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2010年5月

2010年5月31日 (月)

地デジ普及率は3月末で83%というが

 総務省が25日発表したところによると、地上デジタルテレビの普及率は今年3月現在で83.8%だそうだ。それから二か月経つので更に%は上がっているに違いない。政府の目標は、3月の時点で、81.6%であったというから、それを上回り、政府の期待通りになっていることがわかる。

 エコポイント制度も買い替えに役立ったようで、原口大臣もご満悦の様子である。確かに、他所の家などに行くと、液晶のような薄型デジタルテレビを見かける。だからかなり普及しているとは感じていた。

 しかし、我が家は、まだアナログテレビのままだから、残りの20%を切った中に入っている訳だ。

 いずれはデジタルテレビにしなければならないので、いろいろと調べているのだが、現時点では、テレビ自体がまだアナログチューナーとデジタルチューナーの両方を備えたものしか売っていない。それでデジタルチューナーだけのテレビが発売されるのを待っているのだ。

 アナログチューナーは、来年7月からは全く不要になるので、デジタルオンリーのテレビでいいのだ。そうなると、価格も今よりは安くなるだろうと期待をしているのだが、メーカーはなかなか売り出さないところを見ると、マージンの多い現行型のテレビで儲けられるだけ儲けておこうという魂胆かもしれない。

 デジタルテレビオンリーのテレビは、何時から売り出されるのか、待ってるところだが、この頃は、立体テレビが急速に話題となってそちらに向かっていってしまっている。残念なことである。

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2010年5月30日 (日)

簡単で面白い手遊び

 先日の昭和区ボランティ交流会で、桜花学園のインターアクト部の女子学生が40名ほどで手遊びを教えてくれた。その一つに簡単で面白いのがあった。ピクニックという題名である。

 歌は、誰でも知っている「10人のインディアンの子」のメロディーを使う。

 One little, two little three little Indian

  Four little, five llittle,  six little Indian

  Seven lettle, eight little, nine little Indian

  Ten little Indian boy

ひとり、ふたり、3人来ました

 4人、5人、6人来ました

 7人、8人、9人来ました

 10人になりました

 この歌で、

 1本と(右手人差指を立てる)5本で(左手指を広げる)

 おだんご食べます(右指を左手の平に持って行き取って食べる仕草)

 2本と(右手人差指と中指を立てる)5本で

 たこやき食べます(上と同じ動作)

 3本と5本で

 やきそば食べます

 4本と5本で

 カレーライス食べます

 5本と5本で

 おにぎり作り(おにぎりを作るまね)

 ピクニック(腕を動かし歩く動作の後両手でピースをする)

  要介護者や孫などがいる人にはお勧めである。

 

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2010年5月29日 (土)

事業仕分けが終わったが

 25日で、「事業仕分け」第二弾の公益法人などを対象とした後半戦が終わった。朝日新聞によると、67公益法人と3特別民間法人の82事業のうち、31法人の38事業に「廃止」の結論を下したという。

 結局、これまで自民党・公明党の政権下では放置さてきたものに一応のメスが入れられたということである。

 それらを見ると、共通しているのは、天下り先確保のために作られた法人であり、その人たちに高給を支給できるようにあの手この手で金を作っていることだ。事業はそのためにあるのだ。

 全日本トラック協会しかり、日本宝くじ協会しかり、全国農林統計協会連合会しかり・・・・である。

 国や地方自治体から多額の補助を受けながそれを人件費として使い高給を得ているのだ。

 こうしたことは民主党政権にならなければ、そのまま継続していたはずで、その点では民主党を評価したい。しかし、おそらくまだまだ不十分だと思われる。もっともっと追及して税金が無駄に使われるのを防いで欲しい。

 それと同時に、マスコミにやって欲しいのは、事業仕分けについて、もっと分かりやすく具体的に報じて欲しいことと、これまでにいったいどのくらいの金が闇で消えていったのかを計算して欲しいのだ。

 予算財源を確保するために消費税をあげることが考えられているようだが、その前に、民主党がマニュフェストで掲げていた税金の使い道の徹底した追及により、適正に使うようにすることが大事である。

 事業仕分けを今後も続けて欲しいし、行政改革を早く進めて欲しい。

 それから、河村名古屋市長が提起している、議員の定数削減と歳費の適正化も緊急にやるべきことである。政治家自らがボランティア精神で市民・国民のために奉仕し働く気概をもって貰いたい。

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2010年5月28日 (金)

ゲンをかつぐサッカー・ワールドカップ日本代表

 朝日新聞によると、26日スイスへ向けて出発したサッカー・ワールドカップ日本代表チームはJALのジャンボであった。その操縦桿を握るのは、アジア最終予選で「負け知らず」だった中本洋一機長であった。

 新聞の見出しには、「強運の翼でW杯へ」「勝率10割の機長日本協会ご指名」とある。

 日本代表は、W杯アジア最終予選を4勝1敗3分けで勝ち抜いた。うち4戦にJALのチャーター機を使用した。中本機長が乗務したのは、

2008年バーレーン戦、カタール戦

2009年のウズベキシュタイン戦

で、いずれも勝利をしたのだという。

 この強運にすがろうと、日本サッカー協会は今回のフライトで、中本機長の乗務をJALに打診し、OKを得たのだという。もちろん、中本機長乗務の機を利用して負けたことも2回あるそうだが、「今回の代表チームとは相性がよい」と期待をしているのだと言う。

 これを読んで、奇妙な感じを受けた。それは、ゲンをかつぐことである。スポーツでも、勝負事でも、ゲンを担ぐことは日常茶飯のことであると言えばそれまでである。例えば、プロ野球でも、毎年開幕前には神社へお参りに行きお祓いをしてもらう。相撲取りは、髭をそらないということはよくある。

 イチローでさえ、ダグアウトから球場に出るとき、踏み出す足を決めているのだと言う。バッターボックスでバットを回転させるのも同じことである。

 しかし、個人はともかくとして、野球チームやサッカーチームが集団でゲンを担ぐというのはどういうものか。

 勝てば問題ないが、負けた場合は、どう考えるのであろうか。おそらくフライト以外にもいろいろゲンを担ぐことをしているのではないかと推察する。どんなゲン担ぎをしたのか知りたいものである。

 W杯で勝ち進むのに大事なことはゲンを担ぐことではなく、それまでに練習したことを十分に発揮して全力で戦うことである。神頼みではいけない。

 プロ野球には12球団あるが、優勝するのは、リーグで一チームだけである。他のチームは神様に見放されたことになる。かつて巨人が9年連続で優勝したことがあったが、それは神様が巨人だけを贔屓にしたからであろうか?そんなことを言ったら巨人に失礼である。

 W杯には世界各国の代表が集まるが、キリスト教、イスラム教、その他いろいろな宗教の代表が集まるわけだが、どのチームもきっとそれぞれのゲンを担ぐに違いない。

 W杯は、裏ではゲン担ぎの大会でもあることになる。誰かW杯参加チームのそれぞれがどんなゲンを担いでいるのか調べてくれないものかと思う。さぞかしおもしろいことであろう。

 日本代表には一つひとつの試合に全力を傾けて頑張って欲しいと思う。

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2010年5月27日 (木)

昭和区ボランティア連絡協議会交流会

 5月23日(日)午後に、昭和区役所講堂で「第17回ボランティア交流会」が開かれた。昭和区ボランティア連絡協議会と昭和区社会福祉協議会の主催によるものであった。

 案内をもらって昨年に引き続き今年も見に行った。天気が悪いからか会場には空席が目立っていた。昨年はたくさん来ていた障害を持つ人たちが余り見られなかった。今年の特徴は、桜花学園の女生徒が参加していることであった。

 交流会はステージと会場内のスペースでの各グループのブースになっていた。ステージでは、

 視覚障害者と共に歩む会のアコーディオン独奏、おべんとう箱 グループ華のミュージックベル、おべんとう箱 歌いましょう会のコーラス、アイアイリズムサークルのリズム体操、昭和区地域ボランティアの民謡踊り、長戸ボランティアグループ あじさいの手話コーラス、桜花学園インターアクトクラブの手遊びなど、多彩なステージが披露された。

 そして、かれい倶楽部と桜花学園インターアクトのコラボによるマジックを取り入れた寸劇、振り込め詐欺があった。コミカルでおもしろくよく分かる劇であった。

 その後14時45分ぐらいから、アイルランド民族楽器の演奏になっていた。司会者は「ボランティア交流会のステージの部は以上で終わります。この後は会場内の回りにあるそれぞれのグループの催しを自由にお楽しみください。」と言った。それを聞いて私はおかしいと感じた。

 演奏が始まった。最初は、ケルティックハープの演奏で、演奏者は、音がデリケートなのでできるだけ近くで聞いて欲しいと言った。折角のきれいな音色が聞きずらかった。その次のフィドルとコンサーティナの演奏は、音が大きいので何とか聴くことができたが、近くの人たちもせっかく楽しみに聞きに来たのにと言っていた。

 ステージとそれ以外をきちんと区別してやるとよかったと感じた。今年のお反省をしっかりとして、来年の交流会は気持ちよく楽しめるものにして欲しいと思う。

 

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2010年5月26日 (水)

野中氏が暴露した官房機密費をマスコミは取り上げない理由

 先週の週刊ポストに、野中氏が官房長官時代に使った官房機密費のことを取り上げた。その趣旨は、マスコミは折角野中氏が暴露したのに無視するか、小さく取り上げただけなのはけしからんと言うことであった。

 本当なら正義の味方であるべきマスコミは、この問題を大きく取り上げて追及すべきなのに殆ど無視してしまったと指摘する。取り上げない理由は、14億円にもなる官房機密費が、マスコミ出身の評論家たちにも対策費として使われたからだという。テレビに出たり新聞で如何にももっともらしいことを言っている政治・経済評論家たちが、裏で税金から出た金を貰っていたのに知らん存ぜぬで通そうとしているのだという。

