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2010年8月

2010年8月31日 (火)

米から作った素敵なクッキー

 先日、妻が親戚から新潟のお土産を貰ってきた。包みを開けると、箱に「オシ花クッキー」とかいた短冊が挟んであった。

 クッキーは直径が6cmぐらい、厚さが8mmぐらいのもので、表面にかわいい押し花がつけてあった。ひとつひとつ透明な袋に入っていた。

 食べてみると、さくさくとして今にもこわれそうで独特の歯触りであった。最初普通の小麦粉から作ったクッキーだと思っていたが、妻が、「お米から作ったクッキーよ。」と言った。なるほどそれで独特の感触があるのか・・・・と思った。

 バターがかなり入っているのか油っぽい。でも、味はとてもよかった。花は5種類ほどあり、いずれもぺしゃんこに押した花である。花びらは透明感があり、人工のようにも見えたが、本物を使っているということだ。

 念のために、「菓心亭かまだ」と入れてホームページを探したら、あった。でも、本店の写真や製造している菓子の写真が入れ替わりに出てくるだけであった。それで菓心亭オシバナクッキーと入力して探したらヒットした。

 何と20枚入り一箱が税込み、送料込みで3200円と書いてあった。結構高い菓子であった。でも、味と新潟産の米で作ってあるのがいい。

 米の消費が落ち込む中でこの菓子のように米を積極的に活用していくのはすばらしいことである。

 アドレス:

 http://www.sancyoku.jp/commodity?cmc=010515019502&ctc=0105&shc=0195

 菓心亭オリジナル押し花クッキー20枚入り

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2010年8月30日 (月)

中国政府は何故偽物の横行を放置するのか

 24日のテレビ愛知の「ガイアの夜明け」を見た。中国や台湾で偽物や海賊版が横行していることを扱ったものであった。

 かねてから台湾や中国では、日本の有名ブランドの登録商標がされていて日本が大変に困っていることが報道されていたが、相変わらず改善されていないという。

 番組では、「漁民」という日本料理のブランドを取り上げていたが、台湾では2件もそっくりそのまま使った料理店グループがあるのだそうだ。

 松阪牛、鹿児島など有名な地名やブランドが次々に中国で商標登録をされているのも問題である。これについては以前にも取り上げた。国際的信義として、常識では政府はこういう商標登録を許可してはならないと思うのだが、中国政府は平気で許している。そして一端許可したらクレームがあっても取り合わない。まことにおかしなことである。

 さらに、中国では、ホンダ、トヨタ、三菱、日産などの自動車やスズキ、ヤマハなどのオートバイの偽物や、パナソニックや三洋やシャープなどの家電製品の偽物も大量に出回っているという。 

 化粧品もそうだし、ありとあらゆる日本製品のコピーが、横行している。携帯電話では、ノキアや韓国の製品までも偽物が作られ、しかも、最近は技術力が向上したのか、客のニーズに応えて改良して出荷しているそうだ。

 とにかく儲けるためには手段を選ばないというのが、中国人のやり方である。こうして闇で作られた製品は、アフリカなど世界に輸出されている。輸入に規制がないアフリカの国々では一大偽物マーケットができあがっているという。

 不思議なのは、中国政府がこうした国際信義にもとる行為を根絶しようとしないことだ。というより放置をしていると言った方が正しいかも知れない。中国は関税と貿易条約の加盟国で、海賊版などは作るのを防がなければならない立場にあるはずだ。それなのに何故放置しているのであろうか。

 中国人は、日本製品が自国の製品よりも優秀であることをよく知っている。だから、日本に旅行に来る中国人は秋葉原などで、100万円、150万円と買い物をして自国に持ち帰っている。

 金がある人は、日本製品を金に糸目をつけずに買い、金がない人は偽物の粗悪品を買うという構図になっているようだ。

 しかし、中国政府は、即刻法律を改め、偽物を絶滅するべきである。これから中国はさらなる経済発展を目指すならば喫緊の課題である。

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2010年8月29日 (日)

高齢者高額医療費一部還付

 8月26日、区役所の福祉保険年金課がら一通の葉書が届いた。何だろうと思って見ると、高齢者高額医療費還付に該当する方がいるようだと書いてあった。

 さっぱり分からないので担当の課に電話をして尋ねた。すると、医療費がたくさん使われた場合一部を還付するということであった。いったい何時のことだろうかと再度尋ねると、調べてくれた。それによると、6月分が該当するのだという。

 領収書と印鑑と口座番号と通知の葉書を持って来るようにということであった。早速領収書を探した。幸い領収書は保存してあったが、驚いたのはその枚数である。

 腰痛で整形外科に殆ど毎日通ったのでその領収書が多いのと、白内障の手術をしたので眼科に通う回数が多くあったこと、それに伴って薬局の領収書も増えたことであった。更に、歯科にもかかったので6月に集中していたのだった。

 区役所に出かけて手続きをした。係は領収書を一枚一枚チェックして計算機で計算していったが、その速いことに感心をした。

 還付金はかなりの金額があり、銀行の口座に振り込まれるということであった。

 私は、こういうことは初めてなので質問をした。「領収書をとっておけば医療費をたくさん使ったときは役所から知らせがあるのですか?」というと、そうだと答えた。自分で何月にどのくらい使ったかを調べなくても役所で調べて通知してくれるということだ。だから医療費の領収書は保存をしておくことが大事だと知った。

 何歳からこの仕組みが適用されるのかは聞き漏らしたがあり難いと思った。

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2010年8月28日 (土)

山崎川にアライグマ?が出現!

 21日朝、いつものようにウオーキングに出かけ、山崎川に沿って歩いた。鼎小橋に差し掛かったとき、橋の根元に黒い犬のようなものがいた。何だろうと思って見ると向こうもこちらを見た。眼のあたりに横に白い線が入っていてどうもアライグマらしかった。私は、東山動物園で狸を見た事があるが、どうやらそれとはちょっと違うようであった。

 アライグマは人を怖れることなく、木の陰に行って止まっていた。私はカメラを持っていなかったが、咄嗟に携帯電話を持っていることを思い出した。早速取り出して逃げないかとあせりながらカメラを使えるようにした。アライグマはじっとしていて、道のほうから犬を連れた男の人がじっと見ていた。

 私もそちらに回ってみると、アライグマが人間の方を見ていた。犬がいても平気であった。少し近づこうとするとちょっと体を伏せて身構えたが、何もしないとわかると警戒を解いた。

 携帯電話のカメラを使うことは滅多にないので、なかなかうまく撮れなかった。通りがかりの女の人たちも寄ってきて「アライグマのようね。」などと言っていた。

 20年ぐらい前だったか、もっと前だったか忘れたが、岐阜県の可児市の辺りでアライグマが出るということを聞いたことがある。誰かが飼っていたのを捨てて野性化したらしかった。

 昨年、テレビでアライグマが日本中に広がっていて、東北地方にも現れると言っていた。しかし、まさか山崎川に現れるとは思っても見なかった。それほどにも増えたのであろうか。

 山崎川のアライグマはどこに住み、何を食べているのか知らないが、とても人に馴れていた。きっとどこかにまだいるだろうと思った。Photo

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2010年8月27日 (金)

小沢前幹事長の立候補

 結局、権力争いか。民主党代表選挙に前幹事長の小沢氏が立候補するというニュースを聞いて先ず思ったことだ。

 驚いたのは、前首相の鳩山氏の態度である。小沢氏を民主党に入れたのは自分の一存だから、大義から言っても小沢氏を支持すると述べたことだ。

 これまでは、鳩山氏は一貫して菅首相を支持して行くと述べていたのでその豹変振りには驚かざるを得ない。先日、軽井沢に小沢氏な160名の議員を招いて研修会なるものを開き、挙党一致をぶち上げたのは、今から思えば小沢氏立候補に向けての大義名分つくりのためであったということだ。

 政治家の言葉は、まともに信じて聞いていたらとんでもないことになる。そう言えば鳩山氏は、選挙の時には、沖縄に滑走路を作らせないと言っておきながら、辺野古に建設をすることを打ち出した。彼の言は軽く、ころころと前言を翻して平気である。こんな人は政治家を辞めてもらいたいが、彼は確か政治家を辞めると言っていたはずなのにいつの間にか居座っている。やはり、信用できないお坊ちゃまなのだ。

 ところで、民主党の代表選を巡って、25日の中日新聞一面トップで、小沢氏不出馬と言っていた。また、サンデーモーニングでは、毎日新聞記者の岸井氏が同じく小沢氏は出ないと予測していた。しかし、26日になって、小沢氏は自ら出馬を宣言した。鳩山氏の支持も得て、これならいけると踏んだのであろうか。

