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2010年1月

2010年1月31日 (日)

高校時代の友と新年会

 30日に、栄の中区役所ビルの地下にある「嘉文」という和食レストランで高校時代の同期性が集まって新年会を開いた。大阪や津や松阪からも参加者があった。

 長年続いてきた同期生の会が一昨年中止されたので、再開しようという相談も兼ねていた。

 高校は、和歌山県新宮市にあった新宮高等学校で、同期生は500名を超えていた。なぜかというと、当時は、文部省の方針が男女共学、総合性ということで、普通科、商業科、建築科、土木科が一緒に勉強をしたからだ。クラスも一年のときはごちゃ混ぜであったし、授業は選択性でみんなが好きな科目を選んで受けたから科が違っても一緒になることがあった。

 今日も話にでたのだが、その仕組みがよかったと思う。その仕組みがあったからこそ、卒業後も同期の会を開いて同じ釜の飯を食べた仲間として談笑できるのだ。

 同期の仲間のうち既に105名が他界したという報告があった。20%ということだ。死亡者は男性の割合が多く、女性は少ないそうだ。

 今回集まった連中の中でも見かけは65歳ぐらいという人がいた。この歳になると年齢は関係なく、いつまでも元気で若々しい人、そうでない人がいるものだ。

 もろもろの話を屈託なく話せるのが、こういう会のよいところである。いろいろな人生を乗り越えてきて、過去の職業や地位に関係なく対等な友達として話し合えるのが嬉しい。 飲み放題の酒で、時が経つのも忘れて楽しいときを過ごした。

 三味線を習って大会に出るまでになった人や社交ダンスを夫婦でやって大会に出る人、私のようにコーラスをやっている人、まだ現役で働いている人などざまざまで、それぞれが人生を謳歌していることが窺えた。

 私は、区役所地下の嘉文は初めてであったが、客はほぼ満員で驚いた。これだけの客がいるということは、きっと料理がよくて値打ちなのだろうと思った。その通りで、魚の刺身などおいしかったし、料理も食べきれないほどであった。

 ドギーバックを持っていなかったので、持ち帰りのパックをもらって食べ残しを持って帰った。

 二次会で、ユーハイムヘ行って、またひとしきり高校時代のことなどを喋った。誰々が好きであったなどという昔の思い出話も出た。再会を約して家路についた。

 Cimg0054 Cimg0055 Cimg0061 Cimg0062 Cimg0064 Cimg0065 カニと刺身と寿司は4人分 他にデザート

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2010年1月30日 (土)

メジロのカップルがやってきた

 昨日夕方のNHKテレビでメジロが踊っている仕草の映像を映していた。それを見て妻が、「家の庭にもメジロが来てるわよ。」と言った。

 今朝、蜜柑でメジロを呼ぼうと思い、輪切りにした蜜柑をグミの木にさしておいた。どこで見ていたのかしらないが、メジロはすぐに飛んできた。

 メジロは毎年1月になると我が家の狭い庭にもやってくる。今年も来たことが分かった。メジロを呼ぶために部屋の窓の前にあるグミの木の小枝に蜜柑を輪切りにしてさしてやるのだ。すると、メジロが飛んできて蜜柑の実をつつくのだが、メジロは大変な臆病者で、食べながら絶えず首を動かして白い縁のある目で辺りの様子を窺っている。

 メジロはいつも2羽で来るが、2羽が一緒に実をつつくことはしない。必ず1羽は近くで見張っていて、交代で実を食べる。

 メジロが恐れるのはヒヨドリである。ヒヨドリの影が見えるとすぐに飛んで行ってしまう。その後ヒヨドリは悠々と蜜柑をつつくのだ。だから私はヒヨドリが嫌いである。ヒヨドリは高い木の上で見ていてサッと降りてくる。メジロはおそるおそる飛んでくる。

 カーテンの陰でメジロが蜜柑をつつくのを見るのだが、ちょっとカーテンをゆらそうものならさっと飛んでいってしまう。

 メジロに蜜柑をやるのは楽しいが、ヒヨドリがいるので邪魔されることが多い。

 私が中学生の頃、友達の家で、メジロを飼っているところがあった。竹の鳥篭に入れて飼い鳴き音を楽しむのだ。その友達にくっついて時々山へメジロを取りに行った。おとりのメジロを入れた鳥篭を木の枝につるして、傍の枝に鳥もちを塗っておくのだ。

 メジロも今は勝手に飼うことはできないが、当時は好きな人は飼っていた。ウグイスを飼っている人もいた。

 メジロでも鳴き声が悪いのは餌にサツマイモを与えられて、芋食いチーと呼ばれていた。懐かしい思い出である。

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2010年1月29日 (金)

低価格スーパー

 昨日、吹上にある電気店に行くのに自転車で行った。途中、塩付け通を通って、昨年10月頃に閉店したスーパーの前の道をとった。スーパーの後がどうなっているかを知りたかったからである。その場所に来ると驚いたことに新しいスーパーができていた。

 どんな店か見るために中に入った。値札を見ると、どれも近所のスーパーより少し低い値段が付けてあった。きっと今流行の低価格スーパーがも知れないと思って見て行った。

 ジャガイモや玉葱などは小袋に入れて買いやすい値段にしてあった。イチゴなども少し安いようであった。全ての商品が安いわけではなかったが、多くの商品で少し安い感じであった。

 惣菜売り場では、握り寿司のパックを12貫で398円で売っていた。弁当もその場で作って一つが290円であった。その隣でコロッケを本日の目玉として、揚げたてを1個10円で売っていた。どこかの奥さんが10個ほど買っていた。あと4個になったところへ別の奥さんが来て「もう売り切れなの?」と聞いていた。「まだ揚げますよ。」と言ったので、その奥さんは揚げたてを買うといった。それで私は4個を買ったら、まだ温かかった。

 一通り見て回って、最後にマフィンを2個持ってレジに行った。客が少ないので、レジは一つだけ開けていた。レジ係の女性に「消費税は内税ですか?」と尋ねたらそうだと言った。瑞穂区にある安売りスーパーは、外税にして、見かけは安そうにしてあるので念のために聞いたのであった。このスーパーは内税だから惑わされることはないと思った。

 テレビなどで、最近、安売り店があちらこちらにできていると報じていた。瑞穂区の店などは客が多くて夕方などはごった返しているそうだ。でも、このス-パーは客が少なかった。まだ客を呼ぶほど安くはないのか、近くに二つもスーパーがあるからか、わからない。客としては、安い店が増えると選択肢が増えてありがたいとは思う。

 コロッケを夕飯のときに食べたが、おいしく食べられた。

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2010年1月28日 (木)

シクラメンの鉢をまた買った

 小椋佳の”シクラメンの香り”は一頃大ヒットし、美空ひばりもカバアーしている。あの歌に出てくるシクラメンは、真綿色である。多分一鉢数千円もする大きな白い花びらのものであろう。

 私は、以前にも書いたと思うのだが、シクラメンが好きで、毎年11月になると、シクラメンの鉢を買う。そして翌年の4月の終わりから5月まで咲かせるのである。 シクラメンは半年間は花が次々に咲いてくれるので嬉しい。

 私が買うCimg0049シクラメンは、ここ数年は安いものにしている。昨年買ったのは、赤が380円であった。でも、あまりよくないので、その後西友で560円の白を買った。こちらは花びらが小さいが花の数が多い。

 一昨年、350円で買った鉢は最初は値段に相応していたが、日が経つにつれてどんどんとよくなり、最盛期には一鉢3000円のものにひけをとらないくらいになった。しかも、5月に入ってもまだ咲いていた。

 今シーズンも同じ店でかったのだったが、残念ながらあまりよくない。

 今日、行きつけの八百屋に行ったら、カバーをつけたシクラメンを売っていた。傍には売れ残りのくたびれたシクラメンの鉢があり、350円の値札が付いていたが、カバーつきの方には値札がなかった。親爺に幾らで売るのかと尋ねたら、みんな350円だと言った。多分、どこかの店の売れ残りを仕入れてきたのかも知れないと思ったが、それで買うことにした。今は1月末だから、4月終わりまで3ヶ月楽しめればよいと考えたのだ。

 買ってきて妻に見せたら、「蕾がないじゃない?蕾が多いのを買ってこなければ!」と言った。花の色と形に気をとられえて蕾のチェックを忘れていたのだった。これから蕾を付けてくれるかどうか・・・・。

 新しく買ったシクラメン

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2010年1月27日 (水)

教師を悩ませる子供と親

 いつの頃からかモンスターペアレントという言葉が広く使われるようになった。ちょっとしたことで学校や教育委員会などに文句を言いに行く親のことを指すのだ。

 私の家の近くに小学校があるが、昨今の子供や親のことはさっぱりわからない。新聞やテレビなどで知るのみである。

 今日来た私が所属していた研究会の報告の中に、少し今の子供や親に触れた部分があったので紹介する。

 教員はベテランでも子供の指導にはいつも頭を悩ませるものだが、新人教員ともなれば、経験がないこともあって、余計に悩みが多いのは当然である。

 子供はそんなことにはお構いなしだし、親は子供の言うことを鵜呑みにして聞く傾向があるから厄介である。

 「新任教師を一番悩ませ、苦しめているのは、我がままでこらえ性のない子供とその後ろに控えるママとパパたちです。」と書き始めてあった。

 子供は、「○○君はいつも僕を叩く!」と親に訴える。でも、○○君はいつもたたいているわけではないし、叩かれているという子供自身もけっこう他の子を叩いたりけったりしているのだ。しかし、親からは、

「家の子はいじめられるから、学校に行きたくないと言っています。」という電話が掛かってきたり、連絡帳に書いてきたりする。

 こんな子供もいるという。「先生、僕もう掛け算はママと一緒にやったもん。だから、つまらん。」

 親は親でこんなことをいうそうだ。

「そういうのって家の子だけですか?」

「家の子だけを叱るのはおかしい。喧嘩両成敗じゃないですか?」

「やられたらやりかえせ!と家では言っています。」

 教師はその度、心の中では、「1度、朝からの様子をビデオに撮って見せてやろうか!自分の様子をよく見てみな。」と言いたくなるのを我慢して、にこやかに子供に接しようと頑張っているのだという。

 昔も手におえない子供はいたが、親は先生を信頼して、あるいは先生に任せていた。学校に怒鳴り込んでくるとか、教育委員会に直訴するなどという親はいなかった。それがいつの頃からか、教師が女の子の頭を撫ぜてやろうとすると、「先生、そんなことをすると教育委員会に言うよ。」という子供が現れるようになった。うっかり体に触れて褒めてやることもできないのだという。

 ほとんどの教員は、朝早くから夜遅くまで学校にいて雑務をこなし、教材研究に励んでいる。或いは義務ではない部活動の指導をしている。教員の苦労は以前の比ではないようだ。

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2010年1月26日 (火)

沖縄名護市長選挙結果を見て―基地反対が多数―

 注目の沖縄・名護市長選挙は、民主党から共産党までが推薦した稲嶺氏が、現市長の島袋氏を破って当選を果たした。それまでは自民党と公明党が推す辺野古への基地移設賛成派の市長が3期連続で当選してきた。今回初めて移設反対派の市長が誕生したのだ。

 朝日新聞によると、基地移設反対の人は70%、賛成の人は20%であったという。投票日が近づくにつれて反対の数が増えたという。

 これまでは、13年間に770億円も使っての利益誘導によって賛成に回っていた人が多かったのが、利益誘導の真実がやっとわかったようだ。、地域振興策によっても商店街はシャッター通りと化している。結局市民の生活がよくはならないということに気がついたようだ。、

 13年間も基地移設問題をこじらせてきたのは、そもそも自民党の責任である。自民党政権がアメリカと日米合意を結び、辺野古への基地移設の実現のために住民に飴を与えてきた。自民党がそんなことをしなければ事態は変わっていたはずである。それなのに自民党は自分の責任を棚に上げて、民主党を攻撃している。繰り返しになるが、それは全くのお門違いというものだ。

 戦後沖縄は基地の中の沖縄といわれ、60数年にわたって基地の中の苦しみを余儀なくされてきた。それに対して、民主党は、辺野古への基地移設に反対し、政権獲得の一助ともなった。