 評論家たちはマスコミ出身なので、新聞社もテレビ局もこの問題を取り上げると自分のところに火の粉が飛んでくるから避けているのだという。

 そして今一生懸命にやっているのが「民主党たたき」なのだという。世論調査による内閣支持率の低下を競い合っているという。今やどの新聞が支持率20%割れを一番に報道するかが関心事なのだそうだ。

 民主党は政権を取っているが、官房機密費をマスコミ対策に使っていないのであろうか?週刊ポストの指摘を待つまでもなく、確かに支持率低下を煽っている。

 社会の公器を標榜するマスコミも信用できないことになる。私が大学で教えてもらった山本という教育学の教授は、「新聞で信用できるのはスポーツ記事だけ」と授業で強調していたのを思い出す。

 それは酷いとしても、ニュース・リテラシイを持たなければ、知らない間にマスコミに教化されてしまうことになる。

 折角、野中氏が暴露したのだから、今からでも遅くないから一斉に官房機密費を追及してもらいたい。

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2010年5月25日 (火)

中川区民第九コンサート

 5月21日に、中川文化小劇場で行われた「中川区民第九コンサート」に出演した。もともとは、中川区制70周年を記念して結成された第九を歌うコーラスグループが母体となっている。男性は、テナーが12人ぐらい、バスも同数ぐらいで、女性が100名ぐらいで歌った。

 指揮者の谷鈴代先生の指導で8回ほどの練習を重ねて本番を迎えた。

 第1部は地元の八幡中学校吹奏楽部の出演で、Departure、宇宙船艦ヤマトピンクレディメドレー、世界に一つだけの花など9曲を30分にわたり暗譜で演奏した。リコーダーも交えて、振り付けもあり大変楽しく演奏した。音楽のレベルも高く素晴らしい楽しい演奏であった。

 第2部は、これも地元一柳中学の合唱部のコーラスで、谷先生が指揮をした。春あなたにと前田利家音頭の二つを15分ぐらい演奏した。きれいな透明度の高い発声で素晴らしいものであった。

 第3部が、我々第九コーラスの演奏であった。ソリストは、バスが、能勢健司先生、テノールがお馴染みの神田豊寿先生、アルトが近藤にれ先生、ソプラノがヤマダ紘子先生、ピアノが桑野郁子先生であった。

 私たちは、リラックスして会場の最後尾に届くように歌うことを心がけた。指揮者の谷先生は、合唱の指揮者のベテランであるだけに、表情をつけて分かりやすい指揮をしてくださった。一生懸命に歌ったので舞台に上っている時間があっという間に過ぎた感じであった。もっともオーケストラと違い第4楽章からなので楽に感じたのかも知れない。

 中川区民第九コーラスでは、早くも来年にも歌うことが決定しているし、更には区制75周年には、1000人の合唱をするのだといきまいている。

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2010年5月24日 (月)

普天間基地問題日米大筋合意を批判す

 23日(日)に鳩山首相は沖縄県庁を訪れ仲井真沖縄県知事に普天間基地問題を説明した。メーテレを見ていたら丁度会見のライブ放送があった。鳩山首相の説明は、当日朝の朝日新聞やTVニュースで報じられた内容と全く同じであった。わざわざ沖縄まで出向いたのは、単なる儀礼であると思った。仲井真知事は、「新聞で見たのと同じですね。」と、首相に言っていた。

 日米合意では、

 ◎普天間基地の移設先を辺野古周辺とする。

 ◎沖縄県民の負担軽減のために海兵隊の訓練を県外に持って行く。

の2点である。

 結局、自民党と公明党が政権を持っていたときに決めたことと同じである。辺野古周辺というのは、外交評論家の岡本行雄氏によると、50cmぐらい、つまり全く同じということだ。

 鳩山首相は、総選挙の時には、「絶対に県外に移設をするべきだ」と言い、首相に就任後もそれを言い続けて来た。それが5月が近づくと変節をして、「アメリカの抑止力から考えると県外には持っていけない」と言いだした。

 沖縄県民が起こるのも無理はない。沖縄県民は首相の言を信じてそれに期待をしてきたのであった。それをいとも簡単に発言を取り消してしまったのだから。もともと自民党の進めてきた辺野古移転に賛成の仲井真知事まで今度は反対に回ってしまった。

 ”綸言汗の如し”というコトバがある。天皇が一度口に出したことは汗と同じで引っ込めることができないという昔からの諺だ。首相の発言でも政治家の発言でもそのくらいの重みがあってほしい。平気でくるくると前言を変えるような軽さでは困るのだ。

 鳩山首相と民主党は多くの国民の期待を裏切ってまでアメリカにおもねる方向で決着をしようとしている。どうしてもアメリカという親分に逆らえないようだ。先だって共産党の志位委員長はアメリカまで出向き、「基地の無条件撤去」を申し入れたとマスコミが伝えていた。これこそ本当に沖縄県民や国民の気持ちを代弁する姿勢ではないか。 

 鳩山首相や民主党はなぜきっぱりと「基地の撤去」を言えないのか。まずその立場を明確にして、アメリカと対等に交渉をすべきである。この際、社民党や国民新党にはずるずると引き込まれないよう断固とした態度をもってことに当たって欲しいと願うものである。

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2010年5月23日 (日)

白内障手術の事前検査

 19日は、白内障手術の事前検査の日であった。検査の呼び出し時間は12時から13時となっていた。そのために受付をしなければならない。最初、12時から13時の間に受付を済ませるのだと思っていた。念のために電話をして確かめると、受付の順番でやること、受付は8時からやれることがわかった。

 そのことを電話で聞いたのが、9時過ぎであった。それは電話は9時過ぎでなければ通じないからであった。

 電話を切ると、すぐに家を出た。杉田眼科は全国から患者が来るので受付を早く済ませたいと思ったからだ。

 9時45分頃に病院に着いた。すぐに受付器械で受付を済ませたが、番号は232番であった。その後12時まで時間があったので近くで食事をしようと思った。朝は何も食べずに来たからである。

 歩いて適当な店を探したが10時には喫茶店ぐらいしか開店していないので、コメダ珈琲店に入った。コーヒーにモーニングサービスとしてトーストとゆで卵が1個ついていた。

 約2時間過ごさなければならないので店にあった週刊誌を読むことにした。習慣ポストと週刊現代を読んだら1時間半が過ぎていた。

 病院に戻って暫くすると12時からの呼び出しがあった。私の呼び出しは、3番目で早かった。

 検査がたくさんあるそうで、まず、処置室へ行った。そこで血圧と眼の細菌数と涙の通る道の検査をした。細菌数は、まぶたの内側を綿棒でこすった。涙の通る道は麻酔をした後、涙管に注射器で水を注いだ。鼻や口に出てくればよいということであった。

 それからどうしてかわからないが胸部レントゲンの撮影をした。そして心電図も取った。ここまでで約40分かかった。

 その後別の検査室に行った。およそ45分待って検査があった。眼の細胞の数を調べるといった。それが済むと目の働きを調べるために麻酔をしてコンタクトレンズをはめて検査をした。

 最後に医者が診察をした。会計を済ませたら、2時半頃になっていた。白内障の手術の事前検査だけでこんなに時間がかかるので驚いた。

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2010年5月22日 (土)

歳をとるとよいことについて―「老いの美徳33」を参考に

 「笑って老いを楽しもう」(渋谷昌三著)のP.22には、ジミー・カーター元大統領の「老年時代」(日経BP社)から「老いの美徳33」というのが紹介されている。彼は、老いが素晴らしいことだとして33点を挙げているというのだ。

 読んでみると、みながみな自分に当てはまる訳ではないが、うなずけることも多い。その部分を書いてみる。

 ・過去を振り返る時間がある。

 ・家族と過ごせる時間が長くなる。

 ・過去の間違いを正す機会がある。

 ・全く新しい仕事に取り組める。

 ・ボランティアなどで地域社会に貢献できる。

 ・若い人に比べて倫理観が強い。

 ・物事を的確に判断する知恵が豊かになる。

 ・社会保障制度の恩恵が受けられる。

 ・借金をおそれ、貯蓄に励む。

 ・毎日を大切に生きる。

 ・夫婦がお互いの好みを受け入れるようになる。

 ・楽しみ、興奮、冒険の機会を生かせる。

 ・いつまでもくよくよと考えなくなる。

 ・制約や義務がほとんどなく、24時間自由である。

 ・人生で蓄積してきた教育、訓練、経験を生かせる。

 ・人生で楽しかったことを繰り返せる。

 ・マルコポーロが一生をかけた距離以上の旅行ができる。

 ・若いころにかなえられなかった夢を追求できる。

 ・知識や経験という点で昔の人の千年分を生きられる。

 ・インターネットなどでアリステレス以上の知識を持てる。

 ・ロマンスや再婚も可能だ。

 ・ダイエットと運動で健康になれる。

 夫婦喧嘩の処理がうまくなる、性生活が以前より完全で楽しいものになる、一族で旅行できるようになる、などというのもあるが・・・・・。

 これらの他に私が付け加えるとすれば、

 ○敬老パスが貰え活動しやすくなる。

 ○昔の殿さまよりすごい御馳走が食べられる。

 ○技術革新で次々に新しいものに触れられる。

 ○医療の進歩の恩恵に浴せる。

 ○他人に気を使うとこなく、心を自由に保てる。

 ○ストレスが少なくなる。

 ○新しい友人ができる

 老いを好ましいものとして捉えて前向きに生きて行くには、このようによいことを数え上げて自分を励ますことも大事だと思う。

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2010年5月21日 (金)

最高の時期は今と言えるように

 昨日のblogで引用した「笑って老いを楽しもう」(渋谷昌三著、ぶんか社刊)は最初手に取ったとき全く期待していなかったが、読み始めてみると、所々にハッとすることが書いてあり、参考になった。それにこの著者は、文章が大変分かりやすく、やさしくて読みやすい。

