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2009年8月

2009年8月31日 (月)

自民自滅!!マスコミの予想通り

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・。

  注目の夏の総選挙は、マスコミ各社の事前予想通りの民主党圧勝に終わった。アメリカの大統領選挙でのオバマ氏の”チェンジ”を髣髴とさせる選挙結果である。

 民主党は小沢代表のぶざまな交代や鳩山代表の疑惑にも拘わらず大勝した。自民党は自滅したのだ

 そして、自民党と連立を組んで弱者と平和の党を標榜した公明党も代表、幹事長が落選するという事態となった。それは自民党にくっついてやってきた10年の結末であった。

 今回の自民党の歴史的敗北は、実は小泉内閣のときから深層潮流として準備され、そのマグマが一気に噴出したものだと言える。

 前回の郵政選挙では自民党・公明党が大勝したが、その数に乗って自民党・公明党は、衆議院での再可決という手段を何度も使ってやりたい放題であった。

 しかし、小泉内閣時代のアメリカべったりの構造改革により、大企業や富裕層のみ恩恵を受け、一方では非正社員が大幅に増え、年収200万円以下の層が1030万人を超えるまでになり、生活保護世帯は今も増え続けている。

 医療、介護、年金、地方の疲弊、シャッター通りの増加、教育問題、自殺や犯罪の増加・・・・等々で国民はうんざりしていた。これらは全て自民党・公明党の政治が招いたものである。

 国民はバカではなかった。自民党・公明党の余りにも国民を無視した政治に鉄槌をくわせたのだ。

 民主党は大勝したが、元は自民党から出てきた人たちが主導している党である。本質は自民党と変わらないかもしれない。国民は、不安はあるが不満の自民党・公明党より、不安の民主党を選択したのだ。とにかく1度やらせてみようと思ったのだ。

  問題はこれからである。民主党政権に国民の注目が集まっている。どんな施策を実行してくれるか、果たして公約は守られるのか、覚めた目で見ている。

  「政権交代」と書かれたあのマニュフェストが、とりあえず検証の資料である。我々は今こそ公約を読み直し、民主党の実行力を見守っていかねばならない。

 

 

 

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2009年8月30日 (日)

マジックで施設慰問

 8月26日に名古屋華マジカルボランティアグループの有志でラ・モーレ栄という施設を慰問した。

 この施設は有料老人ホームだが、栄の繁華街の直ぐ近くにあり、非常に大きな建物である。入所者はどのくらいいるのか知らないが、マジックを見に集まった入所者は30数名であった。

 見かけたところでは、かなり高齢の人が多いようで、圧倒的に女性であった。中には車椅子の方も数名おられた。

 2階に広い部屋がありそこでマジックを見せた。

 クラブの会長が挨拶と演技者の紹介をした。その後、前座で私がマジックを披露した。演じたのは、最初に1本のロープから輪が出来てまた1本のロープに戻るという手品から始めたが、タネが壊れてしまいできなかった。ショックのスタートであった。

 次もロープの手品で、ロープに結んだ結び目が消失したあと、シルクを結んでシルクをはずすという手品である。

 次がカードを使った手品で、4人の子ども、薔薇カードであった。どちらも現象がはっきりとしている手品である。

 それから、カッププロダクションでカップを次々と出し、シルクをチェンジングバッグに入れて虹のシルクに換えた。

 ついで、不思議な箱で客が選んだ色を当てる手品をやった。

 最後に袋卵をやったが、袋を改めているときに卵が落下してしまった。気を取り直してもう一度やった。

 ベテランのOさんは、鳩を出すマジック、白い紙がお金に換わるマジック、新聞紙から水を出すマジック、レコードの色が変わるマジック、すだれから傘が次々に出るマジックなどを披露して見ている人たちを驚かせた。

 見ている入所者たちは、みなさん集中して見て下さり大変やりやすかった。中には元気がいい女性がいて大きな声で反応を示してくれたので励みになった。

 最後は会長が、健康で長生きをする秘訣を5か条にまとめて話した。運動すること、笑って楽しく生活すること、怒らないことなどを分かりやすく話した。

 コーラスでの施設慰問が2回、マジックでの施設慰問のボランティアも、これで2回目であった。喜んでもらえるのは嬉しいことである。

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2009年8月29日 (土)

29周年を迎える昭和英会話クラブ

 私の所属する昭和英会話クラブ(SEC)は来年1月に創設以来満29年になる。もともと、名古屋市の昭和区にある昭和社会教育センター(現在は生涯学習センター)が出来たときに、英語会話講座が開かれたのがきっかけである。

 英語講座は2期続いて12月に終わったのだが、そのとき43名いた学習者の中から自主講座を作って継続しようといいう声が出て、23名ほどで発足したものである。

 最初の講師はJulia・Sopalskyというアメリカ人女性で、センターが紹介してくれた。以来、英語会話講師は一貫して外国人を要請してきた。そのことは規約にも明記してある。

 そもそもセンターに英語会話講座が出来たのは、近い将来に英語コミュニケーション能力が必要になる時が来ると予想されたからである。

 参加学習者の中で英語を話せる人はほんの僅かであった。殆どの人は私も含めて全くの素人であった。

 しかし、定員一杯集まったということは、それだけ将来の海外旅行などを想定した需要があったということであろう。

 そういう訳で昭和社会教育センターを会場にして、1981年1月21日に昭和英語会話クラブがスタートしたのである。

 以来、インストラクターも会員もいろいろと入れ替わったが、29年間も継続してきた。私も含めて創設以来の会員が3名いる。合唱クラブのようなものは別として、英語会話のような学習でこんなに長く続いているのは余りないのではないかと思う。

 一回、一回の積み重ねで気がつけばいつの間にか長い歴史を作っていたのだ。

 もし、愛知県や名古屋市に私たちのような歴史を持つ外国語学習のクラブがどのくらいあるか知りたいものである。

 このblogを読まれた方でご存知の方は、コメントに入れてもらうかniftymailアドレス宛に教えて欲しいものである。

ST issues Aug. 14, 2009

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2009年8月28日 (金)

楽しかったガーデンパーティ

 8月26日に、maronさんのお宅で開かれたガーデンパーティに招かれて出かけた。ポットラックパーティで持ち寄りだということであった。初めての参加なのでちょっと不安であった。

 maronさんは、「友達」という素敵なblogを持っておられる。私が、blogを始めたときに松井さんから紹介され、以来お互いにblogを読みあってきた。blogでは私より2年余り先輩であるが、その内容が素晴らしいのだ。お歳は私より10歳ほど年配だと思うのだが、多方面に豊富な知識を持っておられ、いろんなことに好奇心や興味を持っておられる。

 最近の世界経済恐慌についても鋭い批判をしておられる。こう言っては失礼かもしれないが、年配の女性とは到底思えないのだ。

 松井さんと奥さんが駅まで迎えに来てくださって車でmaronさん宅に行った。

 大きな鉄筋の住宅で広い庭があり、周りを大小の木々が囲んでいたが、凄いのはそれらが自然のままであることであった。

 入り口に女性が迎えて下さった。「maronさんよ。若いでしょう?」と松井さんの奥さんが教えてくれた。本当に一瞬娘さんかと思った。小柄でスリムで若く見えるきれいな方であった。blogで時々拝見する写真では体格のよい方だと思っていたので全く違っていた。

 庭にはところどころに白いガーデンチェアとテーブルが置いてあった。

 maronさんが、レモンの木に案内してくださった。まだ青いレモンが一杯実をつけていた。木の本からは紋黄蝶が一斉に飛び立った。

 金柑の木にも実が一杯ついていた。我が家の金柑は今年は全然実がつかなかったのでどうしてだろうかと思った。maronさんは、「自然のままにほったらかしてあるのよ。」とおっしゃった。自然の状態が好きなのだということであった。「奇跡のリンゴの木村さんみたいですね。」と言うと、「その通りよ。」と言われた。イチジクなどのなりものの木が他にもあった。

 maronさんのご主人が、スコッチのモルトを勧めて下さった。説明どおり、ちょっと甘くて飲みやすいウイスキーであった。何でもご主人はお酒が大好きであったそうだ。また息子さんが、香りがよいというブランディを勧めて下さった。

 パーティは5時半頃にビールの乾杯で始まった。旧暦の七夕の日に毎年開いてきたのだそうだ。生憎空は曇っていた。

 フランス料理のシェフという方が、大きなパンを二箱も焼いてこられた。カレーをつけてナンのようにして食べたらとってもおいしかった。

 釣りが好きだという男性は、セイゴを釣って串焼きにして持ってこられた。

 他に散らし寿司だとか、肉じゃがだとか、サラダとかいろいろと持ち寄りで集まっていたがどれもおいしかった。私は食い物には目がないので絶えず口を動かしていた。

 余興のときに、私はマジックを披露した。

 1本のロープが輪とロープになりまた元に戻るもの、結び目が消えるロープ、ロープに結んだシルクがはずれる、四人の子供、薔薇カード、カッププロダクション、チェンジングバックでシルクの種類をかえる、袋卵などの手品をした。