 そして、今回の市長選挙では、移設反対派の稲嶺氏を推薦したのだ。市民に対するその責任は非常に大きい。

 社民党の福島氏は「辺野古へ実現不可能な案として除外すべきだ。」と語り、国民新党の下地政調会長も「民意は辺野古反対だとみるべきだ。米政府も、日米同盟のさらなる発展のために友好国の民意を大事にすべきだ。」と述べている。

 主導的立場に立つ民主党も、自ら稲嶺氏を推して市長選の勝利を得たのであるから、きっぱりと辺野古移設をNOと言うべきである。そして、アメリカにもきっぱりとした態度で臨むべきである。そうすることこそが、真の日米関係を築くことにつながるのだと思う。

 自民党や小泉元首相のようにアメリカのポチになってはいけない。日米安保条約締結以来50年、この機会に対等で信頼しあえる日米関係を構築すべきである。

 

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2010年1月25日 (月)

検察の小沢幹事長聴取

 小沢民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部が容疑者として事情聴取をした。小沢氏は、終了後に同じホテルで説明文書を公表し、予定になかった記者会見を開いた。

 政権党の幹事長が事情聴取を受けるということは、極めて異例のことで、サンデープロジェクトでは、自民党の町村氏もそのことを強調していた。

 小沢氏は会見の中で自己の一切の関与を否定し、4億円は自分が金庫に保管していた金であること、水谷建設その他から5000万円を貰ったことはないと言い切った。政治資金収支報告書への不記載についても、全く秘書任せで、帳簿や報告書を見ていないと言った。

 一般的常識からすれば、合計で5億6000万円ともいわれる大金を長期間金庫に眠らせていたというのはあり得ないことである。また、政治資金収支報告書を全く秘書任せで見た事がないというのも、奇怪な話である。町村氏などは「私は3回は確認する。」と言っていた。それが常識というものであろう。

 サンデーモーニングでは、記者会見の終わりの方で、小沢氏が笑みを浮かべたことをアップで映し、この笑みについて、元特捜部長のコメントとして、検察の聴取を終えて、小沢氏が自信を深めたのであろうと言っていた。

 サンデープロジェクトでは、水谷建設の社長が、栃木の事件で嘘の供述をしたことを、その事件を扱った元特捜部長の宗像弁護士が認めていた。郷原名城大教授は、水谷建設社長は信用できないと述べていたが、宗像弁護士は、今回の事件はそのときとは違うと水谷社長を擁護していた。

 週刊朝日先週号では、政治ジャーナリストの上杉隆氏が、検察と小沢民主党のがっぷり四つの戦いだと規定し、検察の執拗なやり方に幾つかの疑問を投げかけていた。記事の後半では、現特捜部長が退職後テレビに名を売れる弁護士になるために”功績”つくりで取り組んでいるのだとまで書いている。

 上杉氏や田原氏や郷原氏などの言い振りを見ると、どうも検察の裏に政治的な大きな力があり、民主党が政権を得て従来の政治の在り方を変えようとしていることへの危惧が働いていると示唆していた。もし、そうなら小沢氏が指摘するように大変な民主主義の危機ということになる。

 国民としては、小沢氏が本当に潔白であるなら、それを国会でもきちんと説明し、民主党連立政権がやろうとしている政治改革や当面の緊急を要する事案の審議を進めてもらいたい。いつまでもこの問題だけにかかずらっていないで、補正予算や沖縄基地問題や・・・といった大事な案件の徹底した審議をやってもらいたいのだ。

 一部の議員の声にもあるように、小沢問題は、特別委員会を作ってそちらで解明し、予算委員会等では、今重要な案件をきちんと審議するということがよいと思う。それも大事な政治改革のひとつだと思うのだ。

 再び言う。民主党よ、国民の期待を裏切らないように!!

 

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2010年1月24日 (日)

歳をとると老いるの違い

 図書館で見つけて借りてきた「老いない技術」(林泰史著 祥伝社刊)によると、「歳をとる」と「老いる」とは違うと定義している。

 「人は誰しも歳とともに老いていくものですが、生まれて何歳になったかという加齢と老け込むという老化とは、必ずしも並行するものではありません。」(P.4)と述べている。

 「私たちは歳をとると老いていきます。しかし、同じ高齢者でも人によっては『百歳万歳」といえるほど若々しい人がいます。どうやら歳をとることと老いることとは、同じではないようです。そうです。『歳をとる』とは、生まれてから何年経ったかといった年月の長さを示しているにすぎないのです。

 一方、『老いる』とは熟年以降に歳とともに体や体内臓器の働きが低下して、精神・身体の働きが鈍くなっていく状態を指し、単に歳をとることとは違うのです。」(P.14)

 私は、これまで歳をとることと老いることとを厳密には区別してこなかった。時には同じことを表現するものとして使ってきた。しかし、言われてみると、「歳をとる」と「老いる」は区別して使った方がよいと気がついた。

 この本にも書いてあるが、高血圧とかコレステロールが高くなるとかいう身体の変化は加齢に平行して起きることではない。若くして高血圧の人もあればコレステロールが高い人もいるし、高齢でも想でない人もいる。また、高血圧やコレステロール値などは生活の仕方によって改善できるものである。これらは病気なのだ。

 本書では、老いることについて老年学の第一人者、ストレーラー氏の「老化は4原則が基本」そ紹介している。それによると、

① 普遍性 多少の違いがあっても老化は全ての人に例外なく生じるという普遍性が認められる。髪の毛が薄くなる、顔に皺がよるといった老化現象は、多少の違いがあっても誰にでも生じるものだという。

② 内在性 老化は環境による差があるにしても、人種差、地域差、貧富の差などとは関係なく、人の体に備わった内在性の現象として生じる

③ 進行性 老化は事故や感染症のように突発性・急性に生じたり治ったりせず、徐々に進行して後戻りしない。

④ 有害性 老化は体や体内臓器の働きを低下させ、有害となり、望ましくない状態になることである。髪の毛が薄くなったり、顔に皺が生じたりすることは体にとって望ましくないことである。

 そこで、老化を止めたり、後戻りさせて不老長寿を達成するのは無理だが、老化をできるだけゆっくりと進行させて楽しい人生を送ることはできると述べている。

 我々日本人の平均寿命は延びて女性は88歳、男性でも79歳となり、女性は世界で一番である。100歳以上の人も増加をしている。つまり、高齢になっても老いを遅くしている人たちがいるのである。TVや新聞などで長寿の人たちの秘訣が紹介されている。長寿の人たちは、何らかの方法によって老化を遅らせているのである。

 この本では、食事や運動などを通して老化を遅らせる方法を述べている。それを技術としたところに、その方法を知り実行すれば誰にでもできるということを言いたいのだと思われる。

老化は止められないが、遅らせることは誰にでもできる!

 いつも歩く ときどき休む たまに走る

 この10項目がOKなら大丈夫!(P.2)

 (1)血清アルブミン値が高い

 (2)血清総コレステロール値は高すぎず低すぎず

 (3)足が丈夫である

 (4)主観的健康感がよい

 (5)短期の記憶力がよい

 (6)太り方は中くらい

 (7)タバコを吸わない

 (8)お酒は飲みすぎない

 (9)血圧は高すぎず低すぎず

 (10)社会参加が活発である

■若々しく、楽しく老年を生きる新健康法

 表紙画像

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2010年1月23日 (土)

ドギーバッグ使用が広がっているらしい

 先日の朝7時のNKHニュースの話題として、「ドギーバッグを使用する人たちが増えている」と報じていた。初めおしゃれな箱が示されて、「何の箱だかわかりますか。」と言った。何の箱だろう?と思って見ていたら、レストランなどでの食べ残しを家に持ち帰るための箱であった。

 プラスチックでできており、表面にいろんなおしゃれなデザインをほどとしてあり、折りたたんでハンドバッグなどに入れて持ち運べる便利さがある。使用後は洗って何度でも使えるので更によい。1個400円前後で売られているのだとか。

 このドギーバッグはもともとアメリカ辺りから来たものだと言う。インターネットで調べたが、Wikipediaはまだできていないので、販売会社のものを引用する。

ドギーバッグって何?
レストラン等で食べ残した料理を、持ち帰るためののバッグです!
名前の由来は、食べ残しを持って帰るのは恥ずかしいので“犬の餌にする”という名目で持ち帰っていたことが始まりで、ドギーバッグと言われるようになったようです。
(もちろん、おうちに帰ってから“人間”がおいしく頂きます♪)

ベネトンエコドギーバッグで、食料の無駄をなくせば、経済的な節約にもなるのではないでしょうか?
欧米では、食べ残した料理を持ち帰るのは習慣として定着しているようです。

 レストランや食堂や宴会などでの食べ残しを持ち帰る習慣は日本にも古くからあった。ペリーが来航したときに、奉行を招待し艦内で宴会を開いた。そのときに、宴会が終わると奉行が懐から大きな包みを出して余ったものを包んで持ち帰ったのを見てぺりーは驚いている。

 他にも食べ残しを持ち帰ることを記録した欧米人がいた。

 私が若い頃は、食べ残しを持って帰るのは当たり前のことであった。その頃はプラスチックがなかったから、竹の子の皮やヒノキを薄くはいで作った”折り”などを貰ってそれに入れて持ち帰ったのであった。

 高度成長の頃からだろうか、そういう習慣が廃れて行き、その内に持ち帰るのは食品衛生上問題があるというのでレストランなどが持ち帰りを禁止するようになった。

 しかし、ここにきて、経済不況が続き、再び”もったいない”という観念が広がり始めたようだ。それで欧米でやっている”ドギーバッグ"を売るビジネスが出てきたのであろう。

 昔は、寿司などの生ものでも平気で持ち帰っていた。私の子供の頃は父が宴会で残ったものを持って来てくれるととっても嬉しかったものだ。

 レストランなどでは、いつの頃からか食べ物を捨ててしまうようになり、大量の食糧が廃棄されるという問題が起きている。持ち帰りを復活させることによって、そうした問題の一部を解決することにもつながるであろう。

 インターネットで調べると、「ドギーバック普及委員会」というのもできている。ドギーバッグでも、プラスチックパックでもよいから、食べ残しを持ち帰る習慣が戻るとよいと思う。

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2010年1月22日 (金)

檀家制度の上で堕落していた日本の仏教僧

 「欧米人が見た開国期日本」によると、江戸時代に日本に来た欧米人が見た日本仏教は堕落したものと映っていたようだ。

 「教義はともかく、日本の仏僧が、売春、畜妾、堕胎といった行為に目をつぶっていることをアンベールが非難している。ポンペ(オランダ、1857年)も、僧侶が娼家の法要などに出入りしながら、売春の悪徳を少しもたしなめようとしない不思議さに首をかしげている。それどころか、仏僧自身が悪行を犯しているとする指摘も少なくないのである。例えば、ペリーに随行したハイネは僧侶はどの地方でも、暴飲暴食その他の悪行を重ね、いわば仏僧の特権であるかのように考え、男色にさえふけっていると眉をひそめている。

 僧侶は、幕府当局によって優遇されていたため、それをよいことに、悪行に走るものが珍しくなかったのである。

 ゴロウニン(ロシア、1811年から2年3ヶ月函館と松前で虜囚)が、付き添いの日本人から聞いた話を書いている。それによると、

 『貞助(通訳)や、その他我々に付き添っている者の多くが、僧侶について散々の悪評を述べた。大部分が不品行で、法律で禁じられている肉食も、魚食も、更に飲酒や妻帯などを犯して放埓な生活を送っている。それのみか、機会があれば人妻や娘を誘惑して身を持ちずさせたり、その他いろいろ淫らで粗暴な振る舞いをしているというのである。』

 それかあらぬか、日本では僧侶が尊敬されないばかりか軽蔑されている、という欧米人の報告がけっこう多い。例えば、オイレンブルグ(プロシア、1860年)の紀行には、下層の人びとは僧侶に盲目的尊敬を抱いているが、教養ある日本人は、本当は仏教と僧侶を軽蔑していると述べている。」(以上、P.204~P.206)

 江戸時代に日本に来た欧米人からあからさまに仏教や僧侶の堕落振りを観察され、報告されていたというのは、よほど酷かったからに違いない。檀家制度の上に胡坐をかいて、やりたい放題であったのだと思われる。それが今日まで続いているのだ。

 

素材ナンバー 331175 : 「笛を吹く僧」

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2010年1月21日 (木)