 これも同書からの引用をもとに書く。

 P.22の見出しは、「いつでも今が最高のとき」である。そこには、アメリカの元大統領のジミー・カーター氏の言葉が紹介されている。

 カーター元大統領は、「最高のときはいつでしたか。」と聞かれて、すぐに「今が最高の時期です。」とこたえたそうだ。最近の私のblogで紹介したことがあるが、ダライ・ラマも同じことを答えている。

 いつでも「今が最高」と言えるように人生を送れたらよいと思うのは私だけではあるまい。人生には、毎日、毎時刻、いろんなことが起きてくる。幸せを感じる刻もあれば、次の瞬間に悩ましい思いに襲われる刻もある。

 私のような凡人は、そうありたいと思っていても、常に「今が最高」とはなかなかいかない。

 人を苦しめることや悩ませることは、避けて通ることができないし、どうしようもなくて途方に暮れることもある。だから釈迦は、その事象をしっかりと見極めて諦めることを説いたのだが、理屈では分かっても実際はなかなか難しいことが多い。

 同書では、老いを楽しむために、二つの考え方を紹介している。

 一つは「サクセス・エイジング」(幸福な老い)で、歳をとることによって取り巻く社会環境や自分自身の心や身体状況も変わるが、そうした変化を上手に捉えて適応していくことで幸せに老いようというものだという。

 もう一つは、「プロダクティブ・エイジング」(生産的な加齢)で、老いという事実を積極的に捉えて、社会の中で生産的に生きていくという考え方だという。

 つまり老いをマイナスとして諦めたり、元気を失ったりするのではなく、正面から受け止めて、よい面を見て積極的に生きていくことが大事だということである。それには「今が最高」と言えるような生き方をするということなのだ。

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2010年5月20日 (木)

いい言葉―「もう歳だからいろいろやろう」

 図書館で借りてきた「笑って老いを楽しもう」(渋谷昌三著、ぶんか社刊)という本を読んだらいい言葉を見つけた。それは「もう歳だからいろいろやろう」という言葉だ。同書の最初のページの見出しである。

 「もう歳だからやりたいことを我慢せずやってしまいましょう」と提案している。

 「もう歳だから大学に行きましょう」

 「もう歳だから恋をしましょう」・・・・・

 これは発想の転換である。逆転の発想といってもよいかもしれない。

  この本によると、臨床心理学者の河合隼雄氏は、「この年齢になってダンスを始めることにしたのです。」と言ったと紹介されている。

 考えてみれば、最近、私も「もう歳だから○○をするのは無理」とか「もう歳だから今更始めても・・・」と諦めたり、躊躇したりすることがあった。

 また、他人から見れば、「いい歳して、何よ、あれ。」と言われるのをどこかで気にしている自分があった。

 この「歳だからいろいろやろう」という言葉を読んで、そういう自分に気づき、考えを変えようと思うようになった。「いい歳してそんなことも知らなかったの」と言われそうだが・・・・・。

  私でさえ、いい歳をしてやり始めたことはいろいろある。男声合唱、第九コーラス参加、カラオケ、マジッククラブ加入、blogの立ち上げなどである。

  私のコーラス参加にしても、最初は「いい歳だから声も出ないだろう。うまく歌えないだろう。」と思っていた。ところが、指揮者の指導によって少しづつよくなてきたことが自分でも分かる。カラオケに行っても、ママから「本当に上手になりましたね。」と褒めてもらえるようになった。客に対するお世辞だとは思うが。

 いい歳だからやれることもたくさんあるのだ。日本にも外国にも70歳、80歳という高齢になってからやりr始めたことで一流の業績を残した人がたくさんいる。その人たちは、もし、やり始めなければ、才能は隠れたままで終わったかもしれないのだ。

 まず、やり始めて見ることが、一歩を踏み出すことが、大事ということだ。 

  

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2010年5月19日 (水)

どうして黒い服が流行っているのだろうか?

 先日の、英語会話のクラスで、Yさんが「黒い服を着た若い人が多い」ということを話題として喋った。

 私も同じことを感じていたので、やはり他の人もそう感じているのだと思った。黒い服を着ているのは若いサラリーマンだけではない。年配の勤め人も黒い服を着ている人が殆どだ。この間夜の九時ごろ地下鉄に乗ったら、ほとんどがサラリーマンであったが、見事に黒服であった。帰りに一杯をやった人たちも黒服であった。

 地下鉄に乗ったときや、街を歩いているときに、気をつけて観察をすると、男性だけでなく、女性も黒服であることが分かる。セールスレディと思われる人も黒い服を着ている。

 以前は、黒い服といえば喪服か式服ぐらいであった。いつも黒服を着ている人は○○組の組員ぐらいでトレードマークになっていた。

 それが昨今は誰も彼も黒服を着ている。黒服がいけないという訳でではない。みんなが揃いも揃って黒服なのでおかしいと感じるのである。

 英会話では、Kさんが、黒服が流行るのは経済が落ち込んでいるからだと言った。このところ続いている不況で暗い色が好まれるのであろうか。それとも黒服は安く作れ安く売られているのであろうか。

 黒には、シックとか落ち着きを感じさせることもある。インターネットで調べてみたら、私と同じように黒服への疑問を投げかけている人がいた。黒服は「人の格をあげる」が「秘密を隠す」と書いてあるのもあった。礼服に黒が用いられるのは、「格を上げる」作用だろうし、葬式に黒服を着るのは、「目立たないように隠す」作用があるからであろう。

 私は礼服以外は一着も黒服を持っていない。黒いズボンも先日マジックのために一つ買ったのが初めてである。

 右へ倣えでなくて、もっと自由にいろいろなカラーの服を楽しんだらいいと思うのは私だけであろうか?

Photo

ときめく黒い服 自分でつくる甘美なシルエット S~LLサイズの実物大型紙つき

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2010年5月18日 (火)

肩書きがないから名詞は要らない人生

 私が初めて名刺をつくったのは就職したときである。職業柄特に名刺が必要という訳ではなかったが、若かったのでつくりたかったのだ。肩書きは、○○学校教諭と書いた。縦書きでごく普通の名刺であった。

 次に作ったのは、それから20年ほど経ってからで、今度は、横書きにして、肩書きは何も書かなかった。けれども裏にはローマ字で外国人向けの名刺を書いた。その頃は英会話の勉強を始めたからである。その年齢になると、ぼつぼつ肩書きが付くのであったが、生涯平教員を貫くと心に決めていたので肩書きがある名刺は必要がなかった。それよりも将来は日本にも外国人が来るだろうし、自分も外国に行ける日が来るだろうと予測をしていた。

 予想通りに日本に来る外国人が増え始めた。そして国際交流のグループができたのでそれに加わった。だからローマ字併記の名刺は役立ったのである。

 そういう訳で肩書きのある名刺は最初の名刺だけであった。

朝日新聞に、中国人の莫邦冨氏が書いていたのだが、中国人は肩書きが大好きで、名刺にもっともらしい肩書きを書いているという。最近では、小学生に名刺を持たせる親が増えているとも書いてあった。

 肩書きは自分でも作れるのだから名刺に書くことも自由である。中には麗々しくたくさんの肩書きを並べている人もいる。

 名刺に肩書きが書いてあると、人はそれを信じる傾向がある。中国で立派な肩書きの名刺が流行るのもそういう人間の心理から来るのであろう。

 私は、肩書きが大嫌いである。校長にならなかったからと言って恥ずかしいとも思わない。私の友人や知人の中には、校長になるためにいろいろと策をめぐらして首尾よく校長になった者もいればその手前で挫折した者もたくさん見てきた。

 肩書きがないから、心は自由であった。誰におもねることもない。誰を恐れることもなかった。自分のやるべき教育の研究に打ち込み、生徒たちにそれを注ぎ込んだ。それが生き甲斐であった。

 私の研究仲間たちも、まんな生涯肩書きとは無縁であった。でも、肩書きが無くても人間的には魅力のある素晴らしい連中ばかりであった。

 良寛さんや一休さんは世間体に捉われない自由な発想の生き方をした。肩書きとも無縁であった。

 捉われない生き方をして心の自由を保ち融通無碍なファジイーな人生を送るのがいちばんいいと思う。

 会社や役所などで一定の地位につき、肩書きのある生活をした人の中には退職後淋しい思いをする人がいると聞く。私にはそういうことは全くなくスムーズに退職後の生活に入った。

 もちろん相手の才能や能力を尊敬はするが、誰ともどこででも対等の付き合いをすることが大事だと思っている。

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2010年5月17日 (月)

なぜ中国に小学校を建てる?北京日本人会

 14日の朝日新聞夕刊に、平原綾香親子が北京日本人会が貧困地区で建てた「希望小学校」支援のチャリティ・コンサートを開いたという囲み記事があった。

 それによると、北京日本人会は河北省や遼寧省に計10校の希望小学校を建設し、図書や文房具などの寄付を続けているのだという。これらの小学校は貧困地区に建てたもので、平原親子のコンサートは、河北省の希望小学校で開かれたのだという。

 小学校を建てたり、支援のコンサートをやるのは勝手だが、不思議でならないのは、中国政府は何故貧困地区に小学校を建てないのかということである。中国の経済発展は目覚しく、GDPは年率10%以上の成長を続けている。

 オリンピックで国威を発揚し、今また上海万博で史上最大規模のエクスポを豪語している。上海、北京などの高層ビルディングはすざましい勢いで増えている。

 それなのに、たかが小学校ぐらいを建設できないというのは奇怪な話である。ちょっとしたビルを一棟建てる金で小学校ぐらい何校でも建てられるはずだ。それを外国人である日本人に依存するというのは、中国の面子はどうなっているのだろう。

 中国では、物凄い金持ちが何千万人といるそうだが、そういう金持ちは同じ中国の貧困地区を助ける気持ちが皆無のようだ。自分の欲望を満たし、金を限りなく儲けることにだけ情熱を注いであるのであろう。

 それにしても、社会主義を標榜する中国政府は、学校も建てないで貧困地区を放置しておくことを恥としないのであろうか。社会主義は偽りなのか。

 小さな囲み記事を読んで憤りを感じた。

 

