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2009年11月

2009年11月30日 (月)

伴侶を失った後の男性と女性の寿命の差

 奈良市に音楽療法推進室というのがある。奈良市では全国に先駆けて「音楽療法士」というのを認定し、12名の療法士が活動しているそうだ。

 その推進室長の荒井敦子さんと永六輔さんの対談を中心にして書かれた、「歌の力」(PHP研究所刊)を図書館で借りてきて読んでいたら、面白い数値が出てきた。その部分をそっくり引用する。ちなみにシルバーコーラスというのは、推進室が作ったもので会員が1400名にも広がっているのだという。

永 「シルバーコーラスといえば、女性が圧倒的に多いじゃないですか。

荒井「はい。男性もいらっしゃいますが。」

永 「男性もいますけど、シルバーコーラスって女性が圧倒的に、長寿者も当然女性のほうが圧倒的に多いんですね。

 そこでちょっとこれは覚えておいてほしい数字なんですけど、僕、もう七十ですが、(現在は74歳か)この前もシルバーコーラスの皆さんと話をしてて、六十歳以上のご夫婦で、ご主人がもういないんだという方がいっぱいいらっしゃるんですよね。当然ですけど。それは順番ですから。僕自身がそうですけど、夫が妻を看取るケース、それと妻が夫を看取るケースとあるんですね。

 で、妻が夫を看取るケースが85%、夫が妻を看取るケースが15%。これは夫婦の年齢差もありますし、平均寿命の長さも違いますから、大部分が妻が夫を看取るというケースになるんです。これは仕方がないと思うんです。

 許せないのはね、看取った後何年生きるかっていうことなの。夫が妻を看取った後、その夫の平均寿命は5年ですよ。妻が夫を看取ると22年いきているんですよ。(会場大爆笑)許せます、そういうの。

 その22年がシルバーコーラスにいっぱい入ってきてるんですよ。夫を看取ると妻は妙に若やいでね。歌なんか歌いたくなったり、いろいろするんですよ。だからシルバーコーラスの皆さんが生き生きして、若やいでて、美しい方が多いんですね。本当に。

 あの年のとり方は、シルバーコーラスのメンバー、イコール音楽療法士なんですよ。僕に言わせれば。

荒井「そう!そなんです。」

 とうことで、シルバーコーラスのメンバーが地域でのさまざまな活動をしているという。

  伴侶をなくした後の男性と女性との差が平均値で17年もあるとは知らなかった。女性が長く生きられるのは、生き方が男性と異なるからだと思う。若いときから女性は文化活動などに興味を示し、コンサートや映画や演劇や展覧会などに行っても断然女性が多いし、サークル活動でも女性が圧倒的に多いように思う。

 地域活動をしている人でも女性が圧倒的に多い。

 参考

 音楽療法は、音楽を使って心の豊かさや健康を回復することを援助するものです。奈良市では福祉施策のソフト面充実をはかるため、先駆的に音楽療法を導入しています。

音楽療法推進事業の3つの柱◆
Ⅰ.音楽療法の実践・普及
Ⅱ.地域交流活動の促進
Ⅲ.音楽療法研究と啓発

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2009年11月29日 (日)

マジック・奇術・手品・手妻・妖術などなど

 図書館で興味を惹く本を見つけた。泡坂妻夫という作家が書いた「大江戸奇術考」(平凡社新書)である。泡坂妻夫氏は、直木賞受賞の推理小説などを書く作家であり、奇術家でもあった。私も「トリック交響曲」や「しあわせの書」という奇術をからめた小説を買ったことがある。

 「大江戸奇術考」のP。12に、マジックや奇術などの言葉について触れている。

  英語のマジックというのは、今では大変知れ渡った言葉であるが、この本によると、マジックの本来の意味は、「魔法」のことだという。辞典には、

① 魔法、魔術 ②魔力 魅力 ③奇術

「奇術」という意味は、3番目なのだ。超常的な魔法も、合理的な奇術も一緒にされている。ブラックマジックもホワイトマジックも同じマジックで言い表されている。

 日本語の「奇術」という言葉も古いが、明治以後にホワイトマジックの意味で、広く使われるようになったという。奇術には魔法の響きはない。

 江戸時代には、手妻、手品ということが多かったが、これは英語でいうとトリックに当たるという。

 では、マジックに相当する日本語は何かというと、「怪術」「仙術」「秘事」などで、いずれも江戸時代の奇術伝授本の中に出てくるという。

 ブラックマジックに当たる言葉では、「鬼道」「外術」がある。いずれも仏教から出た言葉で「鬼道」は「幻術」「妖術」の類、「外術」は仏教の法に外れた魔法をいう。

 以上が引用部分である。

 奇術伝授本の中に、呪いや占いなどの術が少なからず含まれていたということは、奇術とそうしたものが同じように捉えられていた部分があるからに違いない。

 また、「鬼道」「外道」のように、仏教と関係していた術があるということは、重要である。何故かというと、仏教が祈祷などと絡めて、秘術として、本来の仏教の教えから外れたところ人々を惑わしていたことを示すからだ。しかも、仏教外で行われたものを「外術」として区別していたというのだ。

 マジックの歴史は古く、エジプトの壁画にも出てくるという。古代には、おそらく怪しげな不思議な術を使って人々を恐れさせたり、威服させたりする人がいたのだろう。泡坂氏は、そういう人たちは、自然現象などの偶然に頼って不思議な現象を見せていたと言っている。

 私は、言葉としては、「手品」という言葉が好きである。それは、自分が手練手管のマジックやショー的なマジックができないこともあるが、何よりちょっとした身近なことで人を「オヤッ?」と思わせる程度のマジックでいいと思うからである。それには「手品」という言葉がふさわしい。もっとも、「手品師」という言い方もあるが、私は「師」ではないので単に「手品」でいいのである。

 

 写楽百面相  泡坂妻夫

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2009年11月28日 (土)

プロフェショナル「作業療法士 藤原茂」を見て感動

 録画しておいた「プロフェショナル 作業療法士・藤原茂」を見た。11月18日にNHKで放送されたものである。

 藤原さんは、山口市にある「夢のみずうみ村」という通いの介護・リハビリ施設を経営している。送迎の自動車には大きな字で「夢」という漢字が書いてある。

 この施設に通う人は、1日100名ほどで、脳卒中などで後遺症を持つ人たちがリハビリに来るのだ。施設には、全国から見学者が引きもきらないという。NHKの前にもテレビ朝日で紹介されたようだ。見学者が多いのは、この施設の藤原さんのリハビリのやり方や考え方が大変ユニークで、しかも効果をあげているからである。快復率が日本一なのだそうだ。

 一番快復した人は、要介護5から2になった人だという。

 夢のみずうみ村では、藤原さんの言う「バリアアリー」の工夫が至るところに見られる。

 わざわざスロープをつけた廊下のあるところ、階段、廊下に置いてあるさまざまな高さの箪笥、頭がぶつかるように吊り下げた看板、高いところや低いところに貼った漢字熟語などのクイズ・・・・・。

 また、廊下や階段などには、「青春の・・・」とか「裏人生」とか面白い名前がつけてある。歩いた距離がわかるように10mごとに言葉が書いたものを下げてある。

 藤原さんは、バリアフリーは人を駄目にするという。バリアを設けることで自然と手や足や腰など体の部分を使うことになり、自然のうちに体を動かすリハビリになると言うのだ。

 昼の給食は自分でメニューを選び食べたいものを食べる。それを記入するのも利用者が自分でやる。できるだけ自分でやる、それも自分からやるように気持ちを変えていくのだ。

 面白いのは、施設内ではYUMEという独自の通貨を使うことだ。その通貨がないと施設内では何もできない仕組みである。

 通貨を増やす(減らすことも!)ために、施設には「カジノ」があり、そこでカードやルーレットなどの博打をして遊ぶのだ。利用者たちは嬉々として遊んでいる。

 旅行に行くときも、わざわざ困難なところを選んで歩くようにしている。

 舟で海に出ての魚釣りも楽しみながらのリハビリの一環である。

 施設には60mの広いプールもあり、水中歩行などのリハビリができる。

 藤原さんは言う。「障害があることで一番輝いていないといけない。」

 実際、現在施設で片手だけの料理教室の講師をしている臼田さんと言う人は、「脳卒中で障害を得て今は最高の人生です。」と話している。

 彼女は50歳の頃、脳卒中で左手が麻痺し、言語も不明瞭になり、車椅子も動かせなかった。それで人生に絶望し、死ぬことばかりを考えていたそうだ。それがこの施設でのリハビリと、好きな料理を右手だけでやること、それを人に教えるようになって生きがいを見つけた。そして今は表情も明るく、言語も元通りになり、歩けるようになった。

 藤原さんは、人の役に立つこと、自分が好きなことをやることがリハビリに大事だと言う。

 世の中には、素晴らしいプロフェショナルがいるものだと感心すると共に見ていて涙が出た。こういう作業療法や介護が広まっていくといいだろうと思った。

 茂木さんは、言わなかったが、脳には可塑性があり、補完性があり、ある部分が駄目になっても、体を使うことにより、脳が快復し、体を動かすようになるのだ。

 

 

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2009年11月27日 (金)

J.Sバッハ 音楽の捧げもの&ソプラノカンタータ

 11月26日(木)に、宗次ホールで開かれたランチタイム・コンサートを聴きに行った。「J.Sバッハ 音楽の捧げもの&ソプラノカンタータ集・抜粋」というコンサートである。

 我が昭和男爵コーラスの指揮者の加藤佳代子先生がソプラノカンタータを歌われた。出演者は、他にはフラウト・トラベルソというリコーダーのようなフルート奏者の片岡博明さん、バロック・ヴァイオリンの荻野美和さん、ヴィオラ・ダ・ガンバの頼田麗さん、チェンバロの鈴木美香さんであった。

 プログラムの第1部 「音楽の捧げもの」は、楽器の演奏で、チェンバロの鈴木さんがテーマのメロディを解説された。「3声のリチェルカーレ」、「王の主題による無限のカノン」、「反行カノン」、「螺旋カノン」、「トリオ・ソナタ第2楽章」の5曲で、みな小品で可愛い感じの曲や親しみやすい曲であった。

 第2部は「ソプラノカンタータ集」で、加藤先生が1曲ごとに解説をされた。曲は「ああ、なんてコーヒーはおいしいんでしょう」「結婚カンタータより、レスタティヴォ、アリア」「いと高き神よ あなたの御恵みを」「すべては神とともにあり」の4曲であった。

 コーヒーカンタータは、バッハがこんな曲も作ったのかと思った。当時カフェで盛んに歌われたそうだ。楽しい曲である。

 最後の「すべては神とともにあり」は、2004年に偶然に発見された曲だそうだ。作品番号はRWV1127である。チェンバロの右手は自由に弾いていいのだそうで、こういう珍しい曲を紹介されたのはよかった。

