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2009年12月

2009年12月31日 (木)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑩―

D.貧しい家々

昼食は、カンボジア風中華料理。アンコールワットビール4$。

食事の後、オプションのトレンサップ湖クルーズ(3500円)に行く人とその他の人に分かれた。クル-ズには11名が参加。ホテルに帰って休む人、石神夫妻のようにTUKTUKを雇ってオールドマーケットに行く人がいた。ちなみに、TUKTUKは貸切りでたった5$だったそうである。 

トレンサップ湖へ行く途中、交差点にシアヌーク前国王の別荘があった。クリーム色の壁、茶色の屋根のちょっとした建物であったが、道端に建っていたのには驚いた。殿下の大きな写真が掲げられていた。そこから間もなくオールドマーケットだが実はスケジュールの変更でマーケット見学とクルーズの日が入れ替わったのだ。

赤土のでこぼこ道をバスは進んだ。マッサージ道路だとウェイさんが言った。小島さんが来なくてよかった。進むに連れて両側には高床式の粗末な家々が並んでいた。さとう椰子の葉っぱを編んで作った壁と屋根、柱はどこかで切り取ってきた自然の細い木でできている。一番小さい家は、2畳一間ぐらいの大きさで当然床の高さも低く50CMぐらい。大きくなるに連れて床も高くなる。大抵は8畳間ぐらいの大きさで小さな部屋が付属したものもあった。貧しいところは、床は割り竹を並べてあり、すけすけである。その上のクラスの家には床に板が張ってある。敷物を敷いてあるのはもう少し上だ。家具らしいものは鍋や食事の器具ぐらいである。岩田さんは、「貧しくても心は豊かかもしれんよ。」と言った。そんな中に立派な木造の高床式の家があるが収入がよいのであろう。

E.クルーズ!?

入り江になった川に着くとクルーズの船に乗り換えた。船と言っても、座席はおんぼろで壊れかかっているし、エンジンはヤマハの中古で物凄い音を立てる。一応屋根はついていてカンボジア風屋形船だ。水洗トイレらしきものも備わってるが、ロータンクの蓋は取れていた。泥水の川を進む。マングローブの林の前に、両側には水上生活者の船の家が並ぶ。大きいのから小さいのまで様々である。家は開けっ放しなので中の様子がよく見えた。ハンモックで昼寝をしている人や大勢集まって遊んでいるところもあった。水上生活者は高床式よりも生活程度が高いように見受けられた。   ウェイさんの説明では、水上生活者は3万人ほどいて、50%はベトナム人だという。電気はなく、発電機で電気を起こすかバッテリーで電気を得ている。テレビのある家も多い。水は陸から買ってきて料理などに使う。洗濯は川の水でする。水深は6mぐらいで、乾季になると湖の水が三分のぐらいに減り陸地に変わるので直播で米を作るのだそうだ。普段は漁業で生活をしている。一番水が引くのは4月で、湖のはるか沖合いに目印の塔が立っており、そこまで水が引くのだと言う。移動には10日ぐらいかかるそうだ。川には物売りの舟も見かけた。また、店の船もあったし、学校やレストランやキリスト教会の舟もあった。学校は体育館を持っていたが、これは日本のODAで作られたものである。湖は琵琶湖の6倍もあるとかで、はるかプノンペンから高速のボートが客を乗せて飛ぶように進んできた。最先端の船と化石の船が同居している。

帰りに船上の売店に立ち寄ってトイレを借りた。水洗トイレだが水は出ず、用便は川に直接流す。驚いたことにそのトイレの真下で若者が泳いで仕事をしていた。船に戻ったら小船で子供が4人来て手を出して「1$」「1$」とせがんだ。長谷川さんにもらった飴を持っていたのでそれを上げた。カンボジアでもベトナムでもバスがとまると必ず子供や物売りが集まってくる。子供は殆どの場合、縦笛を2本で1$で買ってくれと言う。他に竹のおもちゃも売ろうとする。同行の岩田さんは気が優しいい人らしく、「可哀想なのでつい買ってしまう。」と言いながら、笛や玩具や腕輪などを買っていた。

このクルーズは水上生活者を見に行くだけで食事も土産も無く3500円は如何にも高かった。長谷川さんは「こんなの500円でいい。」と言っていた。11名乗せて船の取り分はいくらか知らないが生活レベルからすると仮に半分としても約二万円になるから、大変よい収入になる。それにしてもあと半分をガイドと旅行社で分けるのか?

クルーズもどきから帰ると一旦ホテルに戻って休憩をした。部屋を開けようとしたがキーが働かない。いくらやっても駄目だった。隣の部屋の暁さんがフロントへ電話したらと言ったので電話しようとしたがつながらない。そこへ従業員が通りかかったのでマスターキーであけてもらった。その後は何事も無かったようにキーが使えた。

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2009年12月30日 (水)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑨―

B.ウェイさんの説明

ホテルに戻って朝食を食べた。中華風のお粥が2種、いろいろなトッピングを入れて食べるのが美味しかった。小島さんは、ジャムが気に入ったと言った。緑色のもちっとしたKAIYAと言うジャム、パパイヤのジャム、パイナップルのジャムが美味しかった。次の日、小島さんは従業員に頼んでKAIYAを一瓶5$でわけてもらった。

軍手とフラッシュライトを持って830に出発した。道の両側には到るところにホテルが建っており、アンコールワットが客を呼ぶのだと思った。ガイドのウェイさんの話ではカンボジアは観光だけが収入源だとのこと。

道路沿いに小さなスタンド式の店が並び、ペットボトルに入れたジュースのようなものを売っている。ウェイさんは、ガソリンを売っているのだといった。カンボジアでは、1Lが116円ぐらいで現地の人にとっては大変高い。116円は日本人にさえ高いのだ。それにしても道端でガソリンを売っているとは驚きであった。スタンドに人がいないと買いたい人は次へ行ってしまうので常にいなければならないのだという。カンボジアではバイクは10万円ぐらいで、バックミラーはないという。乗るのに免許は不要でヘルメットも要らないそうだ。飲酒運転もOKで、交通事故が多い。死亡させると2000$ぐらいを示談で払う。怪我をさせるともっと高くつくので、怪我がひどい場合は殺してしまうのだと言う。バスやトラック以外は保険に入っていないから支払いが大変だと言う。

進んで行くと小さなまるでホームレスが住むような家が建っている。カンボジアの仕事の時間は700から11001200から1700で学校は2部式だという。ベトナムと違い自転車も多い。バイクは数としては少ない。観光客を乗せた二バイクで2人乗りの車を引くTUKTUKというものもよく見かける。現地の人はバイクタクシーを利用すると言う。

C.ロリュオス遺跡

まず、ロリュオス遺跡に行った。ロリュオスとは村の名前である。寺はロレイといい、890年に建立。元々はヒンズーであったが後に仏教に変わったと言う。日干し煉瓦の部分と焼きレンガの部分がある。日干し煉瓦のほうが古い。塔はもと6基あったが壊れて今は4基しか残っていない。僧堂は高床式で非常に粗末である。カンボジアの僧侶は戒律が厳しく、妻帯できず、帽子もかぶれなく、飲酒も禁止である。日本のように「酒気を帯びて山門に入ってはいけない」と寺の門前に掲げておきながら、般若湯と偽って酒を飲む坊主に見習って欲しいものだ。

タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナムと僧侶の着物はカーキ色で形もよく似ている。小乗仏教だからであろう。しかし、この坊さんも時代の波には勝てないらしく、あちらこちらでデジタルカメラやビデオを持って写真を撮っている姿を見かけた。

この寺の境内には、ドラゴンフルーツとジャックフルーツとマンゴの三本の木が絡まって生えているのを見た。ドラゴンフルーツはどこのホテルやレストランでも必ず出された実の中にゴマ粒が入っていて皮がピンクの甘い果物である。この葉っぱは細長い。

中国人らしいいカップルが、物売りの女からカンボジアシルクのスカーフを買いたがっていた。たった4$だと言う。ただ現物は他の客に売れてしまったので残念がっていた。次の寺に行ったときこのカップルに出会ったので英語を話すかと聞いたら、ワシントンに住んでいると流暢な英語で言った。台湾人だという。それで、カンボジアシルクについて説明してあげた。日本のEXPOのカンボジア館ではカンボジアシルクの織物の実演をしており、1枚の製作には1ヶ月かかることや8000円で売っていたことなど。4$では安すぎるし、化繊の機械織りだろうと言った。彼らもそれはそうに違いないと言った。

 次の寺はプリアコー870年に建立。聖なる牛と言う意味でヒンズーの寺である。ヒンズー教は「ヒンズーを信ずるものは全て救われる」のだという。それからバコンという寺を見た。

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2009年12月29日 (火)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑧―

G.カンボジアへ

「ゴムの時間」ベトナム航空VN843機は予定より早く離陸。アンコールワットが窓から見えるというのでどちら側の座席がよいかアテンダントや添乗員に確かめた。進行方向左側と言う答えが多かったが、最後に尋ねたアテンダントは「見えません。」と言った。阪急交通のガイドブックには「離着陸時に見えるから注意して見るとよい」と書いてある。いったいどうなのだ?小島さんと議論をしたが、結局は見られなかった。シェリムアップ空港には予定時刻より早く、1646分に到着。小さなローカル空港である。イミグレーションには3人の紺色の制服、制帽を着た、いかめしそうな係官が縦に3人、2列いた。カメラが備えてあり、顔写真をノートパソコンに取り込んでいた。荷物を受け取って外に出ると、そこは砂利道で、小島さんは車椅子を借りて現地ガイドに押してもらったが、砂利で車椅子がはねるので必死で痛さをこらえていた。後で聞くと、物凄い痛さだったが負けてたまるかと頑張ったのだと言った。辺りにはカンボジアの男達が何をするでもなくいっぱいたむろして我々を見ていた。

H.ホテル

小型のバスに乗り、ホテルへ向かう。現地ガイドはウェイさん。カンボジア人は色が黒めで背は高くない。道路にはゴミが散乱しているところもあり、いかにも貧しい感じであった。

ホテルはEMPRESS ANGKOR HOTELといい、昨年新築したばかりの4階建てで、チーク材の木造で素敵であった。ここでもクリスマスツリーが飾ってあった。ロビーでは若い女性が民族楽器の木琴のようなものを演奏していた。しかし、ホテルの照明が暗かった。レストランでお絞りとジュースが出たが、お絞りはいかにも使い込んだ感じであった。

ここでキーを貰い部屋に行った。部屋は205号室だが、いくら探しても205号が見つからない。どうしてかと言うと、203,204が並んでいて次は207,208となっていて、向かい側は218.217などとなっているのだ。通りかかった勤務員に聞いてやっとわかった。205号は反対側の奥のほうにあったのだ。部屋のキーは電子式だが難しくてなかなかうまく操作できなかった。カードを差し込んで緑のランプがついたら、すぐにドアノブをひねるのだがそのタイミングがわからなかったのだ。部屋は総てチーク材だが、靴すべりと時計はなかった。

19時から1階のレストランで夕食。ビュッフェスタイルであった。カンボジアの料理(クメール料理)もベトナムと大差はなかった。西瓜、パパイヤ、パイナップルなどの果物も同じであった。カンボジア風のホウに似たものもあったがうどんの作り方がベトナムとは違うそうだ。アンコールワットビールは大瓶で4$、缶は2.5$。