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2010年5月16日 (日)

久しぶりに面白いNHK朝ドラ―ゲゲゲの女房―

 私は、リタイアしてからは、NHKの朝の連続小説をずっと見ているが、ここ数年はあまり面白くなかった。前回の関西で作った「ウエルカメ」はそこそこ面白かったが、最近の東京製作のドラマは全く面白くないものが多かった。

 今回の東京製作の「ゲゲゲの女房」は、漫画家の水木シゲルの奥さんが書いた同名のものがベースになっていて言わば実話が元ということもあり面白い。実話なのに思いもよらない展開があり、水木さんと奥さんの布枝さんは大変ドラマチックな人生を送ったようで見ていてハラハラさせられる。

 水木夫妻は、最初はとんでもない貧乏からスタートしたが、後に大成功をして現在も元気で生活をしておられる。こういうサクセスストーリーは、一種のアメリカンドリームみたいなもので人びとの関心を捉えやすい。

 私は、ゲゲゲの鬼太郎の漫画を読んだことはないし、アニメもみたことがないが、歌はよく知っている。子どもたちがいつもテレビで見たり、歌ったりしていたからだ。

 今度ドラマになって、NHKが水木シゲルのインタビューを放送したので見たが、それも面白かった。お見合いしてたった5日で結婚するという普通では考えられないことから始めた布枝さんはどんな人かと思っていたが、きれいでとても素敵なひとのようだ。水木さんは幸運だった。

 幸運と言えば、ラバウルでマラリアに罹りその上爆撃で左腕を失いながら生き延びたのも凄い幸運である。あれだけ貧乏をし、人にも騙されながらも、漫画で身を立てたことや徹夜で漫画を描くというような激しい仕事を続けながら健康で病気をしたことがないという幸運。そして最後には金もできると言う幸運。ある意味では羨ましいぐらいの幸運な人だ。それも妖怪のおかげ?

 そういう訳でこれからどういう展開をしていくのか楽しみである。それに脚本がしっかりしているので期待が持てる。

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2010年5月15日 (土)

弱者を食い物にする貧困ビジネス

 14日朝のNHKニュースで、貧困ビジネスのついて取り上げていた。増え続けるホームレスにアパートを貸して生活保護受給者にして稼ごうというものだ。

 126600円の生活保護費からアパート貸し賃と食費を合わせて10500円を貸主が取るのが一般的であるようだ。光熱費も払わなくてはならないから、手元には殆ど残らないようである。

 食費はどこかの弁当を一日2回配るのだそうだが見たところ250円で売っているような弁当である。食べている人は全然おいしくないと言っていた。断りたくてもアパートを追い出されるような気がして断れないのだと言う。

 中には貯金通帳を預けてしまい自分ではどうにもできない例もあるという。

 そういう貧困ビジネスは、大変にぼろ儲けができるという。その日から儲かるとうそぶいていた。月に一人あたり4万円程度の儲けが見込めるのだそうだ。10人に部屋を貸せば40万円である。生活保護費から先に取るので取りはぐれがないのだ。

 アメリカでもそうだが、最底辺の人びとを相手に金を設けようという浅ましいいやらしいビジネスを平気でする人たちがいることを悲しく思う。こういうビジネスをのさばらせておく政府も情けない。鳩山さん、湯浅誠さん、何とかしてちょうせんか。

 

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2010年5月14日 (金)

「バカは治せる」から―脳の研究の流れ―

 以下は、久保田競著、「バカは治せる」(アスキー・メディアワークス発行、P.222~P.238)からの引用である。

 脳研究の二つの源流

 刺激と破壊による生理学的アプローチ→「大脳生理学」

 「電気刺激」によるもので「脳の生理学的研究」と呼ばれ、1870年ごろにはすでに行われていた。「脳には体の特定部位を興奮させる特定の領域があって、そこを電気刺激したら特定の筋肉が動く」というようなことで、その領域を運動野とよぶようになった。

 次に、犬の脳から運動野を取り除くと運動ができなくなり、麻痺がおこった。それが「脳の破壊実験」である。

 こうのようにして、脳の働きが少しずつ分かるようになってきた。運動野の発券は非常に重要な出来事であった。

 「解剖学的アプローチ」→「神経解剖学」

 1850年ごろに始まったサルや死んだ人の脳をさまざまなやり方で染めて顕微鏡で調べる脳細胞の形の研究がある。1892年には脳内の興奮細胞に「神経細胞(ニューロン)という名が付けられる。

 1910年に真空管が発明され、電流を増幅できるようになり、脳の中の電気の流れがわかるようになった。

 シナプスという用語をつくったのはシェリントンという人である。

 1935年ごろになると、細胞レベルでもっと細かいことまで分かるようになってくる。細かい分析的な研究をする「大脳生理学」の分野を「神経生理学」とよぶようになった。

 1960年頃に電子顕微鏡によって形として見えるようになった。

 これまでは、脳が正常に働いていない状況での研究であったが、1965年ごろになると脳が正常に働いているときのことを調べなければいけないということが言われだした。そこで、「神経生理学」と「神経解剖学」の両方に加え、心理学や薬理学の研究、方法を使って、「精神現象」を調べていこうとする「神経科学(ニューロサイエンス)」が誕生する。

 1971年に、「米国神経科学会」という組織が生まれる。

 ”正常時の、生きているヒトの脳”の中を計測可能な時代がやってくる。

 1980年ごろになると、脳内の局所の血流をリアルタイムで調べ、精神活動と脳の働きの関係が調べられるようになる。(ビジュアル・イメージング=視覚映像化またはニューロ・イメージング=神経映像化)

 これは革命的な測定方法であった。日本の浜松ホトマクスという会社が作っている PET(陽電子放出装置)を使って行われる。

 脳は局所ごとにいろいろな働きを担当していて、細かく分業していることが詳しく分かってきた。脳が経験を経ていろいろ変わっていくことが、どのような仕組みで起こるのかも急速に分かりつつある。

 もう一つは、fMRI(機能的核磁気共鳴映像装置)で、これにより、PETよりも手軽に、人間が精神活動をしているときの血流の変化が「動的に」分かるようになった。

 こうしたことを背景に、1995年ごろ「認知神経学」が誕生する。この学問こそが、今物凄い勢いで進歩している、脳研究の主流である。脳研究は、それまでとは全く変わってしまったと言ってよい。

 もう一つ大事なことは、「人間の脳は、病気のときどうなっているか」が正しく把握されるようになったことである。アルツハイマーや脳梗塞などの研究が格段に進んでいる。

 こういう流れをふまえて、久保田競教授は、「21世紀になったから書かれた本しか信用してはいけない」というのである。しかし、脳に関する5700冊もあるという本の内、信用できるのはほんの僅かだと警告を発している。

 

 

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2010年5月13日 (木)

お上りさん、東京へ行く―築地市場・浅草―

 第3日目の朝、9時に新宿駅で待ち合わせをして、大江戸線で築地市場に行く。止まったホテルは、大江戸線「都庁前」から徒歩2分ぐらいのところだが、シャトルで新宿西口へ行った。

 大江戸線は、東京の地下鉄で一番新しく、地下の深いところにあると聞いていたので、一度は乗ってみたいと思っていた。急なエスカレーターを乗り継いで地下の深いところまで下りて行った。

 電車はちょっと小型だった。東京の電車の多くはあおなみ線の電車のように座席の途中に鉄の支柱があるのが多いが、この線の電車も同じであった。ただ、支柱があるので座席を広くとって座る人がいないのがよい。

 中心地を通って築地まで行った。駅に降りると驚いたことに大変な人であった。みんな築地市場に向かうらしい。また、電車を出たとたんに魚臭いので驚いた。駅を出るまで魚臭かった。

 地上に出ると、朝日新聞社のビルがあった。娘が、その近くのビルを指して、「あれが国立がんセンター。」と教えてくれた。築地市場は銀座に近いと聞いていたが、その付近には大きなビルが多くあったので意外であった。

 市場に入ると、電機で動くリフトのような運搬車が勢いよく走り回っていたので身の危険を感じながら歩いた。お茶を売っている店があり、試飲させて売っていた。おいしいお茶であった。銀座の何とかいうすし屋で使っているという茶だそうだ。妻は、その粉茶と新茶の煎茶を買った。すし屋があちこちにあったが、どの店も行列ができていた。

 場外市場の方へ行くと、広い道路いっぱいに人が歩いていて、ぶつかりそうで歩けないぐらいの込みようであった。どの店にも行列ができているようであった。見ると、「半額セール」というビラが掲示してあった。それで混雑の理由が分かった。

 娘たちが案内しようとしたすし屋にはとても近づけないので、またもとの市場の方の商店街に人にぶつかりながら戻った。そして、1軒の比較的行列が短いすし屋の列に並んだ。「うまい鮨勘」という看板とどんな寿司をやっているかという写真と説明が貼ってあった。待っている間にそれを見て何を食べるかを決めた。

 30分ほど並んで、中に入った。私は、上寿司(1450円)と生ビール、他の人たちは特上寿司(1850円)を注文し、他にさば寿司(1050円)を取って分け合うことにした。漬物と味噌汁は何杯でもお代わりができるそうで、私と婿はお代わりをした。 他の店より安かったが、味はよかった。

 築地市場は非常に大きくて、名古屋の市場などとは比べ物にならなかったが、値段を見る限り、格別安いとは思えなかった。ただ、半額のものは値打ちかなと思ったが買って帰るわけにはいかないので何も買わなかった。

 人が余りにも多いので、見ることもできないので、ほどほどで引き上げることにした。そして、歩いて浜離宮に向かった。空を見上げると飛行船が浮かんでいた。

 浜離宮は、この日は入場料が無料だった。浜離宮の中を通って、水上バス乗り場に行ったら丁度バスが出る時刻であった。大きな船で2階だてであった。最初のストップの日の出桟橋までは一番前に立って景色を見た。レインボウブリッジが前方に見えた。

