大相撲は大衆芸能だという小沢昭一氏の指摘だが
7月7日の朝日新聞「耕論ー大相撲は何に負けたのか」に小沢昭一氏の談話が載っている。それによると、「大相撲は由緒正しい大衆芸能であった」ということのようだ。それを終わりにしたのは、文部省を始めとして一般の「大相撲をスポーツとして捉えて、清く正しく、すべてクリーンであれ・・・」とする風潮であるという。
小沢昭一氏が、相撲を大衆芸能であるとした指摘にはうなずけるものがある。考えてみれば、大相撲には、スポーツというより芸能的な部分が多々ある。小沢氏は、「神事から始まった相撲は江戸の終わり、両国の回向院で常打ちが行われるようになった。両国というのは、見世物小屋や大道芸が盛んなところです。」と言っている。「明治になってちょんまげが廃止されても、相撲はそれを守った。また、櫓で太鼓をたたいて客を集めるやりかたも芝居小屋の流儀でしょう。」
そして、こう言っている。「成り立ち、仕組みが非常に芸能的。どうみても相撲は芸能、、見世物でスタートしているのです。」
この相撲は大衆芸能という指摘はその通りだと思う。さすがに大衆芸能に詳しい小沢氏ならではの鋭い指摘である。相撲には、相撲甚句が歌われたり、ショッキリというエンターテイメントがあったり、行司が裃で裁いたりと芸能的な要素を多分に含んでいる。タニマチという特殊な後援者をもつのもその一つだ。
小沢氏は、こうも言う。「大相撲も、歌舞伎も、日本の伝統文化はすべて閉鎖社会で磨き上げられ、鍛え上げられてきたのじゃないですか。」と。
その通りであると思う。しかし、小沢氏は、閉じられた特殊な社会のものだからそこに黒い部分があっても許されるべきだと言いたいようである。
大相撲は、かつては暴力団がらみの興行師の関与によって地方巡業が行われたと言われる。だから闇社会とのかかわりは根強いものがあると思われる。今回図らずも暴力団との関係が、維持員席問題や野球賭博で明らかになった。
小沢昭一氏は、「伝統的な由緒正しさの終焉」であると言う。そこで、伝統的な由緒正しさとは何なのかと問いたい。暴力団と関係があっても由緒正しいものと言えるのか。今回問題になっているのは、大衆芸能としての相撲かスポーツとしての相撲かではなくて、暴力団との関係が問われているのである。
相撲ファンの大衆が金をはたいて相撲を見に行き、NHKの視聴料から放送権料が年間28億円も支払われ、その収入が力士の給料になり、相撲部屋の維持費になっているのである。さらに、文部科学省が公益事業として認めて税金などの優遇措置を得られているのだ。決して暴力団の資金源に流されてはならないのだ。
大相撲は大衆芸能的スポーツであるが、クリーンで由緒正しく行ってもらいたい。それが相撲ファンの望むところであろうと思う。
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