小島さんは、相当ダメージが大きかったようで、風呂に入った後、床にねそべって指圧をしてくれと言った。指圧や足曲げなどをした。足を曲げてお尻につくようになるまで何回もやった。

 このホテルのバスの湯の出が悪く、翌朝聞いたところでは、水に近い温度の部屋が多かったようだった。みんなが一斉に使ったから追いつかなかったのだと説明があった。これからは時間を見計らって使うようにして欲しいと言う話であった。

5)第4日

A.アンコールワットの日の出

ホテルの受け付けの女性はみな小柄でニコニコとしていて可愛らしかった。話しかけるとゆっくりとした話し方で返ってくる。有難う=OR KUN、おはようなどを教えてもらった。

530ホテルを出てアンコールワットの日の出を見に行った。心配した天気は快晴で、ホテルの前庭の木の上に月が煌々としていた。小島さんは、腰が痛いので行かなかった。

途中検問所でパスを作ってもらう。そのために3×4の写真を用意してあったのだ。10分ぐらいでプラスチックケース入りのきれいなパスが出来てきた。これから3日間これを携行する。もし無くしたら40$払って再発行を受ける。智ちゃんは紐を用意してきて首に掛けられるようにしてくれた。

アンコールワットに到着すると、空は白み始めていた。堀の水に木立が反映し、木立はシルエットで、アンコールワットの塔も黒いシルエットを見せていた。橋を渡ってアンコールワットの境内に入るとあの三つの塔が目の前にあった。左側の前には池があり辺りは芝生であった。その近くの石造の建物辺りにいは大勢の人が日の出を待っていた。私もその辺りが撮影によいと考えて陣取った。空が赤らみ始めた。反対側の堀の方の天空には十六夜の月が煌々としていた。私は、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」を思い出していた。この句は万葉集の「ひむがしの野(ぬ)にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」という柿本人麻呂の歌を本歌取りしたものである。そこで、私も何か出来ないかと考えたが、その時はよい表現は思い浮かばなかった。次の日の夜中に目を覚ましたとき、ふっと思い浮かんだ。それが、次の歌である。

アンコールワット東の空の赤らみてかえりみすれば十六夜の月

 530分に集合なので諦めて集合場所に戻った。その頃塔の右の方、かなり離れた所にやっと太陽が小さく現れた。冬至が近いので北よりなのだ。広瀬さんが「太陽はいつもアンコールワットの真ん中の塔の真上に現れるのだとばかり思っていたが、そうじゃないことが今日始めてわかった。」と言った。アンコールワットは春分と秋分には塔の真上に日が昇るように計算して作られているのだ。たいした事だと思った。日の出と言っても期待はずれであった。しばらく見て写真を何枚か撮った。十六夜の月が見られたのがよかったと思う。

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2009年12月28日 (月)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑦―

 

D.旧市街

この後、旧市街へ行った。ホアンキエムという風光明媚な湖のそばにある。バスから降りて自由に歩く。ベトナムの農民の格好をしたおばさんたちが果物のせた天秤を担いで集まり、天秤を担がせてやるという。それで1ドル稼ごうと言う魂胆のようだ。かばん専門、靴専門、お土産専門・・・というように、いろいろな店が並び、どの店も歩道を占領して品物を並べたり、つるしたりしてあるので歩くには車道しかない。食べ物を扱う店や屋台が集まっているところもあり、そこでは肉、生きた川魚などから皮をはがれた蛙まで売っていた。もちろんその場で食べることも出来る。食べ物を扱う鼻を突く嫌な匂いと汚れが目についたが、土地の人は平気なのだろう。

湖を散歩しようと思い、横断を試みたが、バイクや自動車の洪水で足がすくんだ。道路を横切る時は、「走ってはいけない、立ち止まってはいけない」が鉄則で、バイクや自動車はよけてくれるのだと言われたが、バイクや車が間断なく走ってくるのでなかなか渡れない。他の人が渡るる様子をよく観察してから渡り始めたが次々に来るので恐怖心で一杯だった。目の前に自動車が迫った時はどうなるかと思ったが何とか渡れた。帰りはまた同じ思いであった。

E.痩せているベトナム人

ベトナムの女性はあまり化粧をしないのだそうだ。ハスのお茶を飲むので肌がきれいなのだという。バーさんはベトナム女性は痩せているが、痩せているのは健康にはよくない、ちょっと太っているのがいいと言った。隣の智ちゃんに気があることを暗示したのかなと思った。確かにベトナムでは男も女も細身である。だからすらっとした美人をよく見かける。太った女性を見たのは一度だけだった。

土産物屋に寄ったら、蓮の実、バナナ、パイナップルなどで作ったいろいろなベトナムの干菓子の試食があった。店では一人に一人の売り子がついて買わせようと必死であった。私と小島さんはロータスの実の干菓子を買った。

昼食は、レストランD’Agurahurプチフランス料理であった。事前にバーさんからメインに魚料理とビーフがあるが魚料理は量が少ないし、ビーフを選ぶ人が多いと言ったためか全員がビーフを選んだ。スープ、クレープ、ビーフ、サラダ、シャーベット、など。いい味であった。

F.語学の天才

食事を済ませたら空港へ向かった。車中でバーさんの日本語が上手なことを褒め、他に何語が出来るか聞いたら英語も出来ると言ったので、小島さんと私と3人で英語で話をした。英語も上手であった。途中から智ちゃんも英語で加わった。バーさんは日本へ留学した経験がなくベトナムで勉強したのだと言う。女友達がいたことが大きかったらしい。私は、日本語を教えるボランティアをしていることを話し、その立場から見てもバーさんの日本語は素晴らしいと言った。バーさんは、一番上手なのは中国語だと言った。日・中・越の通訳をしたこともあるそうだ。NGOに属し、ガイドはアルバイトであるようだ。勉強家で語学の天才だと思った。智ちゃんは、オーストラリアのメルボルンへ留学したと言う。高校のときから母親を説得し続けてやっと実現したのだと言った。英語を話す仕事と言うことで添乗員になったようだ。空港までは4人で大変に楽しい時が過ごせた。

空港でバーさんと写真を撮り、mailアドレスを聞いて別れた。真面目な顔をして面白いことを言う楽しいガイドであった。

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2009年12月27日 (日)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑥―

4)第3日

A.同窓生

6時ごろから食事に行き、七時に荷物をドアのところに出し、8時にハノイ市内観光に出発した。途中、車は壁にぴったりとくっつけて、バイクは路上に間隔を空けずにきちんと駐輪してあるのが観察された。

昨日は、ベトナムの大安だとかで結婚式の車をよく見かけたが、今日も歩道上に道まで下がった青い色のテントに造花で飾り付けをした臨時の結婚式場を作り、結婚式をしているのが見られた。隣の歩道上には造花で縁取りをし、フロンとグリルに「喜喜」という紅い中国文字つけた車が止めてあった。

バスの中で隣の席の人と話をした。どこから来たのか尋ねたら、一人は三重県で、もう一人は和歌山県の岩出だと言ったので、私は新宮にいたことがあると言ったら、三重県の女性が新宮高校の出身だと言った。偶然にも私と同じ高校の出身であることがわかった。私の後輩で、三重県の成川に住んでいたと言う。その時は旧姓(現在は暁さん)を聞いただけであった。急に懐かしく思った。二人は従姉妹同士であった。

B.ホーチミン廟・一柱寺など

話しているうちにホーチミン博物館に着いた。今日は、金曜日で休日なので入れなかったから建物の写真を撮った。そのあと、一柱寺へ行った。ベトナムの金閣寺のような最高に人気がある格式高い寺でベトナム仏教のシンボルだそうだ。小さな池の中に一本の柱を建てその上に小さな8畳間ぐらいの木造のお寺を建てたものである。信じて願い事をするとすぐに叶えてくださるとか。千手観音のような手が10本ほどある観音様だ。階段を登ってお参りをするのだが、参詣人が引きもきらない。この寺は1049年に建立。リ王が、子供が出来ないので祈願をしていた。ある日、小さな池から観音様が現れ、ハスの花が開き赤ちゃんが生まれる夢を見た。しばらくしたら念願の子供を授かったのだという。それでここに寺を建てた。柱は元々は木造であったが、アメリカの爆撃で破損しコンクリートにかわった。建物はもとのままのものである。

寺の際で果物を売っていた。石神夫人が竜眼という丸い小さな果実を買ってみんなに配ってくれた。甘い果物であった。

次に、ホーチミン廟に歩いて行った。国会議事堂の向かい建っている。昨日、帽子はいけない、肌を出してはいけない、立ち止まってはいけない、話してはいけないなどの入館時の厳しい説明を聞いて楽しみにしていたのだが休日とわかりがっかりした。ホーチミン大統領は生涯を独身で過ごし、ベトナムの独立のために戦った人である。「自由と独立ほど尊いものはない」という有名な言葉を残した。これは古からいろいろな国に侵略され続けてきたベトナム人の渇望であった。ホーチミン氏は建国記念日に亡くなり、その翌日から雨が降った。また、2本植えた記念樹が成長後一本になっていたなどのエピソードがある。ベトナムでは民衆から神様と崇められている。バーさんは尊敬してやまないという感じで話した。衛兵の交代式が見られた。

C.文廟

それから、文廟へ行った。昔の孔子廟である。ここは最初の大学でもあった。龍、鯉、酒壷が載った門があり登竜門と言う。鯉は七つの滝を登って龍になるという故事から来た。酒壷は苦労して学問をし成功したら祝杯をあげるということのようだ。鯉の鱗には日本の陶器の破片が張ってあるのだと言う。日本の字が見られるそうだ。奎雲閣には亀に乗った82基の石碑が建っているが、亀の大きさや様子、碑の大きさがどれも違うのだ。この碑はこの大学を出て大臣になった82人の人を顕彰するために建てられたもので、業績や成功度によって大きさが異なり、亀の頭が垂れているものは謙虚な人柄を表し、鼻を上に突き上げているのは高慢ちきを表すというように人柄によって変えてあるのだという。何とも皮肉な、いやみたっぷりな顕彰碑ではないか。日本の歴代首相にもこのような碑を建ててやるとよいと思った。亀は千年を生きることから使われたと言う。大学生達は青空で勉強をしたそうだ。

一番奥に孔子を祭った建物がある。その前の額には、右から「集大成」「徳参天地」「萬成師表」「道冠古今」「福斯文」と書いてある。この大学の始祖の言葉である。ここは受験生達のお参りの場所となっているそうだ。さしずめベトナムの天神様というところか。

ここで小便がしたくなった。トイレに行くとおばさんがいて、500dong4円弱)だと言う。ベトナムの金は持ち合わせが無いので困って、智ちゃんに言うと500dong貨幣を貸してくれた。それを持って行くと、おばさんは貨幣は駄目だと言った。見れば箱の中は紙幣ばかりだ。困っていると、おじさんが来ていいよと言って通してくれたので助かった。そういえば500dongは借りたままだ!!智ちゃん,ご免なさい。

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2009年12月26日 (土)

ベトナムとアンコールワット旅行―⑤―

J.天宮鍾乳洞

島のひとつにある鍾乳洞を見学するために上陸した。鍾乳洞は天宮鍾乳洞といい、実に巨大な見事な鍾乳洞だが、鍾乳洞につき物の水が殆ど無く、そのために天井からの垂れ下がりがない。ガイドのバーさんは、赤いレーザー光線のライトを使って説明の対象をポイントしながら堂にまつわる話を語ってくれた。