 しかし、国民は金銭疑惑をそのままにして幹事長を辞任してたった3ヶ月で禊がすみましたとは認めないであろう。菅首相は、首相になって3ヶ月である。もちろん過去には同じ民主党の羽田元首相のように3ヶ月首相もいなかったわけではない。毎年9月に代表選挙を行いその度に政治が滞る弊害を、以前に指摘したが、いい加減ししてもらいたい。

 小沢氏の座右の銘は「百術は一誠に如かず」だそうだ。常に誠を持って事に処して来たと言っているが、本当にそうなのか?小沢氏は、「えらく嫌われているが、会ったことも、話したこともない人から、何だかんだと言われるのは心外だ」と言ったという。

 国民の眼から見ると、小沢氏が辣腕と言われることに危惧の念を持っている。豪腕、辣腕というのは力ずくだということだ。国民に見えないところでゴソゴソとやる闇の力のことを言うのだろうと思う。

 政治は透明でなければならない。これからの政治は透明性(Transparency)が大事である。自由党時代の政党交付金の行くへにも週刊誌から疑問を提起されていたが、小沢氏の行くところ自民党的金の疑惑が付き纏う。

 菅首相は、小沢氏に会いたいと言ったが結局取り合ってもらえなかったという。挙党体制と言いながら、会うことを拒否する方が身勝手だ。挙党体制というからには、もし、小沢氏が代表になったら、当然そうすべきである。.

 以前にも指摘したように、小沢氏は意外にも肝っ玉が小さいのだ、狭量の人である。だから気に入らないと疎外してしまい、気に入った者だけ可愛がるのだろう。新人議員はその辺のことが分かっていないから小沢氏の影に怯えているのだ。

 それにしても、自民党は懲り懲りだが、民主党にも愛想が尽きる。

 

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2010年8月26日 (木)

集中力で動かす

 先日のNHKニュース番組でで、「脳波を使って動かす玩具」のことを伝えていました。インターネットで調べたら、以下のことがわかりました。

 「マインドフレックスは、脳波によって、エアで吹き上げられたボールを操作し、さまざまな障害をクリアしていくというもの。プレーヤーは、ヘッドギアを額に装着し、両耳にセンサーを取り付けた状態で意識を集中し、その強弱によってボールの高度を調整しながら、障害を進んでいく。参考出品のため、発売日などは未定。価格は9,975円を予定。」

 これを見て、私は「マジックベンジョラム」のことを思い出した。インターネットで調べたらこの名称ではヒットしないので、私の覚え違いかも知れない。そこで高木重朗氏の「魔法の心理学」(講談社現代新書)で調べたら、「シュブリエルの振り子」というのだと書いてあった。

 これは催眠法(術)の本に必ず出てくるのだそうで、ひょっとすると若いときに読んだ催眠術の本にあったのかも知れない。私は、マジックベンジョラムと記憶していたのだ。

 それはともかく、「シュブリエルの振り子」のやり方は、次のようなものである。

 紙の上に直径8cmの円を描く。円の中心を通って円周に向けて十字を描く。5円玉に30cmぐらいの糸をつけ、中心にの上に垂らして持つ。

 精神を集中して五円玉を見つめる。そして、「動く。動く。」と念じると五円玉が動き出す。「止まる。止まる。」と念じると動きが止まる。「円に沿って動く。」と念じると丸く動く。「縦に動く。」と念ずると縦に動く。

 これは、自分だけでなく、他の人に糸を持たせて、術者が暗示をかけても同じである。

 錘が動くのは、「観念運動」がおきたからである。集中することによって脳のある部分の働きが活発になり、それが無意識下で指に伝わり、僅かな動きを引き起こすのだ。

 先ほどの玩具は、集中力を鍛えるのによいとして紹介されていたのだが、何も1万円も出して買わなくても、「シュヴリエルの振り子」で十分であると思う。

 =参考

 「1/18、19に東京国際フォーラムで開催されていた「TOYフォーラム2010」に、セガトイズから脳波を測定し、ボールをコントロールするおもちゃ「マインドフレックス」が参考出品されていたようです。」

 「脳波を測定し、モノを動かすというのはBMI(Brain Machine Interface)と呼ばれる分野で、日経新聞でも今話題の研究ランキングでもトップ10に入ってくる技術(ATR研究所等)に位置づけられています。脳科学は医学分野以外は応用幅が少ない技術分野でしたが、例えば、視覚障害者に脳刺激を与え、視覚野におぼろげな画像を表示させることに成功したりと、徐々に応用分野の研究も進んでいます。

 このマインドフレックスに代表されるBMIの分野は脳波電位の変化(脳からのアウトプット)を、ロボットのインプットに応用するという流れで、おもちゃというフィールドながらも(逆に突破口としてはそのほうがいい)、こういう製品が徐々に出始めるのは世の中の一つの動きを感じさせます。」

 

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2010年8月25日 (水)

常盤幼稚園同窓会に出演して

  8月23日(月)に、中川区にある常盤幼稚園の同窓会に出演した。きっかけはクラブのI君のお母さんと同窓会の幹事のお母さんが知り合いであったということのようだ。

 I君黒川駅で拾うことになっていたのだが、待ち合わせる出口についてお互いの認識が異なっていたらしく、会えなかったので慌てた。Mさんに電話をしてお母さんと連絡をとってもらいやっと会うことで出来ほっとした。車に乗せてカーナビを頼りに車で行ったら、あおなみ線小元駅のすぐ下であった。した。13時15分頃に到着し何とか間に合った。

 世話人のNさんに電話をしたら出てきてくれた。車をとめたところから入ったところであった。カンカンの日照りでとても蒸し暑く汗が溢れてきた。準備にと、通された部屋は天井に扇風機が回っているだけでだったが、会場は遊戯室で冷房があったのでほっとしした。

 物置から折りたたみ式の衝立を見つけてくださったので、その陰で準備をすることができた。

 同窓会と言っても同期の会で、初めに担任であった先生の挨拶があった。その後、私が簡単に挨拶をして始めた。子供たちは、同じ小学校ではなく、常盤小と荒子小の2つの小学校に進学しているようであった。みんな今年1年生になった可愛い子たちであった。幼稚園の小さな椅子にちょこんとこしかけていた。およそ25人ぐらいいた。お母さんたちが5,6人回りにいた。

 マジックの台持って出て行くと、「知ってる、知ってる」と言った男の子がいた。それで、「目の前でマジックを見たことがある人?」と聞いたら、その子ともう一人の子が手を上げた。「マジックを出来る人?」と聞いたら、男の子が2人手を上げた。

 私の最初のマジックは、紙を鋏で切って鎖のようにつながっているというものだった。初めて見せるマジックであった。つながった紙は先生にあげた。

 それから、ロープマジックを2種、絵のカードマジック、紙からシルクが出るマジック、シルクピットインなどを披露した。一つひとつの演技に言葉を添えて演じました。子供たちは声をあげて見てくれました。

 その後は、真打のI君で、彼は、「僕の演技はSさんと違って、音楽に合わせて黙ってやります。知っているとか見た見たなどと言わないでね。」と前置きをして始めた。

 マジック用の取り出しを使って雰囲気も満点であった。演技もマジシャンらしい動きで、テープ、シルクなどを取り出したり、ドラえもんを出したりした。玉のマジックも見せた。次々と演じられるマジックに子供たちは魅せられていた。

 最後は、お遊び的なものをということで私が再登場した。一人のお母さんに出てきてリングとロープを使って脱出をやった。蘇武牧羊の応用版は子どもたち2人に手伝ってもらった。矢印の方向は、一人ひとりが方向を考えたたが、当たる人が多いので後で気がついたら、どうやら裏側が透けて見えるようであった。みんなはワイワイと楽しんだ。

 I君は5,6歳のころから、カードマジックをやり始めたというが、この子達の中からもマジックに興味をもつ子達が出てくるとよいと思った。

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2010年8月24日 (火)

熱中症とエアコン嫌い

 今年の夏の暑さは異常だ。私は、歳をとるにつれ夏の暑さが嫌いになった。他の人たちは夏の暑さには強いのだろうと思っていたが、今年の暑さには殆どの人が参っているらしい。

 23日の朝日新聞によると、熱中症でなくなる高齢者はエアコンのない人やあってもつけない人が多いという。私が話したことがある高齢者や聞こえてくる高齢者の会話でも、エアコンが嫌いだという人は多い。

