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2009年11月10日 (火)

輪廻説について

 街の宗教の中には輪廻説を取り入れているものがあり、前世は何であったかとか死後は何かに生まれ変わるとか言って人を惑わせているものがある。仏教の中にも輪廻説が入り込んでいるものがあるのは周知の通りである。

 この輪廻説は、元はといえばインドに古くからあったものだ。その辺のことを「仏教誕生」(宮元啓一著、ちくま新書)の冒頭で簡明に説明されている。引用しよう。

「仏教が成立する思想背景として、まず挙げなければばらないのは、輪廻説と、それに伴って生じた解脱論である。

 このうち輪廻説というのは、

①自らがなした行いの報いは、必ず自らが受けるものであるという、自業自得を骨子とした因果応報の法則と、

②生きとし生けるものが現在このような境涯にあるのは、それぞれの前世の行いの報いである、あるいはまた、来世の境涯は、今生の行いの善し悪しによって決定されるという観念との

 この二つよりなる。」(①②や行かえは分かりやすくするため筆者がした)

 また、次のようにも述べている。

「輪廻説はまごうことなき差別思想であるが、生きとし生けるものそれぞれ自ら責任の所在を白日の下にさらしたという点で、世界の思想史上並ぶもののない徹底した自己責任倫理だ」という。

 日本にある「親の因果が子に報い」(またはその逆)などは本来の輪廻説ではないという。

 現在の学界の定説では、輪廻説は、紀元前1500年前後にインド・アーリヤ人が侵入してくる以前から住みついていた先住農耕民族が伝えていたものがもとになっているとされる。そして前述の輪廻説として完成したのは、インド・アーリア人のようだというのだ。(以上、P.14~P.16)

 釈迦は、輪廻説そのものを否定した。前世も死後の世界はないとしたのだ。私も輪廻説は頭から否定する。 再生説はエジプトなどにみられるが、輪廻説は古代にあってはギリシャとインドにしか現れなかったという。

 問題は現代においても輪廻説がはびこっていることである。 こういうものは人を惑わす最たるものだと思う。それにより金を儲ける者にとって都合がよいだけである。

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宗教」カテゴリの記事

コメント

「親の因果が子に報い」というのは、見世物で使われていましたね。これは本来の意味とは違った使い方だということです。
 それはそれとして、「縁」というのは、運命的な側面を持っていますね。連れ合いだけでなく、人と人の出会い、人と物との出会いも「縁」あってのことだと思います。
 今日私はパセリを買ってきましたが、袋に生産者の名が入っていました。パセリも生産者も私との「縁」があったのですね。

親の因果が子に報い・・・と言う言葉を小さいときから耳にして育ちました。仏教に関心を持つようになり因果応報にその事とだぶります。よく母が因縁だよと私の話を黙って聴いていて言いました。縁あって今の夫との生活があるのでしょうね。

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