おもしろい「欧米人の見た開国期日本」

 たまたま図書館で「欧米人の見た開国期日本」(石川栄吉著、風響社刊)という本を見つけ、表題に惹かれて借りて来て読んだ。最初、かなり以前に出版された本だろうと思って読んでいたが、奥付を見ると2008年3月30日の発行となっている。しかも、著者は2005年に亡くなっておられるのだ。死後3年ほど経ってから出版されたようだ。

 著者は1925年生まれで、京大文学部卒業の文学博士で、東京都立大学名誉教授であった。

 著者は、江戸時代に来日した欧米人が書き残した記録を丹念に調べて、関連した項目ごとに詳しくまとめて書いている。

 第一章は日本人の容姿、 第二章は花の命は短くて、 第三章は破廉恥な日本人、 といった具合で九章まである。

 ある事柄について人によって異なった見方があるのは当然のことである。そうした異なった見方を対照的に取り上げているので興味深い。

 非常に印象に残ったことは、役人や政治家が如何に怠け者でお役所式であったかということや、貿易商人などの中には外側によい商品入れ、中には悪い商品とか時にはゴミなどを入れて誤魔化した悪徳商人がいたこと、それに対して農民や一般市民は勤勉で清潔好きで人懐こく親切であったと捉えていることである。

 政治家や役人というのはいつの時代でも姑息でいい加減で欲得が深い。それに対して庶民は概して正直で親切で勤勉なのだ。

 日本人は世界一清潔好きとして捉えられていたようである。江戸などの都市には公衆の浴場があり熱い湯での入浴が好まれた。ただ、男女混浴には外国人を驚かせた。風呂に入るにも拘わらず、眼病や皮膚病が多かったそうで、それは風呂の水があまり換えられなかったからのようだ。私の子供の頃でも、銭湯の湯は少なくて真っ白に濁っていて、時には便が浮いていることもあったぐらいだ。

 しかし、清潔好きの日本人だから、住居の片隅には外を掃く箒などが置いてあり、みんなで近所を掃除したり、水を打ったりした。また、燃えるゴミは拾って焚かれたのでゴミもなかったようである。ただ大便小便を集める車が臭くてたまらないと書いているそうだ。

 日本人は、自分の家の前だけでなく隣などの前も掃除をした。公共の場をもきれいにするのは当たり前であった。しかし、中国は違うようだ。かつて中国に行ったとき、マンションの部屋の中は凄くきれいにしているのに階段や共同の場所は非常に汚れているのをいつも目にした。

 また日本人は自然を愛することや狭いところにもちょっとした庭を造ったり、植物を置いたり、盆栽を作ったりとそういう感覚を持っていることにも注目している。

 異国の人が日本に来て日本人や日本の生活や文化などをどのように見たのかを知ることはとても興味深いことである。よくまとめられた本だと思った。 

欧米人の見た開国期日本 異文化としての庶民生活

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2010年1月20日 (水)

くだらないAVATER―3D効果もイマイチ

 

 3D映画のAVATERが評判と聞いて、見に行くことにした。映画館によって3D効果が異なると聞いたので、あらかじめインターネットで調べた。それによると、IMAXの映画館がいいようだということがわかった。

 AVATERは、4種類のバージョンが上映されているようだ。通常版、3D吹き替え版、3D字幕版、IMAX版である。普通の3D方式より、IMAXの方がより臨場感が味わえるということであった。

 IMAXの映画館は、名古屋では、笹島にある109CINEMAである。それでそこに決めた。午前中は、吹き替え版で午後から字幕版が上映される。

 IMAXの3Dも眼鏡をかけて見るのだ。左は普通に見え、右は白黒のような感じに見える。

 上映が始まった。画面は実際の画面より大きく見えるのがIMAXの特徴だという。3Dは確かに3Dだが、期待したほどでもなくがっかりした。ずっと以前に万博などで見た3Dの方がずっと立体効果があった。画面からこちらに向かって飛び出してくる感じがあった。だが、AVATERはスクリーンの中だけであった。

 AVATERとは分身という意味だそうだ。地球から6年もかかる遠くの星、バビロンには地球の基地があり、そこでは地球人と原地人のナヴィとをDNAで合成して原地人そっくりな個体を造っている。地球人がカプセルに入り眠ると、合成された原地人とのリンクが始まり活動を始めるのだ。

 地球から送られる筈であった双子の兄が急死したので、代わりに海兵隊の弟がバビロンに送られる。

 その男とリンクできる合成体のナヴィが原地人の女性と知り合い、やがて原地人の部族に認知される。そして恋に陥る。

 それを知った地球基地の司令官たちは激怒してナヴィの大事な魂の木を攻撃し原地人を壊滅しようとする。

 原地人は自然を大事にし、自然と交流し、自然の神の加護を信じている。彼らは、弓矢と槍しか使わない。それに対して、地球軍は超近代的なハイテクの武器や飛行機を持っている。

 それらが死闘をつくし、最後は原地人が勝つというストーリーだ。

 CGによって作られた画面は確かに素晴らしいが、ストーリーがナンセンスでリアリティが全くない。それに戦闘場面なども大活劇になっているが、ばかばかしいような拙劣なものである。

 私が見に行ったとき、観客の殆どは若い人であったが、彼らはどう見たのであろうか。コンピューターゲーム世代だから面白いと思ったのだろう。

 タイタニックを作ったジェームス・キャメロンが12年ぶりに作ったというが、CGテクニックを駆使してあるだけで、実にばかげた映画である。

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2010年1月19日 (火)

国民の期待を裏切るな!民主党と小沢幹事長

 18日から国会が始まったが、その直前に民主党小沢幹事長の元秘書らが逮捕された。4億円を巡る金の出所について小沢氏の明確な説明がないまま、検察は逮捕に踏み切ったのだ。

 18日の朝日新聞朝刊によると、「小沢幹事長は辞職すべきだ」という人が67%もいるという。鳩山内閣支持率も、42%に急落し、不支持率41%と拮抗している。

 昨年、国民は民主党に期待して衆議院での同党の圧勝をもたらした。それがここに至ってこの始末である。国民の期待をないがしろにするにも程がある。完全な裏切りである。

 小沢幹事長は自民党時代に田中角栄氏の一番弟子として政治家の指導を受けたと言われるが、そのせいか後援会の名前までが「越山会」を真似た「陸山会」である。おそらく金の動かし方、政治資金の作り方角栄氏直伝であるに違いない。そこになにやら胡散臭さを感じるのは私だけではあるまい。

 小沢幹事長は、「自分はなんらやましいことはしていない。」と言っているが、新聞やTVの報道を見る限り、疑惑だらけで、だれでも不審に思うのは当然である。

 68年に相続した4億円が、普通預金のまま30年近く放置されていたとか。あの定期預金に置いておいても10年で倍になった時代である。更に不思議なのは、98年にをれを引き出して自宅に保管していたといのは奇怪である。

 本当に何も悪いことをしていないのなら、はっきりと説明すればよいのだ。それが普通の人間の感覚である。政治家の感覚は、どうも普通人間の常識とはちがうらしい。

 田中角栄氏でも、金丸氏でも、はたまた偽装の社長でも、みんな最初は「絶対に悪いことはしていません。」と言い切っている。しらを切れるうちはしらを切るというのは毎度のことである。小沢幹事長は「参議院議員選挙で勝てば無実が証明される。」と言っているが、本当にそう言えるのであろうか。国民を馬鹿にしていないであろうか?

 一方、自民党はと言えば、これまた政治を託すのには頼りない。というか、もう懲り懲りである。折角民主党が政権を取って少しはよくなるかと期待したのにそれが吹っ飛んでしまった。

 少なくとも新しい改革をやろうという志を持った政治家なら、身辺をきれいにして誰からも信頼されるようでなくてはいけない。その点では、鳩山首相も政治資金の疑惑が解明されていないから、はなはだ心もとない。

 民主党の議員は、小沢幹事長の前に出ると、借りてきた猫のようにおとなしくなったり、率先してご機嫌をとたりする人が多いと聞くが、彼がどうしてそれほどの権力を持っているのか不思議である。”実力者”という言い方からして旧自民党的な表現である。民主党に本当に民主主義があるならば、一人の実力者にぺこぺこすることはないはずである。

 一人の権力者に頼らなければならない民主党は真に国民のための政治をする党とは言えない。

 民主党自体の大反省を求めるものである。

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2010年1月18日 (月)

オーストラリア・シドニー旅行―⑭―

(14)帰国、親切な乗務員、荷物留め置き

 28日。とうとう帰国する日が来た。5時40分ごろに起床をして身の回りを再度点検し整理しました。

 6時15分に、軽食を食べて、37分に出発しました。外は小雨が降っていました。7時に空港に着いたが、大韓航空のカウンターは既に人びとで溢れていました。みんな2時間より前に来ていたのです。

 KE122便は、仁川空港が雪のため50分遅れだと書いてありました。帰りの荷物は18.3KGありました。

 エマたちとお別れをしました。次には、2年後に名古屋でみんなで会おうと約束しました。

 出発時刻が大幅に遅れたので、時間がたっぷりありました。ぶらぶらと空港内を歩いて見物をしました。飛行機が見えるカフェでカプチーノを飲みましだ。一杯3.7$でした。

 免税店でTシャツを買いました。25$でした。出国審査を受けて中に入りました。残りのコインを使うためにガムを1.15$で買いました。結局、残ったのは、95cCimg0349ででした。これは手品にでも使おうと思いました。

 ジャンボの乗客の半分はオーストラリア人のようでした。満席でした。私の席は窓側の翼の上ででした。

 隣の男性は、その向こうのオーストラリアの男性としきりに喋っていました。結局、出発は1時間半の遅れで10時半に離陸しました。私は、遅れたので乗り継ぎガ心配で乗務員に尋ねました。彼女は、日本語が多少できるらしく、日本語で答えました。私が日本人だとわかったようでした。

 食事のときに、隣の男性が話しかけてきました。デミトリと言い、ロシアとオーストラリアの二重国籍を持っていると言いました。おしゃべり好きの彼は、私が日本人と知って話しかけてきたのです。彼は2年ほど東京の時事通信に勤めていたと言いました。歌舞伎町や六本木などの話が出たが、名古屋は知りませんでした。お父さんと妻がロシアにいてソウルで会うのだと言いました。奥さんの写真を見せてくれました。

 彼は酒が好きらしく、自分で持ち込んだスコッチの小瓶の他に、乗務員にビールを何度も注文していました。乗務員は嫌がりもせず注文に応じていました。

 私たちの列を担当する乗務員は大変親切で、にこやかな笑顔が素敵ででした。彼女は、KEの絵葉書に、

「おきゃくさま。きょうどうちゃくのじかんは6:25pmですので。NGO(NAGOYA)のしゅっぱつは7:00pmですから おきゃくさまがしんぱいとおもいます。それできょうはでんきがわるいだからDelayですけど、のりかえのおきゃくさまがたくさんいます。わたくしがGround staffにcontactします。」

と書いて渡してくれました。それで安心しました。彼女は前の席にいた赤ちゃん連れの客にもにこやかに親切に対応していました。

 私は、「名前を書いてください。」と言って絵葉書を渡すと、照れながら書いてくれました。李宣利と書いてありました。絵葉書の写真には四人の女性が写っていました。尋ねたらKEのモデルだと言いました。でも彼女はもっと素敵でした。

 隣のデミトリは頻繁に席を立つので私は助かりました。トイレに行きやすいからです。

 18時30分に1時間半の遅れで仁川空港に着きました。大きいので滑走路からGATEまで随分時間がかかりました。その上、降機待ちが20分もありいらいらしました。

 やっと飛行機を降りて乗り換え口に行くと係員が待っていました。名古屋行きの客はたった8名でした。

 荷物検査を受けて搭乗の28番GATEを探しましたが、例によって案内が不親切で分かりませんでした。インフォメーションがあったのでそこで尋ねました。

 搭乗すると、既に客で満員でした。私の席には女性が座っていました。私は、またかと思い、乗務員を呼んで「シドニーでは確かにアイルだと言っていたのにどうなっているのか。」と言いました。確認したら窓側の人が間違えて座っていたのです。どうやら二人連れの日本人のようでした。