 扇風機やエアコンの風に当たるのは体によくないという”信じ込み”があるのだ。マンションの10数階とか広い庭があって自然の風が入ってくる家庭はよいが、そんな恵まれた人は少数である。

 私は、暑さに弱いので、エアコンの愛用者である。日中はもちろんつけるし、夜寝るときにも3時間ぐらいはつけて寝る。寝付いてしまえば少々暑くてもよいのでタイマーを使っている。

 エアコンの電気代が幾らぐらいになるのかはまだチェックしていない。今のところ使い放題である。全国的には61%ぐらい使用量が上がったとニュースで言っていた。

 とにかく、こうも暑いとエアコンは体によいとか悪いとか言っていられないと思う。文明の利器は使えるのなら使ったほうがよいと割り切っている。

 はやく彼岸が来ないかと思っていたのに、新聞では、今年の残暑は長引きそうだというご託宣である。もう、参った、参った、である。

素材ナンバー 1611700 : 「無題」

 

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2010年8月23日 (月)

シラハエに恋をして

 天竜川で釣りをして、たまたま釣った2匹のlシラハエの美しさに魅せられて、何とかしてまた釣ってみたいものだと思った。

 その話を同僚にしたら、一度釣りに行こうと言ってくれた。たまたま、出入りの商人に釣りの大好きな人がいて、しかもシラハエを釣るのが上手だとわかった。それで、3人でシラハエを釣りに行こうという話しになった。

 彼は、とてもよく釣れる釣り場があると言って、三重県の松阪市の向こうにある雲津川に案内してくれた。

 美杉村を少し行ったところに雲津川があった。岩場があり、淵もあって格好の釣り場になっていた。後で分かったのだが、かなり遠くから釣りに来ているのであった。

 途中の釣具店で、シラハエを釣る餌のウジを買った。蝿のウジがシラハエつりの餌であった。もちろん栗虫の方がいいのだが高いので買わなかった。

 釣りを始めたが、案内してくれた人はさすがにベテランで次々と面白いように釣っていた。同僚もときどき釣り上げていた。ところが私は釣れなかった。ほぼ同じ場所で竿を出しているのに釣れないのだ。結局、夕方までいて数匹しか釣れなかった。その時のことは今でもはっきりと覚えている。

 でも、シラハエが数匹釣れたのでよかった。

 それから、何とかしてシラハエ釣りがうまくなりたいと日曜ごとに雲津川に通った。東名高速道路を通って行くので、通行料金も馬鹿にならなかったが、シラハエ釣りの上達を目指したのだ。

 いつの頃からシラハエがたくさん釣れるようになったのか覚えていないが、そのうちに面白いほど釣れるように上達した。

 今でも覚えているのは、ある日、いつものように釣っていたら、京都からはるばると釣りに来た人たちがいた。ポイントの岩場に陣取ってかなりのベテランのようでよい釣果を上げていた。私は、近くの瀬に立って釣っていた。しかし、私の方が竿をあげる回数が断然多かった。釣ったシラハエを入れる大きな網の袋を腰につけてそこに入れていたのだ。京都から来た人たちは、私の方を見て、「どうしてあんなに釣れるのだ。」と言った。私の方は所謂入れ食いというものであったのだ。夕方止めるころまでにはおそらく500匹近く釣ったように思う。

 

 

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2010年8月22日 (日)

高くて買えない今年の梨

 例年なら8月の始めから幸水梨が出回り、今頃は豊水が出始めるのであるが、今年はどこに行っても梨をあまり見かけないし、売っている値段がとてつもなく高い。毎年東京の娘のところから稲毛のおいしい梨を送ってくれるのだが、それも今年は収穫が不良で駄目だということだ。

 昨日、いつも行く安売りの八百屋で屑の幸水が売られていた。一袋480円で一個当たり50円ほどだ。例年ならこの店でさえ売らないような屑の梨である。思い切って試しに買ってみた。

 冷蔵庫に入れて冷やしてから試食をしたが、やはり屑梨は屑梨だ。甘みがイマイチで味わいも薄い。覚悟して買ったので諦めた。

 私のような年金生活の低所得者には今年は梨はとても買えないと諦めた。今年は桃も高くて、私が買うような価格の安い桃は甘みがなくてまずかった。

 聞くところによると、今年は蜜柑が大不作だそうだ。そうなると、リンゴに期待するよりほかはないのだが、りんごはどうであろう?

 それにしても、梨がナシという年は今年が初めてだ。

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2010年8月21日 (土)

民主党党内グループの研修会って何のこと?

 マスコミによると、前首相の鳩山氏のグループが軽井沢で研修会なるものを開いて、民主党国会議員の1/3に相当する160名もの議員が集まったという。

 小沢前幹事長も参加したというので、マスコミは大騒ぎをしている。しかし、研修会の内容についてはどこも報じていないので、何が研修されたのかは不明である。

 鳩山氏は、「今こそ私心を捨て、挙党一致の態勢をどう作り上げていくか、大きな未来切り開いていく活動の原点に立ち返ることが何より大切だ。」と挨拶で述べたという。(朝日新聞)

 「私心を捨て、挙党一致の態勢」を文字通りに受け止めれば、今、大事なことは、代わったばかりの菅首相を守り立てて国民のための政治をやることに他ならないはずだ。

 ところが、周りでは小沢氏に出馬を求める動きが活発になってきているという。幹事長を辞めて3ヶ月そこらで、もう代表に復帰させようというのだ。小沢氏は、何も発言していないが、党内の動静を探っているのだという。

 小沢氏は、挨拶で、「お互いに力を合わせて一生懸命頑張り、国民の期待に応えるようやりましょう。」と呼びかけたそうだ。

 これだけではいったい何を言いたいのかわからない。「お互いに力を合わせて」というのは、「私を支持してくれる人たちが力を合わせて代表に推して下さい。」と示唆したのかも知れない。

 この研修会の報道からは、挙党一致で菅政権を盛りたて民主党の政治をやっていこうという空気は読めない。

 私は、菅政権がよいか悪いかはこの3ヶ月を見ただけでは分からないと思うのだ。3ヶ月でころころと首相を変えることは、かつて自民党の首相が短命で代わることを批判した民主党がやるべきではない。

 菅政権を盛りたてて挙党で民主党らしい政治を進め、未来の希望をもてるような日本を目指すことが大事だと思う。

 小沢氏や氏を推す人たちは、権力闘争だけをやるのではなく、真剣に国民のための政治を目指してもらいたい。

 研修会というのは、民主党が目指す国民のための、未来の日本を切り開く政治ををどう作っていくかを勉強しあったのではないのか?もし、代表選挙に向けての腹の探りあいであったのなら、民主党には国民は失望するであろう。

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2010年8月20日 (金)

釣りとの出会い

 今はやらないが、一時釣りに凝ったことがあった。釣りを始めたきっっかけは、40歳ごろだったと思うのだが、天竜川の畔の宿に1泊したことであった。

 妻が子どもを連れて広島の友人のところに出かけたので、私も一人で駒ケ岳に出かけた。そのとき、天竜川の川辺に宿をとった。

 その宿は民宿のようなもので、入り口のところに竹の釣り竿が何本か立てかけてあった。宿の主人に聞くと、宿泊した人に貸すために用意したあるのだと言った。それで、一度天竜川で釣りをしてみようと思い立った。

 竿を借りて天竜川に下りて行った。天竜川はかなり流れのきつい川であった。浅瀬のところで教えてももらった餌の川虫を探した。確かクロカワムシといった。体長が2cmぐらいの黒っぽい水生昆虫であった。

 石を起こしてその虫をつかまえて針先につけて釣りを始めた。辺りには自分以外には釣りをしている人はいなかった。流れに沿って餌を流していたが簡単には釣れなかった。

 かなり時間がたって手元に手ごたえを感じた。さっと竿をあげると、体長6cmぐらいのきれいな魚が陽をあびてキラッと輝いた。何というきれいな魚だろうと思った。

 その日、魚は2匹釣れただけであったが、大変に満足をした。釣った魚は持って帰るわけにはいかないので逃がした。

 後で分かったのだが、その魚はシラハエ(学名オイカワ)であった。

 そのときの魚の美しさは今も脳に焼き付いている。それがきっかけでその後何とかしてまた釣ってみたいと思うようになった。

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2010年8月19日 (木)

驚き、ビッグマックに朝から行列

 17日のメーテレの夕方のニュースで、東京のマクドナルドが、ビッグマックを200円で販売し、好評であると伝えた。

 東京だけの限定かと思ったのだが、次の朝、念のためにホームページで調べたら、16日から26日の期間、全国で販売するということがわかった。

 それでブランチとして食べようと思って買いに行こうと思ったら、10時半までは朝マックだから行っても無駄だと言われた。仕方がないので、それまで待つことにした。

 10時20分過ぎに家を出て、先ず、西友に行って牛乳を買った。それから信号を渡って行くと、マックドナルドのドライブスルーから車が次々に出てくるではないか。「エッツ、ビッグマック効果?」と思いながら店に入ると、6人ぐらいの行列が出来ていた。

 並んでいると、次々に人が入ってきた。もちろんみんながビッグマックを買う人ではなく、朝マックなどの人もいたが・・・・。

 待っているときに壁に「ビッグマック200円」という広告を見つけたので、よく見ると、10時30分からとしてあった。やはり、10時半からであったのだ。それならそれでホームページにもそのことを書くべきなのにビッグマックの写真と期間以外はどこにも書いてなかった。なんという不親切!

