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2010年11月

2010年11月30日 (火)

「坊さんが隠すお寺の話」を読んで―①―

 本屋で「坊さんが隠すお寺の話」(村井幸三著、新潮新書)を見つけてパラパラと見たら興味をそそったので買った。

 著者は、仏教に関心がある人で自身が転宗をして真言宗になったと言っている。だから現存仏教の中に身を置いているのだが、葬式仏教の由来や現状についてかなりはっきりと意見を述べている。

 現在全国には7万5866寺(平成19年)の寺があって、そのうち1万5千余りが無住の寺だという。空き寺の原因の一つは、農村人口が減って大都市圏に人びとが移ったことだという。それにともない「家」がなくなり、菩提寺を必要としなくなったことがある。

 空き寺があっても、実際に減った寺の数は平成18年度でたった39しかないそうだ。それは宗教法人格が金銭で売買されているからである。宗教法人は税制上の特典などさまざまな特典があるので買い手はいくらでもあるのだという。

 寺院は、本山などの修行寺、祈願寺、菩提寺、観光寺に分類されるという。しかし、それはその寺が何か1つに特定される訳ではない。祈願はどこの寺院でもやっているからだ。

 永平寺のような寺は修行寺で、一畑薬師寺のような寺は祈願寺だし、清水寺などは観光寺だ。そして多くは菩提寺といって檀家を持つ寺である。

 昔聞いたところでは、「あそこの寺は檀家が300軒あるからよいが、うちはそんなにないので苦しい。」と言っていた坊さんがいた。その人は学校の教師をして稼いでいた。この本によると、檀家は400軒いるという。それだけ厳しくなったのだろうか。

  一方、お寺に頼らずに自分で行う自由葬や直葬が増えていて,そうしようと考えている人は1000万人を超えて来たそうだ。前にも書いたように私も自由葬でよいと考えている。

 そうした人が増えてきた原因を作ってきたのは他ならぬ仏教界である。そして近年それに手を貸してきた葬儀屋の存在があると指摘する。

 法外な戒名料、法事や葬儀の読経料、お寺と結託して、使い回しの祭壇で華美な葬儀を勧めて金儲けをしている葬儀屋が元凶なのだという。私の経験からも、これには全くその通りだと納得する。

 ーつづくー

 

 

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2010年11月29日 (月)

名古屋開府400年第九コンサート

 今年は、名古屋開府400年ということで、それを記念して400名による第九合唱団が結成され、そのコンサートが28日に金山のオーロラホールであった。

 演奏は、名古屋フィルハーモニー交響楽団で、指揮は大勝秀也、ソプラノは加川文子、アルトは夏目久子、テナーは錦織健、バリトンが鳴海卓であった。

 今回で第九を歌うのは3回目であった。最初は中川区制70周年を記念しての第九で300名余りで歌った。そのときは練習が34回もあり初めてだったので大変助かった。指揮者は、松尾葉子で、演奏は愛知フィルハーモニー交響楽団であった。

 次の年は抽選に外れたので歌えなかった。2回目の昨年は籤に当たったので第九の合唱をすることができた。指揮者は、北原幸男で名古屋フィルハーモニー交響楽団であった。

 今年は名古屋開府400年の記念コンサートだというので、思い切って応募したら当選した。参加費は昨年より2000円高くて12000円であったが、応募者は600名を越したと聞く。

 全部で25回の練習を重ねて本番を迎えたのであったが、私は今回はとても心配なことがあった。それは、11月の始めに珍しく風邪を引き、咳が長く続いたことであった。もちろん大事をとって医者に行き咳止めや痰の薬などを貰った。それが効いたのか、2週間ほどで咳と痰は収まったが、喉が気になって仕方がなかった。ときどき喉がかゆくなって咳が出ることがあったし、くしゃみをすることもあった。喉が何となくひっかかり気になって仕方がなかった。

 外出をしたときには、手洗いとうがいをしたが、それでも気になって本番がどうなるか心配であった。それに風邪を引いてからは、高い声がでなくなっていた。数日前の昭和男爵コーラスの練習では、「雪の降る街」の最後の部分が歌えなかった。また、第九では、高いファやミの音が出せなかった。

 前日のリハーサルでは、高い音は口パクで歌ったが、心配した咳やくしゃみはでなかった。当日のゲネプロも何とかクリアした。

 それでも本番のときは、心配でならなかった。団員の中には、マスクをしている人も何人かいたし、咳をしている人も見られた。本番前の16時15分から発声練習があった。その後舞台裏に入り、第二楽章をスピーカーから聴いて待機した。舞台裏ではまだ咳をしても大丈夫なので安心感があった。

 いよいよ舞台に上がったが、第3楽章の静かなメロディーを指揮者を見ながら緊張して聴いた。体を動かすことはできないし、もし、喉がかゆくなったらと思うと心配でならなかった。早く第4楽章になってほしいと願った。

 第4楽章になり、ティンパニーの音とコントラバスやチェロの低い響きで曲想がガラッと変わった。もう後は思い切って歌うしかないと思った。オーケストラが低く主題を奏でてからバリトンのソロが始まった。

 最初の「フロイデ」の部分が私は出遅れてしまった。次はよかったが、3番目の「ヤー」も思い切り声を出せなかった。けれども指揮者に言われたように、表情をやわらかく、大きく動かして懸命に歌った。一番高いところがある部分はやはり声が出なかった。

 今回の指揮者は、曲のメリハリが大きく、大きな音、小さな音をはっきりと区別したり、「フォアゴット」を思い切り伸ばしたりした。

 フーガの部分も何とか歌って、終盤に向かった。最後の「ザイトムシュルンゲン」からは、とても速く歌わなければならなかった。速いといわれた松尾さんよりもさらに速かった。必死に口を動かして歌った。

 指揮者の大勝さんは、合唱の指揮をするときに、一緒に口を動かして歌ってくれたので分かりやすかった。

 最後まで歌ってオーケストラが終わりの部分を激しく演奏して終わったとき、ホッとした。大きな拍手を聞いて無事に終わったと思った。

 会場を眺めたが、たくさん来てくれているはずの知人たちの顔はわからなかった。でも、退場するときに、それらしい人たちが手を振っているのがわかった。

 解団式に行くとき、河村市長がいて一人ひとりに握手をしてくれた。大きな手であった。解団式の挨拶では、リコールがうまく行かなかったことに触れていた。市長が解団式に出るのは始めてであるといわれた。

 指揮者の批評は本番はよく歌えたということであった。大勝さんは、ベートーベンの第九の繊細な部分や優しさを表現したかったと話した。錦織さんの批評は、リハーサルやゲネプロまではどうなることかと思ったが本番は見事であったと言って笑わせた。藤井団長もこれまでで一番よかったと言っていた。

 今回は事前に風邪を引いたのが影響して心配しどうしの第九であったが、何事もなく終えることが出来てホッとした。

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2010年11月28日 (日)

初めて夏を越したシクラメンが開花

 シクラメンが好きで、もう30年ぐらい前からシクラメンの季節になると鉢を買って観賞している。最初は担任の保護者が教室に寄付をしてくれていたのがきっかけである。

 シクラメンは、10月の終わり頃から翌年の4月の終わり頃までと花期が大変に長いので飾るには都合がよい。とくに教室にはもってこいだ。もらうといつも日の差す窓辺において、水遣りをし、1週間に1回液肥をやっていた。

 自宅でも鉢を買ってきて同じように手をかける。それだけのことで、翌年の4月の終わりまでは花が咲く。調べたところでは、4月の終わりまで花が咲けば上手なのだそうで、いつもそれを目標にしている。

 教室のときは、クラスに係りを作って水遣りを任せるのであったが、たまに水遣りが忘れられてしおれることがあった。そんなときは大急ぎで水をやって回復をさせるのだ。

 退職後は、専ら自宅で世話をしているが、なるべく安いシクラメンを買うことにしている。不思議なもので400円もしない安いシクラメンでもそのうちに3000円ぐらいの立派なものになることが分かったからだ。それが楽しみになった。

 シクラメンを立派に育てることはできたが、これまでのところ、夏を越したことは1どもなかった。夏を越させて次のシーズンにも咲かせるにはどうしたらよいのか、人にも聞いたりして試みたのだが、毎年失敗していた。

 ところが、今年は違った。昨年の2鉢とも夏を乗り切ったのだ。一鉢は葉っぱがものすごく大きくなり、最近つぼみが出来て、ついに花を咲かせた。もう一鉢は茎が弱弱しく葉が小さく、まだ蕾をつけていないが、夏だけは越した。

 今年は夏の間も家に中におきっぱなしにしたのがよかったのかもしれない。鉢は昨年のままで植え替えもしていない。根腐れが心配だがそのままにしてある。

 2年続きのシクラメンはどのくらい花をつけてくれるだろうか。楽しみではある。

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2010年11月27日 (土)

崩れていい「壇」の権威―本当だった猟官運動―

 11月24日の朝日新聞第3面に「崩れ行く『壇』の権威」という記事が載った。芸術院の権威をなくなったというものだ。

 その原因が、芸術院会員になるための事前運動や推薦されたときの挨拶回りと手土産の心配だというのだ。

 5日に行われた会員補充の選考に当たって、部長から30年前に作られたとい言う「会員の選考に際し、その運動と思われる来訪者ならびにこれに伴う贈り物等は一切これを拒否する」「こうした行為をした場合は、賛成の投票を与えない」という文書が読まれたそうだ。

 ある会員は、「人によっては今年も、盆、暮、正月だけでなく、月に1、2度挨拶にやってきた。投票まであと1ヶ月を切った10月には、週に1度や10日に1度のペースに増えた。デッドヒートの年はさらに激しい。」

 玄関で差し出されるのは、名刺と老舗の銘菓、郷土の名産品。その人の作品を差し出されることもあるという。別の会員は土下座をされて体毛に困ったという。

 推察するに、現会員も同じように事前運動をしてなったに違いない。挨拶回りは人間修行だといわれているという。

 このことで思い出すのは、45年ほど前かと思うが、名古屋在住の舞妓の絵をかくので有名な画家が芸術院会員になったことがあったが、そのときに、事前運動を物凄くやって、当時1000万円以上使ったといわれた。

 芸術院制度ができたのは1919年だそうだが、おそらくそのすぐ後ぐらいからそういう悪習が出来上がったに相違ない。それがだんだんとひどくなって行ったので、30年ほど前に先ほどの文書が作られたのだ。

 それにも拘らず一向になくならないというのは、芸術院会員という身分がいかにおいしい物であるかということだ。会員は非常勤の国家公務員で年俸250万円だという。我々庶民の年金額もしくはそれ以上の金額である。それが死ぬまで保障されているのだ。