 そこで客がたくさん降りたので席が空き座ることができた。そこからは隅田川を上るのだ。眠くなったのでうつらうつらしながら過ごしたが、勝鬨橋とか両国橋とか聞いたことがある橋をくぐって進んだ。川岸は公園のような遊歩道になっているようであったが、人は少なかった。

 40分ぐらいかけて浅草に着いた。アサヒビールの変わったオブジェが対岸にあり、その向こうに建設中の東京ツリーが望まれた。

 浅草の新仲見世通りは大変な人混みであった。新仲見世は初めてであった。妻は、衣料品店でブラウスを探した。たい焼きを売っている店があった。歩きながら食べている人が、「このたい焼きは2倍ぐらいあるね。」と言っていた。吉祥寺のたい焼きの4倍ぐらいだと思った。値段は150円だった。

 新仲見世から仲見世に入った。人混みは頂点に達した。東京はどこに行っても凄い人混みだと感心をした。道頓堀も人が多いがその比ではない。

 人形焼の店で人形焼を買った。雷門を出て浅草演芸場のある方に歩いた。途中にせんべいを焼いている店があり、婿がこの店のせんべいはおいしいと言って1枚ずつ買ってくれ店先に座って食べたが本当においしかった。次々に客が来ていた。1枚150円で、1枚売りもするところがいいのかもしれない。

 演芸場には、有名な落語家の顔写真が並んでいて演目を紹介した看板が出ていた。時間があれば入りたいのだがないので諦めた。近くの甘栗屋でソフトクリームを250円で買って食べた。

 伝法院通りを歩いて行った。人通りはそれほど混んではいなかった。前方にスカイツリーが見えていた。妻が、仲見世のダンゴが食べたいと言ったので仲見世に戻って買って食べた。私は、あの大きなたい焼きを食べたかったが腹が減っていなかったのでやめにした。

 その後、銀座に行った。歩行者天国の日で銀座通りを自由に歩いていた。歌舞伎座を見に行ったら大きなトラックが2台停めてあり、もう解体が始まっていた。見物の人たちが写真を撮っていた。

 婿が、風月堂でコーヒーを飲もうと言って、混んでいるかも知れないから先に行って並んでいると言って近道を行った。私たちは三越や松屋のある通りを歩いて行った。風月堂には数人並んでいた。

 座ってメニューを見ると、どれも900円以上なのでびっくりした。名古屋の高級ホテルでも750円ぐらいだから。コーヒーは特においしいということもなかった。ここで座興の替え歌ができた。それは浅草でたい焼きを買わなかった後悔を歌ったものだ。たい焼き屋の近くに水森かおりの新曲、松島紀行のポスターが貼ってあり、それを思いだしてひらめいたのだ。

 涙どんなに流してもても

 買わなかったたい焼きは食べられない

 諦めたはずのたい焼きなのに

 面影ばかりが浮かびます

 一つたい焼き、未練がつのる

 たい焼きにも1度あいたくて

  この後、新宿に戻って荷物を取り、娘たち夫婦と別れて東京駅へ向かった。3日間の東京旅行は、天候に恵まれ、娘たちがずっと付き合ってくれておいしい店や面白いところに案内してもらってとても楽しい旅ができた。感謝、感謝である。

 

 

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2010年5月12日 (水)

お上りさん、東京へ行く―井の頭公園・吉祥寺―

 井の頭公園の一角にスタジオジブリの施設があったが、そこは見なかった。バスを降り、信号を渡るとそこが井の頭公園であった。入ったところから右の方に芝生が広がっているのが見えた。

 井の頭公園は、大学生の頃、東京に行った友人がいいところだと言っていたので、一度行きたいと思っていたが果たせていなかった。木立がずっと続き、武蔵野の雰囲気が残っているようであった。木が多いので日差しは直接当たらず気持ち

よく歩くことができた。細い谷のような流れがあり、玉川用水の源流だという。

 散策の人たちがそこここに歩いていた。西洋人のグループも来ていた。暫く歩いて池が見えるところに来た。ほとりでは自転車に紙芝居を積んだ人が昔懐かしい「黄金バット」の紙芝居を熱演していた。

 池には噴水があり、風情のある池であったが、橋を渡って行くと、自転車でこぐスワンが池一面に動いていた。ぶつかりそうなくらいであった。

 渡り終わったところで、ギターやハーモニカなどの楽器を一人であやつって演奏をしている人がいた。TVでは見たことがあるが実物は初めて見た。

 その辺りからは、ART何とかという、市の許可を得て自分の手作りのものを並べて売ることができる イベントが行われていた。たたみ1畳ほどのスペースに、自分が描いた絵葉書とか、キーホルダーとか、手芸とか、陶器とかさまざまなものを並べて売っていた。それが何百メートルも続くので驚いたが、よいアイデアだと思った。見て歩くだけでも楽しかった。

 歩いていくと、今度は、アメリカ人で楽器を演奏する人形を抱えて、人形が演奏しているように見えるパフォーマンスをしている人がいた。パーカッションや弦楽器などを巧みに演奏するのだ。そのCDを売るのが目的のようであった。

 井の頭公園の後吉祥寺へ行った。吉祥寺も人がたくさん出ていた。商店街の売り出しもやっていた。ハーモニカ横丁を通ったが、幅1mちょっとの狭い通路の両側に店があった。地震がきたらどうするのかとちょっとこわかったが、面白かった。

 小さな店で100mぐらいの行列ができている店が2軒隣り合っているところがあった。1軒は「小ざさ」といい小ぶりの最中を売っていた。もう1軒はコロッケ屋であった。並ぶのも大変なので写真だけ撮った。

 商店街は、巣鴨商店街のように長いものであった。こちらは若者が多く店もさまざまな店が並んでいた。途中に婿が大好きなカエルグッズの専門店もあった。婿の勧めで挽き売りのコーヒー店でコーヒーを飲もうと入ったが狭い店内は満員なので諦めた。

 向かい側にお茶の店があり、片隅で日本茶を飲めるようにしてあったのでそこに入った。ごちゃごちゃとした店で数卓のテーブルがあり、日本茶を飲ませるのだ。メニューを見たらどれも550円以上であったので驚いた。水出し煎茶を注文した。2個で500円のたい焼きがあったのでお茶請けにそれも注文した。

 たい焼きは普通のたい焼きの半分ぐらいの大きさでそれなのに1個につき250円なのだ。食べたら皮はパリッとしていたが250円には首をひねった。

 商店街を歩いた後、まだ夕食には時間が早かったが、婿が行列の焼き鳥屋があると言ったのでそこに行くことにした。なるほど店の前には行列ができていた。1階と2階があり、私たちは1階に並び婿は2階に並んだ。1階の店は外から丸見えで広い店内は客が満員であった。

 2階の方が早いというので2階に上がった。広い座敷に座卓が並べてあった。片隅に座って焼き鳥やもつなどを注文した。ビールは大瓶が500円と安かった。焼き鳥屋なのに小さな子供連れが何組か入っていた。井の頭公園に行った帰りなのだろうと思った。サラリーマンらしい男のグループは当然として、若い女性だけのグループもいた。安くて味がよくて、幅広い客層があることが繁盛の要因だとわかった。

 帰りに行列の店に行ったら、最中の店の方は行列が短くなっていたので並んだ。10個で500円であった。

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2010年5月11日 (火)

お上りさん、東京へ行く―調布、深大寺―

 3日は、娘が住んでいる調布市に行った。新宿駅から京王線の準特急に乗り25分ぐらいで着いた。

 調布市は、NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主人公の水木シゲルと奥さんが住んでいるので興味があった。調布は駅の周りにも畑が広がっていた。

 娘の住んでいる所は少し離れたところだ。 まず、娘が借りている農園に行った。予想とは違って、貸し農園全体が同じやり方で同じ作物を植えることになっていた。トマトが3本、キュウリが3本、ナスが3本というように借りている人全部が同じ物を同じ列に植えるのだ。一人当たりの面積は8畳2間分ぐらいで結構広かった。2人が食べる分は賄えるようであった。

 農園の管理指導、肥料、苗などが全部込みで年間25000円ぐらいの借り賃らしい。高いと言えば高いしが収穫の楽しみがあるのだからそれもいいかと思う。

 娘のアパートに行き、朝食を食べた。いつも家に来たときは妻が料理をつくり食べさせているので、娘の手料理は久しぶりであった。

 朝食の後、アパートを出たら大家さんがいた。その辺りのアパートや店などを持つ資産家だということだ。その大家さんが、深大寺は浅草に次いで東京では2番目の古いお寺だと言った。それで、まず深大寺に行くことにした。

 調布駅からバスが出ているのだが、休日のせいか物凄い人がバスを待っていた。京王、小田急と二つのバスがあったが、婿が判断して京王バスに乗った。係りの話では、すでに30本も増発をしているということであった。天気がよいし、深大寺はゲゲゲの女房でやったばかりだから人気があるようだった。

 終点までは乗らずに一つ手前で降りて歩いた。その辺は婿のガイドは卒がない。人が少ない裏道を通って案内してくれた。辺りは武蔵野の面影を残しているようであった。

 深大寺はそばが有名だ。蕎麦屋が何軒かあってどれも行列をつくっていた。深大寺に着くと喧しいロックの音楽が聞こえてきた。ナンジャモンジャ・コンサートというのをやっているのであった。お寺の主催だというが、寺の雰囲気に合わないのでがっかりした。そこが本堂かと思っていたら、隣にもう一つ古びた建物があり、そちらにおまいりの人の行列ができていた。

 深大寺自然公園の間にある裏道を通ってバス停まで戻った。次は、バスで井の頭公園に行くのだ。

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2010年5月10日 (月)

割り込み―片岡鶴太郎展―

 Hさんが、「片岡鶴太郎展の券が余っているから見に行けるのなら上げる」とmailをくれた。鶴太郎の絵は以前に見たことがあるが、見てみたいと思ったのでもらうことにした。