 中には、マジックを目の前で見たことがないご婦人が2、3人いて大変興味を持って見て下さったのでやりがいがあった。

 その後、松井さんがお得意のバイオリンでビバルディの四季(春)やラ・カンパネラなど4曲を演奏した。それで文化度が一気に高まった。

 ついでシェフの方が詩吟と河内音頭を披露された。師匠だというだけあってさすがであった。

 また、ご主人が東海林太郎の国境の街と淡谷のり子の湖畔の宿を歌われた。

 パーティは遅くまで続いて、お宅を辞したのは8時半頃であった。

 とても楽しいガーデンパーティであった。そして、maronさんやいろいろな方にお会いしてよかった。

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2009年8月27日 (木)

珍しい野菜を見つけた

 毎週月曜日と火曜日に、近所の佐久間米屋で野菜を売る。店には「地産地消・みえのやさい」と書いた幟が立てかけてある。野菜は毎週三重県の多気郡の農家に野菜をとりに行く人がいて、その人の依頼で預かって売っているのだ。

 そういう訳で野菜は新鮮である。しかし、形や大きさは不ぞろいである。言うなれば出荷できないような等外品を仕入れてくるのだろうと思う。

 時には野菜だけでなく、珍しい竹の子とか野草のようなものも並べている。それに店のおばさんが気さくな人で時々まけてくれる。

 月曜の朝、銀行に行った帰り久しぶりに立ち寄ったら、珍しい野菜を売っていた。写真にあるような白ナス、白ゴーヤ、ちょっと変わったオクラ、そして変り種はズッキキーニである。

 白ナスとこういうズッキーニはこの歳になるまで見た事がない。初めて目にした。

 味はどうだか分からないが、もし私に画才があれば静物画の材料にしたいところである。

 白ゴーヤは苦味が少ないということで、先だって初めて買ったが、確かに苦味は少ない。でも、妻は青いゴーヤの方が好きだと言う。人それぞれだ。

 ズッキーニはもっと大きくて色がカーキ色のものや黄色のものもあった。あまり大きくては食べるのも大変だと思い中加減のにした。

 カボチャも昔普通に見られたカボチャと今人気のクリカボチャの2種が置いてあった。おきなクリカボチャも200円で買った。

 金を払うときにおばさんが、

「ズッキーニはおまけにしとく。」と言った。

「そんなことしなくても金を取ってください。」と言ったがまけてくれた。

 昔はどこの店に行っても、このおばさんのような人がいて、まけてくれたものである。子どもの頃買い物に行くのが楽しみであった。

スーパーになって個人商店がなくなってからはこういう風景は見られなくなった。今どき珍しい、文化遺産のような人だ。

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2009年8月26日 (水)

今年の梨は不作?

 8月は例年なら「幸水」という品種の梨から始まって「豊水」がぼつぼつ出回り始めるときである。ところが今年は、どうも梨が不作のようである。店頭にもあまり見かけないし、値段も高い。

 これまでに「幸水」を3回買ったが、どれも甘みがなくて値段が高かった。今の時期はブドウの「巨峰」がまだ出ているがこちらの方は例年と変わりがないようである。

 今年はスイカが意外に手ごろな値段で、よく買って食べた。しかし、ぼつぼつ終わりである。

 本当ならリンゴが出回る少し前のこの時期に梨が豊富だと嬉しいのだが、残念である。

 先日、東京にいる娘から、「稲城」(いなぎ)の梨を送ってきた。娘の話によると、注文したのはずっと前だが、送られてきたのはかなりたってからである。注文するときに農場主が、

「今年は梅雨の雨が多いので、日照りが少なくて甘味はよくないかと心配だ。それにいつ収穫できるかはっきりとは言えない。」

と言っていたという。

 「東京特産」と書かれたダンボールに赤ん坊の頭ぐらいの梨が14個入って送られてきた。見たところはとても立派な梨であるが味はどうかわからない。

 冷蔵庫で冷やして夕食後に食べたら、最初のひとかじりは甘く感じたが、なれると甘みが物足りなかったであった。水分は申し分ないがやはり日照りの関係で甘みがのらなかったようだ。

 稲城という梨は、大きくて味がよい高級梨だということで毎年娘が送ってくれるものだ。1個700円もする梨だが、今年はちょっとはずれかなと思っていたら、今日食べたのは甘味もしっかりしていた。同じ箱に入っていても味が違うのは桃でも、リンゴでも同じである。

 テレビでは、三重県の伊賀地方の梨を取り上げていて、「今年は出来がいいですよ。」と言っていたが、一般的には梨は不作のようだ。

 9月になるとリンゴが出始めるのでそれに期待するしかないか。 

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2009年8月25日 (火)

戦争は利益のために画策されるという

 「アメリカが隠し続ける金融危機の真実」のP.105には、次のような恐ろしいことがちらっと書いてある。

 「ブッシュ政権下で強い力を握ってきた軍産複合体は、イラク戦争の先にさらに大きいな戦争を起こし、戦争景気によって双子の赤字をうやむやにする戦略をとろうとした。私(ベンジャミン・フルフォード)が独自に入手した情報によると、軍産複合体の目指していた戦争のタイムスケジュールh2012年に設定されていた。まずは、イスラエル軍によるイランへの空爆を行い、中東に新たな火種を作り出した上で、EU,ロシア、中国を巻きこんだ第3次世界大戦になだれ込もうとするシナリオまで、用意されていたよだ。」

 イスラエルとイランの関係は常に険悪で、そのためにイランは核武装をするのだと思われる。

 ブッシュ政権を支えたネオコンはアメリカの新世界秩序、ニュー・ワールド・オーダーを目指していたという。

 冷戦が終わり、軍事予算が削減されて軍産複合体は儲けが少なくなり、影響力が弱まってしまうのを恐れた。それで

 「アメリカに対する新たな脅威を作りだすプランを練り、その資金力と政府へとつながる人脈を駆使して、数々の工作を行っていった。

 その一つがイスラム社会との対立の構図だ。イスラム過激派の脅威を煽り、裏ではテロ組織派の資金提供なども行いながら現在のテロ戦争を作り上げて行く。」(P.111)

 オサマ・ビン・ラディンはもともとCIAの工作員であったという。

 こうなると、裏ではどんな恐ろしいことが画策されているのかと思う。一般市民が何も知らないところでその運命が決められているのだ。

 「軍産複合体に動かされたブッシュ政権は、日本の税収をはるかに超える6000億ドルもの軍事予算を注ぎ込み、核兵器、生物兵器を含む新兵器の開発やハイテク化に邁進した。いうまでもなくこの膨大な予算の大半は軍需産業に流れ込んでいく。」(P.112)

 昔から”死の商人”ということが言われたが、戦争という最悪の手段を金儲けにつなげようという貪欲な人たちがいるのだ。

 この本によると、あのイラク攻撃も今では嘘であったという言いがかりによって開始され、イラクを悲惨な状態に陥れた。フセインにより秩序ある統治がされていた独立国家を破壊したことも述べられている。イラクを手に入れたのも石油の利権が本当の目的であったのだ。

 オバマ大統領が唯一軍隊の増派をしてでも守り抜くといっているアフガンについても本当は石油会社の利権がからんでいることを書いている。

 要するに、みんな一部の大資本家の金儲けのためなのだ。金を儲けるためにはどんなことでも平気だやるということなのだ。

 その資本家についてもこの本は名前を挙げて述べている。

 

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2009年8月24日 (月)

毎日2件以上掛かってくる投資の勧誘電話

 5年ぐらい前からだと思うのだが、投資の電話が掛かるようになり、この数年は毎日2件以上は掛かってくる。2年ほど前に名古屋市消費生活センターに相談に行ったこともあるが、どうにもならない。

 毎日2件として1年では730件にもなる。よくもまあそんなに儲け話の勧誘をする会社があるものだと感心する。しかし、うるさくて仕方がない。

 昨年から電話番号を表示できるようにし、迷惑電話の拒否登録が出来るようにした。

 それによると、いつもは03の市外局番から掛かることが多いのだが、たまに他の市外局番もある。今日は06からだった。近く上場するので投資をして欲しいと言うことであったが嫌だと言うのにしつこく食い下がるのでパチンと電話を切ってやった。

 パターンとしては、03、0120、非通知の3種が多いが、困るのは市内電話である。市内電話は大事な電話かもしれないので出ないわけにはいかない。

 思うのだが、下手な鉄砲も数を撃てば当たるの喩えで、電話帳を頼りに掛け捲っているらしい。時々どうして電話番号を手に入れたのかと聞くと、そういうリストを売りまわしていることがわかった。

 昔作った同窓会名簿、勤めていた頃の住所録、どこかの証券会社を利用したデータ、建築会社関係・・・・ありとあらゆる個人情報が売買されているようである。

 個人情報保護法により秘密は守られるどころかインターネットとコンピュータの時代になって簡単に売買されて出回るのだ。

 友人は、電話番号を換えればいいではないかというが、若いときから使っている電話番号を簡単に換える訳にはいかない。

 結局、毎月830円の割り増し料金を支払ってできる範囲の自衛をするしかないのだが、年間1万円もの出費になるので癪である。

 僅かな年金生活で食べるのがやっとの貧乏人なのに次々と新手の業者から攻められるには実に不愉快である。どうせなら麻生氏とか鳩山氏のような大金持ちをターゲットにしたらどうかと言いたい。

 

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2009年8月23日 (日)

またまた品切れ、マスクと消毒液―どうなってるの?