 やっと買って家に持って帰って、ブランチとしてコーヒーを沸かして食べた。味は、袋に印刷されていた”taste good is good"にたがわず悪くはなかった。

 私は、マックなどのハンバーガーが大嫌いでほとんど食べなかったのだが、アメリカに行ったときにランチとして食べたことがある。そのときアメリカのマックの大きさに驚いた。日本のビッグマックより大きかった。

 今回、たまたまディスカウントセールをやったので、試しに食べてみようと思ったのであった。それにしても、行列には驚いた。

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2010年8月18日 (水)

民主党の代表選挙―朝日新聞社説に賛成―

 8月16日の朝日新聞社説に「党首選のあり方ー政権交代時代にあわない」が載った。9月に予定されている民主党の代表選挙に関連して、毎年1回、9月に代表選挙が行われることに疑問を呈したのである。

 私も、以前から毎年代表選挙を行うことについて疑問を持っていたが、同じことを社説として指摘したのだ。

 現在政権をもつ与党であり、党の代表は当然首相になる。首相になれば内閣の要として国政に全責任を持って当たらなければならない。ところが、民主党の動きを見ていると、参議院議員選挙が終わってからは、9月の代表選挙に党内の関心が移ってしまい、国政には気もそぞろの様子である。

 現在、景気は踊り場に差し掛かったといわれるし、政権党にはやらなければならない課題が山積している。ねじれ国会になって国会運営も困難が予想されている。それなのに、党内の問題が最大の関心事になっているのは全く情けない。今は代表選などにかかずらわっている時ではないのだ。

 このような事態を招いているのは、民主党の代表選挙が年に1回、9月に行う規定になっているためである。

 菅首相は、鳩山前首相の任期だけ代表を務めるというので最初から暫定首相なのだ。政権を担うものがこんないい加減なことでいいはずがない。

 民主党は、早急に党則を改正し、代表選挙の規定を合理的なものに改めるべきである。一案として朝日新聞社説が提起している「総選挙のサイクルと一致させる」というのも検討に値するのではないか。

 政権を担える党になった以上、全力をあげて国政に注力できる体制を即刻作り上げるべきである。

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2010年8月17日 (火)

名古屋華マジカルグループとの出会い

 退職後8年近くマジックをやっていなかった。海外旅行のときなどにちょっとしたマジックを見せる程度であった。それで、ぼつぼつ身辺の整理をしようと思って、まず、子供向けのマジックの本を処分することにした。本は最後に勤務した学校に持っていって図書館の蔵書としてもらうことにした。10冊ぐらいあった。

 それから1ねんほどして、中川区70周年記念の第九のコーラスの募集がありそれに応募した。最初の日に地下鉄の高畑駅で降りて会場の中川区役所講堂に向かって歩いていた。

 ところが、初めてなので区役所がどこにあるのか分からず困っていたら、道の反対側を歩いていた女性が声をかけてきた。やはり、道が分からず困っていたのであった。女性はMさんといった。

 中川区役所講堂はすぐ近くにあったのだが、大通りから道1本北にあったので分かりにくかったのだ。

 第九のコーラスには、そのころ昭和生涯学習センターにできた「50歳からの男声コーラス隊」という主催講座で一緒に受講しているSさんもいた。そのSさんとMさんが旧知の間柄であった。

 そういう関係でMさんと知り合い、SさんもMさんも帰りの地下鉄が同じなので一緒に帰るようになった。

 コーラス隊は、講座が終了すると自主グループとして存続させることになった。昭和男爵コーラスと言った。当初は10名で出発したので団員を募集することになった。

 Mさんにも、知り合いでやりたい人がいたら紹介してくれるように頼んだ。そのときに、Mさんがマジッククラブに所属していることがわかった。そのマジッククラブもできたばかりで団員を募集しているからマジックに興味があったら来ないかと誘われたのだ。

 それで一度どんなクラブか覗いてみようと思いある日例会に出かけた。Mさんには、私がマジックをやったことがあることは全く話していなかった。私はマジックは何にも知らないことになっていた。

 初めて例会を覗いて直感的にこのクラブなら入ってもいいと思ったので、自己紹介のときにその場で参加することを表明した。そして自分はマジックの経験があることや清水先生のことなどを話した。Mさんは、黙っていたことに驚かれたに違いないと思う。

 そういう訳でひょんなことから名古屋華マジカルグループに入ったのであった。そして2年あまりたって東文化小劇場で開いた発表会で初めて舞台に立ったのであった。

 あの出会いがなければ、マジックはやめてマジックのどうぐなどは整理していただろうと思う。それが逆にマジックの道具が増えている。

 しかし、新しい人たちとも知り合い、マジックでのボランティア活動にも参加するようになって人生がそれだけ豊かになったと思う。

 

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2010年8月16日 (月)

珍しい野菜

 毎週月曜日と火曜日だけ近所の米屋で野菜を売ることは以前にも書いたことがある。はるばると三重県の多気郡から野菜を仕入れてきて委託している人がいるのだ。

 そこで売られる野菜の中には、ときどき市販されていない野菜が売られることがある。今回は、昔なつかしい黄瓜と縞模様の入った瓜、黒西瓜、お化けのようなズッキーニ、真っ白いナス、黄緑色のナス、瓢箪のようなカボチャなどがあった。

 黄瓜は子どものころは瓜と言えば黄瓜であったが、このごろは見かけなくなった。甘みが薄いからであろうと思う。試しに買って食べてみたら懐かしい味が舌によみがえり、ほのかな甘みが口の中に広がった。甘みの強い瓜が幅をきかせる中捨てたものではないと思った。

 みどりの縞がある瓜は黄瓜とよく似た味で甘みは少ないが捨てたものではなかった。サラダにするとよいということであった。

 ズッキーニは長さが50cmくらいもあり、黄色とみどりのまだらの模様がついている。普通売られているものとは想像もつかないくらい別物に見える。あまりにも大きいので買うのがためらわれる。一度買ってみたが味は悪くはなかった。

 黄緑色のナスは米ナスくらいの大きさがあり、触ると柔らかい。料理法によってはとてもおいしく食べられる。

 真っ白いナスは硬いが煮物にして食べたら普通のナスのように食べられた。

 キュウリも昔懐かしい太くて大きくて柔らかいキュウリである。昔はこういうきゅうりばかりであったが、いつのまにか見かけなくなり、緑色の硬いまっすぐなきゅうりばかりになってしまった。この柔らかい感触が何ともいえないのに。

 黒西瓜は、野菜を運んでくる人が、「これはいちばんいい西瓜だと言ったので買ったのだが、皮が厚くて種が多く甘みが薄くて全く駄目であった。1000円も出して買って損をした気分であった。

 ここで売られる野菜は、珍しいのが多いので、当たりはずれがあっても食べてみたくなるから買っている。

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2010年8月15日 (日)

敗残兵遺棄を美化した大本営発表の「玉砕」

 8月は太平洋戦争終戦の15日や原爆が投下された日があるのでテレビにも戦争関連番組が放映される。NHKスペシャルの「玉砕」もその一つであった。

 「玉砕」が使われたのは、アッツ島玉砕が最初であったそうだが、実際にはそれ以前に南方戦線のニューギニアで”玉砕”があったのだという。

 最初の頃は、軍は敗戦を認めようとはせず、「敗残兵」として扱い、救援を送ることなく見捨てたのだという。何とも酷いものだ。

 戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けるな」と徹底して教え込まれていたので、兵士たちは上官の命令の下、素手でバンザイ突撃を敢行したのだ。それを見たアメリカの兵士は非常に驚いたという。