この洞窟は、天の龍と地上の王女の結婚式が行われたところで、最初の広いところが準備の間、そこから見える高いところにベッドルームがあり、歩いて行くと結婚式場の広場が現れる。一方は急な坂になっていてその先に地上が見えるがそこから龍が入ってきたのだという。また、地面に深い割れ目がありそれは地獄への道なのだそうだ。二人は結婚して百人の子供を儲けるが五十人は龍が天に連れて行き、五十人を地上に残した。子供を育てるために乳房を一つ残したという。見事な乳房の形の岩があった。また、王女を恋い慕う男がいてその目線の先に乳房があるのだという。そのほかにホーチミン大統領の像というのもあった。そんな話を洞内を回りながら面白おかしく話してくれたが、真面目な顔をして話すので余計に面白くみんなはそれを楽しんでいた。

小島さんは、鍾乳洞に入る前は、添乗員の智ちゃんが行かない方がいいと言っていたし心配していたが、出てきたら体が軽くなったと言って喜んでいた。洞を出たら小便がしたくなったのでトイレに入ったら、何とトイレはまるで流しのようなタイル張りのトイレであった。この形式のトイレには後にホーチミン市でもう一度お目にかかることになる。

K.暗い家

行きも帰りも石炭工場のあるところを通ったが、もうもうと石炭塵が立ちこめていた。人々はみなマスクをしていた。これでは塵肺になると思った。

帰路、別の枯れ葉剤犠牲者の働くヒュマニタリセンターでトイレ休憩をしたが、その頃には辺りは暗くなりかけていた。それでも家々にはどこにも電灯がついていなかった。センターを出るとそとはもう真っ暗で、バスの窓から見える家々には明かりがついていたが、まるで戦後すぐの日本のような薄暗い灯りが一つであった。電力事情が悪いのだと思った。ハノイでも灯りが少なかったが、ホーチミン市に行った時には驚いたことに煌々と灯りがつき、クリスマスなのでイルミネーションがあちこちで見られた。

L.夕食&ホテルで

夕食は、NEW BAYON RESTAURANT北部ベトナム料理であった。ホウ、さつま揚げ、ポーク炒め、ココナツカレー、野菜炒め2種、バナナの葉に海老を巻いたもの、パイナップルを細かくした料理、ピラフ、岩のりスープ、フルーツ。ビールは缶ビールが2$で、333タイガービールを飲んだ。料理はいずれもおいしかった。

7時半ごろホテルに帰った。ビール券をホテルからもらってあったので、18階のレストランへ行ったら、そこで今井さんご夫婦と福徳さんご夫婦に会った。しかし、貸し切りになっていたので仕方なく別館にあるダンス場に行った。中は暗くてごうごうとディスコ音楽が鳴っていた。案内された席には若い女性がいたのでびっくりして出ようとしたら、階段から若い女性が何人か下りてきた。これはやばいと思って出ようとしたが、小島さんが無料であることを確かめた。すると女性達はみんな去っていった。  席について生ビールを貰い、飲めない人はコーラを貰った。皆さん、外国旅行の経験の豊富な方ばかりで小島さんと話が弾んでいた。しばらくすると、一団の人たちが入ってきた。同じバスの石神夫人を見かけたので手を振ったらこちらにやってきた。石神夫人は「私はビールが飲めるのよ。」と言ってご主人の分のチケットも使ってビール2杯貰って一杯を小島さんに上げた。石神夫人はご主人と頻繁に外国旅行に行かれるそうで、4日前にノルーエイから帰ったばかりだと言っていた。当然小島さんと話が弾み、10時までそこにいた。

部屋に戻ると、小島さんはバスに片道3時間も乗ったので、また痛みが元の戻ったと嘆いていた。風呂に入って暖めてから指圧や足曲げをしてあげた。初めは左足がお尻につかなかったがつくようになった。

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2009年12月25日 (金)

ベトナムとアンコールワット旅行―④―

F.ガイドの説明(ベトナム豆知識)

次へ向かう途中有料の高速道路に入ったが、日本の普通の道路とかわらなくてガードレールがあるだけ。昨年日本の援助でできたばかりだというが何かしらくすんだ感じである。驚いたことに、高速道路でも牛や自転車や歩行者もいるのだ。

ベトナムについていろいろな説明があった。ガソリンが35/Lもするのでベトナム人の収入からは大変高価である。医療は有料で、ベトナムには健康保険があっても入らない人が多い。医者は、公務員だが金を払う人を優先して診るので金を出して診てもらうのだそうだ。一ヶ月の収入は、都市では8000円ぐらいの(後のホーチミンのウェイさんの説明を参照)人が多く、農村では、自給自足の生活をしている。気候が暖かいので米の二期作ができ、他に野菜やジャガイモなどを栽培しているし、果物も年に2回とれるという。

ベトナムは資源が豊かで、そのために昔から中国、フランス、日本、アメリカなど他国に侵略をされた歴史を持つ。日本の援助で石油、石炭が採掘でき、石炭の採掘には、日本で使われなくなった採掘器械が持ち込まれ、炭鉱技術者や労働者が技術援助に来ているのだそうだ。他に宝石のルビー、サファイア、ヒスイなどが採れ、中でも、スタールビーは世界一である。また、シルクの生産も多く、アオダイなどに加工されている。

枯葉剤による犠牲者は何代も続くし、健康な子供を欲しくて子供を生むがみんな奇形児になるので発狂する人や自殺する人たちもたくさんいると言う。中部のある村では、40%が奇形であるとも。そういう可哀想な人たちを救う施設はまだ足りなくて40倍もの競争率だと言う。

G.ヒューマニタリアン・センター

ベトナム戦争でアメリカが撒いた枯葉剤の被害者に仕事を与える施設、福祉コミュニティセンターでトイレ休憩。枯葉剤犠牲者のコミュニティセンター(Humanitarian Center)では刺繍や陶磁器作り、木工などで人々が作業をしていた。バーさんは可哀想に思っても現金は与えないで欲しいと忠告した。ベトナムの風景や人物を描いたベトナム刺繍の絵は実に見事であった。小さな刺繍画を1枚と他に石を彫刻した蛙(コップ)を2個と象嵌のリング入れを3個買った。こういう施設に立ち寄ったのはよいことだと思った。

H.豚がかわいそう

道路脇の家々には家の前に木が植えられていたが、葉の広いバンという木が多かった。日陰ができるからだと言う。

途中、豚を運ぶのをよく見かけたが、傑作は、バイクの二台に豚を3頭仰向けにして括りつけているのであった。豚こそ哀れである。自動車にぎゅうぎゅうづめにされて運ばれる豚の方がまだましに見えた。

I.ハロン湾クルーズ

ハロン湾が近くなると奇岩の小山が見え始めた。ハロン湾の船乗り場には観光船が所狭しと繋留されていた。すぐ出発できるように一番はしにあった船に乗った。一階は25席ぐらいのテーブル席があり屋外は展望台になっていた。ハロン湾の奇岩が見えるところに着くまでは昼食を摂るのだ。海老や蟹、イカ、アサリ、青菜、海草スープ、ご飯などの海鮮料理であった。蟹は美味しいが小さくて殆ど身がなかったし、海老も小エビであった。もちろんベトナム料理には欠かせないホウも出た。船内では、真珠などの物品を販売に来た。ピンクの真珠ネックレスが80ドル、腕輪が2000円だった。ガイドのバーさんがライターで焙って本物だと言った。石神夫人はネックレスを買いたいと言ったが持ち合わせがなかったので、小島さんが1万円を貸してあげ8000円で買った。

 ハロン湾の奇岩の風景は、海の桂林と呼ばれるそうで、奇岩の島々が続いていた。何でも2000余りの島があって全部見るには2日以上かかるのだとか。その入り口付近には、水上生活者の集落があり学校も浮かんでいた。天気は大変によく波は穏やかで快適のクルーズであった。みんなは写真を撮るのを楽しんだ。ちなみにハロンとは漢字で下龍(中国語ではシアロン)と書く。フランスに征服されるまではベトナムでは漢字を使っていたので漢字の表現が残っているのだ。ベトナム語は漢字で表せると言う。それでベトナム語を漢越語というそうだ。漢字を禁止したのはフランスのご都合主義の統治政策のためである。もし、漢字が使われていたら日本人にはわかりやすかったであろう。

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2009年12月24日 (木)

ベトナムとアンコールワット旅行―③―

 

2)第二日

A,朝食

バイキングの朝食。ベトナム料理は中国風で、お粥が2種、それぞれ好きなトッピングを入れて食べる。味噌汁も自分でアレンジして食べるのだ。ピラフもあった。パンはフランス風のものが何種類か用意されていた。ベトナム風オムレツが人気で、ベトナムの“ホウ”という料理も好評であった。米で作った素麺みたいなものにもやしと青物を入れ、希望によってひき肉などを入れて湯で温めて汁を掛けてくれる。それに好みに応じて5種類ほどある香菜や葱や唐辛子、酢、醤油などのトッピングを加えるのだ。これは程よい塩味で本当に美味しかった。ホウはその後どのホテルでもレストランでも昼食、夕食問わず必ず出されたがいずれも美味しく食べられた。

B,バイクの洪水

出発は800。ホテルの前の道路はバイクの洪水である。ガイドのバーさんの説明では、北では、学校は730に、会社は800から始まるので700から800の間が通勤通学のラッシュになるのだそうだ。この時間は少し少なくなっているとのこと。それでも大変なバイクの往来である。まるで洪水のように左右に流れて行く。ベトナムでは70CC以下のバイクは免許が要らないので小学生でも乗れるのだそうだ。そう言えば、来る時一緒だったキムトアさんもバイクで学校に通っていたと言っていた。バイクは日本製が60%で、ホンダが一番人気がある。一台10万円から30万円ぐらいだと言う。中国製は名前までホンダというコピーを作って7万円ぐらいで売っているが品質が悪くて2年ぐらいで壊れてしまうそうだ。

C.土地は政府から買う

この日は、約3時間バスにゆられてバロン湾のクルーズに行く。道路の両側の家は殆どが何らかの商店だが、間口は大抵は1間で、奥行きが5間ぐらいのうなぎの寝床である。 家を建てる土地は、生涯に一度だけ、政府から30万円ほどで買えるのだという。間口は1間なので2階以上の高層にする必要があるが、ベトナムには地震がない(北部には)ので金があればどれだけでも高く作れるのだそうだ。130万円から60万円で出来るそうだが、何しろ柱が細く、壁も薄いのでそのくらいなのだろう。間口が2間あるのは兄弟などで共有して建てたのだと言う。金のある人は土地や家を買うことが出来るが政府から30万円で買った土地に300万円以上払わなければ手に入らないという。金を欲しい人は土地を売ってそれを元手に商売をする人もあるとか。

D.窓外の風景

街を進んでいくが、車窓から見る風景は、中国と同じである。ただ、建物の色がクリーム色とか茶色とか明るい色が多い。

街路樹などの根元には1メートルくらいの高さで白く塗ってある。石灰を混ぜたもので、虫除けと反射板の代わりになるのだと言う。これはホーチミン市でも同じであった。しばらく行くと川に鉄橋がかかっていた。チェンズン橋で、アメリカの爆撃から守りぬいた橋だと言う。河は紅河で、ハノイとは“河の内”という意味だそうだ。道理で低地である。

