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2010年12月 4日 (土)

坊さんが隠すお寺の話を読んで④―お寺堕落の根源―

 徳川家康は豊臣秀吉の末期の1601年に、高野山(真言宗)、天台宗、曹洞宗、臨済宗の主な寺46ヶ寺に寺ごとの法度を出し、本山・末寺の関係の確立や中世以来の特権の廃止などを命じた。(P20)

 4代家綱の1665年には、各宗に共通した「諸宗寺院法度」という9ヶ条の掟を出し仏教寺院の支配を確かなものとした。「その内容は、全宗派に共通して、僧の服装、修行の期限、儀式、日常の心得、住職任命などの制定。大本山、中本山、直末寺、末寺などの格付け。大本山の最高責任者にその管理権限を与え、最高責任者の任命には幕府の承認が必要であることを定めた。」(P.21)

 ところが島原の乱が起きたので、さらに幕府の統制を強めるために「寺請制度」を作ったのだという。それにより、身分、職業に関係なく、住居の近くの寺に住民登録をさせた。住民は毎年1回、家族一覧を寺に提出し、寺はこの届出によって「宗旨人別帳」を作成して村役人に提出した。(P.22)

 この制度がうまく機能したのは、寺に「寺請証文」という住民票を発行させた。住民は結婚、出稼ぎ、旅行などで移動をする時には、この証文をもらって持ち歩かなければならなかったのだ。(P.22)

 この法度の中で、寺を檀那寺、住民を檀家とよんだので「寺檀制度」というのだそうだ。つまり、今も使われている檀家と檀那寺という言い方は、徳川幕府によって、人民を支配する制度として作られたことがわかる。

 幕府が寺請制度をつくり、住民は必ずどこかの寺に登録をしなければならなかったことは、寺院にとってとても好都合なことであった。寺は幕府の後ろ盾の下に檀家に対して絶対的な権力を持つことができたのである。

 1613年の日付で、1641年に発行された「御条目宗門檀那請合之掟」という文書があり、徳川家康が寺に与えたという15項目の特典が書かれている。ところがこの文書は誰が、いつ、どこで作ったのかわからない怪文書なのだが、幕府黙認のものであったという。

 ・寺の諸費用は全て檀家の負担とする。

 ・寺が主催する行事には必ず出席する。

 ・先祖の年忌は寺と自宅で2回行う。

 ・檀那寺を勝手に離れてはいけない。  など。

 寺はこの制度を悪用して貧しい檀家を苦しめたそうで、その事実が残っているという。(P.27)寺院や坊主は、お経の教えに背いて欲に溺れて阿漕なことを堂々とやってきたのだ。そのことをよく考えるべきである。

 著者は、殆どの僧職は、三毒つまり「貪」「瞋」「癡」(トン、ジン、チ→欲張り、怒りやねたみ、仏教の真理への無知)に犯されていると指摘している。(P86)

ーつづく―

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