 しかし、250万円などは芸術院会員になるほどの人には端金だ。欲しいのは名誉と作品が売れる価格にプレミアムがつくことだ。

 それにしても、その分野で一流といわれる人が、猟官運動に熱を挙げるとは、何とも情けないことである。その卑しい心根で本当に立派な芸術が出来るのかと言いたい。

 最近は、推薦されても拒否する人が出てきたというが、大変よい傾向である。そういう人こそ本物である。

 日展は芸術院とかかわりが深いが、日展の世界も私が聞くところでは、付け届けや日頃の運動が大事だと言われている。有力審査員の一言で決まるとも聞く。

 芸術は自由で、どんな世俗の権威とも無縁であるべきだ。ゴッホのように生前に報われなくても本物はいつか認められるのだ。

 

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2010年11月26日 (金)

瑞穂小トワイライトスクールでボランティア

 名古屋華マジカルグループが瑞穂小トワイライトスクールからマジックを見せて欲しいと頼まれていたので、24日にHさんと一緒に出かけた。

 この学校には、かれこれ35年前頃に10年間勤務したことがある。それ以来なので懐かしかった。学校は当時と殆ど変わっていなかった。だから古びて見えた。

 トワイライトのある校舎は勤務していたときに、木造校舎を取り除いて建て替えたものであった。それがもう古い校舎になっていたので過ぎた年月の速さを感じた。

 当時は確か4年生の教室だったところが、トワイライトの教室になり、隣にプレールームが設けられていた。その部屋でマジックを見せるのだそうだ。プレールームには机も椅子もなく、子どもたちは床に座って見るのだ。

 2時半頃に部屋に入り準備をした。5.6人の子供が入ってきて、側転などを上手にやって遊んでいた。元気のよい子どもたちであった。

 3時ごろになると先生に引率されて子供たちが入ってきた。3年生以上は3時半まで授業があるので、1年と2年だけだと言った。それぞれ20名ほどであった。可愛い顔をした子たちで子どもの顔も美形になったのだと感じた。今中国の広州で開かれているアジア大会の日本代表の選手を見ても美形が多い。

 子どもたちは前の方に来て見たがっていたが、先生が何とかそれを制した。子どもたちに、あなたたちのおじいさん、おばあさんが小学生のころ教えたのだと話した。

 始めにHさんが演じた。ステージでやった漫画のキャラクターを使ったショッキングカードから始めた。こういうのは子供は好きだ。アンパンマンが見えたなどと賑やかであった。

 風呂敷からシルクを出したり、ロープで結び目を消したりした。ケント紙からシルクを出すマジックでは、セットのタネが見えたので「アッ、赤い物が見えた」などと叫んでいた。三角錐からシルクを出しとき、先生が「まだ出てくる」と驚いていた。そのシルクを袋に入れて虹のシルクにかえたらびっくりしていた。

 最後は、紙幣の印刷器で、「印刷したお金を欲しいでしょう」と言ったものだから、「ちょうだい、ちょうだい」と大騒ぎとなった。玩具の小さなお札を出した後、本物の千円札を出した。

 私は、クリスマスが近いことを話して、クリスマスカラーのロープマジックから入った。その後、三本ロープを1本にし、今度は紙に印刷したロープの絵で変化をさせた。

 カードマジックの「アレッツ!」を見せたら、意外性に驚いていた。サンタクロースのカードを物語にして見せたり、ライオンとウサギのカードの変化にも驚いていた。

 授業を終えた3年生の女の子たちが入ってきた。一人の子に前に出てもらい、腕にリングを通して首にかけたロープを通して、そのロープを1年生2人に引っ張らせた。ロープが見事に外れたのでびっくりしていた。

 蘇武牧羊では、子どもたちを2人ずつ前に出してやったので、やりたいと大騒ぎであった。

 いつのまにか母親が迎えに来る4時を過ぎていたので、マジックを終わった。すると、女の子たちがノートと鉛筆を持ってやってきてサインをしてくれと言ったので驚いた。「いったいサインをもらってどうするの?」と聞いたが何も言わなかった。この年になるまでサインを求められたことはなく、初めての経験であった。

 子どもたちは元気がよく、反応もよかったので楽しくやれた。

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2010年11月25日 (木)

柳田法務大臣の辞任を巡って

 馬鹿げたことを喋って国会軽視と言われて、それでも頑張ると言っていた柳田法務大臣が結局辞めさせられた。

 「法務大臣は楽です。たった二つのことを覚えておけばいいのですから。」と言った背景には、官僚依存が指摘されているが、その通りだと思う。

 彼は、法律には全く無知で、自分自身が法務大臣にすると電話が入ったとき、「何でこのオレが・・・?」と唖然としたと言われるから、もともと適性ではなかったのだ。それなのに法務大臣は法律の知識がなくても務まると擁護した菅首相の見識が疑われる。

 前任の千葉氏は弁護士経験の豊かな人だったからそれなりに適任であったと思うのだが、議員の資格を失ったので今回は大臣にはなれなかった。自民党時代には、看護婦出身の法務大臣がいたから、法務大臣というのは誰でもやれる者なのかも知れない。

 だいたい大臣などというものは、誰でもやれるのではないか?これまでもどうしてこんな人が?というような人が大臣になった例は幾らでもある。自民党時代には、国会議員になると当選回数で大臣にしていたのだから、誰でもいいのだ。

 そういう訳だから官僚に操られるのは無理もない。民主党政権になって、政治主導を打ち出したが、いつも間にか自民党と同じやり方に戻ってしまった。しかも、自民党と違って政権の経験がないから、官僚の扱い方にも馴れていない。だから官僚になめられていいようにされているのだ。

 そのよい例が、事業仕分けである。昨年仕分けをして、廃止もしくは縮小を決めたはずの事業が昨年以上にのさばっていることだ。

 菅内閣も今や四面楚歌で、民主党もがたがたして、自民党など野党からは格好の餌食になっている。

 その野党第一党の自民党だが、野党に回ったら、かつての民主党と同じことをやっている。言葉尻を捉えたり、反対のための反対をしたりして、実のある国会審議をしていない。自分たちが政権をとっていたときの国会運営を反省して、野党になったら野党としてはどうしたらよいのかを考えて国会の改善をすべきである。

 立場が逆転しただけで、民主党も自民党も公明党などもみな旧態然とした審議態度から抜け出していない。相変わらずの足の引っ張り合いばかりしている。

 そこには国民が不在である。国会は国民のためにどうすべきか、今は何が大事なのかを見定めて議論を進めてもらいたい。

 民主党には不満だが、だからこそ野党は建設的な対案を出すなりしてとに角国民第一の国会運営をしてほしい。

 衆議院を解散すれば、野党側が勝つのは目に見えているが、あせらないで。

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2010年11月24日 (水)

北朝鮮の韓国攻撃に驚く

 一昨日の夕方メーテレのニュースをつけたら管総理が何か喋っているところであった。北朝鮮が日本に攻撃して来たのかと思ったら、韓国に対してであった。

 北朝鮮に近い大延坪島を砲撃したということで、遠くから写した映像だけではっきりしなかった。砲弾を200発撃ち込んだとか、島民がフェリーで避難したとかあやふやであった。

 その後事態は次第に明らかになった。24日の新聞によると、撃ち込まれた砲弾は70発ぐらいで、19人が怪我をし、兵士が2人亡くなったということであった。

 一般人が攻撃されたのは朝鮮戦争の休戦以来初めてのことだという。突然砲弾を浴びせられた島民はどんなに怖かったことであろう。島内数箇所で火災がおき、民家が70軒ほども破壊されたという。

 もともと領海問題があり、領海線がアメリカが決めたものと北朝鮮が設定したものとがかけ離れていて、よく紛争が起きる地域ではあったようだ。今年になってからも韓国の軍艦が北朝鮮の潜水艦に魚雷攻撃を受け破壊され多くの犠牲者を出したことがあった。

 コメンテーターの一致した見解は、北朝鮮の狙いは、アメリカとの直接交渉を求めたものだということである。

 日本政府は、アメリカや韓国に同調して北朝鮮を厳しく非難している。それに対して中国政府はあいまいな態度をとっている。北朝鮮は中国が後ろについているので安心して勝手な行動をとっているのだ。

 韓国は国連の安全保障理事会に問題を持ち出すと言っているが、それは当然のことだ。しかし、常任理事国の中国やロシアは北朝鮮を擁護すると思われるので国連での制裁は難しいと思われる。

 かつてブッシュ大統領は、北朝鮮を「悪の枢軸」と言ったが、その通りだと思う。国の内外でやりたいようにやっている。それを中国が後ろ盾になっているのだからいい加減なものだ。国際正義などどこにもない。

 北朝鮮が砲弾を撃ち込んだことで、ヨーロッパやアメリカや日本の株式市場はもろに影響を受けて大きく下げた。地政学的リスクをいうやつで、世界経済にも砲弾を撃ち込まれたのと同じである。

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2010年11月23日 (火)

鈴木サキソフォンスクール生徒のジャズ発表会

 英語会話で一緒のTさんが、今年の春頃からジャズボーカルを習い始めた。英語のトピックスでそのことを話し、11月には発表会をやると言っていた。メンバーの多くは興味を示してそのときには聴きに行くと言っていた。

 その発表会が21日にあった。午後から覚王山のジャズライブバーのスター・アイズで開かれた。英語会話の連中は昼食を一緒に食べると言っていたが、私は午前中は他用があったので一人で出かけた。

 事前にインターネットで場所をチェックしたら、地下鉄の④出口を出て栄方向に歩き「覚王山西」交差点を左折するとすぐだと書いてあった。分かりやすいと思って出かけた。調べた通りに行ったのだが、坂を下りていってもそれらしい建物がなかった。聞く人もなく、仕方ないのでチケットにある電話番号に掛けたら今日は臨時で休みだといった。それでYさんに電話したが出ないので諦めて歩いて探した。

 若い人たちが集まっている店があったので、行ったらそこが会場であった。1時の開場なのにまだ並んであるのかと思いながら、念のために入り口に行ったら、受付をしていた。

 受付の人に、電話を掛けても駄目だったことと、HPの地図の案内が間違っていることを話した。

 中に入ると仲間たちは既に来ていた。入り口近くの一番遠い席であった。60名ぐらいは入れそうな半地下の店の中には客がたくさん来ていた。グランドピアノがあり、その辺りで演奏するらしかった。

 私は、道に迷ったのでいささか腹を立てていた。Tさんが来てもつっけんどんに喋った。Tさんは、この日のために買った黒い素敵な衣装を着ていた。「眼につけ睫を入れたのよ。」と言っていたが、外人ぽい顔を一層引き立てていた。