ハノイ市外に出ると湿地帯が続き、堤防の上の道路をがたがたとバスは走る。ところどころに赤牛や水牛がのんびりと草を食んでいる。見渡す限りの低湿地農村だ。牛は放し飼いで夕方になると自分から家に戻るのだと言う。ベトナムには殆どが平地だそうで、どこまでも平地が広がっている。

E.バッチャン陶器村

バッチャン陶器村に着いた。ここはベトナムでも有名な陶磁器の村だと言う。村長の許可を得てあると言うことで一軒の陶磁器工房を見学した。1階、2階では製品を売っており、3階は骨董の陶器を販売している。4階から6階では陶磁器を製作していた。形を作る人、乾燥させる人、色付けをする人など黙々と仕事をしていた。アンナンブルーという青が特徴なのだそうで、それはここの伝統的な色だと言う。代表的な菊の模様は幸せを表し、トンボの模様は豊かさを表すのだと言う。それで、その模様のアンナンブルーの一人用コーヒー茶碗を5$で買った。カップの上に陶器のコーヒーフィルターがのっかっている珍しいものだ。

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2009年12月23日 (水)

ベトナムとアンコールワット旅行―②―

D,乗り継ぎ

ホーチミン市のタンソンニャット空港には予定より早く、現地時間の1441分に到着した。5時間41分のフライトであった。空港は広さはあるが駐機している航空機の数や種類が少なかったし、空港のビルも小さい。

トランシットの客は、胸に乗り継ぎのシールを貼ってもらい、入管手続きのところへ行くのだが、この手続きは大変手間取った。軍人のような服を着た係員が審査をするのだが、慎重なのか時間がかかるのである。30分近くかかってようやくそこを通り、荷物受け取り場所に行った。荷物はとっくに来ていた。それから、またパスポートを見せて荷物検査を受けるのである。その後、国内線に向かうのだ。国内線ではまた荷物チェックがあり待合室に入った。

ハノイ行きの客は多いらしく、航空機はボーイング777で座席は国際線より2列多かったが、ほぼ満席であった。17時発の予定が1730分にやっと離陸した。後でわかったことだが、ハノイのガイド、バ―さんの話では、ベトナム航空は、「フライト時間はゴムの時間」と言って、人が早く乗れば早く出発するし、遅れれば遅くなるそうで、ファジイなのだそうだ。777767より、トイレが広く、きれいであった。国内線には一人にこやかなアテンダントがいた。フライトアテンダントはいずれも一般のベトナム人より背が高く、美人であった。きっと選考基準がそうなっているのであろう。小島さんにそのことを話すと、「背が低くては荷物を入れたり出したりできんわなあ。」と言ったので納得した。

ハノイまでは2時間である。機内食が夕食でビールを2本飲んだ。

E,ハノイ到着

ハノイのノイバイ空港も駐機が少ない。かまぼこ型の施設がたくさんあった。国内線を出る時も荷物のチェックがあった。バスは1号車が18人で添乗員は大柄な田中智子さん。2号車は17人だが、後でわかったのは2号車は大半がビシネスクラス利用者だということ。2号車のガイドは後藤さんと言う早口の元気がよい人。このコースは人気添乗員同行と書いてあったので、いったい誰が人気添乗員なのか時々話題になった。ずっと後で智ちゃん聞くと笑って、「私は添乗歴10年、後藤さんは5年。」と言った。空港には現地ガイドのバーさんが待っていた。バーというのは、ベトナム語で3のことだと言う。三男だからバーなのだそうだ。「バーさんというと婆さんに聞こえるから、三ちゃんとか三郎さんと呼んで欲しい。」と言った。ベトナムで一番人気がある333というビールは「バーバーバー」である。バーさんは日本語が大変にうまい。初め日本人かと間違ったほどだ。

最後の日に空港へ行く道で英語で話をしてわかったことだが、彼は、英語、日本語、中国語ができて、中国語は特に得意だと言った。先祖は中国人だそうだ。それにベトナム人には中国語は習うのがやさしいのだそうだ。ベトナムではフランスに統治されるようになるまでは漢字を使っていたそうである。ホテルへ向かう途中バスの運転手はやたらと警笛をならした。それはバイクが多いからである。バスの両側をバイクが走ったり、前にかぶせたりするのだ。バスが他車を追い抜く時警笛で警告し、フラッシュライトを点滅させるのだ。その時に対向の車と真正面になるので、ぶつかるのではないかと冷や冷やする。その状態は、ベトナムにいる間中続いた。衝突しないのが不思議なくらいで、幸いなことに滞在中、一度も事故はなかったし、救急車は見たが、事故の現場には遭遇しなかった。

ホテルに向かう途中、凱旋門のような門があった。これから建つ団地の門だという。ベトナム人は門が好きなのだそうだ。

バーさんが我々に質問をした。「ベトナムと聞くと何が一番に思い浮かびますか?」と。私は、「勤勉」と言ったが、バーさんは「戦争です。」と言った。確かにその通りだ。あの忌まわしいアメリカとのベトナム戦争こそ忘れてはならない歴史的出来事なのだ。このことについては後で触れる。

ホテルは、HANOI DEAWOO(ハノイ・デウ)といい、バウさんによればハノイで最高級のホテルだと言う。ロビーはクリスマスのイルミネーションで飾ってあった。室内はきれいでインターネットの端末も来ていたし、プールも付属していた。しかし、トイレの水の出が悪く、シャワーも壁に作り付けであった。   

F,突然のベル

 10時半ごろ就寝しぐっすりと眠っていたら、突然電話のベルの音にたたき起こされた。何事かと思ったら、ガイドのバーさんで、「小島さんにかわって下さい。」と言う。小島さんは、腰が痛くて動けないから聞いてくれと言った。バーさんは、「小島さんが倒れたと聞いたが大丈夫ですか?」と言った。「倒れてなんかいない。大丈夫だ。一体誰から聞いたの?」と言うと、「会社から電話があったんです。」と言った。大丈夫だからと言うと納得がいかないような様子で電話を切った。翌朝、添乗員にそのことを話すと「2号車の人が倒れて意識不明となり入院したんです。」と言った。それが小島さんと間違われたのだ。一人で参加していて、持病の糖尿病で部屋で意識不明になっていたのだそうだ。たたき起こされたこちらは寝なおすのに大変であった。

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2009年12月22日 (火)

ベトナムとアンコールワット旅行―①―

アンコールワット・ハロン湾とハノイ・ホーチミン8日間

――平和ほど尊いものはない――

(1)きっかけ と腰痛

10月のある日、小島さんが、「アンコールワットへ行かんかね。」と言った。私は、かねがねアンコールワットへは一度行ってみたいと思ったので、二つ返事で「いいよ。」と答えた。次の日すぐに電話があり、「阪急交通の『アンコールワット・ハロン湾とハノイ・ホーチミン8日間』に申し込んだ。」と言った。愛知万博のカンボジア館でもアンコールワットは売り物になっていたし、呼応して松坂屋でもアンコールワット展が開かれた。その両方を見て、多少の予備知識を得た。

それから約2ヶ月がたち、明日はいよいよ出発という日に、添乗員の田中智子さん(後にバスで初めの挨拶をした時に智ちゃんと呼んでいいと言ったので智ちゃんと呼ぶ)から電話があった。何か気がかりなことはないかということであったが、これはこれまでにないことで嬉しかった。今度の旅行に持って行くのはどんな金がよいかを尋ねた。「US$の1$紙幣をたくさん持って行くとよい」と言うことであった。もう一つ、ホテルで使える電気器具のコンセントの形状を聞いた。その時、「小島さんが旅行に行くかやめるか迷っているようですよ。」と言った。その晩、電話をすると、何とも情けない声で「腰が痛くて困っている。」と言った。相当ひどそうであった。金曜日にゴルフへ行き、ナイスショットを打ったときに腰に違和感を感じそれがだんだんとひどくなったものらしい。医者に診てもらい、整体へも行っているとのことであった。実は、私も11月の終わりに、朝起きて10分間ほど椅子に座っていただけでぎっくり腰となり、だんだんひどくなるので整形外科へ行って診てもらったのだ。毎日マッサージに通ってようやくよくなってきたところであった。

 

2)第一日 

A.通貨交換のこと

出発は、1214日(水)で、午前九時にセントレアへ集合であった。7時過ぎに家を出て8時半過ぎにセントレアへ着いた。9時を過ぎた頃、小島さんが若い女性と歩いてきたが、杖をついて頼りない歩き振りであった。奥さんに名古屋駅まで自動車で送ってもらい何とかたどり着いたという。一緒にいたのは、彼が偶然電車の中で知り合ったベトナムの女性で、キム・トアさんと言った。

受け付けを済ませて、個人でチェックインをした。スクリーンの前の、足元にゆとりのある席が取れた。その後一度集合し、添乗員から説明を聞いた。ドルはUFJ銀行(1月からは東京三菱UFJ)でいくらでも1$紙幣にしてくれるし、チェックインしてからも両替所があるので替えられるということであった。私は、両替所でドルからドルへの両替をしようとしたがそれはできなかったし、日本円からしたとしてもそこでは1$紙幣は20$までだということであった。私は、ベトナムについてから添乗員の智ちゃんに20$分を1ドル紙幣に換えてもらった。このドルについてだが、現地に行って驚いたのは、ベトナムでもカンボジアでもドルが普通に通用することであった。何も1$紙幣をたくさん用意していかなくても10$とか5$とかからおつりがドルでもらえるのだ。ただ、硬貨やセントは使えないということで高くつくのがいけない。

B,車椅子

カウンターの空港勤務員が小島さんの様子を見て、「車椅子を用意しましょうか?」と尋ねた。格好悪いから要らないと言っていたが、説得されて受け入れた。係りが車椅子を押してくれた。空港勤務の人が入るところから入った。そして、搭乗ゲートまで送ってくれた。身体障害者の気持ちが多少わかったのではないだろうか。係りの話では、中部国際空港では、1ヶ月に1000人くらいの車椅子利用者がいるそうで、殆どは外国人だという。日本人は、用意をして待っていても利用せずに行ってしまう人が多いが、外国人は、歩ける人でも利用するということだ。ホーチミン行きのベトナム航空969便搭乗口は一番遠くにあったので車椅子を利用したのは正解であった。ちなみに名古屋・ホーチミン間は就航したばかりで今回の企画はベトナム航空就航記念と銘打ってあった。

C,機内で

1100分にボーイング726は予定通り出発した。我々の隣の席が空いていたので、キムさんを呼んだ。まだ日本に来て7ヶ月で、日本語の勉強をしていると言った。お姉さんの結婚式のために帰国をするそうで、日本語学校の成績証明書を見せてくれた。初級も、中級も優秀な成績であった。何でも、夕方から11時まではアルバイトをし、そのあと日本語の勉強の予習や復習を夜中までするそうである。漢字も2000字以上覚えたと言う。大変な努力家であった。日本に留学に来るぐらいだから当然家は裕福で、空港へは家族が自動車で迎えに来てくれると言った。いろいろと話をして楽しく過ごした。

ベトナム航空のフライトアテンダントはエンジ色のアオダイを着て艶やかである。しかし、みな無愛想であった。キムさんにそのことを言うと、「来る時のアテンダントはそうでもなかったです。」と言った。食事前にベトナムビール「333」を1本、食事の時には「333」と「Tiger 」というビールを飲んだ。機内食は日本で作った日本食でまあまあ美味しかった。

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2009年12月21日 (月)

