釈迦が説いたのは心の持ちよう―私の仏教観①―
長谷部さんのコメントに触発されて書く。
私は、大学に入った頃から仏教に関心を持ち、よさそうな解説書を読んだ。私がよい本だと感じたのは、当時、栄の松本古書店で見つけた「仏教入門}(増谷文雄著)である。この本は今も大切にしている。
この本によって、私は、原始仏教というものを知ることができた。著者は、原始仏教について阿含経によって知ることができると言う。原始仏教は釈迦によって説かれた仏教の教えの中で最も釈迦に近いものと言われる。
釈迦の時代は、全て口伝であって、文字の経典が編纂されたのは、何と釈迦没後100年以上も経ってからである。それまでいろいろな伝わり方をしていた釈迦の教えを持ち寄ってまとめようということで会議(結集→ケツジュウ)が開かれて最初の経典がつくられたようだ。
その後もさまざまな経典が作られて来た。だから経典と言っても、その後の指導者の考え方や解釈が付け加えられているわけだ。
私が、知りたかったのは、釈迦の教えである。いったい釈迦は何を教えたのかである。
釈迦の死後、仏教は南方の諸国と北方の諸国の伝播した。だからタイやスリランカやビルマなどの南方系仏教と中国や朝鮮や日本などの北方系仏教の流れがある。
現在残っている僧のありようを見ても、南方では一様にカーキ色の衣を纏っているが、北方では墨染めの衣が多い。
共通しているのは、仏像を造って拝む対象とすることや大きな伽藍を造ることである。
そもそも釈迦は仏像のような偶像を造ることや大伽藍を造ることをすすめたのであろうか?私の理解する限りでは、釈迦はそういうことを否定したのだ。
釈迦が説いたのは、「涅槃」である。彼が菩提樹の下で悟りを開いたと言われるその境地である。
つまり、釈迦は心の持ちようを説いたのだ。
「比丘らよ。苦聖諦とはかくの如し。生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり。怨憎する者に会うは苦なり、愛する者に別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、略説すれば五取薀は苦なり。」と、鹿野苑での初転法輪(悟りを開いての最初の説法)で述べたと言われる。※五取薀→人間のさまざまな執着、色、受、想、行、識、つまり精神と肉体
どうしても避けて通れないものとして「生、老、病、死」がある。生を受けたのは縁としか言いようがない。何故今の自分が生まれたのか。誰も自ら望んで生まれてきたのでない。縁あってたまたま人間になり、日本人になり、今の自分があるのだ。
生を受けたらその瞬間から老いが始まる。だから”老”が2番目に来るのだ。生きている間には”病”になることもある。昔は病になったら治らないことが普通であった。だから、帝王でも貴族でも何かの絶対者=神秘的なもの=神に頼ったのだ。仏もいつのまにかその一つとされるようになった。しかし、釈迦はそんなことは否定している。次いで”死”であるが、これは必ずやってくるし、いつやってくるかわからないが「死」で終わるのだ。
このどうしようもないものをしっかりと見極めることを先ず説いたのだと思う。しっかりと見極めることが「諦める」である。「諦めるとは明らかにすること」である。生、老、病、死の四つを四苦と呼び、更に怨憎会苦、求不得苦、愛別離苦、五薀集苦を加えて八苦の本当の姿(真理)を知り、それを諦めることが大事だと説いたのだ。
それは仏像を造って拝むことでも大伽藍を造って飾ることでもきらびやかな法衣を纏って読経をすることでもなかった。
釈迦は、心の持ちようを分かりやすく説いたのだ。
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茂木健一郎訳の「脳によいことだけをやりなさい」の紹介をまだ読んでおられなかったら読んでみて下さい。この本今でも売れてるらしいです。
投稿: らら | 2009年9月30日 (水) 13時45分
投稿: 長谷部 文子 | 2009年9月30日 (水) 10時28分