 Yさんが飲み物券でビールを取ってきてくれた。飲み物は1500円の入場券についているのだが、プラスチックの使い捨てコップで1杯であった。何とも味気なく高いと思った。その後も水一杯も出なかった。

 13時半に発表会が始まった。司会をしたのは、後で分かったのだが、鈴木サキソフォンスクールの経営者で、サックスとフルートの演奏も担当した。今日の発表会は彼が指導するサックスとクラリネットの生徒と奥さんが指導するジャズボーカルの生徒の発表会であった。

 プログラムは、一部が9つで器楽が3グループ、休憩のあと、2部が同じく9つで器楽が4グループであった。ジャズの器楽はサックスが多く、一グループは3名か4名で演奏した。上手なグループは、アドリブ演奏も交えていた。

 ボーカルは全員が女性であった。ジャズのスタンダードナンバーを歌った。バンドはピアノ、ベース、ドラムスのトリオで、リハーサルはたった1回音あわせをしただけだとか。

 全員が英語で歌った。ジャズは英語も発音も大事だ。旦那が西洋人の女性が歌も含めて一番よかった思った。Tさんは、初めてなので大事に歌っていた。

 Tさんは、多分最年長で後は若い人が多かったので驚いた。若い人たちが金を払ってジャズを習っているので感心した。

 上手な人からビギナーまでピンキリであったが、2時間余りの熱演であった。最後に、先生夫婦とトリオで4曲演奏をした。先生だけに、格上であった。

 全部で終わったのは4時20分ぐらいであったがさすがに聴き疲れた。

 生徒の発表会なのに、1500円のチケットは如何にも高いし、飲み物が粗末であったのが残念である。

 

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2010年11月22日 (月)

成人健康診査を受けて

 この間、成人健康診査を受けた。昨年は一般の健康診断をしたので成人健康診査はやらなかったが、今年は折角だからやることにした。

 かかり付けの医院に予約をしてから、問診票に記入をして出かけた。尿を採り、体重と身長と腹囲を計ったが、体重は服を着たままで計ったので5kgもオーバーしていた。身長は、少し減っていた。姿勢が悪くなって背がちじんだのであろう。腹囲は86cmだった。

 看護婦が血圧を計ったときは、普段よりかなり高かった。診察室で医者が計ったときは、正常範囲に戻っていた。

 医師の診察では異常はないということで、あと血液を採取して終わった。

 数日してから、結果を聞きに行った。血液検査の値はすべて正常であったのでホッとした。血圧は1回目と2回目が入れ替わって記入されていた。また、腹囲が86cmということで、要注意ということであった。

 私は、毎日体重を計り、血圧も計っていて、問題はない。体重は63kgを危険ラインに設定して62kg前後をキープするようにしている。血圧は125~72ぐらいに収まっている。

 医者はいつも気をつけてみえるからいいでしょうと言った。ついでにやってもらったPSA検査も正常であった。

 今年もデータで見る限りは健康であったので嬉しい。これも日頃ウオーキングをしたり、食べすぎないようにしたり、サプルメントを飲んだり、早寝早起きを心がけているからだと思う。

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2010年11月21日 (日)

定期券を拾って思ったこと

 先日、朝のウオーキングの帰りに、家の近くまできたら白い紙が落ちていた。何かと思って拾ったら、定期券であった。期限が切れたので捨ててのかと思い調べたら、買ったばかりでまだ5ヶ月以上も残っていた。

 名鉄線の甚目寺駅から地下鉄の御器所駅までとなっていた。学生定期であることも分かった。きっと御器所まで通っているのだろうが、駅からかなり遠いところに落ちていたのが不思議であった。友だちのところに遊びに来て落としたのかもしれないと思った。

 警察に届けたほうがよいのか、御器所駅に届けた方がよいのか迷ったが、御器所駅に届けることにした。

 朝7時頃の駅には、若い駅員が一人だけであった。その駅員に話をして

警察へ行くほうがよいのか尋ねたら、警察に届けてもこちらに来ると言ったので駅に届けた。そのときに、分かるように駅に定期券の落し物があることを知らせる掲示をしてくれるように頼んだら、それは出来ないという話であった。落とした人は困るだろうから駅に掲示をしてあげればよいのにと思いながら帰った。

 家に帰ってから、落ちていたそばの電柱に落とし主の名を書き、定期券を御器所駅に届けてある旨の張り紙をしておいた。果たして読んでくれたのかどうか。

 私は、定期券を拾うのは、これが3回目である。一回目はパス入れに入っていたので近くの交番に届けた。

 2回目は、定期券だけだった。近鉄の桑名駅で発行した物であったので近鉄名古屋駅に届けた。そのときは、桑名駅に連絡して落とし主に渡るようにすると言ったので安心した。

 今回の地下鉄御器所駅の対応はただ受け付けただけで本人の申告を待つということであった。名鉄の甚目寺駅には定期券購入者の情報があるはずだからそちらに連絡するとか、せめて駅に掲示をして知らせるとかの親切さが欲しいと思った。

 河村市長さん、何とかしてちょーでやー。

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2010年11月20日 (土)

小原村の四季桜を見に行った

 先日の朝日新聞に小原村の四季桜の記事と写真が載っていた。今月中は大丈夫だと書いてあった。小原村の四季桜は有名だがまだ一度も見たことがないので見てみたいと思っていた。

 天気の都合と自分のスケジュールを見て、19日に行くことに決めた。朝6時45分に家を出た。カーナビに頼って行くことにしたら、末盛通り経由を指示した。猿投グリーン道路を走って行くと左手に「小原村出口」という表示が見えた。カーナビはそこを出る指示はしてなかったが、以前に来たことがあるのでその出口を出た。

 少し行くと三叉路があった。私は左に行くのだと思ったが、カーナビは右を指示したので今度はそれに従った。ところがそれが大間違いでずっと遠回りをすることになった。かなり走ると猿投町に入り、猿投神社の前を通った。見ると左方向に行くと猿投グリーン道路があるという表示が出ていた。

 さらに走ると藤岡町に入った。こんな方だったかと心配になったが国道419号線をそのまま走った。途中、迂回道路案内が出ていたがまだ早い時間帯だからいいだろうと419号を進んだ。やっと小原村に近づいていることがわかった。それは道路の左側に四季桜まであと8キロという看板が出たからだ。看板は1kmごとに立っていた。

 四季桜祭会場の看板があったが駐車場がわからないので、進んでいくと四季桜公園に登る道があったのでそちらに行った。女の人が歩いていたので尋ねたらすぐ上にあると言った。公園は高台にあり芝生が植わっていた。

 四季桜公園と石に彫ってあったが、四季桜は公園の周りに少し植えてあるだけであった。でも、空は真っ青で風もなく、山は紅葉していてとてもきれいであった。人は誰もいなかった。公園をぐるりと回った。少しは離れた山のところに四季桜らしいものが望見できたのでそちらに行くことにした。

 交差点の傍の広い場所に車を止めて歩いて行った。確かに四季桜であった。それを見て車で四季桜祭会場という方に行ったら駐車場があり出店が出ていたが駐車料金が300円なので先ほどのところに戻り車を止めて歩いて行った。

 店はボツボツと開くところであった。そこで猿投の冨有柿を15個、750円で買った。四季桜はそこも少なかった。

 帰ろうと思ったが土地の人に聞くと、少し行ったところに「川見」と書いてセンミという所にもう少しよいのがあると言ったので、そちらにまわることにした。419号を走って行くと、道沿いにあるということであった。

 7kmぐらい走ったら、四季桜が右側に並木になっていて誰かが写真を撮っていた。さらに行くと左側に「瑠璃光薬師観音」という大きな看板が立っていて、その辺りは見事な四季ざくらがあった。駐車場は500円なので敬遠をした。少し走って駐車できそうなところを探したら、道端に待避所があり車が止めてあった。丁度1台分スペースがあったのでそこに止めて歩いて戻った。

 歩きながら見ると、紅葉が赤、黄ときれいでその向こうの山が四季桜に覆われていた。遊歩道を歩いて公園に入っていった。一眼レフのカメラを持った人たちがあちらこちらで撮影をしていた。私はバカチョンで写しながら歩いた。

 出店が一軒あり、五平餅を売っていたので1本買って、お茶も買った。変わった形のカボチャを100円で売っていたのでそれも買った。また、明智村で作ったという食べるラーユを売っていたのでそれも400円で買った。

 山に登るかなり急な遊歩道があったので上って行った。四季桜を違う角度から眺めることができた。ぐるっと一回りをして元に戻った。右手に急な石の階段があり薬師観音の寺があったので思い切って登って行った。すると途中にとってもきれいな紅葉があった。登ってきてよかったと思った。

 瑠璃光山薬師観音は、3つのお堂があった。たいへん風情のあるお堂で、彫刻が施してあった。

 小原村はあちらこちらに四季桜が散見するのだが、一番よいのは観音がある辺り、つまり川見(センミ)地区であることがわかった。きれいな谷川が流れていてとてもよいところで、500円出して駐車しても十分楽しめる。もし、川見地区に来ずに帰っていたら私の小原村の四季桜の印象は全く違っていただろうと思う。

 土地の人の話では、10月ごろから咲き始めて2ヶ月ぐらいは続くそうだ。今年は気候の関係か四季桜の咲き方がちょっといつもの年とは違って淋しいと言っていたが、でも、当分は咲いているだろうと思った。

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2010年11月19日 (金)

フィギュアスケートの新星―笑顔の素敵な村上佳奈子―

 フィギュアスケートのグランプリ・シリーズ米国大会で金メダルを獲得した村上佳奈子は笑顔が何とも言えず素敵だ。表彰台で見せた笑顔、二つの目がへの字になってとっても可愛い。

 彼女の最初の笑顔を見たのは、NHK杯で、ショートプログラムで2位になったときであった。フィニッシュで滑り終えたときの笑顔が非常に印象的で心に残った。それ以来彼女に注目するようになった。

 NHK杯では、フリーがよくなくて3位であったが、ジュニアからシニアに移って最初の大会であったし、これからの活躍を期待させるのに十分であった。

 それが、米国大会で見事に一位に躍り出た。それで将来がますます楽しみになった。フィギュアスケートでは、韓国のキム・ヨナが浅田真央に競り勝っているが、村上佳奈子はどちらかといえばキム・ヨナに似たところがある。伸び盛りのすらっと

 周りの人にも村上佳奈子の笑顔のことを聞いたらみんな笑顔が素敵だと言っていたし、今後に期待できる、応援すると言っていた。した体格や力強い滑り、表現力もあるといわれている。それにあの「笑顔」だ。

