2冊の仏教解説書
図書館で見つけて借りてきた2冊の仏教関係の解説書。ひとつは「仏教誕生」(宮元啓一著、ちくま新書)であり、もう1冊は、「ブッダはなぜ子を捨てたか」(山折哲雄著、集英社新書)である。
勝間和代は、文庫本や新書は内容が軽いからといってお勧めではない(ハード本を読めと言っている)が、この2冊は仏教について相補完しあっていて読んでよかったと思う。
「仏教誕生」は、仏教学者中村元氏の弟子である宮元教授が、釈迦の仏教がどのようにして生まれたのかを釈迦以前の宗教環境から述べている。そして釈迦入滅後までを概観しながら、釈迦の説いた仏教を解説している。
宮元氏の考えによると釈迦の説法の基本的スタンスは、「生のニヒリズムに裏打ちされた経験論とプラグマチズムであった」と言う。「別の角度から見ると、どうでもよい世界をどうでもよくはないと考えている人々を、安全かつ迅速に導いて、世界には何の意味もないと気づかせるための、つまり生のニヒリズムへのいざないのための巧みな方便であった。」(P.197)と書く。
この辺りは最後まで読んでもなかなかわかりづらい。
それはともかくとして、釈迦の生まれた時代背景から説明してあるのは大事で、それによって釈迦がどのようにして悟りを開き、教えを説いたのかがよく理解できる。
「ブッダはなぜ子を捨てたのか」は、釈迦が王子の地位だけでなく、妻や愛すべき子を捨ててまで何故出家(彼は”家出”だという)したのかを考えることにより、釈迦の教えを辿ろうとしている。釈迦の仏教が乾燥した風土と関係があること、日本の仏教が湿潤な風土と関係があるという指摘は面白い。
後半部分は、仏教が伝播する中で変化し変容していくことを描き、日本に到達して全く異なった新しい形の日本式仏教として発展したことを概観している。
私は、釈迦の説いた”無常”こそ、釈迦入滅後の仏教の変化を示唆したものだと思っていたが、山折氏も無常なるが故に変わっていったのだと指摘している。
私も、釈迦が地位と妻子を捨てて苦行の道を進んだことに関心を持っていたのでこの本を興味深く読むことができた。
手っ取り早く仏教のあらましを把握するには、この2冊はよいと思った。文章も分かりやすく書かれている。ただ、山折氏の書きぶりはかなり文学的ではあるが。
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私はキリスト教のことはわかりません。元々神の存在には否定的なので勉強する気にもならなくて、本を読みかけてはポシャってしまいました。
仏教は、本来は神やあの世を想定していません。自分だけの解脱を求めただけです。その辺が興味をそそるところですね。
投稿: らら | 2009年11月19日 (木) 12時38分
貴兄の仏教解説を読んでいると、仏教の本が読みたくなります。――きっと私が自分で読んでも、分らないのでしょうが、貴兄の解説を読んでいると分るような気がするから不思議です。
「ブッタはなぜ子を捨てたか」
どんな事が書かれているのか是非読んでみたいのですが、私の父は「伝道者」になる決意をし、神のみに仕えることをを誓ったので、地位や財産を棄てましたが、家族や子供を棄て切れませんでした。だから、しばしば、「子供は邪魔だ」とか、「家族は伝道の邪魔になる」とか言い(日記にそう書かれている)、「家族や子供は伝道を助けるべきもの」伝道の邪魔をするやつは「悪魔」とまで罵っています。
イエスも「自分についてきたかったら、地位も財産も家族も棄てよ」といっています。これが「宗教家」のとるべき道だとすると、「宗教」とは何なのだろうと考えます。
家族があるということは、家族の食の準備をしなければならないということです。伝道に専心すれば生活費をかせぐ時間がありません。ですから専業宗教家の生活を支えるには大きな組織が必要です。基督教の教会、仏教では寺が牧師や僧侶の生活を支えているので彼らは宗教家として専従できるのです。
私の父にしても、良寛にしても、個人で宗教に専業しようとすれば、乞食になるよりほかありません。それまでして神や仏に仕えねばならない個人の心情はありますが、宗教とは何か。最近、そんなことをかんがえています。
投稿: Ninja | 2009年11月19日 (木) 09時07分