 19時50分に、50分遅れで出発しました。帰りの便では、韓国風ちらし寿司にし、ハイネッケンを2缶飲みました。

 50分遅れてセントレア空港に到着しました。荷物を受け取るところで待っていると係員が「○○さん。お話したいことがあります。」と言って私の名を呼んでいました。何事かと思い行ってみると、私の荷物がまだ仁川空港に残っているというのです。聞いたら私の荷物だけだと言いました。明日以降宅急便で配送するから承知して欲しいということでした。仕方がないのでOKをして書類にサインをしました。

 次の日、「荷物は、明日の夕刻配達する。」と電話がありました。私は、コリアンエアーに電話して、もっと早く配達できないのかと言いました。それで午前中に配達してくれることになりました。

  コリアンエアーで荷物の遅れが2回目です。前回はカナダへ行ったとき、私の荷物がロスに行き遅れました。そのときはバンクーバー支店長に抗議をしたら、帰りの座席をビジネスにしてくれました。でも、今回は遅れても何の侘びもありませんでした。

 それはともかくとして、無事に帰ることができたし、シドニーでは楽しい日々を送れましたので行ってよかったと思いました。

  Cimg0350

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2010年1月17日 (日)

オーストラリア・シドニー旅行―⑬―

(13)ハーバー見物とハプニングパーティ

 ダーウィン・ハーバーをトレインで一回りしたので、今度は水上タクシーでオペラハウスまで行くことにしました。一人15$でした。しばらく待っていると黄色い水上タクシーが来ました。ダーウィン・ハーバーからシドニー・ハーバーに向かって快速で走りました。途中に黒い潜水艦と駆逐艦が停泊していました。前方に橋が見えて来ました。運転手はタクシーを止Cimg0324めて写真を撮りやすくしてくれました。橋の欄干に人が上っていました。運転手は「飛び込んで死ぬ奴がいるが、飛び込むのは4$だが、その後始末に金がかかる。」と話して笑わせていました。橋の向こうにオペラハウスの特徴ある屋根が見えました。

 オペラハウスの近くに来るとタクシーを回して写真を撮りやすくしてくれました。オペラハウスの岸壁に着きました。上がった左手が植物園だと言っていました。休日だけど見物に来た人がたくさんいました。前回来たときはハウスのレスCimg0327トランで昼食を食べたことを思い出しました。トイレに行きたくなったので、ハウスの中のトイレに行きました。休日でも中の見学はできるようでした。

 オペラハウスの近くからダウンタウンに行くシャトルバスが出ていましたので、それに乗りました。再び中心街に戻りました。私はチョコレートの店にもう一度行きたかったので、まずその店に行きました。チョコレートを買ったらCimg0334、エマが「試食のチョコレートを貰って。」と言ったので、1個200円ほどのを貰ってあげました。

 店を出ると、その前にオーストラリアの革製品などの店がありました。そこに行ってベルトを探しました。バスケットの中に見切り品が入っていて、120$のが60$になっていました。エマが勧めたのでそれを買いました。本物のオーストラリア製品でした。

 それから通りを歩いて、シドニーで一番古い、高級品を売るモルに行きました。中にはシドニーで最大だというクリスマスツリーが飾られていました。きらきら光っているのは全部クリスタルだということでした。その前で写真を撮りました。

 5時半ごろダウンタウンを出て、途中スーパーに寄って食品を買い、それからダニエルの両親が泊まっているホテルに行きました。両親は車で8時間もかかるところから会いに来てくれたのです。あいにく両親は出かけていませんでした。

 家に帰ると、ダニエルが郵便物を開いたあとエマに怒り始めました。口論が続き、エマは「夕食は作らない。」と言いました。その様子が隣に聞こえたとみえて隣家のサンディがやってきました。パーティをやって残り物があるからもってこようかと言いました。

 サンディが帰ったら、2人は仲直りをしました。父親の張さんは、「2人のことだから我々は口出しをしないの。」と言いました。2人はケロッとして元に戻りました。

 結局、私たちは隣家に行きました。パーティをやっていて3組の夫婦が招かれていました。皆さんと挨拶をして、ダイニングで食事を頂きました。サラダやハムや煮物などがありきれいで味もよかったです。私が「ビールが飲みたい。」エマに言ったらその家の冷蔵庫からビールをだしてくれました。私はエマに「家にハイネッケンがあるからそれを持ってきなさい。」と言いました。出してもらったビールを飲みました。あとでエマは家からビールを持ってきました。

 食事をしていると、ダニエルの両親が到着しました。両親もサンディの家で食事をすることになりました。

 食事のデザートに、きれいに作ったケーキとアイスクリームが出ました。サンディたちの手作りだそうです。とてもおいしかったので、「貴女はすばらしいパティシエですね。」とサンディに言いました。

 食事が終わったら、マジックを見せることになりました。エマがプロのマジシャンだと大袈裟に言いました。始める前に、少し話をしました。自分はアマチュCimg0345アのマジシャンであること、中にはアフリカンアメリカンの婦人もいたので、非常に国際的な集まりであること、マジックを見てもらうのは嬉しいこと、世界平和や人びとの幸せを願うことなどでした。

 前夜にエマたちに見せたマジックを披露しました。大変喜んでくれました。後で聞いたら、みなさんは目の前でマジックを見るのが初めてだったそうです。

 エマが食事を作らないと言ったことからのハプニングでしたが、Happy endでよかったと思いました。このような素敵な隣人がいて、素晴らしい自然環境の中で生活してどんなに幸せだろうと思いました。 

 家に戻ったら遅かったので、次の朝早い私は、ダニエルの両親とは殆ど話をせずに床につきました。

   

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2010年1月16日 (土)

オーストラリア・シドニー旅行―⑫―

(12)手作りチョコレート、ダーウィン・ハーバーで 

 12月27日(日)。今日はもうオーストラリア滞在最後の日となった。天気予報では曇りで気温は22度Cぐらいだろうと言っていた。

 5時半に目が覚めたので、起きて荷物の整理をした。

 7時半ごろ朝食を食べた。

 今日はシドニーの中心に行くので、10時ごろ出発をした。まず、BIRKENHEAD POINTという大きな建物にあるモルに行った。エマの話では、ここは製造工場直結の店が集まっていて値打ちに買えるのだそうだ。

 エマが靴を買ってあげると言って靴屋に連れて行った。カンガルーの皮に中が羊の毛でできていて温かいのだという。百貨店で買うと230$ぐらいするがここでは120$前後で買える様であった。でも私はそんな高いものは要らないと固辞した。エマは仕方なく承知した。日本に帰ってから大須の店で見たら偽物が高い値段で売られていた。日本でもそういう靴を売っているとは知らなかった。注意をしてみると地下鉄なので履いている女性を見かけた。

 靴は諦めたので、私が欲しがっているベルトを探しに行った。何軒か探してようやくいいかなというのを見つけたが、Made in Indiaであった。でも、2本で39$だったのでそれならいいかと思って張さんと2人で1本ずつ貰うことにした。お父さんの張さんは大変節約家でベルトは擦り切れていたので丁度よかった。

 それからダウンタウンに行き、終日駐車料金の駐車場に止めて中心街にCimg0290出た。歩いていると昔来たことがあるところであった。シドニータワーもビルの間から見えるところがあった。前に来たとき、あの近くで泊まったことを話した。

 中心街なので、人がたくさん歩いていた。素敵なモルの入り口のところにあるチョコレート店に入った。エマたちお勧めの店であった。理由は、この店はHAIGH’S CHOCOLATES工場直営店で、このチョコレートは、工場と直営店でしか買うことができないものであったからである。小さな店だが人びとがCimg0302並んでいた。HAIGH'S CHOCOLATESは全て手作りなのでたくさんは作れないのだそうだ。国内はもちろんのこと国外では絶対に手に入れることができないのだという。

 値段を見たが、秤売りでだいたい一粒が200円ほどだっ た。板のチョコレートはまるで不良品のようで形がいびつであるがそれで製品なのだという。とにかく高かったがいわば貴重品なので買うことにした。残っていたトラベラーズチェックを使って買えたのでよかった。

 それからシドニーNO.1の百貨店に行って本物のオーストラリア製のベルトを探したがなかった。ついでDavid Jones & Myerという第2の百貨店に行った。入り口の階段の両側にはまだクリスマスツリーがぎっしりと飾ってあった。地下Cimg0294の食品売り場に行ったら、人で溢れていた。みんな食事に来ているのであった。Takeoutの店が並んでいて好きなものを選んで食べるのだ。ダニエルがメキシカンを持って帰って来たのでみんなもそれにすることにした。エマとお母さんが買いに行った。タコスに好みのシーチキンや肉や野菜などを巻いてもらうのだ。

 ビールが飲みたいと思って、近くの店に行ったら、その店で飲むのなら売ると言った。何と商売気がないと思ったが、ダニエルが、アルコールを売る店はライセンスで決まっているのだといった。他には持ち出しができないそうだ。仕方がないので他の飲み物を探してヨーグルト風味のマンゴージュースを買った。

 食べたらまたベルトを探したがよいのはなかった。それで歩いてダーウイCimg0313ンハーバーに行った。しばらく岸辺の板の上に座って景色を眺めた。遊園地などもあり、大変賑やかな場所であった。水上バスや遊覧船の発着もしていた。

 陸には玩具のようなトレインが一回りしていたので、それに乗ることにした。乗ろうとしたら、可愛い女の子が「ここに乗って。」と手招きをしていたのでそこに座った。父親と妹と乗っていた。とっても明るい人見知りをしない女の子で、絶えず喋ったり歌ったりしていた。名前はエミリーだといった。年を聞いたらもうすぐ4歳だといった。妹の方は1歳8ヶ月で父親に抱かれておとなしかった。2Cimg0315_2人とも色白で人形のようであった。

 トレインがぐるぐる回っていくのだが、エミリーは景色など見ようともせず、ただ喋っていた。可愛いので手品を見せてやった。そして父親にまた見せてやってと言って手品の材料を2つあげた。

 一回りして降りたら母親が待っていた。母親にも手品を見せたらびっくりしていた。

 

 

 

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2010年1月15日 (金)

オーストラリア・シドニー旅行―⑪―

(11)鍋料理を作る

 私は、オールとラリアに来るとき、味噌や鍋の材料を持って来ようと思ったのですが、妻が「今は夏だからだめよ。」と言ったのでやめたのでした。持参すればよかったのにと後悔しました。私は、「オーストラリアでは本当の日本の材料は手に入らないから、日本料理風のものになる。」と説明しました。「本当の日本料理を食べたければ日本に来てください。」と言いました。

 シドニーにあるアジアンマーケットに行きました。一帯は中国、台湾、韓国などの食材を売っている店が並んでいました。超市と中国語で書いた店に入りました。アジア系の人がいっぱいいました。モチ菜、ねぎ、豚肉、豆腐、厚揚げ、ビーフン、うどん、味噌、味醂、エノキ、しいたけなどを買いました。豆腐、味噌にはパックに日本語で書いてありましたが、台湾製でした。醤油、味醂なども台湾製でした。

 店には日本語もしくは浮世絵などの日本を思わせるデザインの商品が目に付きました。日本食が好まれていることが分かりますが、どれも偽の日本食材です。それをもって日本食だと誤解されたら困るし・・・・と思うと、痛し痒しでした。エマたちは、みんなわかってかっているよ、と言っていましたが。

 17時20分頃に帰宅すると、エマを助手にしてすぐに準備にかかりました。エマは料理がすきだというだけあって、料理の本や道具を揃えていました。大きな鍋があったのでそれを使うことにしました。ボウルを出してもらって野菜を切ってきれいに盛りました。豚肉はオーストラリアでは普通大きな塊を買うそうですが、この日は肉屋が休みなのでパックしたスライスの豚肉を買いました。結果としてはそれがよかったようです。

 調味料の味噌は、鰹出しと書いてありましたが、とても甘いので醤油をで補いました。味醂も買ったのでそれも使いました。

 テーブルにはカセットコンロを置きました。エマが「いいでしょう?」と言いました。ホント助かりました。

 用意が整ったので、鍋を始めました。ハイネッケンのビールで乾杯をしました。ダニエルの大好きな豆腐や厚揚げもたくさん用意しました。みなさんはどんどんと箸が進みまました。最後にうどんを入れて食べるはずが、もう満腹になってCimg0281食べられなくなりました。大満足のようでしたので嬉しく、やってよかったと思いました。