 滑っている途中でも笑顔を見せることがあるが、彼女の笑顔は大きな武器になると思う。これからも是非、笑顔を絶やさないで滑って欲しいし、笑顔の出る演技をして欲しい。

  

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2010年11月18日 (木)

突然の停電―原因は?―

 1週間ほど前のことであった。夜が早い私は寝床に入ってうとうととしていたら妻に起こされた。家中が停電したのだという。これまで家の半分が停電することはしょっちゅうあった。原因は乾燥機を使用している時にうっかりと電子レンジや湯沸かし器を使ってしまうからである。

 しかし、今回の停電は何もしていないのに突然起こり、しかも家中が真っ暗になったのだ。分電盤を調べると、すべてのブレーカーが「切り」になっていた。途方に暮れてしまった。

 時刻は9時前であった。こんな時間に中電の営業所は対応してくれるだろうかと不安に思いながら電話をした。停電のような緊急事態には対応してくれることがわかったので、ひとまず安心した。

 係員の指示に従って、安全ブレーカーの操作をしていった。メインのブレーカーを「入」にし、少したってから、最初の安全ブレーカー「入」にした。次のブレーカーに行くのに少しずつ時間をとるのであった。家の中の電灯やラジオなのが復活していった。

 しかし、最後のブレーカーを「入」にしたら、入らなかった。念のためにもう一度やっても駄目であった。その安全ブレーカーにつながっているのがどの電気機器なのかを調べなければならなかった。

 IHクッキングヒーターが使えないことがわかった。それで試しにそれを買ったエイデン高辻店に電話をした。まだ営業していた。ところがその店には買った記録がないということであった。どうやら記憶違いで新瑞橋店で買ったようであった。

 次の日開店と同時に新瑞橋店に入り、修理を依頼した。なるべく早く修理に来てくれるように頼んだ。でも、電話がかかってきてどうしても5日後でなければいけないということであった。仕方がないので我慢するしかなかった。

 5日後にパナソニック・テクニカルから修理人がやってきた。見積もりでは、12000円ということであった。運が悪いことに5年保証が8月に切れていたのだ。

 修理は、話によると大変難しい作業が必要だということであった。慎重に順序良くやっていかないと失敗することがよくあるのだという。IHクッキングヒーターの中を初めてみたが、大きなコイルがあり、マイクロコンピューターの基盤がいくつかあった。配線も複雑であった。

 1時間半ほどかかって修理が終わり、テストをしたら直っていた。修理人は「うまくいってよかった。」と言っていた。

 原因を尋ねたら、長年使っている間の吹きこぼれでショートしたのだと言った。ヒーターの表面はいつも妻が手入れをしているのできれいなのだが、後ろ側の排熱の穴から吹きこぼれが入って汚れていた。

 それにこれまでの天盤は吹きこぼれが入りやすいのだそうで、新しいのに取り替えてくれた。「これで少しは改善されるでしょう。」と言った。

 料金は、出張費も含めて見積もり通りであった。

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2010年11月17日 (水)

横綱白鵬の連勝ストップ

 15日の夜、第九の合唱の仕上げの練習のときに、指揮者の大勝先生が、突然「白鵬が負けました。稀勢の里が素晴らしい攻めをしました。」と言った。会場にいた400名ほどのみんなが「オオツ。」と声をあげた。出掛けにホテルで見てきたのだと言った。

 大勝先生は、「稀勢の里は、攻めて攻めて攻めまくった。第九もこれだなと思った。みなさんも攻めて攻めて歌ってほしい。」と言った。

 練習が終わり九時に家に帰ってすぐにテレビをつけたら、トップニュースが、白鵬の連勝ストップであった。大勝先生は、6時のNHKニュースを見たそうだが、やはりトップニュースであったそうだ。次の日の朝のニュースでもまだトップニュースで伝えていた。

 白鵬の連敗ストップは、それほどインパクトを与える物であったということであろう。

 2人の相撲はとてもよい相撲でどちらにもチャンスがあったが、結局攻め立て稀勢の里が白鵬を寄り切って土俵下に突き飛ばして勝った。

 私は、白鵬が双葉山の69連勝を抜くのは間違いないと思っていたので意外であった。稀勢の里は、これまでにも白鵬とはよい勝負をしており鬼門であったわけだ。

 多くの日本人は、白鵬の連勝を複雑な気持ちで見ていたに違いない。一方では双葉山の記録を外国人に破られたくないという気持ちがあり、他方では、白鵬に連勝してもらいたいという気持ちもあったはずだ。だから連勝がストップしたことにより、ホッとしたような気分と残念であったという気分がない交ぜになった。

 白鵬が連勝をして期待されるというのは、朝青龍と違って彼の土俵へのひたむきな真面目な取り組みが日本人に評価されているからだと思う。もし、連勝が朝青龍であったなら、連勝ストップを多くの人が願ったに違いない。

 白鵬は双葉山を尊敬し倣おうといていたと聞くし、週刊誌からも変な話題で取り上げられることもない。やはり、我々日本人は、真剣に日本伝統の相撲に馴染んでそれを体現しようとする者には外国人であろうと受け入れて素直に賞賛ずるのだ。

 日本人力士の中から白鵬のような逸材が出て来てくれると嬉しいのだが、どんなものであろうか。

 白鵬の連勝記録は立派なものであるし、63連勝は燦然と輝いている。彼はまだ25歳だから前途洋々でもある。それに周りには横綱を脅かす力士がまだそだっていないようだから、白鵬にはこれからも頑張って角界を牽引していってもらいたいし、一層相撲道を学んで精進して欲しいと思う。

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2010年11月16日 (火)

週刊誌は仙谷長官、管首相、民主党の攻撃ばかりしている

 新聞に掲載される週刊誌の広告をいつも見ている。朝日新聞の場合、週刊新潮、週刊ポスト、週刊現代、週刊文春、そして週刊朝日が出る。

 広告を見ていつもうんざりするのは、民主党に対する執拗な攻撃記事であり、幹内閣発足後は、仙谷官房長官と菅首相への誹謗、中傷記事である。どの週刊誌も、これでもかこれでもかとしつこく毎週書いている。

 以前自民党・公明党が政権をとっていたときにはこれほどまでの攻撃記事はなかったように思う。むしろ擁護する記事が多かったと思うのだ。

 民主党政権ができて、確かにもたもたしている印象を与えていることはある。普天間基地問題、小沢問題、中ロとの領土問題を巡る外交、尖閣諸島の映像公開と流出、マニュフェストの後退、事業仕分けの骨抜き、児童手当問題・・・・・。

 そこで思うのだが、欠点を取り上げて攻撃するだけでなく、建設的に提案することもしたらどうかということである。

 今のやり方は、とことん叩き潰してしまえという徹底したいじめである。社会には子どもから大人までいじめが広がっているが、週刊誌も公器を使っていじめをしている。

 自民党は、野党に回ったら全く逆の立場にたって民主党のあら捜しに必死で、国民の生活のことを忘れてしまっている。それが補正予算の審議にも現れていると思う。どんな補正予算作るのかということではなく、駆け引きの材料にしてしまっている。

 今緊急に必要なのが補正予算を成立させることだから、十分に討議をして納得の行くものにしてもらいたいのだ。

 しかし、週刊誌も他の興味本位の攻撃記事しか書かない。週刊誌には、読者に役に立つデータと分析と提案を掲載して欲しい。

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2010年11月15日 (月)

風邪を引かないはずが風邪を引いてしまった

 11月5日に、特定健康診査でかかりつけの内科に行った。丁度その頃から軽い咳が出始めた。それまで10年以上風邪らしいものは引いたことがなかったので、いったいなんの咳かと思った。熱は全くなかった。

 2日ほど様子を見て、咳が止まらないので家にある薬箱を探したら、浅田飴があったのでそれをなめたら少し楽になった気がした。

 4日目にサティの薬局に行った。薬剤師がいて親切に対応してくれた。風邪薬のコーナーには、いろんな種類の風邪薬があったが、どれも値段が高かったので驚いた。これまで風邪薬など買ったことがないので知らなかったのだ。

 咳だけで痰はまだ出ていなかったが、総合感冒薬がよいのではと勧めてくれた。それで一番安いエスエス製薬のエスタックというのを880円で買った。

 その日の晩に3錠飲んで寝た。そのまま次の日もエスタックを飲んだ。火曜日の夜には、咳がひどく眼が覚めてしまった。うがい薬でうがいをしたら少し楽になった。

 インターネットで調べたら、咳喘息というのがあるらしかった。薬を飲んでも咳がとまらなくて続くときは咳喘息を疑うようにと書いてあった。

 水曜日の朝青い痰が4回も出た。咳喘息の心配もあり、とうとう医者に行くことにした。医者は咳止めと痰の薬と抗生薬をくれた。それを飲んだが、夜には咳がひどく出た。体が温まると咳が出るようであった。ただ、咳をして痰が出た後は楽になるから、痰が咳を出させているのかと思った。

 1週間ぐらいたった土曜日も夜中にひどい咳が出た。咳くので喉が痛くなった。熱は相変わらずないのだが、咳きはとまらない。ただ痰の色が薄くなってきたので多少は改善してきたのかと思っている。

 長い間風邪とは無縁であったのに風邪を引いて残念である。

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2010年11月14日 (日)

楽しい中部楽器技術専門学校文化祭

 地下鉄御器所駅に行くときにいつも通る道筋に、中部楽器専門学校がある。1,2,3号館は昭和区役所の前にあり、4号館は西友の近くにある。

 13日土曜日と、14日日曜日は、学校を開放して文化祭を開催している。昨年初めて文化祭を覗いて面白いと思ったのだが、昨年は時間がなかったので、サッと見ただけであった。それで今年はゆっくりと見ようと思って土曜日の3時ごろから出かけた。

 後で知ったのだが、そこは4号館であった。4階建ての校舎を使って、1階入り口の通路には古いピアノが展示してあり、ピアノの調律が体験できるコーナーもある。

 私が行った時、4階でミニ・コンサートがあるというので、まず、4階に上がった。バイオリンのニス塗り実演やキーホルダー作りをさせてくれるコーナーがあった。その隣のバイオリン体験の部屋で弦楽クインテットの演奏があった。

 学生が実習で手作りしたバイオリンやチェロなどの楽器を使っての演奏のようであった。バイオリンのチューニングがうまくいかないのか、何度も楽器を取り替えて、ようやく演奏が始まった。

