兄夫婦がいました。ここも命令で建物が壊されていたのですが、奥の「蔵」だけが残され、伯父夫婦はそこに住んでいました。

 父と母はそこにいました。消火の際の煙と炎のせいか、一時的ですが、母は眼を開けることができませんでした。塞がった目から涙が出ていました。”何もかも無くなってしまった”と泣いていた光景がまだ目に浮かびます。

 島根県の母の実家におくろうと準備をしていた荷物は全て燃えてしまいました。残ったものは避難した際、兄たちが引いていた乳母車の下着などと、空襲の数日前に母が庭の一隅に埋めた食器だけでした。

 父の会社の上司の家が昭和区の高辻と滝子の中間にありました。当面そこの家の一部屋を借りて住むことになりました。

 ところが、この辺りは「日本碍子」などの工場がたくさんありました。当時は軍需工場にされていました。1週間後の3月19日の深夜、この地域が空襲を受けました。

 上司の家は建物の下に防空壕が掘られていました。でも、父はここへ避難しることを許しませんでした。もし、家が燃えたら、中に入った人間は「蒸し焼き」になてしまうからです。

 といって、入るところがありません。少し離れたところにある小さな空き地、小公園ともいえるところでしょうか、そこへ避難しました。

 空が丸見えです。近所の人が運び込んだ家具の間から空を見上げているのです。急降下してくるB29の機体が炎を反射して真っ赤になっていること、焼夷弾が花火のように降り注ぐ光景を覚えています。

 少し離れたところにたくさん落ちたのですが、直撃を受けたら即死です。死んじゃうのかなあと思ったりしました。

 幸いにも助かり、家へ戻ったら、上司の家はほとんど焼けていました。もし、防空壕に入っていたらと思うとゾッとします。

 この空襲の夢は60年以上たった今でも夢に見ます。しかも、カラーです。目が覚めると体中が汗びっしょりになっています。

 わたしの平和への願いのささやかな原点がここにあります。《戦争は2度とごめんだ。何としても「9条」を守りたい》と願うものです。若い人たちがこんな体験をされないよう、心から願っています。

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コメント

 憲法施行64年、この間曲がりなりにも日本が武力を行使しなかったことで国際社会で果たした意義は大きいと思います。しかも、戦争放棄をうたった国の中では国力が大きい国ですから。

投稿: らら | 2011年5月 9日 (月) 14時26分

旧友の方のように筆舌に尽くしがたい悲惨な戦争体験をされた方達の理屈抜きに憲法9条を守りたいと思いはとても共感できます。
誰もが戦争は嫌ですし、平和を望みます。
でも、そのために隣国の無理難題を唯々諾々と従うのもこれまた受け入れがたいことです。
国際社会は弱肉強食、跳梁跋扈、百鬼夜行とみるのは
精神衛生上もよくはありませんが、こうした一面があるのも事実です。
平和を維持し国家の尊厳を守るためにも抑止力として
相応の武力が必要という考え方もそれなりの説得力が
あり、現在はそのような方向です。
しかしながらこの考え方は常にエスカレートする危険があります。いずれにせよ悩ましい問題ですが、極端に走らないよう見守る必要があります。

投稿: Toshi | 2011年5月 9日 (月) 10時51分

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