 豚インフルエンザが夏なのに勢いをましてきて、遂に厚生労働省は流行を宣言した。名古屋でも死者が出た。

 新聞やTVでは、手洗い、うがい、マスクを奨励しだした。8月20日の夕方のテレビニュースでは、「マスクは十分に製造し供給しますから慌てないで。」と言っていた。

 それでもと思って、スギ薬局に出かけた。ところが手ごろなマスクは殆ど売り切れで、値段の高い高級品が残っているだけであった。消毒液を買おうと探したが、どこにも見当たらない。店員に聞こうと思ったが店員もいない。

 スギ薬局はダメ薬局だと思い、杉山薬局に行った。

 しかし、ここでもマスクは売り切れで、店員に聞くと、名古屋で死者が出た日から売れだしたとのことであった。消毒液も手ごろなのは残ってなくて仕方なくちょっと高いのを我慢して買った。でも、店員は親切に応対をしてくれた。

 何もないときに有事の備えをしておかなければと思いながらついつい火事がおきてから水の用意をするようなことになってしまった。

 H1N1インフルエンザは、どうして夏場にも流行するのかと思うが専門家にもわからないのだろう。今でさえどんどん罹患者や死者が増えているのだから、新学期になったら、秋になったら、どうなるのだろうと心配だ。

 それにしても、厚生労働省は、どうして予防のためにマスクや消毒液の確保を進めないのであろうか。定額給付金を配るよりそちらのほうが大事ではないのか。

 また、最初の頃は鳴り物入りで大騒ぎをしたが、患者が毎日数百人も増えて行き1週間で11万人を超したというのに対策は相変わらず手ぬるいとしか言いようがない。

 いくら未知のインフルエンザとはいえ対策はしっかりとやってもらいたいものである。

 【新型インフル】夏なのに患者急増、傾向と対策は?

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2009年8月22日 (土)

言い得て妙―証券化はねずみ講とは

 ベンジャミン・クラーク氏の著作からの続きである。 彼は、「アメリカが隠し続ける金融危機の真実」のP.22で次のように書いている。

「レーガン大統領就任の80年代以降、規制緩和のもとに行われた金融自由化は、一部の金融資本家だけを豊かにし、残り99%の市民を貧しくする騙しの手口だった。」

 これは今では誰でも認めるところである。1%の金持ちがアメリカの富の40%以上を独占しているのだ。ウオール街のトップたちは、多い人は80億円ともいわれる年収を得、破産する直前にやめた幹部は10億ともいわれる莫大な退職金を手に入れた。一方で4300万人の市民は医療保険もなく貧困のきわみに置かれている。

「彼らは、基本的には何も生産せず、コンピュータの中の数字を増やすことに注力し、デリバティブをはじめ、複雑な金融テクニックを開発しては莫大な利益を上げてきた。いわばねずみ講的なそのやり口は、アメリカ主導のグローバリゼーションによって世界中に広がって行った。日本もその例外ではなく、小泉・竹中ラインによる『構造改革』によって、巨大なねずみ講の一員にされてしまった。」

 竹中氏は小泉内閣でその旗を振ったのだが、今でも全く反省をしないどころか正しかったと強弁している。

 金融工学を駆使して金儲けのカラクリを作り出し、それをもって世界中に売りまくったウオール街の怪物たちは、一時は巨額の富を得たが、最期には自らが作った罠に陥って破綻した。しかし、大事なことは、会社は破綻しても幹部たちは既に莫大な報酬を手にしたとうことだ。

  また、アメリカでは、失敗に懲りず、金融工学を使って新たな金儲けの企みを始めたといわれる。彼らは懲りない連中なのだ。今度こそは騙されないようにしなければならない。

アメリカが隠し続ける金融危機の真実

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2009年8月21日 (金)

自民党麻生総裁の「責任力」を批判する

 総選挙が告示され、8月30日までの激戦が始まったが、選挙は事実上終盤戦だと言われる。何しろ解散から40日以上あったのだから無理もない。

 今回の選挙では、麻生自民党総裁は、常に「責任力」を協調し、彼が写った写真のキャプションも「責任力」と書いてある。自民党の最大のキャッチフレーズは「責任力」なのである。

 一体、「責任力」とは何に対しての責任力なのだろうか?この言葉に「力」がつけられている。つまり、今では陳腐化した「力」のつく言葉を使いたかったのであろう。

 私の記憶では、「・・・力」が最初に使われたのは、赤瀬川源平氏の「老人力」であった。以後いろいろな人が「・・・力」という題名の書物を出版した。「悩む力」「断る力」・・・・。

 「責任力」と聞くと一瞬責任を持つという意味かと受け取ってしまうが、そこで踏み止まって何に対する責任力なのかを考えてみることが大事だ。

 それには麻生首相がやってきたこと、その前の歴代自民党首相がやってきたことを思い出すことだ。

 昨日のblogにも書いたが、彼らがやってきたことは、対米追従であり、アメリカの要求を丸呑みにして規制緩和や金融グローバル化を進め、はたまたテロ撲滅と称して、無実なイラクを侵略するブッシュ政権に加担したことなどなどである。

 その結果、どうなったかは、誰の目にも明々白々である。

 貧富の格差が増大し、地方が疲弊し、医療・介護制度が低下し、非正規雇用という不安定な派遣、パートなどが1032万人に増え、年金問題が暴露し、生活保護世帯が増加し、犯罪が増加し・・・大半の国民には、将来への夢も希望もないことになった。

 イラクへの自衛隊の派遣も、インド洋給油も、グアムへのアメリカ基地移転に巨額の支出をするのも全てはアメリカのご機嫌取りであった。

 つまり、麻生氏が言う責任力とは、アメリカに対する責任力であり、それに伴って利益を得られる企業や人への責任力であるのだ。何の力もない一般国民には何の責任も取ってもらえないのだ。小泉元首相がいみじくも言ったように、ただ”耐える”しかないのだ。

 そこへ行くと、民主党の「政権交代」は具体的で明解である。政権を自民・公明から民主党を中心とする野党勢力にチェンジするということだ。

 先日、公明党支持者が支持を訴えに来たが、嘘か真か知らないが、支持者の集まりでは、今度は民主党という声が大きいのだといいう。公明党は自民党を見限って次は民主党に擦り寄るのか、或いは本当に下部ではチェンジを求めているのかも知れない。

 もし、そうだとすると、責任力の訴えはますます、空虚に響く。

 大事なことは、リテラシイを持つて判断をすることである。

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2009年8月20日 (木)

アメリカの言いなりになった歴代首相という指摘

 ベンジャミン・フルフォード著、「アメリカが隠し続ける金融危機の真実」(青春出版)によると、「1989年から90年にわたって行われた”日米構造協議”でアメリカは日本に自国並みの構造改革を求めて来た。」と書いてある。(p.159)

 「93年宮沢喜一首相とクリントン大統領の間で”日米間の新たなパートナーシップの枠組み”が合意され、翌年の秋から、アメリカ政府は『年次改革要望書』を送付してくるようになった。」

 「そこには、アメリカ政府の御用学者と官僚が作ったアメリカにとって都合のよい改革案が書かれており、同時に日本では、『規制緩和』という言葉がブームになっていく。」

 ”規制緩和”がアメリカの要求によって持ち込まれたものであると指摘している。細川内閣以降の日本政府はアメリカのグローバリゼーションにおとなしく従ってしまったという。

 マスコミもまたその政策にのっかり推進の片棒をかついだのだ。

 アメリカのグローバリゼーションが世界的金融危機を引き起こすことになったことは今では誰でも知っている。しかし、当時はその一翼をになうために日本も規制緩和をすべきだという主張が繰り返された。

 「M&Aを奨励し、外国企業が日本企業を買収しやすくする環境が造られた。97年には純粋持ち株会社の解禁があり、98年には金融ビッグバンと続き、99年の商法改正によって日本の企業買収、合併が規制緩和された。」と述べる。

 その他、97年の『外国のスーパーの日本への出店』の要望に応えて”大規模小売店舗立地法”が施行されて地域の商店街のシャッター通り化につながった。

 01年には、小泉首相とブッシュ大統領の合意に基づいて『成長のための日米パートナーシップ』が結ばれ、更にアメリカの要求に応える法律の改正をすすめたのだ。

 小泉・竹中と公明党が推し進めた構造改革の錦の御旗のもとで、アメリカの要望の第一であった郵政民営化が実現した。また派遣労働法の改正によって非正規社員が1/3を越すまでになり、年収200万に満たない低所得層が増加し、社会問題になった。

