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2010年6月25日 (金)

誰よりも詳しい白内障手術体験記―③―

 こちらは動いてはいけないと思っているから、真直ぐ上を向いたまま手術台の上でじっとしていた。どのくらい経ったか分からないが、やっとのことで看護婦が来て、「これから手術室へ移動します。」と言って手術台を2人の看護婦が押し始めた。そこで初めて手術は別の部屋でやるのだと気付いた。

 その部屋も広くて他にも手術台が入っていた。同時進行でやるようであった。そこでは化膿止めの点眼薬をさし、血圧が計られた。血圧は何度も計られるということであった。

 何度なく肛門の辺がむずむずした。おならかなと思ったが引っ込んで行った。今度は右のほっぺたがかゆくなった。かこうと思ったが手が血圧計に固定されているので駄目であった。手術はまだ始まらなかった。左のほほ辺りがかゆくなった。左手は点滴がついているので動かせなかった。次は、喉がむずむずした。手術中に咳をしたら大変だと思いゴホンと咳をした。これはできた。

 そうこうしていると看護婦が来て右眼の周りを消毒し、「左目を覆います。」と言って布で覆った。「右目にテープをはります。」と言って、テープで眼を閉じないように固定したようであった。それからビニールのようなもので右目のまぶたなどをべたっとはり、眼球だけが出るようにした。このときまぶたに痛いようなひきつられるような違和感があった。

 そしてやっと院長先生が来て手術が始まった。手術が終わった時刻から逆算すると始まったのは10時35分ぐらいのようだ。

 右目で何かが行われているのだが、痛みはなく、見えるのは光の小さな玉のようなものであった。それはたいてい三つあり、赤、青、黄、白の光であった。

 手術は顕微鏡を使って行われることはインターネットで調べて知っていた。小さな器具の先が瞳の周りを2~3mm切ってそこから中の液を抜き取るようであった。眼の下の部分をきるのだと思っていたら、そうではなくて上の部分を切るのだ。なぜなら医者は患者の頭の方に立って手術するからだ。動画で見ると下に見えるのは、反対から見ているからである。

 手術の間中そうした動きが光の玉となって見えるのであった。それを見ている間、ときどき自分で両手を握り締められていることがわかった。緊張しているのだった。手術の間聞こえるのはたまに医者の器具などを取る指示だけであった。

 「手術は終わりましたよ。」という先生の声であっけなく終わった。「エッ、終わったんですか。」「化膿止めの注射をしますから痛いですよ。」言い終わらぬうちに眼球に痛みが走った。針でついた様な痛みであった。「暫く痛みが続くかもしれません。」とこれは看護婦が言った。

 最後に眼帯をはめて、「手術台を立てますよ。気をつけてスリッパを履いてください。」と言われた。

 手術台を降りて終わったんだと実感した。看護婦の後について控え室に戻り、服に着替えた。看護婦が、「簡単な食事を用意していますがどうされますか。」と言ったので、「エッ、食事をしてもいいのですか。」と反問した。「いいですよ。一緒に来てください。」というので、9階にある患者食堂に行った。

 食堂には私一人であった。食事は小さな茶碗に五目飯が軽く盛ってあった。他には漬物、お吸い物、番茶であった。

 家に電話をしようとしたが、何べん掛けても出なかった。

 食事が済むと、控え室に戻って行ったのだが、その手前に付き添いの待合室があり、壁に2台テレビがかけてあって、一つでは眼の手術をやっていた。そこにいた人に「これは映画ですか。」と聞いたら、「今やっている手術ですよ。」と言った。手術の様子をリアルタイムで見せているらしかった。そのうち別のテレビでも手術を映し始めた。