 加藤先生はにこやかに登場され、時々笑みを浮かべて歌われた。バッバの曲は先生の声にぴったりだと感じた。

 このメンバーはみなさんがバロック音楽の愛好家だそうだ。演奏されたバッハの曲はいずれも聴きやすくて癒される響きをもっていた。ほぼ満席の客はみな昼のひと時をよい音楽に浸ることができた。

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2009年11月26日 (木)

マンマミーア!天下り法人

 民主党主導の連立政権にも自民党のような政権運営がチラホラして期待はずれのところもあるが、仕分けによる予算編成の透明化とか「天下り法人」の隠されていた部分が明らかにされるのはいいことだ。

 11月22日の朝日新聞朝刊では、「あきれた天下り法人」という3段抜きの見出しの記事が載った。それによると「大日本水産会」は天下り役員が22名で事務職員がたった1人というとんでもない構成である。また、「日本食生活協会」と「すこやか食生活協会」という似たようなものが並立し、天下り役員がそれぞれ5人ずつである。

 このような公益法人が他にも7つあり、OBが53人も天下っている。これらの役員の給与は年1200万円から1600万円の高給である。

 民主党は、天下りポストの公募を始めたが、給料は1200万円から1800万円に据え置きだそうだ。それについては、職務内容と照合して妥当であるかどうかの検討もしていないのだという。

 また公募制度が、元官僚の就職を合理化する隠れ蓑になる恐れもあるという。結果として元官僚が採用されるだろうというのだ。

 衆議院調査局の調査(08年度)によると、約4600もの法人に25000人余の元官僚OBが再就職し、年間約12兆円もの国費が流れているそうだ。民主党は選挙でこうした実態を問題視して、根絶を訴えたというが、実際は、郵便会社の社長人事や人事院総裁人事に象徴的に見られるように元官僚が任ぜられているし、上述のように高給がそのままになっていたり、公募が隠れ蓑になっていたりしている。

 公益法人には多額の国の金がプールされていることも明らかになった。金がないと言いながら国費がいい加減な使われ方をしているのだ。

 民主党は、本気になって天下りの公益法人や独立法人のチェックに取り組み無駄なもの不要なものは廃止し、補助金や給与を透明で国民の感覚から見て妥当なものにすべきである。

 蓮紡仕分け人によると、文部省へのemailが20000通も殺到したと言うから、mailを送るのも一つのよい手段であろう。

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2009年11月25日 (水)

楽しみは晩酌

 若山牧水の「白玉の 歯に染みとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」ではないが、秋は酒がおいしい。特に清酒がいいと思う。

 私は高級な酒、高い酒は飲まない。家計に響くからだ。成るべく安くてよさそうなのを探して飲んでいる。清酒にしても焼酎にしても今は種類が豊富に出回っているので探すのが楽しみである。

 最近は「家飲み」といって自分の家で飲むのが流行っているらしい。不況のせいだろうと思う。私は、昔から「家のみ」である。外ではたまの付き合いのときにしか飲まない。

 夕食のときに、安酒を手酌で飲むのが長年の習慣である。家で飲むときはほとんど飲みすぎをしない。心がけているからだ。だいたい1日に2合程度である。程度というのは400ccのときもあるからだ。

 一年を2シーズンに分けて、4月から10月はビールもどきを飲む。昔はビールしかなかったからビールを飲んだが、最近は一番安い第3のビールである。これも種類が多くて選ぶのが楽しみである。

 10月から4月頃までは酒のシーズンである。もちろん焼酎を飲むこともあるが。

 酒も焼酎もビールもどきも、酔うために飲むのではなく、味わって飲む。ほろ酔いになるのは結果である。舌にのせた、あるいは喉を通る味わいを楽しむ。

 晩酌のときは、おかずをたくさん食べる。夕食のおかずは酒と共になくなってしまう。だからご飯は漬物や大好きな自家製昆布の佃煮や味噌汁で食べる。

 夕食がすんでしばらくするとほんわかとした気分になり、眠気を催す。勤めているころは、それでも仕事をしたものだが、退職後は仕事の必要がないので眠くなったら床に入る。その時が至福の時、極楽である。

 横山大観は95歳だったかで死ぬまで酒を飲んだ。若山牧水は、酒に溺れて48歳かで亡くなった。私は、牧水よりは遥かに長く酒を飲んだことになるが、大観に比べるとまだ先が長い。果たしていつまで酒が飲めるのか?

 酒は健康のバロメーターでもある。

素敵な仲間達♪

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2009年11月24日 (火)

「悟りは3秒あればよい」の矛盾

 「悟りは3秒あればいい」(小林正観著、大和書房)を、題名に惹かれて図書館から借りてきた。最初、仏教関係かと思って読んでいたが、途中でそうではないと分かった。

 彼は、我々の人生は、前世で自分自身が書いたシナリオによって決まっているのだという。40数年かけて超常的な現象や超能力などを研究してきた結果として、宇宙構造がそうなっていると思ったと言うのだ。

 P.74~75を引用する。

 「最初に断っておきますが、私はガチガチの唯物論者です。実証できないことは信じません。

 そして、唯物論者として、多くの事実を突き詰めていった結果、宇宙にそんざいする事実が三つあることに気付きました。

 一つ目は、『神・仏・守護霊・精霊というものが実在する』ということ。

 二つ目は、『生まれ変わり、輪廻転生というものが存在する。』ということ。

 三つ目は、『人間は生まれてくる時に、自分が生まれてから死ぬまでのシナリオを全部書いてきた』と言うこと。これが宇宙的事実の大きな三本柱です。」

 三つ目の部分は一種の「運命論」と言うべきものである。

 ところで、実証できないものは信じないと言っているが、神・仏・守護霊・精霊の存在をどのようにして証明するのかについては述べていない。彼は、しばしば釈迦を引き合いにだしているが、釈迦は、賢明にもこういうものについては言及しなかった。況や現代科学をもってしても証明のしようがないことである。それに神と言ってもいろいろある。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥ教、日本の八百万の神々・・・。そのいずれもが存在するというのであろうか?

 次に、輪廻転生であるが、これも実証のしようがない。これについても釈迦は否定をした。

 三番目の、シナリオであるが、これとて実証のしようがない。シナリオとは今のコンピュータのコトバで言えば、プログラムのことである。現人生の全てにわたって、前世で自分自身がプログラムを書き、それがインプットされているのだというのだ。まるでコンピュータで動く人生である。私が、こうしてパソコンで文章を書いていることも、プログラム通りにやっていることだという。

 しかし、「悟りは3秒あればよい」を読むと随所にこのシナリオ論と矛盾することが述べられている。

 「もし、どうしても選択に迷ったら、どちらに風が吹いているか、川が流れているかを考えてみて、その流れている方を選ぶ。」(P.86)と分かりにくいことを書いているが、シナリオで決まっているのならなにも選ぶこともないのだ。

 「念を入れて生きること」(P。88)といい、今を大事にせよと言っている。しかし、これもシナリオで決まっているのだから、念を入れるも入れないもないのだ。

 P.98には「私たちは、ドミノ倒しのように、次から次へと『因』と『果』を積み重ねて人生を歩んでいます。」と書いている。因縁生起は釈迦の説くところであったが、シナリオ論からすると「因」はシナリオなのだ。「果」がその人の人生ということになる。だから人生で起きる全ての事柄は因果関係があるにせよ前世で自分が決めてきたことなのだということになる。

 前世で書いたシナリオ通りの人生なのだから、今更「3秒で悟る」必要もないのだ。人生はプログラムで進むのだから、どうしようもないものなのだ。あるがまま、なるがままに生きるしかないということになる。

 20日の朝のNHKニュースで、インフルエンザでお寺や神社が繁盛していると言っていた。インフルエンザに罹らない様に、罹ったら軽くて済むように、受験の時にインフルエンザが収まっているように・・・といった願いで神社仏閣にお参りする人が増えているのだという。

 科学の発達した現代でも、神や仏に頼りたくなるのが多くの日本人の心情らしい。だから、そういう人たちがいる限り「悟りは3秒あればいい」のような本を信じる人もいるのだ。鰯の頭も信心からとはよく言ったものだ。

 ちなみに著者は、心理学博士、教育学博士、社会学博士で、年に300回以上も講演をしているのだという。

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2009年11月23日 (月)

朝日新聞「声」欄―戒名断り母は無宗教墓に―

 11月20日の朝日新聞「声」欄に、見出しのような投書が載った。一部を引用する。

「菩提寺が遠かったこともあって、別の寺の住職に通夜と葬儀を頼んだら、菩提寺から、戒名を授けて本葬儀をしないと母が浄土に行けないと言われた。戒名50万円、本葬儀60万円だが、両方で80万円にまけるというのだ。

 生前に仏の道に功徳をつんだ人間に、位の高い戒名を与えるというが、実際はお布施を払った後に授かることになる。それなら(戒名の)販売と言った方が分かりやすい。以前から高額で価格もあやふやな戒名に不信感を抱いていたので『要らない』と言ったら、『出て行け』と言われた。」

 それで無宗教で俗名の墓にしたのだという。

 普通なら110万円だが80万円にするといったのは、既に葬儀を済ませてあるからのことであろう。それにしても高額な請求である。お寺にしてみれば、ぜいぜい40分ほどお経を読んで戒名を書くだけではないか。坊主丸儲け。ベラボウというのはこういうことを言うのだ。

 菩提寺によって葬儀をしないと「浄土」に行けないというのもおかしい。「浄土」と言うのだから、多分浄土真宗系だと推察されるが、この宗派では死ねばみな「仏」になると言っているのだ。「善人なおもて往生す。況や悪人おや」と言っているではないか。葬式の形態など関係ないのだ。しかも、通夜も葬儀もやっているのだ。

 これは菩提寺が自分のところでやらないための腹いせである。こんなことを平気で言う坊主こそ似非坊主である。親鸞が聞いたら一喝するに違いない。親鸞を冒涜するも甚だしい。

 釈迦は自らの菩提を弔うことも要求しなかったし、死後の世界には触れなかった。墓など要らないと考えていたのである。

 この方が無宗教の墓を造られたのは立派である。それでいいのだ。

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2009年11月22日 (日)

出家とブッダと悟りについて

 ブッダというと普通は釈迦のことを指すが、インドでは釈迦以前から出家をして苦行によって聖者になろう(悟りを開こう)とする人たちが存在した。

 出家とは、家を捨て家族を捨て世俗の生活を捨てることである。だから例えば初期ジャイナ教では衣さえ捨てて全裸で生活をした。それほどではなくても、毛皮、木の葉、ぼろ布などの衣をつけていた。(ちなみに釈迦像の耳たぶに穴があるのは出家以前にイヤリングをつけていた穴だそうだ。)