 9日に星が丘三越で待ち合わせをして見ることになった。日曜日は百貨店は9時半ぐらいに開くのではと思い出かけた。着いたらまだ閉まっていた。暫くして中の入り口までは入れてくれた。10字開店なので暫くお待ちくださいという札がかかっていた。仕方がないので持っていった久保田競著の「もっとバカが治る」という本を読みながら待った。

 10時ごろHさんが友だちのYさんと来た。10時きっかりに開店であった。すぐに8階の展覧会場へ行ったらもうたくさんの人が来ていた。

 会場に入ると、眼に入ったのは、淡い赤色を使って描いた花の絵であった。朝顔、椿など幾つかの花を黄土色の紙に描いてあった。以前見た鶴太郎の絵とは全く違う絵であった。淡くて見る人が癒されるような色使いであった。ところどころに良寛の言葉を書いた書の小品もあった。

 眼をひいたのは、「椿」という漢字を赤い色で書いた書であった。壁一面に色紙ぐらいの大きさの作品がいっぱい掲示してあった。なかなか趣のある字であった。

 中には屏風に描いた絵もあった。大きな円い円の紙に朝顔や桔梗などが描いてあった。素敵な屏風で、Hさんが「欲しいわ。」と言っていた。

 ふぐなどの魚の絵もたくさんあった。Hさんは「ふくの絵が多いわね。」と言っていた。中に神楽坂で食べた「金華鯖」があったので、こういう鯖なのかと思った。

 伊万里焼の陶器に淡い花を描いた陶器がいろいろあった。よい色合いに仕上がっていた。ガラスの器もあり、どこかの女性が、「器用なのね。」と感心していた。

 これまで見た鶴太郎氏の絵とは画風が変わっていて進化していると感じた。それと色遣いといい筆遣いといい、ソフトな美しさを狙っているようであった。

 持っていった本によると、「美しいものや絵画を見ると脳のためによいということが分かってきた」と書いてあったので、今日は、片岡鶴太郎展を見たので私の脳も活性化されただろうと思った。

展覧会を見た後、テラスへ行きMA MAISONというCAFE レストランでコーヒーとケーキをとった。コーヒーは鉄瓶に入っていて、お代わりができるようになっていた。ケーキの味もよかった。

 開店間もなくで客が少ないので、私は、ポケットに入れていた手品を見せたら、ウエートレスの可愛い女の子は眼を丸くして驚いていた。Yさんは大変冷静で、手品の仕組みを探ろうとしていた。

 Hさんが、やり方を教えて欲しいということで、スポンジを持って来ていた。それで基本のやり方を教えた。

 金を払うときに、レジの可愛い女の子に手品を見せたら、その子も眼を円くして驚いていた。Hさんが、「どこででも手品を見せるんだから。」と言ったので、「可愛い女の子が驚いてくれるとやりがいがある。」と言ったら笑っていた。

 Yさんは、書道を長くやっているのだそうで、書道の話を聞けばよかったと後悔した。2人は動物園に行くというので東山で別れた。

 おいしいコーヒーを飲んだり、おいしいケーキを食べたり、素敵な人と会話を楽しむことは脳のために大変よいと書いてあるので、今日は脳にシナプスが増えただろうと思った。

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2010年5月 9日 (日)

お上りさん、東京へ行く―秋葉原、新宿―

 私がアキバを見たかったので、JRで秋葉原に行った。駅の改札を出ると、こちらに来る人、向こうに行く人が通路いっぱいになっていて体がぶつかる。その数の多さに圧倒されてしまった。妻は携帯電話を持っていないのではぐれたら大変だと思いながら歩いた。

 駅の外に出ても人がいっぱいであった。数年前に殺傷事件があった方に歩いて行った。ところどころに可愛い格好をした若い女の子がチラシを配っていた。どんな店なのか覗いてみたい気もしたが、言わなかった。

 電気店の他に、アニメキャラクターの店やDVDの店などがあったが、見たいと思ったニューファッションの店は見あたらなかった。若者を中心に外国人も含めて秋葉原に大挙集まるようだが、私には何が惹きつけるのかはつかめなかった。

 次に、新宿へ戻った。新宿駅東口を出たら、そこもやはり凄い人出であった。何をしているのか知らないが若者がそこここにたむろしていた。カメラが壊れてしまって使えなかったのでヤマダ電機店に行った。そこは最近開店したということで開店セール期間中だということであった。

 店に入って行くと、驚いたことに店員の数が多いし、客もたくさん入っていた。名古屋とは随分違うと感じた。店員はほぼマンツーマンというくらいいてすぐに近寄ってきた。カメラについて質問をしたら、その店員は別の店員を呼んで来た。どうやらカメラに詳しい店員のようであった。

 その店員は大変親切で、いろいろと説明をしてくれた。壊れたカメラを修理すると幾らぐらいかかるか尋ねたら、1万4000円ぐらいはかかるだろうと言った。580時間使えるバッテリーのカメラを買おうかと思ったが、結構高かったので、結局、同じカシオの型落ちを買うことにした。新しいのでなくても性能は変わりがないと言ったからだ。

 最初、11000円だと言ったが、婿が「もし、ヨドバシカメラに行ってこれより安かったらがっかりするよ。」と言った。店員は、ちょっと待ってと言ってどこかへ行った。戻ってくると、「詳しいものに聞いたら、ヨドバシでは9800円で売っているそうなので9500円でどうですか。」と言った。それなら・・・とその値段で買うことにした。

 店員は、カシオのカメラケースもおまけにくれた。胸の名札を見たら前田と書いてあった。本当に親切な店員であった。

 東京のヤマダ電機はいつもこんなに多くの店員がいるのかとたずねたら、開店だから応援に来ているらしかった。

 その後、トンカツ茶漬けのレストランへ行った。トンカツ茶漬けとは珍しいと思った。おいしいと評判の店らしかった。

 大きなトンカツが皿にのって出てきた。それをある程度食べたら、お茶で茶漬けにして食べるということであった。いわば「ひつまぶし」のトンカツ版である。食べてみると予想に反しておいしかった。一人前は1570円であった。

 食事がすむと歌舞伎町界隈を歩いた。ネオンや電飾で物凄く明るかった。人が多いのはもちろんだが、同じような髪型をした若い男たちがあちこちにいてチラシを配ったりしていた。

 ホテルへのシャトルバスは西口から出るので地下道を通ってそちらに行った。

  新宿西口からホテルまでは、バスで5分程度。まん前に都庁が聳えていた。前払いでチェックインをした。部屋は狭くビジネスホテルであった。トイレが特に狭かった。湯沸かし器、お茶、靴磨き、タオル、櫛、歯磨き、テレビなどや匂い消しの薬品まで備えられていた。

 どうせ寝るだけだから料金は高くないし十分であった。近くにコンビにが1軒あるだけで人通りもなかったが、コンビにで発泡酒を買って飲んだ。

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2010年5月 8日 (土)

お上りさん、東京へ行く―巣鴨・とげぬき地蔵―

 神楽坂を見物した後、妻が巣鴨に行きたいというので山手線に乗って巣鴨に行った。巣鴨は刺抜き地蔵で有名で商店街も活性化していると聞いていたので私も興味があった。

 巣鴨の駅を出ると、ケーナでコンドルは飛んでいくの演奏する音が聞こえてきた。音の方に行くと2人のペルー人が演奏をしていた。なかなか上手なので暫く聴いた。それから信号を渡って巣鴨商店街方向に向かった。

 マクドナルドの店があったので、そこに入った。婿がマクドナルドのコーヒー券を持っているので1杯50円で飲めるということであった。店内は、なんとほとんど高齢者で、こんなところまで高齢者がいるのかと感心した。

 マクドナルドを出ると商店街のゲートが見えその先が商店街になっていた。歩いている人は殆ど高齢者で、杖をついている人や腰が曲がった人などもいた。商店街に入ると、人が多くてぶつかりそうであった。天気がよいので人出も多いのだろうと思いながら歩いた。

 商店街は500mぐらいあるようで遥か先まで続いていた。両側の店は殆どが高齢者対象で、豆大福などの和菓子店、老婦人用の服を売る店、乾物店、履物店、何故か100円ショップもいくつかあった。

 路の中央にはところどころに椅子とテーブルが置いてあり、一休みしている人たちがいた。妻は衣料店に入って好みの衣服を探した。

 商店街入り口から1/3ほど歩いたところにお寺があり、そこが有名な刺抜き地蔵のあるところであった。境内の隅に祠があってそこに刺抜き地蔵が安置されているらしかった。その前には長い行列ができていた。妻が並ぶと言ったので娘がついて並んだ。私は興味がないので、婿と商店街を見て歩くことにした。

 30分余りたって妻たちが来た。地蔵は、以前はたわしで磨いていたのだが、磨り減ったので新しく黒い地蔵に変わったそうだ。そして地蔵をぬぐう小さなタオルを1枚100円で買うのだそうだ。商魂逞しいのにあきれた。刺抜き地蔵さまさまである。妻はそれでも、「ピンピンコロリができるかも・・・・」と言っていた。

 商店街には、店の中全てが真っ赤な衣料を売る「赤パンツ」という店があった。店の前で赤い端切れを「幸福のおすそわけ」と、配っていた。

 道路の真ん中で、蓮鶴を教えているおじさんがいたので暫く話をした。桑名の蓮鶴とはちょっと違う創作の折り方だと言った。

 健康まんじゅうというふかしパンを売っている店があったので買って食べた。

 商店街の終わり近くには最後の和菓子店があった。豆大福を買いたいと思ったがその店は豆大福が嫌いなので普通の大福を作っていると言った。大福は駅前の店で100円で売っていた他は、どこでも1個120円であった。その店の大福をホテルに帰ってから食べたらおいしかった。

 商店街を端まで歩くと、東京で只一つ残っている市内電車の庚神前駅に出た。そこから大塚まで電車に乗った。そして次の目的地秋葉原へ向かった。

 

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2010年5月 7日 (金)