 あとで看護婦に聞いて分かったのだが、顕微鏡にカメラがついていて全て写して見せているのだということであった。

 暫く見ていたら、先に済んだオガワさんが「説明が始まっていますよ。」と呼びにきてくれた。戻ると5人説明を受けていた。

 それが終わると私が説明を受けた。目薬の種類が三つ。そのさしかた。これから1週間の過ごし方などであった。

 終わった日は、ガーゼと金の眼帯をつけ、次の日からはガーゼはなくてもよいということであった。交換用のガーゼや絆創膏や眼を拭く清拭布はなければ買う必要があった。付属の薬局で売っているということなので申し込んだ。

 11時50分頃から術後の診察が始まった。眼帯をはずして診て貰ったが「大丈夫ですね。」ということであった。そのとき担当の女の先生の顔がはっきりと見えた。

 外で眼帯をはめてもらう前片目をつぶって辺りを見たらくっきりと見えたので驚いた。手術をしていない左目よりコントラストがはっきりしていた。手術はうまくいったようであった。

 会計を済ませて、帰りはどうやって帰ろうかと思った。バスがあれば家の近くまで行くのでよいのだが、生憎1時間に1本しかないし、時刻表もなかった。外に出て行くと病院の前にタクシーが列を作っていた。それでタクシーで帰った。栄から3000円以上かかると思っていたが18000円で済んだ。

術後帰宅してからの処置についてはいずれ書く予定

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コメント

 手術はきっとうまくいきますよ。何しろ超有名な杉田眼科ですから。結果を楽しみに受けて下さい。それからblogをこれからも覗いて頂けたら嬉しいです。

ららさん、ありがとうございます。
最近、運の悪いことばかりあり(自分の準備不足も原因のひとつなんですが)落ち込んでいました。
手術が無事終わって、右目がスッキリすることを楽しみにしようと思います。
あと、運気を変えるため、片付いていない部屋の掃除を頑張ります!
私は名古屋在住ですので、ららさんに親近感がわいているのと同時に、このブログを読むといろいろと勉強になるなぁと思ってます。

 最近私の知人の女性が杉田先生に白内障の手術をしてもらいました。手術の前「手が震えて失敗するかも!?」と冗談を言ったら心配そうでした。
 手術は簡単に終わり、術後若い頃の視力に戻ったと喜んでいます。
 信頼してお任せになるとよいでしょう。

こんばんは。
一週間後に白内障の手術を受ける者で、白内障について調べていたら、ここを見つけました。
チョー怖がりの自分なので、ららさんのブログを読んで、手術前後、手術中の様子がよくわかって良かったです。
白内障の手術は簡単と言われていますが、何も知らないというのはとても不安ですから。
不安といえば、私も杉田病院で受けるのですが、執刀医を前院長の元太郎先生にしてもらったんです。
ですが、HPで調べた時の写真よりも、ずっとお歳をめされていてびっくりしてしまいました。(写真はお若いし、生年月日とか載ってる個所もありません)
自分が希望したのですが、手術大丈夫かなと日々不安になってきちゃいました。
ららさんは当時の院長先生に執刀してもらったのなら、元太郎先生ですよね?(違ってたらすみません)
私、ブログにコメント書くの初めてで、数年前のブログに対して書いていいのかわからなかったのですが、とりあえず送ってみます。(リラックマ好きです)

有難うございます。お陰さまで前よりよく見えるのでビックリしました。ワールドカップデンマーク戦も眼鏡なしでもよいくらいです。1週間は眼帯がはずせないのでちょっと不便です。眼帯に穴があいて いるのでテレビは穴から見えます。外に行くときはガーゼの眼帯にしています。

無事に手術終わりおめでとうございます。かって義父が国立病院で白内障の手術を85歳過ぎてからやりました時もららさんのように日帰りであとは目薬と眼帯のみで糖尿病がありましたので薬を飲んで、物事にこだわらない人でしたので義母のかけていたサングラスをかけて、あまりにもはっきり見えるようになったと言っていましたのを思い出しました。懐かしい思い出となって残ってます。今年で義母は99歳でもうすぐ名古屋市と愛知県からお祝いされますが、義父は没後19年になりました。なにしろ物がはっきり見えるようになるのですね。無理をされないように少しずつ治された目とお付き合いしてくださいね。

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