 食も乞食をするか、野生の草、木の実、木の根などをとってそのまま食べた。寝るときは岩の穴とか大きな木の陰などで寝たようだ。

 現代の我々から見れば、想像を絶する、動物のような生活をして悟りを開こうとしたのだ。

 以下、「仏教誕生」をもとに概略を書く。

  「この時代に解脱した者(覚者)はブッダとか阿羅漢と呼ばれて数多く存在した。彼らは沙門という非バラモン系の出家で、紀元前6世紀以降ガンジス川中流域に現れたという。保守的バラモンの文化圏は、ガンジス、ヤムナー両河にはさまれた両河地方で不安定な小麦などを生産する部族連合国家であった。

 それに対してガンジス川中流域は肥沃で安定した米などの穀物の豊かな収穫があり、交易が盛んで商業や手工業が興り、次々と都市が発生した。こうした富をバックに強大な国家ができた。才覚とチャンスがあれば誰でも富や権力を手に入れることができる、いうなればインディアンドリームの地となったが、保守的バラモンはそした中流域を忌み嫌った。

 こうした社会的状況を背景として、ヴェーダの宗教からはずれた、沙門という主受けの思想家が次々と現れて、数多の教団が生まれたという。そうした風潮からバラモンの中にも後のヒンドゥー教につながる「沙門バラモン」が出現した。

 この地域が無為徒食の大量の出家を養っていけるだけの経済力をもっていたからこそであった。」

 生活に困ってではなく、わざわざ出家をして聖者への苦行の道を選んだのだ。そして心の解脱を得てブッダとなろうとした。それにしても、難行苦行をしてでも解脱をしたいという心境は理解しがたいものである。古代のインドにそういう人たちが輩出したことはインドという場所と民族の特異さなのかもしれない。

 釈迦は、出家ではなく、「家出」だと言うのは山折哲雄氏である。当初は家出をしたと解釈している。それも一理があるかもしれないが、結局は修行の道に進んででいる。

 「釈迦は、最初は「禅定」(瞑想)によって、解脱を求めようとした。当時の修行法は、禅定と苦行の二つであった。しかし、苦行の方が一般的であったようだ。

 釈迦は、禅定によって解脱をしたアーラーラ・カーラーマの元に行った。それは「この世はおよそ存在するものはない。空空漠々だということを瞑想体験によって知るということであった。しかし、それが解脱につながるとは思えないのでそこを辞した。

 次いで、クッダガ・ラーマブッダのところに行き、「非想非非想処定」(それがあるがままに受け入れる)を教えられた。

 これらの教えは禅定の最高境地である「三昧」(心が全く不動になった状態)を解脱としたようだ。それで釈迦は、彼らには次なるものとしての「智慧」の獲得が欠如していると見た。老、病、苦という心を苦しめるものを滅ぼすものとして、当時行われていた「苦行」を選び、「苦行林」に入って激しい苦行をしたのである。非常に激しい行としての、止息と断食をした。その結果釈迦は骨と皮の状態となった。そして、どんな苦行にも耐える心を持つまでになった。

 しかし、それでも苦しみを起こす心をなくし、平安な心を得るということにはならないことに気付いた。苦行では智慧の獲得はできないと気付いたのである。

 そこで青年時代に体験した禅定(瞑想)によることこそ解脱にいたる正しい道、智慧を得る最善の道であると確信したのだ。

 苦行林を出た釈迦は、禅定を達成するために体力の回復に力を注いだ。そして、ネーランジャラー河のほとりのアシュヴァッタの大樹の下に座して禅定に入った。そこでゆるぎなき智慧を獲得し、ブッダとなった。ブッダとは「目覚めた人」のことで、「覚者」「仏」「仏陀」という。

 後にこの地をブッダガヤといい、大樹を菩提(目覚め)樹と呼ぶようになった。 

 ブッダはたくさんいたが、釈迦以後仏教が隆盛となると、ブッダは尊敬をこめて釈迦のことを指すようになった。」

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2009年11月21日 (土)

信士・信女・居士の謂われから見えてくるもの

 私の父母は信士、信女である。つまり、戒名の最低の呼称である。私の義父母は居士・大姉である。義父が居士だから義母は自動的に大姉になった。

 ちなみに母の従妹に信女がいるが、その父は居士、母は大姉である。何故大姉にならなかったかというと、菩提寺に金を出すのを拒んだからである。金を出さない者は信仰の薄い不届き者とみなされたのであろう。

 日本の葬式仏教は金次第で死後の位をどのようにでもしてくれる。

 17日の朝刊によると、民主党の小沢幹事長は、「キリスト教は排他的」と言って、キリスト教から顰蹙を買ったそうだが、それに対して、彼は、「日本の仏教では死ねばみな仏になる。」と反論したそうだ。みな仏になるのはよいとして、その仏に”位”がついて回るのはどういうことだろう。小沢氏は何宗かは知らないが、おそらく小沢氏は「●●院▲▲大居士」となるであろう。

 この信士・信女や居士という名称はどこからきたのかと思っていたら、遠くインドに由来するので驚いた。釈迦は初転法輪のあと、

 「バナーラスの市中に向かい、そこで同業組合長の息子ヤサに教えを説き彼を弟子に迎えた。そのときヤサは、遊び仲間の親友を中心に、50名余りの友人たちを誘い、釈迦のもとに弟子入りさせた。さらに彼の父母は在家としてサンガ(僧伽)に奉仕する優婆塞(ウバソク→ウバーサカ→信士)と優婆夷(ウバイ→ウバースィキー→信女)となった。ここに、出家の集団とそれぞれに奉仕する在家よりなる四衆(パリシャッド)の原型ができあがった。」(仏教誕生P.117)

 つまり、釈迦の時代に、在家として弟子になり僧を援助する者を信士。信女と言ったのだ。

 次に、「居士」であるが、これについては上掲の書は次のように書いている。

 「仏教は、明らかに都市に基盤をおいた宗教であり、商工業者の中でも羽振りのよい人びと、都市の経済力を背景に強大な権力を持つようになった新興国家の国王や貴族たちが、その最大のパトロンであった。『善男子善女子』というのは、初期の仏典にあっては、良家の子女を意味する。この場合の良家というのは、富(あるいはそれに加えて権力)を手中にしているがゆえに世間で、一目置かれている家(一族)という意味であり、保守的なバラモンたちがいう意味での上層階級に属する家ということではない。

 また、在家の男の信者で、『居士』と呼ばれる人びとが仏典にしばしば登場する。この『居士』というのは、『家長』と原義するが、初期の仏典においては、狭く、莫大な財力もってサンガに寄与する資産家だけを指す。今日、戒名(あるいは法名)で居士号をもらうにはかなりの金がいるというのは、こうしたことに由来する。」

 なるほど・・・と納得である。釈迦のときから既に、国王、貴族、大金持ちの援助を受け、その基盤の上に成立したのだ。「善男善女」というのは、我々庶民のことではなかったのだ。

  釈迦はスダッダという大富豪から舎衛城の大きな園林とそこに祇園精舎の寄進を受けた。その他にも王舎城の竹林園や各地にいくつもの精舎の寄進を受けた。

 釈迦はガンジス川中流域各地の都市に設立された精舎の間を頻繁に遊行して回る生活を送ったと言われる。

 29歳で出家して最初は禅定(瞑想)から始め、次に苦行をした釈迦が、苦行を捨て瞑想などによって35歳のときに悟りを開いたと言われている。その後は説教により信者を増やし、上記のように王侯・貴族や大富豪に支えられて布教をしたわけだ。

 釈迦の教えがこのように権力と財力を背景に出発したということは重大である。その後の仏教の変転の中でいつも権力と財力を頼って強大な組織になっていったことの原点であるからだ。

 [但馬の仏像]

 

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2009年11月20日 (金)

驚いた独立法人の抜け道と高額給与

 11月17日の朝日新聞朝刊のトップ記事は、三つの独立行政法人の天下りと給与について報じていた。

 該当の独立法人とは、①高齢・障害者雇用支援機構、雇用・能力開発機構、労働政策研修・研究機構である。いずれも厚生労働省所管の機構である。

 いったいこれらの独立法人が何をするのか、本当に必要なものかについて私は全く知らない。

 記事によると、これらの法人を朝日新聞が調査したところ、高級官僚が天下りしていて、天下り規制を逃れるために「嘱託」扱いにして、900万円から1200万円もの高給を支給しているのだそうだ。また、天下りの役員には1300万円から1700万円もの高給を支給しているという。

 しかも、嘱託の給与は人件費からではなく、業務費に計上しているといい、適切であると言い切っている。

 高給の理由は、専門的な観点からの指導や助言をするからだそうだ。だが本当にこれだけの高給に相応しい仕事をしているのであろうかと疑問に思う。

 おそらく厚生労働省時代の給料、もしくはそれよりも高額の給料を支給しているのであろう。

 こうした独立法人は98あるが、それらも同じようなやりかただと想像される。

 先日、仕分け人が、ある独立法人について、10億円のうち半分の5億円の経費がかかっていると指摘していたが、こうした高額な給与(人件費)がその大半を占めているに違いない。先に書いたように人件費でなく業務費なのだからいった本当の仕事は何?と問いたい。

 民主党・社会民主党、国民新党連立政権は、独立行政法人に鋭いメスを入れて高級役人の養老機関になっている現状を改めて、廃止すべきは断固廃止すべきである。

 これ一つを見てみても、これまでの自民党。公明党連立政権がいかにいい加減なことをしてきたかがわかるというものだ。

 Wikipedia

 独立行政法人(どくりつぎょうせいほうじん)とは、法人のうち、日本の独立行政法人通則法第2条第1項に規定される「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人」をいう。イギリスのエージェンシーを手本として設立された

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2009年11月19日 (木)

2冊の仏教解説書

 図書館で見つけて借りてきた2冊の仏教関係の解説書。ひとつは「仏教誕生」(宮元啓一著、ちくま新書)であり、もう1冊は、「ブッダはなぜ子を捨てたか」(山折哲雄著、集英社新書)である。

 勝間和代は、文庫本や新書は内容が軽いからといってお勧めではない(ハード本を読めと言っている)が、この2冊は仏教について相補完しあっていて読んでよかったと思う。

 「仏教誕生」は、仏教学者中村元氏の弟子である宮元教授が、釈迦の仏教がどのようにして生まれたのかを釈迦以前の宗教環境から述べている。そして釈迦入滅後までを概観しながら、釈迦の説いた仏教を解説している。

