ベトナムとアンコールワット旅行―⑤―
J.天宮鍾乳洞
島のひとつにある鍾乳洞を見学するために上陸した。鍾乳洞は天宮鍾乳洞といい、実に巨大な見事な鍾乳洞だが、鍾乳洞につき物の水が殆ど無く、そのために天井からの垂れ下がりがない。ガイドのバーさんは、赤いレーザー光線のライトを使って説明の対象をポイントしながら堂にまつわる話を語ってくれた。
この洞窟は、天の龍と地上の王女の結婚式が行われたところで、最初の広いところが準備の間、そこから見える高いところにベッドルームがあり、歩いて行くと結婚式場の広場が現れる。一方は急な坂になっていてその先に地上が見えるがそこから龍が入ってきたのだという。また、地面に深い割れ目がありそれは地獄への道なのだそうだ。二人は結婚して百人の子供を儲けるが五十人は龍が天に連れて行き、五十人を地上に残した。子供を育てるために乳房を一つ残したという。見事な乳房の形の岩があった。また、王女を恋い慕う男がいてその目線の先に乳房があるのだという。そのほかにホーチミン大統領の像というのもあった。そんな話を洞内を回りながら面白おかしく話してくれたが、真面目な顔をして話すので余計に面白くみんなはそれを楽しんでいた。
小島さんは、鍾乳洞に入る前は、添乗員の智ちゃんが行かない方がいいと言っていたし心配していたが、出てきたら体が軽くなったと言って喜んでいた。洞を出たら小便がしたくなったのでトイレに入ったら、何とトイレはまるで流しのようなタイル張りのトイレであった。この形式のトイレには後にホーチミン市でもう一度お目にかかることになる。
K.暗い家
行きも帰りも石炭工場のあるところを通ったが、もうもうと石炭塵が立ちこめていた。人々はみなマスクをしていた。これでは塵肺になると思った。
帰路、別の枯れ葉剤犠牲者の働くヒュマニタリセンターでトイレ休憩をしたが、その頃には辺りは暗くなりかけていた。それでも家々にはどこにも電灯がついていなかった。センターを出るとそとはもう真っ暗で、バスの窓から見える家々には明かりがついていたが、まるで戦後すぐの日本のような薄暗い灯りが一つであった。電力事情が悪いのだと思った。ハノイでも灯りが少なかったが、ホーチミン市に行った時には驚いたことに煌々と灯りがつき、クリスマスなのでイルミネーションがあちこちで見られた。
L.夕食&ホテルで
夕食は、NEW BAYON RESTAURANTで北部ベトナム料理であった。ホウ、さつま揚げ、ポーク炒め、ココナツカレー、野菜炒め2種、バナナの葉に海老を巻いたもの、パイナップルを細かくした料理、ピラフ、岩のりスープ、フルーツ。ビールは缶ビールが2$で、333とタイガービールを飲んだ。料理はいずれもおいしかった。
7時半ごろホテルに帰った。ビール券をホテルからもらってあったので、18階のレストランへ行ったら、そこで今井さんご夫婦と福徳さんご夫婦に会った。しかし、貸し切りになっていたので仕方なく別館にあるダンス場に行った。中は暗くてごうごうとディスコ音楽が鳴っていた。案内された席には若い女性がいたのでびっくりして出ようとしたら、階段から若い女性が何人か下りてきた。これはやばいと思って出ようとしたが、小島さんが無料であることを確かめた。すると女性達はみんな去っていった。 席について生ビールを貰い、飲めない人はコーラを貰った。皆さん、外国旅行の経験の豊富な方ばかりで小島さんと話が弾んでいた。しばらくすると、一団の人たちが入ってきた。同じバスの石神夫人を見かけたので手を振ったらこちらにやってきた。石神夫人は「私はビールが飲めるのよ。」と言ってご主人の分のチケットも使ってビール2杯貰って一杯を小島さんに上げた。石神夫人はご主人と頻繁に外国旅行に行かれるそうで、4日前にノルーエイから帰ったばかりだと言っていた。当然小島さんと話が弾み、10時までそこにいた。
部屋に戻ると、小島さんはバスに片道3時間も乗ったので、また痛みが元の戻ったと嘆いていた。風呂に入って暖めてから指圧や足曲げをしてあげた。初めは左足がお尻につかなかったがつくようになった。
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