精神的ストレッサーと身体的ストレッサー

 セリエの分類のよると、ストレッサーには、2種類あるという。

① 身体的ストレッサー 火傷、冷傷、騒音、紫外線、感染、病気、手術、外傷など直接我々の体を傷害するもの。

② 精神的ストレッサー 身内や友人などの病気とか死、対人関係の悪化、試験、事業の失敗、破産、社会不安、戦争などが原因でのもの。昨今では、就職や生活苦なども大きい要因だ。

 「精神的ストレッサーは、体の内部環境に侵襲を加え、その調和を乱すので、本来もっている病気に対する抵抗力が減弱化するばかりでなく、病気自体を悪化させてしまうことが多々ある。」(P.31)から気をつけなくてはいけないといっている。

 しかし、我々の体には、ストレッサーに対応する「しくみ」が備わっているという。その「しくみ」とは、次の3つである。

①「自律神経系」  自律神経の働きを自分の意思ではコントロールできない。臓器としては、心臓、肺臓、血管、肝臓、脾臓、胃腸、膀胱、汗腺など全身にある。脳の視床下部に中枢がある。

②「内分泌系」  細胞で作られた物質「ホルモン」を血液で運び、遠隔の部位の細胞に何らかのメッセージを与えるしくみ。コルチゾール、成長ホルモン、プロラクチン、エストロゲンなどの性ホルモン。中枢は視床下部にある。

③「免疫系」  体の害になる細菌やウイルス、異物、体内に生じた不要な物質などを好中球、リンパ球、マクロファージなどの作用で排除したり、中和したりする。大変役に立っている系だそうだ。

 これらの3つの系は、体にストレッサーが加わると、その情報をいくつかの物質を介してやり取りして、体がよりよい状態に保たれるように協働して対応する非常にすばらしい「しくみ」だという。

 先だって取り上げた自己治癒力もこうした仕組みのうえに成り立っていることがわかる。

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2009年12月20日 (日)

日本語教室学期末パーティ

 16日は、愛知国際プラザの土曜日午前クラスの最終日であった。それで恒例のランチパーティを開いた。

 教室の前面のホワイトボードに、ボランティアのFさん手作りの飾りが付けられ、他にもMさんが作った本日の出し物のめくりが立てられた。

 パーティは、まず、立食でお寿司やおにぎりや盛り合わせの料理、果物などを食べた。Kさんからは、チョコレートの差し入れがあった。

 食事のあと、お楽しみのエンターテイメントに移った。

 最初は、私の手品で、三色ロープ、ロープファンタジア、A Vague memory,Qの行くへ、紐の貫通、三角錐、チェンジバッグ、棒ビン、カレンダーの予言、などを披露した。大変好評で大きな拍手をもらった。外国人は日本人よりもはっきりと表現してくれるのでやりがいがあった。

 2番目は、コロンビア出身のMさんの指導でラテン音楽に乗ったサルサを踊った。とても楽しそうであった。

 3番目は、インドネシアのグループの歌で、インドネシアの歌やインドネシア語のどらえもんの歌であった。

 4番目はボランティアのKさん、Nさん、Iさんの3人によるハーモニカの合奏やKさんのソロでアルルの女などが演奏された。ボランティアの3人がハーモニカを習っているとは知らなかったが、素晴らしい演奏であった。

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2009年12月19日 (土)

ストレスとストレッサーの違いを知った

 私は、これまで何の疑いもなく「ストレス」という言葉を使ってきた。私がこれまでに聞いた中でも、読んだ本の中でも、一度も「ストレッサー」という言葉を聞いたことがなかった。

 今回、「脳内リセット!笑って泣いて健康術」を読んで初めて、ストレッサーという言葉を知った。P.11からの「ストレスとはなにか」という見出しの最初に、「ストレスとストレッサー」という小見出しがあり、そこに例を挙げて説明してある。

 ストレスと言うコトバを正確に理解せずにみんなが使っているので、意味が真逆に受け取られる場合があるという。例として、次の使い方が書いてある。

 「上司に怒られるのは本当にストレスだ。その都度胃が痛くなるよ。」

 この使い方は、間違っているというのだ。

 どう間違っているのかというと、「上司に怒られる」のは、ストレスを引き起こす引き金であってストレスそのものではないからだ。だから正しくは、

 「上司に怒られるのは、ストレッサーだ。その都度ストレスとして胃が痛むよ。」と言うべきだというのだ。

 医学的には、「心や体を侵襲(この言葉も初めて聞いた)するもの(例えば、身体的病気や怪我、精神的な苦痛、人間関係の悪化、過重な仕事など)を『ストレッサー』という。それによって起こった心、体の反応(例えば、胃潰瘍、偏頭痛、うつなど)をストレスというのだそうだ。

 ストレスの四徴候として次のものを挙げている。(詳しくはP.16~P>17)

① 副腎の肥大

② 胸腺の萎縮

③ 胃の出血性潰瘍

④ 性腺機能障害

 ストレス学の創始者、セリエによると、ストレスは「警告反応期」→「抵抗期」→「疲弊期」と順に進み、疲弊期になると、ストレッサーに対して何の反応もできなくなり、死にいたることさえあることを見出したそうだ。

 ストレッサーに溢れた現代社会で生活している我々は、ストレスを発生させているので、できるだけ疲弊期に入る前に何らかの適切な処置を講じたいといっている。

 私も、勤めているときに、何度か十二指腸や胃の潰瘍になり、一度は入院治療をしなければならなかったくらいだ。それで、退職後は、ストレッサーの影響を少なくするような生き方をしている。

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2009年12月18日 (金)

「脳内リセット!笑って泣いて健康術」を読んで

 書店で「脳内リセット!笑って泣いて健康術}(吉野槙一著、平凡新書)を見つけ、題名に惹かれて買ってきた。

 笑うことが病気を改善するということは以前から聞いていた。岡山のある病院では落語を患者に聞かせてよい結果を得ているとか、どこだったか吉本興業と協力して笑いと病気の治癒の関係を研究したとかいう話である。

 この本に書かれている研究は、全て間接リュウマチの患者を被験者として、吉野槙一日本医科大学名誉教授(現在)によって行われたものである。場所は日本医科大学講堂で、そこに落語の寄席を設定し、笑いとの関係については主として林家喜久蔵と弟子が面白い落語を担当した。泣くこととの関係を探る人情噺と恐怖との関係を探る怖い怪談噺は、その専門家の林家正雀が演じた。

 この本は、1995年から2004年まで8回にわたって行った実験の経過と結果を書いたものである。

 結論からいうと、「笑い」も「泣くこと」も患者の炎症を憎悪させるインターロイチンー6というものが確実に減少すること。ナチュラルキラー細胞が増えるとか・・・・・。この辺りのことは、難しくてわからなかったが、笑いも泣くことも患者の炎症を軽減することに役立つ物質に変化があるらしい。

 「泣くことは、悲しさ、やさしさ、絶望したときなど、かなり強い精神的ストレッサー(これについては次回取り上げる)を受けたときに直感的におきる。」(P.123)泣くときにも上記の物質に同じような変化が見られたというのだ。

 関節リュウマチだけでなく、また、免疫系の乱れだけでなく、神経系や内分泌系を乱している病気では、「楽しい笑い」によってその乱れを正すことができると確信したと述べている。副作用のない薬といえるという。

 「笑うこと、泣くことができるわれわれは、さほど強くない精神的ストレッサーには笑いで、強いストレッサーには泣くことで対応している。」(P.124)と言っている。

 私は、落語が好きだし、落語なら笑うことができる。また、涙もろいのだが、涙が出る出ないと泣くこととは関係がないという。涙が出なくても心を動かされてなく人もいるというのだ。

 我々人間は、言葉によって感情を動かされる動物である。また、視覚によっても心を刺激される。そして脳の働きで面白いとか悲しいとかの感情が湧き上がる。素晴らしい仕組みを持っているのだ。

脳内リセット―笑いと涙が人生を変える

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2009年12月17日 (木)

地域のクリスマス会

 居住地区にある、NPOなどのグループが主催し、福祉協議会や保健所が後援してのクリスマス会が、昭和区役所講堂で開かれた。

 いろいろなグループが、順番に出しものを披露した。

 プログラムは、

① 保健婦さん指導でリラックス体操

②きららハウスの子たちの「エイサー」 沖縄の衣装を着て太鼓をもってリズムよく踊った。

③手話コーラスとミュージックベル ふれあいサロンの人たちが、手話で「野に咲く花のように」「切手のないおくりもの」とミュージックベルで「エーデルワイス」を演奏した。私は、手話で歌うのははじめて見た。

④マジック同好会 80歳の女性2人と90歳ベテラン男性の3人が手品を演じた。

⑤歌 ありんこ作業所の障害を持った人たちが歌った。

⑥紙芝居 あじさいグループの高齢女性が「なんにもせんにん」という手作りの紙芝居を演じた。

⑦みんなで歌ってリズム体操 アイリスリズムグループが「大きな古時計」「涙そうそう」「君恋し」をギター伴奏で歌ったが、手話も入っていた。

⑧コーラス 歌いましょう会の人たちが、ピアノ伴奏、指揮者つきで「きよしこの夜」「遠くへ行きたい」ビリーブ」「島唄」を歌った。

⑨ダンス きららハウスの子たちが、ヒップホップダンスを踊った。

⑩全員で「あわてんぼうのサンタクロース」を歌った。

 このクリスマス会は今年で10回目になる。地域活動の一環で続いているのは素晴らしい。

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2009年12月16日 (水)

マジックでボランティア慰問

 14日(月)に、日帰り介護施設「リフレ陽明」をボランティア慰問した。私がこの施設を慰問するのは今回で2回目であった。

 私が行くと、予定時刻のかなり前に、この日一緒にマジックをやるHさん既に来ていて、キーボードの伴奏をして、利用者さんたちが施設の歌集にある歌を歌った。Hさんは音楽の専門家でもあるのだ。私は楽器ができないので羨ましいが仕方がない。

 歌が終わると、私が挨拶をして、少し神様の話をした。準備が整ったら始めてよいということで、まず、Hさんが演技をした。大ベテランなので、話し方がうまく、トークを交えながら、スプーンの超能力、3本ロープ、色変わりハンカチ、カメレオンロープ、3本のリングを披露した。年季が入っているだけに手さばきや語り口が素晴らしく、観客を引き込んでいた。

 ついで、私が演技をした。今回が2度目なので前回とは違うものを用意しなければならなかった。演目は、ロープ・ファンタジア、三色ロープ、四人の子ども、サルとカニ、サンタクロース、棒ビン、三角錐、チェンジバッグ、赤い玉、矢印の方向などであった。クリスマスにちなんだ「サンタクロース」はSさんという私のマジックの師匠の娘さんが翻案したものである。娘さんといっても80歳だがパソコンを操っててカード手品などを作っている。珍しい「棒ビン」は薬品を入れるビンを利用したもので以前に師匠のSさんが作ったものである。

 お茶の時間に、Hさんはお得意のクロスアップマジックを幾つか披露した。コイン、カードなど目の前で起こる信じられない現象にみなさんは興奮気味であった。

 Hさんは、マジック歴を聞かれて、子どものときから50年と答えていた。クロスアップの妙技に魅せられて、また来てくださいと要請されていた。

 今回は利用者さんが前回よりも観客が少なく残念であったが、クロスアップには丁度よかった。

 私は40歳台の中ごろにひょんなことからマジックを始めたのだが、師匠が道具マジック専門であったので、手練のいるカードマジックはやっていない。Hさんのように鮮やかにカードを操れるとどんなにいいかと思った。