 宮元氏の考えによると釈迦の説法の基本的スタンスは、「生のニヒリズムに裏打ちされた経験論とプラグマチズムであった」と言う。「別の角度から見ると、どうでもよい世界をどうでもよくはないと考えている人々を、安全かつ迅速に導いて、世界には何の意味もないと気づかせるための、つまり生のニヒリズムへのいざないのための巧みな方便であった。」(P.197)と書く。

 この辺りは最後まで読んでもなかなかわかりづらい。

 それはともかくとして、釈迦の生まれた時代背景から説明してあるのは大事で、それによって釈迦がどのようにして悟りを開き、教えを説いたのかがよく理解できる。

 「ブッダはなぜ子を捨てたのか」は、釈迦が王子の地位だけでなく、妻や愛すべき子を捨ててまで何故出家(彼は”家出”だという)したのかを考えることにより、釈迦の教えを辿ろうとしている。釈迦の仏教が乾燥した風土と関係があること、日本の仏教が湿潤な風土と関係があるという指摘は面白い。

 後半部分は、仏教が伝播する中で変化し変容していくことを描き、日本に到達して全く異なった新しい形の日本式仏教として発展したことを概観している。

 私は、釈迦の説いた”無常”こそ、釈迦入滅後の仏教の変化を示唆したものだと思っていたが、山折氏も無常なるが故に変わっていったのだと指摘している。

 私も、釈迦が地位と妻子を捨てて苦行の道を進んだことに関心を持っていたのでこの本を興味深く読むことができた。

 手っ取り早く仏教のあらましを把握するには、この2冊はよいと思った。文章も分かりやすく書かれている。ただ、山折氏の書きぶりはかなり文学的ではあるが。

ブッダは、なぜ子を捨てたか (集英社新書)

  

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2009年11月18日 (水)

愛知産業大学付属高校の橘寄席

 11月15日(日)に愛知産業大学付属高校で「第16回 橘座公演」があった。これは春と秋の年に2回落語の寄席が開かれるのだ。

 日曜日とあってか、12時半の開場時刻に行ったら既に超満員であった。少しは早く行かなければと思っていたのだが、途中寄り道をして遅くなってしまたのがいけなかったのだ。仕方がないので通路に腰を下ろした。その通路にも補助椅子が入っていて腰を下ろすと通ることができない。

 会場係が、「2階にテレビで見られるようにしてありますからそちらに行ってください。」と案内していた。これまで何回か来たことがあるが、こんなに混雑したのは初めてであった。開会の挨拶でも始まって以来のことで大変有難いと言っていた。

 とにかく落語はライブでなくては意味がないので通路で辛抱することにした。

 会場は超満員でも開始時刻は13時予定通りの丁度であった。

 まず、今日のメインの桂歌丸の2番弟子だと言う歌助が高座に上がった。いろいろな小話をたくさんした。

 「ツルの恩返し」をパロディにした小話で、「ある晩若いきれいな女性が訪ねてきて昼間助けてもらったお礼に機を織らせてくださいというので部屋に通す。部屋の戸は絶対に開けて覗かないで欲しいと言う。ところが一向に物音がしないので思い切って開けてみると、部屋の中のものは全て持ち去られていた。ツルではなくてサギだったのだ。」というような小話をしたあと、本題の落語に入った。

 次に、桂歌丸が登場し、入院していろいろとこれまでのことを思い出したこと、自分が落語家になりたいと思ったのは小学校4年生のときで、中学在籍中に弟子入りしたこととか、笑点に関係したエピソードなどを語った後、「火焔太鼓」を話した。

 中入り後は再び桂歌丸が高座に上った。腰を痛めているという話を枕にしただけですぐに本題の落語に入った。題名は知らないが、有名な、「左甚五郎を主題にした落語」であった。

 左甚五郎が仙台のねずみ屋という貧乏宿に泊まる。その主人から、実は向いにある豪壮な虎屋という宿屋の主人だったが、後妻と番頭にのっとられたという話を聞き、甚五郎は木でネズミを彫る。そのネズミが本物のように動き回るので評判となり客が増えて大繁盛する。それとは逆に虎屋の方は客がこなくなる。そこで虎屋の主人は仙台きっての彫り物師に虎を彫ってもらい入り口の上に置く。するとネズミが動かなくなってしまい、客が減ってしまう。そこで主人は左甚五郎に手紙を出すと甚五郎がやってくる。甚五郎が、虎を見るとどう見ても下手な彫り物だ。そこで「ネズミよ。どうして動かなくなったのだ。虎が怖いのか?」と聞くと、ネズミは「あれは虎ですか。ネコだと思っていた。}というオチで終わった。

 歌丸の落語どちらも有名な噺で、ハッピーエンドの噺なので、今のような景気の悪い時期には気晴らしによかった。歌助が言ったように笑うとNK細胞が活躍し免疫作用がよくなる。通路に座って尻が痛かったがライブで聞く落語はよかった。

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2009年11月17日 (火)

素晴らしかった男声合唱―Singersなも

 「とっても面白い合唱です。行きませんか。」と、知人に誘われて「男声合唱団Singersなも」のコンサートに出かけた。14日「(土)の午後5時から、しらかわホールで開催された。出演者は28人の合唱で、指揮は本職は東海高校の英語教師という団員指揮者であった。

 演奏は4部に分かれていた。

  第一部はMisa O Magnum Misterium(Tomas Luis de Victoria作曲)で、言語は多分ラテン語でアカペラで歌った。

 第2部は男声合唱曲「朝の頌歌」(大岡信作詞、木下牧子作曲)で、ピアノ伴奏は渡部真理さんであった。きれいな抒情的な男声合唱曲であった。

 第3部は男声合唱とピアノのための「ふじさん」と題する明治・大正の唱歌編曲集で寺島陸也さんに男声合唱用に編曲を依頼したものだそうだ。原曲を大事にしたとのこと。春の小川、鯉のぼり、ふじの山、荒城の月、夕焼け小焼け、冬の夜、故郷、村の鍛冶屋で、男声合唱で聴くと味わいがガラリと変わってよかった。ピアノは渡部真理さんで、着物に下駄で伴奏をした。

 第4部はオリジナル編曲シリーズ名曲集で、ポップス、歌謡曲、ブルースなどをジャズピアノトリオの伴奏でスイングして歌っていた。服装もガラッと変えて黒のシャツとサスペンダーではいた黒ズボンといういでたちであった。

 曲目は、モスラの歌、Sing Sing Sing,胸の振り子、真っ赤な太陽、別れのブルース、勝手にしゃがれ、飾りじゃないの。

 アンコールには何とサザエさんも歌われた。

 男声合唱団1989年に結成され、今年は20年目だそうだ。定期演奏会は今回が19回目であった。この合唱団は高音、ピアニッシモ、バランス、ハーモニーのよい男声合唱であった。名前もユニークだが、何よりもレパートリーが幅広い合唱団だ。素晴らしい、楽しい合唱団だと思った。Singersという団名をつけたのも幅広く、聴いて楽しい歌を歌いたいということからだそうだ。

 第20回の定期演奏会は、来年11月6日にしらかわホールで開く予定だという。

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2009年11月16日 (月)

官房機密費の怪―こんなことを許していいのか―

 11月12日の朝日新聞夕刊では、官房機密費について大きく報道した。それによると、官房機密費は月に1億円を領収書なしで自由に使えるのだと言う。しかも、使って減ったら翌日には事務官僚が直ぐに補填をして元通りの額になっているのだそうだ。

 これでは使い放題、やりたい放題ではないか。領収書がないから会計検査院も検査のしようがないのだという。それはそうだろう。領収書なしでは何にどれだけ使ったのか、何が無駄なのか調べることができない。こんなことは小学生でもわかることだ。それが自民党政権下で長年まかり通ってきたのだ。更に悪いことに民主党中心の政権になってもそのやり方を踏襲するというのだ。

 官房機密費は何に使われたのかは不明だが、官房長官経験者の証言によると、以下のようなものだという。

●国会対策に、与野党議員に一人200万円から300万円。←国会対策とは何のことかと思ったら、法案をスムースに通すための協力金だそうだ。野党も含めてこんな裏金を貰っていたのだ。これでは国会審議も完全なヤレセである。それでなくても国会議員は給与の他に多額の政策調査費とかざまざまな特権を得ているのだ。

●議員や学者などの海外視察の餞別←餞別は渡航先の距離に応じて相場があって、韓国で30万円、東南アジアは50万円、ヨーロッパは100万円だという。議員は毎年視察と称して海外に観光に行くが、そんなものに餞別までやっているのだ。

●首相の外遊時のお土産代や晩餐会費用←首相が外国に出かけると何千万円も金庫から持ち出して、お土産代や晩餐会費用に充てたという。そう言えば麻生さんもど派手に使ったと週刊誌が書いていたっけ。

●重要な国政選挙や知事選など←国政選挙で与野党が伯仲している選挙区とか重要な知事選では軍資金として数千万円が出されたという。これではまるで税金の私物化である。政権与党になれば勝つためには国費を自由に使えるのだ。

●年間2億円を内閣情報調査費に振り分け←いったいなんのこと?

●勤続25周年や閣僚就任の祝い←「慣例ですから」と100万円を置いていったという。大臣になるとだまっていても100万円のご祝儀がもらえるのだ。

 上のようなことは氷山の一角で、わからないことをいいことにまさにやりたい放題であったと想像される。こういうことが罪の意識もなく平気で行われているのが政治の世界である。わからないことをいいことにして国民を馬鹿にしているにも程がある。

 こうした官房機密費について、民主党は、野党時代には情報の公開をせよといっていたが、政権を取った途端に180度転回して官房機密費の公開はしないというのだ。

 官房機密費は税金なのだ。領収書を揃えてきちんと帳簿で処理されるべきである。平野官房長官が逃げ口上で言った「相手がいることですから公開はできません。」はどうみてもおかしい。正々堂々と貰えない、渡せない金だということを告白している。

 官房機密費は領収書をつけて厳正に処理し、民主党の野党当時の主張通り公開すべきである。

記者会見する平野博文・官房長官(桐山弘太撮影)

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2009年11月15日 (日)

民主党小沢幹事長の高野山訪問

 宗教団体は保守的で、これまでは殆どが自民党支持であったと言われる。だから、あの創価学会を基盤とする公明党も自民党と連立を組んだことも理解できる。

 朝日新聞によると、民主党の小沢幹事長が高野山を訪問した。行く前には小沢氏は「高野山は自民党の巣窟だろう。」と渋っていたそうだ。真言宗は自民党、日蓮宗も自民党支持というのは有名なのだ。

 高野山の松長管長は全日本仏教会会長だという。そこに加盟する102の宗派・団体に所属する寺院は日本全体の9割を超えるという。すごい組織力を誇っている。

 先の衆議院議員選挙では大半が自民党を支持したそうだ。これを見るだけでも日本の仏教界がどういうものかということがわかるというものだ。前に日本の仏教は伝統的に権力と結びつき庇護を受けて強大な力を持ってきたと指摘したが、その傾向は現代になっても変わっていないのだ。