お上りさん、東京へ行く―新宿御苑と神楽坂―

 娘夫婦が東京に移って5年、まだ一度も東京に行っていなかった。1度東京においでと何度も誘われていたので、やっと神輿をあげた。私は、勤めている頃に研究会で毎年夏に東京に行っていたが、妻は長らく行っていなかった。

 ホテルは、婿がインターネットで予約をしてくれた。東京都庁のまん前にあるホテルだった。便利な場所にあるのに一人1泊4980円と安かった。

 新幹線は、前にも書いたように金券ショップで指定席が片道1万円であった。

 朝6時に家を出て、7時過ぎの「のぞみ」に乗車した。朝早く家を出たので眠くなった。富士山がみたいと思っていた。眼を覚ましたら目の前に真っ白な雪を被った富士山が輝いていた。すぐにカメラを取り出し写したのだがうまく写らなかった。後でわかるのだが、故障をしていたのだ。

 新宿で待ち合わせることにしてあった。新宿駅は出口がたくさんあるし人が多いので待ち合わせが心配であったが、携帯電話があるので助かった。

 駅の小田急の近くのコインロッカーに荷物を預けたら700円もしたので驚いた。次の日に、地下コインロッカー室へ行ったら、案内人、両替機つきで500円だった。

 まず、新宿御苑に案内をしてもらった。南口から出てすぐ近くであった。入園料は300円だった。入ると芝生が続いていた。みどりがそこここにあり、休日なのに人は少なく静かであった。とても都心にあるとは思えないような閑静さであった。

 ヤエザクラがまだ散り終わらずに残っていた。ポプラ並木のあるほうに行ったら、赤いツツジが咲いているところもあった。池のある方にも行った。亀がいるらしかったが気がつかなかった。

 1時間半ほど散策をして、神楽坂に向かった。昼食の予約をしてくれてあった。神楽坂にある「鳥茶屋」という関西風うどんの店で、人気の店だということであった。本店と別店が同じ神楽坂にあるのだが、本店の方が選択の幅があるということで本店に予約をとってあった。

 和風の入り口を入ると席に案内されたが、4人ぎりぎりの狭い場所であった。ただ、掘りごたつのように足を入れる場所があったので腰掛と同じでよかった。私と婿は「希少品、金華鯖あぶり鯖丼」というのを注文し、妻と娘はこの店の看板の「うどんすき」を注文した。

 金華サバというのはどこのサバかは聞かなかったが脂ものっていておいしかった。うどんすきはステンレスの浅い皿のような鍋に具とうどんが載せてあってそれを煮ながら食べるのであるが、うどんが変わっていて、幅が3cm、厚さが1cmぐらいの太いうどんであった。山梨のほうとうの大きなものといった感じであった。味もよかった。

 人気の店だけあって待つ人の列ができていた。

 食事をすませてから、神楽坂界隈を歩いた。狭い路地が迷路のようにあり、そこに料理店などがあるので驚いた。こんなところに?という感じであった。昔は神楽坂芸者が出入りしたであろう店もあり、その狭い路を見て歩くのが面白かった。 

http://www.torijaya.com/pc/index.html

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2010年5月 6日 (木)

騙された気分―「1冊10分」で読める速読術―①―

 先日、栄のあおい書店に立ち寄ったら”「1冊10分」で読める速読術”という本が山積みされていた。手にとってみてみると、「その大きな成果は、『ためしてガッテン』や新聞、テレビ、雑誌などで取り上げられ、大反響を呼んでいる」と書いてあった。

 「あ、そうか。この間ためしてガッテンでやっていた、『今より3倍速く読む方法』というのはこのやり方に基づいているのだな。」と思った。あの番組はビデオにも録って見たが今ひとつ分からないところがあったので買うことにした。著者は佐々木豊文で、三笠文庫への書き下ろしだという。

 家に帰って早速読んだ。この速読法はもともとは1976年ごろ韓国の朴ファーヨップという人によって考え出されたものだという。著者の佐々木氏は直接発案者の指導を受けて、日本に持ち帰り、「速読脳開発プログラム」というメソッドを作ったのだという。

 速読脳を獲得することで単に知的能力を向上させるだけに留まらず、その人を「変貌させる」のだというのだ。(前書き)

 そして、速読によってたくさんの本を読むことがどんなに素晴らしいことであるかとうことをいろいろな角度から詳しく述べている。

  速読で、「情報力」、「判断力」「先見力」「人間力」という4つの能力が養われるという。(P.17)読書によって単に知識を獲得するだけでなく、考え方、判断力、感性などその人を大きく変えるということには異論はない。

 本を1冊10分で読めるようになるためには3つのステップがあるという(P.75)

第1ステップ 1分間に2000字読めるようにする。

第2ステップ 情報読みをマスターする。

第3ステップ 「速読眼」「速読脳」を開発する。

 試してガッテンで紹介されたのは、第1ステップの「1分間に2000字を読めるようにするという部分であったのだ。

 日本人の平均的読書スピードは1分間に500字~700字だそうだから、2000字というと約3倍になるということで、それだけでも素晴らしいし、それは誰にでも可能であるという。

 我々は誰でも耳で聴くときには、そのぐらいの速さで読んだり話したりするのを聴いているというのだ。ただ、1分間に2000字を眼で追うことになれて居ないからできないだけだという。

 この点には私も納得する。

 では、なぜ私が「騙された感じ」を受けたのかというと、最後の「速読脳」をつける方法については書いていないからだ。

 インターネット通信販売では、「この方法で世界金融恐慌の中でも確実に儲けられる」とか「韓国語をたった3ヶ月で完全にマスターできる」などというCDがうられている。

 その手口は、関心をもって近づいた人を巧みに最後まで読ませるように作られており、途中の段階ではちょっとしたノウハウもちらつかせて読み手を誘導する。そして最後の方で、「この素晴らしい方法を知りたい方は50万円ですが今なら期間限定で15万円です。すぐにお申し込み下さい。」というようなkとを書いてある。要するに会員になってCDを買わせるように仕組んであるのだ。

 この手のやり方は書店で販売されている本の中にも幾らでも見かける。買ってきて最後まで読んだが結局肝心なことは書いていなかったということだ。

 この本もまさにそのやり方である。タイトルにある「1冊10分」で読む」ためにはこの本の著者が主催する講習会に参加をしなければ無理なのだ。いわば宣伝のための本である。まるまる宣伝では本を買った人が納得しないから第一段階は教えようということなのだ。

 NHKもなめられたものである。体よく宣伝のお先棒を担がされたという訳である。640円ぐらいだから我慢すっか。

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2010年5月 5日 (水)

世界初のタダのコーヒーカフェ?

 一ヶ月ぐらい前のことだが、英会話のYさんが「栄にタダでコーヒーを飲める店があるわよ。」と教えてくれた。Yさんはその店に行ったそうだが、情報は”丸栄の裏の辺り”ということと、”二階にあってタダのコーヒー”と書いてあるからわかるということだけであった。

 そのうち行ってみたいと思っていたが、わざわざ行くまでもないので日が経ってしまった。29日のみどりの日に、友人のFさんから「今、大須にいるが何してる?」と電話があった。コーヒーブレイクをしようということだと分かったので、どこがよいかちょっと考えた。八事のジャスコのラウンジか新瑞橋のサティのラウンジならタダで飲める・・・・と思いながら、ふとYさんに聞いたことを思い出した。それで栄で待ち合わせることにした。

 地下街を通って丸栄に行き、丸栄の裏の通りに行った。パチンコやの隣にビルがあり、その二階をみると”FREE COFFEE"と書いてあるのが見えた。ここだなと思った。エスカレーターで上るとなんと行列ができていた。みんな店に入るのを待っているのだ。きっと休日だから人が多いのだろうと思いながら列に加わった。

 10分ぐらいで中に入ることができた。カウンターに「一人カップ1個、皿1個、お代わりはできません」と書いてあった。また、お試しのおかきは規則を守らない人は駄目だと書いてあった。

 トレイに紙コップをのせ、プラスチックの皿をのせ、次のコーヒーポットのところに行った。コーヒーポットが2つ、紅茶が一つ、他にジュースが1つあった。そこでコーヒーを注いでミルクを入れた。

 次に、おかきのスタンドに行って皿におかきを載せた。おかきは6種類あり、一人1個ずつ取る決まりになっていた。

 ご利用は30分以内でと書いてあった。テーブル席は満席なので立って飲むテーブルに行ったが、運よくすぐに近くのテーブルがあいたのでそこに座った。

 おかきは専門店だけあって味はよかった。店内には大きな横断幕が3箇所に下がっていて、それぞれにメッセージが書いてあった。「環境問題の原因は金儲け競争をするからだ。やめさせるよう天皇にemailなどで訴えよう。天皇が決断すればよくなる」というようなことであった。それを女性対象、経営者やリーダー対象、一般人対象に分けて書いてあるのだ。ときどき、店内にアナウンスが入り、会社のオーナーの声で、同じような趣旨のことが話された。

 隣の席のかなり年配の品のいい女性が、「右翼ね。」と言った。右翼が経営しているのかどうかは不明だがそんな印象を与える。

 その老婦人の話では、この店は3月中旬に開店したらしい。私が聞いたのはそのすぐ後であったのだ。店の前の行列は途切れることなく続いているので、口コミの力は凄いと思っていたら、その老婦人が「口コミは強いわね。」と言った。その人はどうやら常連のようであった。

 店は、「おかきの播磨屋」がやっているもので、その婦人の説明では通販でやっているのだそうだ。もちろん店内には商品を並べてあり、買うことができる。自宅用には3袋1000円で売っていた。

 アナウンスの中には、「世界で初めてのフリー・コーヒーのカフェです」というのもあった。とにかく老いも若きも関係なく口コミで知れ渡っているようで、次々に人がきて並んだ。無料でコーヒーとおかきがもらえて30分ぐらい休めるのだから来るのだなあと思った。

 

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2010年5月 4日 (火)