 これらは全てアメリカのポチと言われた小泉首相など歴代の首相により進められたアメリカべったりの政治の結果なのだ。

 アメリカは、金融の力で世界経済を支配しようとしたが、余りにも強欲でGREEDな金儲け主義のため自らが破綻して世界に正体を露呈したのだ。

 この本は、その辺のことを荒っぽい書き方ではあるが指摘している。

 今一度、バブルからバブル崩壊そして失われた10年を経て今日に至るこれまでの過程を振り返り、今度の総選挙ではアメリカにNOと言い、アジアや世界で日本の主体性を大事にする政治を求めたい。

http://benjaminfulford.com/New%20Profile.html

ベンジャミン・フルフォード

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2009年8月19日 (水)

日本の花き産業は世界一

 17日朝のテレビ愛知、モーニングサテライトで話題の経済ニュースとして「花き産業」を取り上げていた。

 それによると、日本には7万種の花があり、世界一なのだそうだ。毎年何と4000種類もの新しい花が作られるのだと言う。

 アメリカのコネチカット州は暑いところらしいが、”サンパチェンス”という花がガーデニングの人気の花となっているようだ。理由は、暑さに強く、成長が早くて、しかもCO2の吸収が通常の6倍もあるからだという。

 サンパチェンスは、サカタのタネが作ったもので、これまでに世界中で1120万株も売られたそうだ。

 日本の花の卸売りは年々減少している。それで花き業者は世界に眼を向けて輸出をしている。外国で人気が出れば国内の販売も伸びるものと期待されているようだ。

 日本で花の売り上げが減少している理由については何も触れていなかったが、経済のダウンと関係があるのだろうか?

 日本には室町時代の昔、華道ができ、花を生けるのも芸術をなったし、盆栽という芸の伝統もある。

 日本では、農家などでも花の改良が行われ、裾野が広いのが強みだと指摘していた。

 日本の花をもっともっと世界に輸出して世界中の人々に楽しんでもらうのは素晴らしいことだ。

 それにしても意外なところに日本の強みを発見した気がした。コメンテーター

の吉崎氏も同じような感想を述べていた。

http://www.sakataseed.co.jp/special/SunPatiens/

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2009年8月18日 (火)

食糧自給率に二種類あるとは(正確には3種類)

 今日のサンデープロジェクトで、「牛乳は”国産”なのに自給率は41%の謎」というのをやった。

 私は、牛乳は国産と称して本当は大半を輸入しているのかと思って見ていた。ところが、そうではなくて牛乳は全て国産なのだそうだ。脱脂粉乳と加工乳には恐らく輸入したものが使われているのだろうが、所謂、”生牛乳”と表示して売られているものは国産なのだ。

 では、何故自給率が41%なのかというと、牛に与える餌を輸入品に頼っている場合は、国産にはカウントされないからなのだそうだ。

 牛や豚の餌を輸入品に頼るようになったのは、戦後アメリカが国策として家畜用飼料のトウモロコシを売るために日本の牧畜業の餌として大量に安く売ったからである。それが現在まで続いているのだ。

 アメリカは、エジプトの家畜の餌も完全に支配しいてしまったと言われる。

 そのことは、昨年アメリカの家畜用飼料のトウモロコシの価格が、エタノール生産に転用されたことが原因で高騰したことで明らかになり、問題となった。

 日本では、家畜の餌として栽培されたコメを使うことが奨励されたが、今でも59%の餌は輸入飼料に頼っているのだ。

 ところで、この自給率41%には、カラクリがあることを知らなかった。それはカロリーベースで表されている数字だというのだ。

 しかし、世界ではカロリーベースで表しているのは、日本と韓国だけなのだそうだ。他の国々は、金額ベースで表しているのだという。それで表すと自給率は66%ととなり、イギリスの60%より上になるのだそうだ。

 では、何故カロリーベースで表した外国の数字が日本でまかり通っているのかというと、農林水産省が計算をし直しているのだという。

 そうまでしてカロリーベースで表すことに拘っているのは、農林水産省の予算獲得のためだという。

 農林水産省では、自給率を上げるキャンペーンに有名人を起用し、予算を234億円もつけて大宣伝をしているのだという。

 農業生産の自給率を上げることは大事だと思うが、カラクリを作ってまでやろうとしていることには胡散臭さを感じる。

 日本の農業も畜産も林業も水産も多くの問題を抱えている。こうした産業も基幹産業だと私は思うのだ。それに従事する人たちが安心して仕事ができるようにすべきだと思う。

 

食料自給率の問題点 [編集]

雑誌「農業経営者」[11][12]によれば、カロリーベースで見た日本の食料自給率の低さが問題とされ、多くの国民の心配事となっているがこの自給率推計には以下の多くの問題点があるとする。

まずカロリーベース総合食料自給率は分母が国民に供給されている食料の全熱量合計であり、分子が国産で賄われた熱量で計算される。国民が健康を維持する上で必要なカロリーではなく輸入も含め国民に供給されている食料の全熱量合計であるため、国内の農業生産が変わらなくても輸入が減ると自動的に自給率が上昇することとなる。輸入が途絶えると終戦直後のような食糧難となり多くの日本人が栄養失調や餓死することになるが、自給率は計算上100%となる。

また分子の計算は畜産物については、国産であっても飼料を自給している部分しかカロリーベースの自給率には算入しないこととしている。しかし、畜産に飼料が必要なように穀物野菜果物の生産に肥料が欠かせないのだが、この肥料の自給率は一切考慮されていない。

さらに、上記「主要国の食料自給率」でも取り上げたが各国の自給率は日本の農水省が独自に推計したものであり、日本と韓国を除く海外諸国はカロリーベース総合食料自給率の計算をしていない。雑誌「農業経営者」がこの計算方法について農水省に取材したところ、「食料安全保障の機密上出せない」との回答があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/食料自給率

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2009年8月17日 (月)

若い女の子の顔がみんな同じに見える?!

 2年ほど前からかと思うが、街で見かける若い女性の顔が大体同じに見えるように感じ始めた。

 女性というより、女の子と言ったほうがよいかもしれない。最近の女子高生はおしゃれをしているから、年齢で言うと高校生から20台までの女の子である。

 長い髪を少しカールさせて少し茶色っぽくして、目には付け睫にマスカラをして眼を大きく見せている。顔の形もこの頃はうりざねの形になったようだ。化粧の仕方もみな同じである。

 髪の毛を長くして少しカールさせるのは、”名古屋カール”といって、名古屋の若い女の子が発信地らしい。そんなことをテレビで言っていた。

 地下鉄や盛り場などで数人ずつ連れ立って歩いているのを見るとどの顔も同じに見えるのだ。

 そのことを知り合いの年配女性に話したら、やはり同じに見えると言った。そして、「個性がないわね。」と付け加えた。

 ほんと、個性がないと思う。

 今の若い女の子は、個性を主張して、自由な服装や化粧をしている。一時はやったガングロ女性はめっきり少なくなったが、”萌え”の仲間は相変わらず盛んである。フランス人形みたいな服装の可愛いい女の子が目立つ。

 だが、女の子の顔が同じに見えるのは、そいういう特別な格好の女性ではなく、高校生や働いていると思われる女性なのだ。

 可愛いことは確かにどの女の子も可愛いい。だけど同じに見えるのだ。

 美人ばかりの中ではそうでない方がいいと言われる。可愛い子ばかりではこちらの脳が麻痺し感じなくなってしまうようだ。

 脳は同じ刺激には反応をしなくなるはずだ。(茂木健一郎先生、そうでしょう?)