 最初はカノンであった。次が、フルートが加わってモーツアルトのアイネクライネナハトムジークを演奏した。ときどき音の乱れもあったが、手製の楽器での演奏がよかった。

 その後、3階に降りてギターの製作過程を見た。男子の学生が熱心に説明をしてくれ、こちらの素人の質問にも答えてくれた。ギターのカットモデルがあり、作り方や材料などを見ることができた。一本のギターを作るのに2,3ヶ月要するということであった。卒業するまでに、エレクトリックギターの含めて5本のギターを作るのだと言った。

 ギターを制作する人は、別にギターを弾けなくてもよいそうだ。むしろ弾けない方がよいという人もいるという。理由は、注文主の要望に沿ってギターを作るからだと言う。

 出来上がった作品も展示してあったが、素人目にはきれいに出来上がっていた。ただ、よい音が出るかどうかは別のことらしかった。

 次に、2階に降りて行くと、管楽器のリペアの部屋があった。そこに可愛い女の子がいて、クラリネットのリペアの実演を見ませんかと誘ってくれた。私は、クラリネットなど触ったことがないので興味を感じて見ることにした。

 クラリネットの小さいホールを押さえるフェルトなどで作った物を調節したり、付け替えたりする作業を見せてくれた。卓上に小さなバーナーがあり、それで温めて取り外したり、調節のアイロニングをするのであった。穴にきちんとあっているかどうかは爪楊枝の先に細い紙が張ってある物で確かめていた。

 リペア科の学生は楽器が吹けなくてはいけないそうで、説明をしてくれた女子学生は中学校のときからクラリネットを吹いていると言った。吹けないと調節が出来ないのだそうだ。その子はまだ1年生でクラリネットのリペアからスタートして金管楽器もリペアできるようにするのだと言っていた。とても熱心に説明をしてくれた。時間があったので、持っていた小さなマジックを見せた。

 隣の部屋に、創作楽器が展示してあり触らせてくれた。ブブゼラがあったので驚いた。百円ショップでプラスチックのバットとラッパの先のようなものを買ってきてくっつけて作ったので200円で出来たと言った。売ったら儲かるよと言ったらそうですねえと笑っていた。

 他に、サックスの先をホルンの先と取り替えた楽器もあった。吹いてもらったが吹き方が下手なのかいい音ではなかった。

 サックスやトランペットの解体したものも展示してあり、それらは組み立てる練習に使うようであった。

 5時までなので、時間が来てしまった。まだ1、2,3、号館は見ていないので日曜日に見に行こうかと思っている。

中部楽器専門学校HP

http://www.chubugakki.ac.jp/pages/index.shtml

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2010年11月13日 (土)

クローズアップ現代―我慢の芸術に感動―

 11月11日にNHKのクローズアップ現代で「我慢の芸術」が放映された。7:00の地デジのレギュラーを見始めたらすぐに眠ってしまい、眼が覚めたら後半であった。しまったと思ってBS2の番組を録画予約しておいた。次の朝それを最初から見て戦前にアメリカにわたった日本人の素晴らしさを深く感じた。

 「我慢の芸術」はアメリカのスミソニアン博物館で「THE ART OF GAMAN」と題して開かれている展覧会の作品のことである。

 太平洋戦争が始まるとともに、アメリカに住んでいた日系人は、みな財産を奪われ身の回りの品だけで強制収用所に入れられた。収容所での苦しい生活が戦争が終わるまで3年半ほど続いた。

 その間にそこに住む人たちは日用品を始めさまざまなものを作った。収容所は砂漠の中に作られたので人びとは砂漠で拾った木のかけらや石ころや岩やいろいろな物を利用して作ったのだ。

 流木を使って飾り物を作る芸術が日本にはあるが、砂漠で拾った木で牛や蛇や鳥などが作られた。

 地面を深く掘って出て来る貝殻を利用して花を作った人も入る。さまざまなブローチ類、人形、小さい箪笥、岩で作られた立派な硯、ステッキ、下駄・・・・。それをとっても立派な工芸品である。

 そうした作品は、自分の子どもたちにも見せることなくしまわれていたのだという。それを、全米を回って掘り起こした日系三世の女性がいた。彼女は1000点にものぼる作品を集めた。

 それがアメリカ人の協力でスミソニアン博物館で展示され、多くのアメリカ人に感動を与えているのだ。

 強制収用所の過酷な生活の中でそうしたさまざまな日本の伝統的な工芸品を作り出したその精神は見事である。国谷キャスターが、「今の若い人たちがそういう状況に置かれたら何もできないでしょうね。」と言っていたが、若い人だけでなく、私たち高齢者でも・・・・少なくとも自分だったら出来ないだろうと思った。

 それを作った人の出自は、日本では生活ができないので、新大陸に渡って一旗上げようという農村の人が殆どであったと思われる。おそらく彫刻を習ったことがないであろうし、ブローチなどの工芸品を作る技術も習ったことがないものと思われる。

 そういう人たちが、かつて見た物を思い出しながら制作したのではなかろうか。それを可能にしたものは何か。私なりに考えてみると、私の祖父の時代までは、生活の中で自分で物を作る手作りが多かった。だから昔の人は生活に必要な物を作り出す技術を子どもの頃から自然に見につけていたのだ。

 だからアメリカとかブラジルとか未知の土地に行ってゼロからの開拓をしても、全て自分の手で作り出すことができたのだ。

 翻って自分を見るに、祖父たちの世代が身につけていたような技術は何もないと言ってよい。私たちの年齢の者は子どもの頃、まだ、小刀を使い、のこぎりを使い、かなづちを使っていろいろな物を作った経験がある。それでもこの歳になって祖父たちのことを思い出してみるとはるかに劣っていることを感じるのだ。

 まして、最近の若い人たちは、子どもの頃に小刀やかなづちなどを使うことを危険だからと遠ざけられて育っている。だから何かを手作りで作り出す能力はさらに劣っているに違いない。

 戦前までは、物を作る技術を持った人が普通に存在したし、お互いに伝え合う仕組みがあった。現代はそういうものがなくなってしまっている。

 アメリカの強制収容所に入れられた日本人が素晴らしい工芸品を作ったということは素晴らしいことであり、それが戦後65年もたってアメリカ人に大きな感動を与えていることは本日人として誇らしいことである。

 戦後の発展の中で、そうした生活にねざした基本的な生きる技のようなものが失われ、同時にかつて日本に来た外国人が賞賛した日本人のすぐれた人間性が消えてしまったのは残念でならない。

 スミソニアンで展示された作品を是非日本でも巡回して展示してもらいたいと思う。

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2010年11月12日 (金)

面白かった本のエッセンス

「日本語教のすすめ」(鈴木孝夫著 新潮新書)と一部

          「日本語の奇跡」(山口謡司著 新潮新書)→(4)(5

   

1)漢字は専門語でも分かりやすい。        猿人、葉緑素   

書いたのを見ただけではわからない英語   pithecanthropus ,chlorophyll,

    全ての人を対象にする日本の新聞、 高級紙と大衆紙に分かれている英語新聞 

2)音と訓があることは、同一の概念が二つの別の言語により音声化されているようなもの。

漢字は何かの意味を表す書写記号(事物や事象の概念を直接四角に訴える記号として表したもの→どう読もうと勝手 例:犬の絵を見て(dogkou, Hund,chien,canis,sabaka,kyioon

    ※演説の印刷物で理解した毛主席演説

3)日本語は、訓読み(日本語読み)と音読と(中国式読み)があるので便利。水面→スイメン、みなも)

4)日本に伝わったのは、呉音で今の上海地方の発音である。

5)漢字の読みは、借音と借訓による。万葉仮名は、日本語と同じ発音になる漢字を宛字にした「借音」と、意味が同じで発音が違う漢字を宛字にした「借訓」によって作られている。中国で経典がサンスクリット語の決まりを参考にして漢訳されたのを参考にして作られた。

 小竹葉者 三毛清尓 友 吾者妹思 別来礼婆  下線は借訓

 ささのはは みやまもさやに さわげども われはいもおもふ わかれきぬれば

 当時の発音→つぁつぁのふぁふぁ みやまもつぁやに つぁやげども うぁれふぁいもおもふぅ うゎかれきぬれば

6)ラジオ型言語とテレビ型言語 全世界の約6000の言語のうち、テレビ型言語は日本語だけ。

 ○ラジオ型言語とは、音声だけで伝達可能で文字はなくてもよい→音声だけが言語の全てあるという構造言語学が生まれた。文字は言語の影か写真のようなものとした。

○同音異義語の多い日本語→キョウコウ 恐惶、恐慌、強行、強硬、強行、教皇、強攻、凶行、

    外国語では、間違いが起こらない文脈にだけ同音異義語が使われる。

    日本語では、多くの場合、文字表記の映像が加わっている複合体だから可能。無意識的に映像を思い浮かべる。だから、映像が違う同音異義語が存在できる。→失語症患者の例

※ 同音字が多くなった理由→古代中国語が日本語になったとき、日本語の音韻組織が簡単なため同音化された。

コウ→公、浩、甲、抗、幸、項、功、講、高、候、鋼、効、港、工、交、考、鉱、・・・・・

7)日本語の音韻上の弱点→子音で終われるのはNだけ。子音を頭に重ねられない。

8)日本語の動詞は抽象的だから、何が、どのようにという主語や手段などが必要。

    ナル→振動して音を出す。太鼓、笛など楽器、風、雨、海、山、雷など自然、腹、おなら・・・

    ナク→人間、虫、鳥、犬など。英語では動物によりナクが違う。

ただ人が声を出すことは、喋る、囁く、語る、話す、呟く、歌う、叫ぶ、怒鳴る、わめくなど具体的。

9)日本語の形容詞も抽象的

    カタイは外力を加えても形が変わりにくいこと→ガラス、鉄など。ご飯、豆、肉など。決心、頭、守りなど。しかし、漢字を使うことで補うことができる。

    英語では個別具体的→firm, hard, concrete, stiff, sordid, tight, thick, tough,

10)平仮名表記とかローマ字表記にしたら大変なことになる。

11)身内の呼び方の決まり

①自分より上の人には、親族用語のお父さん、お母さん、おじいさん、お姉さんなどと呼びかけられるが、下のものに息子、娘、弟、甥などとは呼びかけられない。また、目上の親族には名前で呼べない。さらに、あなた、君などの人称代名詞も使えない。従って、目上の親族に使えるのは、お父さん、お母さんなどの親族用語だけ。

②相手に対して自分を表す言葉→自分より年上の人に親族用語(娘、息子、兄、妹、甥)などは使えない。目上の者が下の者に対しては、親族用語が使える。(お父さん、おばさん、お兄ちゃん、・・・)