 食後の時間は、残りのマジックを見せた後、エマとお母さんと私はテーブルマジックで遊びました。あるマジックの解明に興味をもち、 エマとお母さんは真剣に議論をしていました。

 その後、お母さんの李さんの絵について話をしました。彼女は絵が上手で、現在絵の教室で習っているのだそうです。私が個展を開いたらと勧めると、「1000枚描いたら個展を開くつもり。」と言いました。現在320枚ぐらいになるそうです。私に素敵な唐代の美女図をくれましたが、それは300枚より後のものだということでした。

 名古屋でも個展をやるといいと言いました。彼女の絵ならきっと売れるとおもいました。1000枚描いてからというのは大変謙虚な心です。まだ若いから多分還暦ごろには個展が開けるでしょう。

 シャワーを浴びて10時過ぎに床に入りました。

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2010年1月14日 (木)

オーストラリア・シドニー旅行―⑩―

(10)植物園・Woolgong Beach

 Woolgong Universityを見て、次は植物園に行きました。駐車場には車が1台とまっていました。きれいな花がたくさんさいていました。池の傍の芝生にたくさCimg0242んの鳥がいました。数えてみると4種類いました。持って行った餌をやりました。バオパブのような木がありました。幹の下のほうが太くてそこに水を蓄えているのだそうです。さらに行くとサボテン園があり見た事がないサボテンが幾つかありました。李さんはサボテンに興味があるらしく熱心に見ていました。雨はまだ降っていました。そこここに鳥がいました。Cimg0249

 赤い橋がかかっている池がありました。モネの絵によく似ていました。案の定「Japanese Garden」書いてありました。その近くでまるで私たちを歓迎しているかのようにきれいなduckが並んでいました。近寄っても逃げませんでした。

 とても静かなきれいなこじんまりとした植物園でした。Cimg0256

 13時をまわったので、食事をするところを探しました。この日は店が閉店しているのでtakeoutの店しかやっていません。道端のベトナムの店に行きました。魚フライ、リングイカ、フライドポテトを食べました。店の外のテーブルで食べていると、カモメがやってきました。ダニエルが食べものを投げてやるととって食べていました。Cimg0251

 それからWOOLGONGの市内を一回りして、Woolgong Beachへ行きました。遠くに石炭工場がありもくもくと煙を出していました。空気が少し匂いました。あの工場のために海も空気も公害だと言っていました。

 もう一方に広がるBEACHの方に行きました。岬に灯台がありましたから重要な場所だとわかりました。車からでると砲台があり、大砲が2門据えてありました。ダニエルが「戦争のとき日本軍が攻めてくるのに備えたのだ。」と言いましたが、それは冗談でした。第一大砲が古いし、日本軍とオーストラリア軍は戦いましCimg0274たが、太平洋でした。

 この岬はかつてキャプテンクックがオーストラリアに初めて上陸した地点なのだそうです。こちらの浜ではサーフィンをしている人たちがいました。

 市内の店はtakeoutの店の他はみな閉まっていました。帰る途中、野菜専門のスーパーがあったので、ダニエルはマンゴー一箱とバナナを山のように買いました。彼の好物なのです。

 私は、帰ったら鍋料理を作ってもいいかと聞いたら大賛成でした。彼らは日本料理が大好きなのでした。それでシドニーに入ったら材料を買いたいと言いました。帰りの車中では、日本料理が話題になりました。ダニエルも味噌や豆腐などが大好きだということがわかりました。

 私は、アメリカに行ったときも、カナダに行ったときにも、その家で鍋料理を作って大変好評でした。そのときは海鮮鍋料理でした。カナダでもアメリカでも日本料理は好まれているようでした。

 私は、ふだん家では料理をしたことがありません。いつも妻任せです。でも鍋料理はよくやるのでどうやればよいかはよく知っています。それに鍋は後になるほど味が濃くなりますし、味付けさえ間違えなければ失敗がありません。それで鍋料理を披露するのです。

    

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2010年1月13日 (水)

オーストラリア・シドニー旅行―⑨―

 (9)Wolonngongへ行く

 12月26日(土曜日)。6時に起床しました。雨が少し降っていて寒い日でした。顔を洗って着替えをしてダイニングに行きました。そのうちに張さんが起きてきました。7時過ぎに張さんと一緒に散歩に出かけました。外には誰も歩いていませんでした。道路はどこも大変広くできていました。何となく以前行ったニュージャージーの風景に似ていました。

 小さな公園のところまでいきました。大きなちょっと変わった木が立っていました。そこから引き返しました。途中家の前の芝の上に円い筒が投げ出してありました。見ると新聞でした。他にも見つけました。オーストラリアもアメリカのように新聞を投げ出して配達するようです。

 8時15分から朝食を食べました。トーストに白い豆を塗ってありました。朝食後エマが子供のときの写真を持ち出してきました。私とエマとお母さんが写っていました。私は中国語で「これ誰?」と聞きました。エマは小さくて可愛いし、お母さんは若くてきれいだし、私も髪が黒々としていて若かったです。名古屋市の科学館に連れて行ったことを思い出しました。性教育の部屋がありそこに来たらおかあさんが大慌てでエマを引き戻しました。私は不思議に思いましたので、鮮明に覚えているのです。その話をしてみんなで笑いました。

 今日は土曜日なので、店はどこも完全に閉まっているということでした。それでエマたちが学んだWolongong大学に行くことになりました。10時過ぎに出発しました。例によってエマたちは賑やかに喋っていました。私も少しなれてきたので、部分部分で聞き取れるところがありました。

 お母さんとエマは、昨夜の手品でパチンコ玉の貫通をやったとき、どうしてそうなるのかを熱心に議論していました。2人とも物事を徹底的に追究しようというタイプのようでした。それで私は面白い言葉のトリックを話しました。

 「旅人が3人シドニーにやってきて、ホテルに泊まりました。宿泊料金は一人10$でした。一人が代表で宿泊代金を支払いに行くと、ホテルの係りは3人泊まってくれたから5$おまけをしてあげると言って、5$返してくれました。その人は、部屋に戻る途中、3人で5$は半端だから、自分のが2$ポケットに入れました。部屋に戻ると他の人に3$まけてくれたと話して、一人1$ずつ渡し、自分も$取りました。そこで、問題です。

 ホテル代は一人9$になりました。9$×3人=27$です。代表が2$ポケットに入れましたから、27$+2$で29$になります。1$はどうなたのでしょう?」

 この問題をエマに英語で伝え、それをエマが中国語で母親に話しました。2人は予Cimg0227想したとおり賑やかに議論を始めました。

 Wolongongまでの道は自然公園の中を通りました。両側Cimg0223が公園だということでした。大きな木が茂っていました。

 Wolongong大学は、素晴らしい環境にありました。 高い方に小高い山があり、そちらから流れてきた小川がせせらぎとなって校内を流れています。でも、その流れは豪雨の時には、膝よりも高くまで水が来て辺りは洪水となることもあるそうです。キャンパスは広くて芝生や緑がたっぷりとあり、校舎が点在していました。その中をゆっ くりと歩いてみて回りました。 

 歩いていると大きな白っぽい鳥が路にじっとしていました。近づいても逃げCimg0215ません。じっとしたままなので年をとって不自由なのかと思いましたが、そうではありませんでした。この鳥は、Evil Duckといって、この大学のシンボルみたいなものなのだそうです。少し先に池があり、そこにステンレスでできたEvil Duckの像がありました。以前に大変強くて貪欲なduckがいて仲間を支配し、学生たちをバカにしていました。そのduckの思い出にこの大学の学生たちが作ったのでした。

 池の傍の欄干の上にも1羽、路にも一羽いて近づいCimg0219ても動きま せんでした。口のところに手を近づけると噛み付こうとしました。

 メインビルディングの入り口の脇に、地中で卵を孵すduckの巣がありました。大事にされているのでそんなところにも巣を作るのです。

 構内はどこに行っても鳥がいました。リスなどもいるそうですがこの日は見かけませんでした。

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2010年1月12日 (火)

オーストラリア・シドニー旅行―⑧―

8)クリスマスの夜

 Roiyal National Parkを出る頃から雨が降り出しました。高いところを走って行くと海が見えました。

 海辺に出ました。Garia Beachだと言いました。雨と風が強くなりました。ビーチではCimg0181まだ泳いでいる人やバーベキューをやっている人たちがいましたが、私たちは車を出ると、近くの海岸を監視する建物に行きました。休みで中には入れませんでした。やむなく木でできたベランダに座り弁当を広げました。寒いので張さんは毛布をかぶっていました。サンドイッチやサクランボなどを食べました。ビールも入っていました。飲みましたが寒くてたまりませんでした。

 その辺にいる人たちは何故かアジア系の人ばかりで、白人はダニエルだけでした。近くにインド人の母子がいて退屈そうでしたので、手品を幾つか見せました。母親は驚いていましたが、息子はシャイであまり反応しませんでした。年齢を聞いたら母親が7歳と言いました。

 トイレに行きたくなったので、入ろうとしたのですが、うっかり女性用に入ってしまいました。インド人の女性がいて怪訝な顔をしました。慌ててトイレから出ました。

 3時ごろ海岸を出発して、家に向かいました。途中きれいなビーチが望める展望台で鶴間を止めて見ましたが天気がよいとどんなにかよいだろうと思いました。

 家に着いたら4時を回っていました。 お母さんの李さんに、持って行った中国語会話の本を見せたら発音をチェックしてくれました。私が読んでよくない発音を正してくれましたが、さすがに国語の高級教師をしていただけに厳しかったです。張さんは、「僕の発音はいい加減だけど彼女の発音は正確ですよ。」と言っていました。用法のわからないところを質問したりして楽しく勉強できました。

 1時間余り勉強していたら、庭にCookatooが来ました。餌が欲しいのです。エマが皿にCimg0203ひまわりの種などを入れてくれたので持って行くと、用心深くつつきました。塀の上などに4羽止まり、餌を待っていました。屋根や木の上にもいて8羽もいました。かわるがわる餌をやり写真を撮りました。人馴れしたのやなれていないのやいろいろでした。

 7時ごろから、ディナーが始まりました。エマたちが用意してくれた、ダック、魚と大きなエビのチリ、ケーキ、果物などでした。みんながビールで乾杯しました。エマが始めの言Cimg0204葉を言うようにと言いましたので、私は、世界の平和とみんな健康を願うというようなことを喋りました。腹いっぱい食べて賑やかに語らいました。

 食事が終わったら、私はマジックを見せると言いました。エマが近所の人を呼びに行きましたが、クリスマスで不在でした。

 みんなはテーブルのところに座って、私は今の端の階段のところで演じました。エマとお母さんは、手品を見破ると張り切っていましたが、私は楽しむように言いました。

 演目は、サムチップ、ロープマジックで結び目の出現と消失二種、ロープに結んだシルクはずし、カードで4人の子供、カードに紐を通す、パチンコ玉の貫通、クリスマス・カード、クリスマスらしい三色ロープ、握りこぶしからシルクの出現などをやりました。ダニエルがビデオに収めたので後でそれを見ました。他に、テーブルでテーブルマジックを幾つか見せました。

 エマとお母さんは特に熱心で何とか解明しようと終わってから議論をしていました。

 10時ごろに就寝しました。

   

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2010年1月11日 (月)

オーストラリア・シドニー旅行―⑦―

 (7)クリスマスの日、自然公園に行く

 12月25日、今日はクリスマスです。朝、7時に起床しました。この朝は、他の人たちは起きるのが遅いので、部屋でマジックの練習をしました。クリスマスに見せたいと思って、カードやロープなどの簡単な手品を用意して持ってきたのです。

 8時ごろ、外に出るとお向かいの玄関先にある変わった花が咲いた木にきれいなRainbw Parotが2羽来て花の蜜を吸っていました。そっと近づくと1羽は逃げて行きましたが、1羽は残っていました。写真に撮ろうと思って更に近づきました。右に左に動いていてなかなか撮れません。やっとシャッターチャンスが来たCimg0169と思ってシャッターを押しました。後で確認すると鳥は下の方に写っていてがっかりしました。

 後でその話をエマにしたら、彼女はその花の木はオーストラリアに元からあるもので、掌を広げて花をゆさぶると甘い蜜が落ちると教えてくれました。そして私の掌を広げさせてその上に蜜を落としてくれました。舐めてみると甘い蜜でした。鳥が好んで来るわけがわかりました。