 たまに黒髪の髪が短い女の子を見かけるとハッとする。

 

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2009年8月16日 (日)

苦労してアドレス帳データの取り出しに成功

 知り合いのOさんが、デスクトップPCのマザーボードが故障したので新しいノートPCに買い換えた。でも、ハードディスクは壊れてないので接続コードを買ってデータの取り出しをした。

 ワードや写真のデータは何とか取り出せたが、WINDOWS OUTLOOKEXPRESSのアドレス帳のデータだけが取り出せないという。

 後で聞いた話だが、購入店に持っていっても駄目、Yahooの相談しても駄目、HP作製業者に相談しても駄目で諦めることにしたのだ。

 それで私は駄目元でハードディスクを借りてきて自宅で取り出しをやってみることにした。

 調べて行くと、アドレス帳の在り処は直ぐにわかった。Program Fileから入っていってOutlook Expressのwabの中にあったのだ。しかし、開くと私のアドレスブックが開いてしまう。いろいろとやり方を変えて何度も試したがどうしても私のが開くのだ。

 苦しみはそこから始まった。

 PCに詳しいKさんに電話をして相談すると、私のVISTAがメインだからそうなるのだろう。接続したハードディスクから立ち上げたらどうかということで試みたがそちらからは立ち上げられない。

 そこでふと思いついて接続コードの製造会社に電話をした。サポートは18時までだったが、17時59分に電話するとつながり快く相談にのってくれたが、わからないということであった。ただ、「インターネットでアドレス帳の場所と入れて調べてみたら?」と言われたので、「あ、それがいい!」と思った。

 Googleの検索で、「PCのことなら何でも無料で相談に乗ります。」というサイトが出たので、電話してみたら親切に応対してくれたが、やはり分からないということであった。

 仕方がないので、Google検索でいろいろと探した。MicrosoftのHPではレジストリにコピーするようなことが書いてあった。ただし、PCがどうなっても責任は負えないと書いてあった。レジストリーの知識はないので危険だからやめた。

 いろいろと探していたら、下記のアドレスのblogに出会った。

http://blogs.yahoo.co.jp/mo_jisan/52678142.html 

 データの取り出し方をとても詳しく説明をしてあるblogであった。これを読みやってみた。

 アドレス帳はアクセサリーの中にあったので、それをフラッシュメモリーにコピーをした。次に、ファイルを開いて「ツール」→「ファイルオプション」→「ファイルを全て見えるようにする」をやりたいのだが、VISTAではどうやるのかわからないので、もう一台のXPのPCでやったら、隠しファイルが見られるようになり、アドレス帳を開くことができた。それで念のためにアドレスを全部コピーをした。

 そのフラッシュメモリをVISTAに挿してみたらコピーしたアドレスを見ることができた。OさんノートPCもVISTAなのでこれで安心であった。

 取り出しに成功したのは、夜の9時を回っていた。インターネットで見ると、アドレス帳にはみんな苦労をしていることがわかった。困っている人は上記のblogを読むことをお勧めする。

パソコン

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2009年8月15日 (土)

8月15日の思い出

 8月15日は終戦記念日である。昭和20年のこの日に戦争が終わった。

 その日は、天気のよい日で暑かった。父は何の用があったのかは知らないが、勤務していた学校に出かけていた。父が帰ってきたら一緒に遠くに借りていた小さな畑に行くことになっていた。

 当時私は10歳。長男なので家の手伝いは全てやることになっていた。弟妹の世話、ご飯焚き、薪集め、畑仕事・・・・。

 午後何時か知らないが、父が帰ってきた。そして、「畑に行くのはやめだ。」というと、ごろんと横になった。何があったのだろうかと訝ったが、私にしてみると、暑い太陽が照りつける中を遠くまで歩いて畑に行かなくてもよいのでホッとしたのを覚えている。

 後で母から、「戦争に負けたのだ。」と聞いた。

 父は、召集されて戦争に行く覚悟は決めていたし、その準備もしていたが、丙種合格で教師をしていたからか召集されないうちに戦争が終わった。

 父が戦争をどう思っていたのかは私は知らない。戦争の現状とか行く末についてとか話を聞いた覚えはないからだ。だから畑に行くのをやめた理由も知らない。

 家には真空管4球式のラジオがあったが、私は玉音放送のことは知らない。近所の人からも聞いたという話を聞かなかったから、誰も知らなかったのだろう。

 戦争が終わり、もう毎日上空を飛行していたアメリカの飛行機が爆弾を落とすこともなくなるのだと思ったのは後のことである。

 8月15日の思い出は、他愛のないものだが、何故か父が帰ってきた部分だけは鮮明に覚えている。

 そして、行くはずであった畑にはカボチャが豊作であったことも思い出す。

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2009年8月14日 (金)

江戸時代の檀家制度に胡坐をかく仏教寺院

 今年もお盆がやってきた。お盆になると墓参りをし、自宅の仏壇に花や供物を捧げ、迎え火を焚いて精霊を迎える。当たり前のように行われるこの時期の行事である。

 そして、当たり前のように坊さんがやってきて、そそくさとお経を上げて行く。我が家の場合、回る順番からだろう、坊さんは朝の早い時間に来る。だからその日ばかりは朝寝坊の妻も寝てはいられない。

 坊さんのお経はどんなお経か知らないが、おおよそ4分ぐらいである。そんな短い経なのに早口で、木魚をせかせかと叩き、チーンと鉦を鳴らしてあっという間に終わる。終わったら、お布施を貰って次に行くのだ。

 お布施は、檀家によって違うが、最低でも2000円ぐらいは包むようだ。はっきりしないのは、坊さんは誰もそのことを口にしないからである。

 お盆の家庭回りは、坊さんの稼ぎ時である。だから立派な自動車でやってきて忙しく次へ行く。

 考えてみれば、こんなうまい商売はそうあるものではない。この世界的大恐慌の中でも、それなりの稼ぎがあるに違いないと下司の勘繰りである。

 そもそもこのような檀家制度は、江戸時代に徳川幕府が支配の道具として制度化したものだ。そのことは小学校の歴史でも習う。

 人民支配のために作られた檀家制度が、現代になっても崩れることなくつづいているところが極めて日本的な現象である。そしてその恩恵を一番受けているのが仏教寺院なのだ。

 葬式があると最低でも100万円のお布施が入る。(これについては以前のblogに書いた。)お経を合計で90分ほども読んで、戒名をつけて、100万円である。金持ちは500万円以上も出すという。

 日本の仏教寺院は葬式と法事と盆の経以外には何もしない。大きな寺に住み、豪華な袈裟を着て、立派な自動車に乗り、威張っていられるのだ。

 良寛和尚は何もしなかったが、その代わり托鉢の鉢と墨染めの衣とせんべい布団と筆墨だけで生活をした。何もしなくても清貧の生活に甘んじたのは仏教の教えを守ったからだと思う。

 そこへ行くと、他の僧たちは堕落していると言ってもよい。江戸時代の檀家制度が何時まで続くのかは知らないがいずれは自滅するだろうと思っている。

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2009年8月13日 (木)

NHKの「兵士たちの証言」を見て

 8月は、ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされ、8月15日に終戦となり、忌まわしい戦争から解放された月である。

 8月が近づくと、NHKを始めマスコミは、かつての戦争に関連した番組や特集を作って流す。それは戦争をなくし平和を求める気持ちを持続するために大変有意義なことである。

 今年のNHK制作の「兵士たちの証言」シリーズは、かつて第二次世界大戦中にアジアの各地で戦った生き残りの兵士の証言を元に作られていて、非常に生々しい。

 奇跡的に生き残った人たちは、もう85歳から95歳になっている。中にはこれまで誰にも話さなかった戦争の体験をやっと話した人もいる。どの人も戦場での悲惨な体験が心の中の深い傷として残っているのだ。

 このシリーズで取り上げられたのは、レイテ島の陥落、戦艦武蔵の最期、中国雲南の拉孟戦線、特攻重爆撃機、フィリピン、インパール作戦、従軍看護婦などであった。

 いずれも、アメリカ、或いは連合軍などの猛攻撃にあって、部隊が壊滅的打撃を受け、生き延びた人も食糧がなくて、草を食べたり、虫などを食べたり、中にはやむを得ず人肉を食べるという状況であったという。

 そして、傷病兵は体にウジが湧いて死んで行き、ハゲタカなどの餌食になってしまったという。

 また、どうしようもない傷病兵は手りゅう弾を渡されて自爆したり、看護婦が死ぬ薬を注射して殺したりしたという。

 特攻航空機では、15歳の少年航空兵も死んでいる。しかし、兵士の大部分は20歳前後だから15歳も20歳も生きられるはずの人生から見るとほぼ同じ僅かな人生で死を余儀なくされたのだ。

 地上兵も戦艦武蔵の水兵も悲惨さにおいては特攻兵と同じであった。殆ど徒手空拳で敵に向かい死んでいったのだ。

 中国で敵に包囲されてどうしようもなくなった看護婦たちが、地上に仰向けに寝かせられ、その体の心臓を男の兵士が銃剣で順番に突き殺していったというのはぞっと身の毛のよだつような実話であった。

 それを語った女性は、1回目が急所をはずれたので2回突かれたがそれもまた急所をはずれたのだという。そしてたった一人生き残ってソ連軍の捕虜となったのだという。

 生と死を分けたものは何か。運命としかいいようがない。生き残った人たちは99%の死の中から生き残ったのだ。そして、90歳前後まで生き延びてきている。何という生命力の強さだろうと思う。

 私は、戦争の経験はあるが、戦争に行った兵士のような生と死の極限までの体験はこれまでにはしたことがない。

 戦争に行った人はもう90歳前後になってきている。戦後生まれも64歳なのだ。だからと言って戦争を風化させてはならないと思う。戦後64年間の平和な時間があったことを有難く思い2度と戦争を起こす側にたってはならない。

 兵士たちの貴重な証言を時々見て平和への誓いを新たにして欲しいものだ。

 http://f3.aaa.livedoor.jp/~hatuki/GSN.HTM

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2009年8月12日 (水)