 本来、仏教は人々の悩みを解き、人々の現世の幸せの道筋を示すものであるはずだ。だから常に民衆の側に立つべきものである。民衆の側に立てば時の政権が誰のための政治を行っているかがわかるはずである。

 仏教界は、自民党を支持してきた結果が、1000万人以上の国民を貧困層に追いやり、働く人の1/3が非正規社員になり、毎年3万人以上の自殺者を出し、生活保護世帯が140万にもなろうという悲惨な日本に導いた責任をどう考えているのであろう。

 釈迦が説いたように正しく物事を見極めたなら自民党を支持すべきではなかったことは明らかである。

 国民の安寧を願い、世界の平和を祈念し、地球の環境破壊を防ぐにはどうしたらよいのかを考えて行動すべきなのだ。

 釈迦入滅後1000年も経ってから、変節した仏教が日本に到来し、それが更に変化して、本来の釈迦の説いた仏教とは全く違った日本式仏教になってしまい、それが今日に至っている。

 江戸時代につくられた檀家制度の上に胡坐をかいて保身・保守のみを念頭に置いてきた仏教であれば自民党支持は当然の帰結であったのだろう。

 小沢幹事長に対して、松長管長は「機会があれば民主党の政治家に講話に行きたい。」と語ったそうだが、いったい何を垂訓しようというのであろう。

 釈迦が説いたように、仏教界は「中道」を行くべきである。中道とは特定の政党支持に偏るべきではないということである。一党を支持することは他を排することにつながる。少なくとも不偏不党で行くべきである。

 

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2009年11月14日 (土)

ぐらぐらしだした鳩山内閣

 鳩山内閣が発足して2ヶ月。当初は次々と新しい施策を打ち出し期待を集めたが、予想通り最近はダッチロールをし始めたようだ。

 その始まりは、亀井大臣が日本郵政会社社長に元大蔵事務次官の斉藤氏をあてたことであった。その後も副社長に旧大蔵省OBの坂氏をあて、人事院人事官に元厚生労働次官江利川氏を任命した。

 かくして脱官僚の金看板は早くもメッキが剥がれ落ちてしまった。自民党内閣を攻撃していたときには官僚の任命に断固として反対していたのに、いざ立場が逆転すると「省庁の斡旋を受けず適材適所の再就職は天下りにはあたらない」と言い逃れをしている。朝日新聞にも、「民主党変節?」と書かれる始末だ。

 更に鳩山内閣の国会での答弁が軽々と答弁を変えているという。代表質問への鳩山首相の答弁で「マニュフェストは4年における国民との公約。必ず実現する。」と明言した。この発言はTVニュースで放映されたから誰でも聴いたはずだ。

 ところがたった5日後の衆議院予算委員会で、自民党議員から「マニュフェストなんかやめてしまいなさい。」と言われると、「国民がこんな契約要りませんよと判断するなら、その溝を埋める努力をしようじゃないか。選挙前に国民の意思を問うことができる。世論調査もデータの一つだ。」と、マニュフェスト修正の可能性を匂わせたという。

 選挙では沖縄の普天間米軍基地は県外に移転すべきだと言っていたのに、大臣によって異なる意見が出され混乱している。それで沖縄県民は2万人余の集会を開いて抗議をした。

 戦後60年以上もアメリカの基地が日本の国内各所にあり、とりわけ沖縄は基地の中の沖縄と言われている。普天間基地に隣接している小学校では航空機の爆音で授業ができない事態が頻繁に起きている。沖縄県民の長年の忍耐を思いやれば一日も早く米軍基地を一つでもなくして欲しいのは当然の要求である。

 アメリカの言いなりにならずに、この機会に米軍基地問題を根本から見直すべきである。

 

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2009年11月13日 (金)

茂木健一郎さん、恥ずかしいよ!

 11月10日の朝日新聞夕刊を見て驚いた。あの茂木健一郎さんが3年間で3億数千万円もの申告漏れをしていたというのだ。

 テレビ出演料や勝間和代さんと競うように出している著書の印税などを全く申告していなかったそうだ。

 茂木さんは多忙のため、確定申告の時期、「徹夜でやったけど終わらない。」と周囲に漏らしていたという。そんなに多忙なら専任の税理士を雇ってやればよかったのにと思う。 追徴税額は1億数千万円だというから税理士を雇った方が安上がりだと思うのだ。

 私など年金の確定申告でもまじめにやっている。茂木健一郎さんはなぜ申告をしなかったのか聞きたいものだ。そんなに金がほしかったのですか?隠しおおせると思ったのですか?税理士を雇う費用が惜しかったのですか?それとも・・・。

 私も茂木健一郎さんの本を買って読み、彼の印税に多少の貢献をしている。私のblogを読んで彼の本を買った人もいる。

 私は、NHKのレギュラーキャスターとして彼が出演しているプロフェショナルは殆ど見ている。彼のファンのひとりだ。だから本も買い、人にも勧めた。

 文芸春秋だったかに彼は脳と経済の関係を研究していると書いてあったのを読んだことがある。もし、その研究成果が、「税金の申告漏れ」だというのなら何おか言わんやである。

 高額な所得をして高額な税金を払うのは不本意かもしれないが、私のような貧乏人からみると一度でもよいから多額の税金を納めてみたいと思うものだ。高額の税金が納められる幸せ、日本の財政に貢献できる幸せを感じるべきだと思う。

 脳科学者茂木健一郎さんの脳の報酬を感じる部分にはそういう喜びを感じる働きが欠如しているらしい。

 つまり、どんな天才的脳科学者でも脳を適切に使う能力に異常を来たすことがあることを証明したわけである。

 茂木健一郎さんしっかりしてよ。

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2009年11月12日 (木)

谷汲山の柿の思い出

 いつの間にか11月も中旬になってしまった。私は果物が大好きだが、中でも柿が好きである。いま富有柿の最盛期である。昨日安売り店を見に行ったら、店員が、「今日の富有は甘いですよ。食べてみますか?」と言って試食をさせてくれた。立派な柿が10個入った箱が780円であった。どうしようか迷った末、パック入りに小分けした方を398円(5個)で買った。

 勤めていたころは、この時期になると、岐阜県の谷汲山まで車で柿を買いに行っていた。谷汲山に行く途中に柿の産地糸貫があるがそこの柿ではなく、谷汲山の近辺で獲れた柿を買うのだ。

 谷汲山の電車終点の手前に柿を扱っている問屋のようなものがあり、その店先に柿を並べて一般客にも売っていた。奥さんが美人で愛想がよかった。

 地元の富有柿をいつもまけてくれたり安くしてくれたので気に入ってそこで買った。地元の人の話では、糸貫の柿はきれいだが甘みが頼りないという。山で獲れた柿の方がおいしいというのであった。

 いつの頃からか、根尾川にかかる赤い橋を渡って少し行ったところに、地元の農作物の直売所ができた。あの辺りの農家が自分のところでできた野菜などに値をつけて売っていた。直売所では、富士柿もたくさん売りに出された。私は富士柿が大好きで何箱も買って帰った。

 富士柿とは江戸柿と同じだと思うのだが、釣鐘型をした大きな柿で放置しておくと熟して果実が柔らかくなる。それがなんとも言えずおいしいのだ。地元の人たちは正月までとって置いて食べると言っていた。

 谷汲山まで行くとこの時期紅葉が見られる。それも楽しみの一つであった。また、文化の日前後には谷汲祭りが行われてバザール広場では伝統の谷汲踊りが披露される。

 朝早く家を出て7時半ごろには谷汲山近辺に着いた。柿を買うだけではガソリン代がもったいないので、ついでに近辺の旧跡を見に行った。谷汲山のお寺や根尾断層や薄墨桜、横蔵寺の即身仏(ミイラ)などだ。

 勤めている頃は行っていたのだが、退職後は行かなくなった。それは名古屋でも柿が安く手に入るようになったからだ。

 りんごは柔らかくなるとまずくなるが、柿は果実が柔らかくなっても食べられるのがよい。だからぐずぐずになった柿でも店に並んでいる。

 NHKのためしてガッテンでやっていたが、柿は消臭作用もあるそうだ。ニンニクを食べた後柿を食べると匂わなくなるし、柿をむいた皮を匂いのするところに置いておくと匂いを消すそうだ。

 私が子どものころは、道端に筵を敷いて柿の皮を干しているのをよく見かけた。漬物に入れて甘み剤として使うのであった。柿は捨てるところがないと言われるが昔の人は柿渋なども取り徹底して使ったものだ。

 たねなし柿、次郎柿、そして富有柿と来て終わる頃には寒くなる。

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2009年11月11日 (水)

国民のために―歴代首相は言った―

 NHKが3夜連続で放送したNHKスペシャルで細川内閣誕生から鳩山内閣誕生までの動きを取り上げた。その最後に歴代首相が所信表明演説で「国民のために・・・・」と発言している部分を連続で映して終わった。

 驚いたのは,宮沢元首相から麻生前首相までどの首相も「国民のため・・・・」と言っていることであった。そして鳩山現首相も同じことを所信表明演説で言っている。

 これまでどの首相も「国民のため・・・・」と言って政権運営をしてきたわけだが、結果としては全ての国民のためにはならなかった。

 自民党・公明党連立政権は大企業のための政治をしたし、アメリカの言いなりの政治はしたが、本当の意味での国民のための政治はして来なかった。

 トヨタ自動車を始め大企業はあのリーマンショックで世界金融恐慌が起きる直前までは最高の利益をあげていたのだ。その一方で非正社員が労働者の1/3を越し、年収200万円以下の貧困層が1000万人をオーバーしていった。

 だから政治が国民のどの層に対してのものであったかが、次第に誰の眼にも明らかとなり、今回の政権交代につながったのだ。

 よいことを言うことは誰にでもできる。だがそれを実行するとなると容易ではない。政治家は嘘をつかないことが大事である。

 今回民主党が大勝し、マニュフェストを実行すると言っているが、早くもほころびが見え始めた。官から民へとか政治主導などと言いながら、郵便会社社長に元大物官僚をあて、更に人事院総裁にも官僚OBをあてた。そして、官を辞めて長いからいいとか、有能ならいいとか言い訳をしている。

 おそらくこれからもいろいろと言い訳をするのだろうと思われる。物事は両面あるからAと言えばBというぐらいは政治家にとって何でもないことなのだ。

 民主党・社民党・国民新党連立政権には、本当の意味での大多数の国民の方を向いた政治をして欲しいと切望する。

 

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2009年11月10日 (火)

