「葬式は、要らない」を読んで―③―華美な葬式の原点
平安時代の貴族は、死後、地獄に堕ちることを恐れ、極楽浄土に往生することを願って、現世に造営したのが、浄土式庭園や阿弥陀堂や宇治平等院鳳凰堂である。(P. 60)平泉中尊寺金色堂もその一つである。貴族や豪族は権力と金に任せて死後の世界での安泰を祈願したのだ。
中国に閻魔大王の故事(中国では物語)にもとづいた名所?があるし、古い壁画にも地獄を描いたものがあるから、地獄思想は中国から来たものだと思うのだが、平安時代に浄土信仰と共に日本で広がったことは知らなかった。
地獄と極楽を対照的に描くことによって、極楽往生の浄土信仰を広げたというのは非常に巧妙なやりかたであり、それがその後今に至るまで生き続けているのだ。私が子供の頃は、年寄りによく地獄の話を聞かされたものだし、悪いことをすると地獄に行くと言われたものである。三途の川とか賽の河原の石積みとか怖い話に死後の世界の恐怖感をイメージさせられた。
芥川龍之介も「蜘蛛の糸」で地獄と極楽を描いている。
しかし、前にも書いたが、釈迦は死後の世界を考えなかった。というか知りようのないことに思い煩うことは無駄だと諭したのだ。
日本の寺院の伽藍内陣は、カソリック寺院とよく似てきらびやかに装飾されて豪華絢爛である。その点で共通していると島田氏は指摘する。
本来の釈迦の教えから言えば、そのような大伽藍や装飾などは否定されるべきであった。それがだんだんと華美になり僧侶に位階ができ、僧衣にまでそれに応じたものが着られるようになった。
宇治平等院の名の謂われは知らないが、平等を目指すのなら貧富、身分などの違いは否定され、万民の平等と平安を願うべきであった。しかし、そうはならなかった。
「現世において豊かで幸福な生活を送った貴族たちは、死後もその永続を願い、現世以上に派手で華やかな浄土の姿を夢想しただけでなく、浄土を目の前に出現させようと試みた。」(P.62)
「ここにこそ日本人の葬式が贅沢になる根本的な原因がある。少なくとも、浄土信仰が確立されなければ、浄土に往生したいという強い気持ちは生まれなかっただろう。」(P.62)
この指摘には賛成である。
平安時代には、貴族の信仰対象であった極楽浄土が鎌倉時代に入ると庶民の中にもたらされることになった。
ーつづくー
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