血液検査、大腸ガン検査いずれも◎

 先日、かかりつけの内科医院に行き、血液検査と大便の検査をやってもらった。10日に結果を聞きに行った。

 結果を聞くまでは、何となく心配なものである。医者が検査結果の表を見ながら数値の説明をしてくれた。

 それによると、全ての数値が正常範囲に収まっていた。特にこれまでは総コレステロール値が少し高かったのだが、HDLコレステロール値が大きいので心配ないということであった。それが今回は総コレステロール値も正常内であったのでよかった。

 大腸ガンの目安としての便の検査も(-)であった。

 ついでに測った腹囲も81.4cmで、85cmラインのずっと下であった。体重も62kg、血圧は119-74で全く問題なかった。

 今年の始め、blogを始めた頃に、「晩酌をやめずにメタボ克服」という実践記録を載せたが、その頃よりも更によくなったということである。しかも、晩酌は続けている。

 今年の春ごろからの変化と言えば、大便が大変よくなったことである。いわゆるバナナのような便で、1回でスポッと出るが、長さは大体60cmぐらいはある。こういう便は大変気持ちがいい。

 私は、以前から自分を鳥の仲間だと思っている。それは大便や小便の回数が多いからだ、大便は通常1日3回、小便は日中には頻繁に行く。ただ、夜寝ているときには小便には行かないこともあるので心配はしていない。

 「不老革命」という本によると、サプルメントの摂取が大事だと書いてある。私の場合、勤めている頃からサプルメントとして、活性酸素の除去によいといわれるビタミンC,Eを飲んできた。退職後は、ビタミンBやミネラルやそして最近はニンニクのアホエン(これはスジャータの名酪が送料のみで配布している)などを順次加えてきた。

 結局、総合的に効果を現して現在の結果となったのだと思っている。

 ときどき引き合いに出す売れっ子の勝間和代氏は、「健康は将来に対する投資」だと言っている。全くその通りだと思う。健康に関心を持ち何らかの健康法を実行することは最大の投資ではないかと思う。しかも、大きなリターンが期待できるのだ。言ってみれば、ローリスク・ハイリターンである。

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2009年8月11日 (火)

上司はみんな無能?ピ-ターの法則?

 勝間和代氏の「断る力」にこんなことが書いてあった。

「”上司というものは、あまり深く考えずに、あるいは考えられずに指示を出している”可能性が高いのです。企業の多くはそのような無能上司で埋められているのかもしれません。」

 そして、ローレンス・j・ピーター・レイモンド・ハル 渡辺伸也訳、『ピーターの法則』 ダイヤモンド社を読むとよいと書いてある

「この本のエッセンスは大変シンプルで、要は私たちは無能のレベルに達するまで出世を続けるので、組織において多くの人は無能のレベルに達して出世が止まった人たちである。したがって、上司の大半は無能であり、組織はまだ無能レベルに達していない出世途中の人たちによってのみ、運営されているという考えかたです。」

 有能とか無能とかをどのように見ているのかはこの本を読まなければわからないが、私は、出世を目指さなかったので、ある意味で快哉を叫びたい感じだ。

 教育界では、校長先生になることが大体において頂点である。だから校長になるために多くの人はストレスある努力をし、学閥をつくって少しでも有利に事を運ぼうとする。

 私は校長にはならなかったが、どうすれば校長になれるかは何となく理解できた。だから校長になるよりも、生涯平教員でいようと決めたのであった。

 校長になる前に校務主任、教務主任、教頭とヒエラルキーがあって、将来を目指す人々は30歳前から頃からいろいろと道を探る。大きく言って官製研究会ルートと組合ルートがあった。

 出世をする人間は何故無能になるのか?それは出世するための努力に金を使い、時間を使い、自分を捨てるからである。

 その点で、教育界のいいところは、逆の道をとれば、ストレスも少なく、児童生徒のためになることに専念でき、自分を見失わずに進めることであった。

 高級官僚を見るがよい。彼らは官僚である間は、自分たちの利益のために仕事をし、定年近くになれば、更に有利な収入を目指して天下りをし、次々に転職して退職金や給料を貪っている。だから自分たちに不利になるような改革には抵抗をしている。その意味では、有能なのだ。所詮は金の亡者でしかない。

 私たち下っ端には、天下り先もなく、僅かな年金があるだけだが、それでも昨今の世界的経済恐慌の中では、年金があるだけでありがたいと感じている。私たちには、心の自由がある。

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2009年8月10日 (月)

あいち平和美術展を見てきた

 国語の研究会の仲間として、長年に亘り一緒に研究を続けて来た船津さんから美術展の案内を貰った。彼は、在職中から油絵を描いている。退職後は時間が出来たので趣味として熱が入っているようだ。

 美術展は「あいち平和美術展」といい、9日まで愛知県芸術文化センターのGギャラリーで開かれた。

 会場に入るといきなり入り口の所に彼の作品があったので驚いた。3点出品していた。多分彼のイタリアにいる娘さん一家を画材にしたものと思われた。一点は娘さんとおぼしき人物の休息。一点はその長男と思われる子ども。もう一点は、ヤギとくつろぐ家族で題名も「家族」である。私はこの家族が一番気に入った。ヤギも家族で人間も家族でみんなで家族を表現していると思ったからだ。

 

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  絵はクリックで拡大

 

 展示されているのは絵画だけではなくて、写真のコーナーもあり、彫刻も1点だけあった。また、点刻と書も少しあった。

 絵画は油絵の他に水彩画もあり、水彩画の中には野菜や灯台を精密に描いたものもあった。

 力量のある人、まだ未熟の人の絵など入り混じっていたが、それはどうということではない。平和を願うというメッセージを持った人たちが出品しているのだ。

 絵画の中には、ヒロシマの原爆ドームを取り入れたのが何点かあった。また、戦争の愚かさを訴えたものもあった。

 書には、ある従軍慰安婦の言葉とか原爆症認定の短歌などもあった。

 美術や書などを通して平和の大切さをアッピールすることは素晴らしいと思う。

 会場を出ようとしたら、古屋敷夫妻が来たところであった。偶然でしかも船津さんの絵の前であったのだ。彼も同じ国語研究会の仲間である。

 見終わってから、美術館の喫茶室でコーヒーを飲みながら歓談をし楽しいひと時を過ごした。

 私の気に入った作品を少し無断で紹介する。 絵はクリックで拡大。

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2009年8月 9日 (日)

昭和60年に仕込んだ梅酒

 6月頃、妻が押入れの奥の掃除をしたら、梅酒のビンが2個出てきた。1つは、昭和60年(1985年)に仕込んだもので色はかなり黒くついていた。もう一つは61年の仕込みであったが、こちらのビンは色がついてはいるが透明度が高かった。

 透明度が高い理由は多分こちらのビンにはまだ梅の実を入れたままにしてあったからだと推測した。

 色が濃い方を別のビンに移し変えた。そして試しにおそるおそる味わってみることにした。杓子ですくうと意外にも透明度があり、濁りは全くなかった。それで口に入れた。やや古い味わいがしたが梅酒の味が口の中に広がった。

 梅の実が入っている方は実を取り除いて別のビンに入れ替えた。こちらも味わってみると味はずっとよかった。

 押入れに入れたまま忘れていて約25年経過しヴィンテージ梅酒になっていたのだ。30度の焼酎と梅の持つ力の凄さを見た思いであるが、心配なことが一つある。それは活性酸素が増えていないだろうかということである。食品に色がつくのも酸化ししたためだと考えられるから活性酸素が増えていれば健康にはよくない。

 しかし、捨てるのはもったいないので、毎日少しづつ飲んでいる。

 梅酒の作りかたhttp://www.minabe.net/umelife/umesyu/recipe.html

Photo

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2009年8月 8日 (土)

食細くして命長かれ―木村次郎右衛門さんの言葉―

 木村次郎右衛門さんは、112歳で男性の長寿日本一である。最近男性の世界一の方が亡くなられたから多分近いうちに世界一になられるのではと思う。

 木村さんは、京都府の丹後半島に住んでおられ大変お元気だ。インタビューで長寿の秘訣を聞かれて、

「食細くして命長かれ」

と答えておられる。私は、この言葉を聞いて大変素敵な言い方だと思って感心した。

 8月1日(土)の朝日新聞Beで日野原重明先生が最近のアメリカのウイスコンシン大のアカゲザルを使った研究を紹介しておられる。

「約20年にわたる研究によると、摂取カロリーを約3割減らすと糖尿病やガンなど加齢に関連した病気で死ぬ確率が1/3に減ることが分かったというのです。」

 霊長類では初めて確認されたのだと言う。

 日野原先生自身、

「私も1日1300キロカロリー以内の低カロリー食を実践しています。10年前から続けてきて大きな病気とは無縁です。」

と、書いておられる。日野原先生は子どもの頃から太る体質でデブと言われていたのだという。

 日本では、昔から「腹八分目に医者要らず」という諺がある。昔の人も、先述の木村さんも経験的にそのことを知っていたのだ。

 日野原先生は、「腹7分目」だと言われる。似たようなことは、アンチエイジングの専門家「不老革命」の吉川敏一氏や「体温を上げると健康になる」の斎藤真嗣氏なども言っておられる。

