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2010年12月 9日 (木)

12月8日に思うこと

 12月8日、この日はかつて日本が太平洋戦争を開始した日である。新聞もテレビも何も触れなかったが、私は思い出した。

 当時、小学校入学前の私には開戦のことは記憶に残っていない。ただ、その後戦争が厳しくなり、それとともに生活もさらに厳しくなって行ったのであった。

 小学校には17年に入学したのだが、入学時の面接のことは今でも覚えている。家の近所に道家先生という先生がいて、お母さんたちは、小学校に入ると1年生の担任が道家先生になることを望んでいた。

 私の担任は、日下先生と言って中年の口に髭を蓄えた先生であった。この先生もいい先生だった。本を読んだり、戦争の話などをよくしてくれた。

 あるとき父兄参観日があった。私たちは戦争ごっこを見せることになった。開戦してまだ半年ぐらいのときであった。おそらく日本軍はまだ中国や南に向けて快進撃をしているときであったのだろう。だから1年生にも戦争の意識を植え付けるためにそういう企画をしたのかも知れなかった。

 私は、なぜか一方の隊長に指名された。家から持っていった玩具の鉄兜をかぶり軍刀を持って机の間を走り回ったことを覚えている。教室の後ろには父兄がいて見ていた。

 その頃家では朝日新聞を取っていたが、新聞に報じられる日本軍のはなばなしい戦果であった。私は、そういう戦争の記事を読むことに興味を持ったのだが、結果的には、新聞を読む力を身につけたのかもしれない。とにかく、毎日新聞を読むのが楽しみであった。

 天長節とか明治節とかには熊野三山の1つの速玉神社に、隊列を組んで参拝に行った。そのときも旗手を務めたことがあった。

 思い出すのは、行進の練習である。足の出し方とか直角に膝まであげることとか、曲がるときには「組踏み右へ進め!」とか、「頭右!」とか散々練習をさせられたことだ。

 「鬼畜米英」とか「欲しがりません。勝つまでは。」とか「壁に耳あり、障子に眼あり。」などという標語が溢れていた。「トントントンからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、回して頂戴回覧板、助けられたり、助けたり」という歌が歌われた。

 B29爆撃機が夜も昼も上空を飛んでいくまでにはまだ2年前であった。

 8月15日は敗戦記念日として大事だが、12月8日もあの嫌な戦争に突入した日として記憶に残して欲しいと思う。 

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