③人称代名詞は家族内では上下に関係なく使える。

12)家庭内での自称詞、他称詞の使い方は、基本原理は目上目下という日本人の伝統的な人間関係を支配する上下意識である。これは家族外の社会的な場面にも当てはまる。

目上には役職名が一般的。一般社会面ではどう呼んだらよいか戸惑うことも多い。

日本語は上下親疎に関係のない自由な言葉のやり取りが十分に発達していないといえる。

13)ヨーロッパの言語などは自他を明確にするために人称代名詞が必須。

14)人称代名詞は言葉の発信者と受信者が誰かを話し手が明確にするための言語手段。だから必ずしも必要ではない。

15)日本語には、人称代名詞はない。日本語では自称詞、他称詞というべき。

16)欧米の言語では、テニス型の対話。日本語は、スカッシュ型の対話。話し手の言葉は1度壁にぶつけられそれが相手に流れて行くようなもの。相手は3人称になっている。(※他者の目を意識H.スズキ)直接対決を避けようとする。日本人が議論に弱いことはそこから来ている。もう一つは、先に見てきたように自称詞と他称詞の使い方が上下関係になっていることも関係している

17)文化の違いと言語

① 虹は何色?アメリカ6色、ドイツ5色、7色は先進国では日本とフランスだけ。

② 太陽の色は何色?アメリカ、ドイツ、フランス→黄色、月は城。

③ りんごは何色?フランスでは緑 他の国ではいろいろ。

④ オレンジ色は?アメリカでは茶色に近い、

⑤ 色彩を手がかりにある物を他の物と区別するとき必ずしもその色とは限らない→黒靴と赤、赤土と黒土、赤がねと黒がね、赤ワインと白ワイン、黒砂糖と赤砂糖と白砂糖、赤犬、赤潮、

⑥ 日本語の基本的な色彩語は赤、黒、青、白、黄、紫などでさまざまな色を内包していた。だから未分化というのは間違い。むしろみどりの黒髪、嬰児のようにういういしいとか生まれたばかりというような状態を表すこともある。※色彩表現語は400以上ある。

18)日本語を読み、書き、話せる外国人を増やすことが急務。英語などの外国語を学び、文化を取り入れる時代は終わった。経済的地位、優れた技術、独特の文化を持つ大国として日本をよく知り、理解してもらうためにも日本語を広めよう。(※日本語ボランティアの役割は重要。H.スズキ)

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2010年11月11日 (木)

東大曽根公民館でマジック・ボランティア

 11月10日に東大曽根公民館へマジック・ボランティアで出かけた。聞いていたのは、日にちと時間と場所だけであった。いったいどういう人が何人ぐらい集まるのか見当もつかなかった。

 10時半からだということであったが、早めに出かけた。行く前にインターネットで調べたら、公民館の場所が出てきた。名鉄の高架の下になっていた。それで行けば分かるだろうと気楽にでかけた。

 地下鉄に乗っているとき、便意を催してきた。大曽根駅で降りるとトイレに行こうと思ったが生憎と紙を持ち合わせていないことに気がついた。仕方ないのでとりあえず西口に出た。

 名鉄の高架がどれか分からないので、近くにいたガードマンに聞いたら指を差して教えてくれた。それで名鉄のガードに沿って歩いて行った。とに角早く行きたいと思って郵便局で聞こうと思ったら、老婦人が出てきたのでその人に尋ねた。「はっきりは知らないけどそれらしいのはあるから一緒に行きましょう。」と言ってくれた。方向がそちらの方らしかった。親切が嬉しかった。

 分かれ道まで来ると大体の方向を言って自分の家の方に歩いて行った。名鉄の高架はあるのだがそれらしい建物はなかった。そこでまた来る人に道を聞いたが知らないと言った。また少し歩いて公民館を尋ねたら、丁度公民館に行く人であった。

 公民館は、プレハブの小さな建物であった。「小さいですね。」と言ったら、「中はわりと広いのですよ。」と言った。

 狭い玄関があって、次が8畳2間ぐらいの畳の部屋であった。10時前なのでまだ来ている人は2人ぐらいであった。とに角トイレが先なのでトイレをすました。ほっとした。

 それから係りの人に挨拶をした。東大曽根の町内の集まりだそうで、その日が第1回目なのだと言った。住民の親睦会のようなものを作るらしかった。

 東区社会福祉協議会の人が3人ほど来ていた。立ち上げを援助するためのようであった。所長のネームタグをつけた人が、挨拶で「名古屋市内にどのくらいあるか知っていますか?」と3択で質問していた。何と500箇所もあるのだそうだ。それには私も驚いた。

 10時半からと聞いていたが、早めに始めて欲しいと言われたが、まだIさんが来ていなかったので待ってもらった。Iさんもわかりにくいので道に迷ったのであった。

 10分ほど早めに私から始めた。観客は、係りの人を除いて10名ぐらいであった。

 私は、トルコ帽を被ってやった。大きな手製のカードを使ったマジックやシルクを使ったマジック、そして、この日は、ロープを使ったマジックを主体にして披露した。

 最初の頃、捨てバッグに終わったものを捨てたら、「見破られるといかんので慌てて捨てている」という人たちがいた。「済んだ道具をほっておくと見苦しいので片付けるのです。」と言ったら、それでも納得しない人がいた。観客からは、何とかして見破ってやろうという感じを受け取ったので、「一生懸命に見てくださるのでやりがいがあります。」と話した。

 所長さんに出て来てもらって、ロープでしばり、それをサッとはずすのを見せた。エッといって驚いていた。最後は被っていたトルコ帽から卵を出して終わった。

 その後、Iさんがお得意のマジックを華麗に演じて魅了していた。

 マジックが終わると、「何とか見やぶってやろうと見ていたが、すぐ近くで見ても分からなかった。」と言っていた。

 

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2010年11月10日 (水)

仕分け110事業が骨抜きとは!!

 11月9日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事は、「仕分け110事業骨抜き」であった。新聞を取りに行って真っ先に眼に飛び込んできたのはこの見出しであった。

 いったいどういうこと?というのが率直なきもちであった。早速リードを読むと、「政府の行政刷新会議は、これまでの事業仕分けで『廃止』や『見直し』が決まったのに、来年度予算に盛り込むなど、省庁側が骨抜きにした事業が12府省庁の約110事業にのぼるとして、15日から「再仕分け」を行う方針を固めた。」と書いてあった。

 昨年鳴り物入りで事業仕分けが行われ、蓮ホウ、枝野両氏が名をあげたのではなかったか。あれは一体なんだったのか。時間を金を費やして国民の目の前で事業を仕分けたのに、あれから1年で骨抜きの上、さらに予算を上乗せして請求しているものもあるという。

 仕分け骨ぬきのパターンは、

①看板付け替え型  事業名を変更する。

②焼け太り型 見直しや廃止を統合して新たに増額を要求。

③縮減幅を勝手に圧縮 来年度予算で5%程度の縮減。

④勝手に先延ばし 

 官僚とはそういう人間の集まりなのか。どうせ税金だからと自分たちのことだけを考えて勝手なことをやるのだ。

 別のところで長妻氏がなぜ大臣を辞めさせられたかについての記事があったが、厚生労働省の役人は、天下り法人の権益を取られることに抵抗し、菅首相や仙谷大臣などに直訴したようだ。

 霞ヶ関の官僚は、手をかえ品をかえて徹底的に自分たちの権益を守ろうとする。それを政治主導で改めるというのが民主党のマニュフェストであったはずだが、いつの間にか看板が書き換えられてしまった。

 8日のNHK世論調査では管内閣の支持率が34%まで落ち込んだということだが、それは当然であろう。事業仕分けだけとってもても、単なるスタンドプレーで国民の眼を欺いているのだから。

 自民・公明に飽き飽きして、民主党に期待したのに裏切られてしまって、我々国民はどうすればよいのだ。

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2010年11月 9日 (火)

詩吟のこと

 先日知人のMさんに誘われて詩吟の曾山流の大会を聴きに行ったことを書いた。私は、詩吟については、知識が全くゼロである。あの有名な「川中島」は、子どものころから何度か聴いたことがあり、耳に残っていて、詩吟といえばあの節回しが浮かぶ。若い頃自分でも真似をして吟じてみたことはあった。

 インターネットで調べると、節回しのことを「節調」というと書いてあった。昨日Mさんに会ったので、兼ねてから疑問に思っていた節を誰がつけるのかを尋ねたら、その流派の家元などがつけることが多いと言った。

 話を聞いてみると、一つの漢詩に対して決まった節がある訳ではなくて、流派や吟詠をする人により異なるらしい。

 私のような素人から見ると、どの吟詠もみな同じような節回しに聞こえるのだが、その辺は音楽と違って決まったメロディーがなく、詩を解釈してそれを表現するのによいと思う節調をつけて吟ずるようだ。

 そこで、「私でも勝手に吟じていいの?」と尋ねたら、「それはいいですよ。だから貴方が吟ずれば、らら流の詩吟になるのです。だから流派がいっぱいあるのです。」と言った。

 調べたら全国に数百から千ぐらいの流派があるらしい。あいまいなのはきちんとした統計がないから推測の数字なのであろう。だから詩吟を楽しむ人数も曖昧で200万人から400万人と幅が広い。しかし、かなりの人びとに親しまれていることは確かなようだ。

 高齢の先生と言われる人の中には、声が出にくい人や響きが衰えている人もみられるが、Mさんの説明によると、それぞれの段階にそれぞれのよさがあるのでそれが大事なのだということであった。聞けばその通りで、歳をとっても枯淡な味わいが出るし豊富な人生経験をバックに吟詠するからそれなりによさがあるわけだ。

 吟詠の評価の基準については聞き漏らしたのでどのようにして評価をするのかはしりたいところである。想像するに、声の出し方、詩の解釈、それに基づく表現力などがあるのだろう。

 吟ずるためには、腹式呼吸が必要だから詩吟は健康のためにもよいといえる。カラオケと同じで健康志向でやる人も多いのだろう。

 これまでは曾山流しか聴いたことがないので、他の流派のも聴いてみたいと思う。

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2010年11月 8日 (月)

頑張った中日ドラゴンズ

 プロ野球日本シリーズは、パシフィック代表のロッテが優勝して閉幕した。前日の15回にも及ぶ延長戦の引き分けに続き、12回の延長戦まで戦ったのだから頑張ったが、運がなかったというべきであろう。

 中日ドラゴンズは、シーズン戦は優勝できるとは思っていなかった。阪神タイガースに勢いがあると思っていたが、終盤に阪神は勢いをなくした。投手力のしっかりした中日が打力の巨人を押さえてリーグ優勝し、上位3チームによるクライマックス戦も制してセリーグ代表になった。