 鳥は飛んで行ってしまいましたが、隣の家から女の人が出てきました。挨拶をしました。彼女はサンデーという名でした。早速私は「Christmas trick」と言って、ジャンピングダイヤを見せましたらびっくりしていました。

 朝食を食べてから、「日本にemailを送りたい。」と言いました。ダニエルがPCを貸してくれました。自宅にmailをしました。

 それから自分のblogが外国ではどういう風に見られるのかを知りたくてblogを見ようとしましたが、ダニエルのPCでは私のblogのタイトルしか見られませんでした。本文は文字化けをしていて読むことができませんでした。エマのなら見られるかもしれないと言ったので、エマに頼みました。

 エマのPCでblogにアクセスすると見事にblogが現れました。感激でした。エマや張さんを呼んで見せました。張さんは日本語が読めるので、名刺を渡しておきました。大事に名刺をしまって、必ず見るからと言ってくれました。

 10過ぎごろ、近くの大きな木にCockatooが何羽か来て喧しく鳴いていました。エマがこちらに来させると言ってパンをちぎってもって来ました。それを塀の上の隙間に挟みました。しばらくするとCockatooが下りてきました。上手に足でもって食べ始めました。4羽ほどのCockatooが来ました。他に小さいねずみ色の鳥も来ました。

 11時半ごろに外に出ると、近所に人が教会から帰ってきました。それで挨拶をしてまたジャンピングダイヤを見せました。とても驚いていました。

 エマとお母さんはクリスマスのディナーの用意をするので、ダニエルと張さんと私が外出することになりました。弁当を作ってもらって、13時過ぎに出発しました。目的地は、割合近くにあるRoyal National Parkでした。

 近くなるとダニエルが、ちぇっと舌打ちをして、「今日は道が混んでいる。みんな公園に行くのだ。」と言いました。クリスマスの25日は、市内はどこも店がしまっているので、行くところがないから、公園に行くのだという話しでした。

 Natinal Parkは、60kmもの幅がある大変大きな自然公園だそうです。人が少ないときには鳥が飛んできて餌をやることができるという話でした。この公園は大きな木が茂っていて川が流れていてとても静かでした。Cimg0177

 最初に行った川には、台湾人の親子がゴムボーを持って来て乗って行きました。残った奥さんと少し話しました。鳥も動物も来ないので別の場所に行くことにしました。

 そちらにはガンの仲間の鳥がいました。しかし、鳥の数は思ったより少なくて、ダニエルは、「人が多いから鳥がこないようだ。」と言いました。天気が悪いのに確かに人びとは多く、バーベキューなどで楽しんでいました。

 2箇所ほど場所を替えました。以前にダニエルたちが来たときの写真を携帯で見せてくれましたが、何とCookatooが群れていました。40羽以上集まって、中には方に止まるものもいたそうです。その場所にも行きましたが、人が多いので鳥は来ませんでした。Cimg0179

    

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2010年1月10日 (日)

オーストラリア・シドニー旅行―⑥―

(6)Irish PubとLake Grifin

 旧議事堂を見終わったら、15時頃になっていた。昼食を食べに行くことになり、中心街へ行った。最初の目当てのPubは昼の営業を終わっていたので、別のPubを探した。大きなIrish Pubがあったのでそこに決めた。3軒分ぐらいの大きさで、客が一杯いて話し声がうるさく響いていた。クリスマス・イヴなのでみんなPubにきているらしかった。

 このPubの食べ物は量が多いので、エマの提案で4種類とってシェアをすることにした。ビールは私が出した。カウンターに行き、どんなビールがよいか尋ねると、女の店員が試飲をさせてくれた。3種類試飲をして気に入ったのを選んだら、人気のある地元のビールであった。一杯6$であった。

 ビーフステーキは厚さが5cmで15cmぐらいの長さがあった。さすがにオーストラリアだ。もちろん赤身の肉である。海鮮やハンバーグなどもとったのでいろいろ味わうことができた。なかなか値打ちであった。このアイリッシュ・パブの名は、KING O'MALLEY'S IRISH PUBという。

 普段は飲まないダニエルもビールを飲んだので、「運転するのに大丈夫か?」と言ったら、「少しだから大丈夫」と言ったので驚いた。車に乗るときシートベルトの着用についCimg0116てうるさく言っていたのに、アルコールを飲むとは。オーストラリアでは、シートベルトを一人でもしないで発車すると罰金が凄く高いのだという。私は、日本では飲酒運転は非常に厳しいことをはなした。

 カウンターでストローを貰ってきて、結んだストローを一瞬で離す手品を見せたら不思議がっていた。

 16時50分頃に、キャンベラを美しくしている人工の湖、LAKE  GRIFFINに行った。中心部にあり大変きれいな湖である。私たち以外には人がいなかった。岸辺の芝生には2箇所にたくさんの水鳥が上がっていた。大きいのがEuaropCimg0129ian Duckで他にWater HenやWood Duck,や小さいPeewaiなどがいた。ダニエルは芝生に寝転がったが、私とお母さんは水鳥を見に近くまで行き水鳥の写真を撮った。

 しばらくすると、大きな黒い鳥が4羽岸辺に来た。オーストラリアにしかCimg0153いない黒鳥だと言った。エマが芝を手でむしって来てそれをやりなさいと言った。手を差し延べると寄ってきて食べた。その場面を写真に撮ってくれた。色の薄い2羽が子どもだということを帰国してから野鳥写真家の山口さんに教えてもらった。

 17時10分頃LAKEを離れた。高速道路に入ると、大きなあくびが出た。丁度そのとき道路には、”STAY AWAKE TAKE A  REST"という看板が立っていたのでなんというタイミングかと思った。シドニーまで3時間、牧場地などを見ながら帰った。シドニーでは酒店に寄ってくれるように頼んだ。ビールを買いたかったからだ。

 8時近くにシドニー最大のWoolwarthというスーパーに行った。リカーショップでビールを選んだ。エマがハイネッケンが好きだと言ったのでそれを一箱買った。45$であった。昼に飲んだビールは、40$で売っていた。

 外に出ると、近くの大きな木に鳥が群れて騒いでいた。エマがRainbowCimg0112 parotだと教えてくれた。7色のきれいないろをしているのだそうだ。もう少し明るかったら色が見られるのに残念であった。

 10時過ぎに夕食を食べた。作る暇がないので水餃子とはんぺんのようなものとレイチを食べた。買ってきたビールでイヴの乾杯をした。

 食事が終わってから庭に出ると、エマが「オポッサムが来ている!」と指差しました。見ると暗闇にそれらしいのがうずくまっていました。見ているとネコぐらいの大きさの動物でした。じっとこちらを見て今いました。そこへ隣の住人の婦人が出てきてエマと話を始めました。オポッサムを写真を撮ろうとしましたが、後ろ向きの写真になってしまいました。Cimg0164

 11時15分ごろ床についた。

 

 

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2010年1月 9日 (土)

オーストラリア・シドニー旅行―⑤―

   今日は24日。クリスマス・イヴです。朝6時に起床しました。外ではCockatooが喧しく鳴いています。その他にも知らない鳥が喧しく鳴いていました。

 そのうちに張さんたちも起きてきました。今日は首都キャンベラまで連れていてくれるのです。6時半ごろ朝食を食べました。トースト、バナナの入ったシリアル、コーヒーでした。

 キャンベラまでは、3時間余りかかると言うので、7時半ごろ出発をしました。高速道路に出て走りました。エマや両親は盛んに話をしていますがさっぱりわかりません。時々エマが私に話しかけてきます。とにかく賑やかな家族でした。ダニエルはひたすら運転をするだけです。

 オーストラリアの大地は広大なのでどこまでも見渡せます。途中に車を止めてサクランボを売っている農家の人がいました。エマとお母さんが下りて見に行きました。試食をしてお母さんが一箱買いました。2200円ぐらいでした。車に戻ると少し食べましたが、新鮮で甘かったです。

 道路の両側は、牧場なのか、牛、羊、馬などがところどころに見られましたが、ほとんどは人も動物もない広大な牧草地で、芝のような草は水が少ないためか緑色ではありませんでした。

 11時頃、キャンベラに入りました。キャンベラは人工の街です。交通が少なく高い建物Cimg0067もなく、静かな街でした。

 国会議事堂が街の中心にあります。そこに行きました。白いモダンな建物でした。クリスマス・イヴなので観光客も私たちぐらいでした。駐車場にとめて議事堂に入りました。

 大きなホールは外国の人びとを接遇する場所でした。廊下は鏡のようにピカピカでした。次に下院会議場を見ました。余り大きくはなく、三方に参観の席がありました。議員の数が少ないことと、イギリス風を取り入れているのか、議論をするにはよさそうでした。反対側に上院の議場がありました。中の椅子の配置などは上院とは違っていました。Cimg0075

 それから屋上に出ました。屋上からは真正面に富士山の形をしたシンボルの山と旧国会議事堂が望まれました。

 中に戻ってカフェでカプチーノを飲みました。Indian mainarという鳥やMagpieが飛んできました。

 日本の国会議事堂にさえ入ったことがないのに、と思いましたが、思い出してみると、ワシントンの議事堂を見学したことがありますから、これで2回目でした。

 次いで旧国会議事堂を見に行きました。キャンベラは多重円の道路なのですぐ近くに見えていてもそこへ行くのが大変でした。

 旧議事堂は、現在は政治博物館となっていました。正面の広場にアボリCimg0099ジニの旗や青シートのみすぼらしい家がありました。急進派アボリジニがプロテストのために作ったものだということでした。オーストラリアの原住民は彼らで、白人に土地を奪われたのですから心情は理解できます。小屋の前に建てられたSOVEREIGNTYと書かれた板の上に何故か「主権}という漢字が二箇所旧漢字で書いてありました。日Cimg0097本人や台湾人や中国人が読めるようにでしょうか。人口的にはそれだけで15億人近くになりますから。

 旧国会議事堂の入場料は一人5$でしたが、エマが交渉をして、私を長とする家族として家族料金で券を買いました。何とも国際的な家族です。それでOKでした。

 旧国会議事堂には、ツアーがあり、丁度始まったところでした。80歳はとうに過ぎたと思われる品のよいご婦人のガイドでした。私たちにそれぞれの出身国を尋ねました。いろいろな国から来ていました。彼女の英語は典型的なオージー・イングリッシュでした。あまりわからないながらに楽しみながら聞いてついていきました。説明は丁寧すぎるくらいでした。野党控え室や上院、下院、キュレーターの部屋などを見て回りました。

 ツアーが終わると、エマが上院議員の服装で写真を撮るところに連れて行ってくれました。そこでワイワイ言いながら写真を撮りました。

 議事堂の売店に入ったとき、そこに2人のキャシャーの老婦人がいたので、ジャンピングダイヤなど3つばかりの手品を見せたら、「マジシャン」と言って驚いていた。

Cimg0102 

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2010年1月 8日 (金)

オーストラリア・シドニー旅行―④―

 (4)見物に行く(23日後半)

 14時半頃家を出て見物に行きました。ダニエルの車はトヨタカローラで、マニュアル車でした。彼は運転が好きのようでした。走っている車は殆どが日本車でしかも小型車が多いようでした。トヨタが一番多く、次いでニッサン、ホンダ、三菱といったところのようでした。20数年前にきたときにはマツダが人気だと言われていましたが、マツダはあまり見かけませんでした。それに以前は埃だらけの車が多かったが、今回はみなきれいでした。

 まず、ちょっとした買い物ができる街に行き、銀行に寄ってもらいました。トラベラーズチェックを換金するためです。とりあえず200$を現金にしました。手数料は要りませんでした。

 その後、クラナラ海岸に行きました。海岸線の長いゆったりとした湾で、Cimg0014海水浴やサーフィンをしている人がたくさんいました。その海岸は以前に来たときにも見たように思いました。

 エマのお母さんに、子どもの頃私が水泳を教えようとしたがどうしても嫌がったことを思い出して話すと、彼女も覚えていました。結局、エマは今でも泳げないままでした。ダニエルにもそのことを話すと、エマが聞いていて「そんなことを話さないで。」と言いました。