※写真は、Hさん。

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2009年12月15日 (火)

やっぱり給料泥棒だった!!天下り元高級官僚

 11日の朝日新聞夕刊によると、隠れ天下りについての独立行政法人職員の証言を載せている。それによると「嘱託」以外にも天下りの抜け道は様々あるという。

 そうした1000万円以上の高給取りの働きについいて、いい加減なものであると証言を載せている。

 「ついにばれたか。隠れ天下りがいままでよく持った。」と言っているそうだが、これまでの何十年間も税金を掠め取ってきたことを誰も反省すらしていないようだ。

 「同じ職場にいながら名前も分からなかった。専門的な仕事をするために雇われているはずなのに、実際は何かの分野に通じた人たちでもなく、高い給与が見合っているのか疑問だった。」と話している独立法人職員もいるという。

 別の法人の職員は、「基本的に仕事が分からないので、たまに業務に口を出しても見当違いのことを言う。昔はもっとひどく、出勤しない人もいた。」

 出勤しなくても高給を貰っていたとは、泥棒である。

 「本省が押し付けてきたポストだった。まともな人もいるが、多くの職員が『あの人たちは何をしているのだろう』と不思議がっていたのが実情で、明らかに不要のポストだった。」と批判したとも書いている。

 前回、隠れ天下りを取り上げたときには、上述のような実態があるだろうと推察していたが、「専門的技術や知識を活用するために必要」ということだったので、憶測で書くことはしなかった。今回ははからずも、朝日新聞が証言を引き出したので、推察通りであったことがはっきりした。

 名古屋市でも、愛知県でも以前から天下りの元職員や議員などがいつまでも高給ポストにしがみつき、碌に仕事をしていないと問題にされてきた。それと同じことが、更に高給の天下り法人でも行われてきたことがはっきりとしたのだ。

 仕事らしい仕事もせずに人が羨むような高給を平気で受け取り、「高いか安いかは個々の判断だ。」なぞと平然とほざいている状態をいつまで許しておくのか!!

 世間では相変わらずの不況でその日の暮らしもままならない人びと、いくついもの安いパートで何とか最低の生活をしている人びと・・・・。一生懸命に働いても僅かな金しかもらえない人びと・・・・。そうした人びとがいることを何とも思わない無神経さには空いた口がふさがらない。いくら腹を立てても虫が収まらない。

 鳩山さん、小沢さん、今こそ何とかして、こういう泥棒同然の連中を皆無にしてもらいたい。そうすれば国の金も無駄にならないのだ。

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2009年12月14日 (月)

名フィル第364回定期演奏会

 Oさんから招待券をもらったので、12月12日、愛知県芸術劇場コンサートホールで開かれた名フィル第364回定期演奏会に出かけた。開演は16時からだったが、15時20分頃に行って入場券に換えた。

 コンサートのタイトルは、「燃える炭火に照らされた夕べ」という変わったものであった。プログラムを見てわかったのだが、演目の4番目が、ドビュッシーの「燃える炭火に照らされた夕べ」をもとにホリガーが作った「アルドゥル・ノワール(黒い熱)という曲であった。これは本邦初演であった。作曲されたのが2008年なので現代音楽そのものであった。

 もう一つ日本初演の曲があった。プログラム5番目の「シャルル:フルート協奏曲『・・・静寂の時・・・』という19分の曲であった。これは超絶技巧を要する曲らしいが、この日のフルート奏者:エマニュエル・パユという世界的フルート奏者によって演奏された。2007年にジャネルによって作曲されたもので、どちらかというと日本的な音色や演奏スタイルを感じさせる現代音楽であった。

 その他には、ボルン:カルメン幻想曲

        ドビュッシー(カプレ編曲)組曲「子どもの領分」より「雪は踊っている」

 そして最後は、ストラヴィンスキーのバレエ「ペトルーシカ」(1911年版)であった。ストラヴィンスキーの曲は変化が激しく、バレエの音楽だが、いったいどのようにして踊るのだろうかと想像しながら聴いた。ピアノは碇山典子さん。

 この日の指揮者は、名フィル常任指揮者のティエリー・フィッシャーであった。彼はもともとフルート奏者であったそうだ。

 名フィルとは、つい前日第九の合唱で共演したばかりである。あのときにはゆっくりと聴く余裕はなかったが、この日はコンサートホール2回の最後列で聴いた。オーケストラということだけでなくフルートの音もしっかりと聴くことができた。

 フルートのアンコール曲は、「ゲッツナー作曲のソナタ第3番、第一楽章」であった。

 久しぶりのコンサートホールであったが、客席はほぼ満席であった。名フィルの演奏を堪能した。 

 Photo

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2009年12月13日 (日)

腸について知ったこと―「9割の病気は自分で治せる」から―

 見出しの本のP.90から後に「腸」について書いてある。

① 小腸と大腸の長さと面積→長さは約7m、面積はテニスコート1面ぐらい。意外と大きいのだ。こんな大きな器官で消化と吸収をしているわけだ。

②腸は脳の指令を受けずに、原則として自分自身で機能しているのだという。腸にある、神経細胞(ニューロン)の数は1億以上で、脊髄全体に存在する数より多いそうだ。腸は立派な神経器官だということだ。

 それによって、腸では外から入ってくる全ての物質を体内に取り入れるべきか、排除すべきかを瞬時に判断しているという。これは生命の維持に大切な機能だという。

③腸は最大の免疫器官だそうだ。全身のリンパ球の60%が腸ではたらいているのだという。また、抗体の60%は腸で作られているという。

 だからアトピー、花粉症、気管支ぜんそくなどのアレルギー疾患のなりやすさは腸の環境に大きく左右されることが分かっているそうだ。

 また、がんや慢性疾患の治癒にも腸が大きな働きをしていると思われるそうだ。

 さらに、腸には100種類以上の微生物が棲んでおり、数にして100兆個、量にして1kgにもなるのだという。アンビリーバボーである。したがって安易に抗生物質を飲んで微生物を死滅させてはいけないと警告している。

 腸の調子は全身のバロメーターだという。

 腸の機能を保つために、脂肪、動物性たんぱく質の摂り過ぎはよくなく、野菜や果物や海草や発酵食品などを多く食べ、薬を飲み過ぎないようにすることを勧めている。

 ここには書いてなかったが、腸に関係した器官からはセロトニン、アドレナリンなどが分泌される。

 心臓、肺臓、肝臓、膵臓、脳だけでなく、腸は大事な生命維持器官の一つなのだ。それにしても人間の体のよくできていることに感心する。

 

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2009年12月12日 (土)

640名小沢訪中団に、喝!!

 新聞やTVの報道によると、民主党小沢幹事長の訪中に、143名の民主党国会議員とその支持者ら500名ほどがくっついて行ったという。総勢で640名。北京空港の出迎えバスが17台だったそうだ。

 議員のうち、新人議員は(小沢チルドレン)の6割、79人だという。参加した議員、しなかった議員の胸中は複雑で、小沢幹事長に色目をつかっての参加者や参加しなかったことで冷たくされる不安があるのだという。

 640名の全員が人民大会堂での夕食会に参加できたというから、今回の訪中の最大の目玉は、人民大会堂での夕食だったわけだ。その他は北京の観光をするのだそうだ。費用の20万円は自己負担だというが、北京など4万円のツアーもあるのに格別高いのは、やはり夕食会なのだ。

 小沢幹事長は、胡錦濤国家主席と約30分間会談したそうだが、特に懸案の問題には触れず儀礼程度のものだったようだ。それで財界などからは不満の声が上がっているという。

 中国にしてみれば、大量の観光団が来てくれたのだから、ホテルなどは大喜びである。胡錦濤主席も歓迎するのは当たり前である。

 NHKTVも朝日新聞も、今回の訪中は、小沢幹事長の「権勢」を見せ付けるためであったと指摘している。私もそれ以外に何もないと思う。小沢ここにありと内外に誇示するのが最大の狙いであったのだ。

 中国との関係を大事にすることはいいのだが、このようなやり方での訪問には賛成できない。「喝!!」である。

 それにしても、小沢氏のご機嫌を伺う連中が民主党内にうじょうじょいるらしいのは情けないことだ。こんな民主党に政権を託していいものか疑問である。

 民主党議員・新人議員よ、もっと独立自尊であれ!!

 

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2009年12月11日 (金)

自民・公明政権で温存されてきた天下り

 12月8日の朝日新聞夕刊や9日の朝刊によると、国債の発行残高が過去最高になったことや天下りの問題が報じられている。

 新規国債の発行が53.5兆円となり、全体での発行残高は600兆円を越すことになるという。

 小泉内閣が発足したときに、国債発行を30兆円以下に抑えるかどうかで議論されたことがある。そのとき大変な額だと思ったが、55.5兆円はほぼ倍近い額である。これは民主党連立政権のもたらしたものではなく、自民・公明政権の負の遺産であり、その処理を現政権が担わされているのだ。その点では同情すべきものがある。

 これについて、当時の責任者の一人の竹中平蔵氏は、相変わらず、構造改革を後戻りさせたのが悪いのだと言い張っている。

 ところで、もう一つ見逃せないのは、天下りの問題である。

 国債という国の借金が膨大に膨らむ中で、天下り先の194にもなる公益法人や独立行政法人への国からの補助金や交付金、委託費として計8700億円が税金から支出されている。その中で、9割以上を税金に依存している団体が9法人、5割以上依存している団体が58団体もある。その他の団体も相当の額を国に依存している。

 これらの団体で理事長や理事などの役職への天下りが行われているのだ。しかも、1300万円前後の高給を食んでいる。中には隠れ天下りが新たに7法人あることがわかった。隠れ天下りは「嘱託職員」という形をとるので、給与水準を公表する必要がなく、天下り凍結の対象外となっているのだ。

 身分が嘱託でも、給与は最高が、1326万円で、みな年収が1000万円以上だという。原口総務相は「年収1000万円以上で嘱託はおかしい」と言っている。

 このように、国の税金を巧みに使って自分たちの天下り先の給与として受け取り、長年にわたって地位を独占し、うまい汁を吸い続けてきたのだ。

 高級官僚とは、かくも意地汚い連中ばかりなのだ。所詮は「金」目当てなのだ。東大や慶応・早稲田などハイレベルの大学を出ていても、その心は卑しいのだ。国がいかに借金で苦しんでいようと、年収が200万円以下の貧困層が1100万人にもなろうとしていようと、そんなことはお構いなしに自分の利益だけを追求してきたのだ。

 民主党・社会党・国民新党連立政権には、こうした税金泥棒を徹底的に排除し、不要な法人は即刻廃止すべきである。

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2009年12月10日 (木)

自己治癒力を高めるには―「9割の病気は自分で治せる」から―

 人間に備わった自己治癒力を高めるために、岡本医師は、3前提+14項目をあげて勧めている。

 まず、3つの前提は何かというと、

①「嫌なことはできだけやらないようにする」だそうである。これと似たようなことをあの勝間和代さんも書いていたと思う。

②「いい加減」が大事だという。」「余り我慢をしない。頑張り過ぎないこと、厳格すぎないこと。」がいいのだ。これは、あのひろさちやさんの口癖である。

③「自分のやりたいことだけをやる」

 そして、14の項目を列挙する。

①前かがみの姿勢をやめる。

②1日に30回ぐらいは、ゆっくりと腹式呼吸をする。

③食にこだわる。脂肪分や塩分を控え、加工食品をできるだけ避け、野菜、果物、穀類、海藻類、きのこ類、発酵食品を食べる。肉は少なくし、魚を食べる。私は、これに豆類、根菜類を加えたい。食べる量をコントロールする。

④便秘に気をつける。

⑤ベースサプリメントを上手に摂る。これはもともと体内にあるか、食材に含まれている、ビタミン、ミネラル、繊維質、植物ファイトケミカル、プロバイオテクス(乳酸菌など)

⑥気がついたら時々爪(爪の生え際辺り)をもむ。自律神経のバランスとリズムを整える効果がある。

⑦ツボ刺激。特に頭頂の百会など。

⑧温水・冷水浴。温浴から始めて冷水浴で終わる。

⑨ふくらはぎマッサージ。血流を浴する効果。

⑩易筋功をする。(上掲の書に詳しく書いてある)

⑪1日6000歩歩く。

⑫七時間睡眠。(これより多くても少なくても死亡リスクが高まる)

⑬海外旅行と読書

⑭薬は控えめにする。長期服用を避ける。

 私は、⑥~⑩はやっていない。

 はて、さて、どうなるのか?