 大本営では果敢に敵と戦った末、転進をしたと嘘の発表をした。ところが全滅の敗戦が続くので、方針を変えて、アッツ島からは国民の戦意向上のために「玉砕」と表現することにしたのだという。そして、中に砂が入った2千数百名の骨箱を胸に持った兵士や家族により大々的な慰霊の式典が行われた。

 それ以後は、全滅したものはすべて果敢に戦って敵を殲滅し玉砕したと発表した。その大本営発表をそのままに新聞やラジオが国民に伝えた。我が家では朝日新聞をとっていたが、一面には敵をどれだけやっつけたかという記事や、玉砕が報じられた。子ども私はその発表を信じていた。大本営発表が嘘だったと知ったのは戦後である。

 軍の中枢部は、人命を鴻毛より軽く扱い、太平洋戦争だけで310万人もの戦死者を出したのだ。恐ろしいことである。

 バンザイ突撃という無謀な死に追い込んだのは、現人神、天皇陛下のためという文言と戦陣訓であった。この事実と共に軍中枢部の人間を戦う道具を考えていた非人間性を忘れてはならない。

 

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2010年8月14日 (土)

盆経をせかせかとよみ走り去る

 朝、7時40分ごろドアチャイムがピンポンとなった。坊さんかな?と思ってドアを開けると案の定坊さんであった。盆なので檀家を回ってお経をあげていくのだ。

 前日の夜遅く娘夫婦がきたので夜中まで起きていたから、みなは本当は朝ゆっくりと起きたいところであったが、この朝は早めに起こした。それで何とか坊さんが来たときには起きていた。

 部屋に入ると、坊さんはすぐに経をよみ始めた。木魚をポクポクとせわしなく叩いて、いつもの経をよむ速度の3倍ぐらいの速さでよんだ。2分か3分か計ってないので分からなかったがあっという間によみ終えて、お布施を貰うとそそくさと立ち去った。

 自動車で来て次のところへ行くのだ。いったい何軒回るのかしらないが、住職ではなくやとわれのアルバイト坊主のようであった。

 以前は、近くの尼寺の尼僧も来ていたが、こちらはいつのまにか来なくなった。今は檀那寺からだけである。

 事前に何日に行くという葉書が来るだけで、時刻は書いてない。妻は、そんなに早くこないと言っていたが、私は、8時ごろには来ると予想していた。実際は私の予想より早かったのだ。

 せめて何時ごろと書いてあれば、それなりに心の準備もできるのだが、何も書いてないのではどうしようもない。それで眠いのに早くおきたのであった。

 それにしても、あの経をよむスピードには恐れ入った。早く済ませたいという心がみえみえであった。これは毎年のことである。

 本当なら年に一度来るのだから多少の時間のゆとりを持って来て、檀家と雑談でもして行けばよいと思うのだが、そんな気配は全くない。これは例年のことである。

 日本の仏教が葬式仏教になって久しいが、葬式と法事と盆で稼いでいる商売である。だから近年お寺から離れて自分で葬式をしたり、先祖を偲ぶ会を開いたりする人が増えてきたと言われる。寺自らが仏教の衰退を招いていると言って過言ではない。

 #盆経をせかせかとよみ走り去る#

 #盆経の木魚の音の速きこと#

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2010年8月13日 (金)

マジックと私―⑤―カードマジックで記憶力に挑戦

 マジックは記憶力がものをいう。私の師匠の清水先生、その師匠の高木重朗氏、そしてカードマジックの師匠大矢先生などみな記憶力が抜群である。たいていのものはやり方を覚えておられた。大矢先生だけは92歳の現役であるが。

 ところで私は記憶力がよくないのが悩みである。大脳科学者の久保田競氏によると、短期記憶力をますことが大事だという。それには繰り返し思い出すことがよいのだそうだ。

 そこで最近、はたと思いついたことがある。それはカードマジックである。

 実は、私はこれまで、カードマジックは敬遠して殆どやったことがない。理由は3つある。一つは師匠の清水先生がカードマジックをやらなかったこと。二つ目は、カードマジックはテクニックが必要で絶えず練習することが要求される。三つ目は、記憶力がよくないので手順を覚えておられないことである。

 ところがごく最近になって、記憶力に挑戦してみようという気になった。そして、もう一つ気づいたことは、カードマジックと言っても何も難しいものばかりではないのではないか、ということである。早速いくつか調べてみたら、セットが要らないカードマジックがあることがわかった。

 高木重朗氏の「カード・マジック」(ひばり書房)によると、カードマジックの種類は何万とあると書いてある。だから簡単にやれるカード・マジックだってたくさんあるはずだ。

 たった52枚のカードで何万もやりかたがある!驚くべきことである。しかも、一箱のカードをポケットに入れておけば、どこにでも持っていけるのだ。私はこれまでカード・マジックをやらなかったことを後悔した。が、悔やんでも始まらない。歳に関係なく、挑戦あるのみだと思った。

 カードマジックの技法は見ている人には鮮やかだが、それをマスターするのは容易ではないし、若いときでないと無理だろうと思う。それで格別な技法を要しない簡単なカードマジックを探してそれを覚えようと考えた。

 マジックはテクニックが凄いとか、タネが複雑なのがいいマジックとはいえないと私は思う。むしろマジックはタネが簡単でやりやすいのがいいマジックだと思っている。

 とりあえずの目標を20種類とし、それを毎日復習して脳裏に定着させようと考えた。記憶には繰り返して復習するしか方法がないはずである。それでセットが要らないか、もしくは要るとしてもごく簡単なセットでやれるものを20種類探した。

 カードマジシャンの大矢先生に話したら、「何も難しいものをやることはありません。相手と共に楽しめるものがいいのです。」とおっしゃった。それで俄然やる気が出てきた。

 いざ、覚え初めて見ると、記憶を維持するのは大変だと思った。他のやり方と混同したり、いきなり思い出せなかったりするのだ。まあ、しかし、何度も繰り返すうちに何とか覚えられるだろうと思っている。

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2010年8月12日 (木)

マジックと私―④―清水先生から学んだこと

 我がマジックの師匠、清水先生のお宅では奥の座敷に紫檀の座卓が置いてあり、そこでマジックを教えて頂いた。隣の部屋には丸いちゃぶ台がおいてあり、奥さんがご自分の仕事などをしておられた。時には、そのちゃぶ台でマジックを教えていただくこともあった。

 マジックを習うとき、一通りの手順の説明を受けやり方がわかると、席を立って実際に演じて見てもらった。そして演技のいけないところを細かく指導してもらった。

 立ちかた、間、目線、手の動きなど細かく指導をしてくださった。何しろ2人~3人の個人指導であったので行き届いていた。

 前にも書いたように、先生のマジックはエンターテイメントではなく、きちんとした演技で見せるというものであった。今流行のスピードではなく、観客によく分かるように見せることを大事にした。特に強調されたのは、間の大切さであった。

 先生のお宅での指導時間は何時間と決まったものではなく、大体は夜の7時ごろから10時ごろまでであった。その間、マジックを教えて頂くだけでなく、多岐にわたる雑談を交わした。

 マジックに関係した話や、先生の日中戦争従軍の話や、時の政治・経済の話や銀行時代の話などいろいろあり、とても楽しいものであった。

 そうした中で教訓として胸に残っていることがある。例えば、私は先生に頼まれた時約束の日より早く仕上げて持っていったことがあるが、そのことを褒めてくださり、何か頼まれると期日より早く仕上げることが大事だと銀行時代の例を挙げて話してくださった。上司からどうなっているとせかされて持っていくようでは駄目だと言われた。

 私はそれを肝に銘じて何でも早く仕上げることに務めた。例えば、学校の期末の成績でもどんなに忙しくても期日以前に仕上げた。

 こんな話もあった。銀行時代に営業で訪問をされると玄関の様子を見たそうである。靴が乱れている家庭は問題があると思われたそうだ。

 前にも書いたように、先生は、いつも手品の小物を持っておられ、どこででも出会った人にそれを取り出して演じて見せておられた。時間があるときはやり方を教えてその品を相手にあげていた。

 喫茶店に入ると、テーブルの上のナプキン、砂糖などを使って手品をやられたし、お金を払うときに、払った仕草をして金をかくすというようなこともあった。

 こんなエピソードを聞いたことがある。あるとき旅行で温泉に入られた。すると、「いくら清水さんでも、裸では何もできんだろう?」と言われたそうだ。そのとき、やおら奇妙な音を出して驚かせたという。秘密は口の中に入れていた小さな笛であった。舌を使ってその笛を鳴らしたのであった。

