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2009年8月 6日 (木)

フジヤマのトビウオ 古橋広之進氏の死を悼む

 フジヤマのトビウオと謳われた日本水泳界のリーダー、古橋広之進氏がローマで亡くなられた。誠に惜しい人をなくしたものだと思う。心から追悼の意を示したい。

 私が中学生の頃、古橋氏と橋爪氏が競泳で世界記録を立てたことを朝日新聞で読んだ。戦後間もない頃で日本はまだ打ちひしがれていた当時凄いニュースであった。

 昨日の朝日新聞によると、世界記録を30回も更新したのだという。それは彼のもの凄い努力の賜物でもあったが、それにしても何不自由ない食べ物があり、水泳の設備があるアメリカなどを相手に世界記録を出したのだ。驚異としか言いようがない。

 私は彼らが何を食べていたのかに関心を抱いたが、今朝の天声人語によると、

「食べるのが精一杯の戦後、日大水泳部の主食はスイトン、マメカス、トウモロコシでコメは1升を30人分のお粥にした。」と書いてある。

 つまり、当時の日本人が配給されて食べていたものと全く同じ食事であったのだ。この記事を読んでスイトンやマメカスやトウモロコシの映像と味と匂いがまざまざと脳裏に蘇った。

 マメカスは油を絞った後の滓で板状になっていた。スイトンはまだおいしかった。トウモロコシは米軍の放出で今思えば家畜用の餌であったのだ。匂いがきつくてとても腹が減っているのに食べたくないくらいまずかった。 我が家でも、コメはお釜の中の大量の水と大根の葉などの中にパラパラと入っている程度であった。

 サツマイモを買い出しに行ったということであるが、我が家でも同じであった。父が作った簡易の棒秤でサツマイモを計って食べたのを思い出す。

 そんなみじめな食事をしながら、古橋氏は1日2万mも泳ぐことがあったという。「魚になるまで泳げ」が口癖の彼は自ら実践をしたのだった。

 当時私はがりがりに痩せていた。まして、毎日猛練習の彼らはどんなであったろう。

 もう一つ驚かされるのは、ふんどしの上に水泳パンツを重ねて競泳に臨んだということである。

 最近は、水着の改良競争で次々に新しい水着が作られ、世界記録が更新されている。

 ふんどしの上に水泳パンツでは、抵抗が大きすぎて大変だと思うのだが、それで次々と世界記録を塗り替えたのだ。

 もし、当時の古橋氏に今の水着をはかせて泳がせたらいったいどんな記録が出たであろうかと思う。

 或いは逆にふんどしと水泳パンツで今の選手に泳いでもらったら面白いかもしれない。

 スイトンと肉、ふんどしと水泳パンツのハンディをものともせず、見事な成績を上げたことは大変な快挙であった。

http://showa.mainichi.jp/news/1949/08/post-21a9.htmlhttp://www.obc1314.co.jp/blog/ptof/?m=200806

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