「水色のワルツ」をめぐって
私が所属する男性コーラス・昭和男爵コーラスでは、今新しい歌を練習中である。その中の一つが「水色のワルツ」である。
この歌は、2006年に102歳の高齢で亡くなった高木東六が作曲したものである。作詞は、これも有名な藤浦洸である。
練習でこの歌を歌っていて、歌詞が気になったのでインターネットで調べてみたが、歌詞の解釈をしたものは、下記の一つだけであった。
この歌は、いったい失恋の歌なのか、それとも恋の喜びの歌なのか・・・・。それが私の知りたいところである。
私の解釈は、「女性の恋の喜びの歌」である。まず、1番の歌詞であるが次のようになっている。
君に会う嬉しさの 胸に深く
水色のハンカチを 潜めるならわしが
いつのまにか 身にしみたのよ
涙の後を そっと隠したいのよ
恋人に逢うとき胸がときめいて嬉しくてたまらない。でも、この時代の女性は慎ましやかであった。おそらく手も握らなかったのかも知れない。その感情は私の歳の者には理解できるものである。逢うだけでせつなくなるほど嬉しかったのだ。逢うときにはいつも”水色のハンカチ”を胸のどこかに隠していた。おそらく絹の柔らかいハンカチであったであろう。恋人の一言ひとことに胸が高鳴り、目じりから涙が溢れるのであった。それを悟られないようにそっとハンカチの端でぬぐったのではないか。
2番に行こう。
月影の細道を 歩きながら
水色のハンカチに 包んだささやきが
いつのまにか 夜露にぬれて
心の窓を閉じて しのびなくのよ
月の夜人通りを避けて細道を歩いたのであろう。手を握ってないのか、それとも握っていたとしても、手のひらが触れ合う程度であろう。あくまでも清楚な清らかな恋である。恋人の囁きの一つひとつが心に仁と響くのだ。それを水色のハンカチにそっと包んで寄り添って歩く。心の中では嬉しさに震えて忍び泣くのであった。
私のイメージでは、現代とは真逆の、熱い想いを心の中に秘めて恋の喜びに咽ぶ女性の姿が浮かぶのだ。こういう女性と熱い恋をしてみたい・・・・そんな思いに駆られる歌である。
次のような批評をしている人もいる。
いわゆる流行歌の常で、詩は支離滅裂、意味不明のたわいもないものと思うが、哀愁を帯びたメロディーとそれに乗せた単語のかもし出す雰囲気とが重なって、一種独特の雰囲気の唄になっている。
年齢不詳の女性が恋人に会う時の心ときめいた様子の情景なのか、別れてしまった後、過去の思い出として懐かしんでいるのか、どちらであるかは歌詞からは不明である。
昭和25年(1950)レコード発売。「水色のワルツ」は、高木東六が信州の伊那に疎開していたとき、天竜川の畔を散歩していて浮かんだメロディだと言われる。それを藤浦洸が聴いてメロディが美しいので詞を付けたのだそうだ。昭和25年にレコードが発売された。
高木東六は、歌謡曲嫌いを公言していたそうで、ヨナ抜き(シとファを抜いた)歌謡曲を「乞食歌」とまで言っていたそうだ。それで歌謡曲はあまり作曲していないが、皮肉なことに収入をもたらしたのは、歌謡曲であったと言われる。
「水色のワルツ」は、私はいつのまにか自然に覚えていたから、若い頃には相当歌われていたのだろう。
二葉あき子が有名であるが、彼女が高齢になって歌ったのを聞くと失恋の歌ではない歌い方をしている。
http://www.youtube.com/watch?v=ytMhqJemk_k&feature=related
ちあきなおみは、
http://www.youtube.com/watch?v=uJUzcYkizVY&feature=related
東京ソフィア合唱団のきれいな歌声では
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-0636.html
キム・ヨンジャと水森かおりが歌うと、
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