 先生は、話術がとても巧みでそういうちょっとした手品を見せるときには、必ず、喋りながらやられた。そういう姿を傍で見てきたので、私も、先生のような身近な手品に興味をもちポケットに小物を入れておくようになった。

 海外旅行のときなどには、手品を持って行きそこで出あった人に見せた。旅行ではみんな時間があるので見てもらえるのでよい。また、現地の人とは交流ができるので嬉しい。

  

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2010年8月11日 (水)

広島と長崎―命の重さは同じだ―

 8月9日は、長崎に原子爆弾が投下された日であった。広島だけでなく、僅か3日のちに長崎にも原爆を投下したアメリカの軽さには驚かざるを得ない。先日も指摘したように、アメリカの考えの背景には、人命を塵のように瑣末なものと考える心理があると思う。だから物量にものを言わせて無差別爆撃や原爆投下が平気でやれたのだ。それは今に到るまで変わっていないことも書いた。

 ところで、長崎に原爆が投下されたことが、広島の後であったので、長崎は広島よりいつも軽く見られていると感じてきた。

 今回でも外国からの代表参加国数は広島に比べて長崎は少なかったし、アメリカの大使は代理も送らずに不参加であった。

 広島が最初に原爆を投下されたのはその通りだが、まるで勝負事のように順位がつけられているのはいかがなもlのかと思う。たまたまアメリカの選択がそうなっただけであって、原爆を落とされたと悲劇ということでは同列なのだ。或いは、広島の方が犠牲者が多いという意見もあるかもしれないが、私は、命という観点から言えば同じであると思うのだ。

 国連事務総長の潘基文氏が、長崎に訪れ広島の式典に参加したのは、日程の関係でやむを得ないことだと思う。長崎にも行って献花をしたり、被爆者と会って話を聞いたりされたのは立派だと思う。

 私が、言いたいのは、広島、長崎の悲劇は同じ重さであるということである。また、日本中の都市が通常爆弾や焼夷弾で無差別に破壊され多くの人命が失われ、負傷者が出たことも同じ重さで捉えるべきだと思う。

 日本は戦後アメリカべったりになってアメリカがやったことには何も言えないで65年が過ぎた。まことに残念なことである。

 

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2010年8月10日 (火)

私とマジック―③見せる相手は生徒

 マジックを覚えると、誰でも誰かに見せたくなるものだし、もともとは見せるために覚えるのだ。

 最初の観客は当然家族ということになる。中でも妻である。練習をしてある程度手順を覚えると先ず妻に見せた。家族という観客は冷静にというか、結構シビアな眼で見るから批評も手厳しい。

 私がマジックを習う目的は、クラスの生徒に見せるためであった。最初に覚えたのはロープで結び目を作ったり、消したりするのや輪をはずしたり、はめたりするのであった。そんな簡単なものでも得意になって見せたものだ。

 だんだんとレパートリーが増えてきて、道具物もできるようになると毎学期末のお楽しみ会で幾つかのマジックを見せた。最初の会のときには、必ず、観客としての心得をを話した。

 演技中には「知っている」とか「見たことがある」などと言わないこと。

 タネを知っていても人には言わないこと。

 道具などを覗きに来たり触ったりしないこと。

などであった。

 清水先生の旧宅で、娘さん(といっても80歳を越しておられる)が主宰して、現在、月に1回のマジック研究会をしているが、その中に私のかつての教え子の母親が偶然に参加している。しかし、その子は私の手品を知らないそうなので、おそらくその後にマジックを習い始めたのだろうと思う。

 不思議なもので、教師が手品を見せると、生徒の中から興味を持つ者が出てきて、こちらが教えないのに、自分で覚えてきてやる者が出てくることであった。これは何時のときでもそうであった。

 生徒がやるときには、サーストンの三原則を全員に教えた。

 「マジックの世界、特に日本のマジック界で古くから知られている言葉にがあります。

 ハワード・サーストン(Howard Thurston ,1869-1936)という、今世紀前半に活躍したアメリカを代表するマジシャンがいました。その偉大なマジシャンの名前を冠した言葉なのですが、実際にはサーストン自身がこのようにまとめたのではありません。しかしこの「3原則」はマジックを演じる者であれば、誰でも知っておいて損のない言葉です。

原則1.「マジックを演じる前に、現象を説明してはならない」

原則2.「同じマジックを2度繰り返して見せてはならない」

原則3.「種明かしをしてはならない」

どうです?シンプルでしょう。でも、これはどれも大変重要なことばかりです。 共通していることは、マジックの本質である「意外性」をなくすようなことは極力さけよ、ということの具体的かつ実践的なアドバイスです。 ←「魔法都市の住人」から引用

 マジックを見る心得や演じる心得を教えることは大切で、マジックだけでなく、他の事柄にも役に立つことである。

 

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2010年8月 9日 (月)

素敵な詩集に出会う―柴田トヨさんの「くじけないで」―

 先日、Hさんから、柴田トヨさんの白寿処女詩集を買ったが読みたければ貸してくれるというmailが来た。NHKで紹介されたのを見て買ったそうだ。私も、チラッと見たので是非読んでみたいと思った。

 この詩集は、飛鳥新社から出版されたものだ。ページ数は109ページで文庫本の2倍の大きさの本である。タイトルは「くじけないで」。

 どの詩も見開きのページに収まっていて全部で42編ある。本屋で立ち読みすれば、15分で読めてしまいそうな本だ。

 開いて読み始めたらすぐに惹き付けられた。すてきな言葉がさりげなく素直に並んでいる。その秘密はP.26の「私Ⅰ」でわかる。

 本の帯には、「涙があふれて止まらない・・・・。」「詩集としては異例の大ヒット」と書いてある。

 著者の柴田トヨさんは、明治44年(1911年)生まれで、99歳(白寿)になられる。この歳で本を初めて出版というのも大変珍しいと思うのだが、驚いたのは詩作を始めたのが90歳を過ぎてからだということだ。

 そんな歳でどうして詩を書くようになったのかに興味があったが、最後の簡単な略歴を読んでその理由がわかった。

 「私が詩を書くきっかけは、倅のすすめでした。腰を痛め、趣味の日本舞踊が踊れなくなり、気落ちしていた私を慰めるためでした。」

 たった一人の息子さんが中学生のころから文学に興味を持ち、同人誌などに投稿をし、入選もしていたそうだ。お嫁さんは同人誌の仲間だという。

 柴田さんによると、詩を作るのは1週間に1つだという。なぜかというと、現在も一人で暮らしていて、土曜日に息子さんが見に来られるときに一緒に仕上げるのだそうだ。枕元にはペンと紙を置きひらめいたら書きとめるそうである。

 この詩集のタイトルは、P。54にある次の詩からとられたようだ。

              くじけないで

         ねえ 不幸だなんて
    
     溜息をつかないで   
           
         陽射しやそよ風は 
               
  えこひいきしない 
  
         夢は 
            
  平等に見られるのよ 

         私  辛いことが 
         あったけど 
       
  生きていてよかった

         あなたもくじけずに

  柴田さんは、裕福な家の一人娘として生まれながら、家が没落し、奉公に出るたり、結婚にも一度失敗するなどいろいろな苦労をされたという。

            返事

         風が 耳元で
         「もうそろそろ
                    あの世に
         行きましょう」
         なんて 猫撫で声で 
     
    誘うのよ

         だから 私
         すぐに返事をしたの
         「あと少し
         こっちに居るわ
          やり残した
        事があるから」

        風は
        困った顔をして
        すーっと帰って行った  

 柴田さんには、詩を作ること、世界で読んでもらうという夢があるのだ。

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2010年8月 8日 (日)

私とマジック―②清水先生のマジック

 私のマジック習得は清水先生からの個人指導であった。そこにあるとき坂野さんという人が加わり一緒に教えてもらうことになった。この方は個人事業主であったが、第一線からはリタイアしておられた。マジック歴は長くてときどき先生のところに出入りをしておられたのだ。

 先生のマジックは、高木重朗氏や布目氏など名古屋マジシャンズクラブが招聘した講師のものであったが、高木氏のものが中心であったと思う。高木氏は教えたマジックの道具を「清水さん、お作りなさい。」と言って、先生が製作するのを許しておられたという。それで作った道具はいつも高木氏のところに送っていたと聞いた。

 とにかく、マジックの道具を作ることで知られていて、小さなものから大きなものまでほとんどのものは自分で作るか特注で部品を作らせて組み立てておられた。中華セイロやビール瓶プロダクション、がっくり箱・・・・等々何でも作られた。小物の場合数多く作って、人にただで上げることもよくあったようだ。

