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2010年3月15日 (月)

安藤日出彦・50+15名古屋空襲墓標展

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 朝日新聞や中日新聞でも取り上げられていたが、安藤日出彦広告デザイン専門学校理事長の「50+15名古屋空襲墓標展」を見に行った。同展は「平和資料館ピースあいち」の三周年企画展として開かれたものである。

 私がボランティアをしている愛知国際プラザの何人かに”ピースあいち”に展覧会を見に行くと言ったら、みんな「ピースあいち?そんなの知らない。」と言ったので驚いた。ここでボランティアをしているくらいだから当然知っていると思っていたのに意外な答えであった。

 ボランティアとその後の勉強会が終わってから出かけた。平和資料館は地下鉄一社駅で降りて北に向かって真っすぐに歩いて行くと、信号で三つ目の「よもぎ台」交差点のところにある。わかりやすいのだがやや遠い。

 資料館に入っていくと、ちょうど講演が始まるところであった。土曜日の午後に講演があるのは知らなかったが、よいタイミングであった。席を探してふと見ると従姉がいた。四日市からはるばるとやって来たのだ。彼女は安藤日出彦の姉である。だから安藤は私の従兄弟である。隣の席に座って講演を聞いた。

 彼は、幼少のころの戦争体験から語り始めた。終戦時に10歳であったのであの恐ろしい空襲や学童疎開なども経験しているのだ。展示されている絵の中に彼の住んでいた家が描かれているのがある。家は鶴舞公園の近くにあり、私も訪ねて行ったことがある。狭い二階建ての家で二階に彼の父のアトリエがあり、階下は母親の床屋になっていた。その家と近所の商店を描いたのである。

 空は燃え盛る炎と火の粉、サーチライトが交差していて、家の前を何故か銃を担いだ軍隊が行進をしているという構図である。商店が並んでいるので店の看板が描かれ彼の父の「安藤洋画研究所」という文字も見える。

 名古屋では画家に安藤幹衛と安藤邦衛がいて、彼の父は邦衛の方である。若いころパリやアメリカに留学をして絵を学んだ画家であった。私は、伯父から荻須高徳や前田青邨や杉本健吉の話を聞いたことがある。

 彼は、画家は戦争中は生活が困難でそのため母親が床屋をして生活を支えたのだということを話していた。

 彼は、子供のころは軍国少年で将来は軍人になりお国のために尽くすことを考えていたと話したが、それを聞きながら私もまったく同じであったなあと感慨深く思い出した。

 学童疎開は、その頃「挙母」(ころも)と言っていた今の豊田市にある寺に行ったそうだ。そこで3月19日の名古屋大空襲の夜、名古屋の方角の空が真っ赤に燃えているのを眺めたという。先生が「あれは名古屋が燃えているのだよ。」と言ったという。子供の目にはその赤い空がとてもきれいであったという。

 私も子供のころ住んでいた新宮の町が空襲されて炎上するのを防空壕から首を出して見ていたが、空から落とされる焼夷爆弾をきれいだと思った経験がある。きれいだというのは絶対に許されるべきことではないのだがそう感じたことを思い出す。

 彼は、全国で空襲による被害で亡くなった犠牲者の名前を刻んだ作品を作っている。この展覧会では名古屋空襲での被害者6200人のうちの一部を展示してあった。黒い背景に渦模様がありそこに一人一人の名前を丁寧に彫ってある。黒はフランスでは明るいイメージなのだと言った。渦は縄文文化を象徴するものだそうだ。26枚の板に一人ひとりの名前を刻んだので腱鞘炎になってしまったという。

 一人の参観者が、自分の3歳の妹が目の前で爆弾にやられた死んだ話をした。何とも言えない原体験である。その妹の名前が刻まれているのを見て感激したを話した。沖縄や広島では戦争犠牲者の名前が永遠に残るように石に刻まれたり、記念碑に収められたりしている。名古屋では彼の手によってその仕事がされたのだ。

 彼は、コソボやイラク戦争やアフガニスタンなど世界各地で戦争が相変わらずなくならないことに触れてその度に戦争をなくし平和を願って作品を作って来た事を話した。また現在憲法9条をテーマとした作品を制作中であることも明かした。

 3階で開かれている展覧会には、名古屋空襲の日付を記した変形の作品が展示されている。それらの作品を見て、絵画という形で戦争を告発し、人類の平和を願うことの素晴らしさを思った。平和資料館の館長さんが言っていたが、「私にはそういう絵の才能がないからそういう表現手段をもっているのが羨ましい。」というのには私も同感である。ただ、いくら表現手段を持っていても、それを使ってやろうという感性がなければ駄目である。

 私は彼のライフワークに心から敬意を表するものである。

 

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戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

平和資料館を私費で建てなければならないところに愛知の公の戦争や平和への関心の低さが窺えます。河村市長はどう思っているのか聞きたいものです。

ピースあいちへ行ったことがあります。展示を見ると、如何に戦争が残酷なものか身にしみます。
シアターウイークエンドの松本善臣氏の「何時までも消えない夕焼け」だったと思いますが、名古屋の空襲を書いた劇をみたことがあります。
恐ろしい地獄絵が展開しているのに、美しい夕焼けだと思った子供、ららさんのブログを見て思い出しました。
安藤画伯の様に平和を願って描き続けておられる事に感動します。

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