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2010年3月 9日 (火)

ベトナム・カンボジア旅行⑫―アンコールワットへ―

F.アンコールワットへ

3時半に出発していよいよアンコールワットへ行く。朝と同じ場所にバスを止めて橋を渡ってワットに入る。アンコールワットは12世紀にスールヤヴァルマン2世によって建てられた。ヒンズー寺院であったがのちに仏教に改宗した。石造りの巨大な建物である。三重の回廊と5基の塔をもつ。取り分け高い塔が素晴らしい。

第一回廊にはヒンズーの「乳海攪拌」という浮き彫りの図がある。塔や周りには東西南北の直線の廊下があり周囲は回廊になっている。中には仏像などはない。多分盗難にあったのだろう。壁面に浮き彫りの叙事詩の彫刻があるだけである。部屋というほどのものはどこにもない。ウェイさんに尋ねたら僧侶は別の所に住んでいて通ったのだという。

第三回廊と呼ばれるところから60度の急峻な階段があり塔に登れるようになっている。登るのはまだよいが下りるのが大変で下を見ると目が眩む。鉄の手すりを伝っておっかなびっくりで下りた。下に残った小島さんはそれを逐一カメラに収めていた。

 この素晴らしい建造物はアンコールトムと共に建てられたのだが、それに費やした時間と費用と労力はいかばかりなものであったかと思った。建造を命じる王はよいとして労力を提供させられた貧しい人々は大変であったと思う。また、石組みを計算してデザインして作り上げた建築家は大したものである。アンコールトムの方は破壊がひどいがアンコールワットは幾多の戦争を潜り抜けて何とか残っているのは嬉しいことだ。カンボジア内戦の時にポルポト派はアンコールワットを盾として戦ったというだけによく残ったものだと思った。

 タイのアユタヤにあるワットプラシーサンもビルマ軍に破壊されたが日本の東大寺、比叡山などどこでも戦いは文化的建造物を破壊する。自然災害によって破壊されるのはやむを得ないが最近でもアフガニスタンのバーミヤン遺跡のように戦いによって人為的に破壊されるのは残念でならない。世界中から多くの観光客が訪れることができるのも平和だからで、平和こそ大事だと思う。

夕食は、レストランKOUREN。大きな屋根の半野外で舞台ではアプサラダンスが730から830まで行われた。バイキング式で食物の種類は一番多かった。カンボジア式お好み焼きとたこ焼きがお勧めだと言うことだが別に美味しいというほどではなかった。たまねぎのフライとサツマイモのフライが美味しかった。アンコールワットビール大瓶4$。アプサラダンスは金色の大冠をつけた女性がゆるやかに、しなやかに踊るもので、タイやバリ島などの踊りとよく似ている。東南アジアでは共通したところがあるようだ。

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