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2010年8月11日 (水)

広島と長崎―命の重さは同じだ―

 8月9日は、長崎に原子爆弾が投下された日であった。広島だけでなく、僅か3日のちに長崎にも原爆を投下したアメリカの軽さには驚かざるを得ない。先日も指摘したように、アメリカの考えの背景には、人命を塵のように瑣末なものと考える心理があると思う。だから物量にものを言わせて無差別爆撃や原爆投下が平気でやれたのだ。それは今に到るまで変わっていないことも書いた。

 ところで、長崎に原爆が投下されたことが、広島の後であったので、長崎は広島よりいつも軽く見られていると感じてきた。

 今回でも外国からの代表参加国数は広島に比べて長崎は少なかったし、アメリカの大使は代理も送らずに不参加であった。

 広島が最初に原爆を投下されたのはその通りだが、まるで勝負事のように順位がつけられているのはいかがなもlのかと思う。たまたまアメリカの選択がそうなっただけであって、原爆を落とされたと悲劇ということでは同列なのだ。或いは、広島の方が犠牲者が多いという意見もあるかもしれないが、私は、命という観点から言えば同じであると思うのだ。

 国連事務総長の潘基文氏が、長崎に訪れ広島の式典に参加したのは、日程の関係でやむを得ないことだと思う。長崎にも行って献花をしたり、被爆者と会って話を聞いたりされたのは立派だと思う。

 私が、言いたいのは、広島、長崎の悲劇は同じ重さであるということである。また、日本中の都市が通常爆弾や焼夷弾で無差別に破壊され多くの人命が失われ、負傷者が出たことも同じ重さで捉えるべきだと思う。

 日本は戦後アメリカべったりになってアメリカがやったことには何も言えないで65年が過ぎた。まことに残念なことである。

 

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コメント

私の高校1年のときの国語の先生も、顔や手などにケロイドがあって、原爆の被爆でそうなったと言っておられました。当時のことで、いつまで命があるか分からないと言われたのを覚えています。

原爆を広島であびて私の中学校3年担当の先生があるクラス会のときに、私は原爆が落ちた時広島にいましたので今でも原爆後遺症に苦しんでいますと、76歳でなくなりました。

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