広島に原爆が投下された日に
今日は広島に世界で初めて原子爆弾が、アメリカによって投下された日だ。昨日のNHKクロースアップ現代では、原爆投下によって出来たキノコ雲の高さがこれまでの8000m余から倍の16000mにも達したことが分かったと報じていた。
戦後65未だに原爆による被害に苦しむ人や道一つ隔てただけで黒い雨の被害者に認定されないという何とも機械的な不可解な差別に苦しむ人もいる。
先日の週間現代だったか朝日新聞だったか忘れたが、原爆投下について日本だから構わないという人種偏見があったと書いてあった。もし、白人の国、例えばドイツやイタリアなどであれば原爆は投下されなかったのかも知れないというのだ。真偽はともかく、ありうる話ではある。
しかし、忘れてはならないのは、アメリカの残虐さである。原子爆弾を広島と長崎に投下したことばかりが大きく取り上げられるが、アメリカの空軍はサイパンから日ごと夜ごと襲来して日本の殆どの市や町に通常爆弾や焼夷弾を雨あられのごとく投下し焦土にしてしまったことを忘れてはならない。私が子どものころ、毎日上空をB29が空襲に飛ん行き、帰って行くのを見ていたので無差別爆撃も原爆投下と同じ大犯罪だと思うのだ。
このアメリカの残虐さは、その後もベトナム戦争、イラク侵略、アフガニスタンなどで続いている。ベトナム戦争では、アメリカに大義がないことが証明されたし、イラク侵略でも国連の決議なしにフランスやドイツなどの反対を押し切ってイギリスと共にイラクに攻め込んだ。
当時の国務長官さえ後に間違いであったことを認めた侵略戦争であり、そのために平穏に暮らしていたイラク国民が今もなお混乱の中で苦しむ事態となっているのだ。
原爆投下、市民の居住地区への無差別爆撃、他国侵略などを平気でやる残忍さを絶えず告発し続けるべきだと思う。
広島、長崎に原爆を投下したのは、戦争終結を早めるためだという理屈であったというが、私はそんなことは信じない。他国の人間がどうなろうとお構いなく、強大な力を背景に世界を支配しようという、そのための力の誇示であったと思うのだ。
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アメリカは、今でも拳銃や鉄砲を持ち自分を守る人が多いですが、自分の国内はともかく、世界傍若無人に振舞われては困りますね。
私は、日本に原爆を始め無差別に爆弾を落とされたことは許せません。
投稿: らら | 2010年8月 6日 (金) 16時31分
アメリカの残酷な行為は南北戦争の悲劇の映画にもありましたが、日本でも封建時代の刀を武士が振り回し無防備な町の人達を切ったりして残忍な行為はいくらでもありましたが、其の国の法律とか先祖から身に付いたモラルとかはそんなに簡単には変更できないのでは・・・時代では英雄が次に犯罪者に・・と言うことも良くありますのでアメリカというあの大きな国の200年余の歴史は常に人を殺傷して他の国より優れた殺傷能力のある武器を開発して実験を重ねて、それでもって自分の国も守り他の国にも脅威を示しているのでしょうね。その恐ろしい実験に日本が使われてしまったと思います。そのうち自分でその恐ろしい武器や現場で自分の国を破壊しなければいいですがと思います。
投稿: kaori | 2010年8月 6日 (金) 09時26分