どこが面白いのか?芥川賞の「終の住処」
芥川賞受賞作品の磯崎憲一郎氏によって書かれた「終の住処」を読んだ。読み始めて直ぐに何という退屈な描写だろうかと思った。どこかで面白くなるのかと期待して読んだが結局最後まで退屈であった。
この持って回った描写はどこかで見たことがあると思って記憶を辿ったら、中学校の同級生にませた頭がいい文学志向の奴がいて、私に、書き始めたという”小説”の冒頭の部分を得意げに見せてくれたことを思い出した。
純文学とはこのような表現をしなければいけないのだと言わんばかりの書きぶりである。
新婚の頃の妻の不可解な行動、それをいろいろと推察する主人公の心象風景なのかも知れないが、突然に公園の風景が描かれる。
妻と主人公の母親との仲のよさ、上司との関係、黒いストッキングの女との不倫、娘の誕生、遊園地と観覧車、そしてサングラスの女と不倫や妻が口を利かなくなること、その間の数々の不倫、家を建てること、アメリカ行き・・・などなどのエピソードが唐突に語られ、脈絡がないので読み手を惑わせる。
例えば、妻と会話をしない11年間であるが、その間娘が成長していく大事な時期と重なる。それなのに彼は妻との関係を修復する努力をせず、不倫にのめりこみ仕事に逃避をする。それでよくも娘がグレずに育ったものだと思う。何ともやりきれない身勝手な生き方としか言いようがない。
結局、そりが合わない妻と死ぬまで過ごすことを暗示して終わるのだ。「その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻と過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。」
読み終わって、描きたかったことは一体何だったのか、私のような文学音痴には皆目分からず、楽しむこともできなかった。
それで芥川賞選考委員の評を読んでみたが、例によって短い抽象的な評で、要するに印象としていいとか、よさそうだとか、面白くないとか言っているだけであった。
文学はもともと非常に主観的なものだから、それでよいのかも知れないが、この難解さを褒めて受賞作とした委員たちは「裸の王様」に出てくる大臣たちと同じだと思った。
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