 それからショッピング・モルのクナラへ行きました。エマの母親は自由に見たいので1時間後に落ち合うことにして別れました。両親と私が一緒になって見てあるきました。シャツなどを売っている店が幾つかありましたが、その一つで安いTシャツを見つけたので買いました。キャッシャーの女の子とオーナーらしい婦人にジャンピングダイヤの手品を見せたら、「Oh!Christmas trick!!」と言って驚いていました。

 両側に店が並び道路にはところどころにカフェがあるモルの店を一通り覗いて回りました。モルは特にクリスマスの飾りがあるわけでも、音楽が流れているわけでもありませんでした。日本のクリスマスとは大違いでした。エマたちは、果物屋でサクランボとレイチを買いました。サクランボは今が盛りのようでした。

 黒に白の混ざったカラスのような鳥がいました。マグパイという鳥だそうです。とても賢い鳥だとか。

 6時ごろに帰宅すると、庭に出てロッキングベンチや椅子に座って話をしまCimg0020した。エマが可愛がっているウサギのバニーも遊んでいました。そこでサクランボやレイチやスナックを食べました。サクランボは大きくて甘いものでした。楊貴妃が愛したレイチも甘かったです。

 そこへ黄色いとさかで白い大きな鳥が飛んできて柵の上に止まりました。エマが「Cockatooだ。」と言いました。丸い眼をしたきれいな鳥ですが、鳴き声が人間の声のようで「ゲエッツ、ゲエッツ・・・」と鳴きます。高い木の上にも止まっていてやはり鳴いていました。うるさいのなんのといったら・・・。

 7時半ごろ、夕食になりました。イタリア風エビチリ、キュウリとニンジンのぶっ切り、サヤエンドウ、でした。いろいろとおしゃべりをしながら楽しく食べました。

 夕食が済んだら、ダニエルが近くのクリスマスのイルミネーションを見に連れて行ってくれることになりました。8時半ごろ車で出発して、イルミネーションで飾られた家家を見て回りました。結構たくさんの家が飾りのライトをつけていました。最後にダニエルがクレイジーなクリスマスライトを見せてやると言いました。行ってみるとなるほどクレイジーでした。大変に凝った作りで小さな遊園地を全てライトで飾りつけた感じでした。見物に来た人もいました。ダニエルは何度もクレイジ-をくりかえしていました。

 10時ごろに帰宅をして、シャワーを浴びました。終わってバスルームから出ようとすると扉がロックされて開きませんでした。大騒ぎとなりました。「下に下げろ。」と言っているのですが、何を下に下げるのかさっぱりわかりません。やっとのことで小さなものを見つけ下に下げるとドアが開きました。ドアは自動でロックされるのでした。そのことを私に説明するのを忘れていたのです。

 10時半頃に就床し、第一日が終わりました。

Cimg0048         Cimg0050  

 

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2010年1月 7日 (木)

オーストラリア・シドニー旅行―③―「

(3)シドニー到着

 3時半ごろ、機内明かりが灯され朝食の時間となりました。朝食はオムレツ、マフィン、ヨーグルト、フルーツを貰いました。朝食の時間が早いと思いながら食べました。現地時間は何時か聞けばよいと思ってアテンダントに尋ねたら、5時半だと言いました。時計を現地時間に直すのを忘れていたのでした。一気に2時間進んだので急に気持ちが楽になりました。到着までにまだ3時間半もあると思っていたからです。

 シドニー空港には、7時15分に着陸しました。エマたちが迎えに来てくれているか不安でした。荷物を受け取るのに40分もかかりました。その後入国するのにも時間がかかりました。なぜなら入国の検査が、係員はたくさんいるのに一列に並ばせてやるので時間がかかるのでした。中部空港なら何列かに分かれてやるので能率よく進みます。非能率さにあきれました。

 やっと出口に行き、エマたちの姿を探しましたが、見当たりません。困ったと思っていたら、手を振りながら近づいて来る男の姿がありました。ダニエルでした。ほっとしました。エマは家にいて来なかったと言いました。

 ダニエルの運転で家に向かいました。道路は結構混んでいました。ダニエルと話しながら行きましたが、彼は普通に速くしゃべるのでわからないところがありましたが、分かったような顔をして適当に相槌をうっていました。 

 大きな川を越えやちょっとした湖の傍を通り走りました。樹木が多く平屋で赤瓦、レンガ造りの家が殆どでした。エマたちの家は袋路地の中にありました。自動で開く大きなガレージ付きの家でした。

 エマが出迎えてくれて互いにハグをしました。それから中に入りました。私のためにエマの部屋を開けて用意してくれていました。メインの寝室は両親が泊まると言いました。

 リビングには、大きなクリスマスツリーが飾ってありました。そこから数段下りてダイニングとキッチンがありました。とても洒落た造りです。家の中は真っ白に塗装をし直してきれいでした。

 テーブルに座るとエマがコーヒーを出してくれましたが、そのカップがビール瓶2/3ぐらいの大きなものだったので驚いて、小さいのに代えてくれるように頼みました。

 すぐ外に小さな庭があって、テーブルなどが置いてありました。バーベキューもやれそうでした。エマはウサギを2羽飼っていると言って見せてくれました。彼らは中が悪いので庭を仕切って別々に放し飼いにしてありました。人に馴れたとってもかわいいウサギたちでした。

 エマの両親が到着するので、10時頃、ダニエルと私は、再び空港に向かいました。エマは仕事で大学に行くので行きませんでした。

 空港について、両親が出てくるのを待ちましたが、なかなか出てきませんでした。11時ごろやっと出てきました。荷物を受け取るのに時間がかかったと言っていました。2人とハグをして再会を喜びました。

 家に戻ると、ダニエルがツナサンドを作ってくれました。それはアメリカサイズの大きなものでした。張さんは日本語が話せるので日本語で話しました。奥さんの李さんは中国語しか話せません。私は中国語を話したり聞いたりする力が弱いので残念でした。

 一時半頃にエマが帰ってきました。エマは両親とは中国語で話します。エマは私とダニエルとは英語で話します。それで3ヶ国語が入り混じって賑やかでした。

 お土産を渡したり、クリスマスプレゼントを貰ったりしました。それからシャワーで体を洗いました。バスルームはとても広くて、バスタブの他にシャワールームがありました。トイレはバスルーム以外にもありました。

   Cimg0012Cimg0008

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2010年1月 6日 (水)

1週間のオーストラリア旅行・シドニー―②―

 時間が経つのは速いもので、出発の22日が来ました。2時間前の13時頃にセントレアに行きましたが、カウンター前に長い行列ができ殆ど最後の方ででした。通路側の方の席がよいので、アイルを頼んだら幸いにもありました。

 KE758機は20分ほど遅れて15:40分に離陸しました。仁川空港までは1時間半ほどです。機内食には、韓国風の巻き寿司とエビ、サーモンのにぎり、卵焼き、魚が出ました。ビールを頼んだら韓国のビールでしたが、味は日本の第3のビールよりまずかったのでがっかりしました

 17時15分に着陸しました。乗換えを心配していたのですが、表示に従って歩いていくとすぐに乗り換えの荷物検査所がありました。荷物検査が終わると階段を上って行き、いろいろなGATEへ行く通路に出ました。

 仁川空港は巨大なので遥か先まで通路が続いていました。真ん中に動く歩道があり両側に店が並んでいます。案内板が不備でシドニー行きの35番GATEがどこにあるのか分かりませんでした。仕方なく近くの店で聞くと、「まっすぐに行けばよい。」と言いました。乗り換え時間が90分しかなかったので心配しながら歩きました。

 どんどんまっすぐに行くとインフォメーションがあったので、そこで聞きました。「右に曲がって真直ぐに行きなさい。」という返事でした。その通りに歩いていっても35番GATEは遥か先でした。突然案内板から目的の35番GATEの文字がなくなりました。それでまた少し戻って行ったら、そこにもインフォメーションがあったので、尋ねました、何とそこから右折をして行く方向だったのです。GATE番号が消えるはずです。またもや案内板の不備でした。仁川空港のGATEは番号どおりに並んでいるのではないのです。

 動く歩道に乗って歩いていくと、やっと目指すGATEに着きました。そこは他よりも薄暗くて寂れた感じでした。どうやら空港の一番端のGATEのようでした。ここまで来るのに30分余り歩いたことになります。改めて仁川空港の大きさに驚きましたが、同時に大きいことは不便なことだと知りました。デトロイト空港も巨大で不便ですが、通路上にモノレールが走っており、その点は便利です。仁川空港は動く歩道だけなので大変です。ただ何故かやたらにトイレだけが多くありました。でも、トイレの手の乾燥機は旧式の時間がかかるものでした。

 35番GATE待合室は、ほとんどが韓国人で一部がオーストラリア人で溢れていました。ジャンボ機は満席に違いないと思いました。

 搭乗したら私の席に既に韓国人の女性が座っていました。私は、てっきりダブルブッキングだと思い、フライトアテンダントを呼びました。するとダブルブッキングではなくて、その女性の席が仲間と離れた席なので代わって欲しかったのです。代わってあげてもいいと思いましたが、女性の席が真ん中だったのでこれからの12時間のことを考えて断りました。私は、よくトイレに行くからです。

 周りは韓国人が多く、ニンニクのような匂いが漂っていました。この後シドニーまでこの匂いに囲まれたままでした。

 シドニー行きのジャンボは定刻より30分遅れて19:30分に離陸しました。

 機内食は、私はビビンバを選びました。私がビビンバをおかずにして食べていたら、隣の韓国人がご飯と混ぜて食べるのだと手真似で教えてくれました。羽二重餅のようなお菓子がありました。それはボッチというのだと教えてくれました。ビールはバドワイザーにしました。他に赤と白のワインを飲みましたが、赤の方が甘くて口に合いました。

 食事が済むとしばらく休むことにしましたが、眼をつむっているだけで何故か眠られなくて、朝まで困るなと思いました。

 Cimg0046別の日に来たCokato

 

 

 

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2010年1月 5日 (火)

1週間のオーストラリア・シドニー旅行―①―

(1)出発まで

 6月頃だったと思うのですが、シドニーに住んでいるエマからemailが届きました。ダニエルと結婚をしたという知らせでした。6年余りの恋を実らせたものでした。それで今年のクリスマス頃にシドニーに来ないかという誘いでした。何とも気が早いことだと思いましたが、きっと航空券の手配などのことを考えてのことだと思いました。夏のクリスマスってどんなのだろうと思い、とりあえず行けると思うと返事をしておきました。

 7月頃に、エマの父親も来られそうだというemailが来ました。母親は忙しくて来られないということでした。

 ところが、7月23日に、次のemailが届きました。

 Good news, both my parents are coming to spend Xmas with me this December, so it'd be a big get-together this Xmas. My mother is very excited to see you again!
 So when are you coming in December?

 私は、妻に一緒に行かないかと言いましたが、やらなければならないことがあるので行かないと答えました。一緒に行けばいいのにと思いましたが仕方がありません。

 I'm very excited to see you again during xmas. Do not worry as this trip will not cost you too much money at all because your accommodation and some food will be provided. My parents will be here for 4 weeks before going back to work. All you need money for is interstate travelling (for instance, if you want to go to Melbourne for a few days) but I can always find you a good deal if you wish to go interstate (I have a few discount vouchers from previous travels). Anywhere within driving distance we can do over the weekend.

 9月には、新しく家を買うから是非来るようにとmailが来ました。宿泊するところは心配ないということでした。「えっ。家を買うの?どんな家?」と思い、興味が増しました。

 The house is in a nice middle-class suburb surrounded by a river and lots of trees. There are a lot of wild life in my suburb because of the trees. It is 35-40 minutes away from the centre of the city and the nearest train station is about 12-14 mins walk away. The neighbours are all middle class educated people. When you get here, you'll be able to experience the native wildlife that you see on TV, as they come to my backyard everyday. I get a mother possum carrying her baby on her back. She comes to my yard every night to feed. You can feed them too. There is also a Cockatoo (a native parrot), whom I have named "George", that comes to my yard every morning at 7am. They're very friendly. There is no need to go to a wildlife zoo when you can experience the same thing at my house;-).
 