輪廻説について

 街の宗教の中には輪廻説を取り入れているものがあり、前世は何であったかとか死後は何かに生まれ変わるとか言って人を惑わせているものがある。仏教の中にも輪廻説が入り込んでいるものがあるのは周知の通りである。

 この輪廻説は、元はといえばインドに古くからあったものだ。その辺のことを「仏教誕生」(宮元啓一著、ちくま新書)の冒頭で簡明に説明されている。引用しよう。

「仏教が成立する思想背景として、まず挙げなければばらないのは、輪廻説と、それに伴って生じた解脱論である。

 このうち輪廻説というのは、

①自らがなした行いの報いは、必ず自らが受けるものであるという、自業自得を骨子とした因果応報の法則と、

②生きとし生けるものが現在このような境涯にあるのは、それぞれの前世の行いの報いである、あるいはまた、来世の境涯は、今生の行いの善し悪しによって決定されるという観念との

 この二つよりなる。」(①②や行かえは分かりやすくするため筆者がした)

 また、次のようにも述べている。

「輪廻説はまごうことなき差別思想であるが、生きとし生けるものそれぞれ自ら責任の所在を白日の下にさらしたという点で、世界の思想史上並ぶもののない徹底した自己責任倫理だ」という。

 日本にある「親の因果が子に報い」(またはその逆)などは本来の輪廻説ではないという。

 現在の学界の定説では、輪廻説は、紀元前1500年前後にインド・アーリヤ人が侵入してくる以前から住みついていた先住農耕民族が伝えていたものがもとになっているとされる。そして前述の輪廻説として完成したのは、インド・アーリア人のようだというのだ。(以上、P.14~P.16)

 釈迦は、輪廻説そのものを否定した。前世も死後の世界はないとしたのだ。私も輪廻説は頭から否定する。 再生説はエジプトなどにみられるが、輪廻説は古代にあってはギリシャとインドにしか現れなかったという。

 問題は現代においても輪廻説がはびこっていることである。 こういうものは人を惑わす最たるものだと思う。それにより金を儲ける者にとって都合がよいだけである。

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2009年11月 9日 (月)

楽しかったワンデーコンベンションin中部

 11月8日(日)に、金山の中京大学プルニエホールで第7回ワンデーコンベンションin中部が開かれた。

 これは中部奇術連合会が主催するマジックの一大イベントである。私が見に行くのは今回が初めてであった。

 午前九時半の開場であったが、8時半ごろには並んでいるとよいということだったので行ったら、既に100人ぐらい並んでいた。丁度同じクラブのSさんがいたのでほっとした。しばらく並んでいて、Oさんを見つけたので声をかけるともっと前の方にいるから代わりに並んでほしいということであった。

 開場はほぼ定刻どおりであった。1階の中央辺りに席を確保できた。見たところ高齢者が多い感じであった。ロビーにはマジックのディーラーが店を連ねていた。

 第1部はオープニングショウでドイツからはるばる来たユンゲユンゲが演じた。パントマイムを取り入れたコミカルなマジックを2人で演じた。新鮮さが感じられた。その次は、プロフェサーサコウで鳩だしやカードマジックなどを30分ほど演じたがさすがにプロの演技であった。

 その後ランチタイムで、助六とペットボトルのお茶が配られた。3階の会議室が開放されていたのでそこで食べた。弁当込みというのはなかなかいいと思った。

 第2部は11時半から始まった。参加者14名によるコンテストであった。コンテストに参加希望者が多くて4組に遠慮してもらったそうであった。

 我が名古屋華マジカルグループからもSさんが出場した。日本の羽織袴の服装で和風の卵袋で卵のプロダクションを演じ、最後にひよこと雌鳥を出した。大変上手に演じていた。

 若い家族が赤ちゃんや子どもも使ってのマジックを演じた。女の子の助手振りが微笑ましかった。

 長野からは、小学生と中学生の兄弟が出場した。子どもとは思えない上手なマジックであった。

 参加者は、みなそれぞれに熱演をして見ごたえがあった。賞をもらうとしたら大阪から来たカッコいい若者のカードマジック、京都から来た若者の鳩だしだと隣のHさんと審査員になったつもりで話しながら見た。最後に演じた獅子と竜のゾンビもいいと思ったが賞には入らなかった。ジャグリングとマジックを組み合わせた若者の演技も面白かったが、ジャグリングをどう評価するかだと思った。

 審査員が審査をする時間にディーラーの店を見たが、殆どは取り出しに使う品が多かったようだ。

 結局、グランプリは、赤いカードの学生で、第二位が京都の鳩だしをした青年、第三位がジャグリング・マジックの青年であった。

 第3部はゲストマジシャンの演技であった。司会者は、アメリカから来たマジシャンで、英語と日本語で笑いを取る面白い司会ぶりであった。

 ユンゲユンゲがゴムの円いCDのような形のものを使ってさまざまな人模様を演じた。日本では、早野凡平が演じているものに似ていた。

 藤本明義のカードなどのマジックも手馴れたものであった。

 司会のハンクライスの客を引っ張り出してのコミカルなカード・マジックは笑えた。

 我がマジカルグループの講師である鈴木元さんのアヒルを使ったマジックは初めて見た。あの大きなアヒルを使っての取り出しや軽いフットステップで演じたアヒルに関係したマジック、「アヒルの元さん」と言われるだけあって素晴らしいののであった。最後は舞台いっぱいに孔雀を描いた布を広げてどきもを抜いた。

 再度登場したプロフェサーサコウは、火を駆使したマジックでカードや鳩だしを演じた。さすがに見事なものであった。

 ユンゲユンゲの3人が映像と実際の動きを組み合わせて演じるという映像のマジックが新鮮で面白かった。

 DR,沢&ユミは、Dr.沢がコインや貝を使ったクロースアップマジックを見事な手さばきで演じた。特にガラスのグラスの砂の中から貝が現れたり、グラスを貫通して貝が中に入るのは不思議であった。奥さんのユミは、LDの赤い光のプロダクションが金魚に代わるという新しいマジックと万国旗の帽子からのプロダクションをたくみに演じた。

  終了は5時。休憩があるとはいえ7時間の長いマジックショウであった。疲れたが見ごたえのあるショウであったと思う。

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2009年11月 8日 (日)

あるマジック同好会の演技を見る

 先日あるところで趣味のマジックグループが一般の観客を相手に演技を披露するのを見た。私も趣味としてマジックをやるので、他の人たちがどのように演技をするのかを楽しみに見た。

 皆さんは高齢者で、きっと私と同じくマジックを楽しんでおられるのであろう。服装は、どの方もそれぞれにマジック用の格好であった。派手な蝶ネクタイをつけた人、ビロードのプロが着るようなジャケットを着た人などそれぞれに演技用の服装であった。また、みなさんがマジックテーブルや本格的な捨て箱などを用意しておられた。

 それで演技への期待が高まりきっと素晴らしい演技をされるのだろうと思っていた。

 ところが、演技が始まってみると、最初から失敗であった。最初の人はうまくいかないことや失敗しそうだということなどを喋りながらやるのだ。結果はシルクをちょん切ってしまい、「失敗でした!」と言う始末であった。その次のマジックもおしゃべりが多くて結果を予想させることまで喋った。

 2番目に出てきた人も練習不足なのか、上がってしまったのか分からないがタネを見せてしまった。それでも何とか最後まで演技はした。

 3番目に出た人は、その同好会の指導者のようであった。確かに演技はうまくて堂々としていた。しかし、その演技態度がいただけなかった。如何にもオレはうまいんだ、ベテランだという態度が見えみえであったのだ。しかも、どういう訳かどの演技も全て最前列に座っていたおばあさん一人を相手に演じたのだ。このおばあさんは、いちいち演技に反応するのでそうしたのかどうか分からないが、たったひとりを相手の演技であった。

 4番目に出た人は、まあまあ無難にこなした。

 自分の得意のマジックがは誰にでもあるものだが、同じ種類のマジックをこれでもかとばかりに見せられると見ているほうはうんざりする。演目にバラエティを考えることも大事だと思った。

 私が見たところでは、どうもしっかりと身につくまでの練習をしないままみんなの前に出たようであった。指導的立場の人がどのような指導をしたのかはしらないが、喋り方、演技の仕方などきちんと指導すべきだと思われた。

 そこへ行くと、先日福祉祭りで私の仲間の若い女学生などがマジックを見せたが、何ヶ月も前から練習をして、みんなからアドバイスを受けて改善し、しかも、独自の工夫を加えて見て楽しい演技を披露した。マジック歴が浅くても真剣にやったのがよかった。

 服装などをきちんとすることはもちろん大事だが、演技内容や態度はもっと大事であると痛感した。

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2009年11月 7日 (土)

落語論―堀井憲一郎著―を読む

 私は、落語が好きで、東京に行くと必ず寄席に寄って落語を聞く。新宿末広亭など昼席もしくは夜席でも色物を交えてかなりの長い時間楽しめて料金も安い。

 名古屋で落語を聞こうとすると、数千円はする。だからなかなか聞きにはいけないので残念である。

 先日、図書館に行ったら、新刊書の書架に「落語論」(堀井憲一郎著、講談社新書)を見つけた。面白そうなので借りてきた。

 読み始めてみるとユニークな落語論であることがわかった。いきなり落語はライブとして存在すると言うのだ。

 引用する。

 「言葉は落語の一部にすぎない。

 落語について語る。

 落語とは、ライブのものである。

 会場に客がいて、その前で演者が喋る。それが『落語』である。

 場。客。演者。

 このどの要素が落ちても落語は成立しない。それが落語なのだ。」

 オチまでついている。それはともかく私も賛成である。落語はやはりライブがいちばんである。もちろん音楽だって演劇だってライブがよいに決まっている。でも、落語はライブであるべきだということを思っていない人が意外に多いように思う。

 子どもの頃は、粗末な真空管式ラジオで落語を聞いたものだ。その頃、有名な落語家であった、柳昇、円生、文楽、志ン生、金馬、歌笑・・・・。いろいろな落語家の落語をラジオで聞いて楽しんだ。田舎に住んでいたし、ラジオしか聞く手段がなかったのでから仕方がない。

 テレビなら演者の仕草を見ることはできるが、ラジオだから演者の仕草を見ることができない。それでも噺しぶりや落語の筋(著者は落語にはストーリーはないというが)が楽しかった。

 大人になってたまに落語をライブで聞く機会があると、楽しさは格別であった。だから落語はライブであるべきだという論には納得するのだ。

 寄席に行くと、めくりがあって、縁者の名前だけが書いてある。いつも不思議に思ったいたが、落語というものは、演者が高座に上がって、その日の客の様子を見て、何を話すかを決めるのだとどこかで聞いて知った。

 この本によると、落語の題名なんてないのだという。前の人が何をやったかを後の演者が知るために適当に名前をつけてあるだけだという。演題は符丁だというのだ。なるほどと思った。

