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2009年10月 3日 (土)

無常と無我―私の仏教観④

 仏教とは、何を説く宗教か?

 「三つの法印(法とは真理のしるし)を主張するというのが定説であるという。

①因縁によって形づくられた全てのものは”無常”である。(諸行無常)

②現象界の全ての事物(諸法)に永遠不変の実体というものはない。(諸法無我)

③全ての迷いが消え去った悟りの境地は静やかで安らぎの世界である。(涅槃寂静)

※以上に、(一切皆苦)を加えて「四法印」とする場合もある。

 「一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな知恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」

 「一切の事物は我ならざるものである(諸法無我)と明らかな知恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」

 「一切の形成されたものは苦である(一切皆苦)と明らかな知恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」(ダンマパダ)

 「色、(受・想・行・識)《五薀》は無常である。およそ無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無がなるものは、それはわたくしのものではなく、これはわたくしではなく、わたくしの我ではない、とこのようにこれを如実に正しい智慧で見るべきである。」(相応部) 

以上は (参考文献:「万人に語りかけるブッダ」(雲井昭善著、NHK)p.41~243

 平家物語の冒頭に使われて有名な「諸行無常」は、全ての事は因縁生起であり、方丈記に行く川の流れは絶えずして、かつ浮かびかつ結び・・・とあるように、時間の経過と共に変化していくものである。

 これは物においても同じで、形のあるものはすべて変化し、ひとつとして同じものはない。”無我”なのである。

 この考え方は、唯物論においても同じである。唯物弁証法では変化・発展ととらえる。

 色は身体であり、受・想・行・識は精神であるが、これらは”五薀仮和合”で一時的に一緒になっているのだから死ぬことにより離れ消滅する。何事も有為転変なのである。

 唯物論では、変化・発展と捉え科学の見方を取り入れているから、変革が可能であるという立場である。それを政治に適用すれば革命の理論ともなる。

 しかし、釈迦は唯心論なので、変わり行くものだから現象に捉われることなく、その実態をよく見て対処することにより、苦を苦としない心をもつようにと言っているのだと思う。

 「苦とは、サンズクリット語では『思うがままにならないこと]だと言う。人は、思うようにならないことを、思うようにしようとして、それで悩み苦しんでいるのだ。釈迦が教えたかったことは、

―『苦]にするな!―

ということである。」(ひろさちや著、「50歳からの仏教入門」p.54)

 釈迦は、このようにも言っているという。現在を大切に生きるべしと。

「過去を追うな。

 未来を願うな。

 過去はすでに捨てられた。

 そして、未来はまだやって来ない。

 だから現在のことがらを、

 それがあるところにおいて観察し、

 揺らぐことなく、動ずることなく、

 よく見極めて実践せよ。

 ただ、今日なすべきことを熱心になせ。

 誰か明日の死のあることを知らん。」

    (同上、p.64)

 事態は、物事は、ものは、常に変わって行くのだから、過去に拘ったり、未来をおもんばかって悩んだりしても意味がないと言うのだ。

 私は、過去のことを思い出して偲ぶのはよいが、くよくよしても仕方がないと思っている。また、一寸先は闇だと思う。時間でいうと刻々と変わる同時進行の今しかないのだ。ただ、予想・予測は可能だからそういうものとしての未来はある。

ワットプラマハタート

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コメント

毎月お寺に行ってお話しを聞いておられるのですね。敬虔な在家でいらしゃいますね。
如来にも、大日とかたくさんあります。それぞれの宗派によって違う如来を信仰しています。 

仏教のわかりやすいお話に思わず一気に読んでしまいました。私が毎月1度行きますお寺でもわかり易く釈迦の説きましたお話を座談会形式ですが20名以上で話し合い、難解な言葉も多く出ますが知らず知らず耳にしておりますと親しめますね昨日借りました本の中に、薬師如来のことをわかり易くひろさちやが書いてありましたが、劫と言う年月超えて現代に生きる私たちにまで働きかけているのにはびっくり!でした。病気になった人を救ってやりたいと一人の人間が救済力を持った如来になることを決意しました。彼は生まれ変わり死に変わりして何億の何億倍もの回数を流転・輪廻して彼の願いの実現に向けて努力します。それが劫という年月だったのですね。有難い事です。南無阿弥陀仏

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