「葬式は、要らない」―④―葬式が華美になる遠因
浄土宗の開祖、法然は天台宗で学びながら、新たに「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで極楽往生できることを唱え、学問知識のない民衆に歓迎された。それを受け継いで親鸞が念仏とともに阿弥陀如来に救いを委ねる他力本願の浄土真宗を開いた。
この2人の説くところによって、浄土教信仰が貴族のものから一般民衆の救済へと変わったことが重要である。貴族のように現世に極楽浄土をイメージした庭園や阿弥陀堂などを造る財力がない民衆にとっては、非常に有難い容易な方法であった。
島田氏は次のように書いている。
「法然や親鸞は、仏教の教えを念仏行による往生に集約し、仏教と死を強く結びつけ、それを大衆化することには貢献したが、仏教式の葬式を開拓したわけではなかった。」(P.64)
一般民衆にとって、この世は苦しみの多いものであった。だからせめて死後は素晴らしい浄土に生きて安楽に暮らしたいと願うのは当然である。その願望一点に焦点を当てて、しかもそれを実現する極めて容易な方法を説いたから広く民衆にも受け入れられたのである。
だが、その時点では葬式や戒名とは関係がなかったことに注意すべきである。
葬式については、前に述べたように、島田氏によると、同じ鎌倉仏教の永平寺曹洞宗から始まるのだ。
「曹洞宗の中でも、密教の影響で加持祈祷が行われるようになり、それが死者の供養にも用いられるようになる。」(P.65)と書き、曹洞宗の中で葬式が確立されるには儒教の影響があったと書いている。(P.66)
曹洞宗に始まった仏教式葬式がどのようにして他の宗派にまで広がったのかについては触れていない。
ただ祭壇は浄土を模したものであり、そこには浄土に近づきたいという庶民の願望が示されているとだけ書いている。
曹洞宗の葬式は金がかかり、派手なことで知られる。私の母も曹洞宗で葬式をしたので、前にも書いたように、大変な物入りであった。
元来が座禅で悟りを開くのが曹洞禅であったはずである。それに加持祈祷のような密教の呪術を取り入れ教義を歪曲したのだ。それは釈迦の説いた仏教とは全く異なったものであった。
母の実家は、神道である。神道の葬式は極めて質素で簡単である。神主が祝詞を上げ、お祓いをし、焼香の代わり神主が用意してきた榊を一枝供えるだけである。簡単だから謝礼も安い。今なら1万円から2万円ぐらいかと思う。
島田氏も、「もし葬式が神道と結びついていたなら大変質素であったはずであった。」と書いている。(P.67)
神道式葬式が普及しなかったのは非常に残念なことである。
―つづく―
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