ホームレスの人と話す

 4月30日朝、いつものように山崎川の道を歩いていたら、突然道端にいたホームレスの人から声をかけられた。山崎川近辺でもホームレスはよく見かけたが、これまで声をかけられることはなかったのでちょっとびっくりした。

 ひげをそることがないからだろうか、無精ひげを伸ばして日に焼けた顔をしていた。私は、ホームレスの人と話をしたことは一度もなかったので、話しかけられたことに興味をもった。

 「今、アルミ缶が安くて1kg120円なんですよ。」と言った。自転車につないだ車には南京袋いっぱいのアルミ缶を積んでいた。「5000円ぐらいになるかなあ。」と言った。何日かけて集めたのだろうかと思った。酒は飲まないけどタバコは吸うと言った。タバコが400円以上に値上がりすることも知っていた。

 彼は九州の出身だと言った。「こんな生活をしているので国には帰れない。」と話した。国には親戚がいるのだと思った。「工業高校を出ているんです。」とこちらが聞きもしないのに次々と話をした。「以前は配管をしていて、日に16000円も稼いだこともあったんですが、左足が駄目になってその仕事がやれなくなったのです。」と言いながら、その足を見せてくれた。その足は細かった。名大の先生が「どうにもならないからそのままでいるより仕方がない。」と言ったという。気の毒だが治らないようだ。それでも自転車に乗って遠くの町までアルミ缶を集めに行くのだと言った。

 「親切な人がいてときどき風呂に入らせてもらったり、泊めてもらうことがある。」と話し、「健康保険は入っている。」と言った。住所も借りているらしかった。「生活保護は受けないのですか。」と聞いたら、「生活保護は断っている。」と言い、掌に指を添えて6とか8を示したので何だろうと思ったら、「月に6万から8万稼ぐのです。」と言った。だから生活保護は受けないのだという。

 「でもアルミ缶集めではそれだけは稼げないでしょう?」と言ったら、「ときどき他の仕事に雇われて行くのです。」と言った。足が悪いのでやれる仕事が少ないとも言った。

 65歳になると年金が入るからそれまでは今の生活で頑張るのだという。話を聞く限り生活保護を受けず自力でやろうとしているし、野宿を苦にしている様子もなかった。逞しい感じであった。

 それでもいつ病気になるかも知れないし、歳を取っていくのだから今のような生活を何時までも続けることは難しいだろと思った。

 どこで知るのか、今の鳩山内閣や民主党が期待はずれであることなども語った。鳩山首相は、年越し村の湯浅誠氏を内閣参与にして何とかしようとしているようだが、ホームレスの人たちに住むところを与えて人間としての尊厳をもって生きていけるような施策を一刻も早く実現して欲しいと思う。

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2010年5月 3日 (月)

日本国民の幸福度は6.5

 《内閣府は27日、初めて行った日本人の「幸福度」についての意識調査の結果、10段階評価で平均6・5点だったと発表した。

 「幸せ」と感じている割合は男性より女性の方が高く、高齢者で低くなる傾向があった。政府は「新成長戦略」の一環として、経済統計に表れにくい国民の満足度などを測る指標の開発を急ぐ。

 調査は無作為抽出した全国の15歳以上、80歳未満の4000人を対象に実施。73%の2900人が回答した。

 とても幸せを10点、とても不幸を0点とし、「どの程度幸せか」を尋ねた。同様の調査を行っている欧州28カ国の平均は6・9点。トップはデンマーク(8・4点)で、北欧の国々や英国(7・4点)、フランス(7・1点)などが高い。日本は東欧諸国やロシア(6・0点)は上回った。

 日本では、8点をつけた人が20%で最も多く、次が5点で19%。分布は、この2つを山としたM字形になっており、幸福度が低いハンガリー(5・9点)などと似ていた。

 男女別で、7点以上をつけた割合は男性が48%、女性は59%。年代別で7点以上の割合は30代の61%が最多。高齢者は70歳以上で44%、60代は51%と低かった。》(以上は中日新聞) 

 4月29日のNHKニュースのよると、デンマークの幸福度は8.7、二位がフィンランドとノルウェーでともに8.0、だったと思う。

 この数字には出ていないが、ブータンでは国民の97%が幸せだと感じているそうだ。ブータンでは、物質的豊かさよりも精神的豊かさを大事にしているということである。それでGDPではなく、GDH(Gross Domestic Hapiness)が大事だという。

 幸福度というのは、おかれた状況や考え方やさまざまな要因で人によって感じ方が違う。高度成長期にはまず金と物が豊かさを表すものとして求められたが、その後経済がダウンサイズして長く続く不況の中で人びとの考えかたが変わり、金や物に代わるものを指向する様になってきた。

 地味婚、家族葬、自動車不要、海外旅行行かない、修理して使う、中古衣料を買うなどなど・・・。

 かつては家庭もかえりみず深夜まで働く働き蜂がよいとされたが、今はほどほどの給料でも家庭が大事と考える人が増えているようだ。

 幸福度6.5というのをどう評価したらよいのか?日本ではやはり雇用の不安定とか将来への不安とか給料が少ないなどが幸福度を下げているのだろうと思う。

 

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2010年5月 2日 (日)

内閣官房機密費についての野中元官房長官の発言は重大

 5月1日の朝日新聞朝刊4面に次のような囲み記事が載った。

 「小渕内閣で1998年から99年にかけて官房長官を務めた野中広務氏が30日、当時の官房機密費について、『毎月5千万円から7千万円ぐらいは使っていた。』と暴露した。首相の部屋に月1千万円、野党工作などのため、自民党国会対策委員長に月500万円、参院幹事長にも月500万円程度を渡していたほか、評論家や当時の野党議員にも配っていたという。都内で記者団に明らかにした。」

 機密費については、以前から明らかにするように言われていたが、自民党はそのようなものはないと否定していた。それにも関わらず、首相の部屋には常に5000万円の現金が置かれ、不足するとすぐに補充されたということを書いた週刊誌があった。民主党政権になって、その点が明らかにされるかと期待したがうやむやになっている。

 この度、図らずも元官房長官として当事者であった野中氏によってその存在が暴露された訳で、週刊誌が報じていたことは正しかったのだ。

 野中氏は、いまになって暴露する理由を「私も、もう年(84歳)。いつあの世に行くかわからんから。やっぱり国民の税金だから、改めて議論して欲しいと思った。」と言ったそうである。

 国民の税金を機密費という名目で何に使っても自由な金を用意していたのだ。勤めていた頃、校長や課長などにも機密費があると聞いたことがある。役所にもそれぞれ機密費があったのだ。(今もあるのかもしれないが)

 それにしても官房機密費の額は大きい。湯水のように使えたようだ。その行き先が、野党対策としても使われたというから、民主党、公明党、社会党なども当然そのおこぼれに預かっていたわけである。まさか共産党はそんなことはあるまいとおもうのだが。金を貰っては国会でも追及の矛先も鈍るのは当然である。だから馴れ合いの国会運営がなされていたのだ。

 「与野党を問わず、何かにつけて機密費を無心されたことがあった。」という。その無心振りが図々しい。「家を新築したから3千万円祝いをくれ。」と小渕首相に電話をしてきた人もいる。」と語っている。30万円でもどうかと思うのだが、3千万円と言えば庶民の家なら1軒建つ金額である。

 官房長官の引継ぎリストに、誰々に幾らと書いてあって、政治家だけでなく、評論家にも贈っていたと言っている。「持って行って断られたのは田原総一郎さんだけだった。」ということだから、政治評論家もテレビや新聞ではかっこいいことを言っていても、意地は汚く、自民党のお先棒を担いでいたことが暴露された。

 野中氏は機密費はなくしたほうがよいと言ったそうだが、それは当然である。この悪習慣は明治維新からずっと続いてきたことに違いない。昔はもっと堂々ともっと酷い使われ方をしていたと推定される。

 それにしても税金という公費をもって私的な儀礼や対策に使われているとは言語道断である。民主党政権はまず隗より始めよで、事業仕分けとともに機密費問題も内容を明らかにしてきっぱりとやめるべきである。

 もうひとつ、マスコミに言いたいのは、こんな重大なことを何故もっと大々的に取り上げて究明しないのかということである。マスコミ対策にも税金が使われているので矛先が鈍るのであろう。

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2010年5月 1日 (土)

理解できない、鳩山首相の普天間基地移設問題への対処

 朝日新聞29日の朝刊によると、鳩山首相は、沖縄の普天間基地の移設案を固めたという。ひとつは、名護市の辺野古に「桟橋方式」で1800mの滑走路を新たに建設すること。もうひとつは、鹿児島県徳之島にある既設の滑走をを利用してそこにヘリコプターの格納庫や兵舎などを建設するというものである。

 徳之島の住民の反対を受けて3町長は面会を拒否しているので、首相は有力者の徳田氏に斡旋を依頼したという。

 沖縄県民も何度も大集会を開いて沖縄県内に基地を移設することに反対している。

 もともとは、民主党が選挙目当てで沖縄県内への基地移設に反対を唱えたので沖縄県民がそれに期待をかけたことが始まりである。政権が変わったら必ず公約を実行してくれると思ったのは当然のことだ。

 政権交代から8ヶ月もたって、今頃ようやく鳩山首相の腹案なるものが明らかにされたが、徳之島にしろ沖縄にしろはるか前から基地に反対を唱え、住民集会を開いてボルテージを上げてきた。

 今になって、辺野古に滑走路を造る、徳之島にも1000人規模で移転すると言っても、当事者たちが納得しないのは明らかである。時間が経てば経つほど反対の気持ちが強くなるのは当たり前だ。そんな簡単なことさえ鳩山首相はわからなかったのであろうか。自ら示した期限ぎりぎりになって案を示せば分かってもらえると考えたのであろうか。分からないというのはそのことである。

 戦後65年以上たって未だにアメリカに基地を提供し、その費用の大半を負担させられているのはどう考えてもおかしい。独立国とは言えない。この際腹をくくって普天間基地は国外に移設せよというべきである。グアムでもテニアンでもとにかく国外に行ってもらうことである。

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