 私は、今年の初めのblogに書いたように、一日2食を実践し、体重を8kg減らした。メタボも克服し腹囲は81.4cmのなった。

 適度な運動とカロリーを減らすことが大事であることを身を持って知ったのである。

“苦にするな嵐の後に日和あり”木村さん

“思うこと思うがままにならぬのがかえりて己が身の為にこそ”  (木村さんの座右の銘)

  

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2009年8月 7日 (金)

高齢者免更新の講習

 今年6月に改正された道路交通法により、70歳以上の高齢者の免許更新には、講習が義務付けられた。

 私は、免許を取得した中部日本自動車学校で講習を受けることにした。講習には事前の予約が必要であった。午後の講習を希望したので13時受付、13時20分から16時20分までであった。

 受講費用は、5800円である。

 講習内容は講義が30分、器械を使っての適性検査が30分、運転実技が30分、視力等の検査が30分、ディスカッションというものが30分であった。

 講習を受ける部屋は小部屋で一度に9名が定員で、それを3人の係官が一人3人づつ受け持った。

 暑い日で部屋に入ると、直ぐにお絞りを出してくれた。お絞りはお変わりが自由であった。また飲み物として3種類の缶コーヒーとペットボトルのお茶、少しだが牛乳もあり、欲しいだけ飲んでいいということであった。でも、みなさんはお茶を1本飲んだだけであった。

 テキストは4種類くれたが、殆どは各自が読むということになっていた。講義はベテランの指導員が手馴れた話しぶりで進めたが、主として高齢者が気をつけるべきことであった。

 適性検査は、青、赤、黄、黒の円が点滅しそれにあわせてアクセルとブレーキを操作するものであった。私は、30代から50代の平均値よりもかなりよい成績だったので驚いた。

 視力は静止視力、動体視力、視野を測るもので、右目に白内障があるので心配だったが、静止視力は1.0、動体視力は予想外によくて0.7もあった。

 運転実技はコースに出て車庫入れ、縁石乗り上げ、S字カーブ、踏み切りなどであった。私は車庫入れが不得意なので指導員がコツを教えてくれた。

 ディスカッションタイムに総評があるということであったが、みなさん、問題があまりなかったらしく特にはなかった。

 今日のテストの結果の表の見方の説明があった。

 講習を受ける代わりに、免許更新時は講習免除だということだった。

 後は誕生日頃に2550円を持って平針へ行って更新するだけだ。

 

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2009年8月 6日 (木)

フジヤマのトビウオ 古橋広之進氏の死を悼む

 フジヤマのトビウオと謳われた日本水泳界のリーダー、古橋広之進氏がローマで亡くなられた。誠に惜しい人をなくしたものだと思う。心から追悼の意を示したい。

 私が中学生の頃、古橋氏と橋爪氏が競泳で世界記録を立てたことを朝日新聞で読んだ。戦後間もない頃で日本はまだ打ちひしがれていた当時凄いニュースであった。

 昨日の朝日新聞によると、世界記録を30回も更新したのだという。それは彼のもの凄い努力の賜物でもあったが、それにしても何不自由ない食べ物があり、水泳の設備があるアメリカなどを相手に世界記録を出したのだ。驚異としか言いようがない。

 私は彼らが何を食べていたのかに関心を抱いたが、今朝の天声人語によると、

「食べるのが精一杯の戦後、日大水泳部の主食はスイトン、マメカス、トウモロコシでコメは1升を30人分のお粥にした。」と書いてある。

 つまり、当時の日本人が配給されて食べていたものと全く同じ食事であったのだ。この記事を読んでスイトンやマメカスやトウモロコシの映像と味と匂いがまざまざと脳裏に蘇った。

 マメカスは油を絞った後の滓で板状になっていた。スイトンはまだおいしかった。トウモロコシは米軍の放出で今思えば家畜用の餌であったのだ。匂いがきつくてとても腹が減っているのに食べたくないくらいまずかった。 我が家でも、コメはお釜の中の大量の水と大根の葉などの中にパラパラと入っている程度であった。

 サツマイモを買い出しに行ったということであるが、我が家でも同じであった。父が作った簡易の棒秤でサツマイモを計って食べたのを思い出す。

 そんなみじめな食事をしながら、古橋氏は1日2万mも泳ぐことがあったという。「魚になるまで泳げ」が口癖の彼は自ら実践をしたのだった。

 当時私はがりがりに痩せていた。まして、毎日猛練習の彼らはどんなであったろう。

 もう一つ驚かされるのは、ふんどしの上に水泳パンツを重ねて競泳に臨んだということである。

 最近は、水着の改良競争で次々に新しい水着が作られ、世界記録が更新されている。

 ふんどしの上に水泳パンツでは、抵抗が大きすぎて大変だと思うのだが、それで次々と世界記録を塗り替えたのだ。

 もし、当時の古橋氏に今の水着をはかせて泳がせたらいったいどんな記録が出たであろうかと思う。

 或いは逆にふんどしと水泳パンツで今の選手に泳いでもらったら面白いかもしれない。

 スイトンと肉、ふんどしと水泳パンツのハンディをものともせず、見事な成績を上げたことは大変な快挙であった。

http://showa.mainichi.jp/news/1949/08/post-21a9.htmlhttp://www.obc1314.co.jp/blog/ptof/?m=200806

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2009年8月 5日 (水)

定価文化と値切り文化

 勝間和代氏の「断る力」を図書館で借りて読んだ。いくつかの興味深いところがあった。

 231pの「交渉力」というところを読んでいてふと思ったことがある。

勝間氏はこう書いている。

「相手に断る力を発揮することは、『交渉力』と言い換えることもできます。・・・・ただ残念ながら『交渉力をつけるというと、日本人の多くにとって高度のことだと思われがちです。

 例えば、日本では買い物一つするにしても、すべてきっちりした値札がつていて、交渉力を発揮する必要は殆どありません。また、チップの習慣がないため相手のサービスの度合いに応じて価格設定を変えるということも行いません。

 交渉力とは『思考のくせ(習慣)くらいに思っていた方がいいのです。」

 確かに、日本人は買い物をするにしても、「定価」が決まっているため値引きの交渉をすることは余りない。がめつく値引き交渉するのは大阪のおばちゃんぐらいである。

 私は、電化製品を買うときなどは値引きの交渉をするが、妻はいつも言いなりに買っている。

 2度目の海外旅行でシンガポールに行ったとき、値引きの交渉をしなければいけないと言われ、50%引きは当たり前と聞いて驚いたものである。

 その後中国に行く機会が何度かあったが、中国では50%どころかひどいときには70%でも可能であった。もっとも中国では日本人と見ると中国人の倍ぐらいの値札にしてあるので値引き交渉をしないで買うのはバカをみることになる。

 中国人の知人に聞くと値引き交渉は当たり前のことであると言った。

 中国人の知人が日本に来たとき、電気製品のタックスフリーショップに案内したことがあるが、何と1時間余りもしつこく値引き交渉をしてとうとう自分が買いたい値段にさせたのを見た。そのときには、中国人の交渉力に眼を見張ったものである。

 定価で買う習慣の日本人と値引き交渉が当たり前の中国人では「交渉力」ということにかけては当然中国人に軍配があがる。

 だからビジネスでも政治でも、中国の強かさに負けるのだろう。DNAもおそらく違っているに違いない。

 

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2009年8月 4日 (火)

朗読劇「月光の夏」を観て

 名古屋演劇鑑賞会に関係している知人の勧めで、朗読劇「月光の夏」を観た。8月1日の土曜日のマチネーとして、アートピアホールで上演された。

 開場時刻をやや過ぎた頃に行ったが、既に7割ぐらいの観客が入っていた。すぐに満席となったようだ。ただ観客に若い人は少なかったのが残念であった。

 この朗読劇は、原作・脚本が毛利恒之氏、演出が鈴木完一郎氏で、出演は劇団「東演」の男性能登剛、南保大樹、女性が岸並万里子、江上梨乃で、ピアノが根岸弥生であった。

 朗読劇は、実話をもとにしたものだそうで、構成と演出が素晴らしかった。

 演出者の説明も借りながらストーリーを書く。

  ピアノ1台と4人の朗読者によるピアノクインテット「月光の夏」ふたり

 第一楽章は「Largo} 昭和20年の初夏、2人の特攻隊員が突然鳥栖小学校に現れる。彼らはその学校にグランドピアノがあることを聞いてはるばると歩いてきたのであった。一人は音楽学校の学生から徴用された隊員でもう一人は熊本師範学校の学生から徴用された隊員であった。音楽教師の吉岡秀子が応対をした。

 音楽学校学生であった隊員は「明日出撃するので最後に是非ピアノを弾かせて欲しいと頼んだ。吉岡は楽譜は「べトーベンの月光しかない。」と言うと、それでいいからと弾き始めた。その音色は吉岡の心に染みた。隊員は「貴女の心にとどめておいて欲しい。」と言った。

