盆経をせかせかとよみ走り去る
朝、7時40分ごろドアチャイムがピンポンとなった。坊さんかな?と思ってドアを開けると案の定坊さんであった。盆なので檀家を回ってお経をあげていくのだ。
前日の夜遅く娘夫婦がきたので夜中まで起きていたから、みなは本当は朝ゆっくりと起きたいところであったが、この朝は早めに起こした。それで何とか坊さんが来たときには起きていた。
部屋に入ると、坊さんはすぐに経をよみ始めた。木魚をポクポクとせわしなく叩いて、いつもの経をよむ速度の3倍ぐらいの速さでよんだ。2分か3分か計ってないので分からなかったがあっという間によみ終えて、お布施を貰うとそそくさと立ち去った。
自動車で来て次のところへ行くのだ。いったい何軒回るのかしらないが、住職ではなくやとわれのアルバイト坊主のようであった。
以前は、近くの尼寺の尼僧も来ていたが、こちらはいつのまにか来なくなった。今は檀那寺からだけである。
事前に何日に行くという葉書が来るだけで、時刻は書いてない。妻は、そんなに早くこないと言っていたが、私は、8時ごろには来ると予想していた。実際は私の予想より早かったのだ。
せめて何時ごろと書いてあれば、それなりに心の準備もできるのだが、何も書いてないのではどうしようもない。それで眠いのに早くおきたのであった。
それにしても、あの経をよむスピードには恐れ入った。早く済ませたいという心がみえみえであった。これは毎年のことである。
本当なら年に一度来るのだから多少の時間のゆとりを持って来て、檀家と雑談でもして行けばよいと思うのだが、そんな気配は全くない。これは例年のことである。
日本の仏教が葬式仏教になって久しいが、葬式と法事と盆で稼いでいる商売である。だから近年お寺から離れて自分で葬式をしたり、先祖を偲ぶ会を開いたりする人が増えてきたと言われる。寺自らが仏教の衰退を招いていると言って過言ではない。
#盆経をせかせかとよみ走り去る#
#盆経の木魚の音の速きこと#
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