 落語には正しいテキストはないということも初めて知った。「・・・・のような噺」があって、それに演者が脚色をするもののようだ。だから演者によって噺が異なっている。古典落語とはそういうものだのだそうだ。

 登場人物のキャラクターというのもないのだという。言われてみればそうかもしれないと思う。これも演者が好きなように脚色するのであろう。

 落語にはたいていオチ(下げ)がある。でも、これも重要なものではないのだという。客に終わったぞという合図なのだそうだ。まあ、オチがあると余計に面白く感じるように思うのだが。

 「目の前にいる客を何とかしたい、という気持ちが落語そのものなのだ。」だから落語を聞かせられるのはせいぜい100名から200名か適正な人数だという。「この人たちをどうにかしたい、という気迫と意識が落語をいろんな形にしていく。その落語家の発する"気”をどれぐらい受け取れるかが、落語のおもしろさなのだ。」と書いている。

 林家三平などはその”気”だけでもっていたのかもしれない。それにしても”気”を受け取るのだとすればまた落語の聞き方も違ってくると思う。

 ここまでは、まだ第1章の範囲である。この後の落語論を読むのが楽しみである。 

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2009年11月 6日 (金)

昔なつかしい計り売り

 我が家の近くの佐久間米屋では、月曜と火曜の2日間だけ、産地直送の野菜や果物などを売る。産地と言っても伊勢の多気から運んでくるのだ。

 品物は農協や市場に出せないような等外品である。キュウリはひん曲がっているし、ナスは大きさもまちまちなら器量はよくない。大根や野菜も同じである。大根には葉っぱがついているのがよい。安いときもそうでないときもあるのはし方がない。ただ、等外品でも新鮮である。

 この店、朝早くから開けている。固定の客もいるようだから、早く行かないとよい物が売れてしまうことがある。なぜなら、玉石混交の品からよさそうなものを選んで買うからである。

 先日は、次郎柿を買ったが、計り売りであった。1kg100円で、3kgだと200円であった。大きな籠に大小、器量のさまざまな柿が山のように入っていて、好きなのを選んで計って買うのだ。3kg買ったが結構たくさんあった。

 サツマイモも計り売りで、500g100円であった。

 この店のおばさんは、愛想のよい人で、よくおまけをしてくれる。こちらがおまけしなくてもいいよと言ってもまけてくれる。

 昔、子どもの頃、百姓のおばさんが野菜の行商に来たものであった。竿秤を使って錘を下げて計るのだが、いつも竿をはねあげた状態にしてまけてくれた。時には一つ余分にくれることもあった。

 米屋に行くとそれを思い出す。今どき珍しい触れあいのある商売の仕方である。だから固定客もつくのかもしれない。

 それに時には、ローカルでしかみられない山菜やサトイモの茎やサツマイモの葉っぱのようなものも売る。野菜でもその辺のスーパーでは売っていない珍しいものを売るときもある。

 ところで次郎柿は富有柿におとらないぐらい甘かった。きっと木で実ったもぎたてだからであろうと思った。

 

 

 

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2009年11月 5日 (木)

「般若心経は間違い?」はいい本だ!―②―

 般若心経については、さまざまな解説本が出版されていることは、前に書いた、それほど般若心経はわかりにくいのかも知れない。

 そのことについて、「般若心経は間違い?」の著者(アルボムッレ・スマナサーラ)は、前書きで、次のように指摘している。

 「実は『般若心経』はわからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さまその人が語った仏典ではないからです。『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃(ここでは死ぬこと)に入られてから数百年後(500年ほど)、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。」

 文学作品とは言いえて妙だが、私もその通りだと思う。誰かは不明だが、新しい仏教作品をつくりだしたのだ。その一つが大般若経であり、般若心経なのだ。そこでは釈迦が説いたことを改変してしまっているのだ。しかも難解にしているのである。難解だから凡人には分かり難く、さまざまな解釈が成り立つのだ。

 著者は、「お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で真理、すなわち『普遍的で客観的な事実』を完全に語りました。(P.5)」と言っている。だから釈迦の言葉に照らし合わせれば、わかりづらい経典も理解できるようになると述べている。

 本書はそのようにして、釈迦の本来の言葉や教えと照合しながら般若心経の矛盾点を指摘しているのだ。

 観音さまとして日本人に親しまれている観音菩薩は、大乗仏教が作り出した架空の神である。しかも、菩薩というのは、まだ修行中の身とされている。その観音菩薩が覚者(悟りを開いた)である釈迦の弟子の中でも智慧第一といわれた舎利尊者に空なる真理を教えてやるというのはおかしいというのだ。

 次に、「色(肉体のこと)即是空、空即是色、受想行識亦復如是。」とあって、受想行識については十把ひとからげで扱われているのは軽視も甚だしいという。そして、中心概念である「空」についてなぜ空といえるのかという説明がどこにもないと指摘する。

 この「空」というのは、般若心経がいうような意味ではなく「空は全ての現象の本来の姿を表す単語の一つに過ぎず、現象の本来の姿について、『空』と言っても、『無常』と言っても、『苦』と言っても、『無我』と言ってもよい。『空』としか観ないのは不十分だ。」というのだ。

 現象の観察は「無常」から始まり→無我→空と観ずるのであって、いきなり「色即是空」は短絡過ぎるという。(P.53)

 そして、「色即是空」は正しいが、「空即是色」は間違いだという。「人間は死すべきものだとは言えても、死すべきものは人間であるとは言えない」のと同じだという。 「そもそも空は、実践するものなのです。瞑想して無常を発見して、因果法則(因縁生起のこと)を発見して、現象が現れて消えることを発見して、どんどん発見して実体がないということを発見すると、心が無執着状態になって、解脱涅槃に達するという実践なのです。(P.55)」

 次に、「是諸法空相」(全ての法《もの、こと》)は正しいが、「不生不滅、不垢不浄、不増不減」は観念的な言葉の遊びだと批判する。(P.56)釈迦は一切の現象は生じて滅すると言っているのだ。不生不滅では「無常」を否定することになるという。その通りだと思う。

 そして、般若心経では「是故空中、無色、無受想行識。」と言っているが、これでは全てを否定してしまっている。これでは釈迦の教えをも全否定することになる。

 そして極めつけは、般若心経を呪文としたことだと指摘する。

 「故知般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒。能除一切苦、真実、不虚故。」

 つまり、これほど凄い呪文はないと言っているのだ。この262文字の短い経典の中で、空論→虚無主義→神秘主義と変わってしまっていると批判する。釈迦は明確に呪文を否定したのだ。

 結びの「掲帝、掲帝・・・・」は、インドの呪文の音(発音)を写し間違えているという。

 著者は、「おそらく『般若心経』は、もともと呪文を信仰している占い師、祈祷師のような者が書いたのでしょう。呪文は誰でも有難く信仰するので、書き写されて書き写されて残ったんでしょう。」と結論づけている。

 中身がなく論理的でもないから分からなくて当然、勉強しても無意味だという。

 般若心経が多くの宗派で大切にされ、葬式や法事で詠まれてきたが、所詮は呪文であったのだ。第一、釈迦は葬式や葬式で呪文を唱えることを否定したのであった。

 「般若」とは、「智慧」のこと。「波羅蜜多」とは、悟りを開くこと、そのための修行

 

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2009年11月 4日 (水)

「般若心経は間違い?」はいい本だ―①―

 たまたま栄地下街のトキワ書店で仏教関係のコーナーを見ていたら、「般若心経は間違い?」という文庫本(宝島社)を見つけた。著者はアルボムッレ・スマナサーラというスリランカ出身の僧で現在日本テーラワーダ仏教協会の長老として仏道と瞑想指導に従事している人だ。

 般若心経といえば日本人には最もよく知られたお経である。漢字たった262文字で書かれたいちばん短いお経だ。本願寺系と創価学会以外のどの宗派でも使われているという。

 いったい般若心経の解説書は何冊出版されているのか知らないが次々と出ているようである。私が学生の頃高神覚昇著の「般若心経講義」(角川文庫)が当時いちばんいいといわれていて私も買って読んだ。まだ持っているので引っ張り出して読もうと思ったが、活字が小さくて読む気がしなかった。

 ひろさちやも何冊かの般若心経の本を書いている。彼は同じネタで何冊もの本を平気で書くのだ。だから500冊以上の著書があると豪語している。(その辺がいただけない)

 その一つ「知識ゼロからの般若心経入門」には、「262文字が悩みを消す」と大見出しで書いてある。

 それによると、般若心経は、西遊記で有名な三蔵法師が書いたもので、インドへの往復の途上に唱え続けたのだとか。全600巻にもなる大般若経をたった262文字に圧縮したものらしい。

 もう少し引用しよう。最初の1行の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五薀皆空度一切苦厄」さえ分かればよいのだという。観音様が「深い智慧の完成」をなされたときに、全てが「空」だとわかって、あらゆる問題を解決された。だからあなたも観音様のように、「空」がわかって苦しみや災難を克服しなさい。これこそが般若心経の教えの全てだというのである。

 般若心経とはつまるところ「空」を説いたものだというのだ。私も、それには異存がない。

 ひろさちやは大乗仏教を信奉する。大乗仏教が現れたのは、釈迦が入滅して500年も後の紀元前後である。それは初期の上座部(小乗)仏教を否定するところから始まったとひろさちやは言う。「空」は大乗仏教の根本原理である。

 小乗仏教では出家者しか救われない。一人乗りのバイクみたいなものだ。それに対して、大乗仏教はバスだという。誰でも救われると説くのだ。

 上座部仏教(小乗)では、悟りを開いた人を阿羅漢と呼ぶ。阿羅漢はひろさちやによると100点満点の人間だという。一方大乗仏教では、悟った人を「仏」と呼ぶ。誰でも「仏」を目指せると説く。一切衆生悉有仏性である。しかし、無限大の存在だから、誰も仏になれないが、仏を目指して歩もうというのだとひろさちやは解説する。

 彼は大乗仏教のなかでも阿弥陀如来を信仰する浄土真宗がよいと思っていると私は推察しているのだが、浄土真宗では先に述べたように般若心経は扱わない。その辺が理解に苦しむところである。

 大乗仏教の般若心経の中心である空」について、上座部(小乗)仏教の立場から批判したのが、「般若心経は間違い?」という本である。

 ちなみに、上座部仏教とは、タイ、ビルマ、スリランカ、ベトナム、インドなどに継承された南方系仏教である。

 ―以下、つづくー

 

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2009年11月 3日 (火)

食事に関心が薄い若者が増えているとか

 29日のNHKクローズアップ現代で、若者の間に食事への関心が薄れていることを取り上げていた。

 それによると、きちんとした食事ではなく、チョコレートやアイスクリームやスナックなどのいわゆるジャンクフードで済ませる若者が増えているというのだ。そのために血液が薄くなっているので折角献血に来ても献血できないのだそうだ。

