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2010年12月 3日 (金)

坊さんが隠すお寺の話を読んで③―庶民の葬式の始まり―

 奈良時代の仏教は葬式とは関係がなかったものが多いが、仏教伝来からかなり早い時期に仏教が天皇や貴族の葬儀にかかわったようだ。

「日本の場合、古代の葬儀は殆ど野や山に捨てる”野捨て葬”でした。天皇でさえ、長くて3年も殯宮(モガリノミヤ)という仮殿に安置(野捨て)していました。そこで僧侶に読経をさせるようになったのは、孝徳天皇(654年)の時代からだったようです。」(P.119)

 孝徳天皇の后の間人皇后の初七日には330人の僧尼を供養のために出家させたどうで、今に続く初七日のことのようだという。しかし、記録に残っているのはいすれも天皇や貴族のことばかりで、庶民は全くかかわりがなかったようだ。(P.120)そういう状態が12世紀まで続いたという。

 南都仏教が葬式を行わないのは、国家の庇護の下に荘園を寄進され安穏な生活を送ることができたからである。その荘園で労働に従事したのが農奴である庶民であった。

 そうした農民たちに仏教を広める活動をする僧が現れた。有名なのは、奈良時代の行基で法相宗を説いた。平安時代には空也が出て阿弥陀仏信仰を広めた。「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば、死後極楽浄土へ行くことができるという教えは誰にでも理解できるすばらしいものであったといえる。

 「このような僧は『聖』とよばれました。彼らは生活の糧を得るため、京都の鳥辺山などの墓地の近くに住んで、遺体がやって来ると、故人の供養をしましょうと念仏を唱えたり、火葬の手伝いをして、礼金をもらっていました。つまり、民間総裁業者の役目をしながら、、一方で仏教を広めていたのです。」(P.123)

 この辺りに一般庶民と葬式との接点があるようだ。平安時代には源空が浄土宗という新しい宗教を立ち上げた。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われる根拠を「観無量寿経疏」の中に見つけたのだという。鎌倉時代になると、浄土真宗や時宗や禅宗や日蓮宗という新しい宗教が誕生した。

 こうした教団は資金源として「葬式」に目をつけたのだという。次に引用する。

 「葬儀のお礼が有力な財源となったのです。葬儀の手引書になったのは、禅宗の『禅苑清規』で、これは身内である修行僧の葬儀儀式の手順を決めたものでしたが、葬儀の形式を整えて行く上では絶好の指導書でした。各宗とも初めはこれを手本とし、その後次第に独自の様式を考え出し、江戸時代にはそれぞれ見事な儀式として完成させました。亡くなった人を『ホトケ』と呼ぶのは、『禅苑清規』から出た言葉です。」

 鎌倉時代に新興仏教が葬式を始めたのが今に続いていることがわかる。それが江戸時代になると、徳川幕府の政策として葬式は仏教でなくてはならないとされたのである。それが仏教の堕落につながっていったのだ。

ーつづくー

 

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コメント

何を信仰するかは、人の固有の権利で自由です。おっしゃるように、信ずるものは、その人の心の中に深くあるのだと思います。

家の中のかたずけ物をしていましたら、以前お寺から連れて行っていただいた時に曽我量深先生のことばを書いた物が出てきました。ヽ(´▽`)/仏様とはどんな人であるか、我は南無阿弥陀仏であると名のっておいでにになります、と書いてあります。平安時代の源空というお坊さんの南無阿弥陀仏を唱えさえすれば・・・のところで信ずる人の心の中に奥深くに静かにあるものと思います。

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