 もう一人は、教頭の命を受けた小学生の歌にあわせて「海ゆかば」を弾いた。

 第二楽章は、ラジオ番組の作家三池の特攻隊員探し。

 二ヵ月後に戦争は終わった。それから45年たち、ピアノは廃棄されることになった。しかし、吉岡秀子はそのピアノを残したいと思い走り回る。そして秀子が語るその重いでは新聞やラジオで報道され、平和の記念碑としてピアノの保存が決まる。地元のラジオ局の石田りえはドキュメンタリ作家の三池安文と共にピアノを弾いたと思われる風間森介元少尉を訪ねる。しかし彼は一切を話そうとしない。

 第三楽章、テンポはAndante。特攻出撃を途中で放棄した隊員を幽閉していた「振武寮」の存在を知り、吉岡秀子と三池は鹿児島県知覧へ行く。そこには特攻平和記念館がある。そこで「月光」を弾いた海野光彦少尉の遺影を発見する。

 第四楽章、Agitato。三池の真摯な説得に遂に風間は自分が特攻隊の生き残りであること、その為に大変な思いをしたことなどを話し、鳥栖小学校でピアノを弾いたのは海野であることを話した。

 風間の母は、彼の遺髪と称するものが届けられたので入水自殺をしていた。戦争はどこまでも酷い。彼は鳥栖小学校を訪れてピアノを弾きたいと言う。

 吉岡秀子は小学校で待っていた。そこに風間が妻を伴って現れる。そして、妻が海野の妹であることを告げるのであった。

 風間が「月光」を弾き始める。

 この劇の中でピアノ演奏が3回ある。海野が弾く場面。風間が認める場面、そして最後の場面である。

 黒い服を着た出演者と黒くて暗い舞台で僅かに光が出演者を浮かび上がらせる。作者の毛利氏は、次のように書いている。

 ”単なる朗読とは違います。ベートーベンのソナタ「月光」のピアノ演奏と<ドラマリーディング>が織り成す、新機軸のライブ・ステージです。

 かつて、ラジオドラマは「心の劇場」と言われました。朗読劇もまた、観客の想像の世界をひろげます。のみならず、人間の息吹が伝わる、臨場感のある生の舞台です。名曲の調べと相まって胸で聴く、心の目で見る、感動のドラマをお届けします。戦争犠牲者の鎮魂と平和への祈りを込めて。”

 知覧基地から飛び立った若き特攻隊員でなくなった人は1036人にもなるという。中には15歳の少年も含まれていた。生きながらえた人と亡くなった人の運命の差は余りにも過酷である。

 先日NHKTVでガタルカナルの戦いを放映したが、それも同じである。生還した者と命を落としたものの差。これこそ戦争の悲劇である。戦争さえなければ、普通の生活をしてそれぞれの生を全う出来た筈なのに、「死は鴻毛より軽し」と平然と言う軍の命令によって天皇のために命を捧げさせられたのだ。

 過去の戦争によって相手国も含めて無数の犠牲者を出した。その事実を忘れないためにも語りつがれなければならない。その意味でもこの朗読劇は素晴らしいものであった。ベートーベンの月光がこのような実話に絡んでいるのをベートーベンが知ったら感無量の思いを抱くに違いないと思う。

  知覧特攻平和記念館

 知覧特攻平和会館

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2009年8月 3日 (月)

インド・ネパール料理店でランチ

 8月1日(土)に、国際プラザ日本語教室(土曜午前の部)の有志でインド・ネパール料理店に出かけた。

 学習者の中にネパール人がいてご主人がレストランをやっているというので、夏休みを利用して行こうということになったのだ。

 八事のジャスコに集まって、そこから歩いて店まで行った。生憎の雨で歩きにくかった。店は隼人池の向かい側にあり、カマナという。

 店に入ると日本人の若いカップルが先客としていた。

 ハンサムな日本語の上手な人が出迎えてくれた。聞くと学習者のご主人だということであった。

 店には同じネパールから来た高校生のヴィーナさんがもう来ていた。彼女はとてもきれいで人懐こい。まだ日本語は余り話せないが英語は出来るので英語を交えて話した。

 ランチはAとBがあった。Aは780円でナンはお代わりができるというのでそれにした。カレーはポークとチキンから選べる。インドと同じでビーフはない。サラダと飲み物もついていた。

 ナンが運ばれてきたのを見て驚いた。これまで見た事がないほど大きいのだ。食べてみるとちょっと甘みがあってとてもおいしい。

 カレーは辛さで5種類の中から選べるのだが私たちは普通のにした。韓国人のキョーコさんやヴィーナはさすがに辛いのを選んでいた。カレーもナンをつけて食べるととてもいい味であった。

 チーズを主体にしたものをサービスで出してくれたがこれがまたおいしかった。

 ナンはお代わりできるとは言ってもみんな全部が食べ切れなくてお持ち帰りに包んで貰っていた。

 食べていると昼なので客が入ってきてほぼ埋まった。また食べに行きたいレストランである。

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2009年8月 2日 (日)

進学率が親の年収で格差

 7月31日の朝日新聞によると、「進学率は親の年収で差が酷い」ということである。

 「年収200万未満の家庭の高校生の4年制大学進学率は3割に満たず、一方で1200万以上の家庭では倍以上の6割強にー。」ということが東京大学の大学経営・政策研究センターの調査でわかったという。保護者の年収がよくなると右肩上がりに急激によくなっている。

 この調査は、05年度に全国の高校3年生約4000人を抽出して3年間追跡したものだそうだ。

 05年度と言えば、まだ世界大恐慌が始まる4年前で日本は景気がよいといわれた頃である。その後フリーター問題、非正規社員の激増などが騒がれるようになり、同時に親の収入による進学の格差も問題視されるようになった。経済大恐慌の頃は湯浅誠氏、雨宮処凛氏などによって強く指摘された。

 年収1200万円というのは私は一度も貰ったことがないから想像もつかない。普通は公務員を定年まで勤めてもよほど偉くならない限りそんなには貰えないと思う。いったい、子どもを持つ働き盛りの一般の人の年収はどのぐらいなのだろう。400万円から500万円ぐらいなのか?

 現在は年収200万円以下が1000万人以上になったというから、子どもがいても進学どころではないだろう。

 私は大学のとき、担当教師の努力で幸いにも奨学金を貰うことができた。そして、アルバイトと奨学金で大学を卒業することができたのだ。

 4人兄妹なので、大学まで行ったのは私だけである。

 私の大学の同期生や先輩、後輩は苦学生だらけである。みんなアルバイトなどをして自力で大学に通った。そして優秀であった。勉強できることに喜びを持っていたのだ。

 今は当時と比べてどう違うのかは知らないが、親の年収によって進学できないというのは、由々しき問題である。優秀な人材を見捨てることにもつながる。だからアルバイトをしてでも、大学生活を送れるようにしてあげられないものかと思う。

忘れてはならないのは、こうした格差が小泉・竹中改革によってもたらされたことである。その政治に同調した者は誰であるかをよく考えて今度の総選挙に対処すべきである。

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2009年8月 1日 (土)

北海道で獲れた新サンマを買った

 7月の10日頃から北海道で獲れた新サンマが店頭に並び始めた。最初のうちは1匹500円などという値がついていたが、それが350円になり、250円になりと少しづつ下がってきた。

 今日行きつけの安売りの店に行ったら、2匹で250円で売っていた。見ると丸々とした大きなサンマである。1匹当たり125円なら買ってみるのも悪くないと思い、妻に電話した。今は携帯電話がありしかも家族間は無料なので気楽に掛けられる。

 妻に買ってもいいかと尋ねたら、いいと言ったので買った。どこかの奥さんも見ていて直ぐに買った。

 今年初めて買ったサンマだ。10月頃までは北海道産のサンマが出回り、値段も次第に安くなる。北海道産はサンマがまるまるとしている。それが岩手、宮城、千葉と下って来ると少しずつ細くなり、12月ごろ紀州産になると油気がとれて細身になる。

 私は紀州新宮で育ったのでサンマが大好物である。朝食時、弁当、夕食と1日3回もサンマを食べたこともある。

 あの辺ではサンマのことをサイラと呼んでいた。サンマの丸干、開き、みりん干しなどいろいろあった。

 圧巻は、サンマ寿司である。正月には欠かせないメインの料理であった。

 当時は紀州に来た細身のサンマを食べていたが、現在は北海道産の太いサンマからいろいろ食べることができる。

 値段もだんだん安くなり、一番安いときには50円とか、30円のときもある。サンマはまさに庶民の味だ。

 青み魚は健康にもよい。これからサンマのシーズンに入っていくので楽しみである。

  今年初物になる北海道産サンマは、妻が塩焼きにした。焼いているときに、脂が滴り落ちたそうだ。醤油を少しつけて食べると脂がのっていて大変おいしかった。

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