 手品の材料はいつも原価で分けていただいた。作るのに大変だと思うのだが、労賃は無視しておられた。

 先生はよく演技を頼まれていたので、そういうときには助手としてついていった。先生の演技はゆうなれば格調の高い楷書の演技であったと思う。真面目に基本に忠実に演技をされた。ところどころで間を置いて観客を見て演技をすることやわかりやすい演技を大事にされていた。それはおそらく高木氏の指導がそうであったのでは・・・?と推測する。

 最近の演技は、エンターテイメント性が重視され、華麗でスピード感のある演技が多い。先生の終わり頃には、スピードのある演技が増えていたように思うのだが、「あんまり速くて何をやっているのかわからんときがある。」というようなコメントをされたのを聞いたことがある。

 私が手品を習い始めた頃は、今よりもマジッククラブが多かったように思う。金山の市民会館中ホールや芸術創造センターや出雲会館や一宮や岐阜や・・・・と先生が見に行かれるところにはくっついて見に行ったものであった。

 そうした中で、高木氏、布目氏、沢氏その他のアマチュアマジシャンのレクチャーを受ける機会もあった。また、先生のところにはいろんなマジシャンがよく出入りをしていた。先生が作った道具を分けてもらうという目的もあったようだ。

 

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2010年8月 7日 (土)

私とマジックー①―出会い

 私がマジックを習うきっかけは、清水良作先生という近所に住むアマチュアマジシャンとの出会いであった。

 清水先生は、名古屋アマチュアマジシャンズクラブという,名古屋では歴史のあるクラブで、有名な東京マジシャンズクラブのようなクラブの会員であった。元市中銀行の支店長までをされた方で、マジックでは有名な方だ。

 先生との出会いは、私が40歳代の中ごろだったと思うのだが、近所の文房具店であった。私が、文房具を買いに行ったときに、丁度先生も文房具を買いに来ておられたのだ。私が挨拶をすると、いきなり手品を見せてくださり、私が教員をしていることを話すと、「いつでも教えてあげるからいらっしゃい。」と言って下さった。

 実は、清水先生と父とは古い知り合いで、私が大学生の頃に、父は、清水先生に貰った簡単な手品を見せてくれることがあった。というのは、先生は、何時でもどこでも手品を見せるのが好きな人で、バス停とかちょっとしたところで遭った人に手品を見せてそのマジックあげるということがよくあったのだ。

 父から、「清水先生がいつでも手品を教えてあげると言ってるよ。」と聞いたことがあったが、私は、あつかましいと思って遠慮していたのであった。マジックを習うようになってからそのことを悔やまれたがどうしようもなかった。

 ところで、ある日先生がわざわざ私の家を尋ねてこられ、「手品を覚える気があったら遠慮することなくいつでも家に来なさい。」と言ってくださった。それで思い切ってお宅を尋ねることにしたのであった。

 初めてお宅にお伺いしたのは、1981年10月17日の夜であった。今も残っている古い木造の平屋のお宅で奥さんと暮らしておられた。手品三昧の生活で物入れには手品の道具などが一杯保管してあった。

 最初に習ったのは、簡単なロープの手品で、ロープにかけた輪をはずしたり、輪抜きをしたり、綾取りではずしたり、はめたりする手品であった。この手品は今もときどき人に見せている。

 私は、大学ノートを1冊用意して、習った手品のやり方を記録していくことにした。きっと忘れると思ったからである。このノートをある時先生に見せる機会があってお見せしたら、大変驚かれたことを覚えている。そして大事なことだと褒めていただいた。

 しかし、先生はというと、マジックの手順は全て頭の中に記憶をしておられた。もともと頭脳の素晴らしい方なのだが、おそらlくいつも人に見せておられたので記憶が強化されたのであろう。とにかくどんなマジックでもマニュアルはなくすぐに演じられた。

 私などは右から左へ抜けてしまうので、マニュアル化は必須であったのだ。

 

 

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2010年8月 6日 (金)

広島に原爆が投下された日に

 今日は広島に世界で初めて原子爆弾が、アメリカによって投下された日だ。昨日のNHKクロースアップ現代では、原爆投下によって出来たキノコ雲の高さがこれまでの8000m余から倍の16000mにも達したことが分かったと報じていた。

 戦後65未だに原爆による被害に苦しむ人や道一つ隔てただけで黒い雨の被害者に認定されないという何とも機械的な不可解な差別に苦しむ人もいる。

 先日の週間現代だったか朝日新聞だったか忘れたが、原爆投下について日本だから構わないという人種偏見があったと書いてあった。もし、白人の国、例えばドイツやイタリアなどであれば原爆は投下されなかったのかも知れないというのだ。真偽はともかく、ありうる話ではある。

 しかし、忘れてはならないのは、アメリカの残虐さである。原子爆弾を広島と長崎に投下したことばかりが大きく取り上げられるが、アメリカの空軍はサイパンから日ごと夜ごと襲来して日本の殆どの市や町に通常爆弾や焼夷弾を雨あられのごとく投下し焦土にしてしまったことを忘れてはならない。私が子どものころ、毎日上空をB29が空襲に飛ん行き、帰って行くのを見ていたので無差別爆撃も原爆投下と同じ大犯罪だと思うのだ。

 このアメリカの残虐さは、その後もベトナム戦争、イラク侵略、アフガニスタンなどで続いている。ベトナム戦争では、アメリカに大義がないことが証明されたし、イラク侵略でも国連の決議なしにフランスやドイツなどの反対を押し切ってイギリスと共にイラクに攻め込んだ。

  当時の国務長官さえ後に間違いであったことを認めた侵略戦争であり、そのために平穏に暮らしていたイラク国民が今もなお混乱の中で苦しむ事態となっているのだ。

 原爆投下、市民の居住地区への無差別爆撃、他国侵略などを平気でやる残忍さを絶えず告発し続けるべきだと思う。

 広島、長崎に原爆を投下したのは、戦争終結を早めるためだという理屈であったというが、私はそんなことは信じない。他国の人間がどうなろうとお構いなく、強大な力を背景に世界を支配しようという、そのための力の誇示であったと思うのだ。

 

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2010年8月 5日 (木)

外国語指導助手(ALT)のおかしな問題

 8月4日の朝日新聞3面に、「英語助手と離せぬ先生」という大見出しの記事があった。最初、担任の先生の英語力不足で英語助手と話ができないのかと思って記事を読んでいったら違っていて。内容は、英語助手と授業の進め方などを授業中に指導したり、打ち合わせをしたりしようとしても、法律違反で出来ないという問題であった。

 外国語指導助手といっても実質は英語指導の助手ということになるが、その雇用形態には3通りあるという。

①自治体(教委)の直接雇用

②労働者派遣

③業者への業務委託

 この中で一定の教委は、コストの抑制や人材の安定確保などのため③を選ぶのだ。ところが、③の業務委託の場合には、法律上、教員と打ち合わせをしたり、指導助手に指示をしたりすることができないのだそうだ。

 そこで、授業中に児童がALTの英語の指導が分からなくて困っても担任は何もできないという事態が生じるというのだ。もし、担任が介入したら、偽装請負ということになるのだそうだ。

 業務委託を選ぶ自治体は、愛知県で57.1%、東京都は実に78.7%、福岡県が58.5%など11都県で半数を超しているという。

 文部科学省は、小学校からの英語教育を取り入れたが、実際の指導は業者とALTに丸投げを認めているのはどう見てもおかしい。「ALTが独立して授業をすることで、生きた英語に多く触れられる」というのは、屁理屈である。学校教育は、塾とは違うのだ。

 それに業者委託によって、教員免許がなくても、英語圏出身だというだけで指導助手になるケースが多くなる。直接雇用によって正式に英語の免許をもった指導助手を雇うべきである。

 私は、40歳を過ぎてから英語会話の勉強を始めて、TOEICでも海外勤務が出来るレベルのスコアをとったが、在職中には一度もそれを役立てる機会がなかった。小学校に英語教育が取り入れられるように変わったのは最近のことだからだ。

 でも、仮に私が担任であるとしても、ALTが業務委託であればどうしようもないのだ。こういう事態は早急に改めるべきである。

 

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2010年8月 4日 (水)

今度は超高齢者の放置?―役所の怠慢ではないかー

 先日、東京都足立区の111歳で都内男性の最高齢と見られていた男性が、実は30年も以前に死亡していたことが判明した。しかも、死体がそのまま住居の一室に放置され、家族は同じ家で住んできたという猟奇的な事件であった。