 一方のロッテは、シーズン戦は3位で、クライマックス戦で勢いをつけて勝ちあがって来た。その勢いが日本シリーズにも続いていた感じがする。

 緒戦の勝ちといい、王手をかけたときの大量得点といい、どうもロッテには力プラスのものが感じられた。それと中日はシーズン途中のセ・パ交流戦でもいつもパリーグチームには負けている。パリーグとは相性が悪いのか何か知らないがなかなか勝てない。

 中日ドラゴンズが優勝できなかったのは、名古屋人には大変残念だが、ナゴヤドームで何度もやり、ファンは十分に楽しませてもらった。勝敗は時の運と言うこともある。何よりも延長戦を2回もやり頑張ってハラハラ、ドキドキさせてくれたのだからそれで十分ではないか。来年の頑張りを期待したい。

 優勝はしなかったものの、百貨店やスーパーなどはちゃっかりと「感動を有難うセール」をやっている。終わった日の朝刊には多くのスーパーがチラシを入れていた。1日だけのところもあるが、すかざすチラシを入れてくるところが凄い。商魂逞しいというべきか。

 セールにより、どのくらい経済効果があるのか知らないが、貢献はするのであろう。地元小売業にとってはありがたいことであろう。

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2010年11月 7日 (日)

尖閣諸島中国漁船衝突のビデオ流出

 尖閣諸島の中国漁船衝突事件のビデオがYouTubeに流出した。NHKのニュースで見る限り、非常に鮮明で、中国漁船が海上保安庁の船に故意にぶつかってきたことが明白である。中国政府はそれでもなお海上保安庁の船がぶつかったのだと言っているらしいが、誰がどう見ても中国漁船がわざとぶつかって来ている。

 外交評論家の岡本氏は、これがもし日本の漁船が中国の監視船に故意にぶつかったのならたちどころに銃撃を受けるだろうと言っていた。日本は警告だけで極めて紳士的に対応している。

 ところで、ビデオがなぜ流出したのか、その意図は何かが問題になっている。流出したのは石垣島の海上保安庁が編集したものだということがはっきりした。それまでは海上保安庁の船が撮影したもののようだと曖昧であった。新聞もNHKニュースでも確かだとは断定していなかった。

 どうみてもでっち上げはありえないのになぜ曖昧な言い方をするのか不思議であった。

 流出したのははっきりしているが、問題はどのようにして誰が流出させたのかである。もし、海上保安庁の職員であるとなれば公務員法の違反になることは当然である。それよりも何よりも、国家の機密が流出するという事態そのものが由々しきことである。

 その前にも警察庁のテロ関連の情報がインターネットに流れ出た事件があったばかりである。日本の秘密情報の管理が穴だらけであることを図らずも露呈した。

 民主党には政権をゆさぶり、あわよくば崩壊させるために意図的に行われたという見方をする者もいるようだ。民主党をよしとしないなどが裏で動いているということも考えられなくはない。

 ある評論は海保の中に中国漁船や韓国漁船などへの対処に不満がマグマとしてあってそれが爆発したのだろうと推測していた。いずれにしても、海上保安庁の中から流出したものであることは間違いない。

 インターネットへの流出は、犯行の特定をすることが非常に困難だと言われる。それならば尚のこと情報は厳重に管理されなければならないし徹底的に調査をしてほしい。

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2010年11月 6日 (土)

フリーヒルズ・ジャズオーケストラを初めて聴いた

 11月3日、文化の日に、大高緑地の赤旗まつりのステージで、フリーヒルズ・ジャズ・オーケストラの演奏を聴いた。

 ジャズの演奏を聴きたくて行ったのだが、フリーヒルズ・ジャズ・オーケストラというのがどういう楽団かを全く知らなかった。私は大人の5,6人のバンドだと想像していたら、野外ステージの上に中学生や高校生のような若い子達が上がっていたので驚いた。いったいどこの女学校かと思った。それにしても大人数であった。後で分かったのだが、75名もいて小学生も含まれていた。

 演奏は、グレンミラーの”Thake the A train”で始まった。私は、グレンミラースタイルが好きなのでこれは楽しいぞと思った。子どもなのになかなかやるじゃんと思いながら芝生の上に座って聴いた。

 次も、同じグランミラーの”真珠の首飾り”で、演奏が上手であることがわかった。子供がジャズを演奏するというのが想像していなかったのに、そして大したことないだろうと思っていたのに、素晴らしい演奏であった。

 曲目の紹介とともに、楽団の紹介もあり、特定の学校ではなく、ジャズの好きな学生が集まって作っていることが分かった。名前の由来は、練習をしている場所のある自由が丘を英語読みにしたものだということであった。

 この楽団は、ディズニーランドで演奏したり、ジャズのコンテストに出たり、コンサート活動をしているそうだ。河口湖であった今年のコンテストでは念願の優勝をしたという。

 初めはスイングジャズが続いたが、その後、リトルヒルズ・ジャズオーケストラが3曲演奏した。これは、メンバーが増えすぎたので、小中学生をジュニアグループにしたのだそうだ。そのうちの1曲を小学校3年生のドラマーが担当して見事に演奏した。

 後半は、今人気を博している現代ジャズの名曲が演奏された。題名は忘れてしまったが、中には踊りたくなるようなリズミカルな曲もあった。最後は確か”Septmber”だったと思う。一時間にわたって演奏者を代えながら素晴らしい演奏であった。

 最初、青空ステージに大きな音響装置を通しての音なので若干違和感があったが、そのうちに馴れて存分に楽しんだ。名古屋にこんな素晴らしいジャズバンドがあることが分かったので、これからもコンサートに行きたいと思っている。

 以下は、HPからバンドの紹介

Hpアドレス http://www.fhjo.net/

 私たちは、名古屋とその近郊のジャズ大好きな青少年が集まった、 東海地方では、唯一学校に所属しないビッグバンドです。 映画「SWING GIRLS」が上映されてからは「名古屋のSWING GIRLS」 とも呼ばれています。

 中学校でJAZZの部活をやっていて高校へ進学したけれどJAZZ部がなくて 超さみしー、とか、中学校にJAZZ部があったのに顧問がいなくなって廃部になり、 悲しいー、という中学生などJAZZ命の仲間が集まって、2001年7月にできました。 また、10数名だった部員が、今では68名にもなりました。 週に1度、土曜日の夜,自由ヶ丘会館で練習しています。 学校がバラバラで40数校から集まり、全員が揃うのは至難の業というなかで 力をつけるのは大変ですが、部員の熱意と、地域のみなさんに支えられ、 練習に励んでいます。

 神戸や,東京で行われる「STUDENT JAZZ FESTIVAL」で演奏し、 高い評価を得てきました。 その他、ディズニーランドで演奏したり、地元の自由ヶ丘会館まつりや敬老会、 成人式など、年に40回ほど出演させていただいています。

 私たちは、自分たちだけが楽しむのではなく、 聴いていただく皆様にも楽しんでいただける演奏を心がけています。 私たちのJAZZへの思い入れを、ぜひ聴いてください。

FHJO Member's

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2010年11月 5日 (金)

教員の疲弊環境を取り除け

 11月1日の朝日新聞の社説には、「どうした、先生  ゆとり取り戻せる改革を」と題して、教員が置かれている過密な労働環境について改革をするように述べてあった。

 退職して14年余、今では教育環境がどうなっているのかは全くと言っていいほど分からない。新聞やテレビで知る程度である。

 私が退職したのは、丁度学級崩壊が全国的に広がった年であった。それで退職後勤めた非常勤講師の学校で学級崩壊を眼のあたりにした。それ以後、ずっと学級崩壊が問題になった。そして、いつのころからかモンスターペアレントなるものが跋扈し始めた。

 実は、私の勤めの最後の頃にモンスターペアレントの萌芽といえるものは散見していた。それは当然で、学級崩壊を来たすような児童生徒が増加したことと親の変化は無関係ではないからである。

 また、教員の質の向上ということで、教員免許状の更新が導入されたし、08年には主幹教員なるものができて教員の管理体制が厳しくなったようである。

 そうしたことと前後して、教員の夏休みが取り難くなったと聞くし、夜遅くまで学校に居残る教員も増えたと言われる。(社説のデータでは、残業が月に42時間にもなるー2006年度)

 社説にも書いてあったが、教員の雑務は年々増える一方のようである。パソコンが職員室に入ってある面では仕事の能率化は進んだのだろうし、授業でも私の知らなかった情報機器が導入され、白墨(チョーク)以外の手段で効率よい授業ができる環境も整えられたかもしれない。しかし、やらなければならない仕事が増え、本来の授業がおろそかになりかねない事態になっているようだ。

 そうした中で心を病む教員も増加し続け、毎年12000人以上の教員が途中退職を余儀なくされているという。また、1年以内に教壇を去った新任の先生は昨年は317人も出たそうだ。

 現職の先生は希望を失い、やる気もなくす人が増えていることは、『「降格」希望の教員が最多』という10月30日付けの朝日夕刊からも窺える。

 私や私の研究仲間のように、「万年平教員」を貫いた者は別として、普通は将来は、教務主任、教頭、校長と登って行きたいと思うものだ。だから、そこには情実や派閥や賄賂まで入り込む余地が生まれる。人事の季節になると人事担当者のところには贈り物が引きも切らないと言われたものだ。

 ところが憧れの教頭や校長になったものの管理職に疲れ、平教員に降格を希望する「希望降任」が増加しているというのだ。新設された「主幹教員」からも降任希望者が3年で10倍に増えているとか。主幹教員といえば登竜門の筈である。そこまで辿りついてヤメタという訳だ。

 そこには教員免許の更新とともに、教員をがんじがらめにして管理すれば、教員の質が向上し、教育はよくなるという愚かで浅はかな考えが背景にある。

 教員同士がゆとりを持って接しあい助け合う時間も環境もなく、ただ、管理が強化される中で教員は疲弊をして行くのだ。

 私が、就職して2年目に58人の学級を持たされたことがある。校長に抗議をしたが受け入れられるはずがない。後から分かったのだが、私の能力を見ぬいて経験の浅い私に大学級を任せたのであった。

 今からは想像もできない大人数で教室は立錐の余地もなかった。そこにはボスと言われる生徒もいた。大変でないと言えば嘘になる。若かったし一生懸命に頑張ったが、今思うと職場には自由な雰囲気があったし、のんびりしていた、何よりもよかったのは、ほぼ毎日学校で飲んだり、碁や将棋や麻雀をしたりしていたことや、運動会などの行事は地域を含めてPTAと一緒にやったことだ。