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2009年12月 9日 (水)

自己治癒力が大事―9割の病気は自分で治せるから―

 自己治癒力とは、昨日書いた「恒常性」を保つ力で、自己修復力と言ってもよい。これは人が持つ素晴らしい能力だと言っている。(P.140)

 病気とは、恒常性が崩れ、元に戻らない状態だから、まず、自己治癒力を高めることが大事で元に戻る復元力を強くすることだという。

 極論すれば、医者は病気を治せないといっている。医者ができることは患者が治るきっかけをつくるでけで、あとは患者自身の自己治癒力が病気を治すのだという。

 そう言われてみれば、ガンの患者でも気持ちを入れ替え、自己治癒力を高めて病状を改善したり、治したりしたという話を聞くことがある。

 昔は、風邪は万病の元と言われたが、今は、風邪で医者にかかる人は少なくなった。風邪は、体を温かくして、水分と栄養を補給して休息すれば直るものなのだ。風邪をひいて、不要な解熱剤を用いたり、抗生物質を飲んだりすると、自己治癒力が著しく妨げられ、かえって治りが遅くなることもあると注意している。

 私は、風邪をひかないように、活性酸素を除去する働きのあるビタミンC,E,などを飲んでいる。また、Bも補っている。

 慢性疾患には、考え方、食事の仕方を始めとした生活習慣を改めることが不可欠でそれが一番大事なことで、根本的治療が重要だと指摘している。メタボなどは生活習慣病のひとつだというのはその例である。

 高血圧や糖尿病で医者から処方された薬を長期間服用している人が多いが、どんな薬にも副作用があるし、長期間の服用は危険であるという。このことは頭では理解できるが、現実となるとそうはいかない。それで医者に「薬を飲み続けることが大事」と言われると、そうすることになるのだ。

 災害外傷、脳出血、脳梗塞、くも膜下出血、狭心症、心筋梗塞、大動脈瘤、伝染病、急性薬物中毒、がん・・・・などのどうしても医者にかからなければならない病気、怪我と慢性病を区別して、慢性病は生活改善などにより自己治癒力を高めて薬に頼らず自助努力で治すことが大事なのだ。

 薬と検査は患者を病院につなぎとめる必須アイテムだという。MRIとCTの設備率は日本がダントツに世界一なのだそうだ。それが医療費がかさむ原因のひとつにもなっているそうだ。

 ちなみに、私はこれまでに一度もCT検査を受けたことがなく、MRIも希望して脳のMRIを一度やってもらっただけである。

 医療への依存心が体を弱めることになるという忠告を胸に刻むべきであろう。

 アロエは「医者いらず」と言われている。

 

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2009年12月 8日 (火)

健康とは―「9割の病気は自分で治せる」から

 岡本裕医師による健康の定義は次のようである。

 「朝の目覚めがよく、体に痛みや違和感もなく、食事をおいしく摂ることができ、排泄もスムーズで、仕事や勉学への意欲があって、不自由なく活動でき、人に思いやりを持つことができ、そして夜には穏やかに眠りにつける」(P.123)

 私たちの体には、40兆~60兆もの細胞があると言われている。それが日々新しいものにとってかわっているが、外見上は殆ど変わったようには感じない。それは同じ状態を保とうとする素晴らしい力が私たちの体に備わっているからだという。

 そのことを”恒常性(ホメオスターシス)が保たれているといい、この恒常性、あるいは健全性を保とうとする力を「自己治癒力」と呼んでいるという。(P.126)

 この恒常性は姿形だけではなく、生命維持に直接かかわってくる”機能”にも備わっているのだ。例として、体温が挙げられている。健康な体の体温は36.5度c前後である。

 恒常性が健全に保たれている状態が”健康”で、恒常性が崩れてしまった状態が病気だと言えるという。

 そして、中医(中国の伝統医学のことで日本の漢方ではないという)の「未病」という考え方を取り入れて、次ぎのように説明している。(P.128)

 状態 1  恒常性が健全に保たれている状態・・・・健康

 状態 2  恒常性が崩れかけている状態・・・・・・・・・未病

 状態 3  恒常性が崩れ、そのままでは元に戻らなくなっていて、悪化している 状態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・病気

 中国には「上工は未病を治す」(本物の医者は未病の段階で対処して治す)という言葉があるそうだ。そこが発病してから初めて治療をする西洋医学との違いだと指摘している。

 中医のように、未病の段階で、僅かな異常を的確に察知しいて、自己治癒力を高めて早く対処しておこうという考え方が重要だという。(P.130)

 年齢を重ねると、若いときのようには体が動かない場合が多いし、外見上の姿形だけでなく、体の内部の働きも変化することを自覚する。しかし、現代医学のいろいろな検査を受けて調べたデータによって、”健康”と言える状態があることを経験的に知っている。歳をとってもそれなりの健康があるのだ。

 私たちは、年齢相応の「状態 1」を保つことが大事だと思うのである。

 そこで、次に、岡本医師が言う「自然治癒力」について見てみたいと思う。 

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2009年12月 7日 (月)

メタボとダイエット

 昨日取り上げた「9割の病気は自分で治せる」(岡本裕著)によると、メタボ(メタボリックシンドローム)とは、一言でいうと、「ただの食べすぎで、それ以上でもそれ以下でもない。」と書いてある。

 医者にかかってもかからなくても治る病気の代表選手だという。肥満と、高血圧、高脂血症、糖尿病のうち、二つ以上を併発するとメタボになるからだ。

 健康を維持しながら減量(ダイエット)するには、「栄養素を減らさないで、カロリーを減らすしか方法はない。」と言っている。治すには、食べすぎをやめて、運動をすることに尽きるといいう。

 私も経験からそうだと思う。

 以前にも書いたが、メタボを克服するために、一日2食にした。運動としては以前からウオーキングをしていたが、カロリーの摂りすぎで体重が減らなかったからだ。

 結局、7キロあまり体重が減って、61キロ台になり、それ以後は減らないが、62キロ台になったり、たまに63キロを越すと自制をして食べる量をコントロールしている。私の場合、61キロ台が目安である。

 体重を減らすのに必要なものは「体重計」だという。体脂肪が測れるものがよいという。そういえば、以前に「ためしてガッテン」でも体重を毎日測ることを勧めていた。私も、昔から体重は毎朝測り記録している。

 私は、果物が好きでよく食べるので糖分のとりすぎにならないか心配していた。この本には、果物の果糖は甘みを強く感じるが、果物にはビタミンやミネラルなどを多く含むので太る原因にはなりにくいと書いてある。それで少し安心をした。

 ただ、リンゴダイエットとかバナナダイエットとか単品のダイエットは栄養のバランスを崩すのでよくないと言っている。私の場合は、食事はいろいろなものを食べ、デザートとして果物をたくさん食べているのである。

 

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2009年12月 6日 (日)

病気は創られているの?

 2年前から「メタボ(メタボリックシンドローム)」という言葉が一気に人口に膾炙(膾炙)した。政府が40歳以上の人に検診を受けることを義務付けたからである。それで私もメタボ克服を始めて成功したことは以前に書いた。

 新聞広告で「9割の病気は自分で治せる」(岡本裕著、中経@文庫)を見て買って読み始めた。その本によると、病気にはどうしても医者にかかって治さなければならない病気と医者にかからなくても自分の努力で治せる病気があるという。

 高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満、便秘症、頭痛、腰痛症、不眠症、自律神経失調症・・・・などは、その殆どが自分の努力で治せる部類に入るのだという。

 こうした症状で医者にかかっている人は3000万人以上いるのではないかと推定している。これらの患者は医者にとっては、儲け口になる患者(岡本医師の表現では「おいしい患者」)ということになる。なぜかというと、こうした患者はまず「命にかかわらない」し「完治しない」し、医療事故になることもないので安心して対処できるのだ。そのほとんどは慢性疾患だから、定期的に薬を求めて来院するのでよきリピーターなのだ。

 中には何種類もの薬を処方されて飲んでいる人もいるが、薬の多さに自分で適当に減らしているひともいる。医者の方はそんなことはおかまいなしだ。稼ぐには薬を出すことが一番のやり方だからだ。

 また検診をすることも儲けにつながる。「完治しない」から定期的に検査を勧めて検査料で稼げるのだ。

 だから「おいしい患者」つまり医者にとって有難いということなのだ。

 政府も新聞などのメディアも最初に列挙した症状のものはしっかり治療をうけないといけないと叫んでいるから、我々も治療は大事だと信じ込まされている。

 ところで、糖尿病や高血圧などの基準は突然かわることがある。

 日本糖尿病学会は1999年5月に急に、血糖値126mg/dl以上を糖尿病と決定した。4月末までは、140mg/dlで全くの正常値であった人が、一晩で糖尿病になったことになる。その数は数百万人と考えられる。

 高血圧についても2000年に、それまで160/95mm Hgだった基準値が140/90mm Hgに引き下げられた。それで一気に高血圧患者が3000万人増えたという。それまでは2000万人だったというから、増えた人数の大きさが半端じゃないことがわかる。

 その上2004年には、130/85mm Hgが正常範囲となったので更に高血圧症患者が増加したのだ。

 コレステロールについては、日本動脈硬化学会では、治療が必要なコレステロール値を220mg/dl以下としている。しかし、220~280mg/dlの範囲の人が一番長生きをしているそうで、似たようなデータは山ほどあるのだという。例えば韓国でも211~251mg/dlの死亡率が最低というデータがあるそうだ。

 メタボの目安とされる腹囲でも日本では男性が85cm、女性は90cm以下とされているが、これについても諸外国と比較して議論のあるところである。

 このようにある意味では「病気は創られている」と岡本医師は指摘するのだ。

 9割の病気は自分で治せる (中経の文庫)

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2009年12月 5日 (土)

偽装?酒の一合ビン

 キオスクとかコンビになどで正一合(180ml)入りのガラスの酒ビンに入った酒を売っている。また、居酒屋や飲食店でもそういうビンに入った酒を出しているところがある。

 ガラスの一合ビンは蔵元で詰めて封をしたものであり、客としては、「ああ、正真正銘の一合の酒が入っているのだ。」と安心して飲むことができる。何故なら、普通陶器のお銚子に入れて出される酒は、殆どが上げ底で7勺ぐらいしか入っていないからだ。

 先日、知人と餃子で有名な「王将」に行って、餃子などの他に、酒も注文した。店員にどんな酒があるか尋ねたら、銚子の形をしたガラスの一合ビンに入ったメーカー品の「大関」を持ってきて、「これです。」と言って見せてくれた。「ああ、この店は正真正銘の一合ビンを使っているのだな。」と思ってそれを注文した。

 いざ、酒が運ばれてきて飲み始めた。しばらくして、どうも酒がすぐになくなることに気がついた。変だなあと思ってビンを確かめると、小さな字で144mlと書いてあった。道理ですぐになくなるはずだ。

 一緒に飲んでいたOさんにそのことを話すと、「そうなの?私もいやに早くなくなるなあと思ってたんですよ。」と言った。

 「大関」でガラス瓶で・・・と来れば、先入観として正一合ビンだと思ってしまう。それが店の狙い目なのかもしれないと思う。どうせ客は酒に酔ってそんなことまでは気が回るまいと高をくくっているに違いない。

 それにしても・・・・、と私は思った。天下の灘の生一本で鳴らしたあの「大関」がこともあろうに、いくら営業のためだとは言え、144mlのガラス瓶入りの「偽装!大関」を造っていたとは!!