 新聞などを読むと、その家族が年金を受給していたことを問題視して不正受給として調べ始めたという。死亡後届けを出さずに不正に年金を貰っていたことは咎められて当然である。しかし、年金については毎年調査をしているはずである。それなのに見抜けなかったというのはいかがなものか。

 年金については、社会保険庁のずさんさが問題となった。いつのまにか報道されなくなったが相変わらず未解決の筈だ。年金関係のいい加減さもこうした問題の背後にあると思うのだが、それだけではなく、100歳を越す超高齢者について管轄の役所がきちんと把握をしていないことが問題だ。

 折りしも今度は、同じ東京都の杉並区で、都内最高齢の113歳の女性の存在が不明であることが発覚した。

 79歳の娘やその弟という子供がいながら、親子兄弟が音信不通になっているというのも今の世相を反映していると思うが、113歳、都内最高齢者についてどこの役所も何も把握していないというのが不思議である。まさに役所の怠慢ではないのか。

 今回の場合、年金や医療費の不正受給はないということだが、だからよしとはいえないと思う。

 厚生労働省の調べでは、100歳以上の超高齢者が、全国で4万399人もいることになっているという。しかし、この数字も頭からは信用できない。不明者がいるかも知れないからだ。

 100歳以上の人が4万人もいるからといって、正確な状況を把握しないで放置してよいものではなかろう。むしろ、ひとりにとりをきちんと把握すべきだ。100歳以上の人には敬老の祝い品が出るのかどうか知らないが、そういうものがあるなしにかかわらず役所には生存や健康状態なども含めてきちんと掴んでもらいたい。

このblogを公表したら、朝日新聞の朝刊には、全国で14人の未確認者が出てきたと書いてあった。名古屋市でも106歳の男性が行方不明だという。おそらく各自治体が急に調査を始めたに違いない。やればできるのだ。NHKのキャスターは、この先どこまで増えるかわかりませんねと言っていた。100歳以上の超高齢者の人数がどんどん減って行くというわけだ。そんなことより、心配なのは、100歳以下でも把握されていない高齢者がかなりいるのではないかということだ。その辺りもしっかりと調べてもらいたい。

 

 

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2010年8月 3日 (火)

子どもの頃の消夏法

 今年の夏は、格別に暑い。天気予報ではまだまだ酷暑の日が続くといっているし、女性週刊誌の電車内釣り広告には、とんでもない暑さが襲来すると書いてあった。

 今は家の中でエアコンをつけて過ごしているので暑さは凌げている。その分、電気代が大変だろうと心配している。

 私の友人の手紙に、子どものころの消夏法についていろいろと触れてあった。それを読んで、私も、子どものころの消夏法をなつかしく思いだした。

 私の子ども時代には、扇風機すらどこの家にもなかった。扇風機について私が実物を見たのは、高校生になって親が医者をしている友人の家に行ったときであった。真っ黒い扇風機があったのを覚えている。そんな訳だからどこの家庭にも扇風機はなかったのだ。

 夏に一番活躍したのは、団扇である。その頃の団扇は竹の骨に紙を張って作ってあった。今のようなプラスチック製は団扇という感じがしない。

 団扇には、金魚とか涼しげが絵が描いてあった。それをいつも傍に置いて暑いと自分で扇いで風をおこしたのであった。

 夕方、たらいに湯を入れて行水を浴びるのが嬉しかった。くどで釜にお湯を沸かし、それに水を足して、たらいに入れてその中で汗をながしたのだ。子どものころはその後、あせもを防ぐために天花粉というのを首筋などにはたいてもらった。

 そして、夕方になると、道路に打ち水をした。近所の人みんな縁台や腰掛を持ちだして、外に集まり、9時過ぎるまで談笑をした。縁台では将棋を指した。子どもも大人の中に交じって夕べの数時間をすごしたのだ。

 蚊取り線香を傍においても時折襲ってくる蚊を団扇ではたいたりしたものだ。ただこうしたことは戦争中の4~5年間は全くそれどころではなかった。終戦になってからのことである。

 お菓子や飲み物は戦争直後にはなかったから、近所の井戸で水を汲んできてそれを飲んだ。大人は「鉄管ビールだ。」と冗談を言っていた。

 9時を過ぎて少し気温が下がってくると、家に入り蚊帳を釣った。蚊帳の中は風通しが悪くて暑かったが仕方がなかった。布団にはゴザを敷いて寝た。ゴザが多少背中の暑さを和らげてくれるのであった。もちろん団扇を持ち込んで扇ぎながら眠りについた。

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2010年8月 2日 (月)

痛ましい子どもの放置致死

 大阪で若い母親が、自分の子どもをアパートに閉じ込めたまま放置して死なせた事件はなんとも痛ましい事件である。子供は僅か3歳の姉と1歳の弟であった。

 近くの住民が、子供たちが「ママ、ママ」と呼んでいるのを不審に思い児童相談所に連絡したが児童相談所も警察も立ち入った調査をしなかったので悲劇が起きた。

 おりしも厚生労働省の発表によると、昨年の児童虐待は44600件だという。その数は年々少しずつ増加しているという。

 子育てが嫌だからと言って、幼い自分の子どもに食事を与えないとか暴力をふるうとかといった、人間とも思えない残忍な虐待が後を絶たない。

 猫でも犬でも野生の動物でも、子育ての放棄や虐待は聞いたことがない。動物園に買われている動物の中に子育ての放棄がたまにあると聞くだけだ。

 自分の時間が欲しいとか、子どもの泣き声がうるさいとか、理由はさまざまだがそういうことを平気で言って子どもを虐待する心理が理解できない。

 今度の事件の場合、2人の子供たちがどのようにして死んで行ったのかを想像するだけでもたまらない気持ちになる。生きている間、子供たちは、ひたすら母親を信じて、頼って、戻ってくるのを待っていたに違いない。いったい何週間生きていたのかわからないが、水も食べ物もなく次第に衰弱していったことであろう。

 3月頃から母親が出て行ったらしいから4ヶ月もの間母親はどんな気持ちでいたのだろう。おそらく平静ではいられないと思うのだが・・・・。

 自分の子どもに暴力を加えて死なせたり、放置して死なせたり、いずれも許せない残虐さである。裁判になると、前例からは、おそらく懲役8年ぐらいということになるのであろうが、それでは決して償えない罪であると思う。

 厚生労働省や自治体や文部科学省などは、増える児童虐待について真剣に対処すべきである。何が原因なのか、人間がどう変わってきたのか、社会や政治がどう関わっているのか、など多角的に考えるべきであると思う。

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2010年8月 1日 (日)

議員歳費日割り先送りに怒りを覚える

 日本の国会議員はどこまで自己中なのか、議員歳費の日割りがまた先送りだそうである。自民党がやれなかったのは当たり前のことだが、事業仕分けで名を売った民主党が、議員歳費のことになるとまたもや先送りで取り組みに及び腰である。何とも情けないことである。これだから民主党は支持を失うのだ。

 七月の参議院議員選挙で当選した新議員たちは26日から31日の僅か6日間の議員活動で7月分の計229万7000円を全額支給されたのだという。内訳は、歳費129万7000円、文書通信交通滞在費100万円だそうだ。

 議員歳費が一ヶ月に229万円余も支給されるというのも、その額の大きさに驚くばかりである。国会議員は寝ていても巨額の収入が保障されているのだ。今でも夏のボーナスがもらえない中小企業の労働者が多くいるというのにだ。

 もし、日割りを導入していれば、約44万円の支給にとどまり、約185万円の無駄が削減されるはずでだという。44万円でも一般の会社員から見れば高嶺高額な金額である。

 昨年の衆議院選挙ではたった1日で480人の議員に8月分の全額がしきゅうされたという。

 こうしたことが、改善されないでいまだに続いているというのが不思議でならない。こういうことこそ自らが改めるべきなのに、相変わらず放置されているというのは、議員は金が欲しくてたまらないからだ。だから国の財政のことなど全く考えないで貰えるものは貰ってやれ、なのだ。国の税金を合法的に取り込んで私腹を肥やしているのだ。

 このような悪しき慣行はその気になればすぐにでも超党派で改められるはずである。ねじれなど関係ないのだ。今度の国会で超党派ですぐに議員歳費の日割りを決めてもらいたい。

 その次には、どう見ても多すぎる議員が貰う経費についても抜本的な減額をしてもらいたい。消費税率を上げるまでにやらなければならない無駄遣いの仕分けはまだまだあるのだ。

 

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