 この間の「新婚さんいらゃっしゃい」に、夕食はアイスクリームという奥さんが出ていたが、それが特別ではなかったのだ。

 凄いと思ったのは、ある大学教授で、カップラーメンなどで食事にして、後は何十種類ものサプルメントを飲んでいるのだった。金額にすると食事をするより高くつくと思うのだが。

 こういう若者は23%ぐらいになると推定されている。食事をいい加減にする理由は、面倒くさいということだ。きちんとした食事をするのが面倒だとはどういうことだろう。

 子どものときから家庭で楽しく食事をした経験がないからだろうといっていた。

 カロリーにすると戦後の昭和22年ころよりも低いのだそうだ。私はその時代を経験しているが、食べ物がろくになくてひもじい思いをしていた。体は骨が浮き出てやせていた。1800キロカロリーをと言われていたように思う。食べ物があれば何でも有難かった。

 そんな時代を経験している私から見ると、いくら飽食とはいえ、そのために食事をいい加減にする心理が理解できない。

 一方、介護の現場では、幾つかの食べ物をどろどろにミックスした流動食の見直しが行われ、一つひとつの食材を流動食にして、それを別々に更に載せて味わえるようにした。大変好評であるという。

 何もかも一緒くたにして流動化しておいしいはずがない。人格無視である。やはり、流動食にしてもそれなりに手間をかけてほしいものだ。介護保険もそこまでやれるだけの保障をすべきである。

 

 

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2009年11月 2日 (月)

心はどこにあるのか―松沢大樹説―

 人間の心はどこにあるのかは、まだ分かっていないといわれている。キリスト教では胸に十字を当てて祈るし、西洋では心臓の形をハート型としているのも、心臓に心があると考えていたからだろうと思われる。しかし、それは間違いで、脳にあるということだけは誰しも認めるところである。

 以下は、「心の病は脳の傷」(P.107~P.111)の引用である。

 「脳といっても広い。そのどこに『こころ』があるのでしょうか。

 前述したように、松沢先生たちは、X線CT(X線コンピューター断層撮影)、MRIのほか、PETを使ってこころのありかを追究し、その結論を出しました。

 『こころ』が生まれる場所は、やはり脳幹(いのちの脳)と大脳皮質(知能や行動の脳)の間でした。感覚系を司る大脳辺縁系と、運動系の大脳基底核から構成されています。これまで述べてきた主要な三つの器官のうち、海馬と扁桃体は大脳辺縁系、側座核と扁桃体が大脳基底核に属します。扁桃体は両方にまたがる要所です。

 つまり、『こころ』を生む脳の中枢は、海馬(知)、扁桃体(情)、側座核(意)といえます。その中でも主役は扁桃体です。扁桃体がハート型にも見えるというのは、神の配慮のあらわれではないでしょうか。

 扁桃体は海馬と側座核をコントロールするとともに、視床下部、脳幹を通じて体をコントロールしています。扁桃体からの『こころ』の情報の行き先は、情報の種類によって三方向に分かれます。

 もの覚えに関する記憶認識系の情報は海馬に送られます。海馬からは側頭、頭頂、後頭の各連合野に出力されます。扁桃体と海馬の障害による代表的な症状は、もの忘れと集中力を欠くことで、進行すると認知症、アルツハイマー病に発展します。

 やる気に関する意思行動の情報は側座核の細胞群に送られます。側座核からは、前頭前野と各運動連合野に出力されます。扁桃体と側座核の障害は、やる気を失い、楽しくない気分を招き、ひきこもり、不登校などにつながります。側座核は大きな特徴ある細胞が広い範囲に分布しており、海馬や扁桃体のような明らかな形をもった器官ではないのですが、細胞数が減ると問題が起きます。

 愛情や憎しみに関する情動身体系は視床下部方向へ向かいます。扁桃体が壊され、障害の影響が扁桃体支配下の視床下部に及ぶと、自殺や殺人などの凶悪犯罪を含む情動障害、激怒や飢え、性欲の異常、自律神経の失調などの症状が起きてきます。若い人の暴発事件はこの経路でおきます。

 混合型精神病や認知症などの「心の病気」は、いずれもこの三つの系統の情報出力が障害されます。どの出力がどう傷害されるかのバランスで症状が変わってきます。

 結局、うつ病、統合失調症、認知症などの精神疾患の基本は、すべて扁桃体の障害です。見事に『こころ』の機能を整理した松沢先生の仕事は、何個ものノーベル賞に値するものだと、私(田辺功)は思っています。」

 以上長々と引用したが、その方が正確に伝わると思ったからである。統合失調症やうつ病や認知症の画像撮影の技術を駆使して、何千人もの脳を写して、これらの病気が脳の傷であることを見つけ、そこから心のありかを探ったものである。

 心の存在や働きについては、まだほとんどが解明されていないと思うのだが、大変示唆的な研究であると思う。

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2009年11月 1日 (日)

市民の第九コンサート2009

 名古屋市の「市民の第九コンサート」が、11月29日(日)に金山の中京大学文化市民会館オーロラホールで開かれた。

 演奏は名古屋フィルハーモニー管弦楽団、指揮が北原幸男、ソリストは、バリトンが末吉利行、テノールが錦織健、ソプラノが水谷朋子、メゾソプラノが相可佐代子であった。4月に公募抽選で選ばれた合唱団は、総勢400名で、男性が140名、女性が260名であった。

 半年間、毎週一回の練習を続けてきた。前日のリハーサルのときには、2回のオーケストラとの合同練習があった。初めに立つ場所を決めた。背の高さを考慮すると言っていたのに、背が高い人でも前列に出る人がいた。遠慮をしていてはダメだと思い、3列目に入った。

 私は、第九を歌うのはまだ2回目なので、歌う出だしに戸惑った。本番にうまく歌えるか心配をした。リハーサルのとき、アルトノ女性で一人体がふらついて休養した人がいた。

 本番当日は、ゲネプロがあった。バスのグループに上着を列車に忘れてきた人がいた。その人は家から代わりの上着を届けてもらい、なんとか乗り切った。

 1回だけ音合わせをした。やはり2箇所うまく出られないところがあった。また、ザイトムシュルンゲンで始まる部分には、第九でバスとしては一番高い音域がある。その最高音のファが出せなかった。

 指揮者は、無理にだすなといったので、本番でなその部分は口パクで行くことにした。

 ゲネプロの後、1時間半余りの休憩があった。中には自宅に帰って一眠りしてくると言う人もいたが、私は、控え室で持っていった本を読んだが、暖房がきいていることもあり、途中で眠くなり読書をやめて外の空気を吸いに行った。

 本番が近づいて来ると、とにかく無事で終わって欲しいと思った。途中で、咳き込んだり、腰が痛くなったりしないか心配であった。

 リハーサル室で整列をして、舞台に向かった。第2楽章と第3楽章の間に舞台に上るのだ。舞台裏で待つこともなく舞台に上った。いよいよ本番であった。

 第3楽章は、静かな曲で、指揮者の振るタクトを見ていると催眠術にかかるような感じであった。体を動かすことができないし、ただじっと立っているだけであった。

 いよいよ第4楽章になり、曲想が変わった。緊張をしたので心の中で「リラックス」と唱えた。バリトンの独唱から始まって、最初の「フロイデ」だが、ちょっと遅れてしまった。指導の先生に言われていたように、3階かから4階に向けて歌うように心がけた。

 その後4つ目に高い音がある部分が来たが、最高音のところは、クチパクですました。指揮者も歌うように口をあけて指揮をしてくれた。

 フーガの後はほぼ連続で合唱があるが、ソリストたちの合唱に「ダイネツアオベル」と加わって歌うところでちょっと遅れたが後は何とか歌えた。

 最後の「トフォテルアウス エリージウム・・・」まで来ると、ほっとした。そして最後まで歌い上げることができた。その後はオーケストラが最後の激しいエンディングを演奏して終わった。2,3人が「ブラボー!」と叫んだ。

 ソリストと指揮者が3回出入りをして終わった。会場が明るくなると、4階まで人が入っていることがわかった。

 私にとって、大舞台に上るのは二回目であったが、市民会館は始めてであった。むかし、観客としてよく来ていた市民会館の舞台にあがることは夢にも思っていなかったことであった。それが何とか無事に終わりよかったと思った。

 舞台から降りると、足が棒の様になっていた。400名もの舞台で窮屈であったし、直立不動を1時間余り続けたので大変であった。ベートーベンは、どうして第2楽章の次に入るようにしたのだろうと思った。

 それにしても、ベートーベンは、交響曲第九がこれほどまでも日本で歌われることは全く予想していなかったに違いないと思った。

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凄いね!Googleのストリートビュー

 先日、NHKの「天地人}を見ていたら、東京に住んでいる娘から電話が掛かってきた。「お父さん、家が丸見えだよ。」と言う。何のことかと思ったら、Googleのストリートビューのことだった。「今、PCでGooglemapをいじっていたら、家の様子が見えたの。洗濯物もみえるわよ。知ってた?」と言った。

 私はGoogleストリートのことは知っていたが、名古屋のはまだ見たことがなかった。天地人が終わると早速PCをつけた。

 GoogleのHPから、地図を開き、自分の家の住所を入れた。直ぐに地図がズームアップして、自分の家の所がバルーンで示された。

 右上にある「航空写真」を選択すると、衛星写真で撮った街の写真が現れた。クリックすると「ストリートビューと家の写真」が出た。それをクリックすると、直ぐに我が家の正面が映った。車庫には、小さな愛車が映っている。画面を拡大したり、移動すると洗濯物も見えた。

 更に移動をするとお隣が映り、門の前でお隣の奥さんと向かいの奥さんが立ち話をしていた。

 妻を呼んで見せてやった。妻が、「家の裏も見える?」と聞いたので、画面を動かして行くと道路や裏の家が映った。そして我が家の裏側も覗くことができた。

 この話をお向かいの奥さんにした。お隣の奥さんも出てきて話に加わったが信じられない様子であった。ノートPCを持ち出して見せてあげたら2人ともびっくりしていた。

 お向かいの奥さんが、「これ、本当に私?いつのまに撮ったの?」と言った。「本当ですよ。よく見て。」というと、納得した。

 「面白いけれど、こんなことをすると、泥棒には都合がいいわね。」と言った。その通りである。空き巣狙いが事前に調査をして盗みに入るにはもってこいである。

 それにしてもGoogleは大変な技術を開発したものだと思った。

現在、下の地図の青い部分、旭川、富良野、仙台、東京23区、名古屋、大阪、兵庫、京都の一部、長崎、鹿児島、沖縄など。

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