 一頃偽装問題で世間が騒がしくなり、偽装はなくなったと思っていたが、まだあるのだ。

 もっとも、彼らには偽装ではないという逃げ道がある。それはビンには144mlと記されているし、一合入りだとは言わなかったからだ。大関酒造にしても、王将に頼まれて作っただけと言うに違いない。

 要は、心理的な問題なのだ。客が私のように騙されたと感じるかどうかの問題なのだ。

 しかしながら、このような一見取るに足らないようなことでも、続けているとその内に大事な信用を失うことになるであろう。そのことに気がついていないならばビジネスのイロハも知らないということである。

 

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2009年12月 4日 (金)

やっと季節性インフルエンザの予防接種をした

 例年なら、10月に入ると季節性のインフルエンザの予防接種をするのだが、今年はH1N1型インフルエンザに気をとられていて、すっかり忘れていた。

 11月の半ばに娘に聞いたら、既に季節性インフルエンザの予防接種をしたと言った。あわててかかりつけの医院に電話したら、12月に入らないとわからいということであった。とりあえず、予約だけしておいた。

 12月になったので電話をしてみたら、いつでもOKということで、2日に予防接種をやりに行った。

 医院には、「今年は季節性インフルエンザのワクチンが少ないから早めに予約をするように」と書いて貼ってあった。

 予防接種を受けるときに、医者に、「H1N1インフルエンザの予防接種の順番は私たちには回ってこないのでしょうね?」と尋ねた。医者は、「回ってこないでしょうが、新型インフルエンザの予防接種を高齢者はやらなくてもいいですよ。」と言った。

 新聞にも書いてあったことだが、高齢者は、新型インフルエンザの抗体を持っている可能性があるそうだ。現在、主に罹っているのは子どもや若い人たちだそうだ。それよりも季節性インフルエンザの予防接種をやっておいた方がよいと言っていた。

  コーラスグループでその話をしたら、「孫が2人とも新型インフルエンザに罹ったが、大人は誰も罹らなかった。」と言った人が、2人いた。そのうちの一人は、「101歳の母がいるので心配したが罹らなかった。」と言っていた。高齢者は罹り難いのかもしれない。

 ワクチンの効果が現れるまでに2週間で、それから5ヶ月間有効だということだ。私の場合、12月の半ばに効きはじめて、来年5月まで効力があるということになる。

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2009年12月 3日 (木)

若者の言語能力の低下

 18日のNHKクローズアップ現代で、若者の言語能力が低下した問題を取り上げていた。

 例として面接の様子をやっていた。それによると、あらかじめ準備した事柄については答えられるが、予期しない質問にはどう答えたらよいかが分からなくなり、答えに詰まってしまうのである。その場面では、「あなたの出身地の岩手県の特徴につい説明してください。」というものであったが、答えられなかった。

 受験勉強で丸暗記に頼り、考えたり、まとめたりする力が弱くなっているのかとも思うが、番組では、「幼児期や幼少期の親子の会話不足」を一因として指摘していた。親が多忙であったり、貧困であったりして子どもに十分にかまってやれない状況もあるというのだ。

 前にも取り上げたが、脳の働きからみると3歳までの会話による脳の刺激が大事であると言われている。その時期には親子の会話が中心になるだろうし、その中で言語能力も養われるのだ。

 また、友達との関係も大事だ。室内でゲームをして、殆ど会話をしない過ごし方も関係がありそうだ。携帯電話を持つようになると、特殊な略語のような単語でメールをし、文はあまり使われないようである。こうしたことも相当に影響していると考えられる。

 私が子どものころは、近所の友達と外でさまざまな遊びをし、会話を交わしていたし、中学以上になると勉強以外の事柄について友達とよく話をした。高校時代には、友達としょっちゅう議論をしたものだ。

 大学に入っても同じである。喫茶店に行けばとめどもなくおしゃべりをした。それこそ談論風発であった。

 私は、小学校低学年のときには作文が大の苦手で、当時作文の教科書もあったが、宿題に出された作文に全くてがつけられず、親も手伝おうとしたがお手上げで何も書かずに提出をしたことを鮮明に覚えている。

 戦争が激しくなって勉強どころではなくなったので作文になやまされることもなかった。

 そんな私だが、大学の卒業論文は書いたし、職についてからも研究レポートなどをよく書いた。何も特別に勉強をしたわけでもないが、不自由は感じなかった。

 きっと読書をしたり、友人と議論をしたりしたことが役立っていたのだと思う。

 思考は脳で言語を使って行われるし、判断も言語を使って行われる。意識すると否とにかかわらず、殆どの場合言語がかかわっているのだ。コトバは単にコミュニケーションの道具だけではないことを認識すべきである。その上で言語能力をどのようにして鍛えるかを考えるべきである。

 

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2009年12月 2日 (水)

自然の恵みの詰まった到来物

 先日、MTさんがmaronさんから言付かったと言って、柚子とレモンを届けて下さった。

 レモンはまだ青いがとても大きいものであった。妻は早速レモンを玄関に飾った。また、葉がついている柚子は部屋に飾った。そして、その日の夕食にレモンを中に具を詰めた料理を造った。洒落た1菜になった。

 maronさんの庭は広くて自然のままのにしてある。大きな木や小さな木、果物の木などが豊かに気ままに伸びている。

 翌日お礼の電話をしてお聞きしたら、レモンも柚子もたくさん実をつけたとのことであった。他にも果物の木があるが、お知り合いの人から、「うちは手入れをきちんとしているのに、お宅の方がよく実がなりますね。」と驚かれると言っておられた。

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 私は、以前に取り上げた木村秋則さんの奇跡のリンゴの話をしたら、maronさんも自然のままにして、草もはやしていると言われた。でも、見事な果物がなるのだ。自然の力は大きい。

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 昨日は、Mさんから電話があり、「自然薯を掘っているから来ませんか。」ということで、早速Mさんのお宅に伺った。初めて行ったのだがお家の周りに広い畑があり、金柑や野菜や柿木や花などいろいろな物が

雑然と植えられていた。

 行くとOさんが自然薯を掘っていた。ムカゴをまいて3年ぐらいたったものだという。

 Mさんの畑も自然のままという感じであった。ここでも木村さんの自然農法の話しをしたら、Mさんは、「私も自然の栽培がいいと思っています。農薬は使いません。」と言われた。案内されて小松菜などの畑を見ると、小松菜はまだよいが、壬生菜には虫に食われた穴がたくさんついていた。

 金柑はこれまでに見たことがないもので、橘ぐらいの大きな実をいっぱいつけて日に輝いていた。もいで食べさせてもらったら、種が少なくて甘い金柑であった。

 Mさんの畑を見てふと先日取り上げた山口の作業療法士のことを思い出した。あのようなバリアアリーの介護をするにはぴったりの場所であった。その話をMさんにした。

 帰りに金柑や小松菜や自然薯や山茶花の花を頂いた。こちらも太陽の恵みがいっぱいの自然の作物であった。

 帰宅したら、妻が頂いた金柑と花を花瓶に生けた。

 ここ数日の間に、名古屋市内と市外の2箇所から、似たような考えで木や作物を育てておられる自然の恵みの作物を頂いた。大変幸せな気分である。

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2009年12月 1日 (火)

市民の第九コンサート2009

 11月29日(日)に、金山の中京大学市民文化会館オーロラホールで、「市民の第九コンサート2009」が開かれた。

 指揮は、北原幸男、ソリストは、バリトンが末吉利行、テノールが錦織健、ソプラノが水谷朋子、メゾソプラノが相可佐代子、合唱は、5月に抽選で選ばれた400名の市民コーラス合唱団で、男性が140名、女性が260名であった。大半は高齢者が占めていた。

 毎週月曜日に24回の練習を重ねてきた。第九を歌うのは初めてという人もいた。最高齢は88歳ということであった。初めの頃、男性は一人ひとり歌わせられたが、まともに歌えない人も多かった。 練習途中では、ソプラノがよく指導を受けていた。

 前日のリハーサルのときに、並びを決めたが、背が高くてもずうずうしく前に行く人もいた。私は参列目に入った。センターでソリストのすぐ後ろであった。

 リハーサルのとき、アルトノ女性で一人体調をくずし休養をする人がいた。リハーサルでは2回オーケストラと音を合わせた。歌いだしにうまく入るのが難しかった。

 本番の日リハーサル室に並ぶと、上着を列車に忘れてきた人がいた。発声練習をしたあと舞台に上り、ゲネプロで1回だけ音合わせをした。そのとき、「リラックスすることと3階に向けて歌うこと」を言われた。

 1時間半余りの休憩時間は長かった。中には1度自宅に帰るという人もいた。私は持って行った本を読んだが途中で眠くなり、やめて外に出たり、入り口のソファで休んだりした。

 16時10分に、リハーサル室に入り、最後の発声練習をした。16時40分に舞台に向かった。舞台裏で待つこともなくすぐに舞台に上がった。第3楽章は、静かなゆったりとした曲なので指揮者のタクトを見ていると催眠術にかかりそうであった。とにかく直立不動をしていた。ライトの照明で汗が出たがぬぐうこともできななった。

 第4楽章に入り、曲想が変わった。待っている間に緊張してきたので「リラックス」と心の中で言った。バリトンが歌い、「フロイデ」の合唱が入るのだが、私は少し遅れてしまった。

 4番目の「ザイトム シュルンゲン・・・」で入るパートには、一番高い音がある。その部分は無理に出すといけないと思って口パクにした。

 指揮者のタクトをよく見ながら、客席の3階をめがけて歌うようにした。ソリストたちが合唱をし、コーラスが「ダイネツアオベル・・・」と入るところも少し遅れてしまった。その後はみんなと一緒に歌うことができ、「ゲッテルフンケン」のエンディングを迎えることができた。後は、オーケストラが激しくエンディングを演奏して、指揮者がタクトを振り上げて終了した。

 数人の人が「ブラボー」と叫んでいた。ソリストと指揮者の出入りが3回あって終わった。明るくなって客席を見ると4回までひとで埋まっていた。足が棒になっていた。

 ベートーベンは日本でこれほどまでに第九が歌われるとは夢にも思わなかっただろうと思った。第二楽章の終わりにコーラスが入場するのはそれほどポピュラーになるとは思っていなかったからに違いない。

 第九を歌い終わって、ホッとすると共に達成感も味わうことができた。

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