 どうやら素敵な自然環境のところの家を買ったことがわかりました。ますます期待に胸が膨らみました。

 11月になると、両親が来ることが確定したと言ってきました。私も航空券の手配をしなければと思いました。

 初めにHISに行きましたが、格安と感じる券はありませんでした。しばらくして今度は中日ビルのJTBに行きました。13万円ぐらいの券はありまいたが、日程的に合いませんでした。

 JTBでは、すぐそこに格安の航空券を扱うOSUがあると教えてくれました。同じ中日ビルにあるOSUに行くと、コーリアンエアとキャセイパシフィックの券がどちらも11万円ぐらいでありました。私はキャセイがいいと思ったのですが、残念なことに香港での待ち時間が5時間以上もありました。結局、その場では決めずに家に帰り、インターネットでも調べてみました。

 インターネットでは、成田発はありましたが、中部空港からのはありませんでした。それと値段も5000円ほど安いだけでしたから、OSUで買うことにしました。全て込みで11万円ほどでした。とりあえず予約をしておきました。

 年末なので、こちらの希望通りの日時の航空券を買うのはなかなか難しいことでした。それでキャンセル待ちにしておいたら、すぐ次の日に希望の日が買えることになりました。毎日動いていることを実感しました。

 最終的に、22日出発、28日帰国でコーリアンエアーの仁川空港乗り換えにしました。

 航空券  83000   空港税(日本) 2500  空港税現地 7850  

 サーチャージ  14000  ビザ  2100  その他  360  合計 109810円

 塀にとまった Cokatoo

Cimg0031_3   

  

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2010年1月 4日 (月)

携帯電話の機種を換えた

 昨年12月に、前の携帯電話を買ってから2年がたち、携帯電話の買い替えの権利が生じた。買い換えるべきかどうか迷っていた。

 1日に大須に行ったとき、街頭で電話機を売っている店があり、シャープの簡単電話機が5600円と出ていた。見てみるとなかなかよさそうなので、買おうかと思ってよく聞いてみると、新規の客対象の値段であった。機種変更は26500円だというのでやめた。

 次の日、御器所のauショップに行った。やはり機種変更の場合は26500円だという。シャープの電話機は既に製造が終わり、auでは在庫はないと言った。それで京セラの似たような機種についていろいろと尋ねた。

 なかなかよさそうなのでそれを買うことに決めようと思ったときに、電話のベルが鳴った。娘からで、婿が大須で安い機種を見つけたと言った。それでauで買うことを中止した。そして、夕方大須に行き婿と会うことにした。

 約束の17時ごろ、大須に行った。九十九電機の携帯売り場に行って見ていると店員が来て「お話しは伺っています。」と言った。前日に別の店で見たシャープのUrbanoがお勧めだと言った。「明日特売だが特別に今日でも同じ値段にします。」と言った。それで詳しく説明を聞いた。

 文字が大きく、キーも大きく、軽くて使いよさそうであった。それに歩数計もついているし、ワンセグもついているということであった。ワンセグは別にどうでもよかったが、あればあったで悪くはない。値段は9800円だった。6000ポイント余りあるので、差し引き3500円で買える事がわかった。

 婿が探してくれたことだし気に入ったので買うことに決めた。

 設定をしてもらって受け取るときに、アドレスだけがどうしても移動できないからauショップに行って欲しいと言った。仕方がないので、次の日3日にauショップに行った。正月で開店時刻が30分遅く、11時からであった。マクドナルドでただ券でコーヒーを飲んで時間をつぶした。

 auショップでは、親切に対応してくれ、無事にデータの移動が終わった。

 昼頃友人のFさんから電話があった。携帯を換えたことを話した。詳しく説明をしたらFさんは興味を示した。午後再び電話があったので、一緒に大須に行くことにした。

 九十九電機でFさんは詳しく聞き、結局私と同じ機種を買うことにした。新規購入なので機種代は0円であった。

 私は、マイクロSDカードを買ったが、Sandiskの製品を680円で買った。安くなったものだと思った。帰りにauショップに行き、1時間余り待たされたが、音楽データの移動をやってもらった。マイクロSDカードは2Gなので写真もたくさん保存ができる。

 携帯電話は大変進歩し、ワンセグだけでなく、音楽、ナビ、防犯アラーム、203画素のカメラ、歩数計、その他さまざまな機能がついていてとても覚えられない。

 歩数計は早速役に立った。3日の合計歩数は11500歩ほどであった。消費カロリーも概算してくれるのであり難い。

 シンプルコースの最低のものにしたので、毎月1800円の基本料金となり、これまでより700円ほど安く済みそうである。家族割引で家族とは無料だし、mailは使い放題なので結構なことである。 

 これまで携帯は、auショップで買っていたが、今回の経験で店によって値段やサービスが違うことがわかった。九十九では洒落た計算機、時計、ハンドタオル、それにティッシュの福袋をくれた。計算機は婿が欲しいと言うのでやった。

 URBANO

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2010年1月 3日 (日)

blogを始めて丁度一年

 昨年正月に、長い間「何とかblogをやりたい」と思っていた夢を形にした。その日が4日であったから今日で丁度1年になる。

 何となく難しそうと思っていたblogだが、始めてみると意外に簡単であった。blogを提供しているところはいろいろとあるが、ニフティの”こころぐ”を選んだ。ここには茂木健一郎さんのblogがあることも選択した理由の一つだが、”アクセス解析”が気に入ったことと”こころぐ”という名称や枠がクリーム色で暖かい感じなのもよいと思った。その後あの勝間和代さんのblogもこころぐにあることを知った。現時点で最も本が売れている2人のblogがあるのは自分のblogには何も関係がなくても嬉しい。

 ただ、使ってみて使いにくいのは、写真がイマイチ入れにくいのとWORDで書いた文章を持ってくるとHTML画面だけになってしまうことである。

 途中でbiglobeなどへの移行も考えたが、アクセスしてくださる方のことも考えてそのまま続けることにした。

 blogを始めたとき、やるからには”毎日更新”を目指した。現役時代から書くことには慣れていたので、話題さえ見つければ書くことには何の抵抗もない。

 最初のうちは、どのくらいのアクセスがあるか心配であったが、友人や知人に宣伝をして少しづつだが固定の読者もできていった。「読んでいますよ。」と聞くととても嬉しい。

 T.Mさんに紹介してもらった「友達」というblogをやっているMさんとは、お互いのblogを読みあっている嬉しい関係だ。それが縁で昨年夏には素敵なガーデンパーティにも招待していただいた。

 Mさんは、「友達」というblogを私より2年余り前からやっておられるが、私より年配の女性なのに非常にアクティブで話題も豊富で内容が素晴らしい。いつも刺激を受けている。

 嫌なことは、blogのコメント欄にHなことをくっつけてくる人がいることである。どうやら毎回同じ人がやっているらしい。ニフティに通知しても、相談してもどうにもならないのだ。

 blogは全世界の人びとに公開されているので、個人情報に関することは、勝間さんや芸能人や小沢幹事長などの有名人でない私には危険であるので、極力書かないことにしている。

 先日、オーストラリアに行ったときに、宿泊した家で自分のblogにアクセスしてみた。一台の日本語を読めない方のPCでは枠だけが日本語で表示された。文章は×と?で表示されていた。きっと枠は写真なのだろうと思った。

 もう一台の日本語も読めるPCでは、見事に私のblogが表示されたので感動した。

 タイにいるNinjaさんは、いつも読んでくれている一人だが、タイから書き込みもしてくれる。

 インターネットで世界につながっているのだということを実感させられる。

 英語でもblogを書くと更にインターナショナルになると思うのだが、ブロークンイングリッシュでは・・・・と躊躇している。

 最後になりましたが、この一年間にアクセスしてくださった方、読んでくださった方、コメントを下さった方に心から感謝を申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。

 Cimg0242 キャンベラの植物園で野鳥にぶどうをやっている筆者

 

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2010年1月 2日 (土)

2010年元日を過ごす

Cimg0357  昨年暮から来ている娘夫婦と、川原神社に初詣に行った。飯田街道は殆ど人通りや車の通行がなかったのに、神社に行ってみると何と参拝客の行列ができいていた。参拝はしたが、何もお願いをしなかった。神様には何かを願うものではないと思うからだ。

 その後、地下鉄に乗って大須に出かけた。大須の駅を降りると、多くの人が大須観音に向かって歩いて行った。大須観音にも長い行列ができていた。驚いたのは、東仁王門通りにかけてもう一つの長い行列ができていたことである。

 ゆっくりと人ごみの中を歩いて行った。途中に帽子屋があった。娘たちが鳥打帽子を勧めたので被ってみてそれを買うことにした。似合うと言っていたが果たしてどんなものか?

 仁王門通りも今日は混雑していた。万松通りに出て、阿巳雪漬物店で粕漬けと酒かすを買った。松屋コーヒーで休憩をした。松屋コーヒー店は混雑していた。しばらく待ってやっと順番が来た。正月はスポンジケーキが2切れついてコーヒーが500円であった。

 その後、万松通りを歩いて、次いで赤門通りに行った。赤門通りは人が少なかった。ハイファイ堂によって中古のハイファイ機器を見た。1セット100万円の福袋機器もあった。

 それから第一アメ横に行き、九十九PC店に行った。店内をしばらく見て歩いた。携帯電話の店で説明をきいたが、買い換えるのに26000円もかかるというので諦めた。

 地下鉄で栄に出たが、栄地区は完全に店が休みで人通りもまばらであった。バスに乗って帰ることにしたが、乗客は我々だけであった。

 帰宅後、夕食はすき焼きをした。楽しく喋りながら鍋をつついた。その中で、婿が

「雑煮食べ 餅で突き出す 二年ぐそ」

と、ビートたけしが言っていたと話した。それを聞いて、私は、昔父が言っていたことを思い出した。父が言っていたのは、

「元旦や 餅で突き出す 去年ぐそ」

というのであった。たけしはどうやらそれをもじって言ったらしいと感じた。この川柳は誰が作ったものかは定かではない。私はずっと父が作ったものだと思っていた。

 父は、戦争末期、戦後の時期に、隣の農家の餅つきの音を聞いてこんなことも言っていた。

「隣の餅つき 杵の音 一つ食いたいのう 爺さ」

 私たちは、農家ではなかったので、餅つきどころではなかったのだ。隣から聞こえてくるぺったん、ぺったんという餅つきの音を聞きながら、餅つきができたらいいのにと思ったものであった。最後に餅つきをしたのは多分太平洋戦争になった年の12月ではなかったかと思う。向かいの家で餅つきをしたことを鮮明に覚えている。

 このとき、向かいの家の餅は丸餅、私の家は、のし餅を切った角餅であった。なぜかと言うと、向かいの家は元々関西人で丸餅であったからだ。角餅は愛知の風習である。

 

 

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2010年1月 1日 (金)

2010年元旦、平和な一年であってほしい

 2010雪静かなる晨かな

 新しき雪新しき年寿ぎて        らら

 2010年、平成22年が始まった。寝床の中で雪の気配を感じたので、玄関の戸を開けて外に出てみると、庭木の上に白い雪が覆い、門燈に照らされて輝いていた。雪の新年は名古屋では珍しい。今年は名古屋開府400年だそうだが、それを祝う雪なのかもしれない。きれいに晴れた元旦もいいが雪が降った元旦もなんとなく気持ちを新しくさせてくれる。

 昨年は、長い自民党・公明党連立政権から民主党・社民党・国民新党連立政権にドラスチックに代わった。なんとなく希望を抱かせるチェンジであったが、ぎくしゃくとして外交、内政ともに不安も感じさせる昨今である。鳩山首相、小沢幹事長には身辺を正して、アメリカに堂々と渡り合って、国民目線での政治を望みたい。

 株価が19%上昇したというが、経済は相変らす低迷し、雇用の改善は進んでいない。二番底さえ囁かれている。新年の雪も、路上で過ごす人々や貧困ビジネスの搾取に喘ぐ人々、定まった仕事のない人々にとっては、身にしみる寒さであろう。

 世界にも戦争や争いが絶えない地域があり、何十億人という貧困層がいる。この朝も世界のどこかでは、銃声が響き、或いは、食べるものもなく飢えと病に苦しんでいる人たちがいるのだ。世界の為政者には、平和と人々の生活の不安を取り除く努力をしてもらいたい。

 地球環境問題も焦眉の課題なのに、COP10では何ほどの成果もなく終わった。中国やアメリカなどの地球温暖化の大半の原因を作っている国はもっと真剣になるべきである。自国の勝手な利益追求ばかりをすべきではない。

 今年はどんな年になるのか、終わってみなければわからないが、少しでも良い方向に向かってほしいと願う。

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