名古屋華マジカルグループとの出会い
退職後8年近くマジックをやっていなかった。海外旅行のときなどにちょっとしたマジックを見せる程度であった。それで、ぼつぼつ身辺の整理をしようと思って、まず、子供向けのマジックの本を処分することにした。本は最後に勤務した学校に持っていって図書館の蔵書としてもらうことにした。10冊ぐらいあった。
それから1ねんほどして、中川区70周年記念の第九のコーラスの募集がありそれに応募した。最初の日に地下鉄の高畑駅で降りて会場の中川区役所講堂に向かって歩いていた。
ところが、初めてなので区役所がどこにあるのか分からず困っていたら、道の反対側を歩いていた女性が声をかけてきた。やはり、道が分からず困っていたのであった。女性はMさんといった。
中川区役所講堂はすぐ近くにあったのだが、大通りから道1本北にあったので分かりにくかったのだ。
第九のコーラスには、そのころ昭和生涯学習センターにできた「50歳からの男声コーラス隊」という主催講座で一緒に受講しているSさんもいた。そのSさんとMさんが旧知の間柄であった。
そういう関係でMさんと知り合い、SさんもMさんも帰りの地下鉄が同じなので一緒に帰るようになった。
コーラス隊は、講座が終了すると自主グループとして存続させることになった。昭和男爵コーラスと言った。当初は10名で出発したので団員を募集することになった。
Mさんにも、知り合いでやりたい人がいたら紹介してくれるように頼んだ。そのときに、Mさんがマジッククラブに所属していることがわかった。そのマジッククラブもできたばかりで団員を募集しているからマジックに興味があったら来ないかと誘われたのだ。
それで一度どんなクラブか覗いてみようと思いある日例会に出かけた。Mさんには、私がマジックをやったことがあることは全く話していなかった。私はマジックは何にも知らないことになっていた。
初めて例会を覗いて直感的にこのクラブなら入ってもいいと思ったので、自己紹介のときにその場で参加することを表明した。そして自分はマジックの経験があることや清水先生のことなどを話した。Mさんは、黙っていたことに驚かれたに違いないと思う。
そういう訳でひょんなことから名古屋華マジカルグループに入ったのであった。そして2年あまりたって東文化小劇場で開いた発表会で初めて舞台に立ったのであった。
あの出会いがなければ、マジックはやめてマジックのどうぐなどは整理していただろうと思う。それが逆にマジックの道具が増えている。
しかし、新しい人たちとも知り合い、マジックでのボランティア活動にも参加するようになって人生がそれだけ豊かになったと思う。
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人との出会いはまさしく縁としか言いようがありません。maronさんとの出会いは、Mtsuiさんとの出会いにありますし、縁を大事にしたいと思います。
投稿: らら | 2010年8月18日 (水) 08時49分
チャンスは何処にも有るがそれを掴まないだけだと言いますが、ららさんは何時もとらえて積極的に行動される、好奇心と、前進、其れが若さの秘密でしょうね。
投稿: maron | 2010年8月17日 (火) 19時05分
お互い、Mさんの縁でマジカルに入りましたね。縁は異なもの味なものです。覚えながら忘れて、忘れながら覚えて行きましょう。
投稿: らら | 2010年8月17日 (火) 15時34分
私もMさんの紹介で名古屋華マジカルグループに入れていただきました。人生が豊かになった気がしています。世の中お金ばかりが貯金でないな、と思っています。やっとぴかぴかの1年生になったところです。
投稿: kaori | 2010年8月17日 (火) 09時29分