 だから、困ったことはすぐに相談できたし、PTAの人たちとも仲良く付き合ったからいろいろと教えてもらうことも多かった。

 私は、教育の場には自由が大事だし、みんなが助け合い、意見や助言を気安く言え相談できることや、自分から研究活動に取り組める雰囲気が大事だと思っている。長い教員生活の中で勤務評定だとか学力試験だとか管理し締め付ける仕組みが次第に強化されていったのが残念でならない。

 私は、教員の管理体制を強化し、雑務を増やしている中では教員が疲弊するだけだと思う。授業と学級を大事にしてそれを第一の仕事として没頭できるような仕組みにすれば、生きがいを持って教育に取り組めるのではないかと思うのだ。

 今、現職であれば、私にもとても務まらないであろうと思う。

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2010年11月 4日 (木)

北方4島は日本の領土、ロシアは強盗の論理だ

 11月1日に、ロシアのメドベージェフ大統領が、北方領土の国後島を視察した。これには、ロシアによる北方4島の実効支配を既成事実として改めて示す意図があるといわれる。しかし、中国の温家宝首相の言を借りて言えば、これこそまさに強盗の論理である。

 ロシアの北方4島の占領は、実に汚いやり方で行われた。1945年8月9日にソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦をした。それは広島、長崎に原爆が投下されて日本は降伏することが分かったので、参戦して利益を得ようという魂胆であった。

 その上、8月15日のポッダム宣言受託による降伏の後、卑怯にも8月下旬から9月の5日にかけて軍事作戦を行い、千島列島を南下して、北方4島を占領したのだ。これが強盗でなくて何であろう。

 それから65年にもなるのに未だ日本に返還しないどころか、永久にロシアの領土にしようと企んでいる。

 このことで思い出すことがある。ソ連が北方4島を占領した頃のことである。当時私は小学校4年生であったが、担任の玉置という先生が、私たちに、どうしても覚えておいて欲しいということで話をした。それは、ソ連の卑怯なやり方を糾弾するものであった。ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して参戦し、その上戦争が終わった後も攻撃をして千島を占領したことをなじるものであった。

 もともと赤ら顔の先生であったが、顔をさらに赤くして熱弁した。結論として、「だから君たちはこのことをよく覚えておいて、将来日本が力を持ったら、先ず最初にソ連をやっつけるのだ。」と言った。当時私は何のことかよく理解できなかったが、この話は先生の話す顔とともにその後も忘れることはなかった。

 戦争に負けたので樺太をロシアに返しただけでなく、北方4島を不法にも占拠されてしまったのだ。それに対して国際社会も無力である。国際連合も何もできないでいる。

 この問題は、完全にロシアに非があるのだから、日本は断固として抗議をするだけでなく、対抗措置をとるべきである。

 この島に住んでいた人たちは、年をとりどんどんと少なくなっている。政府は喫緊の課題として取り組むべきであろう。

 

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2010年11月 3日 (水)

東区文化の道にある堀美術館に初めて行った

 先日、maronさんのblogを見たら、「針生一郎が選んだ愛知60年代の現代美術展」に行ったことが書いてあった。興味を引いたので見に行きたいと思った。会期は11月3日までであった。それでインターネットで堀美術館について調べ、2日に出かけた。

 地下鉄桜通線の高丘駅で降りた。駅に降りて降車駅を間違えたのかと思った。車道の駅とそっくりなのだ。慌てて駅名を探したが、改札口辺りには何も表示がなかった。それで駅長室に入り尋ねたら、高岳駅に違いないが、車道駅と同じ造りかどうかは誰も知らなかった。

 改札からかなり遠い2番出口を出て地図を思い出しながら歩いた。インターネットの地図は分かりやすそうだったのでメモだけしてポケットに入れていた。それが大変な間違いで、どこにあるのか分からなかった。道行く人に聞いても知らなかった。ある洋菓子屋さんで聞いたら、堀美術館は知らないが、目印の太閤なら知っていると言った。そちらの方に歩いて行ったら、大光寺というお寺があった。これは大変なことになったと思いながら,なおも聞いたとおりに歩いて行ったら、豊田佐吉の館があり、その前に地図が出ていた。

 それを見て行くと太閤があった。和食の大きなレストランであった。レストランといえば、その辺りには和・洋の洒落たレストランがいくつかあった。

 やっと堀美術館に着いた。静かな道沿いにあるこじんまりとした美術館であった。駐車場もあった。

 中に入ると受付の人が、「ノートに名前だけでも書いてください。」と言った。住所と名前を書いた。入館料は1000円と書いてあるのに、無料だったので尋ねたら、今日と明日は特別に無料だということであった。

 展示室に入って行くと、狭い展示室の周りがガラス張りになっていて、その中に画を展示しあった。小さな字で書いた説明があったので懸命に読んだ。針生氏と名古屋のかかわりや60年代の前衛美術の作者とのことなどが説明してあった。60年代と言えば、安保闘争の後であり、ベトナム戦争があった頃である。その頃の気鋭の若手画家の才能を針生氏が見つけて育てたようであった。

 針生一郎氏は、この展覧会を企画しながら、5月に亡くなられたという。その遺志を守って展覧会を開いたそうだ。

 作品の脇にある作者名と題名を書いた札の字が小さすぎて読めないのが残念であった。展示は、1階と2階にあった。

 maronさんのblogに出ていたノロ燐さんという人の作品は人物であるが色が鮮やかで細かい写真のようなものが描いてあって目立っていた。

 仏壇を模したような作品を見て老婦人が「恐いわね。」と話していた。

 作品は、どれも技量のあるもので、画想も表現力もすぐれたものであった。50年前に作られた作品だが今の時に光輝いていた。10月末にトリエンナーレが終わったばかりであるが、そこで見たつまらない作品を思い出して、こういう作品が取り上げられなかったのを残念に思った。

 私がいる間は、鑑賞者が少なくて殆ど独占をしてゆっくりと鑑賞できた。

 出るときに、受付にいた人と話をしたら、その人は、作者の一人で山田彊一さんという人であった。一階の展示室の正面の大きな4作品がその人が描いたものだと言っていた。私も眼に留まった作品であった。

 トリエンナーレについて話したら、山田さんもblogで批判していると言っていた。

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2010年11月 2日 (火)

柳昌会第5回吟詠大会を聴く

 詩吟をやっている知人のMさんに詩吟の大会の案内を貰ったので聴きに行った。Mさんは、長年詩吟をやっていて範師である。

 10月31日に、金山にある中京大学プルニエホールで開催された。大変大きな会で正式には「曾山流樹徳吟詠会 柳昌会 第5回吟詠大会というものである。

 とても大規模な会で、立派なプログラムがり、朝の10時前から夕方まで続くようであった。会場には贈られた花が所狭しと飾られていた。知人の属する会ではなく、同じ流派の会とかであった。それで知人の出番は1回であったが、残念ながらホールに行ったら少し前に終わったあとであった。

 聴いたのは、格段の優勝者の吟詠からで、各派の先生たちや来賓の詩吟が続いた。

 私は、詩吟については全く無知なので、皆さんが朗々と吟じられるのを聴いているだけであった。

 その後、3時過ぎから、この日のメーンイベントの構成吟をいうのがあった。今年はNHKの大河ドラマで「竜馬が行く」が放送されていて、幕末の動きに関心がもたれているが、それに合わせたものであった。題名は、「志士群像」と題してのものであった。

 プログラムによると、「激動の時代を駆け抜けた若き志士たちや、維新後も時代の荒波をしっかりと見据えて今日の日本の礎を築いた人びとの生き様を、彼らの漢詩や和歌を通して列詠してまいります」ということであった。

 頼山陽が尊王で若者に与えた影響についての説明の後「不識庵機山を撃つの図に題す」という、有名な鞭声粛々・・・の詩が20名ほどで吟じられた。

 開国論を唱えた佐久間象山の「無題」、安政の大獄と吉田松蔭で多くの志士たちに影響を与えた辞世の和歌「身はたとひ」、漢詩の「辞世」、一橋慶喜を擁立しようとした橋本左内の「獄中の作」、奇兵隊をつくった高杉晋作の「獄中の作」、あの竜馬を謳った松口月城作の「坂本竜馬」、明治維新の巨星で漢詩にも長けていた西郷南州(隆盛)の「書懐」など・・・・。幕末の歴史の動きを簡単に解説しながら彼らの思いを吟じたもので、素晴らしいと思った。

 舞台にスクリーンをおいて、関係した人物の写真や画像やシーンなどを映し、吟ずるときには、漢詩や和歌を映し出したのは大変よい企画であった。

 ちょっと残念であったのは、フラッシュを使って写真を撮る人がたくさんいたことであった。デジタルカメラではフラッシュは要らないのでフラッシュの使用は禁じて欲しかった。また、上演最中に出入りをする人が多く、和服を着た出演者も含まれていたのも残念であった。

 最後まで見る時間がなかったので、そこまでを聴いて外に出た。詩吟には縁がないがMさんのお陰でちょっと垣間見ることが出来てよかった。

 

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2010年11月 1日 (月)

COP10が終わったが

 名古屋で10月の始めごろから開かれていたCOP10、国連地球生き物会議(生物多様性条約第10回締約国会議)が30日の未明に終了した。世界の190カ国余りからの参加者があったと聞く。これだけの大きな会議が名古屋で開かれたのは素晴らしいことであった。報道によると、連日真夜中まで会議が行われたようだ。

 おそらく名古屋では初めての大きな会議であったが、名古屋に住んでいてCOP10が身近に感じられることは何もなかった。街中にあるポスターぐらいであった。テレビや新聞の報道をみていても生物多様性についてや生物資源の利用をめぐって発展途上国と先進国との間で利益配分をどうするかでもめていることぐらいしかわからなかった。

 ただ、最終日になって、議長国である日本の提案によって、医薬品のもとになる動植物などの遺伝資源の利用について定める国際ルール「名古屋議定書」と生態系保全の世界目標「愛知ターゲット」が採択されたので一定の成果があったと言えるようだ。

 地球温暖化と二酸化炭素排出に関する「京都議定書」のように、「名古屋」が冠についた議定書ができたことで、世界で無名の名古屋の知名度が少しは上がるのではないかと思う。名古屋市民としてはその効果も期待したい。

 COP10と我々一般人との関わりは、間接的なもので何か遠いもののように感じる。一般市民はどういうことに関心を持ち、どう対処していったらよいのかわかりやすい説明があるとよいと思った。おそらく大多数の市民は何のことかがわからないのではないか。ここは売れっ子の池上彰さんの出番であろう。

 

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